8・ヲタ人生に於いてあり得ない出来事
月曜日の昼下がり。俺は電車に乗って都心部へ向かっていた。新しい仕事が入ったのである。昨日の買い物の際に出くわした白昼の児童猥褻事件の後に帰宅したのちヤレヤレとPCをスリープから起こしたら、例の品川マップを制作していた会社から別の依頼メールが入っていたのだ。そこで昨日夜に送っておいたほぼほぼ完成間近の品川マップの修正内容の伝達と併せて詳しい打ち合わせをしたいと言うのだ。
仕事に飢えかけていた俺にとっては朗報な筈だが、正直警戒心がそれを紙一重上回っている。何故ならその依頼内容からしてそれを呼び起こすような『気』を感じたからだ。俺の長くこの仕事を続けてきている中で培った『感』だ。
そして今回は、ソレとは別にもう一つ野暮用がある。またしても友人B邸へ向かうことになっていた。その要件はもう既知のとおり例のアレだ。打ち合わせが終わってからで良いというので、ヤツの家を訪問するのは夕方、若干早目になるだろうか。だがそこでも謎が一つ。奴は『飯を食わずに来い』という条件を課していたのだ。
クライアントのいつもの小会議室・打ち合わせコーナーの一角に約束の時間丁度に到着すると、これまたいつもどおりに力士ではない方の担当者がノートPCを指で叩いていた。彼は俺の到着に気づくとPCのモニターから目を離す事なく、俺にマァ座れと指示した。そしてチョッと待ってくれというのでチマっと座って待っていると、やがて力士風の担当者もやってきた。今回の新しい案件は実はこの力士の方から依頼されたものだ。
やっとヤセ型担当者がノートPCを閉じると、傍らから例の品川マップをプリントアウトした用紙を取り出し、その中に赤い文字で書かれている内容を説明しだす。ここまで来てもまだ修正は際限なく出てくるものだが、その内容は全然大したことはなかった。それは安心できる部分だ。たったそれだけの内容を伝え明日午後に仕上げてくれという依頼に、この内容ならば可能であることを伝えた。確認が取れれば校了になる旨も付け足された。ようやく手が離れることとなる。
そしてこの件に関する話が終了すると次の話が始まった。新規依頼の仕事の内容だ。
モノはA4チラシの表裏。内容はとある服飾メーカーの新製品告知と既存製品の紹介カタログだ。このチラシは通販で製品注文した顧客へ送付する荷物の中に同梱するものらしい。だがその対象商品とは、冬用の裏起毛素材のインナーだ。見た目に下着っぽくも見えるが‥‥
俺は次の話に展開する前に率直な疑問を力士にぶつける。服飾メーカーの仕事とは今まで関わったことがない新しい顧客だ。すると力士はいつもの愛用のタオル地の大判ハンカチで汗を拭きながら、実はとある知人筋からの依頼だと言った。もう何年も前にその会社の宣伝部から別の部所に移ってからご無沙汰だったのが、辞令でひょっこり戻ってきて付き合いが再開したのだという。
前置きも経緯を長々と紹介されやっと本題に入った。サスガに以前取り扱った経験が呼び起こされたのか、要領を得た説明とはいえ何だかヤケに寄り道しながら進んでいく。
その時、俺は説明を聞きながらふとあの『友人Aのファン』の顔が浮かんだ。それも女児の下着にまつわる専門的な話を、嬉しそうに語っていた時のあの顔だ。何だかその幸せの絶頂を勝ち取ったかのような笑顔、俺はハッと我に返りその笑顔をかき消すと説明に耳を傾け直した。
そんな訳で打ち合わせは1時間半程度を要した。こう言っちゃ難だが力士型担当の話は実に長い。1つの説明に3つ位の尾ヒレや余談がセットになるからだ。せいぜい30分で終わりそうな内容なのだが。ヤセ型担当者も両手を顔の前に組んで〝碇ゲンドウ〟宜しく暫く付き合っていたが、そのうち次の用があると先に席を立った。
だがこれからの俺の予定を鑑みると、今回に限ってはむしろソレが幸いだった。友人Bとの約束の時間をいい按配に潰すことができたのだ。俺は秋葉原には程近い神田岩本町から目黒区方面へと向かう。
◇
飯を食わずに来い、のココロが全く予想がつかなかった俺は山手線車内で腹を鳴らしていた。走行音と乗客の談笑などでかき消されてはいるが正直腹減った。当然空腹を抱えて来ることを命じた以上、責任問題として腹いっぱい食わせる義務を要求する気満々である。
