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第二部 神と人のアレゴリカル・ワールド  第一章 四方騎士

挿絵(By みてみん)

 

  1


「人生に終わりがあるように、見果てぬ夢ですらいつか終わりが来るとして、その時、人々は何を想うのだろうか。そしてその時、僕は何を想うのだろうか――」


 昨夜見た夢の余韻に浸るように少年は呟いた。

 それは長い夢。人と星と神の織り成す、長い永い夢だった。

 真アズロ暦十二年――。この星や大陸の先の先がどういったものなのか学んだ知識があったとして、少年はこの世界しか知らなかった。

 かつて栄華を築き千年王国と呼ばれたアウレリア帝国も衰退し、少年が人伝に聞いた話が事実ならば半年程前に完全に滅んだということになるらしい。人に聞いたり、本で学んだりする限り、世界は大なり小なり変わっているようだ。だけど――、


「――僕は何も知らない」


 その瞳に映るのはいつもと変わらぬ風景。厚く、高い壁に囲まれた人口五千人ほどが暮らす町。それこそが少年の世界の全てだった。

 賢き選択をするジャッジマンと呼ばれたアウレリア帝国七代目の王、『青の皇帝アズロ・セレブラント』ことカリグラス・アウレリアにちなんで、青の城砦――『パラス・アズロ』と名付けられた移動型城塞都市。その市中で番高い時計塔。そこから見下ろす先、城塞都市を覆った厚く高い壁の外側には、『黄砂コウサ』と呼ばれる砂漠が広がっている。アウレリア帝国の衰退の原因と呼ばれるこの砂漠は今や、大陸のほとんどを呑み込んでしまったらしい。もちろん、これも少年が人伝に聞いた話だった。


 時計塔が朝八時の鐘を鳴らす。


 大きくのびをして、「さて、と」わざとらしく呟くと、少年は時計塔の三階部、その窓から視線を移した。

 気持ちの良い朝の空気が満ちた、古いレンガ造りの部屋。モゾモゾとベッドの毛布から顔を半分出した少年が「おはよう」とあくびまじりに話す。

 まるで鏡合わせのような光景。寝ぼけ眼の少年は、窓際に立つ少年と瓜二つの顔をしていた。栗毛のショートヘアーと、濃茶の色をした柔らかな瞳。毛布から半分覗かせた、左のそれを寝ぼけ眼で瞬かせる。


「ずいぶん早いね、ロム……あれ? 今日だっけ、騎士礼典きしれいてん


 気の抜けた言葉に、少年は呆れ顔を繕って見せた。そして、黒地にピンクのステッチが施された騎士学校の制服、その詰襟までもしっかり留めて見せた。


「言ったろう。今日は一年で一度の大事な日だから、早く出かけるってさ。ご飯はテーブルの上に用意しといたからね。レムもさっさと起きなよ」


 レムと呼ばれた少年は毛布から出ようともせず、顔半分覗かせた、左の瞳を瞠ってみせる。そして大仰に頷いてみせた。


「おお、我が兄ロムルス・パルミエリよ、立派になって。大願たる正騎士になる日もこれならすぐであろう。今はまだ東方守護騎士団所属の見習い騎士で、雑務ばっかりだし、給料もそれほどだけど」


「レムルスぅ」


 言いながら、ロムルスと呼ばれた少年は布団へと飛び込んだ。

 ロムルスが馬乗りになる寸前、弟のレムルス・パルミエリは絶対防御態勢を整える。毛布にくるまると、ロムルスのこちょばし攻撃の被害も半分ほどに抑え込んだ。それでもキャッキャと声を上げるレムルスは、そのあとで小さく「いつもありがとうね、ロム」と呟く。

 ロムルスはこちょばし攻撃の手を止め、丸まった毛布の塊を見下ろす。

 照れ隠しなのか、毛布にくるまったままでレムルスは継いだ。


「今のロムの姿、お父さんとお母さんにも見せてあげられたら良かったのにな」

 

 毛布の中からのくぐもった声に、ロムルスは胸の奥を締め付けられそうになる。


「本当ならちゃんと勉強だってしなきゃいけないのに……」


「レムっ」ロムルスは遮った。


「この時計塔での生活も、兄弟二人で暮らしてく分にはなんの不自由もないって、僕は思ってるよ。それに、騎士の仕事をすぐ間近で見られる『見習い』は僕の選んだ道。レムが申し訳なく思う必要なんてないんだよ」


「……うん」ぼそりとした声が、ひっそりとした部屋に消えていく。

 ロムルスは立ち上がると、穏やかにしかし力強く告げた。


「僕は、僕の夢を必ず叶えてみせる、きっと騎士団長になってみせる。いつの日か、その姿をレムに見せてやる。だからレムはレムのことだけ考えてればいいんだ」


「うん」即答とは呼べないまでも確かに紡がれた声は、ひっそりとした部屋に色を残す。


「じゃあ行ってくるから、ちゃんとレムも起きなよ」


 踵を返すロムルスの後ろで、まだ毛布にくるまったままのレムルスが「行ってらっしゃーい」と言った。

 活気を取り戻した声に、安堵してロムルスは踏み出した。


  *


 まだ人通りのまばらな広場から、正面に威風堂々と建つアウレリア伝統のバルディック造りの宮殿を見つめる。今から五十年もの昔、アウレリアの名家の出たるパオロ・ウーデルカが財を尽くして造り上げた宮殿と、その宮殿を臨む荘厳な彫刻に彩られた噴水を中心に据えた広場は、それぞれ『パオロ宮』と、『パオロ広場』と呼ばれている。

