ただ言われたことだけを
……ブルスクの恐怖を知りました。
「ふむ、ソルベーレイ行きですかぁ……言っちゃあですよ、あそこには見るものがあんまり……まぁボケェっとするならいいですよ、ボケェっと。伝説も与太話ですし。」
現在交渉中だ。
「伝説?今ではソルベーレイも湖に沈んで、暮らしの余波を確認できませんがねぇ。なんでも砂がなく草木が茂っていた時分があるんだと。ウワサはウワサですがね、どこぞの芸術家が作ったものなんて話も……支払いはどうするんで?」
追い返された。
方角は教えてもらった。優しい。
それよりだ、沈んでる?
行先はとうの昔に滅んでる。滅んだ理由も忘れるぐらい昔のこと。でも文明の跡が残っているから、観光地とされ、美しくない紫色の湖を一望できるとの事。
これは、虚無感が漂う旅路である。
エイリスと待ち合わせるはずだった宿から荷物を引き払って、再度交渉し、砂遊魚に乗る。幾分か貨幣が荷物に残されていた。
「別に言いたくはないんですがね、買い物下手くそだなぁ、と。足運びの土地ですから値切られることが前提ですからねぇ、普通より相場を高くしてるんですよ。」
上手く生きて下さいよ、なんて言われても、初めて来た土地で勝手を知らない、なんて言う文句は彼らに溜め息をつかせるだけだろうか。
いい勉強になりましたよ、とぶっきらぼうに言えば、にこやかに笑い返される。その上、良い旅だなんて言ってくれる。
教習所で習ったように砂遊魚を走らせる。行先へ自走してくれるので、移動の合間は作業に移せる。
荷物の中から使えそうなもの、エイリスに渡されたものを見ていく。そういえばあったな、というぐらい覚えてもいなかったものだったりするのだが、
【褫奪者への祈り】
【朔】
【グワットの作り方】
【飛 ┅ 図】
etc…
……読み方が分からない。本の内容は物語になっているようだ。初見の題名もあるように思うが、既存の記憶がタンランに【交換】されている可能性もある。
いや、【交換】されていることに納得しているのも、よくわかっていない事だが、まぁ深くは考えないようにしよう。
だからといって、エイリスが見えなくなる、ってのは全然言語化できないんだが……荷物は持っても良かったのだろうか?
砂埃のために目が痛い。
ビュンビュン横を過ぎる自転車に乗る人がメガネかけてるのは目を傷つけないためだったのか。
何も障害物もないし、後ろを向いていても大丈夫だろう。
ところで、このまま走らせていけば、何時だったか教えてくれた、おっちゃんが言っていた魔物に遭遇するのだろうか?
遠くを見ても何の生物の息遣いを感じる気色もない。残念ながら見所もなく、砂遊魚を走らせて数時間経つことになるだろう。
この少年の向かう先、ソルベーレイ。
紫色の湖が広がるソルベーレイ。
沈んだ湖ソルベーレイ。
「おうい、待ってくれよ。ぶつかったお人。よかったよかった。」
気がつけば、砂遊魚は止まっている。
声をかけてきた人物が目の前にいる。
「僕はエフェメラルさ。前に会ったろう?」
言うことを聞かない砂遊魚は、方向を変えて歩き出す。
着いた場所は、寂れた石扉をくぐった冷暗所のような場所。風はなく、空気が乾燥している。
手前に突き出した棚には、装飾のついた本が敷き詰められている。古びれた様子もなく、まだ作られて間もない新品さがあらわれている。
座って良いと仕草で示されたが、全て石に見える。どこでも良いのだろう。
相手が本を取り出しては、表紙を手でなぞる。噛み締めるようにゆっくり顎を引いて、穏やかな目になる。
手渡しに、白い、白磁器のように艶やかで、汚れのない、しかし、違和感を感じる白紙を渡される。
その紙を見て、なにか満足そうに頷いている。
「ふむ、第二世代寄りの第三世代だろう?」
何を言っている?
