第70話 想いが紡ぎし光の剣
「光竜天衝陣!」
通常の光に対して光を合わせても、ただ空しくすり抜けるだけ。しかし高密度の魔素によって象られた光なら、同じように魔素を帯びた光で応えることが出来る。
そしてこの身に残る全ての魔素と、長年に渡ってリベラディウスの剣身に沁み込んだ私のそれとを全て併せれば、向かい来る怪光すらも全て呑み込み、天を貫くほどの光となって、この絶望の闇をも照らす真の太陽となる。
本来は発動に魔紋を要する陣術でありながら、私はそれを想いだけで描けたようだった。ただ、リゼを救いたい、その気持ちだけで。
「何……あれ? 光の柱? ボクの魔現を掻き消したとでもいうの……?」
「メル……? この、光は……」
「ふふ、暖かいでしょう?」
「……ええ、とっても」
「でもこうしていられるのは、あと少し」
「ここからどう、されるのですか……?」
「この光はこのリベラディウスが放つ輝きであり、またこの剣が持つ本当の姿。そして私は、今からそれをあの子に向けて、全力で振り下ろす。そこで、私からリゼにお願いがあるの」
「何、でしょうか……?」
「この剣を振り下ろした時に生じる衝撃は、途轍もなく凄まじい圧となるはず。だから最後までその力を振り絞れるように、私の腰の辺りを後ろから支えていてもらえないかしら? うんと強く、決して……離さないように」
「……承知、しました!」
――これで後顧の憂いはもう何もない。
あとはただこの光に想いの全てを乗せて、あのエセルに、届かせる!
「どうか私たちを導いて……想いが紡ぎし光の剣!」
「な……⁉ 嘘、でしょ……⁉ そんな――」
視線の先に捉えたエセルは、そこで初めて恐怖に慄いたような表情を浮かべ、それから間もなく光の奔流の中にその身を溶かした。
そして振り下ろした光の大剣は、エセルはおろか、正面に広がる大地を地平まで呑み込むかのように押し包み、それと同時に颶風の如き衝撃波を四角八方に遍く轟かせ、全身の骨を軋ませるほどの凄まじい圧力をこちらにも伝えてきた。
「ぐうっ……⁉」
「大丈夫ですよ、メル! 私が、私があなたを絶対に離しませんから!」
「ふ……あなたさえいれば、どうとでもなっちゃいそうだわ……んんっ!」
やがてリベラディウスから放たれた光の全てが消え去った後、おぼろげに映る視界の中に、直線を描くようにして半球状に大きく刳り抜かれた地面が浮かび上がり、辺りには上空まで高く巻き上げられた大小様々な土塊が、土埃となって地上へと降り注いでいる光景が広がっていた。
「はぁ……終わった……わね」
もはやこの身には剣を握り締める力すらも残されてはいないようで、リベラディウスは私の手から自然と離れ、そのまま荒れた地面にその腰を下ろした。
もしこのリゼという存在の支えが無ければ、私の身体は苛烈な反動を一身に受けて大きく弾き飛ばされるばかりか、その骨や内臓にまで深刻な損傷を被って、今頃は自身の影と共にこの地面に固く縛り付けられていたかもしれない。
「やりましたね……メル! 私たち、ちゃんと生きていますよ……!」
「ええ、どうやらその、ようね……ふふ……」
「あはは……けどもう、立っては……いられない、ですね」
リゼはどうやら私の身体を支えながら、同時に己の魔素をあの光の中へと注ぎ込んでいたようで、現状としてはお互いがお互いにもたれ掛かり合うことで辛うじて今の体勢を保っているようだった。しかしその均衡もここに来て終に限界を迎えたらしく、私とリゼは揃ってへたり込むように、その両膝を地に付けた。
「けどあなたも、本当に無茶を……するわね」
「ふふ……メルにだけは、言われたくないですよ」
「それにしてもこれは……私、他に誰かを巻き込んではいないわよね……?」
「幸い、この辺りに私たち以外の往来はなかったようですし、レイラとエフェスが乗った馬車はここを離れてから結構経ちますから、大丈夫だとは思いますが……何にせよここからはしばらく、動けそうにはありませんね」
「……それは全く、同感だわ」
