第1話 始まりは路地裏から
智慧とは何か。
それは宇宙の神秘。
私たちの生きている地上よりずっと、ずっと遠くを故郷とする啓蒙的星界存在たちーー。
ある日、そんな星空からひとりの幼子が生まれ落ちた。
彼は降誕したその地を支配した。
彼はその場にいる猿たちより、自身がずっとずっと優れていることを知っていた。
誰よりも賢いと信じていた。
いつしか彼は自身の名を「智慧」と名乗るようになった。
だが、彼は知らなかった。わかっていなかった。
傲慢にふんぞり返り生気をすする自分なんかよりずっと尊い生き方があることをーー。
だからこそ彼、「智慧」は狩られてしまったのだ、彼ら人間によって。
ー
暗く透き通った空気。
それが遥かなる宇宙をここからでも観測させてくれる。
星々のか細い光が夜空から降り注ぐ薄暗い路地。近頃は秋のカラッと乾いた空気に肌の乾燥が気になっている者も多いではないだろうか。
そんな寒い季節の到来を宣告されたこの街のとある路地裏には、不思議と湿っぽさの充満する空間があった。
「※肉の仮面だ。パリスン通り3ー5の辺り。戦闘に入る」
「了解です」
暗闇の中、突如耳元に発生した聞き慣れた声に若い男は素早く返事を返した。
夜空に時を同じくして浮かぶ半月、満月、三日月の3つの月の光が辛うじて届いている路地裏へと目を凝らしたならば、そこに人影がある事に気づくことが出来るであろう。
もう少し注意すれば、同時にそこにいる存在が激臭と凄惨な光景の中に苦い顔をして佇んでいることにも気がつくだろうか。
「ベトベトだぜ、まったく」
自身の黒色のレザーコートに付いた血肉を払いながらそう呟いたのは黒髪黒瞳の少年だ。
血と臓物によって彩られた血塗れの両壁、そこに挟まれた汚物の川が流れる異常地帯。
石畳みの上に転がるのは数多の異形の死骸ばかり。
そんな屍の蔓延る路地裏で唯一立っている黒髪の少年は、腰から杖を抜きはなった。
魔法を行使するための永久触媒である。
「<<ギルドマーク・4>>」
確かな発音の魔法詠唱によって、少年の手に握られた杖先から青白い光が漏れ出した。
美しいエングレーブの際立つ高そうな杖だ。
現にかなりお値段の張る逸品であろう。
「よし、行くか」
ひと段落着いたとばかりに、杖を腰に差し直す少年。
ギルドが事後処理をしやすいように現場に魔法を掛けた後、少年は死肉と石畳みを貫通して湿った路地に突き立てられた黒色大剣の柄を握った。
若干手や剣の柄に付着した血糊のせいで握りにくくなってはいるものの、少年にとっては何のことはなく、彼は抵抗を感じさせないゆったりとした動作で大剣を引き抜いた。
常人では持ち上げることさえ叶わない全長150センチにも及ぶ大業物「人狼の大剣」ーー。
少年は大剣を斬り払って刃の血糊を落とす。
そうして綺麗になった大剣を背中の特製帯剣ベルトに引っ掛けて、帽子のつばを指でなぞった。
いかめしいデザインと垂れ耳のついた、かっこよさと可愛さの同居する特別な帽子だ。
「パリエタ制圧完了しました」
青年は耳元のイヤホン型魔導具「声帯通し」を押さえ、声を潜めて呟いた。
「※早いね、流石アーカム」
「はは、もちろん俺だから」
呑気な足取りで惨劇が繰り広げれたような血塗れの路地裏に背を向ける。
そうして歩き出した少年ーーアーカムは、気分良く慣れ親しんだ同僚の声に自惚れで応じた。
「※……調子乗らないで」
「ぇ、ぁれ、ごめん」
アーカムは思ったより不機嫌そうな返答が返ってきた事に動揺しまくる。
謝っても返事が返ってこなくなった声帯通しを抑えて不安を募らせる。
しばらくして完全に返事が返ってこない事を確信した少年は、ため息をつきながらも足に力を込めた。
そして次なる脅威を狩りにいくため、月夜に照らされた王都の屋根上を闇風となって駆け抜けていった。
ー
アーカム・アルドレアという人間がいる。
ローレシア魔法王国が王都ローレシアではそこそこ有名な「ペットハンター」の二つ名で知られる冒険者だ。
魔法学校での成績は優秀、運動神経も抜群という言葉では収まりきらないほど抜群である文武両道の優等生ーー。
実はそんな彼には秘密がある。
この年齢的には少年、見た目は青年の彼は3歳からとある達人の下で剣術の英才教育を受けて育った秘密結社の戦闘工作員なのだ。
組織の名は「狩人協会」とよばれている。
その時代の国政に関わる者やそれに匹敵する有力者でなければ、実在する事すら知らない世界の裏側で暗躍する秘密結社だ。
一部のオカルト的な情報筋、噂話、また昔話としてこの狩人協会という名が出ることはあれど、誰もそんな組織があるなんて信じてはいない。
そんな秘密主義をこねて熟成させたような組織は、世界の裏で一体何をしているのか?
