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間章 アン・ミンツの独白

挿絵(By みてみん)

 

 そしてついに戦争は始まってしまった――。


 夕陽がこの日一番の紅を空に刻むのを合図に。騎馬と人が駆け、砂塵が舞うは決戦の地。神話の時代から脈々と、決して団結などすることもなかった脆弱で利己的な『人間』という種族は、英雄王――シ=ウルスの下で一丸となり『邪界メビウス』軍に立ち向かう。

 人界の騎馬大隊の後ろには義勇軍が控える。老若男女入り混じった彼らはおよそ戦力とは言い難い。それでも、この星の、世界の危機に立ちあがった彼らに迷いはない。騎馬隊と同じくして、邪界人の駆る六つ足の混成魔獣の一群へと突撃していく。

 戦場も佳境。先陣に立つは英雄王。その背後より凶刃が襲った。悲鳴すら上げられずただ立ち尽くす人々の眼前で、その凶行を止めたのは紅き剣皇『ポーニロア』。巨大な鎌、その刃をしかと受け止め、弾き返したあとで俺は「ニヒ」と笑う。

 大鎌を握りなおした少年の容貌。その脇を、白き獣を形象化したような仮面を被る女が駆けて来ると、俺の隣に立ち並ぶプウこと、シャルナァプ・ウーデルカに素手のまま殴りかかった。


 シ=ウルスの簡略的な謝辞と共に、戦局は展開。


 人々の群れに取り残される形で俺と少年が相対する。ちらと見ると、少年の額には半円状の紋が刻まれていた。それはつまり『魔界ニュクス』の『半』騎士を意味する。

 主神の創り出せし《神具ハルモニア》と、それを唯一携えることを許された神の騎士。魔界の《神具》は神話の時代に一度失われた。それは祖先の失態であり、彼のせいではない。だとしても神話以来、正騎士としての完全な紋を刻むことを許されぬ一族の出自であろう彼は、魔界の騎士――プラクル・ムシカと名乗った。

 魔界の騎士ならば、つまり先程飛び出してきた女は騎士の従者といったところか。視線を逸らした先で、『青の錬金術師』の通り名の如く、近接戦闘を苦手とするプウのヤツが、仮面女の振るう拳に手を焼いていた。

 だが、プウの心配ばかりもしていられない。一族の名誉のためプラクル・ムシカ少年は、俺の持つ剣皇ポーニロア奪回に並々ならぬ闘志を燃やしている。

 ならばこそ『赤の剣士』たる、アン・ミンツとしては、その神の技にも等しい剣技の数々を披露してやらないわけにはいかないだろう。


 俺は剣持つ手に力を籠めると、気勢を発して地を蹴る。


 と、暗転。


 その瞬間に。「ああ、これって俺の格好いいやつじゃん」幾度目かのデジャヴに思い当たっては、身につます苦さに、渇いた笑いでそう言った。

 気づくと俺は、プウが創り出した氷の造形獣、セイ・〝フェンリル〟の背で揺られていた。


 主神亡き邪界の残党が『人間界テラ』に侵攻するのをきっかけに、『冥界ネメシス』、魔界もそれぞれの思惑を胸に不穏な動きを見せ始める。 

 そこには三界に突如出現し、世界を呑みこまんばかりに成長を続ける『紅砂コウ・サ』と呼ばれる大砂漠の存在が関係している。いや、その砂漠は人界の果てにも出現していた。

 俺とプウは実際に人界の大陸最東端でその姿を見た。大陸の侵食を開始した紅き砂々が風に巻き上げられ、空でうねり狂う姿はまるで一個の巨大な生命体のようでもあった。

 それぞれの世界の危機を背景に、中でも紅砂からの避難地として人界制圧を決めたのは邪界の残党たち。


 その最終決戦を直前に、邪界の神・《ドヴァーズ》を、二年前共に打ち倒したミカトン・ケイルは――姿を消した。


 能天気で面倒臭がり、そのくせたかが鍛冶屋のせがれにも関わらず、この世界すべての属性を支配するとされる『全ての剣』という絶対最強の《神具ハルモニア》を所持する彼は、今や金色の英雄として名を馳せている。そんなミカトン・ケイルの戦線離脱は、人界にとっては大きな痛手となる。

 醜悪な邪竜と化し、人界の一端を焦土とするほどの力を誇った邪神。その打倒の決め手となった必殺の〝ギュガルド〟をミカトンに伝授した老賢者『クイルド』に捜索を託し、プウと人界存続の最終決戦に身を投じた俺だったが、シ=ウルス率いる人界軍に戦局が傾くのを見るや戦場を後にした。

 それは遥か南の空に一筋の光芒が昇るのを見たからだった。

 只ならぬ胸騒ぎに、氷獣は一路南を目指して飛ぶ。

 はっきりとした光の柱が伸びるのは、かつて王都として栄え、今は少数の民を残す没落の集落――エミハン。

 俺は、長き旅の途中に立ち寄ったエミハンの民から譲り受けた着物に目を落とす。

 マント代わりになかなかお気に入りの、赤地に黒の柄の入った一品は実は女性物らしい。それにナンバン国で手に入れた左の籠手と、海洋都市ミルサラで購入した腰当て布。全身に纏う各地で手に入れた品々は、言わば思い出の数々。

 でも、旅の始まりから一点物の青のローブにこだわるプウには、この良さが解らないらしい。

 その品に触れるだけで、あの懐かしくも美しき土地とちの人々。その顔を思い出せるというのに。

 エミハンでは、古代王家の血を引く美女とのロマンス。

 ナンバンでは、地元の侍と呼ばれるファイター達と共同戦線をはった一つ目竜退治。

 そしてミルサラでは、悲しき宿命を負った幼き双子との邂逅。


 ――あの双子はまだ無事でいるだろうか?


