第二章 残念なお知らせとエリスティンの死
1
パラス・アズロの空を厚い雲が覆っていた。
騎士礼典の日の青空が嘘のように埋め尽くす曇天の空は、時としてバケツをひっくりかえしたような雨を降らしていた。
騎士礼典の、巨大な呑み込む者討伐の日から三日が経とうとしていた。
あのあと、現場の事後処理を西方騎士団に任せてロムルスたちは帰途へとついたが、馬をパオロ宮に戻しに行ったり、鎧を片付けたりしていたら、結局家に帰って来られたのは夜も大分更けた頃だった。
「早く帰って来ると思ってたのにさ。ご飯、もう冷めちゃったよ」
時計塔の三階にある部屋に入ると、先に食事を済ませ早々にベッドに潜り込んだ弟のレムルスが毛布から顔を半分出して言った。
騎士礼典の日は早く帰れる――ロムルスはそう話していたから、一緒にご飯を食べようと準備していてくれたらしい。レムルスの顔は少しだけむくれているように見えた。
「ゴメン、ゴメン」とロムルスは謝りながらベッドの端に腰掛ける。そして、今日見てきたばかりの騎士 団長の活躍を話して聞かせた。身体の弱いレムルスは、自分では体験できないその冒険譚を、目を輝かせながら聞いている。
自分のことのように興奮ぎみに話していたロムルスは、やがてすやすやと寝息をたてて幸せそうに眠るレムルスに気付いた。
その顔に「おやすみ、レム」と小声で呟くと、冷めてしまった食事へとありつく。パンとスープ、それにチキンのステーキ。冷めてしまっても、それはロムルスのために、レムルスが腕をふるって作ってくれたものだった。
スープを口に運びながらロムルスは、眠ってしまったレムルスに話せなかった冒険譚のその後を思い出す。
パオロ宮からの帰り道、くたびれた顔のカギル団長が愚痴っていた。
「ユアンのせいでせっかくの非番が台無しよ……」
口を尖らせたカギルは、弁解するユアンの言葉に耳を傾けることもなく続けた。
「……今日は早く帰って、『花騎士』の新刊、読もうと思ってたのに」
最近、引き篭もり傾向が酷くなったカギルは、理想の恋人を書籍 (主にマンガ)に求め始めたらしい――、とはリンドの言葉であり、中でも現在十三巻まで発行されている『花咲ける騎士団』は特にお気に入りとの話だった。
とはいえ、「これから自分を祝ってくれるパーティーだ」などとわざわざ見栄をはって嘘までついたのに――。
微妙な空気の中にいる三人を尻目に、当の本人は全く気付いていない。
その微妙な空気に耐えられないように、驚く程素直に「ゴメン」とユアンが謝るのをロムルスは初めて見た。
ロムルスはそれを思い出して、レムルスが目覚めないように小さく笑った。
時計塔の三階にある自分たちの部屋の窓から、今にもまた泣き出しそうな明け空をロムルスが見上げていると、ベッドの中で毛布に包まるレムルスが口を開いた。
「……この星も僕と同じで病気なんだね」
レムルスは時々、独自の言い回しで話すことがあって、ロムルスはドキリとさせられる。
その度に作るいつもの表情。不敵な笑みを繕うと、ロムルスはレムへと振り返った。
「ほう。レム先生、それはどういう意味ですかな?」
ロムルスからの問いかけに、レムはさして考える風でもなく答える。
「だってさ、ロム。こうして天候はなんの問題もなしに変わっていくんだよ。時々こうして雨は降るし、冬になれば雪だって降る。それなのに、日々世界の砂漠化は止まることなく進んでるなんてさ。そんなのって、病気以外に考えられないよ」
レムの話を聞いて、ロムルスはただ「うーん」と唸るのが精一杯だった。
確かにパラス・アズロの貯水庫が干上がることもなく、雨はこうして時々降ってはいたが、砂漠には水たまりも植物も存在してはいない。
大陸の果てには『海』と呼ばれるものが存在するらしいので、砂漠に降った雨は砂の中を通ってそこに流れ出しているのかも――、なんて思ったことはあったけど、ロムルスはそもそも海を見たことがないから偉そうに説明も出来ない。
世界は一見して何の機能も失ってはいないように見えるのに、日々進行する砂漠化。その説明としてレムルスの『病気』という表現は間違っていないようにも思える。
「じゃあ、どうすれば治るのかな?」
ロムルスが質問すると、レムルスは笑みを浮かべた。
「そんなの僕が分かる訳ないよ。そもそもだよ、ロム。僕が世界の治療法を知ってるくらいの人間なら、世界より何より、まず僕自身の病気を治してるよ」
レムルスは努めて明るくそう言った。
けれどもロムルスは知っていた――、レムルスの体調が日々変化していることや、天候に左右されることを。
この重苦しい空と空気は、ロムルスが思っている以上にレムルスを苦しめているのだろう。でもそれをおくびにも出さないでいる以上、ロムルスもそれに気付かないようにしなければならない。
「それもそうだね」
ロムルスはそれだけ言って、レムルス以上に笑ってみせた。
2
時計塔の入り口から見た曇天の空は、それでもまだ泣き出さずにいてくれている。
「午前中いっぱい降らないでくれると良いんだけどなぁ」
ふいに呟き声が聞こえ、振り向くとそこには時計塔の一階に住むおじいさんが立っていた。
かつては時計塔の整備をその高齢にも関わらず一人でやっていたペノッテおじいさんが、ロムルスへと微笑む。
