断章 正しき決断を下す者(ジャッジマン)
1
二台の乗用車が辿りついた場所、そこに動物園の名残は無かった。靄のかかる先にその形をうっすらと見せる建物は黒色でゴツゴツとしており、建物というよりは洞窟に近い。
プラテネリ使いを要するジャッジマンの勢力、そしてクロノ・クロイツのアジトを探して御影たちフォウシャール・クロイツのメンバーは市内中を隈なく探索していたが、今朝方近辺を通った際にはこんな建物は存在していなかったという。という事は、この数時間のうちに盛り土のようにして園中を埋め尽くして出来上がったこの建物は、罠以外の何者でもないだろう。
「中で動物が放し飼いにされてんのかもよ」そう話すユアンが靄の先に何かを見つけた。
「……おいおい嘘だろ? そんな手に引っかかるわけないじゃん。もちろん一点突破だよな」
苦笑いを浮かべるユアンに見つめられたリンドもそれに気づいた。
洞窟は入り口らしき穴が四ヶ所、等間隔で開いている。敵の思惑通り、わざわざバラける必要はない。リンドもユアンに同意した。
一転突破で攻め込むというおよそ作戦らしい作戦でもなかったが、敵が洞窟の外に出てこない限り戦況の動く気配は無い。ならば、罠と分かってはいてもこちらから動く他ないだろう。
御影も納得し、後は突撃の合図を待つばかりとなったところで、かぎるがおずおずと口を開いた。
「あのー、なんだかアテナイさんがおっしゃるには『シケンツウコクのシルシ』を刻んだ方が良いのでは、とのことです」
リンドも、ユアンも、サリーもその言葉の意味が分からなかったが、それぞれが持つ剣たちからはそれぞれ共に辟易するような声を漏らした。
「ネィル、なんだそれ?」リンドが内なる声で訊くと、ネィル・フー・トゥーンは忌々しそうに呟いた。
「『思剣通刻の印』とはその名の通り、剣を介して離れた場所から会話が出来るようにするという事。つまりはお前たちのいうところの携帯電話と同じようなものだと思えば良い。だが、四本の剣が揃わねば出来ぬそれを、まさかアテナイが憶えておるとは」
「便利な機能じゃないか、何をそんなに……」
何の気もなしに話しかけるリンドは、そこで渋るネィル・フー・トゥーンの真意に気づく。
「そっか。ネィル、口うるさいアテナイと四六時中繋がってんのが嫌ってわけだ」
「我だけではないわ、ポーニロアもハーデスも気持ちは一緒のはずだ」
リンドは困り果てるネィル・フー・トゥーンの顔を想像して吹き出した。
かぎるが空へと掌を広げ、その名を告げると集まってきた風がその形を形成するようにして神剣アテナイが顕現する。
サリーは腰のベルトに付けられたシルバーのウォレットチェーンに触れ、それを呼び水とすることで魔剣ハーデスを顕現した。
ユアンはライターを擦ると「来な、ポーニロア」とやる気なく呟く。燃え上がった炎はやがて真紅の装飾と刀身の剣皇ポーニロアへと姿を変えた。
三人が《神具》と呼ばれる三本の剣を召喚するのを見届けてリンドもペットボトルのフタを開けた。
「来い、ネィル・フー・トゥーン」
彼の求めに応じて、青き光を灯す剣がその姿を現す。リンド、ユアン、かぎる、サリーは向き合うようにして、それぞれの剣を天にかざした。離れた場所で その儀式を見守るトーノだったが、それに気づいたようにリンドが手招きするのを見て、その輪の中に入る。
「これはただその為の儀式じゃない。共に戦ってきた今までも、そしてこれからも、俺たち皆が仲間である事の証を刻み付ける為の儀式だ」
リンドの発言を受けてユアンが、「いいこと言うね、リンドっぽいちゃあ、ぽいけど」と軽口を叩き、かぎるは笑顔で何度も頷いた。
天にかざした五本の剣を重ねると、刀身が光に包まれた。
十一人が洞窟を目指して歩き出した時、洞窟内から人影が出現する。二十人ほどのその連中が迷彩服姿である事を認めると、帝が剣を抜いた。
「ナルコレプシーどもは我々に任せて、君達は先に進め。御影、彼らを頼むぞ」
御影が頷くと、「武運を!」そういって三上たちフォウシャール・クロイツは帝に続いた。
戦闘が激しくなるのを傍らに留めても、御影は躊躇する事なく先へと進んだ。
後ろ髪引かれるリンドたちを急かし、引き連れる彼は向かって左端の洞窟穴へと駆け込む。
後に続くリンドたちもその中へと飛び込んだ。
入った瞬間に、吐き気を催すような眩暈にリンドは襲われる。立ちくらむようにヨロヨロと数歩進むと、壁に身を預け踏みとどまる。正常な呼吸を取り戻すように深呼吸をしたあとで、手にした壁がまさに洞窟の内部である特有のひやりとした肌触りと石の堅さである事を確かめると、彼は全員の安否を確かめるように振り返った。
しかし、そこにいたのは御影ただ一人。
唖然とするリンドに、少しだけ狼狽するような表情を浮かべた御影が話しかける。
「……やられた。入り口は関係なかったんだ。特定の人間に対して別の場所に飛ばされるようこの洞窟自体がプログラミングされている。おそらく、〝色欲〟の能力を流用しているんだ。一部とはいえ、プラテネリの解析を済ませ、使いこなせるまでになっていたとは思わなかった。……敵の力を見誤っていた、完全に我々のミスだ」
戦意を失いかけている御影の胸倉を掴みかかろうとするリンドを、ネィル・フー・トゥーンが諌める。
「落ち着けリンド! こういった時のための思剣通刻だ。まず、仲間の安否を確かめるのが優先であろう」
リンドは思い出したようにネィル・フー・トゥーンの刀身に向かって話しかけた。
「聞いてたら、返事をくれ! みんな、みんな無事か!!」
程なくして声が混線するようにして聞こえ始めた。
「おぉ、なんとか無事だぞ」ユアンの声。
「リンド? リンドどうしよっ、あたしだけはぐれちゃったみたい!」混乱するかぎるの声。
「まぁな」ほとんど聞き取れないサリーの声。
「みんな一人なのか?」
リンドが尋ねると、皆それぞれに一人だと答えた。御影に催促され場所を訊くと、皆が皆どこかは分からないが洞窟の中にいると答える。
「それでもみんながこの洞窟内にいるって事は、プラテネリの流用は未完成って事だ! おそらく岩壁を隔てる程度にしか飛ばせないって事だろう。だったら、まだ救いはあるぞ!」
早々に一人立ち直り、声を弾ませる御影を放って、リンドはネィルを通して会話を続ける。
「近くにトーノの姿は見えないか?」
三人からは「自分の傍にはいない」という返事しかない。落胆するリンドに、ネィル・フー・トゥーンが声を掛けた。
「思剣通刻の印はトーノの持つ戦具アルマにも儀式を通してその能力の一部が譲渡されておる。彼女が無事で洞窟内程度の近さにいるなら声が届くはずだぞ」
リンドはすがるようにして刀身に声を掛けた。しかし、彼女からの声が返ってくる事は無かった。まさか、トーノの身に何か――、悪い不安はたちまちリンドの中で広がっていく。それを払拭するように再びリンドがトーノの名を呼ぼうとした時、抑制された声でリンドの名を呼んだのはネィル・フー・トゥーンだった。