そうして何となく穿たれた地面の先に視線を投げかけた、その時。
依然として土色に煙る彼方に、黒い点のようなものが見えた気がした。
そしてやがてその点だったものは、次第に人の形へとその姿を象り始めた。
「…………」
「メル? 一体何が見え…………そ、んな……⁉」
酷く拉げた帽子の陰にその顔を埋めたそれは、煤けた外套のようなものを背にひらめかせながら、全身に黒い泥土を纏った出で立ちで、私たちの眼前に佇立していた。
「死ぬ、ところだったよ……本当に。見てよこの左腕、もう使い物になんない」
「…………エセル」
「う、そ…………」
「転移法は短距離でもかなりの集中力がいるんだよね。でも、あんなのを見せられたら普通驚くじゃない? だからちょっと反応が遅れちゃってさ。この通り左腕は真っ黒焦げ。もう感覚が何処にも無くって、痛みすら感じないの」
この少女は本当に人間なのだろうか。そんな疑問が改めて胸を貫いた。
もはや今の私たちには、彼女に抗うための力も術も残されてはいない。
正直に言って今ここから立ち上がることはおろか、その手を使って彼女に石や砂を投げつけることすらも叶いそうには無いのだから。
――けれど、この時に至るまで、私とリゼは共にやれるべきことを全てやってのけたつもり。この先、残されたあの二人がどうなるかは判らないけれど、この今だけは確かに彼女たちを護ることが出来た。私は、きっと私たちは、そのことを誇りに感じているわ。たとえ私たち二人の明日が、二度と来ることがないとしても。
「ふ……好きに、しなさいな」
「私も……悔いは、ありません。メルと一緒なら」
「……ふぅん。それじゃどっちか片方だけ殺そうかな。何だか二人一緒だと、そっちの思い通りみたいで嫌だもん」
「な、何……ですって……⁉」
「どっちも命乞いはしないだろうし、お互いが相手を生かそうとするだろうから、私が一人で決めるね。いくよ? ど、ち、ら、に、し、よ、う、か、な……」
「ま、待って……! 殺すなら、メルではなく、この、私を!」
「リゼ……あなたは……!」
「て、ん、の、か、み、さ、ま、の、い、う、と、お……りっと」
淀みなく発せられた言葉の終点で、その小さな指先が示したのは、私……ではなく、傍らで頽れていた、リゼの方だった。
「決まり。ボクだっていたぶるのは好きじゃないし、一瞬で楽にしてあげるね」
――私の、右手よ……どうか動いて。動いてよ、お願い、だから……。
動け……動け、動け動け動け……! そしてその手でリベラディウスを掴んで、あの喉元に向けて投げ飛ばすの……! もうそれしか、リゼを救う手段は、ない!
「それじゃあ、おやすみ。お姉さん」
しかし無残にもこの右手は言うことを聞かず、ただだらりと腕から垂れ下がっているばかりで、眼前で大きくなっていく光に抗うことも叶わず、やがて永遠の如く緩やかに流れ始めた時の中で私の瞳が捉えたものは、こちらに向かって穏やかに微笑みかけるリゼの姿だった。
「メル……ここまで一緒に来れて、そして最期の瞬間に他でもないあなたが傍に居てくれて、私は本当に幸せ……です。たとえこの姿は見えなくなっても、このリーゼロッテ・ベーゲンハルトは、いつまでもあなたのお傍に居ます……から!」
「リ……ゼ……!」
「ばいばい。どうか良い夢をみ――」
その時、エセルの言葉を遮るようにして、彼女の近くに短剣のようなものが複数本、何処から飛来して落着したと同時に、その全てが眩い輝きを放ち始めた。
「ん? これは一体な……うああっ⁉」
「えっ……⁉ これは、何が……起きて……?」
幾つもの短剣のようなものから一斉に高く立ち昇った光は、エセルの身体を瞬く間に包み込み、彼女は硝子匣の中に閉じ込めた標本のように、強く硬直したまま、身動きが取れない様子だった。
「これはもしや結界、術……? でも一体誰が――」
「何とか、ぎりぎり間に合ったようですね」
「えっ、あなたは……!」
間もなく聞き覚えのある声のした方に顔を向けると、其処には黒装束に身を包んだまま屹立する、エヴァと思しき姿があった。




