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第23話 人間と吸血鬼

 


「きゅ、吸血鬼ッ!?」


 テルマンティはアーカムの問いかけを軽く肯定したその男にビビりまくっている。

 それもそのはず。

 吸血鬼と聞けば泣く子も黙る生きる大災害の代名詞なのだ。

 今でこそ、その存在は人間に忘れ去られつつあるが、ちゃんと知識を持っている者たちからすれば、彼らほど恐怖を抱く存在はそうそういないだろう。


「酷く興奮しているな。クールになれよ」

「あーはは、無理無理。最近さぁ、血ばっか飲んでるから溜まって溜まって仕方ないんだよねぇ〜」


 吸血鬼は自身の股間を抑えながら腰を振ってその真っ赤な舌をべろべろと動かした。

 一方でアーカムは特に表情を変える事なく、テルマンティを下ろして後ろに下がらせる。


「し、シバケンさん?」

「出来るだけ遠くへ。抱えたまま戦えるような相手じゃない」


 初めて聞くアーカムの弱音とも取れる発言。

 テルマンティは青ざめた顔になり、それ程までに現れた吸血鬼が自身の想像を遥かに上回るような強大な存在なのだと理解した。



「あぁ〜嬉しいなぁ〜。そこで腐ってる狩人さん、僕が殺したんだけど、結構強かったんだぁあ〜」

「そうか」


 吸血鬼は舌をベロベロと動かして落ち着きなく、そして嫌らしく狩人を挑発する。

 アーカムはそんな「怪物」相手に特に何をするわけでもなく、ただテルマンティの背を押して来た道を引き返すように指示を出すだけだった。


「あーらら? 怒らないの〜? 僕、そこの狩人ぶっ殺したんだよ? 最後はみっともなく腕をぶんぶん振り回すだけになったダサいくて、格好悪いおっさんだったなぁー!」


 吸血鬼は爪の間のつまり物を弾きながら、変わらずアーカムを挑発し、死した狩人を侮辱し続ける。


「はぁ。もう戯言はいいからさっさと掛かってこいよ。お前の目的は俺を怒らせることだけか?」


 アーカムはため息をついて、呆れたと言わんばかりに肩をすくめてみせた。

 彼のその仕草と発言に、生まれながらにして最強の存在として育って来た吸血鬼の男は酷くプライドを傷つけらたようだ。

 その証拠に彼の顔に走る血管模様が力強く脈を打ち始めたーー。


「あーらら、もう知らないよー。人間のくせに調子乗っちゃったねー君ー。あと怒らせたいのは合ってるよー。それだけが目的かなぁー」

「なるほど、だったらーー」


 アーカムはテルマンティの気配が十分に部屋から離れたのを察知して、両手に「鎧圧」を集中させた。

 深く、低く腰を落とし両手をそえる。

 拳を握った左腕をだらりと下げ、軽く開いた右手を引き絞った独特の構えだ。


 吸血鬼はアーカムのその構えにニヤリと笑みを深めた。


 アーカムはその笑顔を知っていた。

 長い時間絶え間ない修行を経て手に入れた技術を、正面からただただ生まれ持った力で叩き潰すことを楽しみとする者たちの顔だ。

 人間をなめ腐っている怪物たちは決まってこの笑顔を浮かべるのである。


 と、アーカムが笑顔の理由をそれとなく気づいた時。

 遺跡は巨人の咆哮がごとき衝撃を襲われたーー、


「ヴァアッッ!」


 同時、四方にあった壁の1つを丸々消し飛ばされたーー吸血鬼の地形を変える踏切の威力によって。

 瞬き禁止、まさかに閃光の如き初速を用いて狩人に肉薄した吸血鬼は、自身の勝利を確信した笑みを浮かべていた。

 紅い瞳を歪め、全身の加速にあやかって殺人具のついた手先を狩人へ突き刺した。


「お前は目的を果たせてるぜーー」

「ぇ、ッ⁉︎」


 が、その笑みが続いたのは刹那と呼ぶにはあまりにも短い時間の間だけ。

 暗闇を照らす激しい火花が散る。

 受け止められた白熱する黒き凶刃が吸血鬼にそれ以上の愉悦を感じさせなかった。

 彼が感じたのは驚きだろう。

 そしてもうひとつ、彼がその生のうちで感じた事のない感情だろうかーー。


 狩人は身に受けた強烈な衝撃力を生身ではなく、彼の「鎧圧」に流すことで、人の及ばない膂力を片腕で受け止める事に成功していた。


 はっきり言ってこれは神業だ。


 血脈解放しその力を遺憾なく発揮した吸血鬼の殴打に、いったいどれだけの人類が耐えられるだろうか。

 その数は人類全体に比べて恐ろしく少なく、また実戦でそれを行える者はより限られてくるであろう。


「ふるぅぉあッ!」


 アーカムは受け止めた手首をがっつり掴み、上段回し蹴りを吸血鬼にお見舞いする。

 鋭い蹴りは吸血鬼の首筋に突き刺さる。

 もし彼が「怪物」たる吸血鬼でなけらば、首を切断されそこで絶命していたことだろう。


「ぐぅあ! 人間風情がぁあ!」


 首の筋肉を収縮させ一瞬耐えた吸血鬼。


 アーカムは足を振り抜き、埃が空気中を数ミリ移動するくらいの時間の攻防を制する。


 首から出血し、吹き飛ぶ吸血鬼。