 その贅沢過ぎる程の外観とは違い、数ヶ月前まではただの市役所にすぎなかったパオロ宮でこれから年に一度の恒例行事たる騎士礼典が行われるのだ。

 騎士礼典はこの都市を守護する騎士を称えると共に、新たに騎士となった者を祝う儀式だ。

 五十年前から年に一度必ず行われ続けるのも変わりなく、黄砂のせいで騎士が馬に乗ることがなくなっても騎士が騎士と呼ばれるのも変わりない。


 これから先も行われいくだろう礼典の、そのいつの日にか、自分もあの宮殿で騎士となるんだ――。


 自身の夢を再度確認するように春の陽光を受け堂々と建つパオロ宮をもう一度見つめた時、ロムルスはふいにかけられた声に振り返った。


「あれ? ロムがこんな早くに仕事に来てるなんて珍しいね」


 ロムルスが振り返った先には、少しだけ意地悪そうに笑う女性が立っていた。ロムルスより頭半分くらい背の高いその女性は、すらりとした身体に礼装用の、つまりは実用的ではない軽装の鎧をまとっていた。金色の装飾が施された遠目にもよく映える鎧の上には、染み一つない真っ白なマントを羽織っている。


「いつもは遅刻魔なのにね」


 少女の面影を残した顔の、大きな瞳を細めながら小さな唇がリズム良く言葉を発する。


 南方守護騎士団長、カギル・パンナイン――。


 この世界を創世したとされる神『テラ』。その神は二つの側面を持っていると記されていた。それは創生と太陽としての神――『テラ・ラクス』と、破壊と夜としての神――『テラ・ピリオド』である。パラス・アズロの南方にはテラ・ラクスを祭る白の神殿が置かれていることもあり、南方守護騎士団長は別名、白の騎士と呼ばれていた。

 礼装用の物々しい衣装に少しだけ見とれたあとで、ロムルスは彼女の発した『遅刻魔』という言葉に反論する。


「僕は今まで遅刻したことなんてないですよ」


 それは本当だった。見習いや準騎士の中では、ロムルスは誰よりも早く職務に就いていた。ただ、雑用が主な仕事の見習いにあっては人より少し仕事が遅いから、いつも集合の激がかかった時には間に合わないというのも本当だった。


「……ところで、カギル団長はどうされたんですか? 大事な式典の前じゃないですか」


 本来なら各騎士団長は礼典の予行練習に追われているはずだった。ロムルスが尋ねると、オレンジ色のショートヘアーに朝日を受けてキラキラと輝いてみせた姿には似つかわしくないように、彼女はさめざめと溜め息をつく。


「ちょっと見てよ、ロム。あたしもう二十一歳だよ。さすがにこの格好はないわよね。……それ考えてたらなんかウンザリしちゃってさ、気晴らしに抜け出しちゃった。まあ、リハなんて毎年同じだからわざわざ覚える必要ないしさ」


 こんな格好などと言っているくせに、広場にひょっこりと姿を現れて見せるのは自信の表れじゃないのだろうか――。


 純白をした短いスカートの裾を摘み上げながら一息に喋りたてる彼女に、「はあ」とロムルスは曖昧な相槌をうった。

 そのロムルスの顔をまじまじと見つめながら、彼女は思い出したように口を開く。


「あ、そうか、騎士礼典の会場の準備と警護って、準騎士と見習いの仕事だもんね。それでロム、こんな早くから来てるんだ」


 ロムルスが「はい、そうです」と返事をするのも待てないように、彼女は続けた。


「すっかり忘れてた。そういえば、あたしも昔やったなぁ……って言っても、あたしって十五歳にはもう騎士になってたし、十八歳でもう団長だからね。ロムって今十四歳だっけ? ロムはあたしみたいに天才じゃないから、いつ騎士になれるかも分かったものじゃないよね」


 真剣な眼差しで話す彼女には、おそらく悪気はない。しかし、ロムルスはカチンときた。表情こそ変えずに話しかける。


「そう言えばカギル団長、それなら大丈夫そうですね」


 質問の意図を理解できないように、彼女は大きな瞳をぱちくりとしばたかせた。


「ほら、日頃から気にしてたじゃないですか。自分は起伏の乏しい身体だけが残念でしょうがいないって。今日はその胸あてのおかげで、『ある』ように見えなくもないですよ」


 金の装飾の施された鎧の胸あてにカギルは両手を添える。


「うわぁー。そっか、なるほどねー」


 ニコニコと笑いながら腰に下げた愛用の神剣アテナイを鞘から抜くカギルを見て、ロムルスは一目散に逃げ出した。


  2


 十時から始まった騎士礼典は、今年は新たに一人前の騎士となった者が各隊で一名ずつという少なさの為、叙仼式も早々に済ませ、拝剣の儀へと移った。


 四つの騎士団それぞれの象徴たる四本の――《神具》。

 いつもは各団長が携さえている神剣『アテナイ』、魔剣『ハーデス』、剣皇『ポーニロア』、剣帝『ネィル・フー・トゥーン』の四本の剣は、今日だけはその持ち主を一時離れ、主神テラへと奉納される。

 その後、テラ・ラクスに仕える白の神官とテラ・ピリオドに仕える黒の神官に清められると、このパオロ宮の『王』から再び各団長へと託されるのだ。


 パオロ広場に集まった沢山の人間が静かに見守る中、パオロ宮の二階に位置する広いテラスへと全身黒の甲冑とマント、そしてローブを羽織った一見しては重装騎士と間違うような、『黒の神官』と、白のローブを幾重にも全身に巻いたような姿の美しい顔立ちをした女性、『白の神官』を引き連れるようにして、騎士総長のガンド・マギアスが姿を現した。


 初代青の騎士団長を務めたという歴戦の勇士もよる年なみには勝てず、見栄えの良い黄金の鎧で着飾ってはいてもその中の身体はひなびて、禿げあがった頭髪の代わりのように伸ばした髭が風に物悲しく揺れている。

