表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/31

波斯の向こうへ

 風が木々の枝の間を吹き抜ける。どのくらい眠っていたのだろうか。近くを流れる小川のせせらぎの音で目が覚めた。たぶん、六峰老人のいた道場の一角に寝かされているのだろう。

「父上」

 治療後のせいか、動けない。声が出ない。僕は擦れ声のままで近くにいるであろう絶姫に語り掛けた。

「無理して『父』などと言わなくていいよ。父をできているとは思えないし…」

「でも、私が生まれてロザリオを送ったのでしょう。それを私は持っています」

「そう、妻のことを考えた時、確かに生まれた娘のことをも考え続け、想い続けたさ。でも、父親として何をしてきただろうか。家族に別れを告げて現実には二十五年。つかまっていたとはいえ、その間何もしてあげられなかった。そして君は一六歳なのに、僕はまだ一九歳程度。何をしてあげればいいのかもわからない。だから、命を賭して、せめて君を逃げさせようと思ったのに」

「簡単に親の役目を終わらせないで・・・・。私は、このロザリオと手紙に染み付いた貴方の匂いだけで父親を想い続けてきたわ。あなたの匂いよ。そして、今、目の前に生きているのだから、私に現実の父親を示し続けてよ」

「そうか」

 僕は、けがのまま身動きできなかった。けがのせいだけでない。何を娘のためにやってやれるのか分からず、身動きができなかった。


 ヒンドゥーの死の山の夏は終わろうとしていた。けがからの回復には三か月、剣捌きの回復にはさらに三か月を要していた。その時に、僕は絶姫の見よう見まねで霊刀操を独学した。一刀撃破。一刀息吹、一刀裂破・・・。

 六峰老人にまだ訊ねたいこともあった。霊刀操を学ぶにつれて、僕の中にある元の僕たらしめている何かが僕の外見までも変化させてしまう。それは絶姫には見られない現象。帝国に囚われる前の元の僕の姿、輝いて居た頃への変化…。霊刀操によって輪廻を超越して初めの愛を取り戻すという意味・・・・。それらのことに、霊刀操の言葉「空刀と真刀」「聖なる霊動ずるところに、光を生じ一気発動し闇に勝て万物を生ず」「万物一源の光に帰する」という言葉が関係しているように思えた。

 今は峠がすでに雪で閉ざされ、春を待つしかなかった。


・・・・・


 ケンジャニスタン峠からビアクトラ王国の首府へ戻る道は、なぜか長く感じた。進めども進めども、黄色と茶色の岩と山ばかり。植物も見えない。僕たちは、乾ききった大地をずっと歩き続けていた。

 この日は、道に迷ったのか、朝から何度も同じところを通過している。渦動結界は感じられなかった。それでも何者かが僕たちの行く手を阻んでいるとしか思えなかった。

「僕たち、何度もここを通過しているよね」

「気の迷いがあるから、道に迷いが生じたのでしょうか」

「気の迷い? 僕たちにか…」

 迷いがあるのは確かだった。立派な父親ならば、子供に指針を示せるのだろう。しかし、僕は霊刀操を知ったものの、絶姫に解きほぐしをできるほどにその意味するところを理解しているわけではない。絶姫は霊刀操について僕以上のことを知っているし、すでに六峰老人は僕たちの目の前から消え去っている。どうやら、僕たちは迷いながら真実を探す必要がありそうだった。

「迷いがあるが、それでも目的に揺らぎがあってはいけない。つまり、霊刀操の意味するところを必ず探り当てる決意。これを持ち続けなければ」

 ようやく、父親のような言葉を口にすることができたと思った。ただし、絶姫はその言葉を聞いて何も答えなかった。というのも、目の前に煬帝国東方の神邇、義和が現れたからだった。


「誰だ・・・。おお、貴女は渤海で私とジャクランから逃げ出した神邇じゃないの?」

 絶姫の嘲笑に義和が大声で応える。

「そうだ、絶姫。あの時は相手がお前たちの筆頭だったからね、逃げるしかなかったのさ。今はお前はジャクランから離れて一人、やっとお前を追い詰めることができた。渤海での恨みを晴らさせてもらおう」

