空間のはざまにて 六峰の古文書と絶姫の秘められた力
「そうだ。絶姫は帝国の礎たる者とそれ以前の力たる者との結晶だからだ。」
突然、低い大きな疑似静音がジャクランと絶姫の頭の中に響いた。まるで周りの空間を大きく揺らすような大音響。
慌てたジャクランと絶姫は周りを見渡した。誰もいない。また周囲は少しも揺らされていない。響いているものは声ではなかった。
「二人とも、その道を進み、目の前の家にきてくれるか。」
絶姫とジャクランは道を進んだ。それでもまた元の道に戻ってしまう。それを何回も繰り返した。
「目の前に家があるのに、その家に近づくことができません。」
「そうか。それなら家に駆け寄って近づけばよいではないか。」
「それができないと申し上げているのですが。」
「やはりだめか・・・。そこの空間がそう出来ているのだ。これを作ったのは、帝国の業。帝国の渦動結界の応用、結界断層だ。それを破らぬ限り、お二人は私と物理的に接することはできないぞ。」
「それなら、渦動結界を没滅するのと同じ技を使います。」
「それでは、おそらく私の周りを壊すことではなく私をさらに閉じ込めることになる。巨大な稼働によって形成された断層の渦と、そちらの渦動結界の渦とのあいだの粘性によって維持されている今の状態を剥離させてしまっては、もう私とあなたたちとを接続するなにものも無くなってしまうだろう。」
「師匠、私が霊剣操を用いましょう。そして、そちら様はそちらから何らかの働きかけをしてください。そうすれば、相働いて見せかけの粘性が消えるか薄くなる可能性があるでしょう。」
「なぜそれがわかる?。」
「なんとなく感じるのです。」
こうして、二つの詠唱が両側から働いたのだろう。空間にゆがみが見え、揺らいだ向こうからやってくる老人が見えた。
「よく来たのう。」
「ここは細かく断層で隔てられた結界空間の集合体ですね。広く見えても、目標へ行くことができない場所。」
「そうだ、ここでは時間の流れはないか、もしくは非常に遅い。」
この老人は、いろいろなことを知っているらしい。
「霊剣操と此方からの働きかけでもやはり断層は破壊出来ていない。それでも断層は操者と私との間で歪ませることができているから、私の近くで私をみることはできる。ついてきなさい。」
招き入れられた家は、道場と衣食住の場所とが隣り合った構造だった。
「道場が珍しいかね。」
「いいえ、幼い時に一連の武道を母から学んだ時、このような場所があると、母から教えられました。」
「ほほう、武道かね。剣術とかかね。」
「はい。そういえば、この道場にある剣…細い剣がありますね。珍しい片刃の剣。これは見たことがありません。」
「これは、刀と言って片刃の剣だ。これには…。この謎はあなたにはまだ早いかな。」
「刀剣に関するなぞかけですか。それなら一度お手合わせをしていただけますか。物理的に接触が無理でも、剣同士の撃ち合いを観察すれば、どのような扱いをするかぐらいは悟れます。まずは刀がどのようなものか知りたいと存じます。」
絶姫は老人を試したいらしい。
「そうかね。そこまで言うのであれば、お相手いたそう。」
絶姫は腰の大剣を抜いた。これに対して、老人は細身の撓う片刃の剣を取った。道場の真ん中で、絶姫はゆっくりと大剣を構えた。老人は、絶姫の前にゆっくり屈み、片刃の細身の剣を鞘に収めたまま左後ろに控えさせ、左膝をついだ姿勢で低く構えている。二人のいる空間の間に歪みがあるせいか、老人の動きは緩慢だ。しかも低く構えた身には守るすべが無いように見える。絶姫は見たことのない構え。しかし隙はない。
絶姫は霊剣操を唱え始めた。それを聞いた老人は眉をひそめた。その瞬間、絶姫はジャクランの吹き颪の剣が飛んでくるのを手にして、二剣の構えとしつつ嵐のように二剣の連撃を激しく打ち込んだ。ところが打ち込んだところに老人はおらず、一瞬早く絶姫の左横の髪の近くの断層が薄くなるのを感じた。もし、二人の間に断層がなければ、髪はさっと切られていただろう。
「この場では霊剣操が働くのじゃな。ならば、私が唱えた言葉も力を得ているのよのう。」
老人の唱えている言葉は、霊剣操と似ていた。しかし、それは似て非なるものだった。先ほどまで自由に扱えた二つの剣は、急に重くなって振り回すことができなくなった。
