【後日談追加】私がそんなことするはずないじゃないですか
ガシャーン!
悲鳴と共にティーポットが床に叩きつけられ、無残にも砕け散った。
「何事だ!」
私は真っ青になって、応接室の真ん中で立ちつくしていた。そこへ、私の婚約者であるナラン様とそのお父様のダート様が駆けつけてくる。床に這いつくばっているのは、ナラン様の義妹のマハモ嬢。
ここは、婚約者ナラン様のタウンハウス。月一の茶会のため訪問していた私の元へ、なぜか義妹のマハモ嬢がやってきたのだ。しかも、ナラン様が席を外したその隙に。
「ジャーナ様が、私に、「ナラン様の周りをうろつくな」と、熱いお茶の入ったポットを投げつけて!」
いや私、そんなことしません、絶対に。
「いや、嘘だな。彼女はそんなことしない」
「そうだな」
ナラン様たちが口々に言うと、マハモ嬢はショックを受けたように涙を流し始めた。
「ナランお義兄様、お父様、信じてくださらないの?先週だって、私、ジャーナ様に階段から突き落とされて!」
「それならあり得る」
ナラン様は即答した。おい。やらんわ、面倒な。
「ドレスを破かれたり!」
「やるかもなぁ」
「古いお菓子を食べさせようとしたり!」
「しそうだな」
「泥水をかけられたり!」
「うーん、やりかねない」
「ジャーナ様はひどいんですー!」
「それは同意する、だが、」
「「ポットは割らない」」
父親と息子は声を揃えた。ちょっと、私の評価。
「失礼ですわね、それに服だの菓子だの階段だの、そんなみみっちいこと、わざわざしません。そんな暇があったら少しでも工房に入ります」
私が腕を組んで抗議すると、親子はまた同じように頷いた。
「それは、そうかもなぁ」
ナラン様の言葉に、マハモ嬢は目を見張った。
「ひどい、信じてくれないんですか。どうしてっ!」
ナラン様親子は顔を見合わせた。
「ジャーナ嬢は、いわゆる陶磁器狂でね」
「国内随一のコレクターでもある」
「磁器のためなら、強引なことも辞さない人物なんだよ。身も心も捧げていると言っていい」
「いやですわ、ダートのおじさままで。趣味と実益を兼ねているだけです。我が領は先祖代々、磁器で有名なんですからね」
私は見るも無残な姿になってしまったポットに心が痛んだ。なんてことをしてくれたんだ。
「だから、そんな私がポットを投げつけて壊したりなんて、決してしないのです。ご自分で割ったこと、認めますね?」
私がマハモ嬢に話しかけると、彼女は下を向いていたが、顔を上げると立ち上がった。
「わ、わ、わざとじゃなかったのよ、言い合っているうちに、手が滑って!」
「いやどんな状況ですかそれ。それに、ただ落下したくらいで、我が領のポットはこんなに粉々になったりしません。あなたは、私の目の前で、こともあろうに貴重なポットを、床に叩きつけたのです。こんな冒涜、許すつもりはありません。しかもそれを私がぶつけたと言って、陥れようとしましたね」
「普通はそっちの罪の方が重いんだがなぁ」
ナラン様が天を仰ぐ。あら、ポットを叩きつけたんだから、万死に値するでしょう?
「あなたが叩き割ったこのポット、おいくらするかご存知?」
私の言葉に、マハモ嬢は眉を吊り上げた。
「また私が貧乏な環境で育ったことをそんな風に言って、意地悪するのね!弁償しろとでもいいたいの!?」
「お金で弁償してもらっても何にもなりません、払うのがあなたのお父様なら、それはお宅の領民の税金ではないですか。このポットは、失われてしまったらもう戻らない、貴重な芸術品なんですよ?あなた自身で弁償してもらわなければ」
彼女は沈黙した。必死に考えているのだろう、どうやってこの窮地を抜け出すか。
させませんよ。私はにっこりと笑った。
「でも支払い能力なんかないでしょう。だから、あなた、作ってきてください」
彼女の顎が落ちた。
「……は?」
「ポットを作ってきてくださいと言いました。使用に耐えるポットができるまで、あなたの手ずから何度でも挑戦してくださいね、期限は設けませんから」
「なにを……」
「どれだけの工程を経て、どれだけの人が関わって、あなたが壊したそのポットが出来上がっているのか、身を以て知ってください。まずは陶石の採掘からかしら」
「な、なんで私がそんなこと……」
「騎士団に突き出す方がいいかしら、偽って私を陥れようとしたって」
マハモ嬢はものすごい形相で私をにらんだ。ウソ泣きがばれますわよ。
「ああ、ウチの工房は住み込みの職人ばかりなので、部屋もすぐに用意できるから遠慮しないで今すぐ身ひとつで来てもらって構いません。セバスチャンさん、お願いできます?」
