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貴族令嬢なんて、辞めてやりましたわ!  作者: 綾野 れん
幕間 忘れられないものたち
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幕間 第3幕 私に遺されたもの


 屋敷に戻った後、ざるすくった水がその隙間から抜け出していくように、真っ白になったこの頭から止めどなく零れ落ちていく記憶の断片を必死に手繰り寄せながら、言葉に満たない言葉を繰り返して、何とかお父様たちに事の次第を伝えることは出来た。


 しかし、お父様が私兵団を率いて、お兄様のもとへ向かった時にはもう全てが終わってしまっていた。私は、全てを間に合わせることが……出来なかった。


 現場に残された血の痕から、どうやらお兄様はかの妖魔の前に力及ばず倒れた後、死地の淵を彷徨いながらもお母様の体を抱え、こちらに向かって歩き出していたようで……二人はその道中で、折り重なるようにしてたおれていたと……聞いた。


 お父様は、跡継ぎとなるはずだったお兄様と、深く愛されていたお母様の二人を一度に失ったことで、気が触れたかのように怒り狂い、周辺地帯に現れた他の妖魔やその地域に元々棲息していたと思われる妖獣たちを、可能な限り殺し尽くした。


 それにより、降って湧いた一連の事態は一応の決着を見て、私はお母様とお兄様の二人を弔い、その魂を安らかなる地へと送りだすことが、ようやく叶った。


 そして人が変わったように塞ぎ込んでしまったお父様が唯一、葬儀の後に私に向けて放った言葉が、あれから一年が経った今もずっと、私の頭の中を去来している。


『生き残ったのは……お前か』


 あの日あの時、お母様とお兄様を伴い、大樹を間近で観たいと言ったのは、私。

 そして樹の近くで鞄を忘れたがために、そこに長く留まらせてしまったのも私。

 一緒に屋敷へと向かうはずだったお母様が倒れた原因は、その身を挺させた私。


 お父様は、それら事実を何も知らない。

 けれど、全てを察しておられるご様子で。

 結果的に遺された私に対して、そう言った。


 ――ごめんなさい、お母様。

 私が産まれてしまったばかりに、お兄様の命まで奪ってしまいました。


 ――ごめんなさい、お兄様。

 私の犯した小さな過ちが、あなたとお母様のこれからを消し去りました。


 ――ごめんなさい、お父様。

 私が生きているせいで、あなたに死よりも辛い人生を与えてしまいました。


 このまま私がここに居ても、きっと誰も幸せにはなれない。

 何より、全てを招いたのが私であることに、もう耐えられない。

 そう考えていたら、いつの間にかこの崖の上にまで来てしまった。


「私は……私は……私であることから、逃げ出したい」


 ここから身を投じれば、私という存在が終わる。

 私という存在と繋がっていた全てから解放される。

 そうすれば私は、何もかも忘れて、楽になれるはず。


「さようなら……私。そして、さようなら……リゼ」


 瞼の裏側に描き出されるものは、楽しい想い出たちばかりで。

 けれどもうすぐまた会える。記憶の欠片に映る、暖かな輝きに。

 だから今はただ、この風に身を委ねて流れていこう。どこまでも。


 どこ、までも――


「メルセデス様!」



 ***



「――っ! あ……リ、リゼ……?」

「あっ、すみません……メル! 思わず、起こしてしまって……。先ほどから随分とうなされていたご様子だったもので、何というかその、見て……いられなくて」


 ――この手に伝わる暖かな感触は、忘れもしない……リゼのもの。

 酷くうなされていた私を見かねて、優しく手を握ってくれたのね。


「そう……私、いつの間にか眠ってしまっていたのね」

「あの、もしやいつかのことを夢に……見られて?」

「……ええ。ちょっと昔のことをね。けど、あなたのこの暖かな手が、私を導いてくれたおかげで、私は目を覚ますことが出来たのだわ。あの時も、そして、この今でさえも……ね」


 ――あの時、切り立った崖の上からこの身を風に委ねた、私。

 両足はもう地面から離れていたけれど、身体は宙に留まっていた。

 リゼ……あなたの手が、私の手と繋がって、放さずにいてくれたから。


『何があっても、あなたを護る。それこそが、私が私であることの意味なのです』


『だから……あなたはあなたであることから逃げないでください。例え、何があろうとも、最後まで。あなたにはあなたのままで、居て欲しいのです』


『あなたが望むなら、私があなたの手足となり、あなたを苦しめるもの全てを、あなたの代わりに打ち破ります。だからどうか、生きることを……これからのあなたを、諦めないでください!』


 ――あれからもう、六年も経ったのね。


 私はお兄様がくれた言葉の意味と、お母様が託してくれた命の重さ、そのどちらも忘れようとしていた。けれど、それを思い出させてくれたのは……リゼ、あなたよ。


「あぁ、すみませんメル……ずっと握ってしまっていて」

「ふふ、構わないわ。いえ……違うわね。私がもう少しだけ、こうしていたいの。だからどうか、しばらくこうしていて頂戴」

「メル……分かりました。メルが良いというまで、放しませんから。絶対に」


 風の匂いが、湿り気を帯びてきた。

 きっと目的地までの道のりは、あと少し。

 だけど今は、この暖かさに身を任せていたい。


 いつまでも、いつまでも。

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