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第二章 柚子原庵(ユアン)

  1


「くそっ! くそっ! くそっ!」


 ベージュ色のカーディガンをはためかせ、彼は走っていた。

 サラサラの髪をなびかせて走る姿には爽やかすら感じられたが、悪癖たる喫煙のせいで息はずいぶん前から上がっている。


 登校しようといつものように玄関を出た彼が、挨拶でもと振り返った先。隣の部屋から出て来たのは巨大なピンク色をした肉の塊だった。

「助けて」悲鳴を上げながらその脇を這い出て来た隣屋の、新婚ホヤホヤの若奥様は、頭部をむんずと掴まれて、あっと言う間に巨大な口の中に放り入れられた。

 事もなげに一連の動作を済ませた肉の塊。そのつぶらな瞳の奥を覗いた瞬間、彼は踵を返して逃げ出した。

 警察や、昨日から「かっこいいパパを見つけて来てあげるからね」なんて言って友人たちと旅行に出かけた母親に連絡をつけようとしたが、彼の携帯電話は何ひとつとして機能を果たさなかった。

 理解出来ない異常事態にとりあえず交番に駆け込もうと彼は走る。しかし、通りに出た時、彼の眼前に飛び込んできたのは、より凄惨な光景だった。

 先刻の化け物が何匹となく跋扈し人を漁る光景を目の当たりにした時、彼は一瞬たかが外れて笑い出しそうになった。それをギリギリで踏み止まると、人間漁りに夢中な化け物たちが手薄なポイントを見つけて、一目散に駆け出した。

「くそっ! くそっ! くそっ!」連呼するように呟きながら、危険区域を抜けたあとも彼は走り続ける。

 と、路地の角から飛び出してきた濃緑色のブレザーを着た男子生徒と交錯し、彼は派手に転んだ。

 ブレザー姿の生徒より素早く体制を立て直した彼が目を丸くしながら、しかし、引きつったままの表情で「ひょっとして、『トトラ』か?」と呟く。

 トトラと呼ばれた一見して大人しそうな丸顔の男子生徒も、ゆっくりと声を上げた。


「……『ユアン』?」


    *


 ユアンこと柚子原庵は、通りに化け物の姿を留めると、脇から続く長い階段へと身を滑らせた。

後ろを付いてくるトトラへと手招きして見せると、彼は必死で駆けてきたがなかなか追いついてこれそうにもない。

 階段を降りて、ユアンは待つ。住宅を抜けた先には弁天堂なる神社があったが、ユアンにすれば呑気に神頼みなどしている場合ではない。


「トトラ、少し急がないとヤバいぞ」


 ようやく階段を降りたトトラにユアンが声を掛けると、トトラが青ざめた顔色に愛嬌のある苦笑いを浮かべた。


「いや、実はさ、さっき転んだ時に、膝を痛めたみたいなんだ」


 見るとトトラの制服の膝から血が染み出している。


「なんで早く言わないんだよ」


 ユアンが尋ねると、苦笑いを浮かべたままのトトラが答えた。


「僕も今になって気付いたんだ」


 ユアンとは中学時代の同級生であるトトラこと、丙戸虎男ヒノトトラオは、ゲッコー最強と言われる三年の丙戸竜男ヒノトタツオ、通称、ヒリュー先輩の弟だった。本来ならヒリューの弟のヒドラなどと呼ばれ、恐れられそうなものだが、その優しくのんびりとした性格ゆえにトトラはヒドラではなくやはりトトラなのだった。

 強くて男気のある兄を弟は尊敬し、頭が良くて優しい弟を兄は誇りに思っている。中二の頃に転校して来たユアンとは違い、小学校からその兄弟と付き合いのある氷ヶ守燐人は、「実際いい兄弟だよ、あの二人は」少し羨ましそうにそう話していた。


 トトラの膝から視線を逸らすと、ユアンはトトラの愛嬌のある顔を眺める。そして、「ちょっと待ってろ」と声を掛けた。

 十年程前はそれ程人も住んでいなかったという山間は、今や住宅地となっている。ちらりと見上げた先には、割と大きなショッピングモールがあったがそこまで行く余裕はない。ならば、どこからか傷薬のひとつも拝借せねばならないだろう。

 家宅侵入とはいえ、状況が状況だ――、自身を納得させて、住宅のひとつへとユアンは近づいていく。その窓から覗いた先では、まさに家主が化け物のブランチにされる瞬間だった。ユアンはくるりと踵を返した。

 太り過ぎとはいえないまでも、ずんぐりとしたトトラの脇を抱えて、ユアンは無我夢中で走った。

 プラスチックフレームのダテメガネなんて掛けて、冷静キャラを装っているユアンだったが、避難ルートには何の考えも持ち合わせていない。トトラを引きずるようにして走る途中、自身がゲッコーからどんどん離れていることに気が付くと、口には出さずとも激しく後悔した。それを紛らわすように、「今って一家に一匹、化け物の時代なのかな」嘯いてはみても、今の二人に笑っている余裕などなかった。


 化け物も、人気も無いのを確認すると、駆ける足を止める。

 二人の視線の先には、住宅地の合間の窪地に沿うようにして森林公園が広がっていた。

 身近な自然といった和やかさより、鬱蒼と生い茂った植物の数々にはむしろ気が滅入りそうだ。それでも森林公園の脇を抜ければ、大きくないにしろ酒屋と併設してスーパーがある。さすがに絆創膏くらいは置いてあるだろう。


「そこで、トトラの傷の処置をして、出直しだな」


 自らを奮い立たせようとするユアンの呟きに、トトラが小さく頷いて見せた。

 ようやくにしてスーパー前の通りに出られる、そう思いユアンは最後の振り絞ろうとする。しかし、トトラが慌てて声を発した。


「ユアン、ちょっと待って、ストップ! ストップ!」


 トトラを抱えたユアンが歩を止める。公園を覆う木製の柵など無視して伸び放題になっている木々の枝葉の隙間から、トトラの勘付いた先を覗いた。

 スーパー前の通りには、中央の白線を越える程に巨大な一台のトレーラートラックが止まっていた。

その周りで全身迷彩柄の集団が、銃を手に辺りの様子を窺っている。すっぽりと被ったフードの下で、全員がガスマスクを装着していた。

 その数、十二。確実に二メートル以上はあると思われる巨躯マスク独特の吸気音は聞こえても、誰一人言葉を発する者はいない。

 ユアンとトトラは、その視界から隠れるように、緑の影に身を潜めた。


  2


「ちょっと……止まって、くれ」


 十分以上、ひたすら走り続けたあとで、息を切らせながらようやく燐人は口を開いた。

 二度声を掛けて、燐人よりも頭一つ小柄な少女が足を止める。

 立ち止り、初めて彼女の顔を正面から見た時、燐人には彼女がまだ余力を残しているように見えた。しかし、足を止めた華奢な少女が、思い出したように広がる四肢の震えを隠すことも出来ずにいるのを見て、必死で助けてくれたんだな――と、燐人は思った。


