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貴族令嬢なんて、辞めてやりましたわ!  作者: 綾野 れん
ザールシュテットの水伯爵
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第14話 水の都、ザールシュテット


 ――ここが、ザールシュテットの町ね。

 町全体に細かな水路が張り巡らされていて、あちらこちらに橋が見える。

 あの小舟を利用すれば、歩くことなく町の隅々まで移動できそうだわ。


「へぇ……緑も豊かで、思った以上に素敵な町ですね、メル」

「ええ。本当ならゆっくり観光したいところだけれど、まずは宿を探しましょう」


 まずは宿の確保が最優先。有事の際に備えて、脱出経路の確保が出来るところを選びたい。願わくばそこに入浴設備まであれば、言うことなしなのだけれど。

 

「まぁ、とりあえずは道すがら、町の人に話を聞いてみましょうか」



 ***



「……ふむ、話によれば、どうやらメルクーアという宿屋が、私たちが求めている条件を最も多く満たしているように思えるわね」

「はい。それに、ここに居る貴族の話も詳しく聞けましたし、良かったです」


 ――クリストハルト・ツー・ザールシュテット。


 この町が持つ、グラウ運河に関する利用権限の全てを有し、また同時にこの町を含む領地の一帯をも治めているという、新興貴族の嫡男ちゃくなんであり、病に臥せった父から受け継いだ現在の爵位は伯爵、その年齢は三十台の中頃とのこと。


 それから彼――ザールシュテット伯は、町をより良いものにするため、町民の話には常々積極的に耳を傾けているらしく、町の至る場所に意見箱が設置されていて、町人は専用の用紙に要望等を書いた上で自由に投書をすることが出来る様子。


 加えて、その彼は水伯爵の異名を持ち、治水事業の折、豊富な水源と錬金術を用いた、水操菅ヴァサルトなる設備を町中に普及させたようで、一般家庭でも熱水と冷水とをそれぞれ出すことが可能な、双頭の蛇口を備えているという。


「とりあえず今後の計画を考えるのは宿を取ってからにしましょうか。それでその後はどこかで昼食を取りましょうよ。今朝は朝食を頂いている暇もなかったから、さすがの私もここで何かしら食べておかないと力が出せないわ」

「分かりました! 腹が減っては何とやら、ですものね! 早速参りましょう!」



 ***



 宿は無事に確保。部屋は最上階である三階にあり、その窓からは町を広く見渡せるだけでなく、有事の際には屋根へと移動して、次の行動にも移りやすい。


 しかし、何よりもありがたかったのは、水伯爵――ザールシュテット伯のおかげで、私たちの泊まる部屋にも浴室があり、そこで何の労もなく暖かな湯を頂くことが出来るという事実。これはまさに願っても無い幸甚だったと思える。


 それからこの町は水産資源も多彩なようで、この辺りで穫れる魚介類を使った料理が美味しいという話を、リゼが宿屋のご主人から聞き出していたから、その味がいかなるものか、この私も今から実際に確かめてみる必要がある。


「メル! ちょっとこのブイヤベースのエビ、食べてみてくださいよ! この何とも歯ごたえのある弾力感に絶妙な味わい、本当たまりせん……んふふ」

「どれ……はむ」


 ――なる、ほど。これは確かに、一味だわ。

 眼前のリゼが、恍惚とした表情を浮かべているのも頷ける。


 このエビ、その身の繊維が稠密ちゅうみつであるだけでなく、噛めば噛むほどに、そこに蓄えられていた、魚のブイヨンと貝類から染み出したエキスとが口の中に広がり、さらにそこに酸味と甘みとを併せ持ったトマトのスープが加わることで、更なる旨味を口内で演出しているのね。


「これはとっても、いいお味ね……リゼ」

「はい! この綺麗な景観だけじゃなく、宿にお風呂はあるし、おまけにご飯までおいしいだなんて……このザールシュテットって、何て素敵なところなんでしょう」

「そうね。これであとは、グラウ運河を渡る許可を取り付けることが――」

「えっ、その噂って本当なの!」

「どうもそうらしいよ。この間も、三軒隣の娘さんが居なくなったらしいし」

「それって妖魔の仕業なのかしら……まさかこの町に人さらいが出るだなんて」


 ――妖魔? 人さらい? 隣から何だか穏やかではない単語が聞こえてきたわね。


 ただ、もしこの町で何らかの不穏な存在が今現在も動いているのだとしたら、当然その話は町を治めているザールシュテット伯の耳にも入っているはず。


 そしてそれはまた、運河を渡るために必要な交渉の材料として使うことが出来るものかもしれない。人の不幸を利用するようで、いい気分では決してないけれど、こちらが手段をゆっくり選んでいられるような立場ではないのも、また事実。


「……今の、聞きましたか? メル」

「ええ。確かに、聞こえたわ。一見、何の不安も抱えていないように見えるこの町も、表には中々出てこないような問題が存外、潜んでいるのかもしれないわね」

「今の話が本当だとして、さらに妖魔が実際に絡んでいるとなれば、並の人間では到底対処できないはずです。でも、そんな時……」

「私たちなら力になれる。リゼ、どうやらあなたも、考えていることは私と同じようね。ならば話は早いわ。昼食を済ませたら、ザールシュテット伯のもとへ向かいましょう。行って会えるとは限らないけれど、やってみなくては判らないもの」

「はい、メル」


 ザールシュテット伯が住まう屋敷は、太陽の昇る方向――即ち、町の東側にあるという。彼が町人の話通りの人物かどうかの確認も併せて、まずは会ってみる必要がある。町中に意見箱を置くほどだから、謁見する機会もきっと、得られるはず。

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