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第五章 喜びと悲しみと

  1


 わずかに数時間という短さをもって、ムーナル戦役は決した。


 剣王ル・シウスが倒れると、四方騎士団と混戦の中にいた剣王軍のほとんどは降伏の意思を示した。騎士団を包囲し圧倒的優位にあった剣王軍の誇る重装歩兵部隊と、劣勢を余儀なくされつつも善戦を続けていた騎士団だったが、意外にも人的被害は剣王軍の方が多かった。それもあり、士気の下がりつつあった剣王軍は、剣王ル・シウスの死を知るや次々と剣を捨てた。

 雪崩をうつように次々と自軍の兵の倒れる床へと剣を投げ捨てた剣王軍の残兵は五十を切っていたが、パラス・アズロの騎士に死者は出ていない。それでも重傷を負った者は二十名以上、そしてその半数はもう二度と剣を振るうことは出来ないだろう。

 降伏した剣王軍の兵は、犯罪というものが今や存在しないパラス・アズロにおいて、現在その当初の趣旨を忘れるようにして残る、収容所へと送られた。

 パオロ宮の別棟の更に奥にある、廃墟のような関係者以外立入禁止のその施設は、今は黄砂病の患者の収容を主としていた。それゆえ剣王軍の残党に黄砂病が感染し羅患者が増えるのではと人々は心配したが、元よりパラス・アズロを侵略しようとしていた外敵の健康について心配する者や同情する者は皆無だった。

 それでも、敵として相対した者だろうが一度剣を交えし者には最大の敬意を払うことを信条とするのが騎士団である。かつては広大なる水源として名を残すムーナル湖、その面影もなき荒涼たる砂漠に、剣王軍の七十余の亡骸を埋葬すると、簡略的ながらも死者を弔った。

 墓標無き黄砂の下にはその兵たちと供に、プラィ・マリィ、シクロ・ソナゥ、ジンモ・ウコン。そしてロウマ・アウレリアと、バラガン・ル・シウスが眠る。

 ここに完全にアウレリア帝国の血を継ぐ者は死に絶えた。ムーナル戦役の終結は、かつての豊穣なる大陸、そのほとんどを手中にしていたアウレリア帝国の残り火を消し去る形となった。

 もはや誰の者でもない大陸に広がるのは黄砂だけ。そして、かつてアウレリア帝国の一所領だったパラス・アズロは今、ただのパラス・アズロとなった。

 新たなる始まりは旅立ちに似ている。大海原へと帆を張る一隻の船のようなものに。しかし、広大で決して終わりの見えないこの砂漠において、パラス・アズロはいつ呑まれるかも分からない小船でしかない……。


 二日経ち、出発の整った街に、移動型城塞都市特有の唸るような排気音が響く。

 パラス・アズロはその代名詞とも言うべき四本の太い脚部を震わせ、激戦の地を後にした。


 パラス・アズロの移動は丸二日以上続いていた。

 唸り声を上げながらも、緩やかな波に揺れるほどのパラス・アズロも低速歩行。平時の速度は別段代わり映えもない日常そのもの。

 その日、非番のロムルスが買い物から帰ると、思いがけない客人の姿があった。

 本来ならパラス・アズロ移動中に際しては家から出ないことを義務づけられてはいたが、厳戒体制でも敷かれていない以上はその義務とてそれ程厳しいものではない。万が一、職質をかけられたとしても、そんな時こそロムルスの『騎士見習い』という肩書きが活かせるので、問題はない――と、そこまで思い及んで、そんな時くらいしか活かせないのも問題と言えば問題だけど、ともロムルスは付け足す。

 ペノッテに頼まれた買い物を済ませたロムルスだったが、ふいに時計塔の二階から聞こえてきたレムルスの楽しげな笑い声に眉根を寄せる。レムルスが、ロムルス以外の誰かとそんなにまで楽しそうに笑うこと自体が珍しかった。

 ロムルスは買い物袋もそのままに二階へと駆け上がる。

 押し開いたドアの先には、ブランケットに包まったままケラケラと笑うレムルスの姿。そして、向かい合って座っていた人物は、ゆっくりと振り返ると微笑んだ。


「やあ、おかえり、ロム」


 ロムルスは慌てて駆け寄る。


「どうしたんですか、リンド団長。今日ってお仕事じゃ……」


 目を白黒させるロムルスの視線の先に、ムーナル戦役の英雄の一人――青の騎士リンド・ヘイワースがいた。


「ああ、仕事だよ。この近くに訪問する予定があるんだ。せっかくだし、随分レムルスの顔も見てなかったから寄らせてもらったよ」


 ケラケラと笑うレムルスは、「聞いてよ、ロム」と言って、リンドが教えてくれたという話を語り始める。その内のいくつかは、既にロムルスがレムルスに話していた内容のものだったが、話し手が違うと随分印象が変わって聞こえた。