「さっきはありがとう……水鏡、さん」


 燐人の言葉を受けても、返事が出来ない程に息を切らす遠野は、忘れていた恐怖を思い出したように、全身を小さく震わせながら頷いた。

 必死で逃げていた為、気づけば目的地の清南高校も、ましてや如月高校からもずいぶん遠く離れてしまったが、今は命を危険に晒してまで自分を救ってくれた彼女に報いるべきだ。燐人は遠野の右手を握ると、走って来た通りから路地へと入る。

 路地へ入ってすぐの所に児童館が建っていた。

 児童館は森林公園に至る目前にある。建物裏にある階段を降りると、池をとり囲むように散策路が続いているが、ろくに手入れもされていないため常に仄暗い。その雰囲気に侵食されたように、新しい児童館もひっそりと佇んでいた。

 児童館の入り口脇に備え付けられている水道で水を飲むと、遠野の息もようやく整う。

簡単な自己紹介を済ませたあとで、燐人が尋ねた。


「水鏡さんは何でこんな事になったと思う?」


「現状どころか……私は自分の記憶すら分からないの」


 遠野は俯いてそう答えた。


 自分の住んでいた近所には怪物の気配も無かったが、同時に人の気配も感じられなかった。学校を目指して外に出たものの、尋ねるべき人も見当たらず、誰とも知れぬ誰かを探し歩いているうちに初めて出合ったのが燐人だったらしい。


 当初は半信半疑で聞いていた燐人だったが、努めて冷静に話そうとしている彼女の表情を見ているうち、それが嘘ではないとわかった。

 何かの拍子に彼女が泣き出してしまうかもしれない、そんな危うさを感じながらも、燐人は口を開く。


「その制服って凰華おうかだよね。凰華はここからだと電車で二駅先だから、厳しいと思う。こんな状況じゃ電車がまともにやってくるとも思えないし……」


 一瞬表情を曇らせた彼女に、燐人は覚悟をする。だが、遠野は小さく「そうなんですか」と言っただけだった。

 水鏡遠野が失望を感じたのは確かだったが、ほんの少しだけ考えたあとで彼女は燐人の瞳を真っすぐに見つめた。


「あの……氷ヶ守くんはこれからどうするの?」


「幼馴染が心配だから、少し先の清南高校を目指すつもりだ」


 燐人が告げる。遠野は躊躇いがちに、しかし、はっきりと自分の意思を伝える。


「……私も……その、一緒に行っても良いですか?」


「もちろん」燐人は即答する。


「……じゃあ、ひとつだけ……お願いが、あるんですけど……」


 燐人の胸元までしかない小柄な身体を更に小さくするようにして、伏し目がちな遠野が続けようとした時だった。


「良かった……やっと会えた……」


 児童館の裏手から聞こえてきた声。その声へと二人は振り返った。

 児童館の壁に寄り掛かるようにして男が立っていた。

 男は疲れた笑みを浮かべたあとで、崩れるように地面に膝を付いた。二十代後半といった風体のその男は事故にでも遭ったのか、着ている服はあちこちが破れ、そしてそこから染み出した血が黒く変色している。

 燐人と遠野が駆け寄ると、男は右手を差し出した。その手には長い筒状の物が握られていた。

 幾重にも布が巻きつけられ封の施されたそれは、その存在を隠さなければならない物のように、重々しい空気が纏わりついていた。


「これを、仲間に。我らが『フォウシャール・クロイツ』の元に……」


 男が筒を差し出した先には遠野がいた。しかし、男の発した言葉を聞いた瞬間、遠野の顔は苦痛に歪んだ。耐え難い痛みに頭を押さえたまま、よろめく。燐人はその肩を抱いた。


「……そうか……まだ、戻ってないのか、記憶が……」男はそう呟くと、気を失った。


 心配する燐人の傍らで、遠野は荒い呼吸を整えようとする。


「……ん…大、丈夫。……ただ、さっきの言葉、『あれ』が頭の中で反響して……」


 それを新聞の中に見出した時も今と同じ状態になった、と遠野は続けた。

「それ」や「あれ」としか表現せず、「フォウシャール・クロイツ」と言葉に出来ないのは、得体の知れない恐怖を感じているからに他ならない。なんとか一人で立てるようにはなったものの、まだ顔色の悪い遠野に燐人が声を掛ける。


「でも、記憶がどうの、って言ってた所を見れば、この人が水鏡さんの記憶を取り戻す手掛かりになるかもしれない」


 遠野は、うつ伏せた顔も知らない男を少しだけ見つめると、男が差し出した筒を手に取る。


「……うん。……それと、これも」


 物言わぬもう一つの手掛かり。

 手に取っては見たものの、それが醸し出す禍々しさとも神々しさともいえぬ雰囲気に、封を外すのは躊躇われた。

 遠野の怯える瞳に、燐人が小さく頷く。


「とりあえず、場所を変えた方が良さそうだ。少し行った先にスーパーがあるから、そこに移動しよう」


 気を失う男の肩を抱き上げると、燐人は引きずるようにして歩き始める。微力ながら、小柄な遠野ももう片側の肩を抱えた。


「……そう言えば、水鏡さん。さっきお願いがあるって言ってなかったっけ?」


 燐人がふいに声を掛けると、遠野は少しだけ顔を赤らめて、消え入りそうな声で呟いた。


「……あの、記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないから水鏡さんじゃなくて……遠野って呼んでもらいたいなって、あの、その、嫌なら、別に……」


 ひとり挙動不審になる遠野を見て、燐人は瞳を緩ませる。


「わかったよ、『トーノ』。そのかわり、俺も『リンド』。ただのリンドでいいよ」

 