やがてようやく友人B邸のある東急電鉄の駅を出て徒歩でヤツの家に向かう。その道すがらスマホでこれから向かう旨を伝えると、タダ飯を予測して居ても立っても居られず早々と出かけてきたのだろうと茶化すので、俺はクライアントの打ち合わせの帰りの足だと事実を伝えた。てか前もって俺のスケジュールは伝えていてヤツも認識してたではないか。
だがヤツの電話での発言を鑑みるに、やはり何かご馳走してくれるような口ぶりだった。勿論俺の勝手な憶測であるが、思い返せばついこの間からもハーゲンダッツのアイスに始まり色々食わせてもらってばかりだった様に思え、さっきの勢いは失せて俺はなんだか急にしおらしくなってしまう。この後何が待ち受けてるのか予想はできないが、まぁ良くしてもらったことの礼だけはシッカリ伝えることと心に決めた。
友人Bの自宅にたどり着くと、ヤツは自宅ガレージとは別の、と言ってもすぐ隣りの月極駐車場なのだが、そこに停めた自分の愛車ベンツのリアゲートを開けて何やらゴソゴソとかき回している。俺は母屋へ向かっていた足をそちらに向けて声をかけた。すると友人Bは早かったな、まぁ手伝えと、何だかセリフ間違ってないか?と思うようなことを言って、俺を自宅の方に招く。
そして自宅玄関で中に入らず待つように言いつけ自分だけが中に入ると、やがて段ボール箱2個を抱えて出てきてコレを車まで運べと命じた。俺は空きっ腹を抱えていた上に予想外に労働を強いられ、シッカリ礼を述べる決心が薄らぐ。そして段ボール箱を持って車までたどり着くと、俺の後を追うように友人Bも箱を1つ持ってやってきた。
再び車のリアゲートを開けて中に入れるよう促すと、その中には先日俺のアパートに持ち込んだあのiMacがまた乗っかってるではないか。俺はすべてを察したが敢えて言わずにおきヤツの口から直接聞くことにした。
この間と同じく、俺の要求に対しヤツは環状7号を走らせながら今回の件について説明を始めた。
まず明日から両親とも在宅することになると言う。理由は夏季休暇、つまりお盆休みに入るのだそうだ。ヤケに長い盆休みだなと思ったがソコはクリニック開業医の余裕というか自由の利く範疇なのだろう。でまぁ、そこで危険な持ち物の避難を始めたと言うのだ。理由はもちろん自宅での薄い本の制作が極めて困難になるからとの事。
だが当然自宅には友人Bの自室もあるであろうし、その中まで家族とはいえ他者が掻き回すワケがないと思うのだが、それを問うとヤツは否定した。否定しながらも家庭の事情で細かい所は察してくれと言うのだが、それに加えて一旦家を出た妹が突然出戻ってきたため、現在家の中の空気が最悪なのだという。要するに何か突発的な事件が起きたらしい。
友人Bはロリ性癖が親バレしてしまい一悶着あった後、ヤツが謝罪しその分野の趣味とは縁を切る条件で親と和解し、そして来月から小児科医として雇われるところまで話がまとまっているのは、先日ヤツの口から聞いた事情だ。そう言いながらこれが最後とばかりに夏のコミケに向けてセッセと薄い本を描いてるという、まァ親にしてみれば裏切り行為な訳なので話を聞いてる俺としても複雑な気分だが、そこに妹の問題が降って湧いて一触即発の事態を招いてるらしい。という訳で諸共集団疎開に打って出た、という理解で良いとヤツは言った。
というわけで、制作が佳境に入っている友人Bの薄い本制作の進行から完成までを、俺の家でやらせてくれという。また機材を持ち込もうとしていて、いささか難色を示す俺に対し、2泊3日の期限をつけて、まずは色んな前祝い(詳細不明だが)を兼ねて焼き肉に招待するというのだった。
◇
薄い本の制作場を俺が提供する代わりに、焼き肉の食い放題でご機嫌を取ろうという友人Bの作戦がまたヤケにベタな庶民風情だなと複雑に思ったが、この間同様に環七を北上するルートとの関係性に俺は疑問を呈したら、ヤツの答えはまさしく俗世の極みな回答だった。要するに友人Bの生活圏にあるその筋の店は高額な割に諸々の事情がそれに吊り合わないという、俺にしてみれば金持ちの口から出たセリフには思えなかったものだ。
