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倶利伽羅姫 一

「何処よりきたるや? 御君おんきみ

「僕は旅行をしている国術院の学生です」

「面妖な。尋常の者なれば、いや国術院の学生なれども樹上に寝泊まりなぞすべからず。我は倶利伽羅姫、この地の神邇なり。(なんぢ鬼没の者とお見受け申すべし」

 この巫女はやんごとなき方々の言葉をあやつる。しかし、デタラメだ。聞いた時には、神域のヌシかと思ったがそうでもないようだ。

「鬼没? そんなわけはない。そこまでいうなら」

 と、僕は霊剣操を唱えつつ、自らの剣を背中から右手に持ち構えた。それと同時に、彼女の手から剣が放れ落ちた。落ちたブロードソードは彼女の周りを飛び始め、彼女の結んだ髪を解き、白い合わせを切り裂き、肌を露わにしながらついには赤い光とともに僕に向かって飛んできた。僕はその時、彼女が僕の目を色仕掛けで誑かし、その隙を剣で突く攻撃だ、と思った。しかし、次の瞬間、僕に向かってきた剣は、吸い寄せられるように僕の左手に納まっていた。

「こ、この色まどいめ」

 その娘は長い黒髪に胸や腰を隠し、しゃがみこんで僕を睨みつけた。次の瞬間に、その女は木々の間を飛び去って逃げていった。

 僕の手許に残った剣は、明らかに結界の中で機能を発揮して使われる魔装だった。つまりはこの場の結界の持ち主のものであり、結界の外へ持ち出しても意味がない。

「持ち出すよりも返しに行こう。その際に国術院の派遣生であることもわかってもらおう」

と僕は考えたのだが。


・・・・


 国術院の教育プログラムによれば、もうすぐ定期中間報告の時期だった。本来なら僕たちは二年生の秋から京都を中心に活動し、先ずは京都から徳島県三好市山城町の大渡峯へ進むはずだった。しかし、漁船に助けられたとはいえ、此処は忘れられた辺境の天草であり、長い間の沙汰無しは遭難と扱われていても仕方がない。

 僕らは、そんなことを考えながら、崎津の海岸を歩いていた。海からは潮風が吹いている。もう、初夏なのだろうか。


 四月の頃、身重になってきた西姫は時々不安そうな顔をしていた。それでも五月も下旬になると、だんだんと大きくなるお腹をさすって、嬉しそうな顔をする。

「ねぇ、あんたに似た子供かしらね? 娘? 息子? どちらが良いかしら」

「どっちだって、可愛い我が子さ。でも、娘がいいかなあ」

「じゃあ、なんと言う名前にするの?」

絶姫たえひめとか?」

「随分古臭い名前ね」

「そうか?」

 二人は、時々此処に来て、海岸の潮騒を聴きながら他愛の無い会話を続けては、帰路につくのだった。こんな穏やかな西姫は初めてだった。柔らかな笑みは僕が傍にいるためかもしれないが。

 しかし、僕にとっては国術院の派遣教育プログラムの履行と僕ら二人が帯びている使命と戒律が、逃げられない現実だった。このままではどんな罰を受けるか。僕はともかく、この母子は守りたかった。なんとかしなければ。

 西姫を連れて徳島県三好市山城町の大渡峯へ向かうべきか? しかし、嘔吐の激しい西姫を崎津から動かすことはできなかった。


「僕だけでも、国術院の使命を果たしに行こうと思うのだが」

 西姫はしばらく黙って僕の顔を見つめていた。

「こうしていても、国術院の使命戒律からは逃げ出すことはできない。それでは僕ら一家が無事で一緒に居られる保証はない。でも、国術院の使命を僕らなりにはたしていれば、受け入れてもらえる」

 西姫は黙っていた。

「私たち逃げきれないわよね」

 西姫は逃げることを考えていたのだろうか。しかし、辺境の天草とはいえ、此処も帝国の結界の中である限り、二人のことが露見することは火を見るより明らかだった。

「僕らは二人とも霊剣操の操者だ。だから、国術院にとっては捨て置けない人材なんだよ。助けもするし、どこまでも追いかけもするだろうよ」

「そうね」

 西姫はしばらく考えていた。彼女は目を瞑り、顔を伏せた。僕は、ただ西姫を抱きしめて、彼女の言葉を待つことしか出来なかった。


 五月の下旬、僕は国術院から預かった財産を全て西姫に託した。これだけあれば、五、六年は此処で暮らしていけるほどのものだった。僕は意を決して身重の西姫を初夏の崎津におき、後ろ髪を引れる思いで一人で発った。


・・・・


 僕は、阿久根から阿蘇を経由することにした。大分の佐賀関港から豊後水道を渡って四国の愛媛県三崎港へと向かうことになる。ただし、無一文では列車に乗るわけにもいかず、南阿蘇の外輪山の周囲の県道をひたすら東へ向かった。

五月はまた夜が寒い。阿蘇では既に雪はなかったが、東へ行くほど越える山は険しく、渡る谷は深い。林道となった山道に期待した宿はなく、しばらく行くと完全な暗闇になった。