「リンド、これ以上時間を掛けるわけにはいくまい。今のトーノへの呼びかけは我の判断で他の神具には契約者に知らせぬよう伝えておいた。だが、これ以上時間を掛けると他の契約者達もトーノの安否について不審に思うはずだ。なれば、離れた場所に一人いる彼らの心が折れてしまう恐れもあるぞ」
トーノの身に何かがあったとして、それを伝えてしまえば必ず状況は悪化するはずだ。特に半パニック状態にあるかぎるを追い詰めてしまう危険性は十分にある。そして、何よりそれを口にしてしまうという事は、リンド自身がそれを認めてしまうようで怖かった。
結局、リンドは嘘をついた。トーノは無事だが、少し離れた場所にいるため、交信は困難だと。他の三人にはそう伝えるしかなかった。
「どの道、前に進むしか道は残されていない」
御影が話すとおり、今通ってきたばかりの穴は綺麗さっぱり消えてなくなっている。
「先に進めば、きっとどこかで落ち合うはずだ」
それは確信の無い希望でしかなかったが、リンドはそう伝え、他の皆もそれを信じて暗い洞窟内を歩き始めた。
歩きにくい岩場を五分ほど進んだ先で、リンドと御影の視界に狭い洞窟内を仕切るように立て付けられた雑な造りの木戸が現れた。
2
♪~アンバランスなZURAをかぶって 君に近づけよう
君のご飯もけんちん汁も僕のお口に 入れ~♪
……。
「なぁ、かぎる、何だよそれ?」
一人寂しさを紛らわすように、熱唱していたかぎるは剣越しに聞こえたユアンの声に「ひゃあっ!!」と大声を上げた。
「い、い、いつから聞いてたのよ!? ユアン!!」
「最初から」話すユアンに、「そういうのって良くないと思うよ」口を尖らせるかぎるだが、とてもばつが悪そうだ。
「で、結局、何なのそれ?」別に悪びれた素振りもなく話すユアンは、大して気にするでもなく再び同じ質問を繰り返す。
「……まったく、ユアンの無知には驚かされるわ。何って、今は亡きタカハシヒロさんの名曲、をあたしがカバーした『アンバランスなZuraをして』に決まってるじゃないの!」
もはや開き直りのように、かぎるはきっぱりと言い放ってやった。
「……いや、決まってるじゃないの、って言われても、さ……」
逆にばつが悪そうに話すユアンの声を聞いて、かぎるは泣きそうになった。一人、替え歌の歌詞を考えあぐねいては、それが自分なりに綺麗にはまった瞬間に「うわ、あたしって天才かも」などと言っていた時の自分を思い出しては、自己嫌悪に拍車がかかる。
頭の中が真っ白になるかぎるが、やっとの事で我に返ったのは「なぁ、かぎる」とユアンが呼びかけた二度目の声を聞いたときだった。
「な、なによ」語尾を強めつつも小声で問い返すかぎるに、「お前、いま、どっか遠くの方に行ってただろ」とユアンがのんびりと話した。
「なぁ、かぎる。俺たちまた前みたいに戻れるかな? いつもと変わらぬ日常ってヤツに、さ」
ユアンの話す『日常』という言葉が、今はとても懐かしかった。自分達がいま置かれている状況を誰が想像できただろう。そして、『この先』を想像することは困難だった。
普通という概念からかけ離れたところにいる自分達が、たとえ世界を無茶苦茶にしてしまったジャッジマンと呼ばれる男を倒したところで、以前の自分たちの生活を取り戻せる保障などどこにも無い。しかし、そんなことをあれこれと考えるつもりもないかぎるは、再びきっぱりと言い放った。
「なに言ってんの、ユアン。前と同じに戻るに決まってるじゃん。……ううん、違うな。前と同じじゃないわね。あたしとユアン、リンドにゆかり、そしてトーノちゃん。あたしたちは前より、今より、ずっとずっと素晴らしい世界を手に入れるんだ。誰かがその邪魔をするなら、あたしがそいつをやっつけてやる」
かぎるが話し終えると、ユアンは少しだけの沈黙を破って、「実にかぎるらしい」と声を上げて笑った。
「かぎるのそういうとこ、俺はカッコいいって思うよ」
笑いながら、ユアンは付け足した。少しだけドキリとしつつも、「カッコいいってどういう意味よ」口を尖らせるかぎるに、話を続けようとしたユアンの言葉が止まる。
「どうしたの?」かぎるが尋ねると、ユアンは「お客様みたいだ」と答えた。
「ってーか、乗り込んでんのは俺だから、お客様は俺の方か。ま、こいつの相手が、かぎるじゃなくて俺ってのは都合が良いのかもしんねぇな。……かぎる、後で会おうぜ」
ユアンとの交信が途絶える。
かぎるは寂しさと不安を覚えつつも薄暗い洞窟の中を進んで行く。ユアンが遭遇したのはおそらく戦うべき相手。そしてそれはユアンなりにかぎるとは戦わせたくない相手だったのだろうということが、会話の端から感じ取れた。ちゃんと会えなかったら承知しないからね、ユアン――、かぎるは心の中で呟く。
瞳は真っ直ぐに前を見据えていた。そのかぎるの瞳の先にぼんやりとした明かりと共に洞窟内が広がっていくのが映った。
そして、その先で彼女の前に立ち塞がることになるのは、ユアンの気持ちとは裏腹に、彼女が出会うべき最悪の存在であることに、かぎるはまだ気づいてはいなかった。
3
「いよぉ、黒江キリ、だったよな? たしか、よ」
ユアンの見据えた先で、洞窟内に備えられた数十本もの蝋燭の炎に照らされて、少年は美しい顔に微笑を携えて立っていた。
淡いピンク色のパーカーと黒いショートパンツ姿。炎の揺らめきと共にその美しい微笑は、禍々しいまでの嘲笑へと変化する。不揃いに伸ばした黒い前髪が瞳に掛かるのを鬱陶しがるようにかき上げると、毛先を指先で摘み捩りながら、興味も無いように少年は口を開いた。
「僕の相手って、あんたなんだね。正直、がっかりだなぁ。僕さぁ、あんたが神社でのびてるとこしか見てないんだけど。あんたってキャラはアイディーっていっても、きっとそれ以上でも、それ以下でもないでしょ。どうせなら、あのクソアマを殺したかったのにな」
退屈そうに吐き捨てる。ショートパンツの丈から伸びた足の、スニーカーが苛立つように地を蹴ると砂利が転がった。
「まぁ、アイディーを消せるなら、誰でもいいんだけどね」
砂利が転がり終わらないうちに呟いたキリの顔には再び嘲笑が浮かぶ。胸にふわりと浮かんだ小さな黒い点は、あっという間に嘲笑を覆い隠し、人一人飲み込む程の球体を形成した。
「喰らいつくせ、〝暴食〟」
キリが笑い交じりにその名を告げると、黒球はユアン目掛けて襲い掛かる。ユアンはそれを飛んでかわすと、素早く体勢を整えた。しかし、ユアンのすぐ脇を通り過ぎた後で、球体はユーターンするように進路を変える。だが、戻ってきた球体にユアンは驚くでもなく、自身の足元を確認する余裕すら持っていた。「やっぱり、な」呟くと、再びすんでのところでかわす。
そのまま飛んだ球体は、じゃれるようにキリの周りをぐるぐると回っていた。相変わらず嘲笑を浮かべたままのキリに向かって今度はユアンがニッと笑った。
「キリ、お前は俺がのびてたから相手にはならないって言ってたよな。でも、そりゃ間違いだぜ。お前とかぎるが揉めてたとき、ボロゾーキンみたいな俺の事なんかお前は気にも留めなかったんだろうがよ、おかげで俺は、お前がかぎるに何をしたのか十分に『観察』する事ができた。俺はよ、キリ。勝てない喧嘩はしない主義だぜ? ……ところで、俺の足元に照らされてる俺の『影』は、どうしてお前の黒い球体が飛んでくる度に位置が変わるんだろうな?」
