5・オタクにおける趣向、マンガ・アニメと美術・芸術
小学校上級学年の女子、つまりはJSと言うカテゴリーに属する少女達が十数人まとめて一斉に馬乗りになって来られた日には、大の大人でもサスガに脱出は容易ではなかろう、力士やプロレスラー等でもない限り。そしてその彼女らが何故か全員全裸だとする。
腕や足や腹や顔、少女布団さながらに覆いかぶさられ身動きが取れない。そこに少女達のリーダー格の高飛車な少女・ナントカズダーのヴィニナントカ様風の少女が顔は隠しておきながらソレ以外は全裸の仁王立ちで演説する。大昔そう言うマンガがあった様な記憶はあるがソレとは異なりコチラは少女、アッチは完全なる成人女性だからアッチは合法である。勿論そう言う問題ではないのは承知している。
彼女曰わく、我ら魔族は勇者に仲間をことごとく退治され命からがらここまで逃げおうせたが、このままでは我ら魔族は勇者率いる討伐軍に根絶やされ滅びてしまう。今この隙に我らが種族を残し増やすがため、コイツの〝種〟を一匹残らず奪い取れ。その物言いは少女らしからぬ堂々とした風格を携えたものだった。
だがチートと揶揄されながらも百戦錬磨の凄腕で敵を殲滅、難攻不落の城を落としラスボスにも勝利したゲームの中の勇者英雄・某氏も、このようなシチュエーションに於かれてはどうしたものか想像すら難い。お得意のイキリも発揮できる筈もなく、結局はなすがままのされるがままに、いささかならず無様な様相を晒してしまうという。
俺はそんな二次元エロにおけるありきたりで且つすさまじ過ぎる光景を、スーパーの牛乳1リットルパック98円の棚の前でぼんやりと妄想してしまい、邪魔だ退けとばかりに不意におばちゃんのショルダーチャージを食らってハッと我に返った。その妄想の光景はつまりは友人Bが仕上げてドヤ気に俺に披露した、同人作品の盛り上がり絶頂に相当するA4見開き(A3横位置)サイズのカラーイラスト画像のソレだ。サスガのキ○ト君も数十人の全裸JSに乗っかられては為す術なかろう。原作者には申し訳ないが、ゲスい好き者同士の趣味の暴走であるからしてココは謹んでお詫び申し上げる所存だ‥‥
だがその彼女らJS、何というか色んなアニメ作品からの友情出演宜しく寄せ集まった、背格好もキャラテイストもマチマチな、まさしく醜い欲望の坩堝に頭を突っ込んでみたかのような悍ましいビジュアルであった。リーダー格のJSは先程のズヴィナントカと言う組織のボスの少女ナントカエイラ。その配下には、将棋が凄まじく強いあの娘やバスケが巧いあの娘や楽器が巧いあの娘、東京から田舎に引っ越したあの娘も。そう言えば千島列島の先住民族の守護神がモチーフのあの娘は、ちょうど彼の顔面をムチムチのお尻と太腿の下敷きにして正座姿勢をしていた‥‥ てかもう度が過ぎる虚しさを感じるのでこの辺でやめておく。
そんなアホい素行は程々に、俺はその日の夕食の買い物をさっさと済ませ帰路につく。今夜はそんな変態野郎の分まで夕食をセッティングしなければならないが、素材費用についてはヤツが全額工面するというので貧乏な俺はその目先の金欲に負けたと揶揄される身である。そしてこの後ちょっとした事案が勃発する。
◇
日が落ちても湿気が多く蒸し暑い中をボテボテ歩いて自宅アパートに帰り着く。一番手前の部屋はいつもどおり真っ暗だが、結城さん宅は今日もデスクスタンドの電気と思しき小さな薄明かりが1つ点灯しているのみだ。今日も真緒ちゃんは孤独な夜を過ごす事になる様子だ。夕食とかどうしてるのか。とは言えこちとら何も出来やしないんだが。
いつもは無人の自宅なだけに、ただいまと云う挨拶をしながら玄関を入るのはどれ位ぶりだろうか。友人Bも律儀におかえりと挨拶を返してくれる。俺は買ってきた食材を一旦冷蔵庫に仕舞うと、代わりにハーゲンダッツバニラを一つ出す。まずは体を気分だけでも冷却する意図だ。そして数分かからずカップを空にすると蟻がたからないように水で洗ってから燃えるゴミの袋に放り込む。その直後だった、友人Bが妙な質問を浴びせた。
