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第四章 クリムタ

  1


 バカな――、その場に居る誰もがそう思った。


 煙のように現れたバクの口の中にヒリューの上半身はすっぱりと飲み込まれている。バクがいつ、どこからか現れたのか認識できた者は誰一人としていない。その疑問が頭を駆け巡る前にリンドだけがただ一人行動を起す。それはバクの二度目の嚥下でヒリューの身体が踝から上まで一瞬で見えなくなるのと同時だった。


「来い! ネィル・フー・トゥーン!!」


 リンドの上着の右ポケットから顔を出すペットボトルの蓋が勢い良く弾かれると、中の水道水が噴水のように飛び出す。空中で剣の形へと実体化したそれを掴むと、リンドはそれをバクの腹部目掛けて斜めに振り下ろした。手にした瞬間、始水・〝断ち切るウスラヒ〟へと形状を変えたその青き刃はバクの腹部を真二つに割いた。しかし、割かれた腹部から血を流す事も、蚊に刺された程の表情を浮かべる事もなく、バクは三度目の嚥下でその食事を済ませる。

 たちどころにしてバクの腹の傷が修復していく中、ネィル・フー・トゥーンの冷静で、無慈悲な言葉だけがリンドの頭の中で響く。


「あれは決して殺せぬ。リンドこれ以上は無意味だ。あの男はたった今消滅した」


 トトラを失った時と同様の感情にリンドが飲み込まれていくその瞬間、ギョロリと視線を移したバクの双眼を二本のナイフが打ち抜いた。


「さっさと逃げんぞ!!」


 ふいに響く声。その主は、こっちに来いとジェスチャーしている。そこは通りへと抜ける道。

 少しの理性が働けば、そうすべきなのは当然の事である。この化け物を引き連れて如月高校に逃げ帰る訳にはいかないのだから。しかし、ヒリューを失い完全に瓦解したパーティはその自殺行為に至る直前だった。

 いち早く我を取り戻したユアンがトーノとかぎるの手を引いて駆け出す。

 遅れて走り出したリンドのすぐ後方で、両の瞳に刺さるナイフを引き抜いたバクが手探りで動き出そうとした瞬間、男の放った三本目のナイフがその額に深々と突き刺さった。


 小柄な男に先導されてひたすらに駆け、四人が到着したのは年季の入った古いアパートだった。

 息を切らした様子も見られないポーカーフェイスで、男は二階へと続く錆びれた階段を昇っていく。その度に身に着けたアクセサリー類がジャラジャラと鳴った。


「しかし、ヒリューさんまでやられちまうとはな」

 

 男が呟く。しかしセリフとは裏腹に男の声に響きはない。それは感情が無いというよりも、何が起こっても不思議ではない現状を誰より理解し、順応できているかのようだった。

 今しがたの惨劇から立ち直る術も見つからない中で、唯一ユアンだけが男に尋ねる。


「でも、サリーくん。こんなボロアパートに逃げてどうするつもりなんスか?」


 階段を昇り終えると、サリーと呼ばれた小柄な男は、呆れたようにユアンのいる後ろへと振り返った。 目深に被ったニットキャップの奥で冷たい視線が覗く。


「お前こそ、モップなんか持ってどうするつもりだ? 丁度、俺のナイフも底をついちまった事だし、お前の分も見繕ってやるよ」


 そう言い残してサリーは、古いアパートの二階奥の部屋まで進むと、玄関ドアの前へと立つ。

「ナカバァ、じゃまするぞ」言うが早いか簡素な作りの木製のドアを蹴り破った。四人が呆然とするのも意に介さず、部屋の中へと入っていったサリーがのんびりとした声を上げる。


「なんだ、いねーのか? ひょっとしてやられちまったかぁ?」


 恐る恐る部屋の中へと入る四人の事など気にもとめず、家捜しを始めたサリーが押し入れを開いた時、ユアンはその中身に釘付けになった。


「……サリーくんなんスか、これ?」


 押し入れの中には小さなナイフから大振りの青龍刀まで、剣刀類がずらりと並んでいた。

 市内にその名をとどろかす悪の華ゲッコー。称して『キサラギ』と呼ばれる如月高校普通科の生徒とは、正反対のギラギラとした不良生徒の巣窟たる如月高校機械科の生徒達。そんな彼らは授業のボイコットなど日常茶飯事のくせに、そのほとんどがなぜだか無遅刻、無欠席だった。おそらく学校が大好きなのであろう彼ら『ゲッコー』の生徒と『キサラギ』の生徒はなんのかんので上手いこと共存していた。