だがそれに加えて極めて奇妙なオプション話が付いてきた。これから向かう店が、なんと先日初対面した『友人Aのファン』を自称していた人物の親戚が経営する焼肉店なのだという。どういう経緯でそんな店に辿り着いたのか、今日はイロイロと「?」マークが多い一日だ。もっともその疑問の答えは簡単な話で、先日の飲み会の席でたまたまそういう話が出たに過ぎなかったのを、今回のこのような事情に対して有り難く活用させていただいたという話だ。
とは言え、その目的の店は埼玉県さいたま市某所にあると言いこれから小一時間はかかるというので、俺は空きっ腹が騒ぎ出すのを抑えるため助手席にて寝かせてもらう事にした。
やがて俺は目的地に着いたことを知らされて目を覚ますと、45度に傾けた背もたれを戻しつつ周囲を見回す。すると今まさに駐車場に入ったばかりで、1台の車が出庫するところに自車を止めようとしている最中だった。予想外にも街の繁華街からは離れた郊外にチンマリと存在する普通の焼肉屋さんだった。
その割には駐車場の混雑ぶりが印象的だ。こんな街外れの店にこれ程のお客が足を運ぶのには相当訳がありそうな雰囲気を醸している。俺は停止しエンジンを止めたベンツの右側から、隣の車に気を使いながらノソノソと体を外に運んだ。
ふと見ると入口に若干行列ができている。友人Bもそれを見て、予約はしてあるから心配するなと言う。俺はヤツに続いて行列の横をスルスルと通りぬけ、店員にお待ちしていたと挨拶を受けすんなりと通された席は、パーテーションで囲まれた半個室の予約席だった。
友人Bの説明によると、この店は自称友人Aファンの妹夫婦が経営してるらしい。そして出される食材も食肉マニアの夫婦が厳選した、オタク目線の逸品揃いなのだという。そのオタク目線というのがちょっとよく解らないが、一般的にブランド和牛的に持て囃されているその手の食肉ではないとでも言うのだろうか。まぁ今の俺はそんなことどーでもいいレベルで空きっ腹が悪化しており、まるで竹輪のように内部が空洞化している気分を味わっていた。胃が早く何か食えと接っ突いている。
◇
食い放題のお題目通りに、俺は肉を焼いては食い、焼いては食い、時々野菜、時々米飯、そしてまた肉と、一定の流れ作業で空洞の腹にそれら食材をシッカリ整然と詰め込んでいった。友人Bも俺に比べればやや細めの胴体に俺を若干上回るペースで詰め込んでいたが、俺もヤツも食いながら美味い美味いと連賞していた。これがオタク目線の焼き肉ってやつなのか?と一筋の感想では言い尽くせない満足を得ていたのだが、こんな街外れまでお客がやって来る理由に納得しない訳にはいかなかった。
実は友人Bは、友人Aやこの店を紹介したAのファン本人にも声掛けしたらしいが、両者とも都合がつかず二人だけになったらしい。前者は例のアニメの打ち合わせ、後者はコミケ用にコスプレ衣装の仕上げで縫製場に篭っているとの事。そしてヤツはこの後俺のアパートに篭もるわけだ。
食いながらの雑談で友人Bは今後のスケジュールを説明した。まずこの俺のアパート合宿にて薄い本入稿にこじつけ、その後は晴れてiMacの初期化〝出荷状態に戻す〟儀式を執り行うという。そしてそのマシンはそのまま9月から就業するクリニックにて電子カルテの機体にお役転換される。つまりその出荷状態に戻す事が、ヤツの二次元趣味の大きな区切りの儀式となるであろう事が伺える。もっとも趣味としてのソレとキッパリ決別するものではないだろうけど。
そんな話をしていたら、予想外の展開がやって来た。小学生高学年位と思われる少女が、生肉と野菜が乗った大皿を持ってチョコンと横に立った。俺は一瞬呆気にとられてしまうと、友人Bがヤケに低姿勢にへりくだって丁寧にお礼を述べ、その娘から大皿を受け取った。そして彼女がチョコンと頭を下げタタタッと小走りで去ると、ヤツが種明かしする。彼女はここの経営者・友人Aのファンの妹の一人娘、つまり姪っ子なのだという。
それを聞いて俺はへー、と反応するしかないのだが、チョッと印象に残ったことがあった。それはその娘の服が何となくどこかで見たような気がする事だったが、それについては俺が尋ねる間もなく友人Bが自ら解説した。それは友人Aのファンがアニメのキャラクターの衣装をアレンジし実用化したオリジナル制作品らしい。
道理で見たことあるような気がした訳だ。そしてそれは『CCさくら』のソレであると言う出処さえもイメージできるものだった。と言うか、本人やご両親はその辺理解してるんだろうか?
