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貴族令嬢なんて、辞めてやりましたわ!  作者: 綾野 れん
近くて遠い道の先
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第64話 穏やかな時間


「なるほど……それで、遥々ロイゲンベルクからこの地にまでやってきたというわけですか……それにしてもまさかあなたが、貴族様だったとは」

「正確には元貴族、よ。私はもう、あの家の者でも所有物でもないのだから」


 私は宿の外で待機していたエヴァと再度接触し、彼女に導かれるかたちで町の保安組織が有するという施設の一室において取り調べを受けていた。そして私は何ら包み隠すことなく、先にコルクラーベンの連中と一戦を交えた結果としてルーネの谷に架けられていた橋が崩落した一件も踏まえ、そこに至るまでの経緯の一切も含めて、全てをありのまま彼女に伝えた。


 そしてさらに私の身分が事細かに記された旅券を示したことで、私の名前や年齢は言うに及ばず、どんな家柄の出身で、どの町の何処に住んでいるのかについてまで、この白い机一つだけを隔てて対座しているエヴァが知るところとなった。

 無論、私はかしこまられるのが好きではないため、彼女には極力普段通りの言葉で接してもらえるようにあらかじめその旨を申し出た。


「とにかく……お話は分かりました。しかし、あなたの話が全て真実だとして……フィルモワールへ渡って、一体何をするつもりなのです?」

「さっきも言った通り、まずは皆で其処に辿り着くこと自体が目的なの。漠然とお店を開きたいだとか、そういう想いならあるけれど、ロイゲンベルクからの追手から逃れ、その手の届かない場所に達することが、何よりの優先事項だった」

「そうですか……お店を開くつもりだったとは意外です。ところで……先ほどそちらの用事は済んだと仰っていましたが、あの方は無事だったのですか?」

「えっ……?」


 これまでほぼ淀みなくエヴァからの質問に答えてきたものの、突然リゼのことを訊かれたことが私にとってはあまりに予想外で、一瞬その返事に窮してしまった。


「あ……えっと、その……あの子なら、無事よ。あなたたちのおかげで、何とか間に合わせることが出来たから。後遺症のようなものも今のところは何も無いようで、本人は目を覚ますなり腹の虫を鳴らしていたほどよ」

「やはり、そうでしたか……ふふ、それなら良かったです」

「けれど、どうしてわざわざそのことを?」

「単なる好奇心ですよ。まぁ少しだけ自分が関わったということもありますが……メルさん、宿から出てきた時からずっと顔がにやけていましたから、それがどうにも気になっていまして」

「えっ! 顔がにやけてって……私、ずっとそんな顔をしていたの?」


 ――相当恥ずかしいけれど……事実、これまで生きてきた中で一番嬉しかった瞬間だと言っても過言はないのだから、実際にそんな顔をしていたとしても仕方がないわね。飛び上がるほど、とはよく聞くけれど、リゼが目を覚ました時は本当に身体がふわりと浮き上がったような感覚を覚えたもの。


「恥ずかしがる必要はありませんよ。大切な人の命が助かったのですから、至極当然のことです。さ、取り調べはこれでお終いです。橋の崩落を含めた事の詳細はこれから本国にも報告することになりますが、脅威判定は特に無しと判断して、こちらの剣もあなたにお返しします」

「それは、どうも……時に、あなたたちが誰なのかはやはり最後まで教えてはくれないのかしら? いつか改めてちゃんとしたお礼がしたいのだけれど……」

「規則ですので、すみません。しかし、あなたのお気持ちはありがたく頂いておきます。もしいつか何処かで、組織としての私ではなく一個人としてお会いした時には、また改めてご挨拶を差し上げたいと思います」

「ふ……分かったわ。もしいつか私がフィルモワールでお店を開くことになったら、ぜひ一度、顔を出して頂戴ね。では……またいずれ」


 エヴァにとってみれば、旅券から私の身分を確認することは出来たものの、依然として私たちが異国から流れてきた得体の知れない存在であることには変わりはなかったはず。しかし彼女は最後まで礼を失することなく、こちらの話に対しても終始変わらない態度で耳を傾けて、さらにはリゼのことにまで気にかけてくれていた。


 次に会う時はぜひ、組織の一員としてではない彼女と言葉を交わしたいもの。

 しかしもし何か一つでも違っていれば、彼女たちとは命のやり取りをして、リゼのもとに薬草を届けることが叶わなかったかもしれないと考えると、背筋が凍り付いてしまいそうな感覚を覚える。もしフィルモワールまであと一歩というところでそんな事態に陥っていたとしたら、一体この私はどうなっていたのだろうかと。


「そう考えると、今こうしていられることは奇跡に近いのかも……あら?」

「メル!」


 私が取り調べを受けていた施設をあとにし、宿屋の方に向かって歩き始めるや否や、向こう側からリゼとレイラが並んでこちらに駆けながら近づいてくるのが見て取れた。


「あなたたち、どうしてこっちに?」

「リゼが心配だからって、ずっと後を付いてきて、あそこの建物に入ってからは、ここで出てくるのを待っていたんです。もし様子がおかしかったら殴りこ――」

「こほん。レイラから大体の事情は聞きましたが、薬草を探す中でフィルモワールの密偵らしき人たちと接触があったのですよね。その……大丈夫でしたか?」

「ええ、何も問題は無かったわ。リゼの方こそ体調は大丈夫?」

「はい! それはもうおかげさまで。何だか生まれ変わったような気分で――」


 ぐぅるるるるる……。


「あら……リゼ、あなたたちひょっとしてまだ朝食をとっていなかったのかしら?」

「リゼがメルが出てくるまで絶対に待つと言って聞かなくって。でもその間ずうっとお腹がなっていたのには、流石に私も笑ってしまいましたよ」

「もうレイラ! そんなことまで逐一伝えなくていいんですよ!」

「ふっふふふふ……良いわ、これから皆で朝食……いえ、もうお昼かしら? とにかくまた一緒に食べに行きましょう。せっかくだから、昨日食べたところとはまた違うお店で頂きたいところね」

「あっ、それならとても良いお店があるらしいですよ、メル。何でもあちらに見える修道院の近くにあるらしいんですが――」


 町の南西側には小高い丘があり、その頂部にはかなり古くから存在するという女子修道院があるとのこと。其処はこの町を初めて訪れた時にもその外観からして個人的に最も気になっていた場所でもあったから、腹ごしらえを終えたら皆で観光がてらその建物を近くから眺めるのも悪くないかもしれない。


 ――とにかく今は気分が良いから、きっと何でも楽しく思えるに違いないわ。

 私とリゼと、レイラが今もこうして生きている。それだけで私はもう、怖いくらいに幸せなのだから。

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