――趣味で描く油絵のアトリエと化しているだけの、大時計以外に何もない広いだけの室内を放置しておくのも勿体無いだけだし、何より大時計の整備をロムルスがしてくれるのはとても助かる。
そう言ってロムルスたちが時計塔で暮らすことを快諾してくれて、それ以来何かとロムルスたちの面倒を見てくれる優しいおじいさん。
その代わりと言ったら何だけど、暇を見つけてロムルスはおじいさんのギムリス (アウレリア式将棋)の相手をする。ちょっと前までは全然だったけど、今じゃ三回に一回くらいは勝てるようになって、中々筋が良い――なんて最近は褒められるくらいの腕前にもなった。
身寄りのない二人に親切にしてくれて、何よりレムルスの身を心から案じてくれるペノッテおじいさんに、ロムルスは感謝しきれないほどの恩を感じていた。
「行ってらっしゃい」おじいさんが穏やかな声で言った。
「行って来ます」元気良く挨拶を返して、ロムルスは歩き始めた。
パラス・アズロの西部にはこの移動城塞都市のメイン機関ともいうべき動力炉があり、東部には生活の要ともいうべき貯水庫たるダムが設置されている。
今日は週に一度、東方守護騎士団長たるリンド・ヘイワースがダムの視察を行う日だった。
視察には勉強の意味を含めて騎士見習いが一人同行する。今日の担当はまさにロムルスだった。
憧れの団長と半日という長い時間一対一で話せる機会などそうそうなくて、ロムルスの胸の内はいやがおうにも高鳴っていた。
ロムルスが運んだ薬を飲んだ後、レムルスは苦しい表情を見せないように毛布に潜り込んだ。それを思い出しては、申し訳ないような気持ちを感じつつも、ロムルスは抑えきれない高揚を抱えたままで歩を進める。
パラス・アズロの町中には『バール』と呼ばれるカフェがいくつも点在していた。
夜間はアルコールも提供する小さな造りのそのバールの中でも、時計塔から程近いヴェッタ通りの角にある、気の良いアロルド夫妻とその息子が切り盛りする二階屋の小さなバールは、騎士団馴染みの店として町でも有名だった。
木造りのスイングドアを開けると、丁度夜から日中への店の切り替え時だったらしく夫妻の長男で深夜営業から解放されたアレンと、朝の仕込みに追われるアロルド夫妻が迎えてくれた。
「なんだ? ロム、ずいぶん早いな?」
無精ひげを生やしたアレンがあくびまじりに口を開くと、ロムルスが答えるより早く、店主たるエンツォ・アロルドが口を開いた。
「ロムは今日、視察でダムに行くんだ。ほら頼まれてたサンドイッチ。リンド団長のと二人分な」
時刻は朝の七時半、慌ただしくなり始めた店内で、立ち飲みの客たちにコーヒーを注ぎながら話す彼の立ち振る舞いは手馴れたものだ。
お礼を言ってサンドイッチを受け取ると、ロムルスは店内を見回す。意気込みすぎて待ち合わせの場所に約束より三十分も早くついてしまったから、たまにはゆっくりと座ってコーヒーでも飲みながら待っていようと思ったのだ。
どこか座る場所でも、と自然な流れで移した視線は、すぐに見てはいけないものを見つけてしまったことに気が付いて大急ぎで逸らした。
しかし時すでに遅く、その所作は後の祭りだった。
「ロム!」「ロム!」と店内に響く声。そして、手招きされる方へとロムルスは渋々歩いていった。
その道すがらアレンが、ロムルスの耳元に、「今日はガラの悪い客が二人いるから気ぃつけろよ」と囁く。
声の主の前へと歩みを進めると、わざとらしい程の大声でロムルスは挨拶する。
「おはようございます! ユアン団長!」
団長という言葉に、立ち飲みの客がちらちらと振り返るのが背中越しにもロムルスは分かった。
西方守護騎士団長、ユアン・マクティカナルは、上半身をテーブルにつっぷしたままの姿勢で「えっ? もう朝らの?」と呟く。
完全にろれつの回っていない赤の騎士に促されてロムルスは椅子に腰掛けた。
サラサラのはずの赤毛が、鳥の巣みたいになっているユアンは顔を上げつつ、
「ロムも何か飲むか」
アルコールくさい声で話しかけるユアンに、ロムルスはかぶりをふった。正直コーヒーを飲む気も失せてしまったロムルスは小声で尋ねる。
「ユアン団長、今日仕事じゃないんですか?」
「仕事らよ」答えたユアンの目は完全に座っていた。聞けば三軒ハシゴして、このバールには朝の三時から居座っているらしい。
「いいんら、ロム。俺は勤務に実直に勤しんでいるのらから、サリーくんと違って」
訳の分からない屁理屈を並べるユアンに苦笑を浮かべることしか出来ないロムルスは、次の瞬間凍りついた。
「ユアン。俺はお前と違って非番なんだよ」
ざわつき始めた店内でもよく通るハスキーボイスの方へと振り返ると、店の角のテーブルに北方守護騎士団長サリー・サレスと、彼の恋人、黒の占星術師ベアトリス・カラーチェが座っていた。
いつもと同じポーカーフェイスながら、ほんの少しだけ面倒くささを滲ませるサリーと、ユアンの戯言など初めから興味もないように紫煙を燻らせるベアトリスから逃げるように逸らした視線で、ロムルスはユアンへと目で訴える――頼みますから酔いに任せてこれ以上絡まないで下さい。
しかし、そんなロムルスの思いなど感じ取ってくれることなどなく、酔っ払いは酔っ払いとして、酔っ払いらしい口上を並びたてた。