 それを聞いて、遠野も微笑んだ。


  3


「毒ガスでも撒かれたのかな? ……そもそもあの人たちって自衛隊の人たちなのかな?」


 青ざめたトトラがユアンへと耳打ちした時、トラックの影から一人の男が姿を現した。

 真っ白なマントをすっぽりと被ったその男は、ユアンとそう年端も変わらないように見えた。美しい顔立ちをしていたが、その表情は能面じみていて全く変わることはなかった。

 彼の後ろから、二人のガスマスク姿が付き従うように現れる。両手にはワイヤー状のロープが携えられていた。

 二人がかり引きずる先には、巨大なワイヤーで編み込まれた網に絡まれて、平和な笑みを浮かべたままのあのピンク色の巨大な肉塊がいた。

 ゆっくりと開いたトレーラーの荷台へと化け物は回収されていく。伊達メガネのレンズ越しに瞳を細めるユアンは、その光景から連中の真意を読み取ろうと頭をフル回転させた。


《1》連中は、バケモノを狩ってくれている正義の味方――。


《2》ヤツらこそがバケモノを作った連中 (もしそうなら、悪いヤツら)――。


《1》であれば声を掛けるべきだ。だが、保護を求めに出て行った結果が《2》であれば、シャレでは済まない。

 知性派を気取ってはいても所詮は単純思考の持ち主のユアンと、頭真っ白で青冷めたまま沈黙を守るトトラ。正解など導き出せる訳もなかったが、二人は必死に考えを巡らす。  

 しかし、その二人が目を点にさせる次の瞬間、そこには化け物とは異質の恐怖が在った。

 美しい顔立ちの男がトレーラートラックの助手席へと顔を上げた時、男の白いマントの隙間から覗かせた身体。キラキラと陽光を反射するその身体にユアンもトトラも目が釘付けになる。


 金色の素材のパーツを繋ぎ合わせて作ったマネキンの肉体と、各部のパーツを動かしているだろう幾つもの歯車。科学雑誌の付録の如きそれは、さながらゼンマイ仕掛けの人形だった。


 ピンク色の化け物の存在理由も不明なら、ゼンマイ仕掛けの人形の動作理由も不明。化け物とは別の不気味さにユアンの背筋を寒気が走る。


「ドウシマスカ? コウエンモ、カクニンシマスカ?」

 

 人形が感情のこもらない声を助手に向かって投げかけると、窓から別の男が顔を乗り出した。


「ひとけのない所に『バク』は現れませんからねぇ、公園は結構。引きあげますよぉ」


 その男が、視界に見えるものの中で、確実に唯一生身の人間であるのは遠目のユアンにも理解出来た。青色のプラスチックフレームのメガネに、スーツは白と黒のストライプ。人形に似た色素の薄い顔をしてはいても、声にはリズムと人間らしい温度がある。

「公園」というフレーズを聞いて反射的に木々の影に身を縮めたユアンとトトラのことなどお構いなしに、メガネの男の鶴の一声で、間もなく凄まじき排気音を響かせながらトレーラートラックは発進した。

 去り際、トラックの窓から顔だけ出した男はユアンたちの隠れる方へと視線を送った。

 時間にしてはほんの僅か。

 しかし、男は確実に、ユアンに向けて微笑んでいた。

 背中が泡立つ。だが、トラックを見送ったトトラが不安げな顔で見ているのに気がつくとユアンは、「さぁ行こうぜ」なんでもないようにトトラの肩を抱いて歩きはじめた。


  4


 男を引きずるリンドとトーノは、やがて公園向かいの小さなスーパーへと辿り着いた。

 正面の自動ドアは電力が切られているのか、うんともすんとも言わなかったが、リンドが力一杯に引くと何とかこじ開ける事が出来た。

「ふう」と溜め息をつくリンドの脇を、白くほっそりとした両腕で気を失う男を引きずったまま店内へと遠野が入って行く。

 と、一息整えその手伝いをしようとした矢先、表情を強ばらせたリンドは遠野の身を庇うようにして飛んだ。

 男を店内へと連れて入ることに精一杯でトーノは気づかなかったが、店内の入り口を抜けてすぐの足元にはロープがピンと張られていた。トーノがそれに足をかけるのに気付いた瞬間、リンドは迷いなく行動を起こした。

