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「サムライー日本海兵隊史」(外伝等)

ベルギー空軍のバッファロー戦闘機の栄光と陰影

作者: 山家

 ベルギー本国において、F2Aバッファロー戦闘機の人気は21世紀になっても未だに極めて高いモノがあり、「第二次世界大戦時の救国の英雄戦闘機」と国民から呼ばれることも稀ではない。

 だが、ベルギーの旧植民地であるコンゴ民主共和国内では、あいつはバッファローだ、というのは自分にとってあいつは許せない奴、俺達を虐めた奴だ、ということ等を暗喩、侮蔑する言葉に21世紀ではなっており、その由来となっているのはF2Aバッファロー戦闘機なのだ。


 何故に本国と植民地でこれ程の差がF2Aバッファロー戦闘機に出たのか。

 それはベルギーにおいてF2Aバッファロー戦闘機が第二次世界大戦に登場してから引退するまでの歩み、軌跡が産んだものである。


 F2Aバッファロー戦闘機はアメリカ製の戦闘機だが、第二次世界大戦勃発に伴って連合国側を支援するためにイギリスやオランダ、フィンランド、そしてベルギーに輸出された。

 1939年から1940年に掛けての間、ベルギー空軍が保有する戦闘機の中でF2Aバッファロー戦闘機は最高の性能を誇っており、ベルギー空軍の主力戦闘機として正に猛牛のごとく戦い抜き、当時の独空軍の最新鋭戦闘機であるBf109戦闘機相手でも優勢裡に戦い、第二次世界大戦初期の頃のベルギーの空を守り抜いたのだ。


(この背景には、英米の支援によって設置されたレーダーを始めとする防空網の支援もあった。

 こういった支援が無ければ、性能差から言ってF2Aバッファロー戦闘機ではBf109戦闘機に優勢裡に戦うのは困難だっただろう)


 もし、F2Aバッファロー戦闘機がこの時のベルギーに無ければ、ベルギー上空の制空権は独空軍の手に入り、ベルギー全土が独軍の占領下に陥ってもおかしくなかった。

 だが、F2Aバッファロー戦闘機を主力とするベルギー空軍は、米英仏日蘭等の友軍の多大な援けがあったこともあって、ベルギー上空の制空権を基本的に守り抜くことができ、その航空支援もあって、ベルギー全土が独軍の手に落ちるという最悪の事態が避けられたのだ。


 だが、この頃の戦闘機の進歩は正に日進月歩であり、1940年末にはベルギー空軍はF2Aバッファロー戦闘機に見切りをつけ、アメリカ製のP-40戦闘機の導入を行うことを決めた。

 このために1941年以降、徐々にP-40戦闘機がベルギーに到着するにつれて、F2Aバッファロー戦闘機は第一線から外れて、第二線に下げられ、更に植民地警備用へと転用されて、当時はベルギーの植民地であったコンゴへと赴くことになった。


 だが、この第二次世界大戦初期のF2Aバッファロー戦闘機の奮戦は、本国の国土の一部自体が当時、独軍の軍靴に踏みにじられる事態となったベルギー本国の国民に強い印象を残した。

 ソ連と共産中国の崩壊に伴う第二次世界大戦の事実上の終結は1943年のことであり、第二次世界大戦時にベルギー空軍の主力戦闘機として戦った戦闘機は、P-40戦闘機の方が多くて長いのにも関わらず、F2Aバッファロー戦闘機の栄光を称えるためもあって、第二次世界大戦後のベルギーにおいて1940年の独軍の本格的な侵攻を迎え撃つ「バトルオブベルギー」という歴史映画が政府の半ば肝いりで製作されたほどである。 

 そして、コンゴへと赴いたF2Aバッファロー戦闘機がたどった運命だが。


 第二次世界大戦時にベルギーはF2Aバッファロー戦闘機を最終的に約100機購入したが、独空軍との死闘の末に過半数が失われており、コンゴへと赴けたF2Aバッファロー戦闘機の実際の機数は約40機程とされている。


 そして、第二次世界大戦の余波は、世界各地で民族、宗教を原因とする武力紛争を引き起こすようになっており、アフリカの植民地でも独立を目指す武力紛争が徐々に起きるようになっていた。

 それはベルギーの植民地でもあるコンゴでも同様だったのだ。

 コンゴの独立を目指す最初期の本格的な武装蜂起は、1945年に起こったとされている。

 この武装蜂起鎮圧のために奮闘したのが、植民地警備のために赴いていたF2Aバッファロー戦闘機ということになる。


 コンゴ植民地の住民のほとんどにしてみれば、低翼単葉の全金属製の軍用機を実際に見るのは、F2Aバッファロー戦闘機が初めてだった。

 更に地上にいる武装集団にとって、空から銃撃を浴びせ、爆弾を降らせるF2Aバッファロー戦闘機は文字通り、恐怖の的となる存在だった。

 そして、F2Aバッファロー戦闘機の活躍もあってこの最初期の武装蜂起は失敗に終わリ、バッファローはコンゴの独立派住民にとって恐怖の代名詞となった。

 この武装蜂起鎮圧を、結果的に最後の花道とするかのようにベルギー空軍のF2Aバッファロー戦闘機は、1947年頃に完全に現役機から引退、更に1950年には予備保管機からも引退して廃棄処分を受けた。


 だが、コンゴの多くの住民の心の中では、独立を求める灯火は絶えることなく灯される続け、1950年代から再度の独立を目指す動きが起こり、1960年に終にコンゴ民主共和国として独立を達成する。

 そして、コンゴは独立を果たした後も、国内資源が豊富であったことから、資源を求める諸外国の思惑に翻弄されて、また国内の民族対立等もあって、コンゴは50年近くも内戦と独裁を繰り返し、政治の安定が中々もたらされなかった。

 50年近い歳月をかけて、21世紀になってようやくそれなりの(欧米日に言わせれば半人前以下と酷評されるが)安定した民主国家がコンゴにおいては成立することになる。


 更に50年以上もの歳月の流れは、コンゴの住民の間でバッファローという単語の意味を、冒頭のような意味に変えさせてしまっていたのである。


 兵器に罪は無く、使われる者、また、その兵器を向けられた者によって罪を被せられ、また、評価されるというが、ベルギー空軍において、F2Aバッファロー戦闘機が採用されてから引退するまでにたどった運命、軌跡はそれを本当に皮相的に示しているようにさえ思われる。

 更に言えば、F2Aバッファロー戦闘機のように、本国と植民地の間でここまで極端に評価が割れている兵器も極めて稀有な例である。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 史実では幻となったベルギー空軍のバッファロー戦闘機が大戦を生き抜き、戦後の植民地戦でも名を残すとは中々興味深いですね。
[良い点] 御参加ありがとうございます。ベルギー空軍のバッファロー、本土だけでなく植民地でも使用され、その結果が与えた歴史への影響が面白いです。 [一言] バッファローで、あのエクスペンタル揃いのドイ…
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