 長い眉毛のせいで表情は読みとれず、時々椅子に腰掛けたままピクリともしないと死んでいるのか、眠っているのか良く分からないが、生涯現役を信条とする彼の長い眉毛から時おり覗かせる瞳は未だ輝きを失っていない。癇癪持ちで厳しい彼のことを、見習いたちは影で『鬼のガンじい』と呼んでいた。


 ガンド・マギアスと二人の神官が、テラスの中央に置かれた主神テラへと深々と礼を捧げたあとで、踵を返す。

 彼らが厳粛に見守る中、一人の男が姿を現す。彼に付き従うようにして、四本の神具を携えた白の神官に仕える巫女二人と黒の神官に仕える占星術士二人も後に続いた。

 その中には、ロムルスも見知った白の巫女、ユカリ・マルキアンティと、黒の占星術士、ベアトリス・カラーチェの姿も見える。

 四人の女性を引き連れた男は主神テラに向かって礼を捧げると、エントランスに視線を釘付けにする彼の国の民に向かっても軽く礼をした。

 その瞬間、場内に歓喜の声が湧いた。


 アウレリア帝国の九十九ある属都市の城塞の一つでしかなかったパラス・アズロは、次々と黄砂に呑み込まれて消えていくその属都市の中で唯一、手付かずのままで残った移動型の城塞都市である。

 元々、大陸で唯一アウレリア帝国に対し最後の敵対関係にあった大陸南部の砂漠の民、蛮族とアウレリアの民が呼び忌み嫌ったガリア族の討伐の為に移動型城塞都市として造られたパラス・アズロは、王都アウレリアから送られてくる帝国騎士団の中継基地であると共に、アウレリア国土増大の為の前線基地でもあった。

 移動型城塞都市といっても、都市の四角に付けられた太く長い足を交互に繰り出して歩く訳だから、その速度も一日に歩ける距離もたかが知れている。しかし、この南の砂漠より広がり始めた黄砂が今や大陸のほとんどを呑み込むに至り、ついにガリア族との五十年戦争と呼ばれた長き戦いの決着は付かずじまいとなったが、それでもアウレリアの属都市の中で唯一パラス・アズロだけが残ったのは、その一時的に下界との隔離を可能にした鈍重な脚部と、ガリア族や砂漠に生息する凶悪な形態の生物の侵入を防ぐ為に周囲を厚く覆った防護壁、そして長い戦争を見越し都市内での生産を可能とした環境を予め整備していたからだった。つまりは、パラス・アズロは移動型城塞都市というその特性ゆえに、黄砂の脅威にもさしたる被害を出すこともなく存在しているのだ。

 半年前、黄砂との厳しい戦いの中にあった帝都アウレリアにおいて第六十七代アウレリア帝と彼の子息たちが、帝位継承権を持たない皇帝の妾の子、ル・シウスに皆殺しにされたことで、長きにわたり権勢をほこったアウレリア帝国は滅亡した。

 その後、『剣王ケンオウ』を名乗ったル・シウスに共鳴するように、ガリア族の王ガリアラッハは自らを『拳王ケンオウ』と称するようになる。

 そして、半年前までは属都市の一市長でしかなかった男、パオロ・ウーデルカの子孫にして先代市長、シャルドネ・ウーデリカの子は『賢王ケンオウ』を名乗ることとなり、世はまさに『三ケン時代』へと突入したのだった。


 パラス・アズロのまだ若き賢王、その名を――シャルナァプ・ウーデルカといった。


 先代市長シャルドネがパラス・アズロを帝都アウレリアに戻し、帝国の再建に尽力すべしと唱えたのは広がりゆく砂漠が帝都アウレリアに近づきつつあった今から十年も前の話である。

 偉大なるシャルドネの国を想う発言に対し、唯一異を唱えたのは、その時まだ十八歳になったばかりのシャルナァプだった。

 パラス・アズロは現在生活する五千の民が暮らしていくので精一杯だった。都市に残る王族を助けるならば、パラス・アズロの民のどれだけが犠牲になるだろうか。国を想うシャルドネと民を想うシャルナァプ、双方の意見の一致を見ぬままにこの議論の結末は先代市長シャルドネの急逝で幕を下ろした。

 結果として五千の民を救うこととなったこの選択は、十年の後「賢き選択」と呼ばれるようになる。

テラスに立つ、白い礼装に沢山の勲章を胸に付けた、まだ二十八歳の若き男は五千の民の圧倒的支持の元、王を名乗った。

 彼に向けられる歓声は五千の民を救った英雄に対する賛辞と、この先が見えない時代にあって自分達がすがるべき希望の旗印に向けての鼓舞にも似ている。

 かつては騎士団にも所属し、友の危機に身を呈した際に失ったという右手、今や賢王の象徴となった右の義手を期待に応えるべく軽く持ち上げて見せると、群衆の歓声を傍らに置いたままで王は騎士の到着を静かに待つ。


 一度静まりかけた歓声は、テラスに四人の騎士が姿を現すと再び爆発した。

 我らがパラス・アズロの四人の守護神は各団のモチーフカラーの鎧とマントを身に着けている。正にその姿は神々しく、群衆も、そしてロムルスも、羨望の眼差しで四人を見上げた。

 シャルナァプが巫女の一人から一振りの剣を受け取ると、その眼前に歩み寄った白い鎧を身に付けた騎士が膝をつき、彼を見上げた。その一連の動作にはどこか、ぎこちなさを感じさせる。毎年同じことの繰り返しなどと余裕ぶっていたはずなのに……。


