第六章 広がりゆく黄色と赤色の剣士
1
砂漠の空に突然現れた人影は、そのまま落下すると砂塵を辺り中に巻き上げた。
うつぶせのままで、子供が駄々をこねるように四肢をしばらくの間ばたつかせたあとで、むくりと上半身を起こすと口の中に入った砂を吐き出す。
「まさか一旦記号化されたあと再構築されんのがこんなに痛ぇーなんて。あんにゃろ、先に言っとけっての!」
腰までのびた赤毛の長髪をかきわけるようにして覗かせた瞳で、空を少し睨みつける。
落とした視線で気を引かれたように、あぐらをかいたまま黄色い砂を一掴みすると男はそれを地面に振り撒いた。
無風の中、はらはらと撒かれた砂は地面に落ちて広大な砂漠の一部と同化する前に、様々な数字の羅列や暗号めいた文字、そして、二つの景色を描き出す。それは港町に広がる美しい海と、ビルディングがそびえ立つ都会の風景だった。
「なーるほどねぇ」
男は満足したように呟く。
「廃棄されたデータやメモリを処理しきれなくなってんのか。『紅砂』とは違うって訳ね」
ふん、ふんと一人納得すると、立ち上がった男は伸びをする。そして、「さて」と呟くと、黄砂の広がる砂漠を一人歩き出した。
砂漠といっても天候は至って穏やかで散歩気分で歩き始めた男だったが、砂に足をとられる為、余計に疲れる気がする。その感覚を一度意識してしまうと、喉の渇きも抑えきれなくなった。
疲労や喉が渇くといった概念は無視して良い、とは言われていたが、生身だった頃の感覚をリセットしろというのがどだい無理な話だ。歩き出して二時間、もともと我慢強くない性格の彼は根を上げ始めた。それでも、彼の目に廃村らしきものが映ったのは、余計に疲れるだけであろうに呪いの言葉をブツブツと呟き始めた頃だったので、幸いと言えば幸いである。
彼が廃村へと訪れた時、一人の少年が村の中ほどで黙々とスコップで穴を掘っていた。
彼が何をしているのかと訊くと、首から水筒をぶらさげて義手の右手を持つその少年は、「お墓を作っている」と答えた。彼が辺りを見渡すと、辺りの地面には幾つもの剣や棒が突き刺さり、それに厚手の紐が結わえてあるのが映った。
おそらく、それがこの村や部族に伝わるところの葬儀の仕方なのだろう。見渡した後で、彼は再び問うた。
「それは、お前の墓なのか?」
彼は、少年の掘る穴を指差す。
彼が見る限り、村には少年以外に人の姿はなかった。
作業を一時中断すると、少年は彼の顔へと視線を移す。少年の頬は流した涙が乾き、白い跡をつくっていた。
「……皆……皆、次々と死んでいった。僕はこの村の人間じゃなかったのに、お義父さんもお義母さんも、お義姉ちゃんもすごく優しくしてくれた。最後に残った水を僕に残して、お義父さんとお義母さんに続くようにお姉ちゃんも死んでしまった。それからずっと、僕は皆のお墓を作ってきたんだ。でも……僕のお墓で最後だよ」
少年の話を聞き終えて「ふぅん」と唸ると、彼は「一口だけ」と水をせびった。
水筒にはまだ結構な量の水が残っていたが、少年はどうせあの世には持っていけないから、と惜し気もなく彼に手渡す。
約束通り一口だけ水を飲むと、彼は少年に水筒を返す。そのあとで、おそらく自分の墓用であろう薄汚れた半ズボンのポケットからぶらさがる紐を見せてくれるよう頼んだ。
少年は何の気もなしにそれを手渡したが、彼はその紐で腰まで伸びたうざったいほどの長髪を結った。 その様を見ていた少年が抗議するより先に彼は口を開く。
「お前が最後に残されたってことは、そりゃ運命ってこった。だから、お前は俺と一緒に来るべきだ。……で、お前、名前は?」
呆気にとられる少年が、ただ
「……キリ」
と呟く。
「そうか、キリか。ヨロシクな」
彼はその名を呟きながら、「ニヒ」と笑う。そして、自身の名を告げた。
「俺はアン――アン・ミンツだ」
2
パオロ広場に集まった沢山の人間が静かに見守る中、パオロ宮の二階に位置する広いテラスへと重装騎士と見間違うような黒の神官キーラ・バレンシアと、美しい顔立ちをした白の神官、アラベル・フラン、そして騎士総長のガンド・マギアスが姿を現す。