「そうだ、知ってるかい、レム」


 そう言ってリンドが話し始めたのは、今度はロムルスの失敗談だった。レムルスがあまりにも楽しそうに笑うものだから、それはそれで失敗じゃなかったのかもしれないな、なんてロムルスは感心ついでに勝手に解釈させてもらったりしていた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎていった。「さて、と」そう言って立ち上がったリンドが別れの言葉を告げると、レムルスが名残惜しそうな顔をする。


「今度は何か美味しい物でも持ってくるよ」


 微笑みながら話すリンドはふいにロムルスの顔を見た。そして一瞬悩んだ表情を浮かべたあとで、口を開く。


「……一応、これも騎士の仕事だからなぁ……ロムも付き合うか?」


 ロムルスが即答するその隣で、レムルスが不満を口にする。

「すぐ帰るからさ」そう言って手を振るロムルスに、レムルスがあかんべえをした。


「本当はパラス・アズロの移動が終わってから出向くつもりだったんだけどね」


 リンドにロムルスが連れて行かれたのは、時計塔から少し歩いた先の裏通りと呼ばれる路地の一軒屋だった。

「ロムはここで待ってて」リンドに言われるがまま、一軒家から少し離れた先でロムルスは待たされる。

 リンドがドアをノックすると、一人の老婆が顔を出した。東方守護騎士の象徴たる、胸に刻まれた青い龍のエンブレム。それを見せながらリンドが自己紹介する。ふいの騎士団長の訪問に、驚きと警戒の色を顔に浮かべていた老婆は、ロムルスの顔を見て一瞬だけぎょっとした。


 ロムルスがその老婆の正体に気付いたのは、リンドに促され、家の中に消える後ろ姿を見た時だった――この間倒れてた……ニコラおばあさん……?


 家の中で交わされるリンドと老婆の会話は、ロムルスにはほとんどが聞き取れない。

 だが、かすかにリンドの言葉が聞こえた。


「……あなたの見たのは子供が置き忘れたただの人形です……それをあなたは駆けて来たあの子と混同したのです……現にあの子は、ああして元気じゃないですか……」


  2


 湿気高く薄暗いその建物に、陽の光が射し込むことなど一日中なかった。

 収容所という名目の、不用に並ぶがらんどうの檻を横目にガンド・マギアスはその長い廊下を歩く。そこには人ひとり分の温もりも、ましてや小さな生き物の気配も感じられない。ただのオブジェにしか過ぎない百近い数の牢屋を抜けた先で、ようやく辿り付いた行き止まりの壁。そこにあつらえた簡素な作りのドアを押し開く。

 部屋の中では、皿をナイフが擦るカチャカチャという音と、肉を咀嚼するクチャクチャという音だけが聞こえた。

 小さなテーブルを前に座するシャルナァプ・ウーデルカは、切り終えたステーキの肉片を口に放りながら、入室したガンド・マギアスに向かって小さく左の義手を持ち上げた。


「失礼。こうも執務に追われては、なかなか食事の時間も作れないものでね」


 ガンド・マギアスは小さく溜め息を付いた。


「で、終わりましたかな」


 シャルナァプは咀嚼するクチャクチャという音を交えながら「概ね」と答えた。

 シャルナァプの眼前では、白と黒の仮面を付けた者たちが黙々と作業をこなしている。

 多量の砂クラゲを溶かした粘液状の小さなプールに沈む屈強な若い男を、仮面の者たちは四人がかりで引き上げる。脇に設けられた小さな砂場へと降ろすと、男の身体の両面に万遍なく黄砂をまぶしていく。それはフライを作る工程に似ていた。

 一通り作業を終えると、仮面の者たちは再び四人がかりで男の身体を持ち上げ、少しだけ丸みを帯びて窪んだスプーン状の床へと移動させた。無言のまま作業を見守っていた黒の神官キーラ・バレンシアが、不意に壁に突き出たレバーを引く。するとスプーン床はパックリと真ん中から割れ、男の身体は放り捨てられるように遥か下方に広がる砂漠へと消えていった。