「カギル団長、めちゃくちゃ緊張してるし」


 ロムルスはひとり呟くと、吹き出しそうになった。


「パラス・アズロの南の地に平穏と安寧を」


 カギルの肩に剣の刃を乗せて、賢王シャルナァプがそう告げた。

「はい」とカギルは答えたが、緊張で口の中が渇いていたのか声音はどこかしらおかしかった。

 物々しい空気の中、ロムルスは完全に吹き出してしまう。その厳粛な場において、吹き出したのはロムルスと『赤の騎士団長』の二人だけだった。

 賢王シャルナァプから神剣アテナイを受け取り、下がったカギルが赤の騎士団長を肘で小突く。

 白の騎士に続き、赤の騎士、黒の騎士も拝見の儀を済ませたあと、四人目の騎士が王の前へと歩み出た。その顔は、ニヤニヤしっぱなしの赤の騎士に今にも噛み付きそうな白の騎士、我関せずとばかりにそっぽを向いている黒の騎士を後ろに置いて、「やれやれ」と言っているようにも見えた。


 ロムルスの所属する東方守護騎士団の№1。東方守護騎士団長、青の騎士――リンド・ヘイワース――。


 百八十センチを越える長身に、漆黒の髪の毛が緩いクセのせいで不揃いにあちらこちらを向いているその下で、真っすぐに前だけ見つめるダークブルーの瞳にはいつもと変わらない優しい色が浮かんでいた。

青い鎧で着飾ったリンドは、拝見の儀をそつなくこなした。

 彼は天才、と呼ばれていた。それは、十代のうちに東方守護騎士団長にまで昇りつめた剣に愛されし者。とはいえ、他の三人もほぼ同年代の内に団長までのぼりつめている訳で。そういう意味では彼らも天才には違いない。けれども、


 ――品格も人格も間違いないのはうちの団長だけだね。


 何かに付けて、ロムルスはそう思う。

 今から十年前、ロムルスとレムルスは彼に命を救われた。とはいえ、なにも命の恩人だから点数を甘くしているということではなくて。

 リンド・ヘイワース。彼ほどに騎士らしい人間を、ロムルスは知らない。それは、小さい頃読んだ絵本の中の騎士道を重んじる騎士そのままに、ロムルスの前に現れた実在する本物の英雄。

 ロムルスが見つめる先、民衆が見つめる先のテラスで拝見の儀を済ませた四人の騎士が小さく手を振る。


 民衆の歓喜の声はやがて、巨大なうなりとなって広場中を包んだ。


  3


 騒乱の過ぎ去った広場で、ロムルスたち見習い騎士は片付けをしていた。

 騒ぐだけ騒いだあと、クモの子を散らすように帰っていった民衆たち。彼らの熱狂の残滓のように、散乱するゴミにほんの少しだけ怒りを覚えつつも、パラス・アズロの風紀を守るという意味ではそれもまた一応騎士の立派な務めと呼べなくもない。

 さぼりながらでいっこうに捗らない同僚のマルコをからかいながら自分の持ち場の片付けを終えたロムルスは、パオロ宮内の片付けの手伝いへと向かった。騎士礼典が本日の主たる業務の国王をはじめ役人のお歴々は、陽も高いうちにパオロ宮をあとにしている。登庁を済ませたロムルスが見た宮殿内はあの騒乱が嘘のようにひっそりと静まり返っていた。

 パオロ宮内の片付けは準騎士の仕事ではあるが、広場の片付けに比べればその規模はどうということもない。ロムルスたち見習いが広場の片付けを終えるとっくの昔に、パオロ宮内の片付けは終わっていた。


 よけいなお世話だったかな――。


 しんと静まりかえる宮殿内でそう思ったロムルスは、次の瞬間には別のことを考えていた。


 でも、それならそれで都合が良いや――。


 二階のテラスへと続く階段を昇り始める。

 せっかくだから、選ばれし騎士だけが立つテラスからの眺めを見てみよう、そう思ったのだ。

 階段を昇りテラスへと続く大広間を抜ける。ほんの少しの緊張と興奮を覚えながら進むロムルスの目に、テラスを囲む細やかな造りの外柵とそこから広がる青い空が映る。ごくり、と唾を飲んで、テラスへ足を踏み入れたロムルスは外柵に背を預けるようにして座る人影に目を留めた。

 砂漠には、もはや因縁の相手とも言うべきガリア族の他にも難敵が潜んでいる。それが、砂漠という環境に適応するために、分厚い外皮と毛で全身を覆った甲獣と、その甲獣以上の外殻と巨体を備えた甲虫だった。

 甲虫の筋維質を細かく割き、それを繰り返し織り上げると伸縮性と通気性、そして強靭さを伴った繊維を作り出すことが可能だった。その繊維で編み、ピタリと全身に張り付くように仕上げた薄手の帷子。古アウレリア語でうろこを意味する、『スカッリャ』と呼ばれたそれは、騎士の基本装備である。

鎧を脱ぎ、礼典用に仕上げた新品の、真白いスカッリャを着たリンド・ヘイワースがそこにいた。

 テラスの大理石造りの床に座り、傍らの剣帝ネィル・フー・トゥーンを見つめる瞳は優しい。

『対話』と呼ばれるそれの最中であろうとロムルスは当たりを付けると、遠慮がちに、でもやっぱり話し掛けた。


「お疲れ様です、リンド団長」


 彼はロムルスを視界に認めると、「ロムもお疲れ」そう言って屈託なく口元を綻ばせる。

 その一連の所作に、ロムルスは遠慮という言葉を何処かに放り捨てた。


「あの、今日のリンド団長の堂々とした立ち振る舞い。その、なんて言うか、上手く言えないんですけど、すごく素敵でした」


 気の利いた言葉も紡げないくせに、ロムルスは早口で一気に喋る。そして、その後で自分の言葉の拙さに恥かしくなった。

 少しだけ頬を紅らめるロムルスの顔を見て、彼は苦笑を浮かべる。


「全然堂々としてなんかいないさ。騎士礼典は毎年緊張の連続だよ」


 ロムルスは、そんなことない、と当の本人を前にしてちょっとむきになる。


「団長は立派でしたよ。緊張っていうならカギル団長のことを言うんですよ」


 苦笑を浮かべていた彼は声を上げて笑った。


「あれは例外ってヤツだよ。カギルのあれは、恒例の行事みたいなものさ。俺はもう慣れたって言うかほとんど呆れてるけど、毎年ガチガチになるカギルも、それをからかうユアンも、ついでに言うならその後の『これ』も毎年恒例、さ」