三人がテラスへと現れると間もなくして、白の巫女と黒の巫女を引き連れるようにして、賢王シャルナァプ・ウーデルカが姿を現した。
王が現れた瞬間、それを見つめる人々の歓声が爆発する。
シャルナァプは薄く笑みを携えたままで、軽く左の義手を小さく振りながら、歓声へと応えた。その後で、テラスの中央へと歩みを進めると、歓声が小さく、やがて静寂へと変わっていくのを聞きながら、実に美しい立ち姿のまま、その時を待つ。
一度静まりかけた歓声は、テラスに四人の騎士が姿を現すと再び爆発した。
パラス・アズロの四人の守護神は各団のモチーフカラーの鎧とマントを身に着けている。
群衆は、羨望の眼差しで四人を見上げていた。
シャルナァプが巫女の一人から、一振りの剣を受け取るとその眼前に歩み寄った白い鎧を身に付けた騎士が膝をつき、彼を見上げた。
その一連の動作にはどこか、ぎこちなさを感じさせる。
カギル団長めちゃくちゃ緊張してるし――、ロムルスは内心でそう呟くと、吹き出しそうになった。
「パラス・アズロの南の地に平穏と安寧を」
カギルの肩に剣の刃を乗せて賢王シャルナァプがそう告げると、「はい」とカギルは答えたが、緊張で口の中が渇いていたのか声音はどこかしらおかしかった。
物々しい空気の中、ロムルスは完全に吹き出してしまう。
その厳粛な場において、吹き出したのはロムルスと赤の騎士の二人だけだった。
賢王シャルナァプから神剣アテナイを受け取って後、下がったカギルが赤の騎士を肘で小突く。
白の騎士に続き、赤の騎士、黒の騎士も拝剣の儀を済ませた。そして、最後に残る四人目の騎士の番がまわってきた。
「パラス・アズロの東の地に平穏と安寧を」
賢王シャルナァプがそう告げた。
「――はい」ロムルスは答えると、剣帝ネィル・フー・トゥーンを受け取った。
レムルスが収容所に連れて行かれてから、五年が経っていた。
あれから、ロムルスは修練を重ね正騎士へとなった。
そんなロムルスがリンドから正式に東方守護騎士を託されたのはつい半年前のことである。しかし、それには当然反対の言葉が上がった。正直な所、それはロムルスも同じだった。なぜならロムルスはまだ『創』へと至っていなかったからだ。だが、それも「今いる騎士の中で『青』に至っているのがロム以外にいるか?」と周囲をリンドが説得してくれたことで沈静化した。
「ここまで来れば『創』に至るのも問題ないさ。焦らずにやれば良いよ」ロムルスを励ましてくれたリンドに半ば押し切られた形で、団内で大きな問題へと発展することもなくロムルスの当方守護騎士団長の道は開かれた。
お膳立ては完璧だった。だが、だからといってロムルスの不安が晴れたわけではない。悩んで、悩んで、しかし最後の最後にリンドが掛けてくれた言葉で、ロムルスの決心も固まった。
「東方守護騎士にロムが就くということ。それは何よりレムの為となるだろう」
ロムルスにとってはそれが全てだった。その為なら、どんな犠牲も厭わないとあの日決めたのだ。
ロムルスはリンドの申し出を正式に受けた。そして、ロムルスは正式に東方守護騎士団長として任命された。
騎士として最後の日、ロムルスへと剣帝ネィル・フー・トゥーンを託すリンドは、
「でも、ロムがあまりにも不甲斐無かったら返してもうらうかもしれないな」
珍しく少し意地悪なことを言った。
すぐに試されているのだと覚ったロムルスは迷い無く言い切る。
「いえ、その時は逆に団長を斬り捨ててしまうかもしれません。手加減できないかもしれませんので先に謝っておきますね」
「言うようになったなぁ」リンドは声を上げて笑った。
それから一ヵ月、東方守護騎士団はリンドを慕っていた数名の除隊者が出た為、急すぎる速さで若手主体の団へと変っていた。
それをまとめるだけでも一苦労だが、今のロムルスに迷いはない――いつか、再びレムと供に暮らすその日を信じて。ただその為だけに。