「これにて、剣王ル・シウス配下の全戦犯への判決及び、刑罰の執行を終了する」


 シャルナァプはあくび交じりに告げると、激務からの開放感に浸るように座ったままで両手を広げ、伸びをする。

 その瞬間シャルナァプの右手が、空気のように気配も存在感もなく傍らに立つ女の顔に当たった。黒い仮面は外れて落ち、床で船のように揺れたが、その女、ベアトリス・カラーチェは目で追いもせず、ただ虚ろな瞳のまま立っているだけだった。

 ベアトリスに向かい「失礼」と謝罪の言葉を口にするシャルナァプの所作はあくまで優雅に、そして大袈裟までに紳士的である。


「百と四十六名の刑の執行だよ? ガンド。賢き選択も楽ではないな」


 少しだけ疲れた表情で笑うシャルナァプを、ガンド・マギアスが無言で見つめた時、小さな裁判所ともいうべき部屋のドアが開いた。

 部屋の中へと入ってきた白の神官アラベル・フランの抱えるそれを見て、シャルナァプは小さく舌打ちをする。


「そう言えば、まだそれが残ってたな。……それで? 黄砂病の患者は何人目になった?」


 侮蔑の表情で見るシャルナァプの前で、アラベルの抱きかかえる幼児が泣き声を上げた。

 ル・シウス軍の侵攻前夜に、隣人からの情報で連れて来られた幼児は母親を求め、焦がれるようにただ泣き続ける。


「この子で七十八人目です」


 そう告げたアラベルの声は、非現実的なまでに美しかった。


「さっさと救ってやれ」


 シャルナァプが吐き捨てるのと同時に、アラベルは懐から抜いた短刀を幼児の喉下に突き刺した。


  3


 裏通りを歩くロムルスの頭の中では、リンドの発した言葉がぐるぐると廻り続けていたが、その疑問を口にすることは出来ずにいた。ちらちらとリンドの顔色を伺うロムルスの気持ちを知ってか知らずか、ふいにリンドが口を開く。


「戦時の仕事はどうだった? ロム」


 ムーナル戦役におけるロムルスの活躍などたかが知れている。救護班という仕事を与えられ、心臓は不安と興奮に高鳴ってはいたが、自身の決意が虚しく思える程に戦争の決着はあっけなく着いた。ロムルスはそのほとんどをパオロ広場で待機していたに過ぎない。


「仕事、と呼べるものかどうか。僕はほとんど何もしてないですし。……ただ」


 ロムルスは続けた。


「ただ ……やっぱり恐かったです。僕の目に直接は映らなかったけど、このパラス・アズロで戦争が起こっているということ。そして、たくさんの血が流れたということ。その事実が、本当に、恐かったです」


 ロムルスは本心をありのままに告げた。

 リンドは静かに頷くと、少しだけ遠くの空を見つめる。


「なあ、ロム。ロムはどうしても守りたいものってあるか?」


 ロムルスの脳裏にすぐに浮かんだのはレムルスの顔だった。


「俺も戦争は恐かったよ、逃げ出したい程にね……。でも、どんなことがあっても、自分の大切な人を守る為と決めたから、逃げ出さずに戦うことが出来た」


 青い空を眩しそうに見つめながら話すリンドの口から「恐い」とか「逃げ出したい」という言葉が飛び出すのを聞いて、ロムルスは一瞬戸惑ったが、「逃げずに戦えた」と告げた理由はすぐに合点がいった。それは紛れもなく戦の前に誓ったロムルスの決意と同じだったからだ。

 以前、リンドは「運命の時、大切なものを守る為に戦える力が持てること」を自身の夢だと語っていた。その大切なものの答えは、さすがのロムルスにも分かっている。


 ――ユカリさんだ。


 リンドは見上げた視線を移すと、にっこりと微笑んだ。


「だから、必ず戦場から生きて戻るから、その時は、結婚してほしいって、ユカリにプロポーズしたんだ」


 リンドの瞳をまじまじと見つめるロムルスの瞳は丸々と見開かれたままで、喉下にひっかかった言葉を出せずに少しの間、口をパクパクと動かす姿は餌を待つ魚にも似ていた。


「ユカリも、いいよって、言ってくれてさ……」


 少しだけ顔を赤らめるリンド。その初めて見る表情を目の当りにしながら、落ち着かせるべく大きく息を吸い込むと、場所も人の目もはばからずにロムルスは声を上げた。


「おめでとうざいます‼」


 リンドが照れ臭そうに笑った。


  4


 ムーナル戦役が決し、パラス・アズロの移動も終えて数日後、街には平穏という言葉が良く似合っていた。

 以前なら、時折の小競り合いを見せていたガリア族も、一族の長を『拳王ガリアラッハ』が名乗るようになった頃から最たる動きもなく、この数日は甲虫の襲来に見舞われることもなかった。

