ドラゴンッビームッ
雲龍。
空を見上げると、雲が漂っていた。
自分の見方によって、雲に何かを連想する。
獅子だったり、白兎だったり。
空という自由に焦がれるからなのか。
山岳という空に近い場所に時々来てしまう。
青空の映える原っぱに、自分以外にも人影が。
お年寄りとその孫娘だろうか。
仲良く連れ添い、微笑ましさを感じる。
おじいさんがこちらに気づいたようだ。
挨拶の返しに、腕を振る。
娘がおじいさんに何か言ったようだ。
近づいてきた娘さんに問われる。
「どうしてこんな辺鄙なところにいるの?」
声は大きく、おじいさんは困ったように苦笑していた。人の訪れさえ、珍しいのだろう。
旅の途中ですね、そう答えると娘さんは考え込むんだかと思えば、二パッと笑う。
「ウチに泊まらない?ねぇいいでしょ!」
おじいさんはさらに困ったように苦笑して、白眉を上げ額のシワを深くしながら穏やかに言う。
「どうかベルベットの頼みを聞いてくれませんか。幾分と人の行き交いも絶えて久しく、長閑なのは良い事なのですが、あまりそれを良しとはしない者もおりまして、」
わざとらしくベルベットの方を見る。
「よろしければ冒険譚をおきかせください。」
別に語ることで自慢したかった訳ではない。生き生きとした草葉で育った羊乳のようなご馳走にありつけると聞いてしまい、返事してしまった。
どこから来たのだ、その辺の事情はどうなってるのやら、思い出す限りを話していく。おじいさんは話の聞き上手で、つい舌が回る。
娘さんはあまりそういった話は好まないようで、こちらを気にせず走り回っていた。あの元気はどこから湧いてくるやら。
家に着いたようだ。ここが本日の宿になる。
ありがとうございます。いやなんの。
▲▽▲▽▲
夜、扉が開いた音に目が覚める。
実は、この家の者たちは化物で、人知れず食い殺されてしまうとか。こんなに可愛らしい怪物だったら、面白い。
だからこそ、どうしたんですか、なんて聞いてやらなかった。めんどくさいことになりそうだからな。狸寝入りさせていただきます。
扉が閉まる音。
床が軋む音。
布の擦れる音。
冷たい指が、頬に触れる。
人肌ではなかった。
無機質だった。
「お父さんはね、失った人間なの。ずっと固執した生き方をするようになったの。気が狂ってしまったの。こんな話は聞いたことがない?物質に語りかけるとそのうち、魂が宿るっていうね。」
指関節は、人形でした。よく見ても人形とは気づかないほど精巧です。
「彼はね、自分の娘について話し込んでいたんだ。そうして、私が生まれた。私は、私の中にある『彼がもつ娘の記憶』を頼りに演じている。気づいてるだろうけど、私の時間は止まってて、彼だけは年老いていく。時間は、限られてた。」
月明かりが閉じる。夜空に浮かぶ雲が光を遮ったのだろう。闇の中で、冷たさが際立つ。
「私の存在意義は、私が娘でいること。でもね、バカみたいだけど、彼の娘であろうとすればするほど、今の現状に耐えられない。過去を受け入れて、明日に生きて欲しい。」
「だからさ、私を壊してくれないかな?」
雲龍。
曖昧で、誰の目からも同じくは見えない。
けれど今この時だけは、龍に、
自由の象徴である龍に、
希うのだろう。
けれどその前に、やるべきことがあるでしょう。
差し出されている腕を掴み、引き寄せる。
「君のわがままはきいてやれない。泊まっておいてなんですが、垢の他人ですし。わがままをきいてやれるのは実の父でしょう。年相応に甘えたって、いいでしょう。結論を急がなくても、いいでしょう。」
経年劣化による人形の綻び、それにより人の魂としての役割が強く出ているのでしょう。壊れゆく身体を精神が凌駕して。魔法が解けゆくのでしょう。