「ロム! あの人らちはあれら、きっとゆうべはオサレなレストランとかれ、食事して、ワインろか飲んれ。酔い覚ましのコーヒーなんれすすったあとは、二人してしけこむ気らぞ。そしれ、あんらことやこんらことを……」
満を持してのユアンの暴言の最中ではあったが、紫煙を燻らすベアトリスは一言だけきっぱりと言い放っただけだった。
「おおむね、その通りだけど」
酔っぱらいの口上に返したのは一言だけ。そしてその一言だけで十分だった。
暴言を吐くのをピタリと止めると、頭をテーブルに打ち突けるようにしてユアンは倒れこむ。
それきりピクリともしないユアンを見て、ロムルスは泣いているのではないかと思った。
一連のやりとり遠目に見ていた立ち飲みの客が、いたたまれないように続々と店を後にするに至り、エンツォ・アロルドの妻ナツエ・アロルドは「とんだ営業妨害だね」としみじみ呟いた。
ユアン団長には悪いけどこれで開放される――。
内心でほっと溜め息をついたロムルスがピクリとも動かないユアンを刺激しないよう椅子から立ち上がろうとした時、夜の営業時だけ使用されるバールの二階側から女性の声が響いた。
「違うよ! それはトイレじゃないよ‼」
間髪入れずに階段を数段転げ落ちた女性の服の端を、連れの女性が必死で掴んでいた。
階段にうつ伏せている女性の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。しかし、その涙はどうやら階段を転げ落ちたせいではないらしい。態勢を直しながら、その女性は連れの女性へと切々と訴えた。
「最早あたしを癒せるのは、ユカリのダブル・マシュマロしかないんだよ。ユカリのダブル・マシュマロをあたしにくださいー‼」
這いつくばったままで、連れのユカリ・マルキアンティへと両手を高く差し出すぐしゃぐしゃの顔の女性にロムルスはドン引きした――カギル団長だ……。
猫のように愛嬌のある瞳は完全に座り切って半端なく吊り上がり、鼻息の荒いさまはまるで狩猟犬のよう。陽の下で煌めくオレンジ色のショートヘアーはくすんで、見る影もなかった。
困惑と怯えの表情のユカリは、ロムルスに気が付くと逃げるようにして階段を駆け下りる。少しだけウェーブがかった柔らかな栗色の髪がふわりと宙に舞った。
ロムルスの前まで駆けて来ると、ロムルスよりちょっとだけ背の高い彼女は「おはよう、ロムくん」と言って微笑む。
得体の知れない生き物のように、四つ這いのままで階段を下りたカギルも彼女を追ってやってきた。
ユカリの焦げ茶色の大きな瞳にロムルスが見とれていると、カギルが嗚咽交じりに呻いた。
「ロムぅ、ロムぅ、聞いてよ、エリスティンが、エリスティンが……死んじゃったよう」
子供のように泣きじゃくる彼女にロムルスは焦る――死んだ? エリスティン? 誰だ!? 聞いたことないぞ……?
「カギル団長、ひょっとして南方守護騎士団の方が……」
泣きじゃくり会話にならない彼女の代わりに、ユカリがロムルスに説明する。
「ううん、違うのよ、ロムくん。『花騎士』のエリスティンが死んだのよ。姫を助ける為に爆弾を抱えてドカーン、て」
ロムルスは唖然とした。カギルに。そして、花騎士に――騎士なのに爆弾抱えてドカーン、なんて……。
言葉もないロムルスの脇を抜けると、カギルはテーブルにつっぷせるユアンの肩を激しくゆする。
現実の世界へとゆり戻されたユアンは……やっぱり泣いていた。
「ユアンー‼ エリスティンが‼ エリスティンがー‼」
「カギルー‼ なんでだ!? なんで俺はもてないんだー‼」
全く会話が噛み合ってもいないのに、肩を抱き寄せて号泣する二人をロムルスはただ呆然と見つめていた。まさにその時、スイングドアの開く音がした。
「おはよう、ロム。そろそろ行こう……か!?」
尋常じゃない事態を察したリンド・ヘイワースが入って来たドアへと踵を返したのは、訳の分からないことを喚きながら泣きついてきた二人にとりつかれたあとだった。
3
「やれやれだな」
リンド・ヘイワースがそれを口にするのは、ダム施設の視察に訪れて早四度目だった。
それが彼の口癖だとして、彼が一日の内にそれを四度も口にすることも、無意識のうちに溜め息を二度吐くのもロムルスは初めて見た気がする。普段は部下に決してそんな表情見せることのない人だけにロムルスは心配する反面、得したような気もしていた。
あの後、泣き疲れたようにスヤスヤと眠り始めたカギルを、「少し休んだら私が送っていくから」と言ってくれたユカリに託し、連絡し駆け付けて来た西方守護騎士団の面々に引きずられるようにしてバールを後にしたユアンの無事を見送り(その間、彼はずっと喚きちらしてはいたが)、ロムルスとリンドはようやくにして悪夢から解放された。
「馬鹿馬鹿しい……」ロムルスたちより一足先にベアトリスさんを伴ってバールを出たサリーの去り際の呟きに、なぜかロムルスもリンドも身内の失態を見られたような気恥ずかしさを感じている。
そんな訳で、視察の開始時間は遅れに遅れ、本来なら午前中いっぱいで終わるはずの予定が終了したのはもはや昼下がりと呼べる頃合だった。
「リンド団長、お疲れ様でした」
