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第五章 紗梨一夜(サリー)


  1


 薄暗い世界から開放されて見えたのは何の変哲もない路地で、サリーの秘密の武器屋からさして離れてもいないそこは、やはり、トーノとかぎると離れ離れになったあの路地だった。

 顔色の悪いユアンと共に、トーノとかぎるもそこにいる。

 リンドがほっとしたのも束の間、ぞろぞろと姿を現したのは半裸の生徒たち。色欲アスモデウスの世界に閉じ込められていた生徒は計三十人にも及んだ。


 彼らを引き連れ、ようやくにして清南高校へと辿り着く。

 だが、目的の場所を見留めて、リンドはただ呆然と立ちつくした。

 市内でも二番目に古いといわれる伝統と格式のある高校には、今やその面影はなかった。校内をぐるりと囲む高いフェンスは根元からひしゃげて倒れ、堂々と建っていた校舎はかろうじてその形を保っていたものの、窓ガラスの破片とあちこちに穴の開いた壁の名残が散乱する姿は、瓦礫の山へと至る行程を見せ付けられているようだった。

 リンドの肉体と心が、ゆっくりと崩れ落ちていく。しかしまさにその時だった。


「清南高校の生徒たちはまだ無事だ」


 ふいに聞こえた声。四人の男がそこにいた。四人は、四人共に金色に輝く十字架を首から掛けている。 そのうちの一人が、「清南高校の生徒たちはバクに襲われたわけではない」と続ける。


「清南の生徒は、バクと人間をかけあわせて造られる『ナルコレプシー』と呼ばれる人型兵器の人体材料としてある組織に連れ去られた。だがその精製には時間が掛かる。まだ大丈夫だ」


 にわかには信じられない話にも、


「実際連中はそれだけの技術力を持っている。現に、本来ならこの状況下において我々の助けとなるべく造られた『アルマナ』と呼ばれる自己演算機能を有する人形兵器も今回の生徒捕獲に使用されたはずだ」


 継いだ言葉に、ユアンが「それって俺の見たヤツっ!!」合いの手を入れたことによって現実味が帯びる。何よりここで美作ゆかり生存の可能性を失ってしまうのは、リンドに芽生えた儚い希望を断ちかねない。トーノもかぎるも否定する事なく耳を傾ける。


「我々は『フォウシャール・クロイツ』。君達の味方だ」


 金色の十字架を身に着けた彼らのうち、若い男はそう言った。

 その名を告げられたとき、トーノの顔は苦痛に歪む。


「まだ記憶が戻っていないんだね。だけど荒療治が良いというわけじゃないんだ。記憶は必ず戻るよ。焦らずともいずれ、ね」


 男はトーノを見つめた。すらとした、リンド以上の背高に精悍な顔つき。しかしその瞳は愛しいものを見るような優しさに満ちていた。

 理由は解らない。だが、自身の胸が苦しくなるのをリンドは感じていた。

 男は――、御影慎みかげしんと名乗った。


「つまりその人型兵器を造ろうとしてるヤツらが、今回の事態を巻き起こしたってことですか?」


 リンドが尋ねると、御影の顔に苦い色が浮かぶ。


「残念ながら今回の事態を引き起こした存在と、清南の生徒を攫った連中は別なんだ。我々の役目は世界を終わらせようとする者を倒すことにある。その事態への備えも万全を期してきた。だが、ここにきて予期せぬことが起こってしまった。新たな敵の出現。そのせいで、事態の収束は滞ってしまっている。清南の生徒を攫ったのは、まさに新たな敵の方だ。世界に終焉をもたらそうとする者の行動の影で、『クロノ・クロイツ』なる組織を起こし世界を支配しようとする者……」


 わずかの沈黙のあとで、御影が継いだ。


「……黒十字の帝国の、聖帝ネロと名乗りし男――三ヶ峰楼馬みかみねろうま。我々、フォウシャール・クロイツの、裏切り者だ」


 御影は伏し目がちに、小さく「すまない」と言った。そして、


「連中の行方は我々が必ず探し出す。その時は、君たちの力を貸して欲しい」


 御影に真っ直ぐに見つめられ、リンドは小さく頷く。

 御影が微笑む。


「正直な所、我々の存在を君達に知らせるタイミングというのを計りかねていたんだ。しかし、『今』を逃すとまた事態が変わってしまうという結論に至ってね。今回の件には不足の事態が付き纏っているが、それも悪い事ばかりじゃない。現に君たちという《神具ハルモニア》所持者の出現は敵にとっても想定外だったはずだ。失われていた神剣アテナイの顕現も含めてね」

 

 御影が移した先で、ども、とかぎるがお辞儀する。

 御影はそのあとで、腰にぶら下げた物トーノへと手渡す。


「これは『戦具・アルマ』。ネィル・フー・トゥーンやアテナイには及ばないが、これからの戦いできっと役に立つ」


 全長が六十センチ程で、フランベルジュの形状をしたアテナイと長さは同じ位ではあったが、薄い刀身の幅はレイピアのそれであった。一緒にバクの侵入を防いでくれるビー玉状の結界石なる物が四個と、バクの位置が赤い点として浮き出る地図もトーノへと手渡される。


「連中の居所を突き止めたら必ず報せる。それまで君たちは無事でいてくれ。何かあれば《神具ハルモニア》の方から教えてくれるはずだよ」

 

 言い残して、御影たちは清南高校を後にする。それをしばらく見送ったあとで、


「てか、どーすんだよ俺ら。もう陽が暮れちまうぞっ!」

 

 ユアンが慌てた。見れば御影たちの姿はもうない。一緒になって慌て始めたかぎるの傍で、


「あの、この近くに私のおばあちゃんが住んでる施設があるんですけど」


 そう言ったのは、ピンク色の下着姿もまぶしい小柄な女生徒だった。女生徒の両手を握り締めんばかりのユアンを追いのけて、かぎるが「じゃっ、そこに行こっ」と早々と乗っかる。こんなところで夜を明かすわけにはいかない。反論なんて出るわけもなく、まるで示し合わせたようにリンドたちも頷いた。


 その高齢者向けの施設はグループホームというらしい。1ユニット九名という高齢者向けの施設にしては小さな造りの建物の中には、個室が一階と二階併せて十八室。その個室にベッドが一台ずつ設置されていた。

 建物には利用者も、施設職員の姿も見当たらない。その光景はおよそ予測の範疇だったが、


「おばあちゃん……」


 立ちつくしたままで泣き出す生徒へと、咄嗟に駆け寄ったかぎるがやがて同じように声を上げてわんわん泣き出すのを、呆れるような、少し微笑ましいような表情でリンドはしばらく眺めていた。