 ご多分に漏れず、ゲッコー二年の中でも特に異彩を放つ――紗梨一夜さなしかずや、通称『サリー』もそんな連中の一人である。

 着崩しすぎて原形を留めていないゴシックロリータ調の制服がトレードマークの、スタイル抜群の美女。同姓からの支持率も高い、如月高校普通科二年の――杏子・ベアトリス・天城山。ベアトーリチェの愛称で知られる彼女と、恋人たるサリーは、いつもと変わらぬ通学の途中で今回の事態に巻き込まれたらしい。


「突然現れたピンクの化物を、ベアトリーチェと二人で穴だらけにしてたんだけどな……」


 サリーとその恋人が数多のナイフを隠し持つのを、ゲッコー生徒で知らぬ者はいない。だが。なんつー恐ろしいことをさらりと言うんだこの人は――、リンドとユアンの頬は引き攣った。


「……そこにバスが突っ込んできて、狭い路地に逃げ込んだベアトリーチェと分断されちまった。声を聞いた限り無事のようだったが、俺が迂回して路地に行った時にはベアトリーチェの姿はなかった。……おそらく化物から逃げ延びたとは思うんだがな……」


 サリーは話し終えると取り出したタバコに火を点けゆっくりと煙を吐き出す。その後で思い出したようにユアンにタバコを勧めた。


「ベアトリーチェさん。ゲッコーにはいなかったっスよ」


 当たり前のように受け取ったタバコに火を点けたユアンがそう告げると、


「なら、ゲッコーに行く手間は省けたな」


 サリーは紫煙交じりにさらりと答えた。ニコチンを取り込むユアンの傍らでは、行きつけの武器屋で彼に見繕ってもらった金属バットにナイフが一本、それにメリケンサックが手持ちぶさたのように並べてある。かぎるとトーノは自分達にはそれぞれ弓と竹刀があるから、と気持ちだけ貰っておいた。……そもそもが、ここの商品は元々サリーの物ではないのだが。

 リンドにだけは特に何も勧めなかったサリーだが、タバコを吸い終えるとボトルに水を詰めなおすリンドの顔をゆっくりと見上げた。


「リンド、ペットボトルの水を剣に変えてたあれは神様からのギフトってヤツか? 面白そうだな。せっかくの機会だし、俺とやりあっとくか? お互い生きてるうちによ」

 

 リンドの顔を見つけるたび、独特のプレッシャーと共に発せられるいつもの嫌み。だが、目深に被ったニットキャップの奥で意地悪そうに笑う。

 かぶりをふりつつも、リンドはサリーが笑うのを初めてみた気がした。


「俺はこれからまたベアトリーチェを探しに行くが、お前らはどうするんだ?」


「知り合いを探しに清南高校に行く所です」


 サリーの質問に、リンドが答える。


「そうか。お互いの探しものが見つかると良いな」


 それだけ言ってサリーは、秘密の武器屋を後にした。


 再び四人になった一同は清南高校を目指して歩き出す。四人になった心細さに周りを静けさが包む。それを嫌がるようにかぎるは無意味に擬音を口にしていたが、ユアンはただ冷静に呆れ、トーノはその無駄なテンションに乗っかるタイミングを逃しオドオドしている。そんな中で唯一、リンドだけが無言のまま歩を進める。前だけを見つめたその表情は暗い。

 それに気付いたユアンが大げさに溜め息をつく。


「暗ーいっ! お前はもう少し場の空気を考えろっての。かぎるなんかどーでも良いけど、お前がそんなだったらトーノちゃんが緊張すんだろが。確かにヒリューさんの事はショックだけどな、あの人はあの人の意志でゲッコーを出たんだよ。それをお前はまた自分の責任に感じてんのか。バカか、お前は。ヒリューさんが言ってたろ、こっから先は戦争だってよ。そんなおっかねートコに行くのが嫌なら隠れてりゃ良いんだ。それをこうしてお前と一緒に歩いてんのは自分の意志なんだよ、ヒリューさんだって俺たちだってみんな自分の意志で歩き始めてんだよ。俺が死ぬ事になっても、そりゃ俺に運がなかったってだけの話だ。いいか? お前の責任なんかじゃないからなっ、バカ」