友人Bは、この部屋には〝座敷童〟が居るのか?と言う。俺はナントカクロコップ張りに、オマエは何を言っているんだ?と突っ込んでやろうとした次の瞬間、ヤツの言ってる事に心当たりを覚えた。
真緒ちゃんだ。あのホットラインから真緒ちゃんがまた訪ねてきたのではないだろうか? だがヤツは座敷童と言った。て事はハッキリと真緒ちゃんを目撃した訳ではないと思われる。何故なら座敷童とは言わずと知れた妖怪の名で、この状況でその名詞を使用した理由は子供っぽい未確認生命体を見た様な気がする、という曖昧な根拠が読み取れる。実際に彼女を見たのなら少女がバルコニーに居た、訪ねてきたと事実を開示するであろう。恐らく真緒ちゃんはさっき見たく窓越しに部屋をのぞいたら俺以外の人物の姿を見つけ、慌てて身を隠したのだろう。その気配を友人Bは察した、こんなトコではないかと推理した。
友人Bの質問に俺はすっ惚ける、当然だ。だがヤツはもう一つ重大なツッコミを浴びせてきた。その内容に俺はまるで弾薬庫が被弾したかのような大惨事で、全身から油っぽい冷や汗が吹き出す程に動揺した。ヤツはヨックモックの袋を示し、コレは何だと尋問してきたのだった。
◇
さて何と言い訳をすれば良いのだろうか。買った、拾った、そんな低レベルの言い訳が通用する余地など幼稚園児以下どころかソレこそ猫の額すらもない。かと言ってかの名探偵明智小五郎を生み出した江戸川乱歩やら、同じく金田一耕助の横溝正史やらの頭脳明晰な創作家を唸らせる大義名分が、この短時間に構築されることなど俺の仕方もない脳スペックから繰り出すことなど、明日の俺に彼女が出来ること以上にあり得ない訳だ。ならば何が最良か、どうすべきかなんて決まっている。
俺は渋々先週末からの経緯をダイジェストで友人Bに開示した。するとヤツは耳に入った水が出てきたかのような腑に落ちた表情とともに、先日からの俺の奇妙な言動に納得がいった様子だった。そして先程の座敷童の正体を知るに至り真緒ちゃんに興味を示した様子で、甚だ不本意な方に空気が流れ出す。コレだから当該一連の事態を秘密にしておきたかったのだが諸々手遅れである。案の定身体的特徴を訊いてきたり実にけしからん話題にスイッチしようとするので、俺は具体的な証言には一切黙秘を決め込んだ。
そして友人Bは俺自身が重々承知している件を改めて宣う。このブツは一刻も早く返却すべきだと、放置が過ぎると今後災いをもたらすであろうと予言した。ソレが巧く行ってればソレは既にソコにはないんだがね。俺自身の不徳と運とタイミングの悪さが渾然一体となった結果がこのザマなのだ。
友人Bは念のためだと重々前置きしておいて、俺に真緒ちゃんに妙なアプローチを仕掛けたりしていないか、あまつさえ手を出したりしてないかを確認したが、俺は念の為に声を大にする代わりに(古いアパートだから)ハッキリシッカリと完全否定した。勿論ソレはヤツも重々承知していると重ねて言いつつも一つ苦言を呈する。
濡れ猫な真緒ちゃんをこの部屋に上げたと言うのは抜かった、非常にマズイ事実であると、小次郎敗れたりの口調で一喝した。俺はソレを聞いて、先日目にした例の掲示板のカキコと併せて大失敗であったことを重く突き付けられた訳だ。しかしならば、あの時俺はどうすればよかったのか。真緒ちゃんが風邪を引いても良いというのか。そんな素朴な疑問を友人Bに突き出すとアッサリ論破された。警察を呼ぶべきであったと。