 冷蔵庫の食材で手際よく生徒たちが焼きそばを作る頃には、不揃いな丈のおそらくここの入居者のものだろう衣服に皆が身を包んでいた。まるで文化祭前夜のような賑やぎ。その興奮の余韻に浸るように、備え付けの浴室で順繰りに入浴した生徒達はベッドに潜り込む。二人でひとつのベッドを共有してはいても、その狭さより心地よさの方が増して感じた。効果の程はわからないが、あのビー玉も安眠には一役買ってくれている事だろう。

 早々と寝息を立てるユアンを隣に、リンドもまた目を閉じる。間もなく夢の中でネィル・フー・トゥーンに起こされるまどろみの中で御影の言葉を思い出す。


 リンドたちの持つ《神具ハルモニア》を模して創られたとされる、七つの兵器、『プラテネリ』とその使い手たち。そして彼らを率いる男こそ、世界をこんな風にしてしまった元凶。

 その名を――。


  2


「――ジャッジマン、ねえジャッジマンてば!」


 安楽イスに深くもたれ掛ける男は、その声に揺り起こされるようにして厚く被ったフードの奥で瞼をゆっくりと開いた。目前で子供特有の華奢な身体つきをした少年が腰に両手をあててむくれていたが、口元を少しだけ緩ませるその顔にはどこか状況を楽しんでいる節が見られる。


荒紫名祇園あらしなぎおんに続いて千歳翠子も倒されちゃったよ。これで『プラテネリ』も〝強欲マモン〟と〝色欲アスモデウス〟が抜けて、残り五個になっちゃったね」


 クリーム色のパーカーに、黒の半ズボンとソックス。悪戯っぽく笑うその顔は少女のようでありながら、大人の女性のなめまかしさも滲ませていた。


「そろそろ僕の出番じゃない? 僕だったらあんな連中すぐに殺せるよ」


 そう言って無邪気に笑う子供を諭すように、ジャッジマンと呼ばれたフードの男が話す。


「キリ。君の悪いところは物事を簡単に片付けようとするところだよ。彼らを殺して終わり、そう簡単じゃない」


 ジャッジマンは穏やかな口調で話したが、キリと呼ばれた少年は納得出来ないとばかりに再びむくれてそっぽを向く。


「祇園も翠子もハルモニアの回収には失敗した。しかし、キリ、いいかい? 長きに渡り失われていた神剣アテナイがこの世界に降臨した。これは我々にとって、とても幸運なことなんだよ」


 優しく話しかけるその言葉にもそっぽを向いたままのキリに向けて、ジャッジマンは幼子に振り回される親のように軽く笑った。


「ネィル・フー・トゥーンもアテナイも大事だけど、どうやらハーデスの方に動きがあったようだよ」


 笑いながら話すジャッジマンの言葉に、少しだけ興味を湧かせてキリが尋ねる。


「ハーデス、って。『魔剣ハーデス』のこと?」


 ジャッジマンが小さく頷く。


「おおよその場所は分かったけど、探すのは結構骨が折れるだろうね。……朱音あかねはいるかな?」


 ジャッジマンの座る安楽イスの前方に広がる影の中から、すらりと背の高い男が姿を現す。

 黒髪をツンツンと立たせたその男に、「調子はどうだい?」とジャッジマンが訊く。

 朱音と呼ばれたその男は、端正な顔立ちには似つかわしくない嫌な笑みを浮かべた。


「絶好調ですねぇ。こいつはやっぱり俺様向きですよ。まぁ、所有者になるはずだった彼女には悪いですけどね」


 台詞とは裏腹に嘲るような視線を向けた先で、力なく立つショートヘアーの少女が黒目がちな瞳をそっと伏せる。少女の顔を一瞥して、ジャッジマンは視線を紅音に戻した。


「紅音、君の〝嫉妬リヴァイアサン〟でハーデスを見つけなさい。それと今回はキリも連れて行きなさい」


 不愉快なひと時から一転して表情を明るくしたキリ。対照的に紅音は口を尖らせる。


「良かったね紅音。今回は僕も一緒だから安心だね!」


 口を尖らせた紅音が何か言うより早く笑顔で話したキリに、「はい、はい」と適当に相槌を打ちながら紅音は影の中へと消えていった。


  3


 穏やかな朝を迎えた。通勤ラッシュにはまだ早い時間帯の、春の陽射しと静かな街並がいつもと変わらぬ日常を連想させる。少しずつ一階の食堂へと集まり始めた生徒たちの中にトーノとかぎるの姿を認めると、リンドとユアンは挨拶を交わす。


 血だらけだったユアンは昨夜入浴を済ませると、リンドとの相部屋たる居室の住人の物と思われる少し裾の足りないブラウス風のシャツに袖を通していた。それは原色を沢山使用した派手目のヤツで、高校入学に際してオシャレに目覚めたらしいユアンの、中学の頃のいでたち、つまりはテキヤスタイルをリンドに思い起こさせた。


「おっ、なかなかいい感じ♪」


 一人満足気なユアンを見て、リンドはオシャレってのは分らないものだ、と一人納得できずにいる。

ユアンはそのシャツの上に、これまた住人の物らしき赤茶色のカーディガンを羽織っていた。これぞおばあちゃん風というそのカーディガンは、温かみのある見た目と共に、防虫剤の匂いがした。

 ユアンお気に入りのベージュ色のカーディガンには左の胸に穴が開いてしまったので、泣く泣く処分しようとした所に、思いがけず欲しいと言い出したトーノへと手渡された。カーディガンはユアンの血がべったりと付いていたが、トーノは染み抜きするから良いのだという。


「さすが、分かる人には分かるんだよなぁ、良い物ってのはさ……」


 感慨深げに話すユアンを見て、かぎるがトーノに耳打ちした。


「あんまりちょーしに乗せちゃダメだよ」


 今朝のトーノは、左胸に開いた穴はそのままでもどうやったのか血の跡はおろか、染み一つ無いベージュ色のカーディガンをセーラー服の上に羽織っていた。


 食堂では昨日焼きそばを作っていた三名の生徒が、手際よくホットプレートで目玉焼きを焼いていた。卵の焼ける音を横目にユアンが、かぎるに声を掛ける。


「かぎる、お前どしたの? その顔」


 かぎるの顔は、ぐっすりと休んで疲労の色が取れたとは到底思えない表情をしている。

 生徒の一人が運んできた目玉焼きとご飯を受け取りながら、かぎるは深い溜息をついた。


「アテナイよ。あいつったら夢の中にまで出てきて、ギャーギャーと喚き散らすもんだから堪ったもんじゃないわよ」


 トーノが苦笑いを浮べた。


「それでかぎるちゃん、夜うなされてたんだ」


 げんなりとした顔のかぎるの隣で、自分から話を振ったくせにユアンは会話にまざる事もなく夢中になって朝食にむさぼりつく。目玉焼きにご飯と味噌汁、こんな状況ではご馳走といえなくもない。とはいえ、いきなり無関心を決め込んだユアンに面白くないのか口をヘの字に結んだかぎるを見て、場を取り成すようにトーノが話しかける。