ナラン様の家の優秀な執事のセバスチャンが、深い礼と共にマハモ嬢の腕を取り、もう片方を護衛が取った。連行するようにしてマハモ嬢を引っ張った。マハモ嬢は最初、抵抗していたが、ナラン様のお父様に叱責されるとそのうち歩き出した。
「ああそう、マハモさん、」
私が呼び止めると、彼女たちは足を止めた。
「あなた、あんなことして何がしたかったのかしら。たとえ成功していたとしても、私を悪役に仕立ててなんの得があるのでしょう?不思議だわ」
マハモ嬢は振り返り、燃える瞳で私を睨んだ。
「あんたがお嫁に来たら、私がこの家にいられなくなるのよ!私の居場所を取ろうとするからじゃない!だから邪魔しようと」
「何を言っているんだか」
私は肩をすくめた。
「そんな理由でポットを割った?許せませんね、やっぱり騎士団に突き出そうかしら」
「そんな理由って、ひ、人の生活をなんだと……!貴族なんて血も涙もない奴ばっかだわ!だから私だって、生き残るために行動しただけよ!」
私は笑い声をあげた。
「そうですわね、貴族の世界は弱肉強食。足の引っ張り合い。そんな世界でこの程度で済んだことを、そのうち私に感謝することになるでしょうね」
「誰があんたなんか」
「あのね、マハモさん。私が嫁に来ようが来まいが、あなたはどうせこの家を出されるんですよ。庶子の養育の義務は十六歳までですもの。それにね、」
私はマハモ嬢に近付いて言ってやった。大切なポットを壊されたんだからこれくらいさせてもらう。
「私はお嫁に来るんじゃありません。ナラン様がお婿に来てくださるの。我が家に残っているのはもう、私しかいませんからね」
マハモ嬢は目を見開いた。
「ナラン様は次男なんだし、その程度のことも調べないで行動するなんて、あなた貴族には向いていませんわ、あっという間に食いちぎられてしまうでしょう。磁器職人の方が合っていましてよ」
私はもう一度、にっこりと笑ってやった。
「頑張ってくださいねマハモさん。あなたの作ったポットでお茶が飲める日を、楽しみにしておりますね」
マハモ嬢は茫然自失の様子だったが、セバスチャンに促されて歩き出した。
「まともに修行してくれるといいんだけど」
後ろ姿を見送って私がこぼすと、ナラン様が横に並んで肩を抱いてくれた。
「あの子はアレで、相当器用なんだ。すぐに戻ってきてしまうかも」
わたしはかぶりを振った。
「陶石を磁土にするのにだって、数ヶ月は寝かせなければならないのよ。下手すりゃ数年。釉薬だってそうよ。上手く出来たとしても、成形の技術が身につくのに、どのくらいかかるかしらね。当分戻ってこないでしょう。もう戻ってこないかもね。それにね、」
私は言葉を切って考えた。
「私、思うんだけど、彼女、相当な凝り性だと思うのよね」
「凝り性?」
「そう。先ほど彼女ったら、どうやったら義兄の婚約者に虐げられる悲劇の少女に見えるか、髪の乱し方、涙の流し方、扉から見える割れたポットと自分の位置まで、綿密に計算していたわ。美的感覚も鋭い子だと思うの。そんな子が、素人丸出しの不出来なポットを私に持ってくると思う?」
ナラン様は片眉をあげて私を見た。
「アレの母親は舞台女優だったからな、美に対するこだわりはあるだろう。マハモは、しばらく預かってもらえると考えていいか」
私はしっかりと頷いた。
「あの道を極めるのには、何十年とかかるのよ。女性の職人も増えてきているとはいえまだまだ少数だし。でも、たとえ私が「使用に耐えればいい」と言っても、あの性格ならもっと完璧な物を作りたくなると思うの。きっといい職人になるでしょう」
ナラン様は破顔した。彼も、彼なりにマハモ嬢の行く末が気になっていたのだろう。貴族社会には合いそうにないし、かといっていつまでも居座られても困る。
「そうか、そうだといいな。ジャーナはなんのかんの言っていても、結局は優しいな。マハモに手に職をつけさせようとしてくれたんだろう?」
「まあね、とっさに思いついたにしては、いい考えだったと思ってるわ」
私はため息をついて、割れてしまったポットのかけらを拾い上げた。
「危ない、手を切るよ」
「大丈夫……。すまないけど、どんな小さなかけらも残さず、拾い集めておいてくれる?手を切らないように気をつけて」
私は使用人に声をかけた。数人がかけらを拾い始める。
「……あれは、私の祖父の代に作られた、貴重なポットだったのに。あなたへの最初のプレゼントだったわね」
「そうだな、思い出の品だ。継ぎに出すかい?」
私は曖昧に頷いた。継いでももう、実用には耐えないだろう。残念だ。
物はいつかは壊れてしまうけれど、あんな風にわざと、悪意を持って壊されると気分が塞ぐ。私が投げつけたことにして悪役に仕立てたかったんでしょうけど。