「想像物であり、報酬のために働く、機械的な役割を与えられた存在、君たちのマージナリーのことさ。これも聞いたことがないかい?」
「まぁ、僕は第二世代だから、君たちの言う、記憶に呑まれる感覚が分からないのだけれどね?おや、第二世代という言葉も、その意味すら解していないようだね?」
途端に何を言っているのか分からなくなる。
「先にこの本を読んでくれないか?」
手に取ったね?
その言葉を聞く前に、内容が頭に流れ込んでくる。頭の奥にその神秘が刻み込まれていく。
カシャッ
頭の中で鳴る。そして、目の前が固まっている景色と、今見ている景色が二重に見える。
「まだ困惑しているところすまないが後にするよ。この砂漠はね、記憶の欠片、記憶の海と呼ばれていることを知っているかい?今なお、たくさんの生物の記憶を吸い続けている記憶。その影響力というのは、世界全体から見ても大きいものだと思わないかい?」
この世界が丸いかどうかなんて、誰も観測したことなんてないんだろうけどね、と零すように言う。
「見ていたよ。いや、誤解のないように言えば、見えてしまったと言うべきか、初心者狩りにあってしまったみたいだね。第三世代は何時も焦っているんだ。なんでだろうね?」
君たちは、僕達サンドゴーレムに似ているところがあるけど、それも後で知るだろうさ、と両手から砂を零しておどける。
「君はもう少しこの世界を知ってみるといい。君の存在力は希薄。希薄だからこそ、上書きされやすい。大きい引力に引っ張られる、と考えた方がいいのかもしれないね。」
少し、声に抑揚がつく。
「つまり、実在するソルベーレイに行きたいのなら、想うだけでいいんだ。だが覚悟するんだ。引っ張られる程の記憶の集合体。集積、蓄積した神秘は、僕ら第二世代が生活できるほど定着していることを理解して欲しい。」
確認事項だ。この時代の……写真、というものを撮ったかい?
戻るためさ。同じ時代に戻れないのは大変だからね。自然に消えてしまう記憶を留めてくれるから、写真はありがたいものだよ。
ん、なんでこんなに親切かって?第二世代は暇なんだ。君たちの物語こそが娯楽さ。今度また、ここに来て白い紙に触れてくれよ。時も場所も関係なく、本があれば追体験できるんだからね。
なんてのは、冗談でね?君はなにかしてくれる。
そう思うんだ。
「行ってらっしゃい。」
静かな湖畔の漂流物を漁る1つの影。しかし、響いてくるのは2人の話し声。
砂浜を撫でる水を避けながら、2人の話し声が続く。
「そう、あなたを象るのは空の器、名前も方法も全てスッカラカンって感じなのね。だから、移動もこんなに簡単にできたのね。」
影がないのは作画ミスによるものでは無い。それが当たり前だから有るのである。そして、その有り様を受け止めつつも、タンランは苦痛と感じているのだ。
「アナタの言うことに一欠片の協調性もわかないのですけど?それより、どうして私の保有する価値高い記憶が、彼の多重人格の記憶に釣り合わなかったの?」
「はいはい。簡単に言えば、タンランちゃんには限界があって、アイツには限界がないのよ。私が出せる答えは……うん、これだけのようね。これ以上は、自己を定義する生命体としての有り様が、貴方たちの限界ってわけね。」
エイリスの一言二言、その言葉にタンランは悩み続けなければならない。有耶無耶な言葉は気分を害する。また、この寂れた土地でずぅっと捜し物をしているわけにもいかなかった。
「あのさぁ……限界ってなんなの?基準は?数値は?上から物事話して満足しているようですけど、伝わらなければ意味ないんですよ。」
「……真っ黒いの見たことはある?空の瓶に液体がどれくらい溜まっているのか見てる、で伝わるかしら?手っ取り早く【交換】で私の記憶を見てくれれば話が早いんだけど……」