「……じゃ、じゃあ、大変だったね、かぎるちゃん。かえって疲れちゃったんじゃない?」


 トーノの顔へと向き直ったかぎるは、のんびりとした声色で答えた。


「まあね。でもその甲斐あって必殺技の一つくらい覚えたけどさ。でも、そしたらそしたってヤツで。……ホントは『かぎる的必殺りうついせん』って名前にしようとしたんだけど、アテナイが絶対ダメだって……」


 必殺技を覚えた――、リンドは内心でギョッとする。こいつはひょっとしてかぎるの筋が良いということだろうか、なら自分は――、一人ぼんやりと考え込んでいると、


「……リンド。リンドってば、ねえ聞いてるの?」


 かぎるに、話しかけられてリンドは再びギョッとした。


「な、なんだ? かぎる」


「だーかーらぁ、リンドも夢の中にも現れたの? ほら、あの……なんてったっけ?」


 自身のレベルにサックリと追いついた、かぎるの大きな瞳にたじろぎながらもリンドは勤めて平然と振舞う。


「ああ、ネィルか。出てきたよ、夢の中に。……って事はかぎるも見たのか? あの映像」


 青い光を灯すロングソードの名前を思い出すように、かぎるが小さく頷いた。


 昨夜かぎると同じく、リンドの夢の中にもネィル・フー・トゥーンが現れた。

 驚くリンドに、


「《神具ハルモニア》は持ち主と一心同体。夢の中であろうとどこであろうと、共にあるのだ」


色欲アスモデウス〟の結界の中には入って来られなかったくせに――、内心で呟くと、分かりやすすぎるまでにネィル・フー・トゥーンは、ぬぐぅと唸った。


「人を殺す為に剣が作られたのであれば、生物とは違い剣の生涯は『死(始・シ)』から始まり、『ロウ』『セイ』『ショウ』を得て、『創(想・ソウ)』へと至る。それこそが剣の極意。そこに至れるかどうかはお前次第だ……」


 腹いせなのかなんなのか、ネィル・フー・トゥーンは剣についての理について、それから長たらしく説教した。

 腹いせの腹いせという訳でもないが、ネィル・フー・トゥーンでは長いからこれからは『ネィル』と呼ぶと伝えると、由緒正しき我をなんと心得るか、なんて余計に説教を喰らってしまった。

 そんなネィルは消える寸前、「ここが分かるか?」とリンドに尋ねる。その瞬間に暗闇の中に映像が浮かぶ。


「まあ、お前の脳内の記録から引き出してきた映像だから、分からないということもあるまい」


 その映像は別に珍しいものではなかった。実をいえば、つい数ヶ月前にユアンとかぎる、そしてゆかりと一緒に高校の合格祈願と称して行ってきた場所である。


「……八幡神社」


 ここいらでは一番大きなその神社は、今リンド達が居るグループホームからも、さして遠くもなく位置している。

 よく聞いておくように。そう念を押した上でネィル・フー・トゥーンは話す。


「どうやらこの場所の何処かに、我やアテナイと同じ《神具ハルモニア》が一つ、『魔剣ハーデス』が姿を隠しているようだ」

 

 リンドは質問を口にしようとしたが、内なる言葉を聞いたネィルは早々とその問いに答える。


「我々はある程度近づくと、互いにおおよその位置を感じる事が出来るのだ。共振作用というものだな。だが、自ら姿を隠しているハーデスの正確な位置は我にも分からない。後はリンド、お前達に探して欲しい。御影という男が語っていた通り、神具は敵も探している。プラテネリ使い達もハーデスの存在に気づき始めている事だろう、奴等の手には決して渡すな」


 動きがあれば神具が教えてくれる、どうやら御影の言っていたことは正しかったようだ。リンドは応じるように、かぎるに頷き返した。


 朝食を終えると、旅立ちの準備を早々と済ませて一同は施設の外へと出た。

 妙な格好をした生徒たちの一人にバクの位置を把握できる地図と、あのビー玉をリンドが手渡す。リンドたちの進む道がより危険である以上、彼らとは今後共に行動は出来ない。清南高校の惨状を忘れる事は出来なかったが、如月高校にはしっかりとした防衛体制が整えられていると皆に伝えた。ヒリュー先輩を失ったとはいえ、あそこにはまだハッチこと蜂谷白銀がいる。


 だったら大丈夫――、頼れる友のいる少し離れた空を、リンドは想った。

 

 一団が歩き始めるのを見て、リンドたちもまたその逆方向へと歩き始める。感慨深いような表情を浮べるかぎるは、ふとユアンの姿に違和感を覚えた。昨日、装備らしい装備も全てうしなったはずのユアン。なのに、


「ちょっと、ユアン。なんであんたがあたしの弓と、トーノちゃんの竹刀持ってんのよ」


 質問に答える事もなく足早に歩くユアンは、かぎるの視線から逃げるようだった。


  4


 歩き始めると十分も経たずにしてリンドたちは八幡神社に到着した。本来なら正面を望む長い石造りの階段を上っていくのが参拝の礼というものであろうが、今はそんな悠長にも構えていられない。リンドたちは丁度神社の真裏側に位置する駐車場から境内の様子を窺う。駐車場から進み、舗装された山道を突っ切れば何の事はなく境内までは一直線である。しかし、そう簡単にはいかないのが世の常というヤツだ。


 山道には例の、ピンク色の肉塊『バク』が目に留まるだけでも四匹うろついていた。


「バケモノにも信仰心ってのはあんのかな?」ユアンが辟易とした調子で皮肉を呟く。

駐車場の隅、茂った笹林の影から様子を窺う四人がさてどうしたものか、と思案していたまさにその時だった。林から転がるようにして二匹のバクが這い出てきた。

「うそ」愕然とした声をかぎるが上げるのと、二匹のバクが威嚇の「ガアアア」という声を上げるのはほぼ同時だった。両腕をふり上げる、わざとらしいほどの威嚇に対して反射的にユアンがトーノにもらった竹刀を振るう。それはある種の破れかぶれにも似た行動。反射的に振るった鋭い一撃とは裏腹に、どこか冷めた頭の中では「さっさと逃げろ」と警鐘が鳴り響く。