3
アン・ミンツとキリが砂漠を南西に向けて歩き出して三時間後、水筒も空になった頃に見えたのは、砂漠にだだ広く設置されたテントだった。あまりの巨大さにこれからサーカスでも始まるのでは、そんなことを想像してアンは一人空笑を浮かべた。
入り口らしき所に立つ、顔を布で覆い砂漠の骨を加工した鎧を身につけた男が、「ここはガリア族が本営ぞ! 何奴っ‼」と芝居がかったように叫ぶのを見て、アンは面倒くさそうに答えた。
「アン・ミンツが来たと、王に伝えてくれ」
門番役が、傍らに控える布で顔を覆った伝令役らしき女に目配せすると、女はテントの奥へと消える。
「王がお会いになるそうです。どうぞこちらへ」
間もなくして再び現れた女がそう言うと、入り口に重く垂れ下がった幕が引き上げられた。
女に案内されるままに二人はあとに続いた。
途中、これぞ砂漠の民族というべき風体の男たちや女たち、そして、砂漠に生息する獣や虫を加工して作られたいかにもな装飾品を、アンは目で愉しむ。
女は、一際大きく豪華な飾り付けがされた布幕の入り口の前で立ち止ると「王はこの部屋です」と二人を促す。
「あ、そ」別段かしこまるでもなく、アンは中へと進んだ。
薄暗がりの部屋の中央の玉座に座る者が、入室したアンとキリへと視線を移す。
砂漠に生息する虎のような獣のしゃれこうべを、顔を覆うようにしてすっぽりと被り、黒い毛皮をまとうそれが見据える。キリはアンの後ろに怯えるように隠れ、反射的にアンの服の裾をギュッと握ったが、対照的にアンは爆笑した。
「我こそはガリア族が王! ガリアラッハなるぞ!」
そう堂々と言い放ったそれを見て、アンは再び爆笑する。
その声は女の声だった。
「なあ、やっぱそれってやんなきゃいけねーもんなの?」
涙まで流しながらそう訊いたアンを見て、ガリアラッハは「ふん」と言いながらカブトを脱いだ。
「あのバカの悪ふざけがすぎるのじゃ」
元々きつい瞳をつり上げて苦々しく話す女の褐色肌の顔には、民族特有の墨が彫られていた。伸ばした緑色の髪は編み込まれ、幾重にも束ねられている。
落ち着きを取り戻したアンは、目尻に残る涙を擦りながら尋ねた。
「で、今はなんて呼べばいい? 今まで通りにジジイか? それともパッと見は同年代っぽいし、ファーストネームでクイルドか?」
「好きなように呼べ」
なげやりに言うと、ガリアラッハ役のクイルドはすねるように頬杖をついた。
4
騎士礼典の終わったテラスで、ロムルスはひとり剣帝ネィル・フー・トゥーンとの対話に集中していた。
リンドから託されて、初めてネィル・フー・トゥーンの声を聞いた時、ロムルスはずいぶんと高慢で年よりくさい喋り方をするのだな、と思った。
「年よりくさいとは何事か! 我を何と心得るか‼」
一喝されて、《神具》級となると、わざわざ対話の環境を整えなくても常に繋がり、心の声だけで対話できると知った。それ以来、ネィル・フー・トゥーンは何かにつけてガミガミと口うるさくて気の休まる時はないけれど、それは彼なりにロムルスを心配しての事なのだろう。
「ネィルっていいヤツだよね」ロムルスがそう話すと、彼はつっけんどんに「くだらん」と言い捨てたが、その響きにはどこか照れがあるようにも感じられた。
ロムルスは彼と、剣の道とは何か、という固い話題から、他愛のない世間話までひとしきり話を続ける。しかし、つきない話題を制するように、テラス中に「ロムー!」という声が響き渡った。
ロムルスが振り返ると、白い鱗を身にまとうカギルが、ユアンを引きずるようにして立っていた。
ロムルスは彼女が何か言うより早く、これが毎年恒例の騎士礼典の締めであることを理解する。どうやらこの役目もまた、リンドからロムルスへと引き継がれたらしい。
礼典で爆笑したことについて、ユアンを非難するカギルは今日まで何かとロムルスを気にかけてくれていた。そんなカギルも今年で二十六歳だが、ユアンによれば「この数年でカギルの引きこもり具合は更に酷くなった」とのことらしい。