 ロムルスの顔を見上げる彼が、視線を外しながら話終えた時、テラス中に声が響き渡る。


「リンドー‼」


 ロムルスがその声の方へと振り返るとそこには、白の騎士カギル・パンナインが立っていた。礼装用の鎧を脱ぎ、ワンピースタイプの白いスカッリャだけを身にまとうその姿 (特に胸)に、先刻までの威厳はない。


「あ! ロムもいたの、丁度良いわ。今日こそコイツの根性を叩き直すから手伝って‼」


 見ると、カギルの後ろには引きずられるようにして立つ人影が映る。


「大事な礼典で爆笑するなんて、たるんでる証拠よっ! リンドも何か言ってやって‼」


 彼女は猫の様に大きな瞳を吊り上げて、リンドへと迫った。すると、間髪入れずに彼女の後に控える黒のスカッリャを身に纏った赤毛の男が声を上げる。


「そもそも、毎年毎年ありえないくらい緊張するカギルが悪いんだろ! なあ、リンド」


 リンド団長は「やれやれ」と呟くと、苦笑を浮かべて同意を求める男を見上げた。


 西方守護騎士団長。赤の騎士、ユアン・マクティカナル――。


 リンドにカギル、そしてユアンは幼馴染であり、そして彼もまた十代の内に騎士団長へと昇りつめた天才の一人だ。

 スラリとした体駆に、サラサラの赤色の髪。そして少しだけ切れ長の瞳。黙っていれば知的な印象をうけそうな風貌の彼と、カギルのやりとりはやがて子供のケンカじみた悪口の応酬となり、その見る影はあっという間に吹き飛んでしまう。

 現に、礼典の際などの涼しげな顔立ちや振るまいから、四方守護騎士一黄色い声援が飛ぶ彼ではあったが、実際に会って話した女性が苦笑いを浮かべて次々と立ち去ることから、影では四方騎士一の『残念団長』などと呼ばれたりしていた。


 残念団長の大して実もない口先三寸にカギルが押され始めた頃、リンドは再び「やれやれ」と一人呟いたあとで口を開いた。


「ところで、サリー先輩は?」


 カギルに向けて矢継ぎ早に屁理屈を並べたてていたユアンは、そのままの声音でリンドの質問に答える。


「サリーくんなら、ベアトリスさんと一緒にとっくに帰ったよ」


 北方守護騎士団長。黒の騎士、サリー・サレス――。


 常にポーカーフェイスで無口。何を考えているか分からない佇まいから一転して苛烈さを極めるその戦いぶりをして部下からも恐れられる、漆黒の死神。

 彼のことを実は一番怖がっているのは、彼より一つ年少のユアンだったが、そのくせ軽々しくサリーくんなどと呼んでいるのもまた、ユアンただ一人であった。


 いつもはトレードマークのキャップの奥から鋭い眼光を覗かせるサリーの素顔。少しだけブロンドがかった黒髪のベリーショートの端正な顔立ちを、ロムルスは今日の礼典で初めて見たことを思い出す。

彼は今日の礼典が終わるとすぐ、小柄な彼とは対象的に背が高く腰まで届く長い黒髪が印象的な彼の恋人、黒の神殿に仕える黒の占星術師、ベアトリス・カラーチェと共にさっさと帰ってしまったらしい。


 別段珍しくもないその答えに、リンドが「ふぅん」と小さく相槌をうつ。

 それ自体は、最初から何となく分かっていたことだったのだろう。リンドにすれば、それはただユアンにやりこめられそうになっているカギルに対しての配慮。話題を変えようとしたに過ぎなかったはずだ。しかし話題を変えようとしたとっさの機転のせいで、自身にその矛先が向けられようとはリンド自身気付いてはいなかった。


「ん? そーいえば、このあとどーすんのリンド?」


 ついでのように尋ねるユアンに、リンドは言葉を詰まらせる。


「……さては、お前、このあとユカリちゃんとデートか⁉」


 続けざまに浴びせられるユアンの質問に、「どうだっていいだろ」と返してはみたものの、リンドはその後の言葉を続けられずにいる。


 白の神殿に仕える白の巫女ユカリ・マルキアンティもまたこの三人の騎士の幼馴染だった。

 彼女と青の騎士リンド・ヘイワースが恋人同士であることは、騎士団の人間なら誰でも知っている。つまりは公然の仲というヤツだ。ちゃんと話したことなんてないロムルスですら知っていた。


 ユカリさんはいつも微笑を絶やさない素敵な人だ。強く優しいリンド団長と、穏やかな春のように微笑む彼女。騎士団の人間なら、そんなお似合いの二人を誰しもが微笑ましく思っているはずだろう――、


