解決のない話
これは小説習作です。とある本を開き、ランダムに3ワード指差して、三題噺してみました。
随時更新して行きます。
【お断り】「森、暮らし/暮す、災い」の三題噺です。
(以下、本文)
急な山肌を切り開いて造成した、段々畑みたいな住宅地に、ボクは住んでいる。
缶コーヒーを置いたら引っくり返りそうな急坂を、毎日登り降りするのは正直キツいけど、不動産屋が「ここより安いアパートはありませんよ」と、やっと見つけてくれた物件なんだからガマンするしかない。
下のバス道から眺め上げるマイホームランドは、まるで宮崎駿のアニメに出て来る空中都市みたいだ。
冬もようやく終わりが見えて来た、良く晴れた、珍しくポカポカした日曜日。
久しぶりにもらえた休みなのに、なぜかボクの心は曇っていた。
「これじゃイカン」と思い直して散歩する事にした。
住宅地の後ろは里山だ。手ごろな散歩コースには困らない。
「行けども、行けども」の耕作放棄地の間を歩く。
錆ついたガーデントラクターが放置されてる元ミカン畑。
すでに屋根は崩れ落ち、腰折れ寸前の納屋。
みんな誰かの夢の跡だ。関係ないボクも心が痛む。
そんな場所でも農道は良く手入れされ、ぬかるみにはコンクリート・ブロックまで置かれている。
この先に墓地があるからだ。
あと少しでお彼岸だ。ご親族の方々が、ていねいに道普請したんだろう。
行き着く所は観音堂だ。ちょいお詣りして手を合わせる。
あいにく「ご浄財」の持ち合わせがない。
今月もギリギリなんだ。お布施は出世払いでカンベンね、観音さま。
観音堂から右に折れ、坂道を降ると住宅地にもどる。
いや、正確に言うと、かつて住宅があった場所だ。
もう10年くらいたつけど、西日本まるごと全部豪雨の際、この住宅地は山津波に襲われた。土石流の直撃を受けた住宅では死者も出た。
あの直後、ボクは少し離れた急傾斜の住宅地で、土砂出し作業のボランティアをした。
段々畑みたいな住宅地だから、土石流に直撃された一段上の住宅は何ともない。
何だか割り切れなかった。
あの時、土石流の被害を受けた家屋は、そのあと再建されたのもあれば、されなかったのもある。
そうなった事情は、さまざまなんだろう。
一区画まるごと土がむき出しの、分譲地みたいになってしまった住宅跡は、なんだか傷跡みたいだ。
そう言った「分譲地」の一つに、小さなお地蔵さまが置かれている。
ここで小学生の男の子とその妹の二人が亡くなったそうだ。
その子らの親御さんたちが置いたお地蔵さまなんだ。
ここを通る時、ボクはいつも手を合わせている。
「おや、いつもと違うぞ? あそこに何かある。」
近寄ってみたら「分譲地」のまん中に六本の木が植えられていた。
まだ1メートルほどの、ほっそりした苗木だけど。
その横に、コピー用紙にワープロで印字したのをパウチしただけの「プレート」が立っていた。その内容は以下の通りだ。
(引用、はじめ)
正確な場所は分かりませんが、この一帯に広がる森の中には「災いの木」があると、言い伝えられているそうです。
私たちも最近になって、それを知りました。
山にとっては「ちょっとクシャミをしたていど」の事でも、私たち人間にとっては大きな災いとなります。
このため、災いを抑える「厄封じの五本の木」も植えられているのだそうです。その名を挙げれば、
火除けの木、
疫病払いの木、
水防の木、
子守の木、
そして長寿の木。
問題なのは、どの木が「災いの木」で、どの木が「厄封じの五本の木」なのか、誰にも分からないと言う事です。
うっかり切り倒せば、大きな災いを招きかねません。
このため、私たちのご先祖さまは山を敬い、山を恐れ、「山に生かしてもらっている」と言う感謝の気持ちで生きて来ました。
遅まきながらではありますが、ここに六本の木を植えて、私たちの亡き子らが眠るこの土地を「山鎮め」の場としたいと思います。
どうか、みなさま。手を合わせてやってください。
そして自然を敬ってください。
私たちのような悲しい思いをする親が、二度と現れないように。
(引用、おわり)
なるほど、五本の苗木は、きれいな五角形を描いて植えられている。
おそらく五芒星なんだろう。
そのちょうどまん中に、小さな苗木が植えられている。
まん中のが「災いの木」。
それを取り囲んでいるのが「厄封じの五本の木」と言うわけか。
この近辺の山は、見渡す限りの杉林。そして竹藪ばかりなんだが。
どっちも手入れは無きに等しい。
手入れの悪い花壇みたいに「草」ぼうぼうだ。
おかげでボクたちは、ひどい花粉症に悩まされる事になったし、根の浅い竹藪は潜在的なリスク要因だ。
竹は寿命が尽きたら、藪まるごと枯れて倒れてしまうのだから。
「災いの木」の話は、誰かから聞いた覚えがある。
それほど古い話ではない。
大正時代、胸を病んだ女学生が女性文芸誌に投稿した詩が、その原型だったとも聞いた。
もともとは「幸せの木」と言うタイトルだったとも。
それがジワジワと口コミで広がって行く内に、今に伝わる「災いの木と厄封じの五本の木」と言う形に変わって行ったんだとか。
つまり一種の都市伝説だ。
だが、そんな事は問題じゃない。
問題は、そう言った場所で生きて行かざるを得ないボクたちの心だ。
肉親を一人失うと、残された者たちの暮らしはガラリと変わる。
たとえ天寿を全うしての大往生だったとしてもだ。
ましてや、小学生の男の子とその妹だ。親御さんの悲しみが癒される事はないだろう。
ボクもシュンとした。
その夜、ボクは暗い森の夢を見た。
透明な人間たちが風船のようにフワフワと漂っている。
ある者たちは森の中に吸い込まれるように消え、また、ある者たちは森の中から吐き出されるように出て来る。
「そうか。これがボクが持っている輪廻転生/りんねてんしょうのイメージなのか」と、夢の中のボクは夢の中のボクに向かってつぶやく。
輪廻転生は一つのお話に過ぎない。
仮にそれが本当の事だったとしても、それでボクたち人間の心が休まるとは限らない。
心理療法の方が手っ取り早いと言う意見もあるだろう。
子どもを亡くした親御さんの悲しみが癒される事はないだろう。
何だか解決編のない、モヤモヤした話のままで終わってしまったが、安易なオチを付けるのは失礼と言うものだろう。亡くなられた犠牲者の方にも。その遺族の方々にも。
なにしろボクも、おんなじ危険にさらされているんだから。