ロムルスが告げると、我に帰ったようにリンドは何度も謝罪の言葉をかけた。
あれはロムルスにとってもリンドにとっても想定外の出来事だった。追い立てられるようにして視察して回る最中、ロムルスたちはほとんど会話らしい会話の一つもしていない。
リンドの謝罪に何度もロムルスは「団長のせいじゃないです。気にしないで下さい」と伝えたが、聞けばリンドはロムルスに伝えようと思っていたことがいろいろあったらしい。
さすがにロムルスも「気にしないで下さい」と口では言いつつも、その時ばかりは、あの酷い酔っ払い二人組を恨んだ。
ダム施設の出入口まで歩みを進めていたロムルスとリンドは、これから東方守護騎士団の本営たる東門近くの詰所まで帰る。そしてロムルスには騎士学校で午後からの授業が控えている。もちろん遅刻だが。
しかし、ダム施設の出口まで来た所でリンドは立ち止まると、空を見上げながら思い出したように「そう言えば……」と口を開いた。それは、ロムルスの「気にしないで下さい」の弱々しい声色に気付いた彼の優しさだったのかもしれない。
「ロムにサンドイッチ買ってもらったってのに、昼ごはんもまだだったな。天気もこんな調子だし、少しゆっくりしてから帰ろう」
昼前まで持ち応えてくれた天候も、今やどしゃぶりの極みである。リンドに気遣わせてしまったことにロムルスが何か言うより先に、彼はいつもの優しい笑顔で言った。
「たまのサボりならいいだろ。まあ、俺から伝えてはおくから、学校には顔だけ出せばいいだろ」
どんよりと薄暗い空と降りしきる雨。その中で、ロムルスだけが晴れ間を覗かせるような表情で大きく頷いた。
昼休憩の終わったダム施設の休憩室は繁雑さが目立ったが、ロムルスもリンドも気にすることなくテーブルを挟んで腰掛けた。
リンドは青色のマントを外し、椅子に掛ける。軍服の色の強い、詰襟のある黒い制服の彼の胸元で東方守護騎士団の紋章たる龍をモチーフにした純銀の勲章が鈍く輝いていた。
ロムルスは休憩室にあるコーヒーメーカーから少し煮詰まり気味のコーヒーをカップに注ぎ、バールで買っておいたサンドイッチを広げる。
アロルド氏手作りのサンドイッチは美味しいと評判だったが、味など忘れるくらいにロムルスはリンドの話を一言一句もらさないよう身を乗り出しては聞き、そして時に他愛もない話に二人声を上げて笑った。
楽しい時間はあっという間に流れる。
話に夢中で、いつの間にかたいらげてしまったサンドイッチ。パン屑の落ちたテーブルの上に、ロムルスが視線を落とした時、
「ロムは夢ってあるか?」
休憩室に流れたリンドの声は、驚く程に静かで優しい。
ロムルスは視線を上げて所属する騎士団長の顔を見つめた。騎士になる――、という夢を持ってはいても、それは漠然としたものだ。上手く言葉を続けられず、ただ悩むだけのロムルスにリンドが微笑む。
「悩める時は沢山悩んだ方が良い。一つずつ答えを見つけていく過程こそが成長なんだから……ロムはもちろん『対話』を知ってるな?」
――剣との『対話』。騎士団の人間なら誰でも知っているであろう騎士の基本。
それは、剣との対話を繰り返すことによって得られる剣の道であり、『死(始)』から始まり『創(想)』へと至る剣の奥義。
ロムルスは小さく頷く。
「騎士の持つ剣には魂が宿っていることも知ってるな?」
リンドの問いかけに、ロムルスは再び頷いた。
正騎士と呼ばれる各団、二十人の騎士が持つ二十本の剣にはそれぞれの騎士団長の持つ《神具》の魂の一部がやどっている。『創』へ至ることは出来なくても、対話次第では彼らも『老』や『青』へ至ることが出来た。
無論、それも騎士団の人間なら誰しもが知っていることだった。
魂の一部しか持たない剣で直『創』へと至った選ばれし者。それが騎士団長なのだから。
「魂を持たない剣でも対話は出来る。言ってしまえば、それはつまるところ自分との対話だ。沢山悩んで自分にしか出来ない夢を持て。そして騎士となったら、その夢を叶える為に剣との対話を続けるんだ。夢を叶える為の力、それは時としてすごく危ういものかも知れない。でも、それを受け止めてこそ本当の騎士になれる。……そして、ロムならきっとそうなれるって、俺は信じてるよ」
あまりに真っすぐなリンドの瞳と言葉に、ロムルスは呼吸するのも忘れそうになる。真っ白になりそうな頭の中で、ロムルスは考えることもほとんど出来ずに、ただ尋ねた。
「……リンド団長の夢は、何ですか?」
ロムルスの質問に「ロムくん、夢なんてものは容易く人に話すものじゃあないよ」そう言って彼は少しいじわるそうに笑う。そもそも団長が聞いてきたことなのに――、ひょっとしたらからかわれただけなのか、そう思ってロムルスも笑おうとした時、彼は少しだけ遠くを見つめるようにして口を開いた。
「……でも、しいて言うなら、運命の時に、力の限り足掻けるってことかな」
運命を『切り開く』じゃないのかな――ロムルスの心の中で小さく浮かんだ疑問は、彼の話の続きを聞く中で静かに消えていった。
「……最近、よく同じ夢を見るんだ。ユアンとカギル、サリー先輩。……そして、少女と旅をする夢……」
その面子なら最後の一人はユカリさんのはずだ……けれどもそれがユカリさんなら、リンド団長が言葉を濁す必要も無いはずだ――。