 小柄なトーノを全身で包むようにしてリンドが抱き寄せた一瞬間のあと、宙を巨大なバケツが舞う。

敢えて入り口間近に設置されたと思われる棚に、バケツが激突したと思った瞬間、棚に陳列されていた多量の袋入りのスナック菓子や、箱入りのチョコ菓子が辺りに飛び散った。

 背中越しにそれらがバラバラと落ちてくるのを感じながら、リンドは少し離れた所から発せられた声を聞いた。


「どうだ!? やったか!?」


「……ダ、ダメだよぉ、棚は倒れなかったよぉ」


 逸る男の声と、オロオロとした振舞いが表れている男の声。

 そのどちらもがリンドには聞き覚えがあった。ほっとする反面、リンドは急いでその場に立ち上がる。二人の男のうち、逸る男の性質をリンドは熟知していた。

 アイツはこの状況下、とどめを刺しにきかねない――。

 リンドは大声で叫んだ。


「ユアン! トトラ! 俺達を殺す気か!!」


 立ち上がったリンドの目前で、パイプイスを放り上げたユアンが目を瞬かせていた。


「ユアン! リンドだ! リンドが助けに来てくれたよぉ!!」


 人の良さそうな丸顔に涙を滲ませて、トトラがその脇を、左足を引きずりながら駆け寄っていく。

 リンドに抱き付かんばかりのトトラを見たあとで、パイプイスを床に置くとユアンはその上にどっかりと腰掛けた。


「リンドぉ、遅ぇーんだよ。まったく」


 今しがた殺されかけた相手に悪態をつかれて、ほんの少しの殺意が芽生えたリンドだったが、はっとして後ろを振り返った。

 布の巻かれた筒を持つトーノがゆっくりと立ち上がるのを見て、「ケガはないか」口を開きかけたリンドを遮るようにユアンが声を上げた。


「リ、リンド! 誰だ、このかわいこちゃんは!?」


 かわいこちゃんってお前――、呆れるリンドがユアンへと視線を移すより早く、再びユアンが声を上げた。


鳳華おうかの制服じゃん!! 憧れのっ、凰華の制服じゃん!!」


 お前の憧れなんて知るか、黙れ制服フェチ――、非常に残念な友人紹介となってしまったことを感じつつリンドが視線を向ける。

 その先で、特に怪我を負った様子も見られなかったトーノだったが、明らかに当惑した表情を浮かべていた。

 次にユアンが何言かを口にするのを遮って、リンドが声を掛ける。


「ユアン、トトラ、手伝ってくれ」


 このゴタゴタの際中も気を失い続ける男を、ユアンとトトラが秘密基地の如く、カスタムメイドした事務室へと運ぶ。

 事ここに至るまで要した苦労も、やはり男三人掛かりだと大した手間もかからずに男を運び終えた。

事務室に備え付けられてあった簡易なベッドに、男を横にする。消毒でも、と破れた服の下を確認する  と、男の身体に傷痕らしきものは微塵もなかった。

 リンドとトーノは顔を見合わせたが、男は、ただすやすやと寝息をたてているだけだった。

 幸福感すら感じられる男の寝顔をまじまじと眺めたあとで、踵を返すと思い出したように「さて、と」リンドが仕切り直した。


「トーノ、こっちがトトラで、そっちの変態がユアンだ」


 丸顔の丙戸寅男が挨拶する。


「誰が、変態だ」念頭に置いて柚子原庵も挨拶した。


 ユアンは今更ながら黒縁の伊達メガネのつるを直して、知的キャラを演出して見せる。


「で、トトラ、ユアン。彼女はトーノだ」


 水鏡遠野が小さくお辞儀をした。


 並べたパイプイスに腰掛け、ペットボトルのお茶で喉を潤す。束の間の安堵感の中で、四人は互いの情報を持ち寄ったが、事の経緯を知るには程遠い。


「じゃあ、お前らもあのウスノロの正体は分からないのか」


 リンドが話をふると、トトラが「バク……」と呟く。

あの奇妙な軍隊の中、唯一生気の感じられる青色フレームのメガネの男は、リンドがウスノロと名づけた ピンク色の肉槐を確かにそう呼んでいた――と、トトラは続けた。

「バク、か」話を聞いて、一瞬思案気な顔をしたリンドが訊いた。


「それで、お前らそいつらに助けを求めなかったのかよ?」


 ユアンが質問に答える代わりに噛み付いた。


「リンド、お前は連中を見てないからそんなこと言えんだぜ? ありゃ、そのバクってのを退治してるっていうより、回収してるって感じだよ。それに、あの動力源も不明な機械仕掛けのゼンマイ人形。あれはきっと殺戮兵器に違いないって! そんな連中の前にホイホイ出て行ったら、今頃ここには居ないぜ? オレたち」


 機械仕掛けなのにゼンマイ人形というユアンの矛盾的発言を受けて、いまいちイメージを持てずにいるリンド。

 その傍らで、ちらと同意を求めるようにユアンはトトラの顔を覗いたが、トトラは苦笑いを浮かべるだけだった。トトラがそれ以上、うんともすんとも言わないのを見るとユアンは突然に話題を切りかえる。


「……で、トーノも凰華に登校する途中で、この訳の分からない事態に巻き込まれたの?」


 興味津々とトーノの顔を覗き込むユアン。いきなり呼び捨てとは恐ろしい程のフランクさだなコイツは――、内心で感心しながらリンドは遠目に眺めていた。

 少しだけ俯いた遠野が控えめに口を開く。


 ……。


「記憶喪失!?」


 ユアンが声を上げ、トトラが驚きの表情を浮かべる。

 それ以上は酷とばかりにリンドは話を継いだ。


「トーノの記憶のヒントを、どうやら彼は知ってるような素振りだった」


 リンドが顔を後ろに傾けると、ユアンとトトラは幸せそうな寝顔の男へと振り返る。

 と、何の気もないようにすっくと立ち上がったユアンが、有無を言わさず男の頬を張った。

 目を点にしたまま固まる三人を尻目に、起きる気配もない男を眺めながらユアンが口を開く。


「ダメだね、こりゃ。どうする? 病院にでも連れてくか?」


 近隣にあるのはせいぜいが診療所。そして、そこにあのバクがいないという保障はない。危険な賭けに、誰もが同意できずにいた時、「……もしかしたら」とか細い声が洩れた。

 その出元に、リンド、ユアン、トーノが視線を送ると、声の主のトトラはモジモジしながら話を続ける。


「もしかしたら、こういう緊急時には大きな施設が避難場所になってるかもしれないよ。病院を目指すよりは、そっちに向かった方が良いかも」


 ここから一番近くて大きい公共施設と言えば――、ほんのわずか思案して、リンドは溜め息混じりに口を開いた。


「――如月高校、か」


 リンドたちにしても、ユアンたちにしてもバクに追い立てられるように、学区側からはどんどん離されていた。つまりはそちらへ向かうというのは、一見自殺行為にも思われる。 

 しかし、ふいに思いついたようにユアンが呟いた。


「いや……良い方法なら、あるかもしれない……」


  5


「……で、このルートで本当に大丈夫なのか?」


 リンドが、少し腐りかけた木造の階段を見下ろしながら訪ねた。

 階段の先の方は鬱蒼とした公園へと通じている。

 小さなスーパーにしては珍しく、常備してあった車イスを押しながらユアンが答えた。車イスの上では、幸せそうな寝顔で名も知らぬ男が眠っている。


「ん? どうだろな。……さっきまでこの辺うろついてた殺戮部隊の連中は『ひとけのないこの公園にバクは居ない』って言ってたぜ」


 別段確証などないくせに、呑気に話す友の横顔。

 疑わしいもんだ、と言わんばかりに一瞬だけ見つめたリンドだったが、他に良い案がある訳でもない。確かに公園を通過するだけの距離を稼げるのなら、如月高校までは大分近くなるだろう。 

「行くぞ」後ろ向きにした車イスの左ハンドルを押さえるユアンに合図する。右ハンドルを押さえたリンドはユアンと二人がかりで、一段一段慎重に階段を下り始めた。

 左足をケガしたトトラと、細く小柄なトーノも先を行く二人の少しでも力になれば、とフットレストの上部を押さえる。


 階段は思いの他長く、下り終えるのに随分と時間を要した。それでも何とか無事に四人は車イスを公園の入り口まで運ぶことが出来た。

 公園は乱立する木々のせいで薄暗く、一際ひっそりとして見える。スーパーを出る時に見た掛け時計は午前十時を過ぎたばかりだったのに、ここは既に陽が暮れ始めたかのようだった。  

 陽の当たらないどんよりとした池に波紋の広がる音が聞こえると、一匹の黒いコイがその姿を水面に映していた。池というよりは沼と呼んだ方が良いのではないかと思える程の、その周りをろくに手入れもされていない散策路が続いている。

 枯れ葉と湿った土の上を少し進んだ先の朽ちかけたベンチまで行った所で、四人は休憩することにした。

 持って来たペットボトルのお茶の残りで喉を潤しながら、周囲をリンドが見渡すと、人の気配もなかったが、やはりバクの姿もないと実感する。公園はただ静寂に包まれていた。それでも時折聞こえる虫や鳥の声、それに木々の葉を揺らす風の音が束の間の日常を思い出させる。