ユアンが笑いを含ませたまま尋ねた瞬間、キリの表情が変わる。
八幡神社の本殿で、かぎるに対して激昂したキリがその黒い球体を初めて出現させた時、それに唯一気づいたのは少し離れた場所で息も絶え絶えに見ていたユアン唯一人だけだった。
黒い球体をキリが出現させたあの時、迫り来るそれを正面に向かえて、長く伸びたかぎるの影。だから、その球体はまるで黒い太陽のようだと思った。
神社の内へと差し込む陽光がリンドとトーノ、かぎるの足元に影を作る中でただ一人、かぎるの影だけが逆向きに伸びていたから。
「〝暴食〟、殺せ! 殺せ! 早くアイツを殺せ!!」
キリが呻くように叫ぶのを聞きながら、飛んでくる黒球には目もくれずにユアンは剣皇ポーニロアを自身の影に突き刺した。
「ギュイアァアアァアアァァァァ」
甲高い悲鳴が響いたあと、ユアンのすぐ近くまで迫っていた黒い球体は音もなく消滅する。
ユアンはゆっくりとポーニロアを引き抜いた。
その刀身には蝿のような羽を背中に生やした、目玉の大きな黒い豚が突き刺さっている。それを振り払うと、豚は洞窟の壁に叩きつけられて地面に落ちた。
荒い呼吸をしたまま動かなくなった豚を見つめたあとで、ユアンは青い顔をしたキリへと視線を移す。
「お前は球体を出現させるだけで、本当のところは対象者の影に隠れたこいつが誘導してたってわけだ。……ま、お前の負けだよ」
わなわなと震えるキリに告げると、ユアンは歩き始める。
かぎるとは違い、ユアンは今更キリに声を掛けるつもりも、更正を促すつもりもなかった。仲間を思う気持ちは他の誰よりも強いユアンにとって、黒江キリは敵の一人にしか過ぎない。
戦闘を終えたならすぐ先を目指す。もはや今のユアンにとって黒江キリは関わる必要もない存在だった。
しかし、早々と背を向けたユアンに対してキリが怒声を上げる。
「勝手に終わらせてんじゃねーよぉ! 〝ハルニレ〟だ! クソヤロォ!!」
叫ぶや否や、豚は黒いタールの塊のように姿を変える。
一瞬にしてキリの全身へと張り付くと、身に着けたピンク色のパーカーもショートパンツも溶けるようにして消え失せた。
キリの頼りない程に細い全身が露出する。四肢に張り付いたタールが、黒いロンググローブと腰から膝上までのショートタイツのような形を形成する中で、ユアンはそれに気がついた。
かぎるが憧れ、恩人とまで語るモデルの『クロエ』こと、黒江ケイ。黒江キリの姉たる彼女の顔が、キリの胸にへばりついていた。キリの胸に埋め込まれるようにして眠る黒江ケイ。それは切り取られて貼り付けたというよりも、吸収されつつあるといった姿。
「僕は、僕は、ケイの為に存在するだけのアンノウンじゃない。それを認めるくらいなら、こんな世界なんか無くなってしまえばいい!!」
黒い虫の羽を生やしたキリはそう言って洞窟の壁を叩き付けた。右手が触れた瞬間、削り取られるように消失した土色の壁を見て、キリは笑った。
「これが、これが、力を手に入れるってことかぁ」
羽を震わせ、飛んできたキリの抱擁を、ユアンは転がるようにして回避する。洞窟内にはキリの笑い声と羽の振動する音だけが響いていた。
「逃げろ! 逃げろ! 早く逃げないと消えて無くなっちゃうぞ! あはははははははははは」
すべてを喰らい尽くす黒い妖精の抱擁から、一転してユアンは無様に逃げ回る。
勝敗はすでに決していたはずという余裕が、完全な仇となってユアンを追い詰める。
五度目の抱擁を交わす頃には息を上げ、それでもなんとかユアンが迎撃の姿勢をとるべく立ち上がった時、突然キリの引きつったような甲高い笑い声が止まった。
「……なんで? ……なんでだよぉぉぉぉ!!」
キリの四肢を侵す黒いタールは、やがて彼自身を「無」に帰すために全身を蝕み始める。
「〝暴食〟の力が暴走を始めたな。放っておいても彼は消え逝くだろう」
ユアンの中でポーニロアが無慈悲なまでの現実を告げた。
完全に勝敗は決した。
だが、ユアンは決意を固めるように拳を固く握ると、キリの前に立つ。それは「怖いよ! お姉ちゃん、助けて!」と泣き叫ぶキリの姿を見てしまったから。
六連装填のリボルバーの始・炎を灯したユアンは赤い光に包まれた。六の火球は一つに重なると轟々と燃え盛る紅蓮の炎へと姿を変える。
ユアンの中で、今まさに『楼』を得た事をポーニロアが告げた。
ユアンはキリへと握り拳を向けると、ただ〝カノン〟とだけ言葉を発した。
ユアンが見守る中、キリの全身は一瞬にして炎に呑まれた。
4
一人洞窟を歩くかぎるが少し開けた場所へと出た時、そこには一匹のライオンが待ち構えていた。
中で動物が放し飼いにされてんのかもよ――、突入前のユアンの言葉を思い出しては咄嗟にアテナイを構えたかぎるだったが、ライオンは襲ってくる気配も無くそこに佇んでいるだけだった。蝋燭のぼんやりとした明かりの中で良く見ると、そのライオンの肌色は見たコトもないような赤色をしていた
ライオンとかぎるの対峙が一分と経たない内に、洞窟の奥から人影が姿を現す。それは、彼女愛用のライムグリーン色のジャージを肩に掛けた、かぎるの良く知る人間だった。
「……うそ、でしょ。……なんで、蒼姉が、ここにいるの……?」
かぎるの見つめた先で、かぎるの一つ上の先輩、佐々木蒼が泣き出しそうな微笑を浮かべていた。ライムグリーン色のジャージを手渡しながら、彼女は「かぎる、ごめん。勝手に借りてた」と声を掛けた。
かぎるは返事もできず、上の空でただそれを受け取る。そして、そんなかぎるを見つめながら、蒼は再び声を掛けた。
「……かぎるがアイディーである以上、私はあなたと戦わなければならないの」
怯むような表情のかぎるが言葉を発そうとするのを、蒼は小さく首を振って制した。
「怒り狂え、〝憤怒〟」
蒼が告げると、彼女が着ていた如月高校の制服は引き裂かれるようにして散っていく。そして、傍らのライオンはメラメラと燃える炎となって蒼の全身を覆った。
かぎるの眼前に赤い鎧を身に纏い、剣を手にした佐々木蒼が立つ。
かぎるは蒼のその姿をぼんやりと見つめていたが、蒼はそのかぎるに何を告げるでもなく剣を振り上げた。およそ剣術らしさも無いそれを、ジャージを放り投げながら反射的にかぎるはアテナイで防いだ。
「蒼姉、やめてよ! なんで、戦わなきゃいけないの!? やめて! やめてよ!」
かぎるの問いかけに、蒼は何も答えなかった。ただ、苦悶に満ちた表情が全てを語っているようだった。
力ずくで振り払うとかぎるは蒼と距離を置く。そして、右手に携えたアテナイと平行するようにして左手で形のない弦を引いた。狼・〝敵討つ風の矢〟の矢を放つ姿勢を見せたかぎるだが、そこには戦意などない。それはただの威嚇だった。自分がいかに凄い力をもっているのか、それを見せればきっと蒼も引くに違いない。その一心だけで放った〝敵討つ風の矢〟。淡い緑色の発光をした矢は、蒼の足元目掛けて飛んでいった。