俺はグウの音も出なくなり代わりに腹がグウの音を出してくれたので、夕食の準備をすると言って台所に立った。まず米を研いでいると、友人Bはその背後でやっちまった事は仕方ないから今後の対策としては、妙な視線を向けられないよう充分注意するしかないとアドバイスする。今のところ結城さん母娘には如何わしい印象は持たれてはいないので、今後は徹底してオタクであること、間違ってもロリヲタだとバレないよう厳重な注意を怠らないよう肝に銘じる事となった。解っちゃいるがそれに一層念入りにとのお達しだ。
◇
俺と友人Bは膝をつけ合わせて飯を食う。天丼である。スーパーのお惣菜コーナーで適当に揚げ物をチョイスし、天つゆの素が小袋で売っているのでソレをチョイス、台所で浅く引いた熱した油にちょっとだけ入れて、温める目的で揚げ直して丼に盛った飯の上に乗せて天つゆかけて出来上がりだ。丼が俺用のしかないので丼はヤツに貸し与え、俺のはカレー皿に盛った飯の上に同じように天ぷらを乗せて『天皿』状態のソレで頂く。
俺の妙な料理を他人が食うのは恐らく初めてである。そんな美味いのか不味いのか解らん料理をバクバクと口に運んでいる友人Bに、この際だから今抱えている当該の懸念事項を打ち明け相談してみようかと考えた。ヤツは実は小児科医として来月から親の経営するクリニックで働くのだと先日打ち明けてくれた。そのような重大な事をこっちから要求するでもなく話してくれた、その信頼に添う意味が何となくあったと自分では思う。
その懸念事項とは今もまさにそうなのだが、お隣の部屋で独り寂しく母親の帰りを待つ真緒ちゃんが何だか気になって仕方ないのだ。だが俺は、二次元に限定するとは言え(勿論知っている間柄の仲間内で)自他共に認める〝ロリヲタ〟である。その心配性がいつこの領域の感情と相互干渉してしまわないか気が気ではないのだ。もしそうなってしまった時こそ取り返しの付かない事を仕出かさないか非常に悩んでおり、冒頭で糾弾した小学校教員や警察官らのソレと同じ下衆クズに成り下がってしまいそうで自信がない旨の件である。
だが俺はその内容を正直に打ち明ける自信がまだなかった。そのことを話そうと開いた口は、今後お隣さんとは関わらない方が良いであろうと言う至極大雑把でありきたりな確認事項として話したため、ヤツはソレこそ一般的な雛形文、その通りだという返事をする以上のことはしなかった。この話題はココで終了した。
食事が終わっても集中力が持続しているうちになるべく先まで描きあげたいと言う友人Bは、休む間もなく作業を再開する。ヤツは集中するとソレこそ自分の世界に没頭する。
そして友人Bは絵が巧い。下書きを描きスキャンして清書する、というやり方ではなくいきなりタブレット上に細かく描き始める。しかも細部まで拘ってディテールを追求するのでいい仕上がりを見せるが、当然時間がかかる。今日一日では2ページ程度を仕上げるのが関の山だろう。当然今夜はヤツを泊めることとなる訳だ。ヤツは幼少女の人物のみを丹念に描写し、俺はそこにドーデモイイ背景画を適当に描き足していく。そんな分業体制で夜2時位まで作業を続け、俺の方は明日出かける用事があるため先に寝た。
それにしてもヤツの絵は毎度徹底して幼少女が大の大人を攻めまくる構図で、そのドMな性癖の軸線が知り合った当時からピクリともブレないのには同じヘンタイ仲間として感服する。
来週半ばには入稿しないとならないため、ココからは更に〝マキ〟をかけて急ピッチで仕上げると鼻息を荒げていた。何せ今回のコミケ出品が自身最後のソレになるであろうと予告もしていたし。勿論その理由は明白で小児科医としての立場上こう云うのとは完全なる決別を余儀なくされた事は容易く想像できた。
◇
ハッと目を覚ますと時計は午前9時半を示している。しまった寝過ごしたと思ってロフトベッドから降りると、友人Bの姿が見えない。どこに行ったのか、ひょっとして帰ったのかと一瞬思ったがiMacは置いたままだし電源も切られていない。恐らくトイレにでも入ってるのかと思って俺は台所のある部屋への戸を開けると、ほぼ同時に玄関の扉が開きヤツが入ってきた。