 普段ならいつもは自分が説教する側のリンドは、ユアンに早口でまくしたてられ少し怯む。

「あ、ああ」と言うのが精一杯だった。一息で長ゼリフを言い終えて息のあがるユアンの傍らでかぎるが、あっけらかんとした表情で口を開く。


「何言ってんの、それがリンドの良いところじゃない。無責任でやさぐれてるユアンと違ってリンドはね、ちゃんと持ってんの、三分の一の純情な感情ってヤツを」


「無責任でやさぐれてるって、お前なぁ!」


 ユアンが声を荒げる事などおかまいなしに、キョトンとするトーノをかぎるが見つめる。


「あれ? トーノちゃん知らないの?」


 トーノとかぎるの顔が見つめ合う、その間わずか一瞬。


「ちょっと、リンド。トーノちゃん知らないって、飛天御……」


 気配も温度も確かに残っていた。

 しかし、かぎるが振り返った時、そこにリンドとユアンの姿はなかった。


  2


 分厚い雲に覆われてしまったかのような薄暗さが辺りを包んでいた。それが夜でない事くらい、ほんの数秒前まで晴天の下にいたリンドとユアンも解ってはいる。しかし、理性とは裏腹に現状の状況を理解しろというのはどだい無理な話だった。


「……リンド、これってつまりどういうことだろ?」


 ユアンの問い掛けに「俺に聞いたって分かるかよ」と答えたリンドだったが、知ってはいなくてもその感覚は覚えていた。それは、初めてネィル・フー・トゥーンと対峙した時の感覚に似ていた。つまりは今起こっている不思議な現象は、確実に人外の力が働いているということに。

 朧げな闇の中で、リンドとユアンの見つめる視線の先には二人が良く知る建物が映っていた。それは、つい数時間前に後にしたばかりの如月高校の校舎。だが、じっくり見ると細部のディティールが微妙に違うことに気が付く。誰かがうろ覚えで描いたような曖昧さを感じつつも、見知った建物のリアルさが尚更に不気味だった。


「俺たち二人だけ……ついでに言うなら、閉じ込められたっぽいな」


 校舎を見つめるリンドが、ユアンの声に振り向く。

 ユアンはかぎるとトーノが先程までいたはずの後ろを見つめていたが、そこに彼女たちの姿はなかった。あるのは一際濃い漆黒の靄。それは黒塗りの壁にも、果てなく続く底なしの闇にも見える。うろ覚えの如月高校の校舎を中心に、ぐるりを靄が取り囲んでいた。

 その先に何があるのか、ユアンが拾った石を放り投げようとした時、何者かが近づいてくる息づかいが聞こえた。

 それが、一人や二人のものでないと気付いたリンドとユアンが校舎側へと顔を向ける。

 死んだ魚のような薄暗い目をした若い男が五人、ブツブツ上言を繰り返しながら近づいて来る。その五人は五人共に下着だけの姿で、首だけ真鍮製と思しき首輪が巻かれていた。

 生ける屍じみたその姿に後ずさりしながら、リンドはボトルのキャップを外す。


「来い! ネィル・フー・トゥーン!!」


 だが、リンドの求めに応じることなく、左手に握られたペットボトルの中で水は小さく揺れるだけだった。ネィル・フー・トゥーンを召喚出来ず、一瞬狼狽したリンドの首に、ほぼ全裸の男の両手が触れようとした刹那、ユアンの声が響く。


「ヤなこった」


 声と同時に放たれたユアンの右フックは男の左頬をジャストミートし、男は地面に転がった。

 我に返るリンドを尻目に、二人目の男の鳩尾にユアンは蹴りを入れている。苦も無くユアンが退けている彼らの中に、知った顔が幾つかあるのにリンドも気付いた。

「こいつら如月の生徒だ……」リンドの呟きなど無視して、念仏のように「ミドリコサマの為、ミドリコサマの為」と繰り返す死んだ魚の目をする彼ら。念仏の合間に「リンドぉ、ユアン頼むから捕まってくれよぉ」と哀願の言葉を挟む度、「ヤなこった」とユアンが拳を振るう。

 孤軍奮闘していたユアンに、リンドが加勢するとあっという間にほぼ裸の男子生徒は五人とも地面を這っていた。

 息を切らすユアンに小休止の間もなく、新たに十人の下着姿の増援がやってくる。それを視界に留めて二人は走り出す。罠に違いないと解ってはいても、ここでイタズラに体力を消耗するよりはマシ。ただその一点だけを信じて校舎内へと駆け込んだ


 校内には男子生徒の他に首輪をした下着姿の女生徒の姿もあった。だが、テレビゲームのゾンビのように迫り来る彼女らに、ありがたみを感じる暇もなくその間を走り抜けては二階へと上る。追ってくる彼らや彼女らを首だけ振り返って確認したあとでリンドが呟く。