その疑問をロムルスが口にするより早く、彼は立ち上がると掛けていたマントを羽織る。
「そろそろ帰るとするか」
椅子に掛けるロムルスを見下ろすリンドは、いつもの優しい表情を浮かべるだけだった。
4
リンドと別れたロムルスが騎士学校へと到着するのと、六間目の終了を告げる鐘が鳴るのは同時だった。
白壁の三階建ての校舎。その職員室で、ロムルスのクラスの担当教諭、冷血――の二つ名を冠するブリュンヒルデ女史に経緯を説明する。
おそらく青の騎士団からの言伝があったのだろう、彼女は特に補足を求めるようなことはなく、ただ宿題の山をロムルスに手渡しただけだった。その束の厚さに辟易しつつも、見る者を石に変えてしまうなんて噂される女史の冷たい視線から逃げるように、ロムルスはペコリとお辞儀すると職員室から逃げ出す。
廊下は、生徒たちで溢れかえっていた。
詰襟を立てた共布上下の男子用と、ワンピースタイプの女子用。そのどちらもが黒地の物で、だけどピンクのステッチが施された騎士学校の制服。生徒たちは皆、厳粛な中にも愛嬌が散りばめられたようなそれを身にまとっている。
だが、騎士学校といっても全員が全員騎士になれるわけではない。中、高一環の騎士学校にあって、中等部の学生たちは今後どういう道に進むか選択する立場にある。むしろ、ロムルスのように入学後すぐに騎士見習いになる方が少なかった。
中等部は様々なカリキュラムを通して知識を吸収して自らの適性を図る期間であり、高等部へと至る三年間で最終的に騎士を目指すことになる。その中で国家専属職種たる騎士に成れる者など一割以下、良くて準騎士に成れるかどうかだ。
だから、他の生徒たちは戦時に後方支援担当の救護班となるべく医療や看護専門職に就く者や、神職の侍従兼護衛となる者、また騎士の剣を鍛える刀工などを目指すことになる。
救護騎士や神官騎士と呼ばれる彼らは、正騎士と区別すべく従騎士とも呼ばれている。
騎士の勇姿に憧れをもって入学した生徒たち、その多くが騎士の道を諦めるのは、憧れだけではどうにもならない辛く過酷な現実に他ならない。騎士になるためにも、騎士になったあとも努力を続け、そしてその傍らには常に死が付きまとう。それゆえに、学校側も騎士を目指すことを諦める者には別の道を勧める――人には人の適性があり、そして人には人の事情があるのだ、と。
廊下中を埋め尽くす中等部の生徒たち、そのほとんどがこれから帰途につく。
残るのはすでに自身の道を決めた者と、高等部の学生たち。
騎士学校入学と共にロムルスと同じく見習いとなった生徒たちも、この一年で学業と見習い就労の両立が出来ずに、その半分がすでに騎士の道を諦めた。そんな彼らも帰宅の途についたことだろう。
複雑な心境のまま、ロムルスは可愛い後輩と、かつての同輩を見送る。
と。
「おおロムっ、いいとこで会った。お前さっ、古アウレリア語の教本持ってない? 今日の課外授業で使うの、すっかり忘れててさ」
声の方へ振り返ると、同じ制服に『槌』の腕章が映った。
高等部、刀工科二年の先輩、チフルが拝み倒すように合掌していた。
「てか、中等部んときの教本使うとかありえなくね?」
すらりとした体躯に、後ろで軽く結った栗色の頭髪は伸ばしざらしたといった風。大きな瞳に困惑の色を浮かべる彼は、忘れ物をした自分の正当性を強く訴えている。
チフル・パンナイン――猫のような瞳に姉弟の面影を色濃く残す、白の騎士団長、カギル・パンナインの弟。
中等部卒業と同時に準騎士へと昇格し、将来を希望されていたはずの彼は高等部へ上がると間もなくして刀工科へと進んだ。
「姉ちゃんの下で働くなんてまっぴらだっての」
周囲の声に対して、ふざけるように彼は話していた。勝手な期待を寄せていた人間は一人、またひとりと彼の元を去っていった。
いつだって明るくてお調子者の感の否めないチフルだったが、幼い頃から身近の騎士たる存在を意識していたという点に置いては、ロムルスに親近感を覚えてくれていた。
だから何かとロムルスの世話焼きなんてしてくれたし、ロムルスにだけはその本心を打ち明けてもくれた。
「ほんとはさ、姉貴の助けになってやりたかったんだ。でもさ、自分が騎士に近付けば近付くほど姉貴との差を理解するんだ。俺じゃ姉貴にとって、ただの足枷にしかならないってさ」
二人で教室の窓からぼんやりと眺めていた夕焼け。
「……悔しいなぁ」
消え入りそうな彼の声と、その茜色の空をロムルスは今でも覚えている。
そんなロムルスの感傷なぞどこ吹く風、気づけばチフルは、ロムルスのカバンをひったくって教科書を漁っていた。
「あったー!」
古アウレリア語の教本を手に、歓喜の声を上げる。その瞬間、彼の後頭部にノートが叩きつけられた。
「チフル、お前は後輩に何をしているかっ」
眼鏡の奥の冷ややかな瞳。『剣』の腕章をつけた学生が声を張り上げた。
同期で競い合ったチフルに遅れはしても、今や準騎士となった眉目秀麗な彼を知らない者は学内にはいない。ついでに言えば、彼の配属はロムルスと同じ青の騎士団。ロムルスももちろん知っている。所属する騎士団長リンド・ヘイワースを意識していると思われる短めの頭髪を軽く立たせたスタイルと銀縁メガネがトレードマークの、学校一の優等生を。