 さしたる騒ぎもない街で今一番の話題と言えば、間近と噂される東方守護騎士団長、青の騎士リンド・ヘイワースと、白の神殿勤めの巫女ユカリ・マルキアンティの結婚についてだった。

 元々が人口一万人程の小さな街で、青の騎士と白の巫女といえば結構な有名人だった。街中の人間がざわめき立つのも不思議ではなかった。


 パラス・アズロの四方のうち、東方を守る大門とパオロ宮のちょうど中間にある古く歴史を感じさせる木造りの四階建てのアパート。その二階の角部屋を男が訪ねたのは、柔らかな陽が降り注ぐ穏やかな午後のことだった。

 祝いの品と呼ぶにはそれ程値もはらない果実酒を片手に、木製のドアを叩き鳴らす。間もなく現れた部屋の主、リンド・ヘイワースは、男の顔を見つめてはのんびりとした声を上げた。


「こんな時間にお前が尋ねてくるなんて珍しいな、ユアン」


 リンドに声を掛けられると、赤の騎士ことユアン・マクティカナルは部屋の主が入室を認めるより早く上がりこむ。


「で、式の準備は進んでんのかよ?」


 ぶっきらぼうに言い終えて、果実酒のビンをテーブルに乱雑に置くとユアンは部屋を見渡した。まだ自分とリンドが若き騎士であった頃から特に変った様子も見られない内装に、昔をちょっとだけ懐かしんでは見たものの、厳しさを覗かせた表情を崩すこともなく、ユアンはリンドを見つめた。

 何事かは良く分からないものの、その顔に「これから飲むぞ」という意思を汲んだリンドは、内心やれやれと思いつつもグラスを用意する。テーブルの上には空のものと、口も付けられてはいないコーヒー入りの二つのカップが置いてあったが、グラスを用意するついでにそれを片付けた。

 リンドはリラックスできる部屋着という姿ではあったものの、最近では陽も出ている内からアルコールを摂取するのは稀だった。それでもおそらく、親友のグチの一つも聞かされるのだろうと当りを付けていたので、


「まあ、式の準備は順調に進んでるよ」


 話しながら、何の気もなしに席に着く。

 しかし、果実酒のフタを抜いて、グラスへ赤い液体を注ぎながら話すユアンの問いは意外なものだった。


「で……本当に結婚すんのか? ユカリちゃんと」


 頭の中で疑問符を浮かべたリンドだったが、それもおそらくは彼女もいない自分を差し置いて結婚を決めた自分への軽い嫉妬じみたものなのだろう、と気にも留めなかった。


 ――幼なじみの自分を差し置いて、結婚なぞおこがましい。ユカリを幸せにしなかったら許さんぞ。きっとそんなオチでもつくのだろう。


 にっこりと微笑むとリンドは「同じ質問をついさっきも言われてさ」と告白する。

 ユアンが意外な顔をするのを見て、リンドは吹き出した。


「ヒリューさんだよ。お前が来るちょっと前までいたんだ。ヒリューさんは『結婚して騎士を辞めるなんて軟弱なセリフを吐く気じゃないだろうな!』ってさ。……まあ、それはまだ先の話です、って答えといたけどさ」


 微笑むリンドだったが、その謎解きはユアンの気にいるものではなかったらしい。ぐいとグラスに注がれた果実酒を飲み干すと、ユアンは神妙な面持ちで話し始める。


「……俺は、お前とユカリちゃんは……なんて言うか、その……兄妹みたいな関係だって思ってた。……それは……実際、お前もそう思ってるんじゃないのか?」


 一瞬間のあと、


「大丈夫だよ――」


 口を開いたリンドだったが、その瞳はユアンを見ていなかった。


「――それでも、大切な存在に変りはないさ」


 誰に言い聞かせるでもなく、言葉は静寂に消えていく。

 リンドはグラスの中で揺れる赤い液体をじっと見つめていた。


  5


 ロムルスは少しだけ眠い目を擦りながら、勤務に従事する。今日は先輩の騎士の巡回に同行する日だった。

 いつ急な要請があるかも分からない騎士は、夜といえども詰め所に数人の騎士を配置している。夜勤と呼ばれるもので、夜勤者の一人には必ず準騎士や見習いが当るのが常で、昨夜の見習いの当番はロムルスだった。