 が、アーカムの掴んでいた彼の手首が素直に彼に吹き飛ばされるという選択をさせてくれなかった。


 アーカムは掴んだ手首を巧みに操り、真横に吹き飛ぶ衝撃力を変換する。

 新たに設定された衝撃方向の垂直に腕を振り落とす。

 野球投げのように地面に叩きつけられる吸血鬼はその背後にクレーターを作り、全身へのダメージを受ける。


 それは、遺跡を揺るがし放射状の亀裂を部屋の外まで走らせる程の威力であった。

 が、技の本質はその威力のほとんどを吸血鬼の内側に向かわせたアーカムの技量にある。

 放射状に広がった亀裂や、クレーターなどは漏れ出した衝撃の一部でしかないのだ。

 ただいまの攻撃の威力はほぼ全て吸血鬼の体内をズタズタに破壊する事にしようされていた。


「ぅ、うがぁあ!」


 全身の痛みに堪えているのか、吸血鬼は耳をつんざく咆哮をあげ突貫してくる。

 狩人は足元から駆け上ってくる吸血鬼の顎をその視線でバッチリ捉えていた。


「雑魚がーー。身の程をわきまえろーー」

「ッ、は、ぐ......ッ!?」


 アーカムの呆れ切った声が聞こえた時。

 吸血鬼は自身の踏切で崩壊する背後の天井と同じように、膝から崩れ落ちバランスを崩してしまっていた。

 自身に何が起こったのか分からず困惑する怪物。


 吸血鬼はその間抜けな顔を晒したままコマ送りになる時間の中で、自分を見つめる薄紅色の瞳を待つ少年の左手を見ていた。


 彼が見ていたのは、軽く握り込まれているように見える左拳(さけん)

 実はそれこそが吸血鬼を一撃でダウンさせる威力を持った拳であったのだ。


 素手で吸血鬼をダウンさせるーー。

 しかも、アーカムが行ったのはただのしなりを効かせたジャブだ。

 通常なら不可能と言わざる終えない芸当。

 だが、もちろんアーカムはそんな通常なんて枠には収まらない超人である。


 だらりと下げた左腕が特徴的な、ボクシングを参考にした構え。異世界でアーカムが辿り着いたひとつの技術体系だ。

 果てしない研鑽を必要とした人の先の境地の技であるが、それでもアーカムは辿り着いたのだ。

 ただのフリッカージャブで吸血鬼を一撃でダウンさせる「極みの捨てパンチ」にーー。


 しかし、実際問題アーカムは本当にただの技術だけで吸血鬼をワンパンしたのだろうか。


 答えはNoである。


 吸血鬼は自分の顎に自身の知覚さえ飛び越えて強烈なパンチが打ち込まれたミステリーを、なんとか頭で考えて理解しようと頑張っているようだった。

 だがきっとそこまでだろう。

 どうしても瞬間の世界だけでは理解できなかったはずだ。


 アーカムの体が、一回りも二回りも大きくなっているのかという目を疑う事実だけはーー。


「お前はーー」


 ゆっくりと、ゆっくりと緩やかに流れる時間。

 極度の興奮状態、脳内麻薬、戦闘時の気分の高揚が生み出した知覚世界だ。


 アーカムはその世界の中で眠たくなるほどのろまに、崩れ落ちる吸血鬼に話しかけていた。


 自身の袖から飛び出して来た、暗闇で鈍く輝く突起物を握り込みながらアーカムは吸血鬼に顔を近づける。

 目と鼻先でどう猛な獣のような笑顔を浮かべるアーカムに怪物が感じたのは恐怖か、はたまた別の感情か。一体何を思ったのかは誰にも分からない。

 ただわかるのは、吸血鬼は自分を見つめ、そして自分をこれから滅ぼし、魂を狩り取る人間の姿を目に焼き付けていたという事だけだ。


「お前は目的を完璧に果たせていた。なんせ俺たちは凄く怒ってる」


 吸血鬼が聞けたのはそこまでだった。

 最後に自分自身が炎に包まれそうな程の怒りを感じている事を吸血鬼に伝え、狩人は右手に握られた銀の杭を思いっきり吸血鬼の心臓に打ち込んだ。


「うぎぁァァぉぉアアッ‼︎」

「滅びよ、憐れなるいにしえの落とし子よ」


 アーカムはそう呟き、冷たい瞳で青白い炎を吹いて燃え盛る吸血鬼を見つめる。


「ぁぁ、ぁ、ぉ……」


 そうして段々と白い灰になっていく吸血鬼からアーカムは視線を外した。

 アーカムが見ているのは今しがた吸血鬼が踏み切った余波で崩壊した部屋の一部の壁である。


「なんだ。気配が続いてると思ったら隠し扉でもあったのか」


 アーカムは崩れた壁の向こう側に大きな空間を見つけていた。

 今でのそ崩壊して、燃え盛る吸血鬼の炎で全体的に明るくなってしまっているが、先ほどまでの暗い部屋の様子からはまだ道が続いていたとは思えなかった。


 アーカムはニヤッと笑った。

 吸血鬼がアホだったおかげでギミックを上手い具合に回避する事が出来たからだ。


「おーい、テルマンティ戻ってこいー‼︎」


 肝心の最深部への道がわかりホッとした狩人は、とりあえず逃げた保護対象を確保するところから始めることにしたらしい。

 アーカムは遠く離れたテルマンティの気配を捕まえるため来た道を引き返し始めた。



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