「あのさ……」


 トトラがふいに声を発した。他の三人も、今、この場の風景を見て、トトラが言いたい事を理解していた。


 今までのことって夢だったんじゃないのかな――。


 しかし、トトラの発した言葉が続くことはなかった。


 枯れ葉を踏み砕く音。その男は、突然公園に現れた。


 ゆっくりとリンドたち四人へと歩みを進める姿は、薄汚れたフード付きのモスグリーンのパーカーのせいで、鬱蒼とした木々に同化して見える。

 リンド達の目前、数メートル前まで近づいた所で、フードを取ると伸ばし放題の長髪をガリガリと掻きながら、男は屈託の無い笑顔を覗かせた。


「おおー、生存者ありかぁ」


 無精ひげの目立つ大きな口で、一人歓声を上げる二十代前半といった風貌の男。怪訝な表情を浮かべるユアンの代わりにリンドが質問を口にする。


「あの、すいません。あなたは公園の向こうからここへ来たんですか?」


 公園の先は住宅地を抜けて如月高校、そして更にその先には清南高校がある。


「んん、そうそう、ゲッコーの方」


 リンドとユアンの制服を見留めた後で、男は答えた。

 リンドは動揺の色も隠さずに尋ねる。


「向こうはどうなってますか? 如月高……あと清南の方面は!」


 男は感心もないようにさらりと言う。


「んー、まぁ、大分バクの数も減ったと思うよ。あの近隣の連中はこぞって学校内に立てこもったみたいだから」


 興奮を抑え切れないリンドとは対照的に、『バク』という単語にユアンの表情は厳しくなった。

 リンドを制すると、言葉を選ぶようにユアンが尋ねる。


「……あんた、今回のことについて何か知ってるのか?」


「んーっ」ゆっくりと首を回しながら、男は考える素振りを見せた。一瞬だけ回す首を止めた時、男の瞳が輝く。男の視線の先には車イスに腰掛けたまま眠り続ける男が居た。その後で再び屈託の無い笑顔を繕う。


「まぁ、俺も大したことは知らないよ。……っと、俺、まだ仕事の途中なもんで、これで失礼するよ。ゲッコー目指すんなら、気ぃつけてなぁ」


 男は飄々として場を後にする。しかし、リンドたちの前を離れ、トーノとトトラの脇を通り過ぎようとしたところで振り返った。


「あーっ、ところでさ、君たち。白い布で封をされた長細い筒を見なかったかい? 今はこれ位の長さだと思うんだけど」


 男が肩幅程に手を広げて長さを説明する。

 トーノの頬を冷や汗が伝った。眠り続ける男から託されたあの筒は今、トーノが背負う竹刀入れに入れられていたが、受け取った時から徐々にその筒は縮小しつつあった。それゆえ、竹刀入れにもスッポリと収納できた訳だが、それを最後に確認した時、筒は確かに目前の男が言ったのと同程度の長さだった。

 トーノの表情を確認すると、リンドは平静を装ったまま口を開く。


「いや、見たことないですね」


 頭をガリガリとかきながら「そっかー、残念」と続けた男だったが、その顔に残念らしさは微塵も感じられない。


「でもさー、それやっぱりここにあんだよね。コイツがそう言ってるもの」


 フードの中から銀色の小さな生き物がモゾモゾと出てくると、男の肩に止まった。


「間違いねーな、ギオン。『ハルモニア』はあの女が持ってるぜ」


 水銀のような滑らかながら鈍い色のその小さな生き物は甲高い声を発した。

 モゾモゾと十三本の足どりで動くさまは虫のようだったが、良く見るとそれは四本の足と九本の尾のようにも見える。狐に似た長細い顔と瞳は人を馬鹿にしているようだった。


「んー、じゃあまぁ、さっさとよこしな」


 長髪の男が一転して悪意に満ちた声を上げ、懐に忍ばせていたサバイバルナイフを引き抜く。

 男がトーノへ一歩詰めた瞬間だった。深い眠りの中にいたはずの男がトーノの前に飛び出す。


「早く逃げろっ!!」


 男の手には、どこから取り出したのか光を纏った剣が握られていた。


「邪魔をすんなっ! フォウシャール!!」


 サバイバルナイフと光の剣が重なる瞬間、長髪の男が怒号を上げた。その声を背にリンドとユアンは駆けた。立ち尽くしたまま動けずにいるトーノとトトラの腕を掴むと、後ろを振り返る事なく今しがた降りてきたばかりの階段を目指す。

 光の剣を携えて眠りから目を覚ました男の断末魔の叫び声が聞こえた。

 それでも誰一人として後ろを振り返る者はいない。ただ、呼吸すら忘れてひたすらに駆ける。しかし、階段を目前に、四人は誰一人として一段たりとも階段を駆け上がる事が出来なかった。

 離れた空に声が響く。


「奪い去れ――〝強欲マモン〟」


 瞬間、階段を鬱蒼とした木々の枝々が覆い尽くした。

 階段の脇に生えている木々は、無理やりに枝を伸ばしたが為に生命力を吸い取られたように、一瞬にして干乾びている。枯れた枝とはいえ縦横無尽に張り巡らされては、進路は完全に断たれていた。


「……あんた、一体何者だよ……?」


 振り返り声を絞り出したユアンに、長髪の男は不敵な笑みを覗かせる。


「名前なんてどーでも良いさ。天使でも、テロリストでも何と呼んでくれても構わねーよ。……んー、でも俺が一番気に入ってんのは『抗う者ども』かなぁ」


 男の背中から四本の――触腕が突き出ていた。水銀色をした三本のそれは、硬そうな形状とは裏腹に、不定形に動き続ける。

 左脇から覗いた、唯一褐色をした触腕を指差すと、男は口を開く。


「人間諦めが肝心だからよ、説明させてもらうわ。俺のこの『手』で奪ったモンは形も力も俺の支配下に置かれる。それが俺の能力だ。『手』の一本でこの周囲一帯の植物を支配した。全ての出口は完全に封鎖させてもらったからよ。どこに逃げてもこの公園からは出られねーよ」

 

 男の姿と話に恐怖はあった。しかし、今さら非現実的なものを見せられても、それ程の驚きでなかったのがせめてもの救いだった。努めて冷静な声色を繕いつつ、ユアンが尋ねる。