まぁ聞いた話では子供服は1〜2年しか持たないというから出費の上位にもなり得るだろう、それがヤヤもすると無料で入手出来てるとすればラッキーな話だ。もちろんタダではない可能性もあるが、その可愛らしさもさる事ながらどうも俺の勘では友人Aのファンは嬉々として制作し無料提供してるのではないかと偏見を持っていた。
◇
最高級『佐賀牛』なる肉を網に乗せると、もはや美味くない訳がないナンチャラ・フィルハーモニー・オーケストラの演奏の如き焼き音に、俺達はしばし酔いしれる。そして滴る肉汁と脂が勿体無いとばかりにタレに潜らせ口腔へと誘うと、もはや九州北西部に足を向けられなくなる感動を呼び起こされた。もっとも俺の出身はソッチに近い所なのだが、実は佐賀牛なるブランド牛を食った事は当然なく、それに限らず高級食材・牛肉など滅多矢鱈にちゃぶ台の上には乗らなかった。
友人Bは感動のあまり遠慮せず食え食えと勧めるが、寧ろ申し訳ない気分に謙ってしまう庶民の俺。だがヤツは金持ちの家柄だから今更こんな食材にイチイチビビらんだろう。俺がそう言うと、友人Bはお前は何も解っていないと眉間にシワを寄せ腕を組む。金持ちは金持ちの中に悍ましきヒエラルキーが存在し、その限られた枠内のピラミッドの底は近いのだと言う。自分自身はその底辺だとヌカす。イヤイヤイヤご冗談を。。。
無職ニートでベンツを転がすご身分のクセにと思ったが、ヤツは意外な話を始める。ベンツも最低限乗らなければならない車種で、決してニートである事をコミュニティに悟らせない事は言わずもがなだが、そもそも金持ちはどんな成り立ちであろうとも一切の貧乏臭い立ち振舞いを許されないのだと言う。
本来なら焼き肉だって恵比寿界隈や、最低でも品川や横浜などのそれなりの立地で属するのが当然で、埼玉には失礼な物言いで申し訳ないが、本来ならこの辺境の地の街外れのイチ焼肉食い放題での飲食は、チョッとアレな行為なのだ。意地でも見栄を張らねばならない宿命が、上流社会には空気の中の成分として含まれてるというのだ。
まぁ何だか御大層な演説を展開してる風にも見えるんだが、友人Bとは長い付き合いでそんな立場を感じなくなっていたのが実際だ。イロイロ事情があって俺はそれに全く気づく由もなかったが、正直そんなモン解るわけがない。寧ろ俺はそんな上流社会とは縁もゆかりも無い一般庶民であり、その庶民の中でも同じくワリと底辺に近い位置に存在する者だ。
だからこそとは言わないが、この席では庶民の『がめつさ』をフル回転させて頂くつもりでいる。もうこんな大量の肉を食える日は恐らく来ないであろうから、今このヒトトキを満喫させてもらう。可能であればさっきのCCさくら姪っ子さんに再登場をお願いしたくもあったが。
だが、後の話になるが、まさかホントに終焉の時を迎える事態が、運命が、パックリと口を開けて待っていようとはこの時は知る由もなかったのだ。
◇
それにしても、友人Bは何だかいつもより一回り大きく弾けてる様子に見えていたのが不思議だった。前回の秋葉原での飲み会の時は酒の席であった事もあり、それなりに陽気にはしゃいでいたが、今回は当然ながらアルコールは一切出ていない。俺もヤツに遠慮して酒類は控えソフトドリンクを食卓の脇に置いている。それに何というか、コミケ前の薄い本制作の佳境を前に盛大にガスを抜いておこうと言う意図にしては、少々別の何かを勘ぐるというか、要するに何か引っかかっているのだ。
