第8話 同居人とカツアゲ
狩人協会本部にて予想外の任務依頼をされたアーカムは、その日のうちにエールデンフォートからローレシアへと帰還していた。
王都ローレシアでのアーカムの家は、彼の通うレトレシア魔術大学に隣接する専用の学生寮だ。
家賃は別段安くはーーレトレシア自体がそれなりに裕福でないと入れないーーないが、建物が新しくとても綺麗という事で評判だ。
ちなみに彼の実家は王都ではなくもっと田舎にある。
「ただいまー」
帯剣した刀が引っかからないように気を遣いながら自室へ戻ってきたアーカム。
「おかえり、随分遅いね」
「ちょっと遠出しててな」
どことなく疲れた顔のアーカムを迎えるのは、メガネを掛けた知的そうな男だ。
彼の名前はガリレオ・グレゴック。
レトレシア男子学生寮「ボーイハイム」にてアーカムとシェアルームする同居人である。
ガリレオはゆっくりと首を傾げてアーカムへ首を向けた。
レザーコートを脱ぎ、ベルトを外しながら刀をベッドの傍らに置くアーカム。
「……冒険者は大変だろう?」
椅子の背もたれに顎を乗せてメガネの腹をクイっと持ち上げるのはインテリグレゴリック。
「あぁ。俺みたいにドラゴンを堕とせる冒険者はなかなか居ないからな」
「そうだろうね。そんなバケモノのような人間がそこらじゅうに居てもらっては困るというものだよ」
「はは、案外そこいらにいたりしてな」
「冗談はよしてくれ」
親しげに会話するアーカムとガリレオ。
現に仲の良いふたりであるが、彼らの会話にはいつもどことなく緊張感というものが漂っている。
その原因にアーカムは気づいているのだが、それを自分から言いだすのは禁則事項に触れるため出来ないし、そうでなくてもやらない。
「それこそ噂に聞く狩人でもなければドラゴンなんて素手で墜とせないだろう」
「そうか? 別に狩人じゃなくてもドラゴンくらい堕とす奴はいるだろ」
ガリレオはそう言って呑気に返すアーカムの背中を訝しむ表情で見つめていた。
実は彼、ガリレオ・グレゴリックは「同居人アーカムが狩人なのでは?」と疑っている者のひとりである。
明らかに常軌を逸した身体能力を誇るアーカムは、世間ではポルタ級冒険者、つまり「かなり強い冒険者」という認識で通っている。
この世界ではポルタ級冒険者の数はとても少ないが故に、大抵の人間ならばこの肩書きの範疇にアーカムはいるのだと思い込んでくれるのだ。
だが、当然全員が首尾よく騙されてくれるわけではない。中にはこのガリレオのように、常にアーカムの事を疑ってかかるような懐疑の目で見つめてくる者もいたりする。
そのためアーカムはガリレオに何となく疑われている事は勘付いているので、下手に反応せずのらりくらりと無難な受け答えでここまで凌ぎ通して来ていた。
今回も例に習ってシャツを着替えながら背中越しに会話する事でガリレオの顔を見ないようにし、見事な受け技で右へ左へと言葉を流しいく。
「一説によると冒険者ギルドと狩人協会なるものには密接な繋がりがあるらしい」
「へぇ。そうなのか知らなかったな」
「ある流派の狩人は武器術だけでなく、体術も魔術も高い領域で扱えるように訓練するらしいのだ。どうだろう、まるでどこかの誰かさんみたいではないかな?」
「あぁそういえばサムラって剣術も拳術、柔術に合気だったか? いろいろな武術を達人みたいに使うよな」
ガリレオの核心的な言及に「勇者」の家系ミヤモトの子孫である友人を出して話題の転換を図る。
「それに魔術も恋愛術も得意だっていうんだから、約束された才能ってのはズルいよな。羨ましいぜ」
「……はぁ、もういいよ」
首を振って諦めのついた様子のガリレオ。
少年はメガネを直しながら、ゆっくりとした動作で背もたれから顎をどけ、くるりと回って椅子に正しく座り直した。
そんな同居人の様子を肩越しに盗み見るように確認して一息つくアーカム。
本日の追求をまぬがれて寝巻きに着替えたアーカムは勉強机で黙々と読書に励むガリレオの隣へやってきた。
ガリレオが顔を上げれば目が合うようにと、壁に背中を預けて寄りかかって、腕を組むアーカム。
袖をまくり逞しい前腕を見せびらかすようなその仕草ーー本人にそのつもりは無いーーで、インテリの傍らに陣取ればただのカツアゲにしか見えないが、当然にそんな事をしに来たわけではない。
アーカムは上から見下ろすようにして、天井についた魔力灯と机の上のオイルランプに照らされるガリレオの本を覗き見た。