緊張したカギルこそ悪いのだ、と言ってロムルスに同意を求めるユアンは、まだ若き騎士であるロムルスが少しでも仕事しやすいように、と後見人になってくれた。
そんな二人に、「「ロムはどう思う⁉」」と詰め寄られてロムルスは後ずさりする。
煮え切らないロムルスを見てユアンが自分の値をつりあげた。
「もちろん、ロムは俺の証言に賛成だよな。なんたって俺、後見人だし♪」
あまりにも大人気ないやりくちにカギルもひけなくなる。
「な、なによ! それなら、あたしだって……ロムはね、あたしで女を知ったのよ!」
高らかに言い放ったカギルにユアンが唖然となった。
「ちょ、ちょっと誤解のある言い方しないで下さい」ロムルスは大あわてで説明する。
『ロムは女心が分かってないね』そう話す彼女は何かにつけ、女というものは、とロムルスに講義してくれたが、彼女の話す女性像について、ロムルスは正直言ってそれが当てはまる女性をカギル以外で見たことがなかった。
説明を聞き終えて、「そんなこったろうと思ったよ」カギルに向けて呆れ顔のユアンだったが、二人顔を合わせた後、思い出したようにロムルスへと向き直った。
「で、結局……」
その時だった。運が良いのか悪いのか、甲虫出現を報せる警報が鳴り響く。
固唾を飲んで聞き耳を立てる三人に、いよいよ場所が発表された。
『……場所は東方! 東門を展開します!』
ユアンとカギルが小さくガッツポーズをつき、ロムルスは溜め息を付く。そのあとですぐ手をひらひらと振る二人。手伝ってくれる気はさらさらないらしい。
それでもこの二人から開放されるなら良しとするか――、踵を返したロムルスの後ろで、ユアンが声を上げた。
「あ、そうだ。カギル、お前この後非番だろ? たまには我らがロムくんの仕事ぶりでも見に行くか?」
「それ、いいかもー」すぐに賛成したカギルとユアンは、そのあとすぐに鱗に羽織るポンチョ風のマントを取りに行くと言ってどこかに行ってしまった。
早足に駆ける二人の後ろ姿はまるでピクニック気分である。
なんて人たちだ――、ロムルスは怒りを通りこして呆れてしまった。そして、この二人に振り回されっぱなしだったリンドの苦労を今更ながらに思い知らされた。
「やれ、やれ」
リンド風に呟いて、ロムルスは自分の鎧を取りに早足に歩き始めた。
鎧の置かれた武具庫へと至る途中の廊下で、一人の男性とロムルスはすれ違う。
パラス・アズロ内において、現役だったリンドから未熟者のロムルスが職を継いだことに対して不満を抱く者は少なからずいる。彼、賢王直属の親衛隊長、ヒリュー・ド・プライズモアもその一人だった。とはいえ、東方守護騎士前々団長の彼に敬意を表さない訳にもいかない。
ロムルスは立ち止まり、深々と一礼したが、彼は無視するように通り過ぎる。
相手にすらされなかったロムルスだが、それでも気にはならなかった。いつか彼らにも認めてもらえるよう精進するしかない。それは、つまり自分の問題なのだ、卑屈になっていたって仕方がない。
ロムルスは背筋をピンと伸ばすと、胸を張って再び歩き始めた。
5
「……それで、クイルド、準備の方はどうなってんだ?」
アン・ミンツは運ばれてきた蒸留酒を飲み干すと尋ねた。
蒸留酒は何の味もしなかったが、水と同様、喉の渇きを潤してくれるような気がした。
隣では、キリが数日ぶりのごちそうを一心不乱に詰め込んでいる。
「ああ、順調じゃ。『神』の気まぐれのおかげでな」
酒にも食べ物にも口をつけようとしないクイルドは、玉座の肘掛けに乗った大きめの鈴を鳴らした。
アンとキリが入って来た扉が開き、六人の男女が姿を現す。
彼らは他の砂漠の民とは違い、キリと同じ白い肌をしていた。そして、彼らもキリと同じく身体の一部を人工物で補っていた。
スラリと伸びた肢体とサラサラの髪の男は胸の部分に。
背の高いショートヘアーの女は両脚に。
髪を逆立てヒョロリと背の高い男は左腕に。
少しずんぐりとした体型の童顔の男は額に。
銀色の細いフレームをかけたロングヘアーの女は右目に。
