第4話 明暗を分ける選択肢
――ベルリッヒの南側から入国審査なしで国境を通過できる国は、ダースガルド、エプセン、そしてラスズールの計三つ。
ダースガルド公国は、多くの森林に包まれた緑豊かな地だけれど、街道から外れると今でも凶悪な妖獣が襲ってくると聞いている。さらに南下して、海を目指すのであれば、ミレノー山脈を越える必要があるわね。困難な道になるだろうけれど、ここを通過するとは思われないでしょうから、追っ手を気にする必要はほぼ無くなる。
エプセンは、平坦な土地が続く場所で、ベルリッヒとエプセンの南にある砂漠の国――マタール王国とを結ぶ、いわば貿易の要衝。それ故、行きかう人々の出入りは常に激しく、一度そこに紛れてしまえば、その足取りは最も掴まれにくい反面、追っ手側も最優先で、こちら方面に向かったと推察し、その調査を綿密にするでしょう。
そしてラスズール。ここは東のナクラ渓谷から流入する川水によって、多くの湿地帯がある土地。水棲妖獣の出没が少なくないらしいけれど、同国の貴族が建設したというグラウ運河を通れば、大陸最南端に位置するフィルモワール王国への最短ルートとなる。ただし、その水路を利用するためには、運河の閘門を管理する、ロックマスターの許可を得る必要がある。
「ねぇリゼ、あなたならどの道を選ぶ?」
「そうですね、私ならやはり……エプセンでしょうか。鉄道があるのに、それが利用できないというのは、少々難がありますが、他にも移動手段はありますからね」
確かにエプセンにも鉄道自体は存在しているのだけれど、近年普及し始めた魔鉱機関の登場で、職を奪われると危惧した国民による反対運動の煽りを受け、この一年の内に、列車や線路の破壊を含めた様々な妨害工作が各所で行われ、未だ鉄道の運用再開の目途が立っていない、と伝えた記事を、新聞で目にしたことがある。
「私も同じ意見よ。伝書鳩の伝送速度は中々侮れないところがあるから、ロイゲンベルクとの距離を早い内に出来るだけ稼ぐ必要があるわ」
「はい。屋敷でもそろそろ、私たちの不在に気が付いている頃でしょうからね」
――屋敷からはまず、私たちの行方不明を知らせる伝文が伝書鳩によって各地に送られ、次いで貴族院が擁する隠密部隊に、捜索令が下されるはず。父はきっと、家の名を穢した私たちの行方を、血眼になって見つけ出そうとするでしょう。
「ええ、私たちはもう引き返すことができないのだから、覚悟して臨まないとね。さぁリゼ、動きたくないのは解るけれど、客室に戻って、降りる準備をしましょう」
***
列車は定刻通りにベルリッヒの首都、ライシュバインの中央駅へと到着。
ここから車両を乗り換えて、エプセンへの国境付近にまで移動する。
あとは、エプセン方面へと向かう列車に乗るための切符を購入すれば――
「メル! ちょっとこの掲示版を見てください!」
「……えっ?」
『魔鉱機関の暴発事故による列車運転の見合わせについて――現在エプセン方面への運行は、偶発的な鉄道事故により、ただいまその運転を見合わせております』
――何ということ……まさかこのタイミングで、こんなことが起こるだなんて。
いけない、すぐに頭を切り替えて、冷静かつ的確な判断を下さなくては……。
今すぐに向かえるのはダースガルドとラスズール。
両者の内、私が選ぶとしたら……後者の方。
「リゼ、急だけれど、このままラスズール方面に向かうわよ」
「ラスズールですか? 分かりました。ただ今切符をご用意しますので、少しこちらでお待ちくださいね」
「あぁ待ってリゼ、私も行くわ。この旅券を使って、ちょっとした時間稼ぎをしましょう」
「ん……時間稼ぎ、ですか?」
――次の目的地がラスズールとなると、必然的に運河を渡ることになる。
水門の管理者の許可をどうとるか……少し、考えないといけないわね。
手持ちの現金と、私が持っている衣類や装飾品を売却したものを合わせれば、何とかなるかもしれないけれど、お金で解決できる問題とは限らないし、当座の生活資金も考えて、色々とやりくりしていく必要がありそうだわ。
あとは、旅券の使用が記録されることを逆手にとって、ノイレゾント方面への特別乗車券を発券しておけば、多少の時間は稼げるはず。
***
――どうにか遅滞なく、ラスズールの国境付近にある駅までは来れた。
ここが思いのほか、寂れた場所だったのは少し驚きでもある反面、今の私たちにとっては好都合でもある。当初の予定と異なるとはいえ、ここからは気を取り直して行くしかない。
「大丈夫ですか、メル? よければお荷物、お持ち致しますよ?」
「ありがとうリゼ。けど、それには及ばないわ。それより、早く国境を抜けてしまいましょう。ここからは随分と近いみたいだから……って、あら?」
――無い。つい今まで右手側に置いてあった、私の旅行鞄が。
あの中には、言うまでも無く、今後の生活に必要な荷物が数多く入っている。
そして何より、お母様から頂戴した大切なもの……失うことなど、許されない。
想定外の事態に、少し気が漫ろになっていたとはいえ、不覚だった。
「メル、まさか……列車に置き忘れてしまわれたのですか?」
「いえ、そんなはずはないわ。ついさっきまで、確かにここにあったのだから……そうだわ」
私は自身の内にある魔素を顕現させる術――魔現の資質には恵まれていなかった。
しかしその一方で、その魔素を自身の身体や他の存在に伝え導く力――魔導の才能だけは、他者よりも秀でていた。
先ほどまでずっとこの手にしていたあの鞄には、僅かながら私の魔素が残留しているはず。それ故に、もしまだこの近くにあるのであれば、魔導域を生成して、その位置を感知することが出来るかもしれない。
「メル、まさか――」
「ええ、そのまさかよ……開放!」
――何事も、やってみるまでは判らない。
だったら私は、それをやってやるわ。