 互いが互いをかけがいの無い者として信じ、支え、そして愛していたあの兄弟。彼らはその絆以上の脆さで繋がっていた。絆が強まれば強まるほどに一方の生命力は強まり、それに反してもう一方の生命力は失われる。愛すれば愛するほどに、絆が強ければ強いほどに相手を傷つけてしまうそれは、まるで一つの魂を共有しているかのようだった。

 あの少年たちは今頃どうしているのだろう?

 まだ苦しい日々を過ごしているのだろうか。ひょっとしたら少年たちにとっては、世界の終焉こそが救いなのかもしれない。

 だが、そんな世界だとしても、世界が滅ぶというのなら、俺はこの世界を救いたいと願うだろう。

 彼らに気休め程度の言葉しか掛けられないとしても。

 本当は掛けられる言葉など無いと知っていたとしても……。


 暗転


 エミハンの地はまさに大虐殺のあとだった。

 旅路の苦しみと共に、その目的すら忘れかけさせた女性。俺の愛した女の遺骸も同胞の脇にて眠る。

その身に俺は、この地で譲り受けた着物を掛ける。

 いつでも傍にいます――、そう言って彼女が俺に手渡してくれた着物を。

 光柱の立ち昇る神殿跡を中心に、エミハンの民が遺骸で成した輪。虐殺の主役もまたそこにいた。


 冥界の闘士『ジンモザ・ミ』と、冥界神の守護騎士――『シロ・クロ』。


 スキンヘッドの大男は安らかさすら浮かべて。褐色肌に銀白の髪色をした美しき女騎士は瞳に幻でもみたような色を残したままで、死に絶えていた。

 そして、その二人を見下ろす小さな隻影。立ち尽くしたままで斃れしその顔、長い眉毛に隠れる瞳に光は既になかった。生気を失い枯れ果てた老人。だが、そこに一欠けらの無念さは感じられない。賢者クイルド。大往生だった。

「ついに騎士を超えたんだな、じじい……」昨日見たときより一回りは小さくなったような、だがいまだ気勢を発しているようなクイルドへと声を掛けた。


 剣皇『ポーニロア』。神剣『アテナイ』。剣帝『ネィル・フー・トゥーン』。魔界神、邪神、冥界神の三神がそれぞれ創り出したとされる、《神具ハルモニア》のうちの三本の剣。

 そしてその剣を唯一所持することを許されたのが――騎士だ。


 今から千年以上も昔、神剣アテナイを鍛えし邪神・《ドヴァーズ》の騎士候補の一人、それが若き頃のクイルドだった。だが、結局彼は騎士にはなれなかった。

 アテナイの所持者となりえたのは、三人の中でも実力の突出していたクリムタという女性。 

 しかし、それでもクイルドに不満はなかったらしい。故郷の地、邪界――メビウス。そこに暮らす人々の平和を守るため剣を振るうクリムタ。彼女こそがまさに騎士たりうる存在で、自分は彼女の盾になり得ればそれでいい。いつしか、それがクイルドの望みとなっていった。


 そして、後世に神話として伝えられる出来事が起こる。


 もともと世界は、絶対神にして唯一神――《創生神》の至る『天上界ハル』という小さな星だけだった。

 やがて《創生神》が創り出したのが、自らの子たる魔界神、邪神、冥界神、そして人界神の四神と、数珠繋ぎのように連なる四つの星だった。

 なんの気まぐれか、四神の創り出した生命体のうち、脆弱な存在にすぎない『人間』を《創生神》は大層気にいった。他の三神の作り出した生命体――魔界人、邪界人、冥界人に何ひとつ勝るもののない人間だったが、だからこそ進化することも出来よう、と至高の存在は語ったとされる。

 結果として人界は、《創生神》の住まう天上界をその天に戴くという栄誉を得た。

 それは永遠にも等しい世界の繁栄を意味している。《創生神》なき時には姿を消すとされる、不安定な天上界を人界と繋ぎとめるため、人界神が天上界にある祠にて人柱となるのと引き換えに、その日、人界の将来は約束された――はずだった。

 目を瞠る人間たちを遥か眼下に見下ろす《創生神》。その背を三神が襲った。創り出しては不出来な生命体を一瞬のうちに消滅させてきた、彼の右目に隠された《神具ハルモニア》――『黒滅瞳石エキドナ』もその瞬間に意味を成すことはない。《創生神》が気を緩めるギリギリまで、待ちに待った結果だった。

 とはいえ、最初から互いに腹に一物持った三神である。共同戦線を張り、親神を倒すまでは良かったが、後は、三竦みとも呼ぶべき睨みあいとなった。

 誰が天上界の次の主と成り得るか――しかしその均衡は実にあっさりと崩れた。


 突如として現れたのは人界の騎士だった。


 唯一剣を創り出さなかった人界神、その騎士が手にしていたのは創生神の《神具》たる――『全てのユピテル』。

 至高の剣の一撃によって、半身を失い、魔界神・《アンブロシア》は魔界へ引き返すことを余儀なくされる。

 そして主神を守るため犠牲となった、魔界の騎士テュポン・ムシカの遺骸と共に、剣皇ポーニロアも消失した。

 邪神と冥界神が天上界より離脱するのを見届けて、『全てのユピテル』を手に人界の騎士も姿を消した。かくして、人界には一時の平和がもたらされた。


 そして残された剣は二本となった。

 邪神と冥界神は己が世界に引き返して後も睨みあいを続けたが、やがて邪神・《ドヴァーズ》の下に冥界神・《デプルート》から講和と休戦条約がもたらされ、友好の証として冥界側から贈られたのが、剣帝ネィル・フー・トゥーンだった。