「全員じゃない」


「は?」息も絶え絶えにユアンが尋ねると、リンドが答えた。


「ここにいるのは生徒全員じゃない」


 だからそれがなんなんだ、口にする元気もないようなユアン。リンドが説明を続ける。


「この校舎は偽物だけど、生徒は本物だ。殴られれば痛いし、疲れもする。おそらく何らかの方法でここに何十人かが閉じ込められてるんだ」


 数に限りがあるとはいえ、閉じ込められた校舎内で鬼ごっこを続けた所で救いの道はない。その説明に何一つ救いを見出せないユアンは、「じゃあ、どうする? たてこもるか?」

 相手が生身の人間で撃退できるなら、それしか道は無い。とはいえ、


「教室……は無理だな。数で来られちゃどうしようもない。だったら……体育館だ!」


 ユアン会心の答えにリンドは怪訝な顔をした。それはダテメガネの知的キャラを演出してはいても、薄い根拠に裏打ちされるいつもの厄介ごとを運んでくる友の習性を誰より理解していればこそ。それを感じ取るようにユアンは、面倒くさそうに、だが矢継ぎ早に、


「体育館の用具室だよ、リンド。あそこなら窓から入ってこれないし、入り口も一つ、それなら撃退も楽だし、使えそうな物も何かしらあるだろ?」


 すぐに用具室がゲッコー生徒御用達の喫煙所で、それゆえのユアンの解答と当たりをつけては、頼りのなさにリンドの不安はますます募る。だが、立ち止まってもいられない。せっかくサリーに見繕ってもらった武器の類は誰の一つもユアンの手元には残っていなかったし、ネィル・フー・トゥーンを失ったリンドとて戦力的には似たところ。相手が生身の人間とはいえ、ゲンコツだけであれだけの人数を相手にはできない。


 リンドが頷く。そして振り返る事もなく二人は階段を駆け下りる。

 

 渡り廊下を抜けると、間もなく辿り着いた体育館のドアを押し開いた。

 一縷の望みを懸けて辿り着いた体育館。だが。中に入って数歩、二人は駆けるのを止めた。

 二人の視線の先、体育館のステージの前で下着姿の男女が跪くように身を縮めていた。

 間もなくして、ステージ中央にスポットライトが降り注ぐ。

 ライトの光の中からゴールドのシャンパンドレスを煌めかせて、一人の女性が姿を現した。彼女は細いフレームの銀縁メガネの奥で、ゆっくりと微笑んだ。


  3


「どうだった?」息を弾ませながらかぎるは訊いたが、答えはなんとなく解ってはいた。

 トーノはかぶりを振り、「かぎるちゃんの方は?」と尋ねたが、トーノもまた解っている。

 

 リンドとユアンが姿を消してすぐ、かぎるとトーノは捜索を開始した。最初は何かのイタズラかと勘ぐったかぎるだったが、ユアンがサリーに見繕ってもらった武器だけが転がる地面に、ただ事ではないと察する。バクの襲撃に配慮して「慎重に」とトーノに念を押して、二手に分かれてリンドとユアンの行方を捜した。「慎重に」などと言ってはみたもののそんな理性など焦る気持ちには適わず、結局かぎるは息せき切って路地を駆け回った。


 変に真っすぐなところのあるリンドと、いつも詰めが甘くて頼りないユアン。そんな二人のことを案じて自分がいつもついていてやらなければ、とかぎるは思っていたし、口にもしていた。そんな時、リンドもユアンも決まって軽口を叩いて笑った。リンドとユアンが消えた時もまず頭を過ぎったのは「あの二人はあたしがいないと、てんでダメなんだから」という純粋な心配だった。しかし、そんな気持ちは時間と共に二人がいない心細さへと変わっていた。

「どうしよう」「どうしよう」焦りが頭の中を埋め尽くしていくかぎるに、トーノの言葉はほとんど聞こえていない。「かぎるちゃん、私、向こうを探してくるね」、そうトーノが言った時も上の空で、「うん」と答えただけだった。

 我に帰った時、細い路地にトーノの後ろ姿が消えていくのが映る。一人になった時、かぎるは自身の無力さをまざまざと痛感した。


 ……自分にはどうすることも出来ない。誰か助けて、誰か、誰か、誰か――、洪水のように押し寄せてくる感情の中でかぎるは、押し殺す事も出来ずに声を上げた。


「リンドー!! ユアーン!!」


 慎重に、などという理性はそこに残ってはいない。彼らを助けて、とも彼らに助けて、とも解らぬそれを、ただ求める事しか術のないかぎるは、感情のままに声を上げた。普段の自分なら驚く程の大声を再び発しようとした瞬間、目の前の空を木漏れ陽のように優しい光が包んだ。