 だが、バクはその一撃を受けて昏倒してしまった。

 

 予想外の出来事に「うそ」と今度はユアンが呟く。一同が唖然としている中で、もう一匹のバクが拳を振り回した。その素人然とした攻撃に脅威は全く感じられなかったが、避けた拍子にかぎるが尻餅をつく。

 リンドがペットボトルのフタを外し、トーノが戦具アルマを鞘から抜いた。しかし、その場に居る誰もが反撃の態勢を整えるより早く、一本のナイフがそのちょっとしたドタバタ劇に決着を着ける。

拳を振り回していたバクは、右のつぶらな瞳に風を切って飛んできたナイフが突き刺さるのを確認すると、思い出したように大の字に倒れた。

 四人が拍子抜けたように転がるバクを見つめる中、場にひょっこりと現れた全身黒づくめにニットキャップの小柄な男は、何事もなかったかのようにバクの右目からナイフを引っこ抜いた。そのあとで、薄い唇から「よう」と発した男の顔には、いつもの無表情が覗いている。


「……サリーくん」


 ユアンが呟くと、サリーは「まだ生きてて何より」と返したが、その声色に特に感情はない。


「今まで、どうしてたんですか?」


 リンドが尋ねると、サリーはおもむろにタバコを咥えて火を点けた。


「……あれからずっとベアトリーチェを探してんだが、全く持って手掛かりは無し。この辺りを当たってたら、化け物がウロチョロしててな、狩ってたとこだ。……ところでリンド、理由はわかんねーけど、この辺の化け物はまるで相手になんねーぞ」


 あれから一昼夜、モデル並みのスタイルを持つゴスロリ彼女を探していたサリーの言うとおり、何故だかバクの耐久力は、竹刀の一撃で沈むほどの人並程度になっているようだ。

 何かがあったのか――、リンドが一人思案するのを制するようにサリーが声を掛ける。


「で、お前らこそ何してんだ?」


 リンドが今までの経緯を話すと、それをサリーは黙って聞いていた。そして、聞き終えた後、意外な提案をしてきた。


「そんなら、正面側で俺があいつら引き付けておいてやるから、お前らは騒ぎが起こったら、このまま裏手から忍び込めばいいさ」


 人助けなどまるでさまにならないサリーからの自分が囮になるとの言を受けて、リンドは目を丸くする。「でも、サリーさん……」リンドが言葉を詰まらせると、サリーは続けた。


「お前、なんか勘違いしてねーか? さっきも言ったろが、俺はただあいつらを狩ってる最中なんだよ。別にお前らの為って訳じゃねーんだよ」


 腕組みしながらサリーの話を聞いていたユアンが、深々と溜息をついた。


「んーじゃあ、俺も囮やるよ。サリーくん一人にばっか、無理させらんねーしさ。」


 リンドが口を開くより早く、ユアンが話を続ける。


「ま、バクどもがあの程度だってんなら、時間稼ぐくらいは楽勝でいけるだろうしさ。その先に控えてんのが、プラナントカ使いっていう連中なら、結局俺じゃ戦えねーだろうし」


 そう言ったあとでユアンがねだると、サリーは渋々といった調子でタバコを一本手渡す。タバコは切らしているくせに、「ライターは自分のがあるッス」と言って手際よく火をつけた。

「まあ、任せとけ」呟いたユアンと、もはや何も語らぬサリー。紫煙を燻らせながら、二人の男はのんびりと戦場へと向かって歩き出した。


  5


 ユアンとサリーが姿を消して十分と経たないうちに、神社の正面を望む大階段の方が騒がしくなった。リンド達が潜む神社の裏側をうろついていたバクたちも、おぼつかない足取りでそちらを目指して走り出す。それを確認して、リンドとトーノ、かぎるの三人は息を殺して境内に足を踏み入れた。

 サリー先輩がついてれば大丈夫だろう――、リンドが自らにそう言い聞かせた時、剣帝ネィル・フー・トゥーンと神剣アテナイの刃が鈍く光り出した。姿を隠していても魔剣ハーデスに近づけば近づくほど互いの共鳴作用により刃の輝きは増す――、と昨夜ネィル・フー・トゥーンは言っていた。その輝きを辿るようにして、歩くリンド達はやがて本殿の前へと辿り着いた。


「ここにあるのか……?」


 両隣を見る。トーノとかぎるが揃って頷く。リンドは頑丈な造りの木戸を押し開いた。


 ぼんやりとした薄暗い本殿内に三人が目を凝らす。森厳とした趣と澄んだ空気。二本並んだ檜の大柱の最奥、その一際濃い闇の中から男のくぐもった声が響く。


「どうやら此処で正解らしいが、結局、先に見つけんのは無理だったなぁ」


 その瞬間、三人は一斉に互いの剣を身構えた。しかし、言葉を発したはずの長身の男はそんな三人の所作になど興味もやる気もなさげにただ溜息をついた。変わって、傍らに立つ小柄な影が浮き立つような声を上げた。


「ま、いいじゃない。これはこれで楽しみが増えたんだしぃ」


 少女のような顔をおもいきり破顔させる少年のきらきらと輝く瞳に、面倒くさそうに逆立てた頭を搔きむしると、長身の男はリンド達を見据えた。


「〝嫉妬リヴァイアサン〟の櫛灘紅音くしなだあかねだ。取りあえず、お前ら、もう逃げらんねぇから、大人しく降参しな」

 

 紅音と名乗った男はわざとらしく腕を宙へと伸ばすと、指をパチンと鳴らした。すると本殿内の闇に紛れていた影が動き出す。そこには無数のバクがいた。

 罠か――、リンドは踵を返したが、予め本殿の裏に隠れていたらしいバクに出口を塞がれる。


「面倒くせぇから、先に説明させてもらうけどよ。俺の嫉妬リヴァイアサンは対象物のデータを読み取ってコピーするってだけの能力でな。はっきり言って戦闘向きってヤツじゃあ無いんだけどよ。それを自我のデータを持たないバクに、俺様の自我データをダウンロードをしてやりゃ、はい即効で俺様専属の下僕の出来上がりってわけさ。まぁ、俺様の自我データを上書きしてるあたり、下僕っつーよりは俺様の分身ってー方が近いんだけどよ。……っつっても何の話かさっぱり分かんねーか? まぁ簡単に言ゃあ、元々は大した事のねー能力でも、この『世界』じゃ、まるで最強ってこった。そんな訳だからよ、面倒くせぇから抵抗すんなよ?」