「私の知る言葉に、思い立ったが吉日、という言葉がありましてね、今から押しかけに行きましょう。あなたの言葉がまとまってなくても良いのです。伝えるのは、真心ですから。」
強引に連れ歩く。待たない。止めない。そうして、豪胆に寝室に押し入り、おじいさんを優しめに外へ連れ出す。
抵抗したものの、ほどかれないことを悟り、静かにしているようだった。ただ、その目が見開かれていることから、娘の義体が知られていることに驚愕している、ということなのだろう。
もう少し、驚いてもらおう。
ー擬態を解くー
雲龍。
不定形で、曖昧で、
型を成し、人里に降り立つ気分屋。
月光を抑え、不思議をもって空間を支配する。
人形に娘の魂が宿る不思議があるのならば、旅人が龍になっていたって不思議でもなんでもないだろうよ。
少女は語りかける。
「複雑な気持ちです。
あなたの娘として過ごして、あなたの失意が恐ろしかった。あなたの娘として過ごして、あなたの喜びが恐ろしかった。あなたの娘として過ごして、あなたの愛が恐ろしかった。
複雑な気持ちです。
言葉をもらいました。
心をもらいました。
愛を、もらいました。
複雑な気持ちです。
人形でできたこの身体が、この冷たい身体の奥から、激しいほどの熱が込み上げてくるのです。作り物の身体が、壊れてきているのです。
複雑な気持ちです。
いつかがやってくることです。その、いつかは私が『私』を止めてしまえば来てしまう、そんな予感があります。
それでも、だからこそ、
複雑な気持ちを伝えたいです。
もう少しだけ、あなたと過ごしたかった。あなたの瞳が見てきた世界を、焼き付けてきた世界に踏み出して、広がる世界を見てみたかった。私が『私』でなくても歩んでいける隣に、私もついて行きたかった。
『私』から贈る言葉です。
空を見上げてください。」
どうして生きていけよう。これから生きがいを無くしてしまう老人に、未来に何を見出そうと言うのか。……祝うことも辛いことも紡いでゆくその分け合いの旅路に、突如として大切を奪われる、お前が、お前が来たから、こんなことに、こんなことになってしまったのではないか。
いいえ、あるべき自然に戻すだけです。
あなたの娘をこんなにも困らせたのです。
いままでに想いを伝えられたことはありますか?
なんともまぁ……遅かったのですよ。
私は息を吸い込みます。
おじいさんは庇うようにかけだします。
私の肺に空気が溜まるのに時間はかかりません。
おじいさんは勘違いしています。
龍の息吹は、生命の息吹。
命の変成魔法。
生みの親としての呪いを受けよ。
子の行く末を見れない悔しさに身悶えよ。
命に、苦難せよ。
【ドラゴンッビームッ】
調査記録
山岳地帯で、光の柱が観測されたという。
当該の区域を調査する。
人里離れた山岳地帯に男性と少女の2名が住居。
龍に遭遇したとの供述あり。
各地域に現れる龍には様々な伝承がある。
空に揺蕩う浮雲は、空に焦がれた者の元へ訪ねるという。もし出会ってしまったら、気をつけなければいけない。
授けるのは呪い。
もし呪いにかかれば、永遠の命は失われてしまい、人としての生命を終えることになる、というものである。
今回現れた龍を、仮称して雲龍とする。
雲龍の極光を浴びたと思われる両名の許可を得、身体への異常、及び、その地域における地検等を行う。異常なし。
数年警戒に当たるも、依然として何も起こらず、起こった出来事としては、居住していた男性が亡くなった。老衰である。
極光の謎だけが残される形となった。
追記:当該の少女は成人となり、街に降りた先で知り合った男性と結婚。子供に恵まれ、天寿をまっとうする。これにより、今回の話における証拠物が無くなったため、龍に関する調査を終了する。