 夜勤明けの朝でその日の仕事は終わりだが、本来なら朝から巡回に同行するはずだった同期のマルコが体調を崩して休んだので、夜勤明けのロムルスが急遽巡回の同行もする羽目になった。夜勤とはいえ、何も起こらない夜は仮眠も割に取れるので、すごくという訳ではなくとも、眠いことには変わりない。あくびが出そうになるロムルスを、時々先輩騎士が睨み付ける。


 午前の早いうちに街中の巡回を終えたロムルスたちがパラス・アズロ一のスラム地区へと足を伸ばしたのは昼前のことだった。

 予定ではこの地域の巡回を終えると昼休憩だったが、一瞬にして空腹も眠気もロムルスからは消えうせた。

 東部スラム地区。そこはロムルスとレムルスの生まれ育った場所だった。

 この地域を訪れる度、ロムルスの脳裏に浮かぶのは亡き父と母の顔。……そして、トカゲの化け物とあの惨劇。事件のあと、心に刻まれた恐怖からしばらくの間は巡回に際しても地域内に入れなかったロムルスも、数年が経ち、今ではやっと訪れることが出来るようになった。それでもやはり、この地域に来るたび背中に走る寒気が消えることはない。


 いつかは乗り越えなくちゃいけないんだ――、意を決するように心の内で呟いたロムルスは、ふいに聞こえた子供の笑い声に振り返った。


 小さな家屋と家屋、その間の細い通り。スラム出身と一目で分かる擦り切れた衣類を身に着けた子供たちが熱中していた遊びは、ピッコロと呼ばれる古くから伝わる紐飛びの一種だった。

 その輪にまじって、子供たちの笑顔に負けないくらいとびきり笑顔の女性をロムルスは見つける。


「ユカリさんだ」


 薄汚れ、色褪せたスラムで、彼女の周りだけが色付いて見えた。それをなおさら彩ってみせるように、子供たちは無邪気に、そして心から楽しそうに笑っている。

 彼女が休みの日にスラムの子供たちに勉強を教えたり、一緒になって遊んだりしているという話を、ロムルスも知っていた。

 紐の上を跳ねるたび、ふわふわの栗毛が揺れた。弾けた汗はキラキラと空中で輝く。

 

 子供たちと戯れる彼女の姿を見ながら――ユカリさんとリンド団長ならきっと素敵な家庭を築いていけるだろうな。なんて一丁前なことをロムルスは考えたりする。


 そのロムルスの姿に、ユカリが気づいた。


「ロムくん! ロムくん!」


 笑顔のまま手を振る彼女の姿が眩しくて、ロムルスは少しの間見とれていた。


  6


 その日、空は恋人たちの新たな門出を祝うかのように晴天に恵まれた。

 小さな教会の小さなテラス。あまり大仰ではない立食パーティーは新婦の提案だという。彼女からの招待で、精一杯のオシャレをしてきたスラムの子供たちがテーブルいっぱいに並べられたごちそうに早くもありついていた。

 内々での小さな式ということもあり、出席者は少なかったが、このあと友人代表の挨拶を行う予定のユアン・マクティカナルとカギル・パンナイン。そしてサリー・サレスにベアトリス・カラーチェ。すでに居眠りを始めた騎士総長ガンド・マギアスらと供に、ロムルスも式へと招待された。

 式の前日、礼装用の服など持っていなくて、いつもの黒地にピンクのステッチが施された制服で参加するつもりだったロムルスに、「わしに任せなさい」そう言って馴染のサレス家へと出かけていったのはペノッテだった。

 そんなわけでロムルスは、この晴れの日に仕立てのよいスーツで臨むことかできた。時々離れた場所から少しだけバツが悪そうにサリーの視線が飛んでくるのを見るに、どうやらペノッテがサレス家から借りてきたのはサリーが昔着ていたものらしい。衣装負けするロムルスも、なんだかなおさらバツが悪い。

 ともあれそれなりの礼装で来られたのは幸運といえば幸運で。


「それパリダカのスーツでしょ、ロム似合ってるよ」


 おしゃれに無頓着でブランドの名前すら知らないロムルスも、クロエに褒められるとなんだかくすぐったい気持ちになった。

 騎士見習いの同期組二人も式に招待されていた。自分だけ特別扱いって訳じゃない、分かってはいてもちょっぴり肩すかしなロムルスだったが、制服姿じゃないクロエを見られるのは、それはそれで幸運だとも思った。