俺は朝から何をしているのか訊ねると、近所のコンビニに買い物に行っていたと言う。その携えたコンビニ袋の中には適当に買ってきたと思しきオニギリとパックされた食べ物の何かと、炭酸飲料のペットボトルが数本入っていた。飲み物なら冷蔵庫にお茶がある旨伝えたのだが、貰い飲みばかりで申し訳ないから補充用だと言う。そしてオニギリと飲み物を1本だけ残して残りを冷蔵庫に押し込み、部屋の制作デスクのチャブ台に付いてオニギリを食い始めた。
俺は今日は昼前に出かける用事がある旨伝えると、友人Bは留守番をかって出た。俺は他人が俺のいぬ間に自宅内に居ることがあまり好きではなかったのだがヤツのことは信用していたので、今日の行動スケジュールを伝える。すると友人Bも俺の用事が済んで帰宅する頃には自分の作業も目処を立たせると予想を申し出た。
それにしても今日も暑くなるであろう、午前中から蒸し蒸しと空気が湿り気を帯びてくる。俺は出かける前に風呂に入ろうと浴槽にごくぬるい湯を溜め始めた。入れる量が溜まるまで大体15分程かかるため、待ってる間に俺も何か腹に入れようと冷蔵庫を開けると、買った覚えのないコンビニの冷やし中華が入っている。何だ?と思っていると部屋の向こうから、友人Bがその冷やし中華は俺の朝飯だと解説した。ヤツなりに気を使った様子で律儀だなと思いつつ、俺は風呂の湯が溜まるまでソレを遠慮なく頂いた。てか昨日のアイスといい、寧ろこちらが貰ってばかりな気がする。
ぬるい湯に浸かりながら今日一日の行動をシミュレーションする。仕事で出かける今日の案件は先日のクライアントの指示で品川のお店マップ掲載の取材である。ワリとセレブリティな飲食店ばかりをチョイスしていて、友人Bならともかく俺にとっては異次元極まるそんな空間ばかりを寄せ集めた情報集は、自分で記事を書きマップを描いておきながらおよそプライベートでは用のない代物となろう。今日はその一軒の取材のみで外出は終わりだが、例の懸案事項がある。
田舎生まれ育ちの俺は、盆と正月に必ず実家に帰って母親の仏前で線香を焚く。そのタイミングと言えば知る人は多かろう、これでもコミケやら何やらの自分の用事を抱えてる立場で、帰省期間はお盆はせいぜい3日、暮正月も大晦日の深夜に帰り着いて三が日程ごろごろして過ごす程度だ。だがその間とはいえ親戚との挨拶を除けば地元の過去の知人や顔見知りとバッタリ遭遇、って経験がかつて一度もない。高校の卒アルの写真と今の自分はそれ程大して変化していないので、地元の連中とはもう20年近く会ったことがないが会えばすぐ解るであろう。まァ小さな過疎の町でソイツら俺と同じ様にほぼ都会に出っ張らって誰も残ってはいまいし、そもそも道ですれ違う人すら疎らな地だし。
そのバッタリ偶然に道で知人に出会った経験が思い返しても一人も浮かんでこない、それは今いるここ東京近辺においても同じである。イヤ浮かぶも何もそういう経験がないんだから浮かぶ筈もないわけで‥‥
何が言いたいのか。それはソレ程までに他人との縁が薄く道で知人に邂逅した事すらない俺の目の前に、たった数日前に知り合った、しかも女性(一児の母)が大都会東京のド真ん中で一方的とは言え奇遇にもソレを成したことが甚だ不思議で、奇妙に思えてならないのだ。これがアニメやラノベのソレなら運命ってやつ、はたまたフラグってやつなのだが、まるで仕組まれたように自分の身にそんなご都合が巻き起こること自体が寧ろ薄気味悪いと言うか‥‥
だがソレだけの事由で俺の首から下の好奇心は抑えられよう筈はない。仕事が終わった後に真緒ちゃんママを見かけたあの品川プリンスホテル界隈をうろついてみる気は満々だった。従って友人Bへの俺の今日の予定の伝達の中に、そのうろつくこと自体は当たり前だが公表はせず、その時間を見積もった上で戻る時間を遅めに申告したのである。そして予備の玄関の鍵をヤツに渡して、午前11時前頃に家を出た。
