鬼さんこちら、手のなるほうへ
鬼さんこちら
手のなるほうへ
花の匂いと線香の匂い、べったりとした夏の空気がからまり、息苦しい夜だったのを覚えてる。
山の中の、小さな村の事故。そこでは『人が死ぬ』ことなど、よくある話だったのだ。
彼女も、そのひとり。
あまり話したことはなかった。ただ、人から聞いていた。
「彼女は鈴の鳴るような声で笑うよ」
それを聞いて、当時の僕は思ったものだ。
鈴の鳴るような笑い声って、どんなものだろう?
結局、その声は聞けなかったけれどね。最期まで。
駅の改札口の向こう、こちらに向かって彼は手を振っていた。周りを見たが、田舎の駅なんてあまり人はいない。僕に向かって手をふっているのだろう。
だんだんと近づくにつれ、そいつの脂ぎった顔が見えてきた。体の輪郭は、まあ、遠くからでも見えたけど。
「ようグッチー。元気そうじゃないか」
「あはは。一朗も元気そうじゃないか。なんか、ますます細くなった? 」
「うるさいな。そう言うおまえはますます太くなったじゃないか」
えへへ、とグッチーは大きなビール腹をゆすって笑った。ワイシャツのボタンがはち切れそうなので、あまり刺激を与えないほうがいいかもしれない。
ここは山口。僕は、小学校の同窓会で、この地にやってきた。山口に帰ってくるのは八年ぶりだった。
二人で他愛もない話をしながら、バスに乗り込む。高い建物やビルは一切ない、懐かしい山口の風景。東京では上を見上げてばかりいた気がする。最近の肩こりは、パソコンだけが原因ではないのかも。
「―――――だったんだって。あ、そうそう。覚えてる? ほら、あの子……」
「ああ、覚えているよ」
グッチーが何を言いたいのかわかった。おそらく彼女のことだろう。
小学校四年生の頃、一つ下の女の子が、崖から落ちて死んだ。小学校は生徒が三〇人ぐらいしか生徒がいなくて、誰もがほとんどの生徒と面識があった。しかし、僕は彼女と話したことがなかった。それは小さな村では、奇跡に近いことだった。
ただ、見たことはある。
隣の家から醤油を分けてもらいに行く時、僕らが『じいさん杉』と呼んでいる大樹の下で、白いワンピースを着て立っていた。おかっぱの黒髪や、スカートの端が風に揺れていたのをうっすらと覚えている。
「あのさ、どうしてあの子を一朗が知らなかったか、わかったよ」
「へえ。どうして? 」
「彼女、病弱だったらしいんだ。あんまり学校にも来れずにね。もうすぐ死ぬらしかったよ。あと―――――」
噂話は、嫌いだ。
彼女の顔を、僕は覚えていない。
「でさ、じいさん杉って実はケヤキの木だったらしーぞ! 」
「まじかよー。俺ずっと杉だと思ってた! 」
畳が敷かれた、宴会場。その隅に、僕はいた。ばか騒ぎしてる元同級生の姿を観察しながら、ときどきつまみをビールで流し込む。
「おっ、おまえいっちゃんか! うわー、なつかしい! 」
見覚えのない男が、僕の隣にどっしりと腰掛ける。やたらと図体のでかい男だ。まあ、僕をいっちゃんだなんて呼ぶやつは、一人しかいない。
「ようジャイアン。また筋肉付いたんじゃないのか? 」
「それ皮肉かよ! すっかり脂肪ついちまったんだぜ! 」
そういって悲しんでみせるが、僕にはそうは見えなかった。
「おい! いっちゃんだぞ! おまえらもこっちこいよ! 」
ジャイアンが遠くのテーブルで話している男たちに手招きをする。相手はすぐに僕に気がついたようだ。
「マジ? うおー、一朗じゃん! 」
「相変わらずほせーなー。何食ってんだよ! 」
「おごってくれたら実演して見せるんだけど」
僕の言葉に、二人がどっと笑う。いつも二人でいて、いちいち動作が大げさな奴……おそらく、サブとケイだろう。どちらがサブとケイかは、わからないが。
「しかしまあ、こうやって集まるとあれを思い出すな」
ジャイアンがビールをすすりながら言う。にやりと嫌な笑いをしたかと思うと、振り返って大声で叫んだ。
「グッチー! ちょっとこっち来いよ」
部屋で談笑していたグッチーが、びくっとする。こちらを向いた顔は、明らかにおびえていた。
おどおどと、ゆっくりと歩きながら声を出す。
「な、なにかな? 」
「なあ、おまえさ、ビールをイッキしてみろよ」
「そ、そんなの……」
無理だよ、とうつむいて呟く声は、騒音にかき消された。サブとケイが片方に耳打ちし、片方はくぐもった笑い声をあげた。
「ほれ、イッキ、イッキ! 」
ジャイアンが手をたたく。グッチ―は僕に一瞬、助けを求めるような視線を投げかけたが、すぐにグラスのビールを一気飲みし始めた。彼らはいつ、どこでグッチーがお酒に弱いことを知ったのだろうか。誰かに教えられたっけ?