 邪界や冥界という呼び名は、人界テラの民が畏怖の念を込めてつけたものに過ぎない。

 生物としての単純な膂力に生命力。そして明らかに種の異なる寿命の長さ。しかし、人界の民――人間を遥かに凌駕する異界の存在だとして、本質の部分はさほど変わらなかった。

 冥界神からの平和の申し出に邪界、つまりはメビウスの民も大いに沸いた。

 しかし邪界の神・《ドヴァーズ》は、剣帝ネィル・フー・トゥーンがこちらにある今こそ勝機、ネメシスへ攻め込むときと言い放ったそうだ。

 一部の戦闘狂を除き、暗く立ち込める空気の中、唯一クリムタだけが《ドヴァーズ》を諌めようとした。本来なら主神に対して騎士が意見するなどあってはならぬこと。クリムタは最初から命を懸けるつもりだったのだろう。


 彼女の剣の奥義たる――ソウ。〝神奏しんそう次元断じげんだん〟。


 邪神は次元の狭間にあと少しの所まで封じられかけた。だが、反撃した《ドヴァーズ》の一撃を受け、次元の狭間に閉じ込められてしまったのは神剣アテナイと彼女の方だった。

 その悲しみに満ちた日は、同時にクイルドが成すべき使命を見出した日でもあった。

〝次元断〟を回避したとはいえ、深刻なダメージの残る《ドヴァーズ》の目を盗み、クイルドは奉納されていた剣帝ネィル・フー・トゥーンを奪い去った。

 そして、人界テラへと逃げ延びると、剣の共振効果を用いて剣皇ポーニロアを見つけ出した。


 それから約千年。

 クイルドにその在り処を聞いた俺たちが見つけるまで、封印された剣帝と剣皇は決して人目につく事も無く隠し続けられた。

 クリムタの悲願たる平和――、心から尊敬する者の盾となれなかった贖罪に、男は千年を費やしたのだ。

その話を聞いた時、不器用すぎるまでの生き方に俺は何ともやるせなくなった。たかが、では済まない千年という悠久の年月に。

 だが、その千年をかけて編み出した必殺の奥義、〝ギュガルド〟は、ミカトン・ケイルへと託され打倒ドヴァーズを果たす事となり、ついには剣帝を所持していなかったとはいえ冥界の騎士を、クイルド自身が打ち倒すまでのものへと昇華した。


「……千年かけて決着はつけられたかよ」


 久遠の歳月をかけ、到達したのはすべての定めを覆すことの出来る力。

 なればこそ悔いはないだろう。

 魂というものがあるなら、これでやっとクリムタに会えるはずだ。そう思って、少し誇らしげに映るクイルドに俺は別れを告げた。


 暗転


「――俺の名は『タスラム』。我が主神・《ヴェスタ》様に仕えし、騎士」


 眼前の男がそう言った。

 男は包帯を全身に巻きつけ、ボロのマントを羽織っただけの姿。瞳に浮かぶ琥珀の色以外にその表情を読み取ることはできない。

 ほんの少し振り返った俺は、古都エミハンの神殿より天高く昇った光の柱、その最上部を目指し〝フェンリル〟が辿り着いた地、つまりはここが天上界である事を確認する。


 神の中の神と謳われた《創生神》の聖域、天上界は実にちっぽけな場所だった。

 瞳の先に地平線が映ることから、ここが他と同じく、つまりは他の数珠繋ぎの星々と同じく球の形をしていることはなんとなく理解できた。

 とはいえ、その地平線ですら遥か視界の彼方というわけではない。おそらくは、一つの少国の大地を球状にした程の広さでしかないはずだ。まあ、プウと違い、得手でない俺のザックリ計算ではあるが。


 そして、俺は手にした剣皇ポーニロアの刃を右肩に乗せながら、いつものようにプウの顔を見る。


「ヴェスタだぁ? そんな神、聞いたことねぇっての、なあ?」


 俺の問いかけにすぐ頷くプウ。俺の無知ゆえではないと確認した後で、自信たっぷりにタスラムを見据えるのも、いつものこと。


「お前たちの下らない神話に記されていないせいで、我が神の心は痛んでんだぜ。だけどよ、我が神が創り出せしこの魔剣『ハーデス』で、人界テラのゴミどもを殺せば少しは気も晴れるだろうさ」


 俺とプウはタスラムが左手に持つ、黒塗りの小太刀程度の剣を見る。瞬間、呼応するように剣皇ポーニロアと剣帝ネィル・フー・トゥーンが輝き出す。

 それは、その黒塗りの剣が、ポーニロアやネィル・フー・トゥーンと同じく、《神具ハルモニア》級であることを意味している。そして同じく、タスラムの神が、神としての力を持つ存在である事をも意味していた。