「あんたの欲しがってる物を渡せば命は助けてもらえるのか?」


 ゆっくりとユアン、リンド、トーノ、トトラの顔を見渡した後で、男が答えた。


「本意じゃねーんだけどよ ……全員は無理だな」


 リンドの拳が固く握られていく。

 そのさまをちらと見た後でユアンは、


「そうだよね、こういう時、真っ先に行動する真っすぐなヤツなんだよね、お前ってヤツは。それで何度かオレも助けられてるしね」


 呟いては、一人声を上げて笑う。そして左の拳を軽く持ち上げた。


「ヒメチューの『狂王キョウオウ』と『悪来アクライ』、凶悪コンビそろっての久々のケンカだなッ」


 隣を任せる相棒の顔を見て、


「そういうの恥ずかしいからやめろって言ってるだろ、ユアン」


 言いながらもリンドは、ユアンの左拳と自身の右拳を軽く打ち付けた。


「リンドォ、オレァまだ死にたくないからな」セリフとは裏腹にユアンが弾んだ声音で発した瞬間、二人は駆け出した。

 道端に落ちていた、一見して固さも感じられない枯れた木片をリンドが拾う。

 それを振り上げた瞬間、リンドの後方からユアンが石つぶてを投げつけた。

 つぶては男の背から生えた褐色の『手』に、あえなく弾かれる。と、同時にリンドは木片を振り下ろした。

 男の持つサバイバルナイフが木片をあっけない程に粉々にしたとき、間発入れずに突き出された男の右足がリンドの下腹にめり込む。

 リンドが片膝をつく。だがコンマ一秒のラグすら感じさせずに、死角に回り込んだユアンが渾身の左ハイキックを男の顔面目掛けて放った。

 しかし、男の顔面まで数センチと迫った所でユアンは後方に吹き飛ばされる。褐色の『手』がユアンの身体を横なぎにしていた。ユアンは男の肩に止まる銀色狐の瞳の奥に、闇を覗いた気がした。とはいえそれもほんのわずかの出来事。その時には既に、くの字に折れて吹き飛ばされたユアンの視界は閉ざされていた。

 片膝をついて男を見上げるリンドと、吹き飛ばされて草むらの中にフェードアウトしたユアン。

 連続しての攻撃に終止符が打たれたと思われたその刹那、リンドが見上げた先であの細い筒がしまわれた竹刀用の細長いバックが転がり落ちる。

 トーノが気勢を上げ、竹刀を打ち下ろしていた。

 だが、男は難なく左手でそれを掴む。

 リンドには声を上げる間もなかった。


 トーノの腹部めがけて、男の握ったサバイバルナイフが突き出された。


  6


 瞳を見開いたリンドの眼前で、スローモーションがかって世界は揺れ、そして完全に静止した。

 男の突き立てたナイフがトーノの下腹部まで数センチと迫ったところで止まっているのを確認すると、リンドは小さく声を漏らす。

 そして今現在、自らが確認している事態が、いわゆる走馬灯の類ではないことを理解した。


「……なんだ、これは……いったい何が起こってるんだ」


 見開いた瞳を二度しばたいた時、世界は白と黒で表現されただけの物へと変化していた。

 生ある物、その全てが死滅してしまったような静寂と、自然ですらその存在を忘れてしまったかのような、無機質でモノクロの写真風景。

 完全に静止する世界の中で、その身を置いていたのはただの『二人』だけだった。

 今しがたリンドの前に転がった竹刀入れのバックに、トーノが隠していたあの筒がふわりと浮かぶ。

幾重にも巻かれた白い布は一瞬にして砕け、ダイヤモンドダストのようにキラキラと辺りを破片が舞う。


 その中で、青白い光を纏い殊更に輝いて見せたもの――それは一振りの剣。


 小刀程度のサイズに、不相応なまでに装飾の施された両刃の剣。宙に浮かんだままの光輝く刀心に目を奪われたまま、微動だに出来ないリンドの頭の中で突然声が響いた。


「力を欲するか、リンド」


 なんとなく理解はしていたが、それでもリンドは辺りを見回す。その瞬間に再び声が響いた。


「時間を無駄にしている暇はないぞ。時を凍らせている我が力、それもあと幾許も持つまい」


 リンドはごくりと喉を鳴らすと真摯な表情で剣を見つめた。そして、剣へと話し掛ける。


「この状況を何とかしてくれるってのか、あんたが?」


 小さな形状にも荘厳なる雄姿を醸し出すその剣は、リンドへと告げた。その声色はリンドの芯を揺らすように低く、重く響く。


「状況を打破出来るかどうかはお前しだいだ。だが、それでもお前が戦うと言うのならば我はそれを手伝おう」

 

 一瞬の迷いも無くリンドは覚悟を決めた。真っすぐな瞳のままで小さく頷く。


「力になってくれ ……ところで、あんた名前は?」


 剣は剣のままだった。しかし、リンドはそれが小さく笑ったような気がした。


「我は剣帝『ネィル・フー・トゥーン』。今よりお主と共に戦うものだ」


 剣を掴もうとリンドが右手を真っすぐ伸ばす。自らネィル・フー・トゥーンと名乗ったそれは、逃げるようにするりと宙を移動した。


「お前の覚悟はしかと理解した。しかし、だからといって戦えるという訳ではない。我を手にした時、契約は終了し、我が力はお前に委譲される。だが、その瞬間に我が凍らせた時も解除される。それでは何の意味もあるまい?」


 リンドは慌てて手を引っ込めた。ここで力を得られたからといって、トーノが男に殺されてしまってはリンドの覚悟など何の意味もなくなる。


「じゃあ、どうすれば……」リンドの質問より早くネィル・フー・トゥーンは話を続けた。


「肝心なのはお前がどこまで想像出来るかだ。お前は空を飛べるか? それは無理であろう。なぜか? 羽根がないから? 重力のせい? ……まず、飛べるという事をお前自身がイメージできぬからに他ならぬ」


 突然に精神論の如し持論を語り出した剣に、リンドは混乱しかけたが、そんな事などお構いなしに話は続く。


「我が眷属は『水』そして、それから派生するもの。時の概念を液体に置換し、凍らせるという想像力をお前が持ちえぬ限り、凍らせた時の解除は抗えぬ。まずお前の中の『水』のイメージを敵と戦えるものへと固めるのだ」


 まだ頭の中では多少の混乱はあった。だが、頭の中で直接響く声は映像の鮮明さを伴って脳内の回路を巡る。そして、何となくリンドはネィル・フー・トゥーンの言いたいことを理解した。

 想像力の殻を打ち破れ――、つまりはそういうことだろう。

 想像を現実に変える力が、ネィル・フー・トゥーンの力であり、その一つの究極形が『時を凍らせる』ということなのだ。

 飲み込みの早い弟子でも見るが如く、ネィル・フー・トゥーンは、低く落ちついた声を掛ける。


「人を殺す為に剣が作られたのであれば、生物とは違い剣の生涯は『死(始・シ)』から始まり、『ロウ』『セイ』『ショウ』を得て、『創(想・ソウ)』へと至る。それこそが剣の極意。そこに至れるかどうかはお前次第だ」