「違うんですレンジョウ先輩っ……」
「てか、何すんだレンジョォ! 徹夜で詰め込んだ単語忘れたらどーしてくれんだっ!」
説明に入る間もなくチフルが叫んだ。
大柄な体躯の二人が並び立つ姿は、ただそれだけで威圧感がある。周囲が軽くざわつき始めた。
しかし青の準騎士、銀縁メガネの奥で涼しげな瞳の――レンジョウ・シメイは動じるでもなく、
「うん? ああロムくんじゃないか。君、チフルにかつあげでもされてたんじゃないのか」
「俺がいつ可愛い後輩を脅したってんだよ、レンジョウお前はいっつも思い込みが激しんだよ、この妄想マニアがっ!」
「うん、そうかロムくん、無事ならいいんだ」
チフルの他愛ない暴言など聞き流して、レンジョウは淡々と言った。そして、まだ喚き足りなさそうなチフルを引っ張って行ってしまった。
廊下の先から声が聞こえる。
「レンジョ、お前の教室は逆だろが」
「どうせ暇なのだ、また後輩に絡まないよう一緒に行ってやる」
ぽかんとしたままでロムルスは二人を見送る。
そしてなんとなく思った――。人には人の適性があり、そして人には人の事情がある。でもきっといつまでも変わらないものもあるのだ、と。
今日、団長付きの視察だったロムルスはこのあとは非番だった。とはいえせっかく学校にも来たことだし、と教室へと顔を出す。
木製の椅子に座り足を投げ出している男子生徒と、行儀悪く机の上にあぐらをかいている女子生徒の姿が映った。
もはやほとんどの学生がいなくなった教室で、二人がロムルスを見て声をかける。
生徒の希望も関係なしに、クラス分けがそのまま配属先の決定となる。ロムルスのクラス、弐年壱組の騎士見習いとしての配属先は青の騎士団。ロムルスと同じく二人も青の騎士団配属の騎士見習いだった。
とはいえ、このクラスの騎士見習いもいまやこの三人だけとなってしまったのだが。
愛嬌のあるそばかす顔の男子学生――マルコ・ユーミルが朗らかに言った。
「なんだよロム、今日は学校来ないって聞いてたぜ」
「そうよ、だから宿題持ってってあげようって思ってたのに」
騎士になるという決意のもと、ばっさり切った黒髪ショートの女子学生――クロエ・ポーカーが継いだ。
マルコはロムルスより一回り体躯が大きかったが、剣術の授業では五分五分といったところだった。
そんな二人とも華奢なクロエには一勝も出来ないでいる。それは女性ゆえのハンデなんてご大層なものじゃなくて、幼少の頃から鍛え上げられた彼女の正統派剣術に二人とも歯が立たないというだけの話だ。
それもそのはず、クロエのポーカー家は、パラス・アズロの三大名家のひとつと呼ばれていた。きっとその剣術の先生も、超がつくほどの一流どころに違いないだろう――、ロムルスはなんとなくそんな風に思って、自分を慰めている。
クロエがワンピースの裾をひるがえして机から飛び降りた。ロムルスやマルコみたいな庶民のものと違って、同じ黒地の制服ですら新品のように輝いて見えた。
「で、どーだったの視察」
凛々しいくっきりとした二重瞼、黒目がちの瞳でロムルスの顔を見つめる。クロエの身長はロムルスとほぼ同じで、視線は真っ直ぐにロムルスの目を射抜いていた。
その瞳に一瞬釘付けにさせられたロムルスは、クロエの顔から目を逸らしながら、
「う、うん、とっても勉強になったよ」
我ながらなんとも情け無い、と感じる声でそう答えた。
明らかな動揺を見逃すでもなく、マルコが腕力に物を言わせてロムルスの首に手を回す。そして少し意地悪そうに笑いながら、
「あれ、ロム顔赤いけど風邪でもひいたの? やっぱり団長と二人きりの視察は相当にしんどかったのかな」
なんて言い出す。
「だいじょうぶ?」真顔で心配するちょっと鈍感なご令嬢に、ロムルスは慌てて被りをふった。
笑いを必死で堪えるマルコと、大きな瞳をしばたかせるクロエ。
話題を変えるようにロムルスは、二人にリンドとの視察について話して聞かせた。さっきまでとは別の熱が込み上げてきたロムルスの顔が、また少し紅潮していく。
「うわー、いーなぁロム。団長と二人きりでそんな話できるなんて、そうあることじゃないぜ」
「騎士を目指す者としては、騎士団長直々に剣の理について話を聞けるなんて感動ものよ」
聞き終えたマルコとクロエは、羨望の眼差しでロムルスを見つめていた。
しかし、
「でも、予期せぬ事態に見舞われて視察の開始が遅れたって、ロムったら随分冒頭の部分を割愛しちゃってたけど、実際何があったの?」
そうしていたら瞳の奥でも見透かされるんじゃないか――と思えそうな程に、クロエはロムルスの顔を大きな瞳で見つめる。
ロムルスはその瞳に吸い込まれそうになる誘惑を必死で耐えて、今朝の件、つまりはユアンとカギル、二人の酔っ払いの件については言葉を濁す。それは二人の団長の名誉を守る為であり、同時にマルコとクロエという未来ある同期の桜二人に配慮してのことでもあった。
騎士学校のクラス分けは、本人の希望に関わらず学校側が決め、そしてそのまま配属先として決定する。生徒が希望する団への配属は高等部へ進んでのちのことと規定されていた。