 もはや半ベソに近いかぎるの眼前に白い光が煌々と降り注ぐ。

「かぎるちゃんっ!!」離れた空にその事象を認めたトーノが竹刀を片手に駆けつける。呆然と見つめるかぎると、構えたトーノ。その眼前で、眩い光の中から現れたのは微笑を灯した美しい女性だった。白い光を反射して、エメラルドグリーンの長い髪がキラキラと輝いて見える。


「……貴女が私を呼んでくれたのね」


 静かに優しげな声音でその女性は話した。ダークグリーンのドレスを身に纏う姿は童話のお姫様。それもただ王子様を待つのではなく、自ら試練へと立ち向かう勇気と美しさを兼ね備えたお姫様を連想させたが、その魅力的な顔立ちには、ほんの少しの疲労の色が浮かんでいた。


「私はクリムタ。貴女達は?」


 自らをそう名乗った女性に問い掛けられて、反射的にかぎるとトーノは自分たちの名前を告げる。「二人とも良い名前ね」そう言って微笑むクリムタに少しだけ見とれたあとで、思い出したようにかぎるが訊いた。


「あのクリムタ、さんは、何処から来たんですか?」


 優しい微笑みはそのままに、クリムタは少しだけ困ったような表情を浮かべる。


「……ずっと遠い所……っていうのかな」


 少しだけ言葉を詰まらせながらもクリムタは続けた。


「……まだ神と呼ばれる存在が世界を支配していた時代。私は自分の神を封じようとしたのだけれど、失敗して逆に自分がこの次元の狭間に閉じ込められてしまったの。その闇は永遠とも一瞬とも思える世界。そこから出られたのは、かぎるさん、貴女が私を呼んでくれたから……」

 

 キョトンとした表情のままのかぎるの前で、小さくクリムタはかぶりを振る。


「……違うわね、貴女が呼んだのは私じゃなくて……彼女」

 

 クリムタの胸の前、一際神々しい光を発する物体が、光を収縮するようにして出現するとふわりと浮かぶ。白い柄と装飾が施され、クリムタの髪色と同じエメラルドグリーンの宝石が埋め込まれたそれは、一振りの剣だった。


「じょ―だんじゃないわ。呼ばれたから来てみれば、何? オシメも外れていないような青くさい小娘じゃないの。そんなのに呼ばれたなんて私のプライドが許さないわよ、まったく」


 いきなり頭の中で喚かれて、かぎるは戸惑う。ヒステリックに喚く声の主が、その声のイメージとは懸け離れた様相の、白く優雅な装飾の剣から発せられていると気付くと尚更に戸惑った。だが、どうやら剣が言うところの青くさい小娘が自分の事らしいと気が付くと、かぎるは一応反論してみせた。


「あ、あたしは、オシメも外れてないような小娘じゃないよっ!」


 かぎるの反論など意に介さず、剣は人をバカにするように話す。


「あらあらあらあら、自分の無力さにべそをかいていたのは誰でしょうねぇ」


 かぎるはぐうの音も出ずに口をつぐんだ。


「……まあ、あんた以上に役に立たないヤツもいたから、仕方ないといえば仕方ないんだけどね……いるんでしょ? 出てきないさいよ、ネィル・フー・トゥーン!」


 宙にぼんやりと青白い光が発するとリンドが手にしていたあの剣が浮かぶ。しかし、その姿はリンドが手にしていた時とは違い手のひらサイズといった小ささであり、その後も続く白い剣の誹謗中傷の数々に小さく縮みこまっているようにも見えた。


「かぎるちゃん、何が起きてるか分かる?」


 トーノに尋ねられ、かぎるは上の空で答える。


「あたしも白い方が言ってる事しか聞こえないけど……って、あれ?」


 トーノには聞こえていない。その時初めて、かぎるは白い剣の声が自分にしか聞こえていない事を理解する。

 クリムタが静かに口を開いた。


「このコの名は神剣『アテナイ』。かつてはその剣帝ネィル・フー・トゥーンと共に七つの《神具ハルモニア》のひとつとされし存在。今から、かぎるちゃん、貴女がこのコの主となるのよ」