 そこは僕の知らぬ神邇による結界が強く感じられた。神域の中であることに安堵しながら、大枝の間に一晩留まるための寝床を作り上げた。木々の上には、空の星灯がかすかに渦動結界の赤に染まって辺りを照らしている。大枝から見渡すと、周囲には黒々とした低木林の山々が広がるのみだった。


 寝入ってからどのくらい経ったのだろうか。神楽独特の響きが聞こえたような気がした。ふと頭上の高い枝の上にぼんやりと、結界の赤に微かに染まった星灯の中に、朱鷺色の袴に白の合わせを着込んだ巫女が立っていた。彼女の右手には冷たく光る抜き身の剣。しかも、それは国術院でよく使われる表裏刃の直剣だった。


・・・・・


 逃げた娘の剣は、魔装。明らかに結界の中で機能を発揮して使われるものだった。つまりはこの場の結界の持ち主のものであり、結界の外へ持ち出しても意味がない。

「持ち出すよりも返しに行こう。その際に国術院の派遣生であることもわかってもらおう」

と考えた。


 夜は更けて星明かりにおぼろげに、先ほどの女とは別の人間が眼下の道を行くのが見えた。とても珍しい片刃の青く光るシャムシールを帯びて、先ほどの女が逃げていった方向に向かって行く。悪い予感がした。距離を置いて足跡を追いながら進むと、脇から突然に息吹と呼ばれる濃い気の動きとともにシャムシールが振り下ろされた。とっさに左のブロードソードで受け止め、後ろに立ち退いた。


「私を何故付けてくるのか?」

 彫りの深い顔立ちはペルシャ人だった。僕は左手にブロードソードを構えながら霊剣操を唱えた。詠唱もそこそこのところに、ふたたびシャムシールが振り下ろされた。

「刃先に吹き颪の息吹を伴っているから、あなたは鬼没旅団のエージェントでしょうね。でも………それにしては不完全ですね。太刀筋を通し切っていない」

「なにを言うか!」

 僕はその時になってようやく右手にサーベルを持ち、双剣の構えを取ることができた。 それと同時に霊剣操を唱えつつ攻撃に転じた。剣撃と互いの激しい呼吸を響かせ、僕はペルシャ人を圧倒しつつ追い込んだ。

「あなたはどこの誰か? 名のってもらおうか」

「俺は……、ジャラール・アルアラビーという。お前の言う通り鬼没旅団のエージェントだ」

「何故この地に来たのか?」

「知れたことを。ここには俺のターゲット、倶利伽羅不動の神域があるからさ」

 その時、僕は後ろに殺気を感じて左横へ飛び、態勢を整えなおした。同時にジャラールも木の上へと飛び去った。

「うぬら、我が敵ぞ」

 先ほどの女の声と共に、電磁銃の弾頭がジャラールへ向けられている。

 ジャラールは微動だにしない。

「倶利伽羅不動よ。俺は鬼没旅団の渦動没滅師ジャラール・アルアラビー。失礼ながら、この神域すなわち結界を没滅させてもらう」

「うぬはやはり我が敵。エージェントめ」

「ほほう、エージェントとな。そもそもこの世の寂光秩序の上に、粘着をもたらす陰陽道の渦つまり太一が汚染をもたらしているから、それを取り除きに来たのだ……。お前たちの結界について言えば、サゥヴァが創った渦動結界Tablacus(タブラカス)の源すなわちお前達の帝国内に渦巻く陰陽道の太一は、輪廻転生という秩序をもたらすように見えるが、それによる渦動結界の実態は多重渦動による粘着世界、傲慢と混沌の結界に過ぎない。さらに、お前達の陰陽道の背後にいるサゥヴァ、つまり大魔アザゼルの化身が、遂には物質の物理的多重渦動をもって帝国内外に破壊と殺戮までも為している。既に看過して良い時期は過ぎ、今はサゥヴァへの裁きの時だ」


「サゥヴァ? 誰か?」

「お前の名は倶利伽羅不動。サゥヴァの一族とお見受けする。そこでお前を破り、神域を没滅せん」


 倶利伽羅姫は怪訝な顔をした。

「わしは倶利伽羅姫ぞ。この地を統べる者の娘なるぞ。しかし、サゥヴァなどというものは知らぬ」

 倶利伽羅姫にとって馴染みのない名前であれば、僕が知っているわけはなかった。しかし、ジャラールは指摘した。

「サゥヴァとは商伽羅のこと。知らぬというか。言い逃れじゃな。いずれにしろ、この神域すなわち渦動結界を没滅させてもらう」

「やらすべからず」

 倶利伽羅姫は弾頭を連射した。しかし、ジャラールはその発射よりも早く飛び上がり、背後を取っていた。シャムシールが彼女に振り下ろされた時、予測していた僕は彼女の背中側に立ち、その刀を双剣で受け止めて弾き飛ばした。ジャラールは少しばかり驚き、うしろに飛び退いた。

「今はそちらの勝利としておかん。いつか必ず切り裂いて進ぜん」

 ジャラールはその声と共に気配を消した。

「さて、と」

 倶利伽羅姫は僕の背中に銃口を突きつけた。


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