小さい頃からの憧れどおり、見習いとして青の騎士団への配属が決まったロムルスにすれば幸運なことこの上ないわけだが、マルコもクロエも二人とも希望する配属先は違っていた。
マルコは――、ユアン・マクティカナル率いる赤の騎士団。
クロエは――、カギル・パンナインの白の騎士団だ。
礼典の際の立ち居振る舞いだけ見れば、確かにユアン団長は威風堂々として見えたけれど、傍目にもぎこちないカギル団長のどこに憧れたのは分からない。それでもクロエは、カギル団長の数少ない信奉者だ。憧れの団長の残念ぶりも、信奉する団長の酩酊ぶりも、話さなくて良いならそれに越したことはないだろう。これもきっと友情――、のはずだ。
尻切れトンボながら、どうにかこうにかロムルスは場を濁す。
そして、
「それにしてもいいの? マルコもクロエもこんなとこで油売っててさ、騎士詰め所にはもう行かなきゃいけない時間じゃない」
話題を変えるように言った。
「なんだよロム、団長との視察ですっかり舞い上がって忘れてやんの。今日は三年の試験の日だろ? 来年は俺らの番だってのに、随分気の緩んでるこったね。クロエぇ、こんなんじゃ来年の試験、ロムだけ見習いのまんまかもなぁ」
マルコの返答にロムルスは今更ながらに思い出す。確かに今日は中等部三年の準騎士試験の日だった。
高等部に上がるにあたって、見習いから準騎士へと昇格できるかどうかの試験。高等部に上がってからは半年に一度開かれる試験も、中等部では三年の秋だけと決まっている。そしてその日は、後輩の目にも配慮し、中等部の騎士見習いは三年以外に出勤はしない。
とはいえ、後輩の目に配慮する、などと言っても中等部在学中に準騎士に昇格するのは並大抵のことではない。リンドたち、天才と呼ばれた存在が一同に集まった奇跡の年以来、チフルがその偉業を成し遂げた昨年まで、中等部在学中に準騎士へと昇格した者はいなかった。
「ない、ない。それはないよマルコ。僕がダメならマルコもきっとダメに決まってるよ」
「……おっしゃる通りで」
ロムルスのあてこすりにマルコが即答する。
「そんなんでどうするのよー、まったく二人とも覇気がないぞっ」
クロエが自分ごとのように頬を膨らませた。ロムルスもマルコも苦笑い。
「準騎士試験か……だから、二人とも教室に残ってたんだね」
苦笑交じりにロムルスが尋ねると、
「そうだよ、ロムもいないしさ。今日はゆっくり出来るからクロエと二人デート気分でおしゃべりなんてしてたのに。結局ロム来るしさ」
マルコが苦笑ついでに舌をペロと出して見せる。なのにクロエは、
「デ、デート!? こ、これがデートというものだったの!? そうと分かっていればもっと可愛いドレスとか着てきたのに。ゴメンねマルコ、やり直した方がいいかな!?」
オロオロしながらマルコを見つめる。
育ちの違いとは言うけれど、どうやらクロエは僕らの斜め上を行っているらしい――、なんて変に感心しているロムルスの傍らで、マルコはしどろもどろになっている。
笑いを堪えて、ロムルスは助け舟を出す。
「あくまで気分。みたいな、ってことだよ、クロエ。で、結局なんの話をしてたの?」
「あっ、そうなの? 焦っちゃったよ。私にとっては初デートだもん。ほら、段取りとかなんとか色々あるものなのかって勝手に思ってたからさ……で、話ね。えっと……なんの話してたんだっけ、マルコ?」
予想外の反応に泡をくったあとで、安堵の表情でマルコが答える。
「最初は、そう、『鍵』の話だろ」
「鍵?」
怪訝な顔をするロムルスへと、口元を綻ばせたクロエが続けた。
「そうそう、授業が終わって今週掃除当番の私たちは掃除をしていたのよ。そしたらね、知ってた? ロムの机の裏に落書きが掘ってあったのよ」
「落書き?」
呟くと、ロムルスはクロエの机の隣に位置する自身の机の裏を覗き見た。
今まで気付かなかったが、目を凝らしてみると、確かに幾つもの傷にまじって、『鍵』という単語と四桁の数字が認められた。
「ゼロ、五、一と……これは七かな」
机の裏の板にはなんとか読める数字で、0、5、1、7の四つが刻まれてあった。
「そう。それでね、その四桁の数字で開錠できるところがこの学校にあるかな、ってマルコと相談してたんだ」
学校の部屋のほとんどは、教師の保管する鍵でしか開けられないはずだった。ひとしきり腕組みなんかして悩んでみせたロムルスだったが、四桁で構成された数字錠には思い当たらない。
「卒業生か在校生か分からないけど、誰かの秘密の宝箱の開錠方法とかじゃないのかな」
うんうん唸ったあとでロムルスが言うと、
「それ、俺も言ったヤツ」
マルコがニヤニヤしながら継いだ。
「とまあ、考えられるのはそんなところだから、悩んだところで脈なしだよ、って言ってたんだけどさ、クロエは納得がいかないらしんだよねぇ」
「絶対、秘密の部屋があるに違いないわ」
握り拳なんか作ってクロエは熱く語る。
少しだけ呆れ顔でロムルスは話しかけた。
「クロエ、小説かなんかじゃないんだから、秘密の部屋なんてそうそうあるものじゃないと思うよ」
と。
「私の家にはあるよ」
クロエの即答。
斜め上を行くポーカー家の常識には、ロムルスもマルコも口を閉じる他はなかった。
「……で、その話をずっとしてたわけ?」