「ほう」俺はわざとらしく唸ってみせたが、俺が余裕ぶっている間に珍しくプウが前に出た。


「だから、それがどうした」


 普段は俺の後方でフォローに勤める計算高いプウが、タスラムの演説を遮るが如く、剣帝ネィル・フー・トゥーンを中段に構え切りかかる体勢を整える。


「おそらくそれが正解だぜ、シャルナァプ。想像通りお前らの尋ね人はここにいるぜ。それも我が神と共にな。さっさと尋ね人に加勢したいんなら、こんなトコで時間を売ってる場合じゃねえ。確かにそれが正解だ……だが、それで完全解答ってわけじゃねぇなぁ」


 くつくつと笑うタスラムは、黒いぼろきれのようなマントを破り捨てた。

 その下には小さな作りの様々な動物の石像が並んでいた。


 白色の人型。背に蠅の羽が生えた黒色の豚。赤色のライオン。青色の蛇。緑色のサソリ。黄色の熊。そして、水銀色の狐。


「なあ、錬金術師。所詮、お前の錬金術など子供の遊びのようなものだぜ。俺が本物の錬金術ってヤツを見せてやるよ。この魔造師タスラム様がなあ」


 七体の動物の石像からタスラムが水銀色の狐を選んだ瞬間、プウは既に地を蹴っていた。

 文字に法。兵法に魔法。無より有を生みだすと豪語する誇り高きウーデルカ一族のことを馬鹿にされたプウは、表情にこそ出さなかったものの怒り心頭だったらしい。最初の一撃の時点で既に、自らの最終奥義たるソウを告げていた。


「――〝竜双リュウソウ・エリュシオン〟」


 プウの左右の肩、その宙に蒼色の竜の頭。衛星の様に左右の肩を舞うそれは、竜頭の篭手。一瞬の内に大気中の水分を氷の槍として作り出すと、左右の篭手、その顎が柄を握る。

 プウ自身が持つ剣帝ネィル・フー・トゥーンと共に、三本の刃はタスラムへと振るわれた。

 三連撃の一刃こそ魔剣ハーデスで凌いだタスラムだが、あとの二つは完全に致命傷となりえる傷だった。

 だが、左の胴と首の右半分がぱっくりと裂けた状態にも関わらず、タスラムは笑い続ける。


「まったく、これじゃあ技を出す前に死んじゃうだろうがよ、このせっかちが。しかと見よ。そんで驚愕しなぁ。奪い去れ――〝強欲マモン〟!」


 告げた瞬間、水銀色の狐に生命が宿る。と、タスラムの背中から銀色の触手が九本伸びた。


「こいつらは俺が七つの《神具ハルモニア》を模して創り出した『複製プラテネリ』。こいつは魔剣ハーデスを模した〝強欲マモン〟。そして、これが力の底上げ……〝融合ハルニレ〟だ!!」


 タスラムの全身が銀色の輝きに包まれると、胸から上だけを残して触手は全身に絡みつく。


「そして、更にお見せしよう。これこそが我が――〝魔装マソウ・ユグドラシル〟!!」


 ハーデスを地面に突き刺すと、地面から生えた樹木がせりあがっていく。

 タスラムの全身に絡みついた触手は絡み合いひとつの幹となり、やがて天を見上げるほどの巨木となった。

 その中央に張り付くようにして、上半身を曝したタスラムが見下ろす。既に首の傷は消えていた。

 巨木から突き出す幾千、幾万の枝が、プウ目掛けて襲い掛かる。うねる様はまるで触手の如し。

 動じもせず、大気中の水分から剣を作り出しては襲い来る触手を次々と切り倒すプウの衛星。刃こぼれする端から放り捨てては、新たな剣を大気中から際限なく作り出すその様は弾倉の尽きない銃のよう。

だが、巨木と化したタスラムはプウが切りつけたそばから瞬く間に回復していく。

 次第にプウにも焦りの色が浮かぶのを見て、少し離れた場所で剪定に追われていた俺はプウのもと目指して駆け出す。その最中。


始水シスイ・〝キュベレィ〟」


 流れを取り戻すべくプウが氷性の投擲槍を放った瞬間だった。触手枝は絡みながら伸びると先端を花弁のように広げた。それはまるで巨大な掌のような姿。

 巨大な掌が投擲槍を呑み込んでいく様を見ながら、タスラムが笑う。


「そういえば、〝強欲マモン〟の能力について話してなかったな。こいつは相手の能力を属性ごと吸収しちまうのさ。土が水を吸収するようにな。これで氷の力は俺の支配下に置かれたぞ」


 投擲槍を呑みこんだ掌が再び数千の触手へと形態を変えた時、それは数千の氷の刃と化してプウを襲う。

 俺は駆けた。

 そして、プウの元まであと少しというところで叫んだ。


ロウ・〝カノン〟!!」


 右肩に現れた六つの火球は集合し、一つの轟々と燃え盛る炎の塊へと変わる。ポーニロアの剣先で照準をタスラムに合わせると、俺は炎弾を射出した。

 轟々と燃え盛る、俺の煉獄の紅。

 しかし、それがタスラムに命中することはなかった。明後日の方向へと飛んでいく炎弾。

 ポーニロアを握る俺の右手を掴み、まんまと照準をずらしたのはプウ。俺が暴言を吐く前に、説教を並べ立てるのもプウの方が早かった。


「馬鹿者! 今のを見てなかったのかアン! 俺の水の理と同じように、ヤツの能力でお前の炎の理も吸収されてしまうぞ!」


 せっかく助けようとしたのに、と口を尖らせる俺の気などお構いなしにプウが話し続けていた時、それは起こった。


「一旦退くぞ、アン。俺に考えが……」


 俺とプウの間に割って入るようにして、あの触手枝が顔を出していた。

「……しまった」プウが呆然とした声を上げるのと、枝の先が爆ぜるのは同時だった。バラバラと種子が飛礫のようにあたり中に撒き散らされる。俺とプウはすかさず飛び退ったが、そのあとすぐにプウの悲痛な叫び声がこだました。