「な、何をしたのですか。」
「霊剣操といわれるものの、対極の言葉を唱えたのじゃ。対極ゆえ、時を止め、渦を消すばかりでなく、ある刃を形成するのじゃ。」
「対極の言葉…?。刃を形成する?」
「いわば、見えぬ刃でそなたの二つの剣を押さえつけたのじゃがのう。まだあなたにはわからんよ。あなたにはまだ無理じゃ。受け入れるのも活用するのも。」
「どうしたら…?。」
「あんたはいずれはできるようになる。ただし、一度、刀の扱いを味会わなければ、刀の本当の姿を知らねばわかるまいて。」
「どういうことなのか、さっぱりわかりません。」
「よく聞きなさいよ。剣は、争いをもたらし、死をもたらし、混乱をもたらした。力をもたらし、それが力と力のぶつかり合いを起こし、帝国をもたらした。帝国は「煬方薬」と称してあんたのような少年少女たちに太極の素を服用させて体内に太極を形成させたアサシンを育てた。また、帝国は太極と呼ばれるデバイスを作り上げた。それら太極によって帝国を維持するために結界が作られ、人々の苦しみは繰り返されることになった。それは、ある者がこの世界を支配するために作り上げたからくり。そのからくりこそ、霊剣操だ。そして霊剣操を操するものは帝国の礎たる者の力を得ている者。こう言って、今理解できるかね。」
ジャクランはうなづきながらも首を傾げている。絶姫に至っては、さっぱりわからない様子だった。ただ、絶姫は帝国の礎という言葉で母を思い出し、父を思い出していた。
「帝国の礎たる者とは国術院の教えを体得し霊剣を操することのできる者、という意味だと考えています」
絶姫はそう答えた。
「そうじゃの。お前の母、西姫は、国術院に入学する前から霊剣を操することが出来ていた。なぜじゃと思うか? 彼女は幼い時にすでに濃い「煬方薬」を服用していからのう。だから、西姫は国術院に入学した時から尋常でない能力を発揮していたのじゃ。そして、彼女の産んだ娘のお前には、生まれたばかりの体内にすでに太極が形成されており、それを熟知していた母西姫はお前に霊剣操を教えてくれたのじゃ」
「それは、なんとなく感じています」
「それだけの理解では、今は無理じゃな」
「とりあえずそれはどんな名前なのですか。」
老人は、道場の祭壇から一つの羊皮のようなものを持ち出した。
「ここに、その書かれたものがある。読んでみるかい。」
断層の歪みのせいか、六峰の持つ文字が滲んで見えるものの、「霊刀操」と書かれた一つの文が読み取れた。その時、絶姫は体の奥に震えのようなものを感じた。
「ほう、体の奥に何を感じたのだね?」
「そうですけど。この震えが何なのか、まだ私にはわかりません」
「まあ良い。それはお前の父の影響じゃよ! お前の父は母と同じように幼い時に服用したものがある。太極を体内に形成する「煬方薬」ではない。それとは別種のもの、「アラベスク」と呼ばれた結晶の粉末じゃった。お前はその娘であるゆえに、アラベスクを父から大量に受け継ぎ、それらはお前の体内に濃く蓄積されているはずじゃ。つまり、太極の形成されている場所と同じ場所に、アラベスクと呼ばれる結晶も濃く蓄積されているのじゃよ」
「それはどういうことなのでしょうか?」
「まだわからんかのう。私が周囲に知られぬように働きかけたのじゃ。私が誰かということや、私の側の存在がどのようなものであるかがわからなければ、これらの働きかけの意味は分からぬじゃろうな。だから、今は無理といったのだ。」
………………………
西姫は、ジャクラン達の行方を探し回っていた。彼女にとってジャクランは愛娘をさらった敵であり、愛娘の行方を知っているはずの情報源だった。西姫に酷似している連れの女も気になっていた。
ハルマンは言った。
「あの女は、私のことを見知っていた。私は西姫、あんただと思ったのだが、違ったんだよね。彼女は私ときっと渡り合ったことがあるに違いないんだ。敵、鬼没旅団の中に私と渡り合った女はいないはずなんだが……。」
「色々詮索しても仕方ない。ジャクランを見つけ出し、その女と共に滅してやる。そして必ず絶姫を救い出す。」
西姫は強くそう決意した。