しかし、別にかわしも、防ぎもしなくて良いそれ目掛けて、敢えて蒼は剣を振るう。その瞬間にかぎるの放った風の矢は叩き折られ、そして空気の中へと消えた。
「あれが〝憤怒〟の能力よ。《神具》がひとつ、『全ての剣』に似せて創られた憤怒は、全ての属性を操ることができる。とはいっても、初歩程度をね。あんたが良く練った風を作り出せば、まあ、敵じゃないわね。彼女自身、憤怒の正式な契約者ではないようだし、普通に戦えば万が一にもあんたが負ける道理はないわよ」
〝敵討つ風の矢〟が通じないとして特に気にすることじゃないと、アテナイは助言する。しかしかぎるにとって、それはどうでも良いことだった。
「だから何よ! 蒼姉なんだよ! あたしに蒼姉を切るなんて出来るわけないじゃない!!」
「それで?」呆れたようにアテナイは言った。
「つまりはそれがジャッジマン、シャルナァプ・ウーデルカの狙いなんでしょうが。理由は分からない、でも、あんたが戦えないっていうなら、この先で、あんた以外の仲間達がどういうことになろうと、あんたは何も言う資格はないわね。あんたに出来るのは、ただ自分を責めることくらいのもんでしょうよ」
駄々をこねる子供を叱り付けるようなアテナイの言葉はまさに正論だった。
アテナイの言葉を無理やりに自分を言い聞かせ、そして無理やりに覚悟を決めたかぎるは、その束を両手で握りなおす。
眼光鋭く蒼に向かって視線を合わせると、かぎるは駆け出した。
風を切るような上段からの一太刀を、今度は蒼がしっかりと受け止めた。鍔迫り合いから素早く脱しようと、蒼が赤い剣を握る両の手に力を込めようとした時、彼女はかぎるの顔を間近に見た。
かぎるは笑っていた。いつも蒼と一緒の時には見せたこともないような、泣き出しそうな笑顔。だが、しかし、そこにはいつものかぎるがいた。
「ごめんアテナイ、やっぱり無理。あたし蒼姉のこと、大好きだ。戦えないや」
かぎるの力がふっと抜けると、容易く鍔迫り合いから脱した蒼の剣がかぎるの首筋に迫る。だが、その剣先はピタリと宙で止まるとゆっくりと地面に落下し、刀身を揺らした。
「ごめんね、かぎる。……ごめん。……ごめんなさい」
そこにはかぎるの憧れる凛々しい先輩の面影はない。泣きじゃくり、ただ謝り続ける蒼は、小さな子供のようだった。
「わ……私、もう何が……なんだか、わからなくって。み、翠子も助けてあげられなくって……アイディーだとか、自分が、アンノウンだとか、本当はどうでも良かったのに……怖くて、ただ怖くて、仕方がなくって……」
泣き崩れる蒼をかぎるはそっと抱きしめた。
「蒼姉は、蒼姉だよ。あたしの憧れで、あたしの大好きなお姉ちゃんだよ」
震える蒼はかぎるの顔を見上げる。すると、瞬く間のうちに震えが治まっていった。
それを確認したあとで、かぎるは蒼へと尋ねる。
「蒼姉、ゆかりはどこにいるの?」
蒼は一つ一つの言葉を確認するようにしながら答える。
「この先をずっと進んだ先の洞窟の一番奥。ゆかりも杏子もそこに捕らえられてる」
それを聞き終えて、蒼をぎゅっと強く抱きしめると、かぎるは凛として立ち上がる。
「蒼姉はここで待ってて、あたしが皆やっつけてくるから」
ライムグリーン色のジャージを拾い、蒼の肩に掛ける。そして、再び、かぎるは微笑んだ。
「ゆかりと杏子先輩助け出してくるから、皆で帰ろ」
5
リンドと御影が木戸を押し開いた先では、一人の男が岩場に腰掛け、頼りない蝋燭の明かりで文庫本を読んでいた。
「結構、遅かったな」
本を閉じると、如月高校の制服をしっかりと校則に則って、しっかりと詰襟まで締めたリンドと同じ如月高校一年、――蜂谷白鐘が立ち上がる。
「なにしてんだよ、ハッチ。……お前はこんなトコにいちゃダメだろ。……お前は、如月高校でみんなを守ってるはずだろうが!!」
リンドは、蜂谷白鐘の姿を見た瞬間に、早い思考は無常にもその答えを見つけ出していた。だが、それでもリンドは友へと向かって訊いた。
中学からの同級生たるハッチこと蜂谷白鐘は小さく溜息をつく。中学から知っていればこそ、リンドの思いくらい分けなく察したのだろう。だから白鐘は溜息をつき、そのままで表情を変えることなく話し始めた。
「少し考えれば分かるだろう、リンド? お前だって清南高校の荒れ果てた様は見たはずだ。だったら、如月だってそうなるに決まってる。もし、そうならないとすれば、フォウシャール・クロイツの結界のように『人外』の力が働いてたってことになるはずだ。つまりは、意図的に誰かがそうしてたってことに、なあ」
リンドは厳しい視線で白鐘を見据える。
「それがお前だったってわけか。だったら、お前は何の為に如月の生徒達を守ってたんだよ!」
「守っていたってわけじゃあないよ。俺の能力には彼や彼女らが必要だったってだけの話だよ」
話し終えた白鐘の背後から、白い人型が這い出てくるのをリンドも御影もその瞳に捉えた。四つん這いで歩く、顔の部分には一つたりともパーツのないのっぺらぼうに、全身乳白色の小さな人型は乳児の人形のようだった。
「コイツの能力は変わってるんだ、リンド。まあ、面倒といえばそれまでなんだけど、餌を与えて成長させてやらないと赤子一人殺す程の力も持っていないんだ。そこまで言えば分かるだろ? コイツの餌は『魂』、そして如月の生徒達がどうなったかってことくらい」
「蜂谷ぁ!!」弾かれるように剣帝ネィル・フー・トゥーンを構え、走り出そうとしたリンドの機先を制するように白鐘はその名を告げる。
「我のみがただ此処にあれ、〝傲慢〟」
むくむくと立ち上がった白の乳児は瞬く間に成長していく。あっという間に大の大人程の背丈に成長すると背中から六枚の羽を生やした。その姿は天使のようにも悪魔のようにも見える。リンドは怯むことなく駆けるとネィル・フー・トゥーンで切りつけた。
わけもなく左手で白い人型が防いだその刹那、御影が叫んだ。
「ギュガルド!!」御影の右掌から射出された閃光は人型の胸にぽっかりとした穴を開ける。
人型の動きが一瞬止まるのを見逃さないように、今度はリンドが叫んだ。
「〝断ち切る刃〟ィ!」
始・水の青い刀身は人型の左の腕を切り裂いた。ヨロヨロと後ずさる人型に、リンドは休む間もなく袈裟切りにネィル・フー・トゥーンを振り下ろす。左の肩口から御影が空けた胸の穴まで一気に刃が到達すると、人型は完全倒れた。
付きもしない血糊を振り払う仕草のあと、リンドは終わりだと言わんばかりにネィル・フー・トゥーンの剣先を白鐘目掛けて付き伸ばした。
しかし白鐘は臆するでもなく、すっと右手を持ち上げる。ネィル・フー・トゥーンを掲げるリンドに応じるように、右の人差し指を伸ばした。
そして、ふいにその指先をリンドから御影に変えると「バン」と呟く。
瞬間、御影の右の胸に穴が開いた。
完全に視界から外れていた倒れた人型ののっぺらぼうの顔に、巨大な口が開き、その口端から白い煙がうっすらと昇っていた。
御影がゆっくりと倒れる。
