阿蘇の逗留宿
「なぜそのような」
丸薬のようなものを飲まされ、僕は縛られて動けぬままだった。
「その方がいい。詫びとして娘の倶利伽羅姫に世話をさせるゆえ、万が一、倶利伽羅姫に手を出されては困るからの。許せよ」
倶利伽羅不動はそう言ってどこかへ出かけてしまった。しばらく経つと、倶利伽羅姫が膳を持ってきた。不承不承僕を持て成すとのことだった。
「父上の言いつけだからやるけど」
「僕は動けないままだから。もてなしなんかより、逃してほしい」
「それはダメ。昨日の罪滅ぼしとか、妻の代わりを為せとか言われたけど。やらないと私が叱られる」
「そうか…」
「でも、近づきたくないから、私の発明した倶利伽羅人形にやらせます」
「なんだよ。それ」
姫の自室から出てきたのは、人型ロボットだった。
「私、絡繰のカチャと申します。この度は遠路はるばる御運びいただき、誠にありがたく、恐悦至極でございまする。まずは一献……」
「僕は未成年だから、お酒は飲めない……」
「え、子供がいると聞いたから、大人だと思っていたのに」
倶利伽羅姫が驚いたように答えた。
「それなら、あなたの分も飲んであげるよ。あなたには、熊本の井戸水を使った柑橘水をあげよう。カチャ、始めてちょうだい」
僕は相変わらず縛られたまま。会話はできたものの、くつろぎもできず、せいぜい仰向けやうつ伏せになれる程度の自由しかなかった。
夜のもてなしは特にひどかった。
「カチャ、この人の分のお酒も私によこしなさいよ」
「あのー、倶利伽羅姫、二人分も飲むの?」
「いいえ、朝と昼のあなたの分だから、合わせて四人分ね」
「そんなに呑むの?」
「残すと父上がうるさいから……。酔い過ぎるのが怖いけどね」
僕へのもてなしは専らカチャに任されていた。倶利伽羅姫は独り言をつぶやきながら、食事をすすめている。酒を呑むピッチが早過ぎる、と思った時には、倶利伽羅姫はほとんどを飲み干している。余り良いことではないと忠告しようとしたが、もう遅かった。彼女は泣上戸だった。
「ふん、何さ。この社域でイキイキしているのは、あなただけじゃないわ」
この言葉は泣き始めの序章だった。
「どうせ私は不出来の娘さ」
「不器用だって、言いたいんでしょ」
僕は最初のうち慰めの言葉を掛けていた。止む気配のない泣き言はまだまだ続いた。そのうちに姫は眠り込み、カチャは黙々と僕への配膳と給仕を続けていた。
「もうたくさんです。縛られながら食事をさせられるのは。おかげで身体中が疲れて痛い」
この給仕は、毎日続けられた。目が覚めては食事をとらされ、寝る前にはまた食事。それだけならよいが、毎晩倶利伽羅姫の酒に付き合わされることには、閉口した。これはいくらなんでも妻の代わりのもてなしではない。彼女が都合よく解釈した罪滅ぼしなのだろうか。いや、拷問に近かった。
まるで何日もこの苦しみは続いた。耐えられないほどではなかったのだが、二十日ほどたった時、つい僕は泣き言を言った。カチャはそれを聞き、漸く動作を止めてしまった。
この日の夜、長く寝込んでいた倶利伽羅姫は、それを見て新たな指示を口にした。
「次に、彼をケア室にお連れして」
「なんだよ。ケア室って?」
「もう匂うから、清潔にして疲れを取るところよ。ケチャ、あなたの番よ」
新たなからくり人形がやってきた。防水型のロボットといった方がわかりやすいかもしれない。
「これは随分前に私が作った作品よ。何人ものお客を世話してくれているわ」
ケチャと呼ばれたロボットは僕をひょいと抱えてケア室と呼ばれる別室へ運んでいった。
「もうたくさんだよ」
「先ほど疲れたということをケチャもお聞きしているから、もう一連の工程は止められません」
姫は面白がっていた。
最初は髪切り、頭髪洗い、髭剃り。服を脱がせて上半身を洗いつつ、服を洗濯し始めている。次に足洗い下半身洗い……。
「やめてくれ」
と訴えたものの洗浄工程は終わらなかった。
「うう、全部見られた……」
「気にしないで。子供みたいにちっちゃかったわ」
「おのれ………」
これでは終わらなかった。肩から始まったマッサージは全身へ及んだ。流石に下半身から股関節へと移る時に、僕は懸命に訴えた。
「やめてくれ」
ケチャが質問してきた。
「なぜですか」
「僕は、もう老人だから機能していないんだ」
「了解です」
そう応答して、やっと止まってくれた。
「感謝するよ。ありがとう」
「感謝? 感謝モードを開始します。初めてのケースです。丁寧がいいですか、おざなりがいいですか」
と答えてきた。
「念のため、丁寧にお願いするよ。でも、どういうこと?」
倶利伽羅姫も首をひねっている。
「感謝とは同じことをそっくりお返しすることです。では」
ケチャは、ここでいきなり倶利伽羅姫を釣り上げ、後ろ手に縛り上げてしまった。
「私はいいノォ」
「感謝モード。返礼を丁寧に執行します」
「思い出した。これって……。いやだ。やめなさい」
「感謝モードです。釣り合うまでやめられません」
長い髪は切られ、オールバックに。上半身洗いが始まったところで、ぼくは逃げようと自分を縛り上げる縄を緩めることに集中した。悲鳴は、何度も聞いた。そんな言葉を聞いても、固く縛られている僕が彼女を助けられるはずはなかった。
「全部見られた……」
一連の洗浄工程が終わった後で、オールバックにされた姫は嘆息した。
「僕は見てないから……」
そういうのが精一杯だった。だが……。
次はマッサージだった。肩から始まり、僕が受けた内容と同じだった。
「そこはやめて」
「なぜでしょうか」
「不感症だから。やっても無駄なの!」
「了解です」
ケチャはそういって部屋から出て行った。この工程を僕は老人だからと言って切り抜けた。そのことを姫は覚えていた。
「私はババア扱いして欲しくないからね」
そう言って僕を笑った。ちょうどその時僕は縄を緩めることができた。
「そうですか。それは知恵があるんですね」
「あ、こら、逃げるな」
「僕はこれでおさらばします」
こう言って僕はケア室を後にした。ケア室を出ると、ケチャが逃げ出す僕とすれ違った。その手には何やら道具を持っている。先端が微振動している肩こり治療器か、何かだった。出口を探しあぐねていると、奥の彼女の縛り付けられているケア室ではケチャの姫の声が聞こえた。
「あっ、待ちなさいよ」
この言葉は僕に向けられた言葉なのだろうか。それとは関係なくケチャの声が聞こえてきた。
「治療を開始します」
「私は不感症だからそんなのは無駄なの!」
「了解しました。念入りに治療します」
悲鳴が続く中、僕は懸命に出口を探した。二時間かけてやっと出口を見つけたころ、機械特有のオーバーヒートした焦げた匂いとともに、悲鳴も漸く止んだようだった。その部屋をのぞき見る勇気は、僕にはなかった。そのまま僕は闇夜に姿をくらまして、四国へ向かった。