それはともかく、友人Bは何故か注文を一人前づつオーダーしていた。そして飲み物も追加のたびに違う種類を小さいサイズで頼むのだ。
美味い焼肉で賞味三時間以上の時間を飲み食いし、すっかり暗くなった道をベンツを走らせる友人Bにその辺をチョッと正そうと思い呈すると、ヤツはケロッとした顔でこう言い放った。その理由は、CCさくらコスの姪っ子ちゃんをなるべく多く拝む機会が欲しかったからだそうだ。俺はサスガに引いた。自分の事は棚に上げさせて頂くが‥‥
だが実際は、2回に1回の割合でしか姪っ子ちゃんはご登場叶わなかった様だが、これから小児科医として働こうというヤツがこんな有り様でいいのか?と、この時は自分でもビックリするぐらいノンケ一般人のような感覚を持ってヤツに苦言を放った。すると友人Bは今のは冗談だ気にするなと弁解する。イヤその作戦内容自体は冗談じゃない気がするんだが。しかしヤツはお前もチョッと姪っ子ちゃんが気になっていたのではないか?と小突いてくる。
俺は意表を突かれた思いでそれ以上は言うのをやめた。すると友人Bはヘラヘラと笑った後に、ノンケ一般人の平均的な心情のプラグ・インが俺の中に備わっている事を指摘する。そしてその後に、ヤツは俺の中の特別な位置に存在している『真緒ちゃん』に触れた。同時にこうも言った。お前は真緒ちゃんに対して別途機能拡張があるものの、普通に常識人だ、と。
友人Bの言葉がイヤに刺さった。俺は以前、ずぶ濡れの真緒ちゃんを家の風呂に入れたり、真緒ちゃんのパンツや衣服を洗濯しアイロンを掛け丁寧に詰めた事や、一緒に落とした家の鍵を探したり手を引かれた事、そしてホットラインを伝って帰っていく真緒ちゃんの真ん丸なお尻を思い出し、その都度厳しく激しく自戒していたのだ。
それは俺が自分がロリだと認識しているが故のことで『イエス、ロリータ。ノー、タッチ!』を厳守したにすぎない。だが友人Bの言葉は俺の中に迷いに似た疑問を発生させた。そして同時に、これも思い出した。この間友人Aと秋葉原で会ってAがコミケで売る予定になっている薄い本を見て感想を述べた際の、ニヤリと口角を上げた友人Aの表情‥‥
そんな事を思い出して、しばらく無口になっていた俺に対し、友人Bはひょっとして怒ったのかと確認した。俺はそんな事はない、ただよくそんな姑息なことを思いつくものだと関心していただけだと返した。するとヤツはそれなら安心したと言い、そして何かの抑制が解けたのか、思いも寄らない想像を絶するカミングアウトを放つ。
友人Bは、このコミケが終わったら結婚するんだ、と言った。
◇
最近は『フラグ』という言葉が一般社会の生活にもレジスタとして装備されたような気がしている。とりわけ『死亡フラグ』なんてのはソシャゲ等が一般ノンケ社会にも浸透して以来誰もがその意味を理解するに至っている。それ程にも常識化したその言葉が寸分の狂いなくハマるようなセリフを、リアルで直に耳にすることになるとは、俺の人生では予想だに出来ない珍事だった。友人Bは、死ぬのか?