「アン! アン! 切ってくれ! 早くっ!!」


 回避しきれずに、プウの右腕へと撃ち込まれた種子が猛烈な速さで成長していく。右手を苗床に、あっという間に見たことも無い植物へと変容する様を視界に捉える。


「くそっ」小さく呟くと、俺はプウの右手を躊躇うことなく切り捨てた。

 噴出した血を応急処置とばかりに自身の氷結魔法で止血しながら、「とにかく一旦退くぞ」とプウは告げる。そして、駆けながら右手に携えた剣帝を高く掲げた。


「――ショウ!」


 死、老、青を経て至るショウすなわち『ショウ』。それは剣の奥義たる『創(想 ソウ)』、つまり俺なら水の如き炎。プウなら炎の如き水のイメージを完成させる為の、剣との対話の最終段階。剣に宿る精神、その完全なる具現化である。

 プウが高く掲げた剣帝ネィル・フー・トゥーンの刀身が青く揺らめき、蒼のローブを纏い長い髭を生やした高潔なる老武者が姿を現す。その姿はまさに武神と呼ぶに相応しき神々しさであった。

 俺も応じるようにショウを告げた。緩やかな赤毛を揺らして、長身の美しき青年が姿を現す。


「長くは持たぬぞ」発するや否や、大刀を携えたネィル・フー・トゥーンと二振りの曲刀を携えたポーニロアは、タスラムの触手を次々と切り伏せていった。

 巨木と化したタスラムの影に身を隠すように駆けながら、プウが口を開く。


「ヤツの巨大な体躯に中途半端な傷を与えても意味は無い。一撃で決めるしかないなら、それはアン、お前のソウしかないだろう」


 鞘の最中は他の理を使用することは出来ない。プウと同じく逃げの一手に徹しながらの俺も、駆けながらプウの話に続けた。


「だけど、ヤツは自身のソウたる自己修復と回復の能力に守られてんぜ?」


 俺の懸念にプウはただ一言、「そっちは俺がなんとかする」と答えた。

 なんとかするという相棒の一言に「……そっか。じゃ、任せた」いつものように信じて俺は、駆ける足を止めた。

 そのまま駆けるプウを見送るでもなく、タスラムの数多の触手のような枝を踏み台にして巨木を跳んだ。

 巨木の最上部まで辿りつくと、幾度切っても湧いてくる触手に覆われて身動きの取れないネィル・フー・トゥーンとポーニロアを見留める。

 俺は『鞘』を解除した。精悍な青年の姿をしたポーニロアが霧のように姿を消すと、程なくしてネィル・フー・トゥーンもその姿を消した。

 触手の枝に立つ俺と、巨木の中央に位置するタスラムの視線が重なる。


「森林伐採ってガラじゃないんだけどよ、そろそろ終わりにさせてもらうぜ、タスラム」


 ポーニロアの刃を右肩に、俺は薄ら笑うタスラムの顔に向けて「ニヒ」と笑う。

 そして飛んだ。

 槍のように突き伸ばされた十本以上の触手を、脱力からの連激ですかさず切り刻むや、俺は剣皇ポーニロアの束を両手で握り締める。上段からの一撃に、俺は全身全霊を込めた。


「――〝華粧カソウ・ヒナゲシ〟!!」


 ポーニロアの一撃はタスラムの巨木の肉体に深々と傷を刻んだ。

 一撃を刻み付けたあと地表目指して降下を始めた俺を、薄ら笑ったままのタスラムが見下ろす。大したダメージを与えることも、重力に逆らう琴も出来ず、ただ降下していくだけに見える俺の姿。タスラムは勝利を確信したのだろう。上空から触手が迫り来る。

 だが、俺は剣を構えなおすことはおろか、もう空を仰ぎ見ることもしない。


 ――何とかする、とプウが言っていた。ならば、俺が何かする事はもう無いだろう。


 瞬間、上空から迫るタスラムの触手がピタリと止まる。そして、巨木は炎に包まれた。

華粧カ・ソウヒナゲシ〟の炎は、血液だろうが樹液だろうが、一つの固体を巡る水分を液体燃料へと化して燃え広がっていく。それは地獄の業火にして、浄化の炎。

 逃げ延びる術無き非情なる一撃は、たちどころにしてタスラムの全身を包む。


「こんなものが何だというのだ! こんなものがぁぁぁぁ!!」


 苦悶の表情を浮かべるタスラム。

 しかし完全に狼狽したのは、全身を包む炎を消すことも、炭と化していく全身の修復も出来ないと解った時。

 俺が地面に降り立つのを待っていたかのように、巨木の陰からプウが姿を現す。


「自身の支配下に置いたといっても、攻撃される訳でなければやはり気づかなかったようだな」


 タスラムはようやくにして気づく。巨木と化した自身の根と、根を張っていたはずの大地、そこにわずかに生じた隙間を。地下の水分を凍らせて作り上げた霜柱と呼ぶには巨大で、広大に広がるそれが、タスラムから完全に大地を奪っていた。