 リンドには男の言っている事も、意味不明の単語を理解する事も出来ない。だが、男が、この広い本殿内を埋め尽くすほどのバクを操っていること。つまりはこの絶望的状況を支配している事は理解出来た。ここだけでも四、五十のバクはいるだろう。ユアンとサリーが引き付けてくれているバクも合わせれば一体どれだけになるのか。もはやそれ以上は考えたくもなかった。


 櫛灘紅音は悦に入るような視線でリンドを見据えていた。すると、それを気に食わないとでもいうように、隣に立つ少年が咳払いをする。

 紅音は少年を煩わしい物でも見るように一瞥すると、面倒くさそうに顎で合図を送る。それを見届けてから、少年は満を持して名乗りを上げようとした。

 しかしその間際、かぎるが震えるように呟いた。


「うそ……どうして、クロエちゃんがこんなこと……」


 少年の明るい笑顔は一瞬で消え去ると、苛立つような表情へと変わり、舌打ちだけが響いた。


「ざーんねんだけどぉ、僕は黒恵くろえケイじゃないよ。ケイの弟のキリ。〝暴食ベルゼブブ〟の黒恵キリさぁ」

 

 少年は話しながら笑顔を取り戻したが、それはさっきまでとは違い人を蔑むような毒々しい嘲笑へと変わっていた。

 リンドの脳裏に記憶が蘇る。小柄な身長に綺麗な顔立ちは中性的であり、その姿は確かに以前かぎるに見せてもらった雑誌に載っていたモデルのクロエそのものだった。それは即ちリンドがかぎるに雑誌を見せてもらった半年前の姿、そのままという意味で、だ。

 だが、その雑誌の女性がこれ程までに醜悪な表情を作れるなどとは、リンドには到底思えない。だから、それが瓜二つの弟だからだと言われれば納得のしようもあるのかもしれないが、かぎるにとってはそれが本人だろうが弟だろうが許せない事には変わりが無かった。


 クロエは、かぎるにとって、運命の人だった――。


 中学生活も終わりに差し掛かる三年生の半ば、かぎるは一人悩み続けていた。

 それは、自分はこのままでいいのか、という思春期特有の実に他愛の無い悩みに過ぎなかったが、かぎるにとっては大問題で。「自分には何もない」そんな焦りに、ただただ追い込まれていた。確かに頭が良いと人に威張れるほどのものではないにしろ、下位に属している訳でもない。何よりスポーツ万能で短距離走では県の代表に選ばれるほどの足の速さは、アドバンテージ意外の何者でもないだろう、中学時代のリンドもゆかりも、ユアンでさえそう言ってはばからなかったが、当の本人には至って不満だったらしい。

 そんな彼女が二ヶ月にも及ぶそのモヤモヤから抜け出せたのは、まさにそのクロエのおかげだった。


「ねぇねぇ見てよリンド!!」興奮するかぎるが持って来た彼女愛読のファッション雑誌の特集は、モデルたちの休日なるもので。その中の一人がかぎるご贔屓のクロエだった。彼女はその特集の中で自身の趣味、アニメフィギュアの収集とプラモデル作りを公言していた。

「ね!」というかぎるに、「は!?」と答えただけのリンドだったが、当のかぎるは「あたしは、あたしのままでいいんだ」と、リンドの答えなど最初から期待していなかったかのように一人夢心地。

 その日をして運命の日と位置づけたかぎるは、それからというものゆかりを巻き込んで、自身のルーツと言い切った九十年代のアニメの探求に勤しんでいる。そのまま高校進学を果たしたかぎるの言い分によれば、蒼姉あおねえに付き合って自身の身体能力を伸ばしている場合ではない――らしい。


 その人にとって価値のある人物の堕悪は、限りのない衝撃に満ちている。

 リンドやユアンにとっての千歳翠子がそうであったように。

 かぎるにとっては、それがモデルのクロエ自身ではなく、弟だから許されるという類のものではなかった。そんな悪いことに付き合ってお姉ちゃんが知ったら悲しむよ――、かぎるの瞳に浮かぶやや傍迷惑なその冷めた怒りを、黒恵キリは十分に理解しているのだろう。だからこそ、尚更にわざと醜悪な表情を作って見せているのだ。リンドはそれを十分に察した。だが、リンドが行動を起こすより早く黒恵キリが吼えた。


「るっせぇーんだよ!! アイディー持ちがグダグダと、くっだらねぇー事ばっか言いやがって! おまえらの為に生かされてる者の! 自分には何も無い者のっ、アイディーの痛みも苦しみも知らねぇーくせしやがって!!」

 

 怒号の中で、リンドはぼんやりと思い出す。


 アンノウン――。


 アイディー――。


 何処かで聞いた言葉はネィル・フー・トゥーンを手に入れたときの、あの公園でフードの男が言っていた言葉。しかし、リンドの思考を断ち切るように黒恵キリが吐き捨てる。


「……もういいよ、お前ら、殺すからさぁ……喰くらい尽くせ、〝暴食べルゼブブ〟!!」

 

 黒恵キリの正面に小さな点、染みと呼べる黒の滲みが現れたと思った刹那、それは人一人覆う程の大きさへと膨張。キリの邪悪な笑みを置き去りに、球体を形成した暗黒が音もなく走る。


「キリ、やめろ!! そいつらは生かして連れて来いってジャッジマンが……」


 櫛灘紅音が言葉を言い終えるより先に、黒の球体はかぎるの眼前でピタリと静止する。かぎるが逸らせずにいるその眼前で、歴史を感じさせる木の匂いと、本殿内のふわりと舞った埃が掃除機にでも吸われたように底の見えない闇の中へと吸い込まれた。

 そのあとで尻餅をついたかぎると、霧散というより最初から何も無かったかのようにして消えた球体を見るでもなく、キリは紅音へと振り返る。


「わーかってますって、じょーだん、ほんのじょーだんですって」


 少し意地悪そうに舌を出してみせるキリだったが、その瞳の色は薄暗い。

 紅音はそれを見て安堵の表情を見せつつも、小さな溜息をついた。それは傍目にも『子供』に引っ掻き回される『大人』の苛立ちを理解させるのに十分な所作。

「ともかく、だ」と紅音は早口に仕切り直す。それは、キリに一時持っていかれた手綱を握りなおすという意識の表れ。

 眼前の二人の悶着に、リンドはひとり逆転の為の思考をフル回転させる。しかし、すでに締めに取り掛かった紅音が継いだ言葉に完全にその息の根を止められる。


「俺様達の仕事はハーデスの確保と、お前らをジャッジマンの元に連れてく事なわけで。そっから先は、ジャッジマンとお前らで勝手にやってくれりゃあいいさ。まあ、なんだ。この圧倒的戦力差でもって、諦めてくれっとありがてぇんだが。ま、こっちにゃ人質もいるわけだしよ」


