Word 1ページ分 祖父母
ある晩、お茶の間で祖父母と一緒にテレビを観ていた。テレビではニュースが報道されていて、死体遺棄事件や酔っぱらい同士の行き過ぎた喧嘩で人が死んでしまったというニュースだった。するとこたつを挟んだ向かいで祖母が、「物騒だねえ。」と言った。
当時の私は中学生で学校には行っていなかった、不登校だった。原因は、以前兄を担任していた先生にあった、先生は兄の部活の顧問でもあった。当時の私の担任で私の部活の顧問だ。自分の部活動の態度や成績に期待を持っていたが、重荷になりストレスで不登校になってしまった。そんな私を家族は責めたりはしなかった。
「そうだね。でも、私だってこうして報道されないとは限らない。」
思ったままの言葉を吐いた。事実中学生ながらにして人を殺してやりたいを思った事は何度だってある。自分の知り合いが殺人の容疑で捕まったと報道があったとしても、殺した理由さえ聞ければ無理やりにでも納得してしまう気さえしていた。殺してやりたいと思うことや、殺人を犯す事はそれ程までにあり溢れていると思っていた。
自分のその発言に対して、祖父母は私の顔をチラリとみたが、何も言わずにテレビへ顔を戻した。自分はテレビから視線をはずさなかったが、祖父母が困った顔をしているように思えた。色々思い悩む時期なんだろうと静かに察してくれていたのだろう。空気を悪くしてしまったことは反省しているが、思い直す事はなかった。自分は犯罪を犯さないという自信を持つ事はできなかった。
殺したいではない。殺してやりたいんだ。迷惑を掛けたい。その程度の物差しと同じ長さの願望だった。当時のその担任を、小学校の通学路に並ぶ団地に住んでいた、いじめっ子の男の子を、スイミングスクールのスパルタなコーチを、そして自分を。
最近はどうだっただろうか。人を殺したいと思うことなんてなかった。この人でさえ。罪に問われるから。自分の人生が狂ってしまうから。
けれど今、人生を線路に例えたとして線路から外れたとは思わない。お先が真っ暗だなんて言うけれど、私には輝いて見える。人生の終わりだと言う人も言うけれど、これから始まる様にも感じる。手も作業着も床も壁も深く赤い飛沫が飛び散ったはずだけれど、工場の窓から差し込む夕日に反射したこの光景を、学生時代に海外研修で行ったハワイで夕方に観た海辺と重ねた。綺麗でも何でもない。その時そこにあるはずの光景だと思った。手の震えは止まらなかったが、もう強い言葉で怒鳴られることはない。もう先輩が萎縮する事なく堂々と先輩自身の仕事を全うできる。もう会社で有る事無い事陰口が飛び交うこともないだろう。私が我慢していたら誰かもこうしていたに違いない。
「ありがとう!」
そんな賞賛の声が聞こえた気がして
「どういたしまして。」
そう言って私はぺこりとお辞儀をしてみせた。
憎い人間が居なくなった。この人の幸せな家族が崩れていくことや、よく話にしていた息子が、お父さんはもう居ないと泣き噦るのを想像した。
祖父母は私になんて言葉を掛けてくれるのだろうか。