「はい!?」かぎるは理解できずに間の抜けた声を上げたが、クリムタは構わずに話を続けた。


「あまり時間がないの。あなたの友人たちは今……」


「プラテネリが一つ、〝色欲アスモデウス〟の能力で別の次元に幽閉されてるわ」


 ネィル・フー・トゥーンへの罵倒に飽きたのか、アテナイが会話に加わる。


 クリムタが小さく頷いた。


「今から、私がそこへの入り口を作ります。剣の理についてはこのコに教えてもらって下さい」


 アテナイの柄を右手で握ると、深く呼吸しながらクリムタは大きく構える。


「少し、離れていてください」


 かぎるとトーノが離れるのを確認した後で、クリムタは剣を振り下ろした。


「――〝神奏シンソウ次元断ジゲンダン〟!!」


 刃を振り下ろした先で、空間にぽっかりと深い闇の穴が開いていく。


「さぁ、いってらっしゃい……後は頼みました、アテナイ」


 クリムタからアテナイを託されたかぎるがその柄をしっかりと握りしめた時、アテナイは今までとは打って変わって重々しい響きで小さく呟いた。


「さようなら、クリムタ」


 クリムタとアテナイの間に何かしらの感情を読み取りつつも、少しずつ収縮していく闇に急かされるように、かぎるとトーノはその穴の中へと飛び込む。


 彼女達の姿が見えなくなったのを確認すると、クリムタは自身を覆う白い光の外へとゆっくりと足を踏み出す。


「これでようやく、私は咎から開放される。ありがとう、かぎるさん」


 白い光の外へと出たクリムタの身体は、一瞬にして灰となり空気と混じり合い消えていった。


  4


「――翠子みどりこ先輩!?」


 ユアンは驚きの声を上げたが、シャンパンドレスに身を包んだその女性は微笑を浮かべているだけだった。彼女のそんな表情を、リンドもユアンも今までに一度も見た事がない。

 千歳翠子ちとせみどりこ――。リンドやユアンと同じく伏姫中の一年先輩の彼女は、日本人らしい美しく長い黒髪が印象的な女性だった。


「あんたは頭も良いんだし、美人なんだから、もっと自信を持つべきだよ」


 友人の蒼姉あおねえこと佐々木蒼は、彼女にいつもそう言っていた。引っ込み思案で大人しく、どこかオドオドして見える彼女は小学生の頃はよくいじめられたらしい。そんな彼女を見るに見かねて救って以来(男子生徒三人をボコボコにした話は未だに語り草)、生涯の友を公言する蒼姉の影に隠れて、未だ引っ込み思案で大人しい彼女だったので、全くもって正反対の二人だったがその仲は良かった。

「自信を持つべき」と言う蒼姉のおかげで、というかそのせいで。今や彼女は如月高校生徒会の副会長の職を務めていた。しかしそんな彼女であっても、蒼姉の思い通りに自信をつけるというには程遠いようで。結局いまだにオドオドして見えていた。


 その彼女が自信に満ちた顔で見下ろしていた。

 怪訝な調子でユアンが訊いた。


「翠子先輩、これって何かの悪い冗談ッスか?」


 いたって平静を装うユアンの問いに、翠子はほんの少しだけ表情を暗くした。


「世界は、悪い冗談に満ち溢れているわね」


 翠子の意味不明な答えに不気味さを感じつつも、同時にユアンの中では安堵感が広がっていく。その表情と話し方はユアンの良く知る千歳翠子のものだった。


「俺達、さっきまでかぎるとトーノちゃんって鳳華の事一緒だったんスけど、何か逸れちゃったみたいで。こっから出る方法って知らないスか?」


 小さく溜め息を吐いたあとで、再び翠子は微笑をつくろう。


「それは無理よ。どんなモノであろうとも私が許可しないモノはここへ入る事も出る事も出来ない。それが私の世界、完全結界、〝色欲アスモデウス〟の力。……リンドくんユアンくん、貴方達は一生ここから出られないし、貴方達を助けに来る者もいないわ」


 微笑を浮かべる翠子は、やがて声を上げて笑った。

 千歳翠子から発せられるプレッシャーに、ユアンは固唾を飲んで身動き一つ取れずにいた。そんな相棒を察するようにリンドが口を開く。


「翠子さん、あんたに何があったかなんて俺たちは知らない。だけど俺達だっていつまでもここにいる訳にはいかないんです。俺たちで力になれる事なら何だって協力します。だから取り合えずここから出ましょう」


 リンドの願いには少なからず、翠子を救いたい、いつもの翠子に戻ってほしいと言う想いが込められていた。しかし、翠子はそれを一笑に附す。


「別に貴方たちに助けて欲しいなんて思ってないわ。大体にして貴方たちに私の何が分かるっていうの? ……私はいつだって変わりたいって思ってたわ、自分の為に、そして何より大好きな蒼の為に……。でも、世界が初めから何もかも決まっている事で、自分の存在も運命も最初から最後まで決定づけられているっていう事に気付いた時、貴方たちならどうする? ……私には、もう世界を憎む事しか出来ない」