「ここで、結界を張るのかしらね」

「だからどうしたのさ」

「さあ、私の秘密を知るときは、あなたがこの世に存在できなくなるときよ」

 この時、義和は絶姫の後ろにいた僕に気づき、怒りの声を上げた。

「そこにいるのは、東瀛の宇喜多秀明ね。裏切り者め」

 僕は無言のまま義和ぎわを見つめた。この神邇はあまりに怒りに身を任せている。そのすきをついて、僕は帝国のアサシン相手の戦いのためのポイントを、絶姫に知らせた。

「絶姫、神邇が来たということは、アサシンが複数来ることを意味する」

「どうすればいいの?」

「彼らはチームで動くんだ。僕たちも二人力を合わせる必要がある」

 そうしているうちに、袁崇燿えんたかあきやアーチャラー・ボースらアサシンが駆け上ってきた。今張られた渦動結界を背景に、僕たちに戦いを挑むつもりなのだろう。

「さあて、絶姫。お前はジャクランとともに帝国の神邇達を追い立て、滅してきた憎むべき帝国の敵。そして、秀明。まだ生きていたか」

「アーチャラー、彼からは絶姫の親族のにおいがするわ」

「秀明が、絶姫の親族だと?」

「指令書によれば彼を救い出すことになっているけれど、秀明は絶姫と同様に敵となり下がったわ。いまや、帝国のもといたる霊剣操すなわち帝国の生殺与奪を支配する霊剣操を操する者が敵に二人もいる。この二人を生かしておいては、帝国が危ないということよ」

 袁崇燿えんたかあきはまだ僕に問いかけてくる。

「秀明。なぜ帝国を裏切るのだ?」

 僕はただ、目の前の絶姫を守りたいと思うだけだった。

「僕は、娘の絶姫を守るだけだ」

「なに? 絶姫が? その工作員がお前の娘だと?」

 絶姫は彼らの戸惑いの隙をついて、霊剣操を操した。絶姫は、彼らや僕の戸惑いには注意を払うこともなく、淡々と短く冷たい一声だった。


・・・・


 そのあとも僕が動く気がないのを知ってか、絶姫は一人で義和を粉砕してしまった。結界が消え、アサシンたちは有効に戦えない。以前彼らとまみえた時、僕は一人で袁崇燿えんたかあきやアーチャラー・ボースら三人を相手にした。

「秀明…。俺たち三人のアサシンを相手に勝てるのかな」

「今は娘が一緒にいる」

 彼らは焦りながらも絶姫と僕とをにらみつけている。僕は彼らにゆっくりと言い聞かせた。

「僕は、先輩や君たちと戦いたくない。僕は、ただ娘を守りたいだけだから。今は、退いてくれ」

 アーチャラー・ボースは叫んだ。

「絶姫は敵だ。絶姫を守るとお前はいうが、も一度繰り返す。それは俺たちにそして帝国に敵為すことだぞ」

 袁崇燿えんたかあきは苦しそうに言い放った。

「秀明。そして、絶姫。お前たちは帝国の基となる業を受け継ぎながら、帝国を裏切りつづけるのか」

僕は、戦おうとする絶姫を抑えながら、彼らに言った。

「今は退いてくれ」

 林康煕がアーチャラーたちに抑えられながら、叫んだ。

「秀明、お前を許さん」

 退いていく彼らの中で、彼だけがそう叫び続けていた。


 その後、あきらめきれない林康煕は山の中で何度も襲撃を試みてきた。そのたびに、僕たち二人は息を合わせることを学び取った。僕たちの息の合った反撃を受けるようになって、林康煕はやっとあきらめたようだった。


・・・・・・・


 ビアクトラ王国の首府に出ると、その街では多くのキャラバンが行き交っていた。その中に、再びハルムーシュ・アルアラビーの姿を見出すことができた。

「おお、兄弟。戻ってきたのか」

 ハルムーシュは陽気に僕たちに呼びかけてくれた。僕は経験豊かそうに見える彼に疑問をぶつけてみた。ハルムーシュはしばらく考え込みながら、ゆっくり返事を返してきた。

「その答えは、波斯を超え、さらに西の大海を見下ろす地の丘にあるわれらの巡礼地へ行く必要があるな。その地に行けば、あるいは『聖霊動ずるところに、光を生じ一気発動し闇に勝て万物を生ず』ということが何かを知ることができるだろうよ」

「なぜ、お前はそんなことを知っているのかね」

 僕は驚きながら彼に質問した。

「俺が何かを知っているかなどとは言えない。それは傲慢だ。ただ、俺の兄ジャラールが教えてくれたことから考えると、お前たちの言っていることは啓典の教えだ。だから、巡礼地へ行けといったのさ。そこで目にすること耳にすることすべてが答えになるだろうよ」

「ジャラール・アルアラビー・・・」

 聞いたことのある名前だった。

「なあ、ハルムーシュ。君の兄さんは、工作員エージェントなのか」

「ああ、そうだ。俺たち家族は、故郷のマザーンダラーンからマシュハドへ移り住んだ。兄がマシュハドで啓典の教えとともに渦動没滅の技を学ぶためだった。彼は工作員となって直後、今から二十年前かなあ、マシュハドから東の海に浮かぶ東瀛へ派遣されたことがあると聞いたことがある。俺たちが育ったマザーンダラーンには森と稲作の文化があり、その時の兄は若いながら森林と田園における身の処し方もわかっていたからなのだろう」