無理やりにロムルスは話題を変えた。
「いや、一通り可能性は出し尽くしちゃったから。鍵の件については各々で考えておくこと、ってなって」
ロムにとっても宿題だからな、念を押したうえでマルコは続けた。
「騎士としての展望やらをお互い話して、そのあとクロエが熱く語ってたのは、ほらあれだろ……エリスティンの話」
不意打ちにも似た一言に、ドキリとさせられるロムルス。
「それって、『花騎士』の?」
「あっ、ロムよく知ってるね。そうよ。『花騎士』の、月下の騎士エリスティンの壮絶な最後について」
「それってひょっとして、姫を助ける為に爆弾抱えてドカーン、てヤツ?」
「そうそう、すごく良かったよね。マルコはないっていうんだけど、私思い出しただけでまたうるってきちゃったよ。やっぱりロムも感動したでしょ?」
マルコがとても冷めた目でロムルスを見ていた。そしてその目は確かに言っていた――騎士なのに爆弾抱えてドカーン、なんてありえないだろう、と。
そのどちらにも賛成できなくて、ロムルスは蚊のなくような声で呟くのが精一杯。
「ぼ、僕は読んでないんだけどさ……ある人がすごく感動したって言って、涙まで流してた」
お世辞にも綺麗とはいえない号泣をロムルスは思い出す。
「やっぱり良いものっていうのは分かる人には分かるんだよね。それでロム、その素敵な感性をお持ちの方は誰なの?」
目頭に涙をためるクロエに促されて、再びロムルスは蚊の鳴くような声を絞り出す。
「……カギル団長」
両手の指を絡ませ、握ると、
「ああ、カギル様」
空を見上げるクロエの瞳がうっとりと輝く。
それを見てロムルスは、なんだろねこれ、とマルコと顔を見合わせた。
5
運命の輪が回りだすのはいつも突然だ。
昼間、かけがえのない時間を過ごし、級友たちと笑い会っていたのが嘘のようにパラス・アズロは慌ただしさに包まれていた。
ロムルスが、同じ東方守護騎士団の準騎士に叩き起こされたのは明け方近くのことだった。各騎士団に緊急招集がかけられたらしい。
そして決して夜が明けないうちには移動することのなかった移動型城塞都市は、重く太いその四肢を交互に震わせながらゆっくりとした移動を開始した。それは何かを迎え撃つ態勢を整えるようにも感じられた。
騎士団の召集は深夜の内に始まったらしいが、それも騎士に限ってのことだった。見習いに関しては、夜が明けてからパオロ宮へと集まるようにとの通達を知らせるのが準騎士の仕事らしく、ロムルスにその報せを伝えに来た準騎士も、詳細は聞かされていなかった。
だから尚更、ロムルスには何が起こっているのか分からない。
ちょっと前までは騎士団長の面々と容易く肩を並べて歩いていた身としては、自身の現状というものを改めて思い知らされた気がする。当たり前のことなのに、ロムルスは少しだけ爪弾きにされたような気がして、むくれながら時計塔の窓から街を眺めていた。
グオーン、グオーンという排気音と共に移動するパラス・アズロの街並みは揺れる。それでも、幼少の頃からそれに慣れているこの国の民が酔うということはほとんどない。
揺れる街並みをぼんやりと眺めていたロムルスの視線の先。パラス・アズロ移動時の外出禁止令が下りて人ひとりいないはずのひっそりとした街路に、三人の白装束の影が映る。間もなくしてロムルスは先頭の少し背の高いその人物が、白の神官アラベル・フランであると気が付いた。
それなら、と、神官の後ろに付き従う従者を、目を凝らして見たが、
背格好からして二人の徒者の内どちらかがユカリさんだということはないようだ――。
ロムルスは小さく呟く。
「……黄砂病が出たのか」
白の神官の後ろを歩く徒者の一人が抱える白い布から、赤子特有の小さく可愛らしい手が伸びていた。
黄砂の広がりと共に、パラス・アズロには一つの奇病が出現するようになったとされている。
通称、『黄砂病』と言われるそれがどういう症状なのか、ロムルスは知らなかった。
ただ非常に強い感染性と致死率の高さから、乳幼児の内に発見され次第、その子供たちは特別な施設に送られることになっている、らしい。
けれども、聞いた話によるならば、治療の甲斐もなくその子供たちが十歳を迎えるまでに生きていた例はないという。
小さくなりつつある白い影を眺めながらロムルスは、あの子は父母から引き離され施設に入れられるのだ、とぼんやり考える。
やるせない気持ちの中、ロムルスは窓の外から室内へと視線を移した。
ベッドでは、既に寝息を立てているレムルスが毛布にくるまったままで寝返りをうつ。それを見て、ロムルスは今見た光景を払拭するように小さく首をふった。
僕たちには父も母もいない――。
五年前。理不尽な事件のせいで両親は二人共殺された。それでもロムルスたちが生きているのは、一人の騎士に命を救われたからだ。
命を救われたとはいえ、その前から今までも、そして、おそらくこれから先も。身体の弱いレムルスは苦しい人生を歩むことになるだろう。
だが、白の神官に連れて行かれたあの子供がこれから数年先に死んでしまうことを考えれば、こうして生きていられるのだ。
「僕たちは生きてる。そしてこれからも二人で生きていくんだ」
ロムルスは、レムルスの横顔を見つめながら強く誓った。