 本殿の裏戸から入ってきた二体のバクが床に放り投げた先で、ユアンとサリーが転がった。微かに身体を動かすのを見て、二人の息があるらしいという事と、打つ手は完全に無くなったという事をリンドは同時に理解する。思考のフル回転、それも半回転ほどでリンドはすでに詰んでいた。深く息を吐くと、未だ剣を構えるトーノと尻餅をついたままのかぎるに終わりを報せるように、リンドは携えた剣帝ネィル・フー・トゥーンの剣先を下げる。


 しかし、降伏の意思を示すように愛刀を床に置こうとした矢先、それは起こった。


 本殿の木戸が音を立てて破裂するや、けたたましい銃声が鳴り響く。木戸近くにいたバク達がバタバタと倒れていくのを見て、リンドはトーノとかぎるの身体を庇うように床に伏せた。

 バクの死体が転がり、埃くさい臭いが覆う中を掻き分けるようにして、サブマシンガンを装備した迷彩服にガスマスク姿という集団が本殿内に入ってくる。その後でのんびりとあくび交じりに入って来た、一見して畑違いのストライプ柄のカッチリしたスーツ姿の男。青色のプラスチックフレームの眼鏡、ぱっつりと切り揃えられた黒髪が印象的な若い男は辺りを見回すと満足そうに笑った。


「や、どうも。どうやら、閉幕前には間に合いましたかね?」


 男を取り囲むガスマスクの集団に、先程の銃撃で腹部から血を流しつつも辛うじて息のあるバクが掴みかかった。

 バクが掴み、剥ぎ取ったガスマスクの下から出てきたのもまた、ピンク色をしたバクの顔であったが、そちらのバクは細身で顔中にツギハギを縫い合わせたような傷があった。ガスマスクを剥ぎ取られた迷彩服のバクは何事もなかったかのように、銃口を向けると引きがねを引く。ガスマスクを握ったままで、バクの顔にはその原型を留めぬほどに穴が開いた。

 その場にいた五十近い数のバクがたじろぐ。

 同じバクとはいえ、紅音の種明かしによれば、紅音専属の僕ともいうべき彼らは、所詮は紅音の自我データを分け与えられた分身に過ぎない。つまりは人間の心理の域を超えてはいないのだ。だからこそ、殴りつければ気絶もするし、銃で撃たれれば死んでしまう。どんなにも凄い力を持っていても、銃の殺傷能力を理解し恐れているのは、人としての、櫛灘紅音自身に他ならないのだ――、リンドは倒れこんだ姿勢のままで、紅音を見上げる。

 紅音は苦々しい表情を浮べると言葉を搾り出した。


「なんでお前らがしゃしゃってんだ、クロノ・クロイツ!!」


「だって、魔剣ハーデス。そりゃ、欲しいでしょ」


 事も無げに話す青色フレームの眼鏡の男は、そのままで続けた。


「すり潰せ、ユリウス」


 唸るような排気音が轟いた。迷彩服のバク達が道を開ける。その中を、煌びやかな金色の装飾が全身に施された生気の無い顔をした美しい青年が歩み出た。あまりの滑らかな動きに一瞬では解らなかったが、その作りは骨組みだけのマネキン人形に金色の外装をはめ込んだだけの危ういほどの脆さでしかない。それに気づいたリンドが呟く。


「……ユアンの言ってたゼンマイ仕掛けの人形」


 金色の外装の隙間に覗く骨格や巨大な歯車。まるで科学雑誌の付録のようなお粗末な部品の数々。見た目の無機質さとはあまりにかけ離れた、人間のものとしか思えない程の滑らかな動きに恐怖を感じつつも、リンドはそれから目を離す事が出来ない。ゆったりと歩くそれから目を離せなかったのは紅音も同じだったが、一瞬のち、我に返った彼は唸るように吼えた。


「……くそっ! 我が痛みを知れ、〝嫉妬リヴァイアサン〟!!」


 その名を告げると同時に紅音の傍らに現れた影。

 それは白いドレスを纏ったやせ細った女性のフォルム。長い黒髪から覗く顔、両の瞳を覆うドレスと同色の包帯に表情は分からないまでも苦しみ悶えているように映る。

 女の胸元には、一見すると幼児が食事をする時に使用するテーブル状の物が伸びていた。白いドレスの胸元と融合するようにして生えているその上で、女はピアノでも引くように指を動かす。


 キーボードみたいだ――、目を凝らしたリンドは何となく思ったが、しかし、それは紛れも無く白いノートパソコンの形状をしていた。


 女がパソコンのキーを叩くと、ブルブルと震えだしたバクから、唯一感情的だった瞳の色が失われる。間もなくして血気盛んで食欲旺盛な元の姿を取り戻したバクの群れ。そしてその視線は、必然的に悠然と歩み寄ってくるゼンマイ仕掛けの人形を捉えた。

 ユリウスと呼ばれた人形に、鼻息荒く一匹が飛び掛ると、後を追うように数匹のバクも動いた。

 マネキンの表情は曇る事なく、ユリウスは右手を持ち上げる。瞬間、右手が弾き飛ぶと、手首から筒状のものが顔を出した。


「ブリューナク、ノ、ヤリ、ソウシャ」


 抑制された声が響いた次の瞬間、筒から眩いばかりの金色の光が帯となって放出された。

 それは次々とバクを貫き、貫かれたバクは次々とウィルスにでも冒されるようにそこから広がる金色の光に呑まれては消えていく。紅音によって〝嫉妬リヴァイアサン〟からの呪縛を解かれ、バクは本来の力を取り戻していたが、それでもなおユリウスとの力の差は歴然だった。


 バクが消えるたび「くそっ! くそっ!」と苦々しい声を上げていた紅音だったが、覚悟を決めるというより、打つ手を失い狼狽する声で、自身では不本意極まりないその言葉を告げた。