 ネィル・フー・トゥーンは、そこまで話すと小刻みに震え出す。


「さて、時間が来たようだ。我を使いこなして見せよ。期待しているぞ、リンド」


 回転を始めると、ネィル・フー・トゥーンは放物線を描きながら宙を舞った。

 リンドは声を上げながら駆け出す。その声に答えるようにリンドの頭の中で二度声が響く。


「……我は時を凍らせているだけ、時が我に干渉出来ぬ代わりに我が時に守られし者に干渉するのも物理的に無理だ。時の解除と共に敵を一瞬で滅するだけの膂力を持ちえていなければ、ナイフの慣性力を止められる訳でないから、結局あの女は死ぬであろう。現状を打破する為の一手は冷静に、だが躊躇ってはならない。それを実行できる勇気こそが必要だ」

 

 ネィル・フー・トゥーンの声を背に、リンドは飛んだ。

 トーノの下腹部へナイフを突き立てようとする男の頭の上を通り過ぎるように、ゆっくりと落下を始めたネィル・フー・トゥーンの柄を握ると、リンドはそのまま真下に振り下ろす。


 刃と刃の交わる金属音に、ネィル・フー・トゥーンが「まずは合格」と言った気がした。


  7


 突き立てたはずのナイフが大きく下に弾かれると、唖然とした表情を浮かべる男の下腹部にリンドはその長い右足を突き伸ばした。

 凍りつくトーノに外傷のないのを確認すると、その顔に向けてリンドは小さく頷いてみせた。


「ネィル・フー・トゥーンの封印が解けやがった。ギオン、さっさと『ハルニレ』するぞ」


 地面を擦り数メートル飛ばされた後で、態勢を立て直した男の左の肩の上で銀色狐がかなきり声で喚いていた。それを聞きながら辟易するようにネィル・フー・トゥーンが呟く。


強欲マモンめ、相変わらず騒がしいヤツよ」

 

 ギオンと呼ばれた男は、頭をガリガリと掻きながらリンドへと不敵な笑みを向ける。威嚇のように右手に持つサバイバルナイフを握り直したが、リンドは物怖じもせずその顔を真っすぐに見据えた。


「『ハルニレ』は無しだぜ、マモン。俺は奪う側に回ったんだ。たとえお前にだろうと俺は奪われるつもりはねーよ」


 銀色狐を見るでもなく男が呟くと、銀色狐はがくりと首をうな垂れた。対峙した者たちの中で唯一そっぽを向くその姿は、リンドの、というより、ネィル・フー・トゥーンの視界から逃れるようでもあった。


「さぁ、行くぞ、リンド。お前の想像力を見せてみよ」


 ネィル・フー・トゥーンの声が頭に響いた瞬間、リンドは駆け出していた。その背中にトーノのはからずも荒くなりつつある呼吸と、心配する視線をリンドは感じ取っていた。感じ取っていればこそ後ろを振り返らず、一歩、一歩力強く地を蹴った。 

 俺が皆を守る――、揺るぎない信念が次第に力となって満ちていくのをリンドは感じていた。心配そうにリンドを見守るトーノも、その少し後ろでガタガタと震えながら立ち尽くすトトラも、吹き飛ばされたユアンも守るのは自分しかいない。そう思えばこそ吼えた。声を上げながら男の元へと一気に駆けた。笑みを繕ったままの男が振るうナイフと、リンドの持つネィル・フー・トゥーンが激しく交錯する。金属同士がぶつかる特有の衝撃音が辺りに響いた。

 男は依然笑みを繕ったままだったが、リンドが二度目の刃を振るった瞬間、顔から笑みが消え、男は初めて後退した。刹那、男の足元から一瞬にして伸びた針葉樹が男の姿を覆う。しかし、それを物ともせずにリンドの一閃がそれを断ち切った。

 ネィル・フー・トゥーンより発する青白い光が通り過ぎると針葉樹の葉が舞い、僅かの間もなく男の胸元より血が吹き出す。

 ネィル・フー・トゥーンは『一歩目』を踏み出した戦友へと静かに、だが暖かさの伴う声色で告げた。


「『始・シ』水を得たか。儚くも鋭き氷の刃。それがお主の水のイメージなのだな。この始まりの刻に我がその名を授けよう――始水、〝断ち切るウスラヒ〟と」

 

 小刀程の肩身は青白く薄い光を纏っていた。

 胸元から血を滴らせながら男はヨロヨロと後退したが、踏み止まるとゆっくり頭を上げた。

「ハルニレだ! ハルニレだ!」喚き散らす銀色狐を無視したままで、リンドに向けられた男の顔は面白いとでもいった不敵な面構えのままで、瞳はギラギラと輝いている。

 撒き散らした血飛沫の割には、男の傷は大して深くないことをリンドは理解する。ぼんやりと刃を覆う青白い光はイメージしたとおりの鋭さを発揮してはくれたが、それが相手へと届かねば何の意味も無かった。リンドとて人を傷付けるのは本意ではない。しかし、相手が戦意を失わない以上、戦いをやめる訳にはいかなかった。仲間を守る為なら戦うと決意したのだから。

 だが、剣術なぞというものには、とんと縁の無いリンド。せめて手にした物がちゃんとした剣ならまだ少しは有利だったかもしれない。しかし、それは小刀程度の物でしかなかった。

 ネィル・フー・トゥーンはリンドの思考を読み取ると、呆れるように呟いた。


「今は、我自身の力で顕現を成しているのだ。時を凍らせるという我自身の『ソウ』も使った以上、サイズが縮小するのも仕方あるまい? だから、先から言っておるのだ。イメージせよ、と。剣の長さも大きさもお前のイメージ次第なのだぞ」


 それを聞いて、リンドは必死で頭の中で思い描いたが、小刀は依然小刀のままだった。

 氷柱が水分を吸収して伸びるイメージだ、とネィル・フー・トゥーンがアドバイスする。リンドは思い付いたように、上着のポケットに無造作にしまわれていたペットボトルを取り出す。飲みかけのお茶のキャップを外すと、おもむろにそれをネィル・フー・トゥーンへと浴びせた。

「神具たる我に何ということを」不満気なネィル・フー・トゥーンに、「玉露入りだぞ? ガマンしてくれよ」そう言ってリンドは瞳を閉じる。

 瞳を開き、剣がまさに剣と呼べる長さになっているのを確認した後で、今度はリンドが男の顔に向けて不敵な笑みを送った。ロングソードといった形状と長さになった剣帝ネィル・フー・トゥーンの姿を見て、銀色狐は尚更喚いたが、男は迷うことなくリンド目掛けて駆け出した。

 ネィル・フー・トゥーンを握り直すと応じるようにリンドも駆け出す。地面から突然に湧き出ては襲い来る、栄養も行き渡らず枯れかけた針葉樹を三本切り伏せた時、男はリンドの眼前へと迫る。迫りくるサバイバルナイフの刃を、上方へと切り上げた〝断ち切るウスラヒ〝の青き光が真二つに切り裂いた。