 引き攣り笑いを浮かべて話す翠子の顔には、彼女の話す憎しみ以上に諦観にも似た暗さが染み付いていた。それはいつも佐々木蒼の隣で、色白の美しい顔に遠慮がちに微笑を灯していた千歳翠子には似つかわしくないもののように感じられて、リンドとユアンをたじろがせる。


「交渉は決裂よ。私はただ貴方たちにここに居て欲しいだけ。生きていようと……死んでいようともね」


 わなわなと震えながらユアンが声を張り上げる。


「ふざけんなよ!! 何でだよ、あんたそんなんじゃなかったろ! 何でなんだよ!!」


 ユアンの叫びと射るような視線から逃げるように黒い瞳を伏せた翠子だったが、無視するように淡々と話を続けた。


「私は予め掘っておいた落とし穴に落ちてきた人間を自分の世界に閉じ込める事しか出来ない無力な女。戦う術を持っていないの。……だからさっさとバケモノにならせてもらうわ」


 力ない瞳を開き、小さく呟く。


「――〝ハルニレ〟」


 千歳翠子の周りの床からせり上がるようにして石で出来た裸の男性像が四体現れる。翠子を中心に取り囲んだその瞬間、翠子の立つステージ下で傅いていた半裸の生徒達は悲鳴を上げながら体育館の外目指して逃げ出す。

 せり上がった石像は古代の遺物にも似た屈強で筋肉質な体つき。しかし、その肢体を互いに絡ませ快楽にまみれたようなだらしない顔は、趣味の悪いアートそのもの。狂気の産物たるオブジェ。喜びに満ちた顔と腕の隙間から、翠子のうっとりとした瞳が覗く。

 今や絡み合いひとつの塊と化した石像。その後方から何かが生えているのにユアンが気づいた。左右対称のそれがサソリの尾のような物だと気づいたまさにその瞬間、尾の先が光る。


「え?」遅れて視線を下げた時、ユアンの右胸上部には直径5センチ程の穴が開いていた。勢いよく吹き出す血。ベージュ色のカーディガンが赤く染まっていく。


「ユアンっ!!」リンドがユアンの元へと近づくのを制するように、二本の尾はピタリと照準をリンドに合わせる。


「次は貴方の番よ、リンドくん」石像越しに、篭るような翠子の声が響いた。


 リンドが覚悟を決めたように真っすぐに翠子へと視線を向ける。その時、離れた宙にポッカリと穴が開き、中から白く暖かな光が注いだ。


  5


 穴の中から放り出されるようにして、トーノとかぎるが転がり落ちる。しりもちをついたあとで、トーノより一足早く立ち上がったかぎるが、石像の怪物目掛けて人指し指を自信満々につき伸ばした。


「おろちっ!!」くわっ、と劇画調で決めて見せるも、意味も原型も解りかねて。その場にいる誰もが微妙な空気。それでも、


「なあ、あれって『ぐわし』とか『死刑』みたいなヤツか? そもそもあれ自体俺らの世代か?」


 呆れ声で呟くユアンに、リンドは少しの安堵感も感じていた。


「さあ、トーノちゃん。悪者をやっつけに行くよ」


「そ、そうね」答えるトーノだったが、いまいちかぎるのノリにはついていけてはいない。

 その微妙なやりとりを見ていたユアンが、かぎるの握る白い剣に気が付いた。


「かぎるっ、いよいよヒコ師匠から奥義を譲り受けたか?」


 ちょっとだけ悩んだ素振りを見せたかぎるが、白い剣をまじまじと見つめながら、口を開く。


「どっちかって言ったらゲンカイ師範って感じね」


「そこはヒコ師匠でいーだろうがよ」


 それだけ言ったあとで、力なくユアンは床に倒れた。


「ちょ、ちょ、ちょ、ユアンどうしたの!?」


 開襟シャツを血で真っ赤に染めたユアンの元へとかぎるは駆けつけ、竹刀を構えたトーノはリンドの隣へ立つ。


「リンドの剣も呼べるはずだよ」


 トーノが告げると、リンドはその名を呼んだ。


「来い! ネィル・フー・トゥーン!」


 リンドのポケットにしまわれたペットボトルから迸った水流は宙で剣へと姿を変える。

 リンドとトーノ、二人が見据えた先で石像がみしみしと音をたてた。


「くそぅ、くそぅ、くそぅ、くそぅ……」


 翠子のくぐもった声と共に四体の石像は圧縮するようにして、凝縮していく。それは石像が翠子の身体を呑みこみ咀嚼しているようでもあった。石像の隙間からほんの少しだけ覗いていた翠子の名残は、磨り潰されるように完全に消えてなくなると、石像同士が不器用に接着するようにして出来た不快なオブジェがごろりと転がった。石の塊を支えるようにして生えた四対の脚と背部で蠢く二本に枝分かれした尾を持つその姿はまさにサソリそのものだった。