でもね。先祖代々、研究と研鑽を重ねて出来上がった技術と伝統の結晶なのに、磁器に情熱の全てを注ぐ私が、叩き割ったりするわけないでしょう。
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【後日談】
ある日、ナランがダートお義父様と共に帰ってきた。お義父様は木箱を大切そうに抱えている。
「いらっしゃいませ、お義父様。お元気そうで何よりです」
お義父様は柔らかく微笑んだ。やっぱりナランとよく似ている。
「今日は、君の会社の立ち上げが首尾よく許可されたお祝いにね」
「その際にはご尽力いただき、ありがとうございました」
「今日はちょっとした土産があるんだ、応接室は空いている?」
最近、応接室は子供たち皆の遊戯場と化していた。明るいテラスへと続く部屋がなぜか子供たちのお気に入りなのだ。私は苦笑いと共に首を振った。
「ティールームならすぐに使えますわ。そちらがよろしいかと」
ナランもお義父様も笑い出した。
「これを君に」
お義父様が木箱から布に包まれたものを取り出しテーブルに置いた。歩み寄って布を取り払うと、シンプルなティーポットだった。装飾もない、ひたすら機能だけのもの。しかし、なんとも言い難い美しいフォルム。見たことのないスタイルだった。どこのものだろう?そう思って顔を上げると、私をじっとみる夫の姿があった。その顔を見て閃いた。
もしかして……。
「……彼女、元気なのかしら」
私が言うと、二人は笑い崩れた。
「やっぱり気付いたか。マハモから預かったんだ。どう?」
ナランは、陶磁器狂の私にポットの出来を聞いているのだ。シャクだけど、よく出来ている。私は直接は答えず、はぐらかした。
「……彼女はこれで、無罪放免ということになりますわね。今後、どうするつもりか、なにか言っていましたか?新しい会社に来てくれるといいんだけど」
「いや……。やりたいことができたそうだ。ここを離れるつもりらしい」
「そうなんですのね……」
ちょっと寂しい。将来性の大いにある職人なのに。惜しいな。
だが、ナランもお義父様もニコニコとしている。
「マハモはね。継ぎ師になりたいそうだ」
「継ぎ師に?」
継ぎ師とは、修復師とか復元師とかの、我が領での呼び名だ。マハモさんが継ぎ師になりたい?それって、つまり……。
私はハッとして、ナランを見つめた。彼は笑顔を大きくした。
「修行先なんかも自分で探したそうだ。しばらく領も離れるらしい。マハモからの伝言だ。『あれは私が直すから、他の誰にも触らせないでよ!』だそうだ」
彼女の言い草に呆れる気持ちと、彼女の決断に驚く気持ち、彼女が自省したこと、自らの道を選んだ喜びなど、さまざまな感情に圧倒されて言葉が出ない。お義父様を見ると、目尻が濡れている。お年を召してからお義父様は涙もろくなった。
件のティーポットは、あちこち伝手を頼ってみたが、「修復不可能」と、どの継ぎ師からも匙を投げられてしまい、かと言って処分もしがたく、あのまま保管させているのだ。それを直すために、彼女は継ぎ師になるという。
「……わかりました、ではお義父様、お義父様のお顔を立てて、例のポットはあのまま保管しておきますが、早く戻ってこないと捨ててしまいますわよと伝えてください」
私の言葉に二人とも苦笑した。お義父様がナランに「二人とも素直じゃないな。天邪鬼義姉妹だ」などと囁いた。聞こえてますわよ。
「さあて、シャンパンでも開けたい気分だが、今日はこのティーポットで、紅茶で乾杯といこう。新会社と、マハモの前途を祝して。きっと美味い」
私が頷くと、ナランが私の肩をそっと抱いた。
そうか。彼女は継ぎ師になるのか。彼女ならきっと、凄腕の職人になるだろう。
私も負けていられないな。激動の時代の中、新会社と磁器産業を盛り立てていかなければ。
楽しみにしていますね、マハモさん。彼女と私の関係も、とても修復不可能と思っていたけど、緩やかな交流が生まれるのかもしれない。将来の凄腕継ぎ師の技に期待しよう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
よくカップやポットを割るシーンがありますが、「もったいねー」と思ってしまう作者は根っからの庶民。
【後日談?蛇足?追加しました】
邪魔かな?余計かなと思いつつ、迷いながらも後日談追加しました。ドキドキ……。
【誤字バスターズの皆様】
いや早いって!後日談投稿してからまだ一分!凄腕修復師の称号はバスターズの皆様へ捧げます。いつもありがとうございます!!
【続編投稿しました】下記↓↓にリンクがあるので、よろしければ是非。