 クロエは胸元に小さなバラの花のコサージュをあしらった、空の色にも似た鮮やかな青色のミニドレスを着ていた。いつものショートヘアーは耳元にイヤリングが飾ってあるだけで、妙に大人っぽく映った。


「汚名返上、これが私の本気ってヤツよ。これなら問題なく『デート』だって出来るでしょっ。ね、ロム」


 ロムルスの真正面で、大真面目な顔をしてクロエは言った。

 デートにだとしたら力入れ過ぎじゃないかな――、思いつつもポーカー家のご令嬢の本気をむげにもできなくて、ロムルスは「そだね」と返す。


「じゃあさっそくしちゃおっか、デート」」

 

 笑みながらなんとなくロムルスが続けると、


「えっ、でも、今日はリンド団長とユカリさんの式だし、あっ、だけど、作法として返事はしなきゃだし、っと、こういうときは、あぁ習ってなかった、わたし、デートの返事の仕方、習ってなかった」


 クロエはブツブツ言っていた。

 ニヤニヤしながら近づいてきたマルコが、ロムルスを肘で小突く。


「お嬢様をからかってんじゃないよ、ロム。完全に思考停止しちゃってんぞ、クロエってば」


 ロムルスはマルコの耳元へと、


「いっつもクロエには振り回されてるんだから、いいんだよ、これくらいのお灸は」


 笑いをかみ殺しながら呟く。

 マルコも示し合わせたようにくつくつと笑う。

 と。


「しますっ‼」


 会場中にクロエの声が響き渡った。

 ロムルスとマルコが慌てて振り返ると、宣誓宜しくクロエが右手を高々と挙げていた。そして。


「私、クロエ・ポーカーは、ロムルス・パルミエリと謹んでデートしますっ! ……幸せにしてねっ‼」

 

 耳まで真っ赤にして言い切った。

 会場中の視線が集まるのを感じる二人。唖然としながらもまだ何か言い足しそうなクロエの口元を塞ぐロムルス。立ち尽くすマルコはちょっと泣きそうだ。


「若さゆえね」


 離れて立つベアトリス・カラーチェが紫煙と共にそんな言葉を吐き出した。まるでそれが合図のように、一陣の風が巻き起こり、ロムルスとクロエに意味不明な手荒い祝福がもたらされる。

 早くもごちそうを平らげたスラムの子供たちが駆け寄って来ては、「お姉ちゃんおめでとう」「お兄ちゃんおめでとう」と言いながら二人に抱き付いてくる。式はいまだ始まってはいない、がしかし、ロムルスとクロエの衣装は籠城三日分くらいの汚れにまみれていた。

 パリダカのスーツがいかほどかよく分かってはいないロムルスは、よく分かっていないからこそに、どうやって返そうかと離れたサリーの顔を覗き見る。

 クロエはなぜだか「ありがとう、ありがとう、お姉ちゃん頑張ったよ、頑張って言えたよ」嬉し涙さえ浮かべながら、ごちそう第二ラウンド目指して駆け抜けていった子供たちの背中を見送っていた。

 すっかり沈んだ声音でマルコが言った。「……そろそろ始まるっぽいね」

 

 荘厳な鐘の音が辺りに響き始めた――。

 

 ロムルスは我に返ると、タイを締め直す。汚れが取れるかどうかは気になるが、レムルスのためにもしっかり式を瞼に焼き付けねば、タイと一緒に気も引き締め直す。

 身体が弱く留守番のレムルスは「ロムだけ、ずるい」とブーブー文句を言いながらも、「ちゃんと僕からのお祝いの言葉も言っておいてよ」とロムルスを送り出してくれた。そんな弟のためにも、自分だけが楽しむわけにはいかなかった。

 テラ教の旧い慣わしに則った今回の式は、神父を前に二人だけで永遠の愛の誓いを立てるというのが通礼だった。

 ロムルスたちは、これから教会から出てくるリンドとユカリの姿をテラスで待つ。

 創生神テラに身も心も仕えるユカリは、今日の日をもってその勤めを終えることになる。だが彼女にはその後やりたいことがたくさんあるらしい。スラムの子供たちの面倒を見ることもその一つだろう。


 そしてリンド団長は――、ロムルスはぼんやりと思い出す。


 結婚の話をしたあと、彼はロムルスに話を続けた。


「実を言えば、ユカリだけじゃなくて俺にもやりたいことがあるんだ。だけど今の東方騎士団を残して、私情を優先させるつもりはないよ。でも、いつか後を託せる者が出て来た時は――ロム、君もその候補の一人だってことを覚えておいてほしい」