慄然としたまま、リンドが倒れた御影から人型へと視線を移した時、立ち上がる人型の傷は既に塞がっていた。切り飛ばしたはずの左腕も再生を終えていた。
「今ので、二人分くらいの命を使ったかな? リンド、コイツの能力を教えてやるよ。〝傲慢〟の能力は、人の魂を自らの命に代えるということ。今ので、二人分の命を失ったとはいえ、コイツが如月で手にした魂の数は、軽くニ百は超えてるよ」
リンドをまでも喰らいつくさんばかりに六枚の羽を広げた人型は、笑っているかのようにその巨大な口を開いた。
6
「ふん」とサリーは鼻を鳴らした。
その足元には、サリーの持つ魔剣ハーデスによってバラバラに解体された金属片が転がる。特殊素材とは思えぬほどの脆さで転がるそれは、まさに鉄屑と呼ぶに相応しい光景だった。
サリーが進んだ先で彼を待ち構えていたのは、クロイツ・コーポレーションで開発された四機のアルマナの最終機。名を大釜のアウグストゥスと名乗った。
最終機にして最強の機体と自らを称した彼は、四機の中でも一際大きな体躯と、四本の腕にはそれぞれバルカン砲を装備し、そのいつ尽きるとも知れない弾倉の内装された背部の重量を補い機動性も向上させる為、脚部は馬のような四足歩行であった。
轟音を上げ、洞窟内中を蜂の巣にするアウグストゥスの脅威に、当初は防戦を強いられたサリーだったが、すべての地属性をその支配下におく魔剣ハーデスにとっては洞窟という巨大な岩の塊ですらが、地の利以外の何者でもなかった。
堅い岩地はハーデスに触れるとゼリーのように、柔らかな固体とも液体とも付かぬ触感のものに変わっていく。サリーはその中に沈むと、掘り進むというより泳ぐような感覚でアウグストゥスの後方へと忍び寄った。刀身の短いハーデスではあったが、この至近距離ではアルマナの最終機も全くの敵ではない。地属性を支配するハーデスにすれば、鉱物を下地にしている以上どんな特殊素材だろうがバターを切るに等しい行為。そこからはサリーによる一方的なまでのロボット解体ショーだった。
アウグストゥスの解体を終えてサリーがまず思ったのは、『始・土』の状態に敢えて留まり続ける事によって、それのみのレベルアップが可能かどうか、だった。
基本的性能が既に戦闘向きのハーデスにすれば、リンドの〝断ち切る刃〟のような攻撃力の底上げは必要ない。
ハーデスは、基本的には出来なくもないが、『想』へと至るには困難な道程となるだろう――、と告げた。
そうは言いつつもハーデス自身、他の属性との馴れ合いを好ましくは思っていないらしい。だから、そういう考え方の持ち主はハーデスにとっても都合が良いようだ。そんな考えを手に取るように感じながら、サリーはコイツとは上手くやっていけそうだ、と改めて思った。
更にハーデスの能力を使えばわざわざ洞窟内を進む必要もなく、目的地までのショートカットですら容易いのではないか、とサリーは考える。
だが、思いついてすぐそれを実行に移した所、二度挑戦して、二度ともそれは失敗に終わった。
地面に沈んだ後、岩肌の内部を探索したところで、近道らしきものはおろか、リンドや他の仲間のいるルートに辿り着くことは出来なかった。
ハーデスはそれをして、それぞれのルートは故意に次元を捻じ曲げた道に作られているようだ――、と教えてくれた。
砂や石はどうにか出来ても、ハーデスの力では次元を断つことは出来ないらしい。冷徹な思考がさらりと結論を下す。結局、今の道を進むしかないならば、泳ぐよりは歩いた方が早いだろう。地面から這い出たサリーは「ふん」と鼻を鳴らした。
愛飲するタバコに火を点けると紫煙を燻らしながら、サリーは再び歩き出した。
7
堅い岩地に背中を預ける白鐘が見守る中、リンドと白い人型の戦いは続いていた。
ここに至るまでに幾度となく修羅場を潜り、実戦経験を積んできたリンドと、つい今しがた成長を終えた人型では勝負にはならない。素人然とした攻撃はまるで脅威ではなかったし、唯一気をつけなければならない口から放出される白いレーザー砲のような閃光も、放つ瞬間の予備動作が大きい為、回避するのも苦ではない。このわずかの間に人型の攻撃をかわし、防ぎ、放たれたリンドの攻撃はニ十以上の致命傷を与えていた。
だが、その度に超速再生を果たす人型が倒れることはなかった。
「はあああああ!!」気勢を上げて振るった〝断ち切る刃〟の青の刀身を灯したネィル・フー・トゥーンの胴切りは、人型を真っ二つに切り裂いたが、それでも人型は問題もないように胴を付け直し、大きな口をぽっかりと広げた。
白い閃光をかわした瞬間、リンドの体勢が大きく崩れる。
技術的には雲泥の差があるとはいえ、人型はダメージを受けず、その上疲れ知らずであった。息を切らすリンドに気づいたかどうかは定かではない。しかし、人型は続けざまに大きな口を再び開いた。
飛び去ろうとしたリンドだったが、底なしの沼にでも浸かったようにその足は動かなかった。
閃光が迸るのを視界に留めながら、すんでのところでリンドは左の掌を突き出す。牢・〝氷壁〟のシールドが間一髪閃光を弾いた瞬間、リンドは大きく息を吸い込んだ。
ゆっくりと呼吸を整えるように、何度も何度も息を吸っては、吐き出す。そして思考をフル回転させる。
この後自分がどうすべきなのか、そんなことは分かりきっていた――敵が持つニ百近いという命を、今までにおそらくニ十以上は削ってやった。ということはあと百八十回それを繰り返せばいいだけだ。
簡単な話だと自分を言い聞かせる。だが、言葉にすると、それがいかに困難かを理解させるに十分な思考が、リンドの疲労を余計に増させた。
リンドの瞳に薄い闇が広がり始める。それを察したようにネィル・フー・トゥーンは、
「ならば、どうするリンド。諦めてしまうのか? いつの時も全てを打ち倒すのは、強き者だけだぞ。最後まで通す信念と、強き心を持つ者だけだぞ」
「わかってるさ」リンドは小さく呟く。
自分が何を成すべきか、そのためにはどうするか自分は誓ったはずだ。
「わかってるさ」再びリンドが呟いた時、彼の全身を青い光が包み始めた。
まさにそのときだった。胸に穴を開けられたあと、倒れたまま動かなかった御影が立ち上がるのが見えた。戦具アルマを握り締め、立ち上がる彼の顔には悲壮感が漂う。
「御影……さん?」リンドの問いに御影は振り返りもせず答えた。
「洞窟の外に残った帝たちが今、倒れた。……俺はそのおかげで立つことが出来た。彼らの力と記憶を引き継いでね」
御影は人型の前に立ち塞がると、戦具アルマの剣先を突き出す。
「今、ミカトン・ケイルの魂はフォウシャール・クロイツ残る二人に四十九人分ずつ引き継がれた。……ところで、お前、一気に五十も命を削られたことはあるか?」
金色の光球が戦具アルマの剣先に集まり始めるのを見て、人型はその口を広げたが、その時は既に遅かった。
「――〝ギュガルド・レイ〟!!」
剣先に集まった光球は御影の声と共に五十の光球へ一瞬のうちに分裂すると、人型へと降り注ぐ。轟音と砂煙に巻き込まれて人型の姿は視界から消えた。
「大丈夫だったかい?」戦具アルマの剣先を下ろした御影はリンドへと声を掛けた。