「いぢど切り離しで、あだらしい根を……」


 だが、その時にはもう遅い。〝華粧カ・ソウヒナゲシ〟の炎は、巨木ユグドラシルの再生速度を完全に凌駕する。


「返せぇ! 俺の大地をぉ……返せぇぇぇぇ!!」


 もはや燃えカスと化していく身体で、さしたる抵抗も出来ずに悶えるタスラム。

 その呻きを聞きながら、プウがきっぱりと告げた。


「――うるさい、黙って死ね」


 タスラムという巨木を中心に、この数分の間に急成長し辺りを支配していた樹々は一瞬の内に炎に包まれて、灰となり空に舞う。


 やがて、小さな森は死に絶えた。


 暗転


 俺とプウは天上界の神殿の中にいた。

 中央には金色の髪をした見慣れた背中と、その傍らに倒れる黒髪の男。

 そしていつもの種明かし。

 ミカトン・ケイルは振り返ることなく、横たわる男を「彼こそが忘神・《ヴェスタ》だ」と告げた。

 その声音に普段の能天気さは影を潜め、俺とプウは顔を見合わせる。

 そんな俺たちの警戒を十分に察したように、彼は、だがやはり俺たちへと振り返ることなく話し始めた。


 神話の時代。

《創生神》は魔界神、邪神、冥界神、人界神の四神を創り出した。

 何食わぬ顔で絶対神を気取りはしていても、実際にはそこに至るまでに《創生神》は幾つもの失敗を重ねていた。至高の存在とはいえ、破壊と創造を繰り返すたび新たに魂を作り出すのは彼にとっても手間の掛かることだった。

 そのため《創生神》は、『神の箱庭パンドラ』という《神具》を創り、肉体が滅びて後も魂を再利用する術を作り出した。それこそが、絶対神たる存在の秘密。

 天上界ハルの恒星として神の威光を示すために四界を巡らせる太陽と対を成すようにして打ち上げられた月。月こそは、肉体が滅び、彷徨う魂を回収する為の門。そして、その魂の門の管理者として創りだされた存在こそが、神話に登場することもなく、今や誰からも忘れられた神――《ヴェスタ》。

《創生神》や四神が神話の時代に燦然と輝いていた時、親神の秘密を守る為、魂の管理者としての彼は歴史の闇に埋もれ続けた。長き歳月の果て、《ヴェスタ》が自らも闇に呑まれるのも必然だったのかもしれない。

 そして《ヴェスタ》は月にある魂の門を閉じた。回収されず彷徨う魂はやがて肉体を求めるだけの『ウロ』となる。それは人の肉体という小さな器に押し寄せると、器の先住者ともいうべき魂を追い出そうと攻撃を開始する。我先と何十、何百の『虚』が駆け込めば、やがて生命は吸い尽くされ、肉体は崩壊する。器から追い出された魂は新たな『虚』となり、滅びた肉体は、魂を求め彷徨う『ナガレ』となる。それこそが、『紅砂コウ・サ』の正体。