◇
今日は金曜日だ。そして取材先の店には12時半の予定で訪問する事になっている。その約束の時間の20分以上前に品川駅に降り立った。前回同様にモワモワと熱気が篭った駅のホームから改札を抜け、高輪口とは反対側のアトレ品川の方に向かう。そして適当に腰を下ろせる場所を探すのだが、サスガにこの辺にそんな都合良くはなく、せめてこの冷房が効いてる建物の中に留まって体温を下げることにした。
ただでさえオタクで臭そうな風体をしているため、これから向かうお上品な飲食店には凡そ相応しくないのは自覚しているが、それでも少しでもご迷惑をおかけしない程度の存在でありたい。そう思った次第で、多少汗が引いたくらいに涼んだ後、俺はそこから徒歩7分程度で目的地にアポイントの時間5分前に到着した。
対応に出たウエイトレスらしき従業員は、恐らく大学生のバイトで小綺麗な感じのポニテ女子だった。店の入口横の案内待ちスペースの椅子に腰掛け汗を拭き拭き待っていると、店長代理と名乗る、それでもまだ若い感じのパリっとした男性が出てきて応対した。事情も把握していて、一般客とは少し離れた席に通されそこで取材を受けてくれる。ここでも通り一遍等なその内容はせいぜい10分程度で終了。そしてここでも出された850円のアイスコーヒーはご馳走してもらえた。
最後に席を立ち、取材ありがとうございますとお礼を述べて当案件が終了となったが、外は暑いししばらく寛いでいくことを勧められたため、俺はそのお言葉に甘えた。品川の高層ビル群に乱反射された太陽の光とともに強い熱気も渦巻いてそうな外の様子を、ガラス一枚隔てたコチラ側の快適な空間で眺めつつ、世の中にはこんな俺の夕食予算の倍額相当のアイスコーヒーを、日常的に口にする経済層の人間も居る所には居るもんだなと感慨深く思った。俺だって裕福になれるならなりたい。だが何が何でもという深く強い熱意があるわけでもない。恐らくその辺がソッチの世界とコッチの世界のどちらかに振り分けられる基となったのだろう。今更そんなのどうでもいいことだが。
◇
取材先の店を出る直前、その店の中からスマホで本案件の担当者にメールで状況を報告した。その返事を待たず店を後にし、俺は来た道を戻り駅の通路を横切って品プリ方面へ出てくると、高輪口から国道15号第一京浜をまたぎ先日真緒ちゃんママを見かけたあの場所へやって来た。
その時と同じ道を辿りやはり同じ場所にやってくると、当然のようにその時と同じように何かの催しを案内する看板が立っている。今度こそはその内容をシッカリ読んでみたが、そこには
──舞鶴貞徳個展「夏展」・門下生グループ展併催──
そう表記されていた。そしてその横に厚紙に書いた〝本日最終日〟と言う表示がセロテープで貼り付けてある。俺はその作家の名前にハッと心当たりが浮かんだ。
『舞鶴貞徳』とは、確か現代日本画家である。父親が同じく日本画家の「舞鶴偏仁」で、実はこの父親の方がかなり有名人である。前衛的な空想画風から写実細密な画質までマルチに描き分けられる才能に加え、持ち前の陽気でひょうきんな人種から人気者で、結構以前からテレビなどのメディアでも見かけたものだ。そんな著名人の息子ということと、その貞徳本人の持ち味であるチョッと異質な画風で俺たちアキバ系の間で、その名はほんの一時期だけだが活発に耳にした事があったものである。
舞鶴貞徳の画風とは、そのいにしえからの伝統的な日本画の作画の中にアキバ系萌え要素を加えた、一般からすると一風変わった趣の絵を描くものだ。ココ最近のサブカルチャーブーム、クールジャパンとか言う奇妙な施策のソレも後押ししてかにわかに注目されたようだ。俺もその名は耳にしているが自宅にテレビがない事もあり、人物像はほとんど知らない。作品を数枚程度ネットや雑誌などで見たことがある程度だった。