それを見てリンドも大丈夫と応えるように微笑を返す。
刹那。リンドの顔から笑みが消えた。
砂煙の中から、人型が跳躍する。その姿はボロボロで、もはや巨大な口のある頭部が乗った胴に、四肢が付いただけの、巨大なマッチ棒のような姿だった。
リンドが叫ぶより先に、人型は今までとは比にならない程の口を広げる。それはまるで巨大な食虫花のようでもあった。
今までのレーザー砲を束ねたような閃光。ねじくれた光の柱は、御影の右半身を一瞬にして消滅させた。
しかし、御影の顔に驚きはない。そこには全てを受け入れたような穏やかさだけがあった。
「これで、全ての記憶と力は最後の一人に。……ミカトン・ケイルは降臨する」
それが御影の最後の言葉だった。人としての原型を留めない御影は崩れ落ちながら金色の靄へと形を変え、そして消えた。
リンドは剣を振りかぶるようにして構えると叫んだ。怒声を上げながらネィル・フー・トゥーンを振り下ろした瞬間、大気中の水分が集まるようにして刀身で渦巻く竜巻は水龍となって人型を撃ちぬいた。
――凄・〝竜顎〟。
水流が通り過ぎた後に残ったのは、空気の抜けた風船のように萎み、骨と皮だけになってしまった人型の残骸だけだった。それでもなお、膝を着かずフラフラと歩き回る人型を見て、白鐘は口を開いた。
「ハルニ……」
だが、言い終えるより先にネィル・フー・トゥーンの刀身が白鐘の首筋に当たった。
「なんでだ? なんで、俺達は殺しあわなきゃならないんだ、ハッチ」
リンドは、白鐘の瞳をまともに見る事もできずに尋ねた。
白鐘は、薄く笑うとリンドの顔を真っ直ぐに見つめた。
「俺は、お前や、ユアンの為のアンノウンなんだってさ。だったら、どうすれば良い? 俺が今まで生きてきた人生も、これから先自分で決めたと思った人生もお前らの為のものだとするなら、俺は何のために生きているんだ? だから俺はこの道を自分自身で決めたんだ。……友達だと思うなら、最後くらい俺のためにリンド、お前が幕を引いてくれ」
リンドは、何も言わなかった。ただ、静かに白鐘の首筋にあてがった刀身を見つめた。
白鐘は、いつもの涼しげな表情でリンドを見ていた。
結局、最後までリンドは白鐘の顔を見る事が出来なかった。
少し俯いたまま、ネィル・フー・トゥーンを持つ右手に力を込める。
そっとその刀身を下ろした時、鮮明なまでの赤が滴り落ちる。
間もなくして赤い羽虫となって白鐘は、空気と交じり合うように消えていった。
8
洞窟の中へと飛び込んだはずの眼前に映ったのは、賑やかしいほどに原色ばかりをあしらった遊具の数々だった。誰もいないはずの遊園地では心踊るような音楽が響き、観覧車やメリーゴーランドがいつ止まるとも知れずに回り続ける。
その中を行くトーノがふと気づいた時、彼女はお姫様のような淡いブルーのドレスを身に着けていた。つい今しがたまで携えていた戦具アルマもその手には既になく、戸惑いと不安を覚えつつも歩く彼女の前に、色とりどりの風船を持つ熊の縫いぐるみが姿を現す。
その熊が手渡そうとする風船を払いのけると、トーノは睨みつけた。
「ここはどこなの! 皆はどこ!」
トーノに睨み付けられて熊はうなだれるような素振りを見せたが、その瞬間に手に持つ風船が次々に音を立てて割れる。それに反応するようにトーノはコンマ数秒瞬きしたが、その間に熊はトーノの遥か前方に立っていた。移動したというよりも、そのコマ送りのような現象は瞬間移動と呼ぶに相応しい。
距離を置いた熊は自身の胸元へと手を伸ばす。最初見たときは気づかなかったが、熊の胸元にはジッパーが付いていた。普通、ぬいぐるみを着る為のジッパーは背中に付いている。胸元から口まで至るそれを開けて顔をさらすさまは、寝袋と呼んだ方が正しいような形状だった。フードのように熊の顔を外すと、中から少し小太りの童顔が現れる。
トーノが見つめる先で彼は、上目遣いのまま口を開いた。
「……僕は八都黄、〝怠惰〟の椋鳥八都黄。……ここに皆はいないよ……」
トーノは睨みつけたままで、八都黄の前へと歩み寄った。しかし、動く素振りも見せない八都黄はトーノが歩んだ分だけその距離を離す。それを見てトーノは両の足にまとわり付く長いスカートを気にも留めずに駆け出したが、八都黄との距離が埋まることはなかった。
夢中になって駆けては、はだけたスカートの裾に足を取られてトーノは転んだ。追いかけても、追いかけても近づく事のできない蜃気楼のような八都黄の姿を、這いつくばりながら見上げた先で、八都黄は悲しそうな顔でトーノを見ていた。
「……僕の能力は、魂の保管装置である『神の箱庭』の複製なんだ。とは言ってもオリジナルとは違って、眠りの中にいる僕の夢の世界にはただの一人しか入れられないんだけどね。君の精神は今、僕の夢の中に存在しているんだ。僕はこの夢の世界の王……。どうあがいても君は僕には勝てないんだよ……」
台詞とは裏腹に八都黄の顔は今にも泣き出しそうだった。無言のままで睨むトーノから少し顔を逸らした時、八都黄の声は震えだす。
「……全ては、全ては、ジャッジマンの計画通りに進んでるんだよ。君がどう足掻いたってもう遅いんだ。現実の事はもうジャッジマンに任せて。……いいじゃないか、もういいじゃないか、夢の世界で。……ここで、ここにいようよ。……世界は、世界は、残酷すぎるよ……」
顔をくしゃくしゃにして話す八都黄から目を逸らさずに、しかし、トーノはしっかりと立ち上がった。
「だから、なに? ……世界が残酷だと思うのはあなたがアンノウンだから? ……だったら私だって同じようなものよ。それでも、夢の世界に逃げるより、私は最後まで残酷な現実の世界に在りたい。そう誓ったの」
残酷なまでの自身の運命を知りえてなお、トーノはきっぱりと八都黄に語る。怯む八都黄が「でも……でも……」と言葉を詰まらせるのを見て、トーノは厳しい視線を和らげると穏やかな表情で八都黄を見つめた。
「……私だってあなたと一緒。怖いよ……でも、自分の気持ちからだけは逃げたくないの。お願い、私を元の世界に戻して」
全てを悟った上で凛々しく、そして優しく笑みを浮かべたトーノを八都黄は美しいと思った。
少しの間トーノの笑顔に見とれた後で、八都黄は「君はバカだよ」と呟いた。
力ない笑顔を浮かべた八都黄の声が聞こえたと思ったその時、トーノは薄暗い洞窟の中に一人佇んでいた。
右手に持つ戦具アルマと身に着けたセーラー服、その上に羽織るベージュ色のカーディガン姿を一人確認すると、トーノは洞窟の奥目指して駆け出していく。
数歩駆けた時、トーノの長い黒髪は次第に風に揺れる稲穂を思わせる金髪へと変わっていった。
黒色から金色へと変わり行くに従い、彼女の頭の中に様々な記憶が映像となって一気に流れ込んでいく。
そして、彼女はミカトン・ケイルとしての全ての記憶と力を取り戻した――。
神と等しき存在、その記憶の全てを得た彼女は全てを理解する。その中には、美作ゆかりという人間の『真実』も含まれていた。
その瞬間に彼女の足が止まりかける。