普通ならば、一般の人間は知るすべを持たないであろうその秘密を少しだけお教えしようーー。
彼ら狩人協会の戦闘工作員たちーー通称「狩人」たちの存在理由は、巨大で強大な怪異の脅威を人間社会から葬り去ること。
闇に蠢く人智を超えた「怪物」たちを打ち倒すことだ。
それこそが狩人たちの使命。
それこそが魔法学校で人気者なアーカム・アルドレアのもう1つの顔なのだ。
が、実を言うと彼の秘密はこれだけではない。
彼にはもう1つの大きな大きな秘密がある。
これは狩人として命を預けて共闘する同僚ですら、ましてや信頼する師匠、親、兄弟ですら知り得ない彼だけの秘密。
なんとアーカム・アルドレアは現代日本から、剣と魔法のこのファンタジー世界へやってきた異世界転生者なのだ。
ー
セントラ大陸の二大国といえば西のヨルプウィスト人間国、東のゲオニエス帝国の2つの国のことを示す。
大陸に住む人間ならみんな知っている常識である。
だが、ここにそんな常識へ一石投じてやろうと言う気鋭な男がいた。
「わかってないな。はい、じゃあ聞きます。世界で一番の作杖職人といえば誰ですかー?」
小さな子供に簡単な質問をするが如く、されどそれは同年代に向ければただの煽りだと言わざるおえない口調で、傍の眼鏡男へ問いかける黒髪の男。
「はぁ……アーカム、世の中には厳然たる事実というものがあるのだよ。僕はね、何もローレシアが弱小だなんて言ってるわけじゃあない。ただ単に我が祖国が偉大過ぎるだけだと言っているんだ。ちなみに答えはオズワール・オザワ・オズレ」
「うーん、ポール君それはわざと言っているのかなぁ。どう思う、オキツグ」
鼻に付く語調と見上げた愛国心を匂わせてくる友人に、薄紅色の瞳を半眼にさせて何とも言えない顔をするアーカム。
彼は隣の席に座る同級生へ首を傾げて話をふった。
話を振られたのは頭の悪そうな顔をした男。
黒髪黒瞳のオキツグと呼ばれたその青年は、自身の目の前に置かれたなめこ定食をつつきながら口を開いた。
「それ賛成だぜい、相棒」
「絶対話聞いてなかったよな?」
「はは、よくわかってい」
陽気に笑うオキツグ。
同じく魔法王国ローレシアを故郷とするオキツグに、援護射撃を願い出たかったのだが、どうやらこの様子だといつもどおり使い物にならないらしい。
アーカムは良くも悪くも平常運転の友人ーーオキツグからは不本意ながら相棒と呼ばれるーーに嘆息した。
しかし、ふとオキツグが今朝からこんな様子だったと気づいたアーカム。
なにか悩みでもあるのかと思い至り、聞いてみることにした。
「なぁ、もし何か困ってる事があるなら相談に乗るけど」
神妙な雰囲気を作る秘密結社勤務の男はオキツグの肩に手を乗せた。
「確かに、普段のオキツグに比べて本日は15パーセント程静寂を味わい過ぎてる気がするね」
なかなかクセの強い言い回しのポールもオキツグの静かなわけを知りたがっているらしい。
2人は黙してオキツグの言葉を待った。
アーカムとポール、そしてオキツグ。
普段の彼らの事を知っている人間からすれば珍しい組み合わせの3人組は、また、たまたま授業の空きコマが重なった組だ。
故に普段の男連中の集まりでは言えないような事でも、今ならポロっと吐き出してくれるのではないか、という期待も込めてアーカムとポールはオキツグに爛々とした好奇の視線を向けているのだ。
彼らの間では最近、内緒で色恋沙汰に走る不届き者が仲間内で発生するという、それはそれは大変残酷な事件があった。
アーカムとポールは万が一、いや、億が一でもオキツグがそちらのトピックを持っている可能性は低いにしても、ちょっとくらいは期待しているのだ。
「いや、お前らそんなキラキラした顔で見たって面白い事なんてなんも無ねぇけい?」
「チッ、つまらねぇやつだ」
「つまらないとは、それだけで生きる価値が無いという事なのだよ。つまり死にたまえ」