 男がよろよろと後ずさりする。

 リンドの口元が緩みかけた。

 だが、相手の武器を破壊したほんの一瞬、リンドの緊張が解けるのを男は見逃さなかった。

「罠だ!!」ネィル・フー・トゥーンは叫んだが、既に手遅れだった。男の背中から生えた「手」が〝断ち切るウスラヒ〟の青白く発光する刀身を掴む。


「俺の能力を忘れちまったか? ……そして、甘い!」


 掴まれた手を振りほどきリンドが後方へと飛んだ瞬間、入れ替わるようにして奇襲気味に竹刀を突き伸ばしたのはトーノ。

 しかし、男が叫んだ瞬間に湧き出た無数の針葉樹が蔦となり、絡み付いた肢体はその場に磔にされる。


「奪われた……か」

 

 ネィル・フー・トゥーンの噛み潰すような声を聞きながら、立ち上がったリンドが見上げると、先程の白い『手』は青白い光を発する氷柱が何本も突き出た形状へと姿を変えていた。


「氷の力を奪われてしまった以上、断ち切るウスラヒでは奴を傷付けるのは不可能だ」


 ネィル・フー・トゥーンは淡々と告げた。答申の青白い光は失われてはいない。だが……。

 まさに今、唯一の武器を失ったのだ――、リンドは呆然と立ち尽くす。

 そしてそんなリンドを見ても、男は満足する様子もなく瞳をギラギラと輝かせていた。


「『氷』のことわりは頂いたがよぉ、『水』の理も頂いてくぜぇ」


 言うが早いか、男は思考の止まったリンドへと襲い掛かる。

 男と異形の腕が迫りつつある中にあって、リンドは声も上げられず、ただ立ち尽くすことしか出来ない。

 水銀色の三本目が伸びてきたその時だった。

 それは、襲い来る男はもちろん、そして、リンドにすら全く予想外の出来事。リンドを助けようとしたのか、ただ逃げ出そうとしたのか分からない。だが、そこにトトラがいた。言葉にならない喚き声を上げながら、水銀色の『手』へと突っ込んで行く。

 リンドの悲鳴にも似た絶叫が響き渡る。なりふり構わず立ち向かったリンドの身体は、褐色の手に簡単に薙ぎ払われた。

 地面にうつ伏せたままで、リンドが見上げる。ネィル・フー・トゥーンの『水の理』を奪おうとした『手』は、トトラと同化しベージュ色の大きな肉の塊へと変わっていた。肉の塊に貼り付いた小さな唇が微かに震えるのが映る。そして、その声を確かにリンドは聞いた。


「……たす…け……リン…ド……」

 

 リンドは青冷めた顔のままで口を開いたが、言葉ひとつ絞り出せなかった。ただ、止め処なく涙が両の瞼から溢れ出ていく。


「くそっ! 何だってんだ。この腕だけ切り離すぞ、マモン!!」

 

 男が怒鳴り声を上げたが、銀色狐は興味もないという風にぼんやりと空を眺めている。


「そいつは無理だな、ギオン。そのガキは『アンノウン』じゃない、れっきとした『アイディー』だ。切り離すには能力の全解除が必要だよ」


 意味不明な会話を続ける男と銀色狐。彼らだけを視界に捉えて、リンドは立ち上がる。「殺してやる」荒い呼吸の中で呟く。その脳内で静かに声が響いた。


「リンド……彼は助からぬ。こういう時こそ冷静になるのだ……」


 だが、ネィル・フー・トゥーンの声はほとんど聞こえなかった。ただ、トトラが「助からぬ」という言葉だけが何度もリンドの頭の中で反響した。


「こんなヤツがアイディーだと? こんなヤツが、こんなヤツの為に」


「こうなっちまった以上、ハルニレするしかないぞ」


 男と銀色狐の問答は全く咬み合わず、それゆえ答えに辿り付くこともなかった。

 そんな一人と一匹がようやくにして我に帰ったのは、リンドの怒号が響いた時。鬼の様な形相で駆けて来るリンドを迎え討つべく向きを変えようとした男は、自身から生え出た肉の塊に足をとられた。

 完全に足を封じられて尚、そんな状態のままでリンドを迎え討とうとするのは男の意地に他ならない。銀色狐はそれを鼻で笑ったが、男は気にするでもなく、最後に残った水銀色の『手』ぐすねを引いて、駆けて来るリンドを待ち構えた。

 剣を大きく振り被ったままのリンドに向けて、最後の『手』を伸ばそうとしたとき、男は背中に走った激痛に一瞬動きを止める。

 男が振り返った先で、先刻林の茂みへと吹き飛ばされたユアンが、真二つに切断されたナイフの刃の先端を背中に突き刺していた。


「くたばりやがれバケモノヤロオ」


 息も絶え絶えにユアンが呟く。足掻きともいうべき一撃。しかし念を籠められたかのような一撃に男の動きが止まる。その一瞬に気を取られたことで、水銀色の『手』も青白い氷柱状の『手』も、蔦を何本も絡めたような焦げ茶色の『手』も、初動が遅れた。

 それらがリンドを襲う刹那、男の身体は左上段から斜めに切り付けられる。

 それでも男が動じなかったのは、能力に裏打ちされた余裕があればこそ。


「氷の力は効かねーよ」


 踏み止まり、三本の『手』を再び突き伸ばす。

 だが。

 それはピクリとも動かなかった。

「な、にぃ?!」その瞬間、男の体から夥しい程の血が吹き出した。口の中に広がる血の味を感じながら、男はそれを視界に認めた。

 リンドが手にするネィル・フー・トゥーンに、青い光は灯っていなかった。

 ただの『剣』で切り付けられたのだ、ということを理解した上で男は笑った。

 そこには今まで浮かべていた嫌な笑みにはなかった満足感があった。

 リンドには計算など何もなかった。怒りでネィル・フー・トゥーンに教わった剣の理、つまり『水』や『氷』の力を使うなどという思考が存在していなかっただけだった。

 男はそこまで理解していた。

 だからこそ、最後に笑った。


「んー、感情さえ持ってればよ……魂なんてどーでもいーって思わねぇ?」

 

 それが男の最後の言葉だった。

 吹き出る血は、男の全身へと広がると、赤い小さな羽虫のように、空へと舞っては消えていく。

その中で、銀色狐が小さく「くそぅ」と呟いた。


 男の名残を覆う赤色に飲み込まれて、銀色狐も、かつてトトラと呼ばれた肉の塊も空へと消えていった。


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