「……一体なんだね? 集中出来ないのだが」
「何の本読んでるのかなーって」
アーカムの存在に気付き、ビクッとして古びた本を手でかばうように隠すガリレオ。
「え、何で隠すの?」
「いや、その、見ても何も面白い事なんて書かれてないからなのだよ」
「じゃ何で読んでんだよ」
なにやら挙動の怪しいガリレオの腕を掴み半ば強引にどかして、開いてあるページを見たアーカム。
「ちょ、ぁ、あー……」
「ほぉ悪魔とな」
アーカムは開かれたページにデカデカと書かれた異形の挿絵を見て、ついでに本を取り上げ分厚い革の背表紙を指でなぞった。
「ガーリィ……うーん、俺は別に悪魔とか詳しいわけじゃないけどさ」
「アーカム、全く君はわかっていないよ」
「まだ何も言ってないやろがい……」
アーカムに本を取り上げられ手持ち無沙汰になったガリレオは、黒幕感を演出しつつ両肘を机について口の前で手を組んだ。
アーカムはガリレオの読んでいた「悪魔との正しい契約」を閉じて、コツコツと堅い表紙を指先で規則正しく小突く。
「あんまり悪魔とか関わらない方がいいと思うけどなぁ〜」
アーカムはそう言って悪魔への接触を図ろうとする友人を引き止めるべく、ハッキリと批難の眼差しを向けた。
「やはり君もそう言うタイプか。僕はねそうやって偏見と固定観念だけでモノを語るのは愚かな事だと思うのだよ」
「うーん、でも、ほらさ、長い歴史に裏打ちされた慣習だろ? それにこの本見る限り、ガーリィさ、お前悪魔と契約しようとしてね?」
「ふん、バレてしまっては仕方がない。そうさ契約しようとしているさ」
鼻を鳴らして自慢げに語るガリレオ。
アーカムはそんな開き直った友人の姿を見て、絶対に契約などさせない事を決意した。
彼は知っているのだ。
悪魔との契約で得られたものなんて到底、人にとって良いものでは無いという事をーー。
「だって悪魔だぞ? 『悪』ってついてるじゃん。そんなの悪い奴らに決まってるだろう。やめとけて」
「そんなの人間が勝手に付けた呼称ではないか。もしかしたら良魔かもしれない」
「屁理屈を言うんじゃない、なんだリョウマって。俺は聞いたことがあるんだよ。あいつら自分たちの事ちゃんと『悪魔』って呼んでたし」
揚げ足をとるようなガリレオらしくない言動に、つい熱が入るアーカム。
「ほほう、悪魔と会った事があると?」
「……あれ、僕ちゃん、そんな事を言った?」
アーカムの言葉にニヤリと笑みを深めガリレオはズイッと顔を寄せていく。
それに対しアーカムは冷や汗を額に浮かべ、わざとらしくこめかみをかいてごまかす。
「一体どうやって会ったんだ? 教えておくれよ。僕なら出来るんだ、彼らとの正しい契約が」
懇願するように、すがるように真面目な表情で迫ってくるガリレオにアーカムは疲れた様子で首を振った。
「ガーリィは賢いからわかってくれると信じてる。悪魔には関わるな。契約で何を得ようと、必ずそれは身を滅ぼすことになるからな」
アーカムは軽い言葉を並べ立てるのではなく、ただただ自身が経験した残酷な悲劇を思い出して、言葉の力でガリレオの説得を試みる。
かつて悪魔たちに奪われた大切な友人の命ーー。
アーカムは在りし日の元気にはしゃぐ少女の姿を脳裏に思い描いていた。
アーカムのその姿はひどく哀しげで、眼差しは遥か遠くを見つめている。
もう届かない物へと諦め悪く必死に手を伸ばす無力な愚者のようだ。
彼のそんな姿がガリレオの心に大きな動揺を生んだのか、ガリレオは哀愁漂うアーカムを見てられないとばかりに視線を逸らした。
「あぁそうだな。僕が愚かだった」
ガレオンはチラッとアーカムを見て、懐から杖を抜いた。
「<<発火炎>>」
「おっと‼︎」
ガリレオの静かな詠唱によって発生した火属性魔力は与えられた術式の指向性に沿って、アーカムの手に握られた古本の内側で「現象」となって現れた。
古びた本がその内側から炎を吐き出し燃え始める。
ガリレオの放った魔法<<発火炎>>は杖先ではなく、着弾地点から直接火炎が発生する魔法である。
よく威力の調整された魔法によってアーカムの手に握られた本はだんだんと炭へと変化していった。
「それはもう僕には必要の無い物だからな」
「ガーリィ……そうか、良かった」
アーカムは魔力による強力な火炎でさえ遮断する、丈夫な「鎧圧」で手を守りつつ静かにつぶやく。
そんなアーカムを一瞥しガリレオは澄ました顔で席を立ちベッドへとダイブするのであった。