 見知った千歳翠子がいまや完全に人ではなくなってしまったことにリンドは戸惑いつつも、驚く程の冷静さを取り戻す。それは自分がこれから戦わねばならない相手が翠子ではなく、巨大なサソリの化け物であるという外見ゆえに他ならない。あれの正体が翠子であるなど、かぎるには絶対に知られる訳にはいかなかった。


『あれ』は自分が殺さなければならないのだ――、残酷さを噛み締める程に冷静な思考のもと、ネィル・フー・トゥーンを力強くリンドは握った。


 一人自問を続けて、ようやく回答を導き出したかぎるにアテナイがあっさりとペケをつけた。


「……そうだ、あの化け物をやっつければここから出れるのよね? だったら、さっきのクリムタさんの必殺技でさっさとやっつけてユアンを病院に連れて行けば良いんだ!」


「……あのね、あれはクリムタが辿り着いた剣の一つの究極の奥義たる『ソウ』よ。『始風シフウ』も得てないあんたが出来る訳ないでしょ」


 無慈悲な程に早口で喋りたてるアテナイに早くもかぎるの心は折れかける。再びの半ベソ状態に陥りかけたかぎるを心配して、というより面倒くさがるようにアテナイが続けた。


「あー、もうっ、結局あんたはどうしたいのよ!!」


 ぐずるようにしてかぎるが呟く。


「……ユアンを助けたいよ」


 今までとは打って変わって優しく、諭すようにアテナイが話した。


「なら、そう願いなさい。願い、想像する事。それが剣の道、これからあなたが選び、進むべき道を切り開くことわり


 かぎるが小さく頷いた瞬間、その周りを温かで穏やかな風が包む。ユアンの肌蹴た胸元にポッカリと開いた穴がみるみるうちに塞がっていった。


「……言っとくけど、傷口を塞いだだけだから、万全な状態じゃないからね。傷口が小さいのが幸いしたようだけど血は相当抜けてるようだから、無理はさせないように……」

 

 再び早口で喋りたてるアテナイが続けた。


「……面倒だけど、始風の名は私から贈らないといけないのよね。……まあ、〝凪風トネリコ〟でいいでしょ」


 ユアンの口から漏れる小さな息づかいに歓喜の声を上げるかぎるを見て、恨めしそうにサソリはわなわなと震えた。その後ですぐサソリの尾の先端が二つ同時に光る。しかし、それは光が屈折するように曲がると体育館の天井と床にそれぞれ小さな穴を開けただけだった。

 リンドの目前を薄い膜が覆っていた。自分だけでなく離れたかぎるやユアンにまで届くようにして広がったそれは堅牢な氷の壁のようでもあり、不変にユラユラと波打つさまは蜃気楼のようにも見える。


「『ロウ』を得たか、リンド。小うるさいとはいえ、風属性の神剣アテナイが近くにいたことが幸いしたようだな」


 そう告げた後で、ネィル・フー・トゥーンは言葉を詰まらせる。リンドには聞こえなかったが、どうやらまたアテナイに罵声をあびせられたらしい。


「……何にせよ、その盾に名前を付けねばならぬ。これからはお主が名を告げるのだ、リンド」


 急に言われても、と少しだけ戸惑った後でリンドは小さくただ〝氷壁ヒョウヘキ〟と告げた。リンドのネーミングセンスの悪さに明らかに不快感を示しつつもネィル・フー・トゥーンは一応納得してみせる。


「さぁ、リンド、〝色欲アスモデウス〟を倒すぞ。氷壁はまだはっきりとした形となっていない。イメージするのだ。固き氷を。そして、砕くのだ」


 ネィル・フー・トゥーンの言葉をリンドは即座に理解した。


「砕けろっ!! 〝氷壁〟!!」


 叫びながら、左の拳を膜へと撃ち付ける。一瞬にして砕けたそれは無数の氷の礫となって石造りの巨大なサソリへと降り注いだ。粉々になっていく氷片を痛くも痒くもないとばかりにやり過ごすと、サソリの尾の先端には再び光が灯る。しかし、その時すでににサソリの体は、青白い光を纏ったリンドの〝断ち切るウスラヒ〟で真二つに割かれていた。


 割かれた身体から吹き出す血は地面に舞い散ることもなく、真っ赤な羽虫のように宙へと消えていく。崩れゆく石像を侵食するようにして広がる赤は、全身を包み、やがてサソリは完全に消滅した。


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