俺は、あまりの発言に少々フリーズしたのち、まずは落ち着けとばかりに先程の焼き肉食べ放題の礼を遅ればせながら丁寧に述べる。そして、詳しく事情を伺おうかと身構えた。するとヤツは勿体ぶったように、コミケが開けたら詳しく話すが今は大雑把な粗筋だけで勘弁してくれという。
その粗筋とは、要するに親の紹介のようだ。しかも漏れなく『娘』が付いてるらしい。それだけ聞いただけで走行中のベンツから転げ落ちそうになるが、俺は落ち着いて、その話は誰がどこまで知っているのかと問うた。友人Bは、赤の他人には俺に対して話したのが最初だと言い、実はヤツの家族ですら知ったのがまさに昨日一昨日の話だという。何なんだそのジェットコースターさながらのトートツ感‥‥
まず確執のあった父親から話が下ったのが数ヶ月前らしい。勿論父親もニート状態のヤツのだらしなさを憂えたのかどうか知らんが、クリニックで医師として働くことを促す、或いはセットだった可能性もある。だがどう言う訳か母親や妹にはその間内緒になっていたらしい。事情は解らん‥‥
で、母親に打ち明けたのが一昨日で、それとは全く無関係に、災難は多重する如くに(イヤ縁談話は災難じゃなかろうが)妹が問題を背負って出戻ったという。今友人Bの家庭内は蜂の巣を突いた様な紛争状態だという。俺は後部座席の少なくない荷物を振り返って見て、なんだか色々納得してしまった。俺はとりあえず言うべきであろう、オメデトウゴザイマスの祝辞を述べた。
だがそもそも根本的な問題がある。何故〝ドラ〟息子の結婚話という家族にとって最重要なネタを寸前まで隠していたのか。そりゃ当然特に理由なく何となくそうした筈は万分の一も存在しないのは明らかだが、寧ろ逆に何か相当込み入った事情があったとしか思えない。俺はその辺を訊いて良いのかどうか解らなかったため、不自然な程に口を開くのを自粛していた。ともあれヤツは数日間俺の部屋にお宝諸共疎開してくる訳だから、焼き肉食い放題で充分補填された件ではあるが、それを口実に少しずつ聞き出してやろうかとも思ったが、プライベートのデリケートな部分でもあるしサスガに根を掘り葉を掘る様なマネは失礼かとも思ったしで、勝手に独りで悩みだす。
そんな俺の不自然な素行を察知したのか、友人Bは疑問な点は追々開示すると言った。俺は無理しなくても良い旨返すが、ヤツは血筋は争えない的な前置きをした上で妹の方もワリと修羅場な状況で、友人B本人・妹、そして父親の3人の騒動(父親と友人Bはポイントは違うが共通なので1・5?)を一手に積み上げられたヤツの『母親』がストレス最大値に達しているらしい。サスガにソレは気の毒だし充分お察し申し上げた。イヤだが俺のココロはソコではなく、友人B本人の一身上の事なんだがな‥‥
◇
そんなこんなで豪勢で豪快な焼き肉食い放題のオプションが予想外にすっ飛んだ事件簿だったせいで、俺は申し訳ないが焼き肉の内容が脳内記憶から殆ど吹き飛んでしまった。そのため当初の大満足感にシッカリ浸る間もなく、この真夏の夜に乾いた風を受けるようなスッカラカンの気分で、前回と同じコインパーキングに停めたベンツの中のダンボール箱荷物2個を抱えて、自宅アパートの階段を上がっていた。
俺は部屋の鍵をズボンの右尻のポケットに入れていて、その時持っていた荷物がさほど重くなかったので、南斗水鳥拳のように右足を上げて水平になった膝と左手で荷物のバランスを取りながら空いた右手で鍵を取り出そうとした。だが鍵は俺の右手をすり抜け、伸び縮みするスプールの紐を伸ばしながら床面に落下してしまった。
やれやれ、横着をすると大概こうして面倒が倍返しになって降り掛かってくる、俺の人生のシステムはこの物語の冒頭に紹介した通りだ。俺は観念して一旦荷物を置こうともう一度両手で抱え、そのまま腰を曲げようとした瞬間だ。俺の右横を通過する影が見えた。俺ははっとしてその影を追うと、そこに真緒ちゃんの姿を発見した。
俺は今日何度目か解らなくなった驚きに襲われ、危うく荷物から手を離しそうになってしまう。真緒ちゃんは俺が落とした鍵を拾い上げ、代わりに開けてあげると言い俺の部屋の玄関の鍵穴に差し込もうとした。だがスプールの紐が伸び切って届かないため、俺は飼い主に引っ張られる散歩中の老犬の様に、モタモタヨロヨロと腰を目的の方向へと移動させる。
かくしてドアの鍵が開き、真緒ちゃんが開け放ってくれた入り口から室内へ、一旦ダンボール箱の荷物を置くと俺は真緒ちゃんに重々礼を述べる。するとその向こうの真緒ちゃんの背後から友人Bが、よぅ数日振り、元気だった?と、まるで俺以上に親しい友人か女友達に声かけするような気さくなノリで挨拶した。つーか何だってコイツはコレ程にいとも簡単に少女に声がかけられるんだろうか。俺にとっては七不思議の筆頭レベルの不思議な現象を目の当たりにしていた。