獅駝洞の中で
西姫とハルマンは追い込まれるように、洞の結界の中へ走り込んだ。ここなら、霊剣操によってまだジャクランに対抗できる。西姫はそう考えた。
「私が食い止める。あんたは奥へ行って結界の渦動を守って」
背後からジャクランの声が聞こえてきた。
「いざ」
「お相手致す」
西姫は霊剣操を諳んじ始める。それを見たジャクランは颪の大剣を振り上げ、洞内の渦動を吹き下ろす気の流れで粉砕しはじめた。その時、西姫の手に洞内から飛んできた二つの大剣が収まり、そのままジャクランへ打撃が与えられた。ジャクランは大剣で応戦せざるを得なかった。激しい打撃音と摩擦音。二人は剣戟の中で、相手が相当のやり手であることを見た。一瞬の隙。手傷を負った西姫は瞬時にクビルへと変化し、直剣を両手で構え、ジャクランへ反撃した。ジャクランは不意の変幻と両手剣の攻撃に耐えられず、転がりながらやり過ごすのが精一杯。そこに絶姫が飛び込んだ。絶姫は、渦動結界がまだ消えていないことを体で感じ、反射的に霊剣操を唱えた。
西姫の前に現れたあらたな敵。彼女は西姫と同様に霊剣操を自在にこなした。西姫は、ジャクランの連れとみられる目の前の若い娘が、霊剣操をこなしていることが信じられなかった。
「お前は誰だ」
「私はジャクランの弟子、絶姫。参る」
西姫はその名に驚き、相手の打撃に一瞬遅れ、左腕から剣を叩き落とされた。左手に深手の傷を負った西姫は変化を解き、人間の姿になりながら洞の奥へと消えていった。
「悔しいが多勢に無勢。ハルマン、ここは逃げるしかない」
二人はやっとのところで洞窟を抜け出すことができた。
「あれは絶姫なのか・・・」
西姫は混乱したまま逃げるしかなく、それをジャクランは追っていった。
………………………
僕は今まで、獅駝嶺の上に形成されたような巨大な吹き颪を見たことがなかった。僕は通常の吹き颪は何回となく見たことがある。何度か対峙した渦動没滅師ジャラール・アルアラビーの吹き颪は、シャムシールから発する小さなものだった。それだけでも、すでにいくつかの地域で渦動結界が散らされている。
目の前の吹き颪はたぶん颪の大剣によるものに違いなかった。その持ち主はジャクランだ。それにもかかわらず、まだ洞内の結界は維持されている。たぶん、ジャクランが獅駝洞の中に入り込んでいるものの、颪の大剣を起動しきってはいないに違いなかった。そして、その中には先行している西姫とハルマンがいるはずだった。
「饕餮が危ない。西姫とハルマンも危うい。相手はジャクランとその連れだ」
僕が獅駝洞の入り口に着いた頃には、すでに結界は消えつつあった。洞の中にも饕餮、西姫、ハルマンの気配はおろか、追手のジャクランの気配も感じられなかった。その代わりに、一人の若い娘がいた。霊剣操を静かに唱え続けている。その声から彼女を西姫かとも思ったが、それにしては若すぎた。結界が消えかかっている場に残る者。それは明らかに帝国のアサシンではなかった。
僕は警戒しながらその娘に声をかけた。その娘は、ゆっくりと僕のほうを向いた。
「あなたは誰ですか。何しに来たのですか」
「僕は、通りすがりの物好きな旅人さ。この獅駝嶺の上に大きな気の乱れを感じたので、のぞきに来たというところだ」
絶姫は、この「気の乱れ」という言葉で目の前の僕を警戒し、名乗るまいと考えた。
「あなたには関係のないことです」
やけにつんけんした女だと感じた。その娘に対して、相手にしてほしいような、どうせ相手にされないだろうという思いが浮かんだ。
「こんなところに、若い娘が一人でいるのが心配でね」
「そんなことはあなたに関係ないでしょ」
「いや、僕にも幼い娘がいてね。まだ会ったことがないんだが…。他人ごとではないのさ」
「余計なお世話よ。ほっといて」
「確かにそうだが…。でも、勝手に心配をさせてもらうよ」
「うるさいなあ。こっちはいろいろ考え事で忙しいの。邪魔しないでくれますか」
普通なら僕みたいな無視されるのが落ちなのだが、この娘は一応応答してくれる。食事ぐらい付き合ってくれそうだ。僕はまさか敵のひとり、しかも自分の娘だとはわからずに、食事に誘おうと思っていた。
「考え事は済んだのかい」
「まだいたんですか」
「なあ、あんた、一人なんだろ」
「いいえ、連れがいます」
「その人はどこにいるのさ。帰ってこないじゃないか」
「うるさいわね。こっちはあんたに付き合う気はないからね。もうどっかに行っちまいなよ」
「帰ってくる人を待っていなけりゃならないんでしょ。それなら、少しぐらい話しをしたっていいんじゃないの…。もしかして、彼氏なの?」
「いいえ、尊敬する師匠です」
「師匠? オジサンなのかい」
「し、失礼な。若い娘と見たら口説こうとしているあんたなんかより、ずっと立派な人です」
「僕が君を口説いている? まあ、そう取られても仕方ないか。君は僕の愛している人によく似ているから、声をかけたのさ。まるで他人の空似だ。君は…」
ここで、僕は問いかけを止めた。なぜなら、不用意に知人の名、しかも妻の名を出してしまうと、素性の知れない相手にこちらの身分がばれてしまうからだった。
「あら、どうしたの。私に聞きたいことがあるんでしょ?」
絶姫は、攻守ところを変えたかのような態度を示し始めた。ある意味で、こちらに食いついたというところかと、その時の僕はしめたと思った。しかし、それは、何らかの形でジャクランが戻ってくる知らせが絶姫にもたらされ、それに合わせて僕を立ち去らせずに罠にはめようとする考えからのことだった。
そんななり取りをしている間に、ジャクランは戻って来ていた。
「お、お前はジャクラン!」
「そうだ、そういうお前はだれだ。オンゼナ?」
「えっ。オンゼナ?」
目の前の娘が戸惑いの声を上げている。僕はジャクランに誤解されている間に逃げだすべきだと考え、攻撃に転じた。既に結界が失せはじめていたこの時に戦うのは、不利だった。