「そこまで言う⁉︎」
首を振りながら言外に「ダメだこいつ」というニュアンスを匂わせ、辛辣なコメントを述べるのはポール・ダ・ロブノール若干14歳だ。
オキツグは厳しいコメントに眉根を寄せて哀しげな顔をしながらも苦笑いしている。
「そうだなぁ、お前らにこんな事話すのはアレなんだけどさーー」
意気消沈した様子のオキツグは、もごもごとした口調である悩みを打ち明け始めたのであった。
オキツグの相談とやらを聞くことしばらくーー。
「つまり従姉妹と剣で決闘ってことか?」
「まぁ、そういうことになるよい」
渋々と言った感じでこめかみを掻きながら肯定の意を示すオキツグ。
「オキツグ、君はレトレシアの魔術師としてはかなり微妙だが、もしかして剣術の方は得意なのかい?」
ポールは眼鏡をぐいっと押し上げながらすかさず核心部分に触れていった。
名門レトレシア魔術大学に通う者としては結構ダメージの期待される言動だ。
オキツグのショック症状が懸念される。
「小さい時少〜しだけ、道場に通ってた事があってな。それなりにセンスがあるって褒められはしたんだぜい。こう見えても」
ポールの侮辱を特に否定する事もなく、親指と人差し指でつまむように小さな隙間を作るオキツグ。
思ったよりダメージは受けていないらしい。
本人も自分がレトレシア魔術大学の「奇跡の世代」として、なかなかどうして微妙な実力であるという事には自覚があるのだろうか。
「ほう、それはそれは」
ポールはオキツグの言葉を受け顎に手を当てて思案顔になった。
アーカムはポールが何を思っているのか何となくわかるような気がしていた。
故に、先に質問する事にした。
「だったら剣士目指せば良かったのに」
「いやぁ、でも俺の家さ結構愛国心強くてよ、魔法大国ローレシアに住んでて、長男が剣士になるわけにゃいかねーよ」
「あぁ、なるほど。そういうパターン」
オキツグは困り眉を作って苦い顔をしている。
いまいち感情の読み取れないアホ面にアーカムは目を細めながら不憫な者を見る目をした。
家の都合で自身の好きな才能を伸ばせないなんて、それを不幸と呼ばずして何と言うのだ。
アーカムは瞑目し首振って可哀想な友人を憂いつつ、なめこ定食をつついた。
「まぁ、お前の事情はそんな興味ないからいいや」
「うぇ⁉︎ それ酷くね⁉︎」
もぐもぐしながら、友人に容赦なく冷たい視線をぶつけるアーカム。
彼としては別にオキツグは良くも悪くもバカなので、深刻系の話題は心配するだけ無駄なのをこれまで一緒にいて知っているのだ。
それは向かいの席に座るポールも同様らしく、彼も微妙にショックを受けているオキツグの事を特に心配していないようだ。
「それで、何が問題なのだね。相手は女性なのだろう?」
ポールの迂闊な発言にアーカムは眉をピクリと動かす。
どうやらポールは女性という者の強さを知らないらしい。アーカムはそう思いコップの水を一杯あおって教育的指導をしてやろうと口を開きかけた。
「いや、強ぇんだい。これがよ」
「強き女剣士かね。ふむ、それはなかなか……」
オキツグはあえて溜めを作って抑揚を持って言い放った。
ポールは何を想像しているのか自分だけの世界を幻視して、何やら爽やかな顔で微笑えんでいる。
どうやら自分が出る幕は無さそうだと、アーカムはゆっくりとコップを傾けて再び水を口に含ませた。
「そこでだ、アーカム」
「ん? なんだよ藪から棒に」
どこらへんから「そこでだ」に繋がったのか、ちょっと文脈の見えないオキツグの運転に目を回しながら、アーカムは傍で期待の眼差しを向けてくるオキツグを見やった。
「俺の代わりに従姉妹と戦ってくれ」
「……ん、もう一回最初から話してくれる?」
狩人アーカム・アルドレアに緊急ミッションが下される。
読んで頂きありがとうございます!