「……ハ、ル…ニ…レ……」


 白いドレスに呑まれるようにして同化すると、女の胸元に張り付いたノートパソコンの液晶画面に紅音の顔が映る。女の額は音もなく裂けると、爛々と輝く巨大な赤い目玉が出現し、女の腕は目玉の無い数十匹もの蛇へと形を変える。舌をチロチロと出し、うねるように動くおぞましい数の蛇は、鋭い牙を立てるように一斉にユリウス目掛けて襲い掛かった。


 いまや蛇の化け物と化した紅音と、その紅音の蛇をブリューナクの閃光で打ち落とし続けるユリウスの姿に、リンドもトーノもかぎるも釘付けのままで動けない。


 その時、彼らの視界から外れた本殿内の端でひとつの影が身を起こしたが、それに気づいた者は誰一人としていなかった。


  6


 ユアンこと柚子原庵がリンドたちと同じ、伏姫中学校に転校してきたのは中学二年の夏だった。

 前の中学ですでにヤンチャの極みだった彼は、新しいクラスでの自己紹介の挨拶の時も、逆立てた下品なまでの金髪に、訳の分からない四文字熟語があちらこちらに刺繍された長ランと呼ぶにしても余りに丈の長い学生服を着ていた。そんな彼に一人だけ爆笑する制服の上にジャージを羽織る女生徒は無視して、彼が真っ先に目を付けたのは、クラスの中でも一際目立つ背の高い男子生徒だった。こういうのはまず初めが肝心だ、と今までの経験から学んでいた彼は転校早々にしてその男子生徒に喧嘩を売った。

 その男子生徒、当時のリンドこと氷ヶ守燐人は、普段ならそんな安い挑発になど乗る事も無いのだが、運悪く丁度その頃の彼ほんの少しだけ荒んでいた。膝の怪我で、バスケ部の選抜メンバーから外れたのがその原因だった。

 むしゃくしゃとした気持ちを爆発させるというその安直な理由で、二人はその日の放課後、早々にして学校の屋上で一対一の勝負をするという恥ずかしい行為(後にリンド曰く、一生の後悔)に及んでしまった。

 結果、ユアンは人生初の敗北を喫し、バスケの出来ない憂さを晴らしたつもりのリンドもそれがバレて部活自体への半年間の出禁を喰った。

 上には上がいるものだな、と目から鱗の落ちたユアンはそれ以来、一緒に近隣の中学を支配して天下を取ろうなどと言って、何かにつけてリンドに付きまとい勧誘しまくった。

 リンドの誕生日には、自分の『狂王キョウオウ』使用の物と同じ、『悪来アクライ』と刺繍された白い特攻服を贈ったり、またある時は「バスケのできない鬱憤を、俺と一緒に拳で晴らそう」などと自覚の無い殺し文句で誘ったりもした。

 結局、転校してから卒業するまで、ユアンがクラスから浮いていたのは変わらなかったが、怖いもの知らずの風早かぎるや、他の生徒との溝を少しでも埋めようと必要以上に躍起だった美作ゆかり、そして、何のかんの言いつつも放っておけない性格の根っからのお人よし、リンドのおかげで、それなりに楽しいスクールライフを送れたものである。

 

 しかし――、とユアンは思った。しかし、ここまでボロクソにやられたのはいつ以来だろう?

 

 ――ああ、あの時以来だ。ハッチの秘策で五人までは倒したものの、囲まれてボコボコに殴られた岸中との決戦以来だ。あの時も、結局最後には助けに来てくれたっけな、リンド……。

 

 その時、ユアンの体がビクリと震えた。


 ――ヤベ、これって走馬灯? 走馬灯じゃね!? 


 這いつくばったままで、何とか首をもたげてみるが身体はそれ以上動かない。それでも現状を把握すべく、今見た情報を整理しようとしたが、それはそれで余計に混乱するだけだった。

 囮を勤めるというには随分と割に合わない数のバクの集団に囲まれボコボコにされ、身動きできなくなった身体を一匹のバクに背負われて運ばれた八幡神社の境内、その本殿。なんとか首をもたげた先では黒い球体がかぎるの眼前へと迫るのを見た。


 それを正面に向かえて、長く伸びたかぎるの――影。

 だから、その球体はまるで黒い太陽のようだと思った。

 そして、かぎるに向けて声を上げようとした瞬間、ユアンの意識はぱったりと遠のいた。

 

 それからどれくらいの時間が経過したのか――、しかし意識を取り戻して見上げ先で世界観は一変している。

 自身の視界に映るのは、以前に見たゼンマイ仕掛けの人形と蛇の怪物が対峙するそんな光景。

 いつの間に、怪獣大決戦の様相を呈していたのだろう――、自問するユアンは、すぐ隣で起きた出来事に更に目を丸くした。

 同じくボコボコにされたはずのサリーが、すっくと立ち上がると膝についた砂を払っていた。


「……サリーくん、なんで立てるの?」


 呻くように喋るユアンを、サリーは見下ろした。


「あんまり殴られねーうちに、やられたフリしたからな。俺は初めっから、なるべく無傷でここに来たかったんだよ」


 なんだよそれ、先に言っといてよ――。ユアンは止めを刺されたように、再びうつぶせると動かなくなった。

 ユアンのことなど無視して、サリーは本殿内の中ほどにある檜の大柱へと向かった。


「来てやったぞ、さっさとしな」


 サリーが告げると同時に、柱の中から黒い装飾の施された小太刀と呼べるほどの小振りな剣が出現する。

 サリーの差し伸べた左手に剣は滑り落ちた。


  7


 出現すると同時に、剣は辺りに黒い閃光を放った。それでようやくリンドたちは、サリーが立ち上がっている事に気づいた。三人は駆け寄ると、サリーの掌に乗るそれを見る。


「……これが魔剣ハーデス? ……ってことは、サリー先輩がその所有者って事ですか?」


 リンドが訊くと、サリーは「ふぅん」と鼻を鳴らした。


「そういう名前なのか、コイツは。俺はコイツが早く来いってうるさいから来ただけだ」


 リンドは声も出なかった。この人は最初から囮になるつもりはなかったって事だ――、思い知ったリンドには返す言葉も無い。やれやれと、安堵とも苦笑いともとれぬ感情に口元を緩めたリンドは、一瞬間の後で囮の囮にされた残念な友の事を思い出す。