がっちりとした体格に無精ひげを生やした男は背中に。
それぞれ、義手や義足などの人工物が取り付けられている。
サラサラの髪の男は微笑むとキリを見つめた。
「久しぶりだね、キリ」
その瞬間に、キリの枯れ果てたはずの涙が止め処なく流れる。
ズラリと並んだ六人を傍らに置いて、クイルドは静かに口を開いた。
「〝ミカエル〟のシロガネ。〝ガブリエル〟のアオ。〝ウリエル〟のアカネ。〝メタトロン〟のヤツキ。〝サンダルフォン〟のミドリコ。〝サリエル〟のギオン。……そして、〝ラファエル〟のキリ。今、全ての準備が整った」
キリの中で失われていた記憶が覚醒する――。
はたとキリが見上げた先で、アンが微笑んでいた。
「だから、運命っつったろ?」
立ち上がり、ゆっくりと振り返ったキリを、長い旅を終えて帰郷した者のように六人は暖かく迎え入れる。
六人とキリに笑顔が浮かんだ。
「最後の一人、八人目は体調がかんばしくなくてな、今は身体を休めとるところじゃ」
クイルドは、キリも加えて七人となった彼らを見つめながら話を続ける。
「それでも、じゃ。いつでも始められることには変わりないぞ。何にせよ、シャルナァプのヤツがことここに至るまでにデータやメモリを処理しとらんかったのは、ありがたかったのう」
それは、黄砂という形でこの世界を埋め尽くし始めた旧時代の記憶の残骸を示している。
身体の一部を欠損して生まれてくる彼らにとって、かつての時代のゼンマイ仕掛けの人形の一部ともいうべきその技術がどれ程の助けになったことだろうか。
「処理してなかったんじゃなくてよ。処理出来なかったんだろ、プウのヤツはよ」
神の箱庭と呼ばれし、世界を創り、コントロールする力。たかだか錬金術師でしかないシャルナァプには荷が重たかったのだろう。アンはもっともな指摘をしたが、クイルドには不満だったらしい。
「それは、それじゃ。問題はな、ワシが今までコツコツと表出たんようにガリア族をまとめあげ、黄砂のデータから〝ミカエル〟ら『天便型補強装置』を作り、影で対シャルナァプの準備を進めてきたのが、お前の派手な登場でブチ壊しってことじゃ。あんな派手に身体再構築なんぞしおって、シャルナァプのヤツとて気付いたに決まっとる‼」
束ねた緑色の髪の毛をふりみだし、すごむクイルドにアンは一瞬ひるむ。
「じゃ、じゃあ、やめますか?」
アンが恐る恐る尋ねると、クイルドは余計に怒鳴った。
「アホウが! シャルナァプじゃ長い間次元の狭間に閉じ込められとったクリムタの魂の復活は無理とわかっとるから、わしゃこうしてあのバカに協力しとるんじゃ! それがなかったら、とっくに新しい人生満喫しとるわ‼」
ガリア族八十八の部落の長の一人娘として生を受けた見目麗しい少女は、周囲の期待をよそに力で男達を従わせ、旧時代の記憶の残骸から『天使型補強装置(アンゲルス・レインフォーセメント・マシーナリー)』、通称アルマナを作り出すほどの聡明な知識を持っていた。それらはすべて、この世に生れ落ちるに当たって『世界』の真の継承者たるあの『バカ』から、以前の記憶と協力要請を得ていたからだ。
約一年前、前ガリア族の王、先代ガリアラッハをボコボコにして、新たにガリア族の王となった二十八歳のクイルドの姿は、どこかかつての時代で彼が愛した女の姿に似ていた。
クイルドの怒鳴り声を聞き終えて、アンは「ニヒ」と笑う。
「だったら問題ないって。あれくらいの登場の方が、プウのヤツもびびるっしょ」
6
小型の砂噛み(アレデントード)の征伐は、呆気ない程の早さで決着が付いた。
いつもなら指揮系統をまとめるのだけでも一苦労するものだが、幸か不幸か、礼典の残り物のジャガイモのフライと、ドリンク片手に物見遊山気取りで来ていた赤の騎士と白の騎士の姿が、我らが東方守護騎士団のメンバーに発破をかけたらしい。
砂噛みが悲鳴を上げながら、その東門に届きそうな巨体を倒した瞬間、東方騎士団の面々は歓声を上げ、二人の騎士団長はあからさまにつまらなさそうな顔をした。