美作ゆかりという存在は、いまトーノの中で、彼女の精神を押しつぶさんばかりにどんどん巨大な存在へと変わりつつあった。
それを払拭するように小さくかぶりを振ると、トーノはただ、闇の先、洞窟の内部だけを見据えて、そして駆けるスピードを上げた。
残酷な運命だけが待ち受ける先を目指し、走り行く彼女の後方で、壁に背を預けたままの椋鳥八都黄はその後ろ姿をひっそりと見守っていた。
9
最後の扉を開いた時、リンドの中には怒りと憎しみしかなかった。
知らなくても良い真実はある――、いや、この世の中のほとんどがそうだろう――。
真実など知らなければ、千歳翠子も蜂谷白鐘も闇に走る事はなかった――、そして、自分もまた、そんな彼らを手にかけることもなかった。いつも通りの日常の中で、彼や彼女らと笑い会えた時間には、もう戻る事など出来ない――。
リンドの心は真っ白だった。それでも彼が先へ、先へと進むことが出来たのは、美作ゆかりを助け出すという始まりからの信念に他ならない。事ここに至っては、もうそれ以外にすがる物のない彼は、ただその為だけに動く心の乾ききった機械のようでもあった。
心が壊れきってしまう前に最後の扉を彼が最初に開いたのは、良くも悪くも彼に息を吹き返させる事になる。扉の先は今までの薄暗い洞窟からは一転して、広い坑内を埋め尽くすほどに設置された機械の数々が最新鋭の研究所を思わせる造りになっていた。その機械の一つに繋がれた巨大な水槽に、リンドの視線は釘付けとなる。
水槽の中で、裸の美作ゆかりが浮いていた。
水の張られたその中で意識のないように瞳を閉じてはいたが、彼女の口端からは小さな気泡がプクプクと浮かんでいる。目を見開いたリンドが声を上げようとした瞬間、声が聞こえた。
「彼女はちゃんと生きてるから、安心していいよ。もちろん。もう一人の方も無事だよ」
我に返ったリンドが視線を下ろした先に、フードを目深に被った男が安楽椅子から腰を上げた。
彼の後方にはゆかりと同じく、水槽の中で裸の天城山・ベアトリス・杏子が瞳を閉じたままで浮いている。
リンドが睨みつける中、彼はフードを外す。中から出てきた顔はリンドの見知った顔だった。
青いプラスチックフレームの眼鏡に、ぱっつりと切りそろえられた前髪が特徴的な黒髪は遥か昔のエジプト人を思わせる。
「カリグラ……お前が、ジャッジマンか」
苦々しく呟いたリンドの前で、彼は前に見せたのと同じ、少しだけ悪意に満ちた笑みを浮かべた。そして、プラスチックフレームの眼鏡に手を伸ばす。
「ある時は、クロノ・クロイツの作戦参謀、カリグラ。また、ある時は世界を滅ぼそうとする者、ジャッジマン。しかしてその正体は……かつて青の錬金術師と呼ばれし者、シャルナァプ・ウーデルカだ。以後お見知りおきを」
プラスチックフレームの眼鏡を外した彼の瞳は美しい碧眼だった。そして、黒いカツラを外すと、薄く青みがかった肩まである銀髪が零れ落ちた。
リンドがネィル・フー・トゥーンを構えるのを見て、シャルナァプは特に構えるでもなく、「君たちは良くやってくれた」と言った。その言葉に機先を制されたように、リンドは切りつけることも出来ずにシャルナァプの話に聞き入ってしまう。
「俺の計画には君たちの力がどうしても必要だった。……だから、君たちに《神具》を与え、そして君達が成長できるよう、君たちのレベルに見合った敵、プラテネリ使い達をぶつけてきたし、ピンチの時には助けてもやった。まあ、プラテネリ使いたちはその事実に気づいてはいなかったけどね」
リンドの肩が怒りで震えた。
「捨て駒に過ぎなかったっていうのか!! お前の下らない『計画』の為に、翠子先輩やハッチは化け物にされちまったってのか!!」
リンドはシャルナァプを厳しく睨みつけた。だが、言葉自体を荒げてはみても、彼が計画の為にリンドたちにネィル・フー・トゥーンのような神具を与えたとするなら、それは自身の脅威と成りうるデメリットを自らで作ったという事になる。荒唐無稽としか思えないシャルナァプの行動にリンドの思考は混乱する。何より、ネィルとの出会いは偶然の産物でしかありえないはずだった。
言葉で丸め込もうとしているのだ――、気を取りなすようにリンドは向き直したが、当のシャルナァプは特に気にするでもなく話を続ける。
「君は、君とネィル・フー・トゥーンとの出会いが偶然だとでも思っているんだろう? それはないよ。君たちと《神具》との出会いは、俺が予めセッティングしていたものだ。まあ、アテナイの出現に関してだけは、賭けみたいなものだったけどね。……君たちの魂にはそれぞれ『テラ』と呼ばれていた旧時代において、四本の剣。『剣帝』、『剣皇』、『神剣』、『魔剣』を作り出した、かつて神と呼ばれた者たちのアイディー、つまりは魂の一部を埋め込ませてもらった。君たちがそれぞれの神具と心を通わせる事が出来るのはその為だよ」
唖然とした表情を浮かべながらも、それでもリンドは吼えた。
「だったらなんの為に! なんの為にそんな事をする必要があったって言うんだ!!」
シャルナァプは呆れたように溜息をつく。
「なんの為? その理由は既に、君の瞳に映っているだろう?」
ジャッジマンから少し離した視界の先。眠る美作ゆかりにリンドの視線は釘付けになる。
「確かに、世界をこんな風にしたのは俺だよ。それは間違いない。だが、ミカトン・ケイルが新たに作り直す世界で彼女たちはどうなるだろうね、リンド君。彼女達がアイディーと呼ばれる存在なのか、それともアンノウンと呼ばれる存在なのか、君はどっちだと思う?」
リンドは、眠れる美作ゆかりを、ただ見つめることしか出来なかった。
悪意に満ちた笑顔を浮かべたままで、シャルナァプは続ける。
「彼女がアイディー、つまりは魂をもった存在だと思うなら、俺の野望を食い止め、ミカトンの創る新たな世界で再び楽しい日常を送ればいいさ。……でも違ったら? もし、彼女が魂を持たないアンノウンなら、彼女はその存在をバクの手によって永遠に抹消される事になるだろう。君が俺に協力してくれるなら、それは避けられる。さあ、どっちだろうね。選択するのは君だよ」
そして、シャルナァプは紺碧の瞳をリンドに真っ直ぐ向け、言った。
「『正しき選択をする者』――それは最初から君のことだったんだよ、リンド君」
リンドは剣を持つ手を力強く握った。
だが、威嚇をするように構えてはみても、ゆかりがアイディーなのかアンノウンなのか、それを訊くことすらが、ゆかりには残酷なようで……。
何も言えなかった。
尋ねることの出来ないリンドに与えられた二つの選択肢。
それは与えられたその時には決まっていたのかもしれない。
それでも、リンドにはそれが正しい事なのかどうか分からない。
表情こそ鋭いものの、カタカタと剣を震わすその姿はまるで籠の鳥だった。
剣を振るえず、言葉も発せずにいるリンドを見かねるように、ふいにリンドの後方から低い声が飛ぶ。
「お前の中ではもう結論が出てんだろ、リンド」
助け舟にすがるようにリンドは声の方へと振り返る。そこにサリーが立っていた。
サリーは捜し求めたベアトリスの姿を確認しながら話す。