「ところで、サリー先輩。ユアンのヤツは?」


「多分、まだ生きてんじゃね?」サリーが呟くと同時に、うつ伏せのユアンを見つけたかぎるが「ぎゃあー」と叫んだ。


「まったく、どうしてあんたは、いっつもいっつも死に掛けてんのよ!!」


 口ではそう言いつつも、ユアンの怪我を〝凪風トネリコ〟で癒すかぎるに安堵の色が浮かぶ。

「人の悪いサリーくんのせいだっての」ブツブツ文句を言いながら胡坐がかけるほどに回復したユアンだったが、その後ろにいつの間にか忍び寄った影が声をかけた瞬間、「ひゃっ」と言って今更ながらに死んだフリをする。


「いやはや、先越されちゃいましたかぁ」


 一同の視線を集めるようにして、青色フレームの眼鏡を掛けた男が立っていた。


「私らの目的は所有者込みでは無くて純粋に剣の収集なもんですから、ここであなた方を皆殺しにすれば話が早いんでしょうがねぇ……。どうやら、時間がないようです。私らはこれでお暇しましょう。向こうも終わったようですしね……」


 彼が視線を預けた先をリンドがちらと覗き込むと、ユリウスの最後の一撃で蛇の怪物が崩れ落ちるところだった。その一瞬間の後、紅音は赤い砂と化して消えていく。

 早々と踵を返そうとする男を、リンドが呼び止めた。


 こいつらがクロノ・クロイツなら確かめなければ――、リンドは質問を紡ごうとした。だが、機先を制するように男の方が口を開いた。


「そう焦るものではないよ、氷ヶ守燐人くん」


 今しがた会ったばかりの男にフルネームで呼ばれて、リンドに緊張が走る。それを見て含み笑いを浮べながら、男は話を続けた。


「『所有者』の事くらい調べておきますよ、そりゃあね。聞きたいのは清南の生徒の事でしょう? ……美作ゆかりちゃんでしたっけ、幼馴染らしいですね」

 

 掴みかからんばかりのリンドを制するように、男は皮手袋の右手を広げて見せる。そして、左手でズボンのポケットから名刺入れを取り出すと仰々しく一枚抜き取った。


「クロノ・クロイツの『カリグラ』です。以後、お見知りおきを」


 差し出した名刺には、クロイツ・コーポレーション 営業課 係長 沼田新太郎 が×印をされて、クロノ・クロイツ 作戦参謀長 カリグラ と記されてある。


「まだ、清南の生徒には手を出してませんから、とりあえずは安心を。ゆかりちゃんも含めて清南の生徒は、その名刺に記載されている本社ビルにいるので、助けたかったら訪ねて来て下さい。手土産代わりに、集めた剣はくれぐれも忘れずにね」


 薄笑うカリグラは、倒れ伏すユアン以外を順に見回したが、サリーのところで視線を止めた。


「ああ、そういえば清南以外の生徒も何人か混ざってましたねぇ。その中の一人に変わった格好の女生徒がいました。なんて言うんですか、あれ。そうそうゴシックロリータ風とでもいうのかな。格好はどうあれ、綺麗な子でしたね」


 サリーの瞳が鋭くなる。カリグラの発言は、全て分かった上でのものだと誰もが理解した。


「まあ。彼女らがああなる前に助けに来ることですねぇ。……行くぞ、ナルコレプシー」


 カリグラは、ゆかりやベアトリスが最終的に行き着く先になるだろうと匂わせたガスマスクたちを引き連れて本殿から姿を消した。


  8


 それから五分と経たずして、リンドはカリグラが引き上げた理由を理解した。彼らの宿敵ともいうべき御影慎の率いるフォウシャール・クロイツが姿を現したからである。

 総勢二十名のフォウシャール・クロイツの一隊が本殿内を制圧した時には、カリグラとガスマスクたちも、そして、黒恵キリの姿も既になかった。


「遅れて、すまない」謝罪した後、リンドから本殿内での経緯を受け、御影は続けた。


「クロノ・クロイツ、連中の本社ビルは最初の段階で調べてあったんだがもぬけの殻だった。だが、ほとぼりが冷めた後でまた連中の基地になっていたとは……盲点だったよ」


 御影の言葉には苦々しさが満ちていた。そんな御影に「このあと、どうする気ですか?」とリンドが尋ねると、御影は佇まいを直して答えた。


「無論、総攻撃を掛けるさ」


 御影の目を、リンドは真っ直ぐに見据える。そして、「俺も行きます」そう告げた。

 御影とてリンドがそう言い出すのは承知の上だった。本来なら裏切り者たるクロノ・クロイツを倒すべきはフォウシャール・クロイツ自体の問題だった。だが、自分達の大切な人を助け出す為にどの道彼らはそこを目指すだろう。それを理解していればこそ、


「ありがとう。助かるよ……でも、無理だけはしないでくれよな」

 

 悩みながらも、御影はリンドの申し出を快諾する。固く握手を交わした後、二人は離れた。


 リンドがふと見ると、そこにはユアンを意地悪そうに小突くかぎるの姿と、少し離れた場所で本殿内の窓から空を見上げるトーノの姿が映った。サリーの姿はすでにない。あまり集団でいるのを好ましく思わないサリーのことだ。おそらく外で一服でもしているのだろう。なんとなくそんな風に当たりをつけながら、リンドは助け舟を出す為にユアンの元へと向かった。


 年相応にはしゃぐ三人の学生。それを複雑そうに眺めた後、御影はトーノの元へと向かった。


「どう? 記憶は戻ったかい?」


 御影の問いに、「少しだけ」とトーノは答える。

 それは本当のことだった。

 御影たちフォウシャール・クロイツの面々と顔を合わせてから、自分が何者なのか朧げながらもトーノは少しずつ思い出し始めていた。しかし、それがなかなか捗らないのは彼女自身に問題があるからに他ならない。

 記憶を思い出すことを喜ばしく思う反面、思い出してしまったら全てが変わってしまうかもしれないという恐怖。その為、実は記憶が少しずつ戻り始めているということを、リンドにも話せずにいた。


 私は記憶なんていらないのかもしれない。私はただ、このままで在り続けたい。このまま、リンド達と一緒に旅を続けられるなら、それだけでいいのかもしれない――。

 

 それが今のトーノの正直な気持ちだった。御影はそれを承知しているかのように、トーノに向かって微笑んだ。


「その時が来るまで、君は君の思うとおりに精一杯生きて良いんだよ」


 御影の言葉が、頭の中を通り過ぎる。

 その時。


 トーノは全ての記憶を取り戻した。


 自分が何者で、何を成すべきなのか。それを理解するということは、残酷なまでに自分の運命をも理解するということだった。

 全てを理解した彼女の瞳から、止め処なく涙が溢れ出る。それをリンドには決して見られることのないよう窓の外へと俯いたままで、声を殺してトーノは泣いた。


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