おそらく、ロムルスが手こずり、泣きつこうものなら貸しの一つも作るつもりで助勢しようと思っていたのだろう。砂噛みが動かなくなるのを確認して、パラス・アズロの方へと踵を返したロムルスを迎えるユアンはそれを隠すでもなく口にする。
「あーっ。くそぅ、つまんねーな。あとは団の連中に任せてさっさと支度しろ、ロム。飲みに行くぞっ。しょーがないから、今日は割り勘だ」
あわよくば、助勢して僕に飲み代払わせるつもりだったのか――、呆れかえるロムルスの口からは溜め息しか出てこない。
後見人だなんだとは言ってるけどこれじゃただのチンピラと変わりないな――、そんな思いのよぎったロムルスは、一転して先輩の誘いを断る口実に気が付いた。
「いやぁ、ユアン団長。僕まだ未成年なもので、飲みに行けないです」
それは本当の話で。その時、ロムルスはまだギリギリ十九歳だった。
「つきあうだけでも良いだろー」未練がましいユアンを制するようにロムルスは続ける。
「せっかくだから、たまにはカギルと二人で飲んで来て下さいよ」
「はぁ⁉」頓狂な声を上げてカギルがむくれた。
「なんで今更ユアンなんかと二人して、お酒を酌み交わさなきゃなんないのよ」
ロムルスは軽く笑う。
「だって、『花騎士』も終わって、カギル団長、家に帰ってもすることないでしょ」
カギルの顔に、痛い所をつかれたような色が浮かぶ。
エリスティンの死から早五年。十二年越しの大作、花咲ける騎士団も黎明編をもって先日堂々の完結を果たしたばかりだった。
カギルが全四十七巻を最初から読み直すなどと言い出さないうちに、ロムルスは二人に促す。
「たまにはいいじゃないですか。ほら、つもる話もあるでしょ? 二人とも」
ロムルスに追いたてられて、渋々といった表情を浮かべながらも二人は連れだってその場をあとにした。
二人の姿を見送ったあとで、ロムルスは団の皆と砂噛みの死体を片付ける。死体をそのままにしておけば、それを狙ってまた別の甲虫などが寄って来る可能性があるからだ。あまりに巨体なサイズの物であればパラス・アズロ自体の移動を要請する所だが、この程度の物であればそこまでする必要はないとロムルスは判断した。
団の屋台骨にして聡明なる副団長、レンジョウ・シメイの指示で団員たちは砂噛みの巨体に銛をうちこむ。
繋いだ鎖をロムルスも含めて十人がかりで引いていく。
一キロ程離れた砂漠まで移動し、鎖を外すその工程が終了したのは既に夕暮れ近くのことだった。
勝利の興奮と疲労を胸に、東方守護騎士団はパラス・アズロへの帰路についた。
詰め所で夜勤の団員に務めを引き継ぐと、東方守護騎士団からなる砂噛み征伐隊は解散する。青い鎧と着慣れた鱗を脱いで、東方守護騎士の象徴たる青龍のモチーフが胸に刻まれた制服へと着替えると、ようやく緊張の糸が解ける。他の団員からも安堵の息が漏れるのが聞こえた。
パラス内の帯刀が許された騎士たちは、鞘にしまわれた愛刀を腰のベルトに掛ける。そしてロムルスらは家路へと歩き始める。
住み慣れた時計塔への帰り道、ロムルスの傍らには同期のマルコ・ユミールとクロエ・ポーカーが並ぶ。
ロムルスより頭ひとつ背高のマルコは、普段着の上に制服のジャケットを羽織ったラフなスタイル。クロエはワンピースタイプの制服にブーツ姿、でもやっぱりクロエの制服は、ロムルスらと同じ黒地のものなのに、昔と一緒でひとりだけ上等な物に見える。
ロムルスたち三人は、無事ピンクのステッチを卒業した――。
一層騎士になるという決意のもと、修練に明け暮れた三年という年月はあっという間に流れた。元々素質のあったクロエと共に、ロムルスは卒業と同時に準騎士へと昇格し、その一年後正騎士になるという順調な道を辿った。ロムルスとクロエの励ましを受けつつ、挫けかけたマルコも一年遅れで、今年ついに正騎士へと至った。