 ロムルスはリンドの話を聞いて、とても光栄だと思った。だが、心のどこかでは少し寂しい気もしていた。

 辺りは子供たちが駆け回る騒々しさと、笑い声の響く賑やしさに包まれていたが、ゆっくりと教会のドアが開いていくのと同時にそれも静まった。そして、そのあとで子供たちの「お姉ちゃん、きれい」という溜め息にも似た声が広がる。

 教会から出て来たリンドは白いタキシードを、ユカリは純白のウエディングドレスを身に纏っていた。

 二人供に少しだけ照れるように見つめ合ったその時、すでに出来上がっていたクロエ憧れの白の騎士団長カギルが、「ユカリー」と叫び声を上げながら抱きつこうとする。その場の誰より子供っぽいサーモンピンクなドレスを皺だらけにして、足取りもおぼつかない彼女。そんな彼女が撒き散らす涙と鼻水から純白のドレスを守るようにして、珍しくアルコールを控えていたユアンが羽交い絞めにする姿は、式が終わるまでに後三回見られることとなった。


 はにかむ二人が素敵すぎて、笑いに満ちた式が楽しすぎて、時間はあっと言う間に流れていった――だから、ロムルスは予想もしていなかった。

 みんなが笑っていたその時、そんな恐ろしいことが起こっていたなど、ロムルスは全く予想していなかった。


  7


 式が終わり、リンドとユカリはパラス・アズロの南西部にある古城へと一日だけのハネムーンに出掛けていった。

 教会の中へと入っていく二人を見届けて、余韻の残る式場をロムルスたちはあとにした。

 サリーとベアトリス、そして酔い潰れるカギルを介抱しながら歩くユアン。そして二人の同級生と一緒にロムルスが教会のテラスから外に出た時、通りの向こうからヨロヨロと歩いて来たのはペノッテだった。左目の周りに青アザの出来たペノッテは、子供のように泣いていた。

 驚いて駆け寄ったロムルスに、ペノッテはわななくように呟いた。


「ロム……ロム……。レムが、レムルスが連れて行かれた。連れて行かれたんだ」


 ロムルスは何のことか見当もつかない。何を問うべきかも分からなかった。

 ロムルスより先に訊いたのは、サリーだった。


「ペノッテ、レムルスは誰に、どこに連れて行かれた?」


 ペノッテはすがるようにサリーを見た。


「白の神官アラベルが、仮面の連中を連れて来たんです。わしは、わしはその子は違うって、何度も、何度も……」


 ペノッテはその場に泣き崩れる。

 クロエとマルコは心配そうな視線を右往左往させていた。

 ロムルスは意味が分からず、その場に立ち尽くすだけだった。しかし、サリーは傍らのベアトリスに小さく目配せした。何もかも理解したように頷いたベアトリスは、ユアンへと寄り掛かり立っているのもやっとのカギルを抱き寄せた。そして。


「あなたたちは私とここで待つのよ」


 マルコとクロエに向けて薄い唇を動かす。絵画の中の存在のように、美しさの張り付いた無感情な横顔。だが二人に向けられる瞳は有無をも言わさぬ厳しさに満ちている。


「ロム、ユアン、行くぞ」


 信頼する者への行動を確認するでもなく、サリーは駆け出した。

 後を追って走り始めたロムルスとユアンが訊くより早く、サリーは行き先を告げた。


「レムルスが連れて行かれたのは――収容所だ」


  *


 ロムルス達が収容所にたどり着いたのは、収容所の入り口の鉄格子の扉が閉じるのとほぼ同時だった。

 扉の前に立つ屈強な門番二人が振り上げようとする長い棒の先を、サリーとユアンががっしりと掴む。その間に駆け抜けたロムルスは、鉄格子の柵を両手で強く揺らした。


「待って! 待って下さい! レムルスを返して! レムルスを連れて行かないで‼」


 鉄格子の先には、白い布を被せた担架を四人がかりで持つ仮面の者たちと、白の神官アラベル・フランが立っていた。


「レムルスは病気なんです! レムは僕と一緒にいないとダメなんです!」


 ロムルスの必死さを正面から受け止めつつも、アラベルの表情は全く変らない。ただ、抑制された声で話すだけだった。


「ロムルス・パルミエリ。あなたの言う通り、この子は病気です。だからこそ、ちゃんとした治療を受けさせなければなりません」


 その声は想像上の小鳥のさえずりのように美しい。朝の訪れを思わせるその響きと、よく知るロムルスの声、レムルスが目覚めたのは必然だったのかもしれない。


「……ロム?」


 呟くのが聞こえるのと同じくして、担架の上に被せられた布が舞い落ちた。その瞬間、サリーは小さく舌打ちし、ユアンの目は見開かれた。


 レムルスが病弱だというのは、ロムルスをとりまく皆が知っていた。だが、その姿を実際に見たことがあるのはロムルス以外にはペノッテ、サリー、そしてリンドの三人だけだった。