「そう、それよ!【交換】の効果が発揮できないなんていままで起こらなかったことよ!」
「等価交換というか、だるま落とししつつ、同じ分だけ補填する感じ。記憶それ自体の価値というか、……ふふん!」
「なぜ急に得意げにされているのか理解しかねるのだけれど。」
「まぁ、私としては観光気分で楽しいからね。」
タンランが持ちうる手段、【交換】に関する情報も、エイリスに看破されているようだった。
嘘かどうかを顔色を見るものの、エイリスは、かの有名な七湖の1つがここなのね、と呑気に観光気分に浸っている。
「何者なの?」
「ふぅん?逆に聞くのだけれど、貴女に付き添い人はいないの?まぁ私たちは頼りない存在だから、普通は存在し得ない筈なのだけれど……ここまで一瞬で来れるんだから、頼りなさについては、どちらかというと貴女も私たちと似てるのね。貴女、【自分】の記憶を削って、自己の存在を希薄にして、風景に溶け込むように、溶け込んでも異物として認識されないようにして、【交換】で転移をするなんて……自殺したいの?」
エイリスの口元が笑みを含む。
「世界なんてどうでもいい、生きてることもどうでもいい、今をやり過ごせればそれで、って世界を捉えちゃってる?だから貴女は自分なんて、と言い続けながら、それでもじたばた手を回して、未来について知りたいと願うの?」
「……話は長くなりそう?」
「勿論。」
『GyUuoOOOOOouUUU!!』
柱がそびえる。
槍のような口先は天を指し、身体中から後方へ伸ばす幾多のパイプ管からは紫色の液体が諾々と放水されている。まるで鯨の噴気の音が永遠と続くかのように、閑静な砂漠に警笛を鳴らすかのごとく自己を示す。
「……っ、太古の魔物。いままで出ることなんてなかったのにっ。」
忌々しげに呟かれる太古の魔物。その名からすれば、ただ長生きしてるだけ、と感じるかもしれないが、この世界では違う。違うのだ。
しかし、タンランは気づけない。太古という言葉がこの世界において、何を意味するのか、世界を理解するための器としての条件が足りていない。
しかし、タンランは気づいた。巨体が湖に沈む際に波に巻き込まれた沈殿物が、湖畔へと打ち上がったのだ。
デッカイわね、と宙に浮いてるエイリスを無視、遠くを、水しぶき上がるうねりの空気をなんのその、陽の光に揺らぐ砂上の先に、砂浜に上がった遺物に視線を向けている。
しかし、エイリスが何を見続けるのかに気になり、その視線の先から迫る人物に舌打ちする。
「……っ、なんで芸を仕込んでるわけよ。現地人の知識を身につけるなんて、そんなものに割ける容量なんて……っ!?まさか私が【交換】できなかったのって!?」
「話は……長くなりそう?」
「お前は誰なのっ!?」
太古の魔物は再度飛ぶ。
遠方より来たる旅人を祝うように、盛大に歓待するように、その巨体を水面に叩きつける。
再び起こる波に目的の遺物が水底に吸い込まれそうになりつつ踏みとどまる。疾く、急ぎ、速やかに、遺物をその手中に収めなければならない。
なぜ水に入って探さないのか?いや、探せないのだ。汚泥の紫色が含む毒が、タンラン達に牙を向いているのだ。
それはこの液体が、現在も太古の魔物から溢れるように放出された、体液なのだから。
『旅装束:この湖!?まさかこの湖全てが!?いかんぞハヤト!?目の前の魔物には絶対に手を出してはいかん!幾ら時があっても倒せん!儂らは罠にかかったんじゃ!』
『両手剣:いや、そうでもないみたいだな?小さいアリみたいなのが走っているし、奴さんにも予想外なんじゃないか?急ぐ必要はあるだろうが……もしかして、俺たちの言葉、聞こえてないのか?』
「……でっか……っブルスゴいっっっ!?帰ろうとするんじゃないっての!?止めるには、砂遊魚をどうすればいい!?」