 忘神の望みはすべての神も民も死に絶えた世界で、自身が唯一人の神として存在り続けるだけの最悪の結末だった。

 侵食を広げる紅砂に急かされるように、人界へと侵攻したのは、主神を失った邪界の残党。

 迎え撃つ為に立ち上がった、人界の英雄王シ=ウルス。

 力を失い宮殿に伏したる魔界神・《アンブロシア》の勅命を受け、邪界軍に加担した半騎士プラクル・ムシカとその従者メア・リサ。

 至上たる他の神々にすれば、いるかも解らぬ兄弟神など想像だにしないこと。数珠繋ぎの地上に巻き起こる戦火を、天の頂きにて忘神は愉悦にまみれて眺めていた。

 紅砂に急かされ殺し合い、新たな紅砂を増やしていくだけの戦場を。最悪が循環する星の食物連鎖を。

 だが、その存在にうすうす感づいていた者も、実はいた。


 各界の勢力が混戦にある影に隠れて動いていたのは――、冥界神・《デプルート》。


 彼女は気づいていた。だから二年前、自身の領土を侵し始めた紅砂に急き立てられるように邪神・《ドヴァーズ》が人界を乗っ取ろうと行動を開始した際にも傍観を決め込んだ。

 彼女は知っていた。一時的に人界へと住処を移したとして、紅砂の元たる存在を絶たねば結末が変わらないということを。

 かつて天上界と人界とを繋いだ地、エミハンの神殿に、神話時代に入手していた《創生神》の遺髪をもって光柱を出現させると、彼女は天を目指した。

 狙いは、天上界の祠に人柱として封印されし人界神・《テラマギナ》――。

 最大の障害となるはずの《ドヴァーズ》は自身が手を下すまでもなく、舞台から消え去った。計画は順調だった。

 だが、天上界の祠へと至った瞬間、彼女の顔から表情が失せた。

 そこで彼女が見たものは、すでに風化しつつある遺骸だった。

 その瞬間、彼女はすべてを理解した。

 声を上げて笑う彼女。

 その瞬間に生じた隙を突かれて、彼女は《ヴェスタ》に殺された。

 紅き砂を操る《ヴェスタ》は強力だった。二神がかりで倒そうと考えていた《デプルート》の目論見はここに崩れ去った。

 謀略と暴力の騒乱。神々の黄昏は、忘神・《ヴェスタ》の一人勝ちにて終結した――、はずだった。

 だが、《ヴェスタ》もまた、それを目にした。冷徹なる冥界の女神が、我を忘れるほどに取り乱すこととなったそれ――人界神・《テラマギナ》の亡骸を。

 神たるものが寿命で死ぬなど、あるはずもない事だった。

 そして、その意味を理解する。

 つまり、肉体は人界神・《テラマギナ》だったとしても、その魂は別のものであったということを。

 伝えられる神話を思い出す。

 人柱となった人界神。

 この世界の全ての属性を配下とする《神具》――『全てのユピテル』。

 それを持ち出し、何処かヘと消え去った人界の騎士。

 天上界の神殿へと《ヴェスタ》が至った時、解答はその目の前に現れる。


 魂の入れ換え――。


 騎士と魂を交換した《テラマギナ》は、全ての剣を奪い、姿を消したのだ。だがしかし、ならばこの姿は一体どういうことか。


 鍛冶屋のせがれに過ぎない人界の人間。ミカトン・ケイルが『全てのユピテル』を携え、天界に立つ。


 不測の光景。わずかばかりの懸念すら払拭するように、《ヴェスタ》は自身最強の力を振るう。

 紅き砂、巨大な紅龍の顎はミカトン・ケイルの眼前へと迫った。

 しかし揺らぐことなくミカトン・ケイルは、その左手を頭上へと掲げる。金色の光球が出現。己が生命を燃焼、圧縮した『ギュガルド』へと紅砂は吸い寄せられていった。

 ギュガルドの盾を頭上に、駆けるミカトン・ケイル。

 紅き砂を引き連れる姿はさながら死者の行進。そのままで一刀を振り下ろした。


「さらばだ……兄弟」


 ミカトン・ケイルは――《テラマギナ》は、言った。


「あんたが……《テラマギナ》? じゃあミカトンのヤツは……」


 まさかミカトンはもう……、固唾を飲んで、俺はいつものように言葉を搾り出す。

 だが、《テラマギナ》は小さく首を振った。


「今の私は残留思念のようなもの、一時的にミカトン・ケイルの体を借りているに過ぎません。もうすぐ私は消えます。しかし、その前にやらなければならないことがあります。ついてきて下さい……『ヒト』を救います」


《テラマギナ》の後に続くように、俺とプウは、汚れ一つない白く小さな神殿の中へと足を踏み入れた。

 かつては創生神の住居だった神殿はその絢爛さとは相反するように、不気味なほどに静かだった。主無きその神殿は、今やまるで墓標のようだった。

《創生神》亡き後、おそらく《ヴェスタ》が座していたであろう玉座を通り過ぎ、最奥に存在する小さな部屋へと入る。

 その部屋には、小さな台座が三つ設置されていた。

《テラマギナ》はそれを、


「揺りかご、そして、神の右席と左石」


 と呼んだ。


 部屋の中心では、大人ひとり分程の巨大な水晶が次々と色を変えながら輝いている。

 水晶の裏、中央の台座へとプウが近づく。台座後ろの壁は、所々が出っ張り、物を安置できるようになっていた。

 そこには、掌で握れるほどの大きさの漆黒の宝石だけが置かれている。

 利き手を失ったプウが左手でそれに触れようとすると、《テラマギナ》が制した。


「それは滅びの石、『黒滅瞳石エキドナ』。……まあ、使用者の寿命を削るといわれるそれを用いず、紅砂という自らの能力を《ヴェスタ》が過信してくれたおかげで、私達はそれを目にすることが出来た、というのも複雑な話ですけどね」


 その力は、例え神であろうと一瞬で滅ぼすほどのもの。そういう意味では《テラマギナ》とて、《ヴェスタ》と対峙したのは賭けに近い選択といえたはずだ。

 視線を逸らしたプウの見ている前で、《テラマギナ》が軽く右手を挙げた。彼の求めに応じるように、小さな部屋を目指して虹が伸びた。残像を残して部屋の中でふわりと浮かぶその七色の球体は、タスラムが作り上げたあの七つの像だった。後れて魔剣『ハーデス』も出現する。


「《神具ハルモニア》の複製と魔剣。こんな危険な物を外の世界に放置しておく訳にはいかないですからね」 


 七つの像と魔剣ハーデスは台座奥の壁へと安置される。《テラマギナ》は水晶を見つめながら口を開く。その口調は今まで以上に重かった。


「私のように神と呼ばれる存在ですら魂を作り出すことが出来ないのは知っていますね。様々な民の思惑をよそに、世界は今や紅砂に、人だけでなく、自然界に生けるそのすべてが喰らい尽くされました。私が例え肉体を創り、その中に浄化した魂を容れて新たな生命を作った所で、その生命はこの荒涼とした世界で生き抜くことは出来ないでしょう。……だから、世界の再生は世界自身に託し、魂は世界が新たな生命体を創りだすまでの間、保管することにします」


「保管?」小さく呟いたプウに頷くと、《テラマギナ》は続けた。


「魂を効率よく循環させる《神具》――『神の箱庭パンドラ』。それを用いて魂を創り出すことは神たる私にも出来ません。しかし、それを用いてまだ『虚』になったばかりの魂だけなら保管することは、私にも、貴方達にも可能なのです。そして、この幾千、幾万の施された水晶封印の奥にこそ『神の箱庭パンドラ』は隠されているのです」