ああ、そうだ。
教えたのは、僕だった。
「うええ〜」
そう言いながら、グッチ―はその場に座り込んだ。三人はにやにやしていた。僕は無表情なのだろう。そう、グッチ―に教えられたことがある。こんな時の僕は、表情がないって。
「うう……きもぢわるい」
「ははっ。しかし、こうして集まるとあれを思い出すな。通夜の時のさ、ほら」
「ああ、鬼さんこちらで遊んだ」
彼女の通夜の晩、僕、グッチ―、ジャイアン、サブとケイは、こっそりと会場を抜け出した。退屈と、しんみりとした空気に耐えられなくなったのだろう。喪服についていたネクタイを目隠しに使って、鬼さんこちらをして遊んだ。
「……あの日は、俺が鬼だったよな」
そう、確か僕が目隠しをして、みんなを追いかけた。
「そうそう、いっつもグッチーが鬼してたけど、あの日はいっちゃんだったよな」
「たしか一朗が立候補したんじゃなかったっけ」
真っ暗闇だったから、目隠ししてもしなくても同じことだっただろう。僕はあの時のことを思い出した。
グッチ―のどもった声。ジャイアンの低い声。サブとケイの、同じようなかん高い声。きれいなソプラノの、あの声……。
あれ?
『鬼さんこちら、手の鳴るほうへ』
きれいなソプラノ?
そんな人、いたっけ?
『ここまでおいで……』
「おい一朗! 」
いきなり隣で声がした。びくっとしてしまう。みると、眉毛の太い男がこちらを怪訝そうに見ていた。
ああ、おもいだした。
眉毛が太いのは、サブだ。
「どうしたんだよ一朗」
「いや……なんでもないよ」
みんな、覚えてないのか?
六人目が、いたことを。
「あのさ、あの時遊んだのは、俺たちだけだったよな? 」
「何言ってんのさ、いっちゃん。俺たちだけだろ? 」
「そーだよ。な、ケイ」
「いや……」
ケイが、あごに手をあてて、目を閉じる。ぼそりぼそりと、思い出しながら言う。
「途中から、誰か混じってこなかったっけ……」
グッチ―も続けて言う。
「お、俺も見たよ。真っ白なワンピースを着た、女の子だった」
宴会場の騒音が聞こえなくなった。実際にはそんなことありえないけど、僕にはそう思えた。それは他の3人も同様だったと思う。誰もが、誰かと顔を見合わせた。
やがて、おい、とジャイアンが低い脅すような声を出す。
「冗談はよせ。笑えねえじゃねえかよ」
「お、俺、なんか変なこと言ったかな? 」
「とぼけんなよ! 」
サブがテーブルをたたいた。ビール缶が倒れ、こぼれた液体は畳の上に濃いしみを作った。
「ほ、ほんとだよぉ。顔はよく見えなかったけどさ、白いワンピースはよく見えたんだよ」
白いワンピース。
彼女がいつも、着ていた。
「それじゃあさ、まるで……」
ケイが、呟く。それは大きな声ではなかったけれど、僕の耳にはよく響いた。
「幽霊、みたいじゃないか……」
「はい、おしまいおしまい」
僕はパンパンと手をたたいた。四人がこちらを向く。その顔はどれも青ざめていた。
「幽霊? そんなものはいない。そもそも、ほんとに村の子供が混じってきただけかもしれないだろう? ワンピースだって、近くのスーパーで大量に安売りしてたじゃないか」
「で、でも、あんな子は村にはいなかったよ」
「考えろよグッチ―。通夜だぜ? 親戚が集まってもおかしくないだろ。彼女によく似た女の子がいても、不思議じゃない」
「そ、そっか……そうだよね」
みんな、ほっとしたように笑い出す。そして、ケイを小突き始めた。
「おらおら、ケイが幽霊だなんて言うからビビっちまったじゃねえかよ。グッチーが」
「ええ! 何でそこで俺に話ふるわけ? 」
「ビビらせ野郎にはお仕置きが必要だな! 」
「だってさ、ほんとにそう思ったんだよ。……ぎゃ! やめろ! 」
じゃれあう四人を、僕は黙って見つめていた。おそらく、無表情で。
「じゃあ、元気でな」
僕はホテルの前で、みんなと別れた。あの後、僕の初恋の女の子やらと話したり、結婚して幸せになっている奴をからかったりした。
ホテルのすぐ横に、小さな林があった。そういえば、僕たちが遊んだのはここだった。そうそう、ここは昔ホテルじゃなく、葬儀場だったんだ。
土手を下りて、林に入ってみる。うっそうとした木々は、夜の闇をさらに濃くした。
ネクタイをほどいて、目隠ししてみる。こうしているだけでも、あの日の声が聞こえてくるようだ。
『鬼さんこちら! 』
『手の鳴るほうへ! 』
考えろよグッチー。通夜に白いワンピースなんて、着てこない。
『ここまでおいで! 』
「つかまえた」
僕は自分よりはるかに下の、細くて小さい肩を布ごしにつかんでいた。きっと、その布は白いのだろう。
高い声で、笑う声がする。きゃらきゃら、きゃらきゃら。
『ねえ、わたしのこと、おぼえてる? 』
高い声が問う。目隠しを取ったら、きっと彼女はいなくなってしまうだろう。本能的に、そう思った。
「―――おぼえているよ」
『そう』
僕の下手な嘘に、彼女は満足そうに笑う。
肩が、僕の手の中をすり抜ける。目隠しを取ると、彼女はいなくなっていた。
確かに、鈴の鳴るような笑い声だな、と思った。
どうも、時計堂です。
これは『台詞お題』という企画のために書きました。だいぶ前に書いたので、事実上、これが私の初めての短編ですね。いかがだったでしょうか。
休みの間、潮干狩りに行ってきました。宮島まで。
鳥居の周りだと大きなアサリがよく取れるのですが、そこは柵に囲まれていて、なんか怒られます。「そこはとったらあかんよー!」って。
しかし、柵の外に出るとびっくりするほどアサリがとれません。しかも小さい。取ったと思ったら死んでた。神の加護があると、アサリが元気になるらしいです。今なら信じてやらあ、とも思いました。
ちなみに、アサリはとてもおいしく、世界遺産の味がするなあ、とみんなで食べました。