 ユアンは初めてその姿を見た――右腕と右脚、そして右半分が陥没したように無い、ロムルスの弟、レムルスを。


 再び声がした。小鳥の美しいさえずり声。


「身体の欠損は、黄砂病患者の特徴的な症状です。専門的治療と感染防止の為に、外界と隔離しなければなりません」


 そんな――。


 そんな――。


 そんな――。


 そんな――。


 上手く紡ぐこともできなかった。混乱するロムルスはただ言葉を並べ立てただけだった。


「だって、嘘だ! そんなのは嘘だ‼ 黄砂病になったら……十歳まで生きられないはずだ‼ レムルスは、レムルスは十四歳だ。十四歳なんだよ! 黄砂病のわけないよ‼ それに、それに、今までだって普通に暮らしてきたんだ、感染なんて……」


「例外とてあるでしょう」


 アラベルは宣告した。


「今まで大丈夫だったから、これからも大丈夫などという保証はありません」


 踵を返すとアラベルは歩き出し、四人の仮面もあとに続く。

 ロムルスは「レム‼」と何度も叫び、鉄格子を激しく何度も何度も揺らした。しかし、アラベルが立ち止まることはなかった。 


  **


 どれくらいの時間がたったのだろう。それすらも分からず、どうやって時計塔まで戻って来たのかも覚えてはいない。サリーとユアンがしばらくの間ついていてくれたような気もするが、それもそんな気がするというだけのこと。暗い部屋の片隅で膝を抱えるロムルスにはもう何も無かった。

 少しの理性が残っていれば、これが絶望というものなのだと理解することも出来たかもしれない。だが、ロムルスはもう何も考えたくなかった。

 今のロムルスに出来るのは、膝を抱え、闇の先をぼんやりと見つめることだけだった。

 永遠とも感じられる闇の中に光が射し込んだのは、ロムルスがその闇に根を下ろしてから、しばらくしてのことだった。

 隣室に通じるドアが開き、隣の部屋からこぼれた明かりの中に、リンドとユカリが立っていた。

ユカリは泣いていた。そして「ごめんなさい」と呟く。

 今日づけで白の神殿勤めではなくなったユカリには、もうアラベルに働きかける術はない。その「ごめんなさい」はつまりそういうことなのだろう、ロムルスはなんとなく思った。

 慟哭の止まぬユカリをユアンが隣の部屋へと連れて行くと、残ったリンドがロムルスの隣へと腰をおろした。

 話しかけるリンドの声は、いつもと変らず優しい。


「いつかこうなる日が来るのを、ずっと恐れていた。サリー先輩と二人で、レムルスをアラベルの目から隠してきた。でも、ロムには本当のことを話しておくべきだった。本当にすまない。俺の力が足りなかったせいだ」


 ロムルスは何も言えなかった。元よりレムルスが黄砂病と分かった上で匿ってくれて、ロムルスとレムルスに普通の生活を送らせてくれたリンドとサリーにとやかく言う権利などロムルスにはない。本当に悪いのは、レムルスが黄砂病だなどと疑いもせず、現状に甘え続けてきた自分自身にあるのだ。

「なあ、ロム」リンドが続けた。


「俺もユカリも、ユアンもカギルも、そしてサリー先輩も、皆、君のことが大好きだ。だから、俺も彼らもレムルスがまたここで君と暮らせるように手を尽くすだろう。……でも、それだけじゃダメなんだ」


 ロムルスはすぐ隣に座るリンドの顔を見た。

 彼は小さく、だが力強く頷いた。


「君自身が強くならなきゃダメだ。誰の目にも留まるくらいに。そして、アラベルや賢王シャルナァプに自分の立場と意思を主張できるくらいに」


 語り終えたあと、ロムルスの目を見つめ再び頷くと彼は静かに立ち上がる。

 やがて、彼がいなくなり一人残された闇の中で、ロムルスは自分の非力さがただ悔しくて、声を上げて泣いた。


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