普通の学生と違い、ロムルスたちの思い出は少ない。それでも騎士を目指す学業と鍛錬の合間、クラスメイトたちと触れ合った文化祭や体育祭は良い思い出だ。だがそれも騎士としての激務に邁進する今日では、数年前の出来事だというのにまるで遠い昔のようだった。
今や顔を出すのも稀な学び舎は、二年前その歴史があり過ぎるゆえの損傷の激しさに、とうとう建て替えられた。旧時代の負の遺産と結論付けられたあの焼却炉も取り壊されたらしい、とロムルスは人伝に聞いた。
そんな伝統ある学び舎を晴れて卒業した三人のうち、ロムルスは当然東方守護騎士団への配属を希望した。そしてマルコもクロエも当初希望していた西方と、北方の騎士団ではなく、東方守護騎士団への配属を希望した。今やは騎士団になくてはならない存在へと成長した二人は、未熟な騎士団長のサポートに徹してくれている。
黄砂病患者の弟をもつ兄への同情ももちろんあっただろう、だが彼らは決してそんなことを口にせず、ただ此処に、あの頃と変わらずロムルスの隣にいてくれた。
年長の騎士たちとの架け橋となってくれたレンジョウや、同期組と後進の騎士をまとめてくれたマルコとクロエ。そして、リンドと各騎士たち。あの日、何もかもを失ったと思っていたロムルスの周りには沢山の仲間たちがいて、今へと至る道程も、若輩の騎士として始まりを告げた今日のこの日も、ロムルスを支えてくれていた。
だからロムルスは、この先どんな困難があろうともきっと乗り越えていける。そう思った。
石畳の道を進んでいると、時計塔がその先端を民家の屋根越しに覗かせた。
陽はかげり、夜の訪れ。その薄闇にもはっきりと見える時計版の灯火。
「今日ってさ、お祝いじゃない」
ふいにクロエがそう言ったのは、時計版がきっちり七時を打刻したときだった。
「ロムの正式な就任のお祝い。せっかくだし今日くらい三人で飲みに行こっか」
今も変わらず小柄な彼女は、黒目がちな瞳で上目遣いにロムルスを見上げる。その顔は少しはにかんでいるように見えた。
「おっ、いーね。アレンのバールでアレデントード征伐も兼ねて祝杯あげちゃいますか」
三年前より少しだけそばかすの薄れたマルコが、便乗するように継いだ。
ロムルスの嘆息。
「だからさ、僕ははまだ未成年なんだってば」
尊敬されるべき騎士とは思えぬ口調は、三人だけの時間。ロムルスもクロエもマルコもあの頃に戻ったよう。
「だってさ、俺もクロエもすでに二十歳だし、ね。早生まれの団長殿♪」
「じゃあ僕一人だけアルコール抜きかよ?」
「ロ、ロムもちょっとくらいは飲んでもいいんじゃないかな。だって今日はおめでたい日だし。それに、その、わたしバールって行ったことないから、わたしの社会見学に付き合ってもらえれば助かるっていうか、そのなんていうか……」
尻切れトンボのクロエの頬はすでに、ほんの少しだけ赤い。
「そう、そう、クロエお嬢様の社会見学に付き合ってやろうぜ、なあ、ロム」
「社会見学ねぇ……」
通りの先に見慣れた時計塔が映る。ロムルスはそれを少し見上げたあとで、
「今日は礼典に虫退治に大忙しだったから、やめとくよ。二人で行ってきなよ」
ロムルスはそう言った。
「そ、そうだよね。忙しかったからロムも疲れたよね。ゆっくり休んで疲れをとってね。じゃ、じゃあまた明日」
クロエは早口で言うと微笑んでみせる。心なしか歩くペースも早足になったような気がする。
時計塔の前でクロエが手を振る。ロムルスもそれに応じた。
二人を見送ってドアのノブへと手を掛けたとき、マルコが駆け足で戻ってきた。
ロムルスが何か尋ねるより先にマルコが言った。
「なぁロム、クロエはお前と話がしたかったんだぜ。騎士じゃなくて、学生時代からの同期としてのお前と。ここまで言えばお前だって分かるだろ? クロエの気持ちくらい」
いつも冗談ばかり飛ばしている団のムードメーカーの真摯な表情。
ロムルスはあえて微笑んだ。
「今日は本当に疲れたんだ。だからまた今度にするよ。今夜は二人で楽しんできて」
まだ何か言いたげだったマルコは曖昧な返事をして、クロエを追いかけた。
その後ろ姿が小さくなるまでロムルスは見つめていた。