「僕は・・・彼と会ったことがある。東瀛で・・・」

 僕は意識的に、ジャラールと戦ったことには触れなかった。

「兄弟、お前は幼く見えるが・・・・。二十年前だぞ・・・。どんな状況で会えたのかわからんが、それは導きだ。それなら俺が、波斯のマシュハド、そしてわが故郷マザーンダラーンへ連れて行ってやるよ。ジャラールが喜ぶ。彼が巡礼の地へ喜んで案内してくれるだろうよ」


・・・・・


 波斯のマシュハド。そこでは、煬帝国のアサシンに対する警備が厳しかった。煬帝国人の僕と絶姫は厳しい入国審査を受けている。啓展の教えの中心であったマシュハドは、煬帝国との戦いの前線でもあった。マシュハドからは啓典の教えのもとで鬼没旅団のエージェントが育てられ、戦いに赴いている。ハルムーシュの兄ジャラールは、その老練な導師イマームとなっていた。

 長く厳しい取り調べの後、ハルムーシュに案内されてようやくたどり着いたハルムーシュの実家は、マシュハドのトゥース ハロニイェマンション近くの市場に面していた。

「待っていたよ」

 驚いたことに、ジャラールが僕たちを迎えてくれた。乾ききった夏の夜、実家の玄関には明かりが煌々と灯されていた。

「驚いたね。ハルムーシュが君たちを連れてくるとは」

「僕も驚いた。戦いの相手であった君が、こうして僕たちを迎えてくれるとは」

「これは導きさ。啓典の教えには、何事にも時があり、導きがあるとされている」

「そうなのか・・・・」

 聞くところでは、導師のジャラールが入国審査で僕たちの身元保証人になってくれたらしい。そうでなければ解放されることはなかったという。・・・不安だったものの、確かに助けもある。おもうに、僕らはあまりに無知だった。少なくとも、僕はおろかだった。そう認識せざるを得なかった。それほどまでに心細く、未来が見えない夜だった。


・・・・・


 深夜、トゥースの街の暗闇に溶け込む複数の人影がこの家に迫っていた。それも皆波斯人ではない。

「マシュハドに、煬帝国のアサシンたちが潜入した。ここへ来るのは時間の問題だ」

ジャラールが僕たちの客室まで来て、そう告げた。

「警備のものたちが少し騒がしくなると思う。でも心配ない。客人の君たちは俺が守る」

 外で、大声がきこえた。同時に始まった爆裂音。既に剣の打撃音、摩擦音が激しい。次第に屋内にまで侵入する者たち。僕たちの客室に飛び込んできたのは、インド人、アーチャラー・ボースだった。

「秀明、お前と絶姫はここでおしまいだ」

アーチャラーはウルミを連続的に繰り出してきた。これを受けとめたのは絶姫。その姿は、母親そっくりだった。絶姫はアーチャラーを圧倒し、彼が怯んだ隙に僕たちは部屋から逃げ出した。

「秀明、絶姫。逃げよう。このままでは危ない」

ジャラールがいう。どこへ逃げろというのだろうか。星明りの中、僕は絶姫の手を握りながら、懸命にジャラールの後を追いながら暗闇を逃げた。最終的に逃げ込んだのは、鉄道の線路側だった。


「仲間から今教えられたことだが、煬帝国軍がバンダレ・アッバースィーに上陸し、一気に波斯国内に攻めこんできている。工作員たちの報告では、お前たち二人がこちらに来たことを帝国が知ったから、ということだ。だが・・・・それにしては大規模だ。君たちはそれほど重要な情報を持っているのか?」

「多分、僕たちが知ろうとしていることが、帝国の命とりなのかもしれない」

「なんだ、それは」

「僕の学んだ霊剣操、霊刀操、そして僕がいかにして帝国に取り込まれたかを、僕たちは探っているのだが、それが帝国の成り立ちと存亡に関係しているのだろう」

「帝国の危機感のゆえだろうが、彼らは我々の知らない新しい戦術を使っている。結界を移動させながらアサシンと陸上部隊の大軍が攻めてきているんだ。今の俺たち旅団に、この戦術に対抗する力はない。この地域にいては危ない。住民たちも西方へ避難し始めている。君たちも、このままさらに西へ行ったほうがいいだろう」


 僕らは逃げるしかなかった。僕らはそれぞれが細身の刀だけを帯びて、ジャラール、ハルムーシュとともに西方へ逃れた。着の身着のままの避難民だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