「俺たちはもう一蓮托生。ここでする決断ってのは、俺たち皆の決断ってこった。そうだろ?」
サリーが視線を移した先で、満足そうにシャルナァプが頷く。
「……だったら、その決断を下すのはリンド、お前じゃなくても良いってわけだよな」
意表をつかれてリンドは立ち尽くす。だが、それは当然の話だった。今この時この場所において、ベアトリスを見つめるサリーにも当然その権利はあった。
リンドが口を開くより先に、サリーは告げた。
「お前の決断が何なのか俺は知らないし、知りたくもない。俺は俺の決断を口にするだけだ。それがお前のものと同じかどうか、そんな事は知る必要もない。だが、俺じゃなく、お前が決断を下すというのなら……お前は俺を止めるしかねーな」
サリーは、魔剣ハーデスを逆手に構えるとゆっくりと腰を落とした。
なぜ仲間同士で決闘のような真似をしなければならないのか――、リンドは馬鹿馬鹿しいとさえ思った。
だが、サリーの瞳は真剣そのものだった。つまりはそれこそが、自身の望みにも等しい決断を下すということなのだ。リンドも、それは十分過ぎるほどに理解してはいた。だから、もう何も告げなかった。
リンドは、サリーに対して剣帝ネィル・フー・トゥーンをゆっくりと構えた。
*
「――くそっ! くそっ! どうなってんだいったい!!」
駆けるユアンの声は、次第に悲鳴にも近いものへと変わっていた。
「かぎる! かぎる! 聞こえてるかっ!!」
ユアンの叫びに応じるように、剣皇ポーニロア越しにかぎるの声が聞こえる。
「聞こえてるよユアン! どうして、リンドとサリー先輩が戦うことになってんのよ!!」
「そんなの知るかよっ!」吐き捨てるように呟くユアンにしても、かぎるにしても、最後の部屋へと至ったリンドとシャルナァプとのやり取りは剣帝ネィル・フー・トゥーンを通してそれぞれの《神具》から傍受していた。その一連の訳の分からない展開に、慎重さなど置き去りにして矢のように洞窟内を駆けていた時、突然にして沈黙を破ったサリーの出現はそんなユアンとかぎるを尚更に混乱に陥れる。
「トーノちゃんは、トーノちゃんはそこにはいないの!?」
かぎるの質問に、会話だけで、見えるわけじゃないのはお前だって分かってんだろ、とユアンが悪態の一つもつこうとした矢先、ユアンの進む洞窟の道は合流部分へと行き着く。そこで駆けるかぎるとばったり出くわした。
面と向かって先ほどの悪態をつきかけるユアンに、かぎるが訊いた。
「……ねえ、ユアンだったら、どういう決断を下すの?」
ちらと見たかぎるの瞳に怯えの色が浮かんでいる。それを直視する事もできずユアンはただ「……そんなのわかんねぇよ」とだけ呟いた。
ユアンは内心きっと自分では決断を下せまい、そう思った。きっとそれはかぎるも同じだろう。
卑怯かもしれないが、リンドならきっと正しい決断を下せると思ったし、リンドが決めた事なら自分はそれで良いとすら思っていた。だが、本当にそれで良いのだろうか……。
結局結論を導き出せないままに、ユアンは最後の扉を押し開いた――。
**
ユアンとかぎるが部屋内の眩しさに目を細めた時、二人が声を発するより先にサリーが動いた。
忍ばせたナイフを地面に向かって突き刺すと、それは見る間に砂人形へと姿を変え、刺さっていたナイフを手にリンドへと襲い掛かる。
〝断ち切る刃〟の刀身を灯したネィル・フー・トゥーンでそれを分けなく切り裂くや、間髪いれずにリンドは砂人形の後ろを駆けてきたサリーに向けて剣を振るった。右上段からの袈裟切り。魔剣ハーデスを低く構えるサリーの特攻に、躊躇もなくリンドはサリーの胴を真二つに裂く。
しかし、一瞬にしてついた決着のあとも、リンドはその動きを止める事はなかった。袈裟切りからの勢いもそのままに、遠心力を利用して左手一本で薙いだ剣先は三百六十度回りきる事なくピタリと止まる。
その瞬間、真二つに切り裂かれたサリーの身体は砂となって地に降り注いだ。
リンドの後方に当たる位置、ネィル・フー・トゥーンの剣先にサリーの首筋が触れていた。
ユアンとかぎるは何が起こったのかさっぱり分からなかった。躊躇なくサリーを切り裂いたリンドも、切り裂かれたと思った瞬間リンドの後方に出現したサリーも、ずっと一部始終を見ていたはずなのに何一つ理解する事は出来なかった。
「この短期間で砂人形を二つ作れるようになってたんですね。なおかつ本物と見分けも付かないほどの精巧さまで持ち合わせてるなんて、さすがサリー先輩です」
剣先を向けたままで、リンドはサリーへと賛辞の言葉を贈る。
「ふん、一つ目の砂人形に目を奪われてる最中に完全に入れ替われたと思ったってのにな。……なんで気づけた?」
地中に潜り、完全に後方から虚をつけたと思ったサリーにすれば、腑に落ちない事だった。
「ネィルは全ての水を支配してます。人体の血液も水分なら、それが血の通った人間かどうかを見極めるのは可能です」
聞き終えてサリーは薄く笑った。剣の特性ゆえに負けたとしてもそれは負けに違いない。サリーは地面に胡坐をかくようにして座ると、「俺の負けだな」呟きつつ、タバコを咥える。
それでもまだ、リンドが煮え切らないように「でも……」と呟くと、珍しくサリーは煙を吐きながら声を上げて笑った。
「お前がどういう決断を下すにしろ、俺とベアトリーチェは心から愛し合ってるし、いつだって繋がってっから、問題ねーよ」
サリーの笑顔に救われるように、リンドも少しだけ微笑んだ。
そして、その後でリンドは顔を上げた。その顔には一層の厳しさが刻まれていた。
***
――そして。
最後の扉を開く手間を惜しむように、トーノは戦具アルマで切り裂く。
美しい金色の髪をなびかせる彼女の瞳にリンドの顔が映った。
その表情の厳しさに、トーノはリンドの決断を悟った。
トーノがそこに現れた時、彼女に気づいたのはユアンとかぎるだった。しかし、トーノはそれには気づかない。
彼女はリンドの顔だけを見ていた。
だが、彼女の思いも空しく、リンドが見つめていたのは、シャルナァプであり、彼の後ろでたゆたう美作ゆかりだった――。
リンドが静かに口を開く。
その時、制止する為の言葉。つまりは真実を告げることが出来なかったのは、神にも等しい力と記憶を手にしたミカトン・ケイルではなく、彼女が水鏡遠野という一人の女性だったからに他ならない。
しかし、時間にすればわずかに数秒。
その一瞬の躊躇こそが全てだった。
「……俺の決断は……××××××××」
リンドは自らの決断を下した。
その声はトーノには聞こえなかった。
いや、トーノ自身、今までずっと聞こえない振りをしていただけなのかもしれない。
サリーはタバコを咥えたままで、静かに瞳を閉じた。
ユアンとかぎるはどうする事も出来ずに、呆然と立ち尽くすだけだった。
唯一人、シャルナァプだけが満足そうに笑った。
世界は音もなく白い闇に包まれていく。
世界を白い闇が覆ったのか、それとも元々世界は白い闇だったのか、今となってはどうでも良い事だった。
ただ、その日、その瞬間に、『世界』は終わった。