マルコはクロエの気持ち――と言った。ロムルスはそれに対して――じゃあマルコの気持ちは? とは訊かなかった。あえて訊かなくても知っていたからだ。
これから先の困難も、沢山の仲間たちに支えられていられれば乗り越えていける。そうロムルスは信じている。
自身の望みを叶えることはとても困難で、そのためにはどんな犠牲も厭わないとあの日誓った。だが、結局自分一人の力には限界がある。沢山の仲間の支えが必要だった。今と変わらぬ関係を維持した、みんなの支えが……。
あれから五年が経ち、少しだけ大人になって、そして少しだけずるくなった――通りの薄闇を見つめるロムルスの瞳には、苦い色だけが残った。
時計塔の入り口をくぐると、五年前よりやつれたペノッテが「おかえり」と微笑む。
「ただいま」と返して、ロムルスは階段を昇り、自分の部屋へと入る。
今はもう自分だけの、誰もいない部屋の、誰もいないベッド。ロムルスはそれを見つめて、渇いた心でいつも通りに「ただいま、レム」と呟いた。
7
「――行くのね、ギオン」
義眼と呼ぶにはあまりにいかめしい機械を右目にはめ込んだ、細い銀縁のメガネをかけた女が言った。
砂漠に一人腰掛ける男は、首を傾けるとすぐ後ろに立つ女の顔を見た。
男はボサボサの頭に無精ひげという不健康そうな容貌をしていたが、鍛え上げた身体は引き締まっている。モスグリーン色のタンクトップからのぞかせた両腕は太くはなかったが、無駄な脂肪などなく、筋繊維が凝縮されているようだった。
男は女の顔を見ると、そのまま砂漠に大の字に寝転がる。
「明朝、決行することになったよ。ミドリコ」
男は答えながら雲ひとつない満天の星空を見上げた。そして、笑顔を浮かべる。
「んーっ、まぁ、心配すんな。俺がしくじったら、お前らの出番がなくなっちまうからな。絶対成功させっからよ。ま、俺と〝サリエル〟に任せとけ」
だが、笑顔のギオンとは対照的にミドリコの表情は暗い。
「ギオン。……あなたは……あなたは怖くないの?」
ミドリコの質問にギオンは笑った。声を上げて笑った。
ギオンがかつて荒紫名祇園と呼ばれていた世界で、彼は一度その存在を消滅しかけた。
しかし、その間際に彼の眼前に現れた、風になびく稲穂のように美しい金髪の男は、自分の魂の一部を分けあたえてくれると言った。
そして、念願の魂を得て、この世界で存在の再生を果たした彼だったが、生れ落ちてすぐ「オギャー、オギャー」と泣き叫びながら母親を求める肉体とは裏腹に、冷静に動く頭がまず思ったのは――なんだ、これは? だった。
あれ程魂に執着していた彼が、いざ魂を手に入れてみるとその違いに気付かなかった。いや、正確には、最初からそれに違いなどなかった。気付いた瞬間、彼は表面上で泣きわめきながら、心の内で笑い転げる。
ギオンは理解した――問題は魂のある、なしではなかった。
真に重要なのは、自分という存在が、何を思い、何を考え、何を成すかだ。
おそらく他の六人もそれに気付いたはずだ。
その後のギオンは、数々の偶然という名の必然が積み重なった結果、ここにいた。それでも自分がこれから行う行動は、自らが思い、考え、導き出した結論だった。自らの命をかけるに値する、ギオンという人間の存在を証明に値する行動。それを理解しているからこそに、ギオンは恐くなどなかった。
それは、おそらくミドリコとて同じだろう。だが、頭で、心で、理解はしていても不安なのだ。ギオンにもそれは十分に分かった。
「これは終わりの為の行動じゃないよ、ミドリコ。死にに行くんじゃない。俺は俺らしく生き抜くために行くんだよ。それは、お前だって同じだろ? だから、そんな顔しないでさ、笑ってくれよ……」
終わりじゃない――だからこそ、ギオンはミドリコに微笑む。
「……なあ、ミドリコ。俺たち、生まれてきて良かったなぁ」
ミドリコは、ギオンの微笑みと言葉を受け止める。
そして、心の内を包み隠すのをやめるように、愛しい者へ向けて満面の笑みを浮かべた。