「幾万もの封印? そんなの解ける訳……」


 言葉の途中で、俺は気づく。そして、俺の答えが正解だというように《テラマギナ》は頷いた。


「『全てのユピテル』かっ!」俺は叫んだ。

 そして、《テラマギナ》はその剣を掲げた。


「全ての属性を支配するとされる『全てのユピテル』。しかしてその正体は『神の箱庭パンドラ』の封印を解く為にして、起動させる為の『鍵』なのです」


《テラマギナ》はゆっくりと、全ての剣を水晶の中へと差し入れた。

 時間にすればほんの一瞬。幾万もの封印はあっけない程に解かれると、中から金色に輝く小さなオルゴール状の小箱が出現する。

 宙に浮かぶ小箱を見つめたまま微動だに出来ない俺とプウに、《テラマギナ》は話す。


「ミカトン・ケイルは私と人の間に出来た子供です。私達が半神たるその子を手放したのは『人』の子として成長して欲しかったから、純粋で強い魂を持つ者になって欲しかったからでした。魂たちは、『神の箱庭パンドラ』使用者の夢の世界へと保管されます。純粋で強い魂を持つ者の夢の世界なら、世界が再生するまでの間、魂も成長し、進化することが出来る。そう考えたのです。それは文明や肉体でしか進化することの適わなかった『人間』という愚かな種、それを創り出してしまった私の独りよがりの贖罪でしかないのかもしれません。しかし人間だけでなく、メビウス人も、ネメシス人も、ニュクス人も、種族や文化の垣根を越えて肉体的、精神的に交わり、『ヒト』としての進化を果たさない限り、それは根本的に何も変わらないことと同じなのです……」


 力なく話す《テラマギナ》の顔を、俺とプウは静かに見つめていた。


「……ですが、先ほども言ったように、『神の箱庭パンドラ』を使用出来るのは私だけではありません。純粋で強い魂を持つのは貴方たちも同じ。当然、その権利は貴方たちにもあります。ウーデルカ一族の皇子、そしてミンツ家の皇子、貴方達のどちらかが夢の世界の主となる、それもまた良いかも知れません。それならばミカトン・ケイルは神の右席に座り、夢の世界の主を守る守護騎士となり、その時まで眠り続けましょう」


《テラマギナ》の問いかけに、俺は噴き出す。


「あぁ、ダメダメ。ミカトンのバカは俺がついててやんないと、てんでダメだからさぁ」


 俺は話しながら、剣皇ポーニロアを壁の出っ張りへと置いた。

 少しの間を置いた後で、プウも剣帝ネィル・フー・トゥーンを台座の後ろに安置する。


《創生神》とその眷属たる神々が創り出した七つの《神具ハルモニア》――。


 効率よく魂を循環させるための装置――『神の箱庭パンドラ

 世界の万物を支配する最強の剣にして、鍵――『全てのユピテル

 使用者の寿命を削り、しかし視界に移る生命を消滅させる魔石――『黒滅瞳石エキドナ

 冥界神の力の象徴にして、水の理を支配する剣帝――『ネィル・フー・トゥーン』

 邪界神の力の象徴にして、風の理を支配する神剣――『アテナイ』

 魔界神の力の象徴にして、炎の理を支配する剣皇――『ポーニロア』

 世界の滅亡を望んだ、忘神が鍛えた魔剣――『ハーデス』

 

 それらは世界の終りに際し、初めてひとつの――神域にて揃う。

 七つの《神具ハルモニア》を模してタスラムが創り出した、七つの『複製プラネテリ』とともに。


「まあ、ミカトンよりは俺の方が格段に良い夢の世界とやらを創れるのは確かですけど、逆にあのバカが俺のサポートをするのかと思うとゾッとしますね」


「二人とも、ありがとう」呟きながら、宙に浮かぶ金色の小箱を《テラマギナ》はそっと手に取った。

 俺は早々と神の右席に腰掛けながら、軽口を叩く。


「どうせなら、ミカトンのヤツ。俺の安眠を防止しないようせっせと世界の平和を守り抜いて貰いたいもんだぜ。世界が再生を果たすまで、俺の出番がやって来ないように、さ……」


 背の深い台座に腰掛けてすぐ、俺は強烈な睡魔に襲われる。台座の周りをおそらく古代の物と思わしき解読不能な文字が幾つもの帯となって包む。その帯の間からおぼろげに見える小さな部屋の風景がぼんやりと霞がかっていく最中、プウの声が聞こえた。


「《テラマギナ》、貴方はどうなるのです?」


 薄れ行く意識が白い闇に侵食されていく中、《テラマギナ》の声だけが響いた。


「私の役目は終わりです。これからの世界に神話の神はもう必要ありません。私もただの一個の魂となって夢の世界に保管されるだけです……」


 テラ暦五百十七年。こうして世界は終わり、そして何度目かの俺の旅路もこれで終わった。

 あとはミカトン・ケイルの見る夢の中で、俺はアン・ミンツという記号となり情報となるだけ。

 アン・ミンツは眠った。

 アン・ミンツは夢を見た、だ。

 まにまには、また同じ記憶を辿るのだろうが、アン・ミンツの旅路の記憶はこれにてとりあえずの終了だ。

 だが、最後に考える。

 それはこの記憶の最後にいつも浮かぶ疑問。あの時、実に容易く引き下がったプウの本当の気持ち。

 無から有を創り出すことに拘り続けた錬金術師のウーデルカ一族。唯一生き残りしは、まさに最後の血族。そのプウが、至高の錬金術とも呼べる『神の箱庭パンドラ』を前にして、あれほど容易く引き下がったのは、本当に、彼の、真、意……だっ……たの…………


 やがて、アン・ミンツの意識は思考の残滓と融け合い。


 まどろみながら。


 夢の一部となり流れて行った。


 暗転


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