 と、ロムルスは思った。そして……


 ――ただの二人を除いては、と内心で付け足す。


 仕事中に決して見ることのない困り顔のリンドに、少しだけ戸惑いつつも、ロムルスはほんの少しだけ、特別な空気の中にいるような満足感を感じたりしていた。


「リンドお前ばっかりずるいぞ‼」とユアンが叫ぶのと同時に、「ユカリのおっぱいはあたしも狙ってるんだからね‼」とカギルが訳の分からないことを喚いた。


 いいかなロムくん。親友と書いて、カッコ、おっぱいちゃん、カッコ閉じと読むのだよ――。


 いつか無駄に大人ぶった余裕でロムルスに力説してみせたカギルの言葉がそれだった。

 自分にはない宝物を揉みしだいていれば、いつの日か自分にも神の御加護があるはずだ。そう言っては、カギルは豊満な胸を持つ親友の白の巫女を追い回している。


 一瞬間を置いたあとで、「じゃ、俺も狙う!」ユアンが便乗した。

 獣と化した二人に詰め寄られて、たじろぐリンドは制するように口を開いた。


「このあと非番なのはお前らだって一緒だろうが。……ユ、ユアンは何するんだよ?」


 質問に、先程までの熱を一気に冷ましたようにユアンは言葉を絞り出す。


「予定なんて何もねーよ。一人酒だ、一人酒」


 どんよりとした空気が包み込む前に、リンドは矛先を変えた。


「そうだ、じゃあ、カギルは?」


「えっ‼ あたしっ⁉」


 急に話を振られたことに、ドキリとした表情を隠すことも出来ずに、カギルは視線を泳がせる。


「えっと、だから、あたしは、その、パーティー。……そうっ! あたしを祝うパーティーを家族や、親戚一同が開くことになってるよっ‼」


 言い放つ間もずっと泳ぎっぱなしの視線を見て、リンドやユアンだけでなく、ロムルスも即座に理解した――予定ないんだカギル団長……。


「そ、そっかあ! 良かったなあ、カギル!」


 完全に気まずい空気が場を支配する前に叫んだのはユアンだった。

「そうかなぁ、えへへ」笑顔を振りまくカギルに、込み上げてきた寂しさを表に出さないようにして、リンドが口を開く。


「じゃ……じゃあ、そろそろ帰らないとな。そうだ、ロムも途中まで一緒に……」


 その時だった。リンドの言葉を制するようにパオロ宮中に警報が響き渡った。


『警報‼ 警報‼ 甲虫出現‼ 甲虫出現‼』


 劈くようにして響き渡ったサイレンのあとで、館内放送がそう喚きたてた。

 三人の騎士団長は真剣な顔で聞き耳を立てる。


『場所は西方‼ 西門を展開します‼』


 続けざまに二度繰り返した放送を聞いて、リンドとカギルが小さくガッツポーズを決める。と、同時にユアンは「嘘だろー」と呻いた。

「せっかくの非番が」ブツブツ言いながら肩を落とすユアンに、真剣な眼差しで見つめ直したカギルが静かに話しかける。


「どうせ一人で過ごすつもりだったんだし、虫と一緒なら寂しくないわよ、きっと」


 わざわざ真面目な顔をして伝えたセリフがそれでは、ユアンも報われない。

「カギル、お前なー‼」声を荒げたユアンの目前で、とびっきりの笑顔を作ったカギルがいたずらっぽく続ける。


「ほら、ロムも手を振って。我らが赤の騎士に幸運をー」


 文句の一つや二つ並べ立てようと口を開きかけたユアンは、それを無理やり飲み込むと、ただ小さく「くそっ」と呟いて踵を返す。

 その光景を眺めていたリンドは「やれやれ」と呟いたあとで、「それじゃ、行くか、カギル」と話しかけた。

「そだね」笑顔で返事をしたカギルだったが、リンドの歩き始めた方を見て怪訝な顔をする。

 戦地へおもむくユアンはテラスからホールを突っ切って、更に奥にある騎士の待機部屋に戦闘用の鎧を取りに行かなければならない。

 しかし、正門から帰るだけのリンドやロムルスたちは、テラス脇の小部屋を抜けて階段を下りれば良いだけだ。だが、リンドはユアンの後を追うようにしてホールへと歩みを進めている。


「ちょっと、リンド。どこ行くの?」


 カギルが尋ねると「西門」と即答が帰って来た。

「はあ⁉ 何の為に⁉」小走りで追いかけるカギルに、リンドがキッパリと言った。


「記念すべき騎士礼典の日に、騎士になったばかりの若者から死傷者を出す訳にはいかないだろ?」


「西方守護騎士団の仕事なのに」ブツブツ文句を言いながらカギルも歩き始めた。

 ホールの奥から、「助かる! 借りとくなーリンド!」ユアンが大声を上げる。

「一コも返してもらったことないけどなー」とリンド。

 半ば取り残されたようにポツンと立つロムルスへと、少しだけ振り返ったリンドが声を上げた。


「何してる! バックアップ頼むぞ、ロム!」


「はい‼」大声で返事をすると、ロムルスは息を弾ませて駆け出した。


  4


 今やパラス・アズロ内の移動でしか使われることのない馬に跨り、ロムルスたちは街の中を駆け抜けた。

 見ると、西門脇の詰め所には続々と西方守護騎士団のメンバーが集結しつつある。

彼らは地を鳴らす馬蹄音に振り返ると、瞬きするのも忘れて立ち尽くした。それもそのはず、彼らの視線の先には青・白・赤の鎧に身を包んだ、このパラス・アズロ最強の称号を持つ四方守護騎士団長のうちの三人が並び立っているのだ。

 三人がほぼ同時に馬から降りると、三色のマントがふわりと翻った。その光景にほんの少しだけ目を奪われたあとで、慌ててロムルスも馬から降りる。

「虫は!」ユアンが声を張り上げると、歩み出した顎鬚の逞しい副官も負けじと声を張り上げた。


「先程から門に体当たりを繰り返しております‼」


 小さく頷くと、ユアンは周囲を見渡しながら命令を下す。


「俺とリンドとカギルで出る! お前らはバックアップに徹してくれ。パラス・アズロの中には決して入れるな!!」


 騎士団の「「応‼」」という声が辺りに響く中、リンドはロムルスに耳うちした。


「ロムは『上』から状況報告とフォローアップ。任せたぞ」


「任せた」という言葉に反射するように、ロムルスは「はい!!」と発して駆ける。門の脇にそびえる見張り塔の頂上目指して階段を駆け昇る最中、抑えきれない興奮で胸の奥が高鳴った。


 普通、五階建の見張り塔から敵状報告とフォローアップをするのは準騎士の仕事であり、見習いの任務などケガ人の手当てくらいのものだが、今日は違う。今はまだ身に着けることの許されない鎧を、「俺の練習用のヤツで悪いけど」そう言って貸してくれたのはリンドだった。

 人生で初めての鎧――、人から見ればそれは、簡素な作りのただの胸当てに過ぎないかもしれない。だが、ロムルスは今、鎧に身を包み、騎士団長直々の命令を受けたのだ。

 何階部まで駆け昇ったのかも興奮で分からなくなったロムルスの耳に、塔の窓越しにユアンの声が聞こえた。


「虫の種類と数は‼」


 続いて塔の頂上から見張る準騎士の声が聞こえた。


「アレデントードが二匹です‼」


 巨大なミミズの化け物のような『砂噛み(アレデントード)』は、どんなに成長したとしても、この塔の半分程度の大きさが関の山、団長三人の敵ではない。

 そうと分かった途端、安堵に緩みかけた緊張の糸を、小さくかぶりを振って締め直す。

 ロムルスは全長八十メートルに及ぶ塔を再び駆け昇ろうとした。しかし、ふいに覚えた胸騒ぎに振り返ったとき、ロムルスの足は止まっていた。

 塔の頂上までは遠く、まだその中ほどまでしか辿り着けてはいなかった。だが、ロムルスの目にそれははっきりと見えた。

 興奮で紅潮していたはずのロムルスの顔は一気に青冷める。

 門扉に体当たりしては転がる二匹の砂噛み、それを中心の点として描かれた、規則的な円状の砂の窪み。

 巨大な西門が開く音にかき消されないように、ロムルスは大声で叫んだ。


「リンド団長‼ 『呑み込むデグルティード』です‼」


 開き始めた巨大な西門が人ひとり通れる隙間を作るより、ロムルスの上げた声にリンドが反応する方が一瞬早かった。

 門が開き次第特攻をかけようとしていたユアンが、リンドにマントの裾を掴まれて尻餅を付くのと同時に、砂面に底なしのように広がった巨大な穴に二匹の砂噛みは呑み込まれる。

 一息で二匹の砂噛みを呑み込んだ巨大な顎が閉じられると、砂面に叩きつけるようにして這い出てきたそれは、ロムルスの立つ塔を一呑み出来る程のとてつもない巨体だった。その姿に圧倒されたロムルスは壁に背をもたれ、なんとか立っているのが精一杯だった。


 呑みこむデグルティード――は、砂漠に生息する甲虫の類の中でも最大形だったが、今日のそれは今までに見たこともない程のサイズだった。

 普段、時計塔からロムルスが双眼鏡で砂漠を眺める時、遠くの地にそれを見つけることは稀にあった。しかし、せいぜい砂噛みをでかくしたという認識に過ぎない。

 だが実際その禍々しさは、目を覆いたくなるほどのものだった。暴威を纏った、人の想像の範疇外。もしくは人の想像の範疇を超えた規格は、その存在自体が暴威であるといった姿。いうなれば自然災害そのもの。

 巨大な顎に無数に並ぶ歯。厚く硬い甲殻に覆われた全身に、植物の蔦を思わせる毛が絡まるようにして生えている。その姿は朽ち掛けた巨大な丸太を連想させたが、全身からは悪い冗談のように、体駆を無視した作りの手だか足だか分からない深緑の突起物がところかまわず突き生えていた。

 砂中の生活環境への適性か、それともただ退化しただけなのか。頭部に確認できる沢山の小さな目に光が灯ることはない。ひたすら地中を掘り進み、十年に一度とか二十年に一度、地中から顔を出しては手当たり次第にある物全てを呑み込んでは地中に帰る姿から、呑みこむ者と呼ばれるそれと出くわすなど、天文学的確率というものである。


「最悪だな……くそっ」


 呟くユアンの声が塔の頂に聞こえるまでに、先程までの騎士団の熱気は消え去っていた。

 一面に広がる黄砂から、突き伸びた巨影。

 気配を殺すように固唾を飲む西方騎士団の面々に、西門はしんと静まり返る。

 全身を砂中から出したあとで、ピクリとも動かなくなった呑みこむ者は、本当に巨大な丸太になってしまったかのようだった。


「咀嚼が終わったら、また食い散らかし始めるな」


 戦意を失い無言のまま立ち尽くす集団の中、リンドは言った。


「食い散らかす? アイツが通ったあとは何ひとつ残らないって」


 ユアンは呆れるように答えた。


「まあ、何にせよ、三人で来て正解だったわね」


 げんなりとした様子でカギルが継いだ。続けて「セイ」とカギルが唱えると、三人の回りを暖かな風が包み込んでいく。

 カギルのセイ、風と炎の加護による――〝天輪(サークルス〟。

 一時的に身体能力を引き上げる風を身に纏った三人が門を抜けて歩き出した。


「とりあえず、俺とユアンで一気に叩く――『』」


 リンドの剣帝ネィル・フー・トゥーンが――〝断ち切るウスラヒ〟の青い刀身を灯らせる。


「ま、一気に、ともいかなそーだけどな――『セイ』」


 ユアンの剣皇ポーニロアに、炎と土の加護を受けた――〝炎熱剣ベオネット〟の赤い光が揺らめく。


 咀嚼を済ませたデグルティードが少し身体を傾けた瞬間、駆けた二人はその巨体の腹部へと切りつけた。


 巨大な丸太はその腹にははっきりとした×印を残した後で、顎の奥から「ゴオオ……」という呻き声を発する。

 地を揺るがすその響きの中で、斬撃の浅さに顔を一瞬曇らせたリンドが、続けて「来るぞ‼」と声を上げた。

 巨大な丸太はただその全身を前方に倒した。それは攻撃と呼ぶにはあまりに雑な、巨大さに任せてのボディプレス。しかし、その巨大ゆえに、逃げの一手しか術はない。

 地鳴りのように響く轟音。ロムルスは階段から振り落とされないように手すりにしがみつく。

 堅牢な造りのパラス・アズロですら傾いでしまうような震動に、舌を噛み切ってしまいそうで、ロムルスは悲鳴すら上げられなかった。

 それでもなんとか、転がるように逃げた三人の騎士の無事を視界に留める。震動が止んだ時、丸太の端に押し潰されて、荘厳さすら感じられた巨大な西門の一部がひしゃげていた。


 手探りのようにもぞもぞと地を這い体勢を直す呑みこむ者を見つめながら、リンドは小さく息を吐く。


「やっかいなのは、これからだ」


 ふいに聞こえ始めたザワザワという羽音は、やがて辺りを埋め尽くした。


 見習いから準騎士、そして騎士へ。騎士を目指すものなら誰でも通る道、騎士を養成する――騎士学校。

その授業でロムルスたち学生は、当たり前のように砂漠に住む生物の生態を学ぶ。砂噛み(アレデントード)しかり、呑みこむデグルティードしかり、だ。

 砂漠は過酷な環境だ。しかし、生まれてすぐに食物連鎖の頂点に存在する甲虫にすれば、過酷な環境ですら適応する必要もない事だった。

 永劫のような寿命と、頑丈な体躯。餌を取るのも、大口を開けて掻っ込むだけという砂漠の王者。だが、砂漠に住むすべての生物がそうかと問われれば、もちろん違う。生態系の中層や下層に生息する生物は、生きていくだけでも大変なのだ。

 砂漠という特殊な環境下では、生物は様々な生態系を築く。その中でも特殊なもののひとつが――砂羽蟻サンド・アントと呼ばれる虫だった。

 砂羽蟻は、呑みこむ者の身体と外甲の隙間に生息している。呑みこむ者の皮脂腺、汗線より出る排泄物を主要な食料としていた。連中にとって呑みこむ者は共生生物ではなく、コミュニティだった。


 砂羽蟻は今、コミュニティの危機に瀕して立ち上がった。呑みこむ者の外甲の隙間から、次々と掌大の蟻が飛び立つ。

 先発隊ともいうべき蟻の一団がリンドたち目掛けて急降下し始めた時、カギルの『ロウ』、風と水の加護を受けた――〝敵討つ風のスピカ〟が続々とそれを射ち落としていく。

 カギルに助成すべく、ユアンが六連装の『・炎』――〝炎弾リボルバー〟へと切り替えるのを見て、しかしリンドは「待て」をかけた。

 既に撃ち込む気でいたユアンにすれば戸惑い気味に、宙を舞う六つの火球越しに、振り返る。

 きりもないような、際限なく出ては舞う無数の蟻達を〝敵討つ風のスピカ〟が射ち落とし続ける中、リンドはユアンへと告げる。


「蟻退治を続けたって意味はない。蟻は自分たちのコミュニティを守る為に戦ってるんだ。コミュニティ自体、つまりデグルティードを潰せばあいつらは霧散するはずだ。……カギルっ‼」


 少し離れた位置で蟻退治におわれていたカギルは、矢を射つ手を休めることなくリンドとユアンの元へと駆ける。

 倒すべき外敵が一点に集まったことを理解した蟻が、総攻撃をかけるべく突撃してきた瞬間、リンドは『ロウ‼』と叫んだ。

 水と風の加護を受けた絶対防盾――〝氷壁ヒョウヘキ〟はリンドの目前を覆うようにして展開すると、次々と蟻はそれにぶつかって落下していく。

 空中で急停止する蟻と、地に落ちたあと再び飛び立ち始めた蟻を確認しながらリンドは「砕けろ‼」と叫ぶ。

 粉々に砕けた氷壁の乱反射に、蟻は完全に方向を見失った。

 リンドが続けて「カギル!」と叫ぶや、カギルは目前に〝敵討つ風のスピカ〟の集中掃射を展開する。

 矢は辺りを覆う乱反射の空間に、蟻の死骸と氷壁の欠片を更に砕いた粉塵をつくりながら道を成した。


 その道をユアンは一気に駆け抜けた。


 トンネルの先でユアンを待ち受けていたのは、二度目のボディプレスの為に、再び巨体を持ち上げた呑みこむ者の姿。


 しかし――。


「させっかよ……『ロウ‼」


 ユアンの右肩で宙を舞う六つの火球は、一つに集まり圧縮していく。轟々と燃える赤い完全な球となったそれを右の肩に従えて、ユアンは跳躍した。

 巨体を今まさに倒そうとする呑みこむ者の腹部。先程、リンドと付けた×印の重なる中心目掛けてユアンはポーニロアの剣先を突き刺す。


「弾けろ――〝煉獄のカノン〟‼」


 紅蓮の竜巻となってユアンの右腕を駆け巡った紅が、ポーニロアの剣先より放出される。瞬間、呑みこむ者の体内で、炎と風の加護を受けた――〝煉獄のカノン〟が炸裂する。

 内部を焼き尽くすような轟音のあと、フラフラと全身をわななかせながら、腹部に大穴を開けた呑み込む者は仰け反るように後方に倒れる。

 辺りにおびただしい量の砂塵が舞った。

 少しの沈黙のあと、呑み込む者の外甲の隙間から、一際大きな蟻が顔を出した。おそらく女王蟻であろうそれが飛び立つと、蟻たちは付き従うようにして東の空へと消えていった。


「デグルティードを倒した‼」


 一心不乱にロムルスは叫んでいた。

 西方騎士団の面々からも歓喜の声が響き渡る。

 その歓声の中、爆風に晒され砂に埋もれるユアンへと、リンドは手を差し伸べた。


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