そんな人物の個展がこんな所で開催されていたとは。場所はホテルのロビーの一角?みたいな場所で、完全に壁に囲まれた一室などではない場所だ。芸術家の展示会などには全く興味がなく、出向くイベントはコミケがせいぜいな俺には無縁千万でもある。
次の瞬間、俺は背後から声をかけられびっくりして背骨に電気が走る。驚いて振り返ると、そこにはメガネを掛けた若干モッチリ系の女性が独り立っている。彼女曰く、もし良かったら観ていかないかというお誘いだった。逆ナンなんて事に遭遇する機会は恐らく末代まであり得ない俺のキャラクターだが(てか俺が末代だろうけど)、女性から声をかけられるというソレにほんの僅か微妙に類似する出来事が起きてチョッと舞い上がったのかも知れない。催眠術にかかったかのように俺は二つ返事でその誘いに乗ってしまった。
だが、その展示会場の入口で拝観料1200円という提示を受けた瞬間俺は我に返った。俺はこの期に及んで断る理由を全力で脳内検索する。だがその女性はそんな俺のキョドる様子で察したのかヒソヒソと、最終日で他にお客さん居ないし受付係も今自分だけなのでタダで入れてあげると耳打ちしたのだ。俺はそんな奇妙な提案に一瞬たじろいだが、さっきの取材先のアイスコーヒーではないが進呈して頂けるのであればご遠慮なくと言う気分に変わってしまい、それならばと入口の敷居をまたいでしまった。
◇
俺は最初にその舞鶴貞徳の絵が展示されている一角へと歩を進めた。そこには噂通りの絵がドーンと展示されている。伝統的な日本画で半裸の女性が描かれているが、その構図というかポージングというか、そしてその表情・人物像的なものが評判で聞いたところの〝萌え〟を確かに何となく醸し出している。だが勿論決してマンガ・アニメキャラなどのソレに類するものではないが、じっと見つめてるとそう言う絵・キャラクターとシンクロしてこなくもない不思議な雰囲気の絵画だった。確かにこの絵は俺的には何となく何か来るものがある気がした。何というか、やけにすんなり受け入れてしまう馴染み深さがあるというか、親近感を感じるというか‥‥
さっきの案内してくれた受付女性が、俺の後ろから付いて来てくれて、絵に見入ってしまってる俺にコソコソと話しかけた。彼女はこれらの絵の作者である舞鶴貞徳の本名を知っているか?とにわかに質問してきた。俺はそんなの当然知る筈はなくそう返答すると彼女は少しニヤけて、本名は『佐藤貞夫』だと暴露し、そしてこう続けた。何の変哲もない在り来りなその本名を本人が気にっておらず、父親と同じ舞鶴の姓を貰い名前は〝提督〟と同じ読みで〝貞徳〟としたらしい。本名から一字だけ残すという意味不明なコダワリもワケワカランと言い、ひょっとしてdisってるのか?と勘ぐる。
そして『マイヅル』と『テイトク』と聞いて思い当たるフシはないか?と繰り返した。俺はサスガにその質問にはピンとくるものがあり『艦これ(艦隊これくしょん)』と解答すると、どうやら正解だったらしい、彼女は指を鳴らしてニンマリと笑みを見せた。その表情がまたヤケにヲタ女っぽいというか、そもそも彼女のメガネがマンガ・アニメに描かれがちな『アンダーブロー』という種類の、下からレンズを受ける形のソレだったので、余計にその筋の人という印象を与えていた。もっとも、艦これという単語をごく自然に理解した時点でソレ確定だし、そもそも向こうがソレを期待したわけだが。
2枚目、3枚目の絵を拝観してると受付係の彼女の話が続いた。この絵のモデルは舞鶴貞徳のお気に入りの女性なんだとか。何でもわざわざモデル派遣業者から専属指定までしているらしい。後でグループ展の方で自分の絵も見せてあげると言い、その絵も同じモデルを描いていると軽くネタばらしした。
そう言えばこれらの女性を描いた絵、気のせいなのか何だか既視感のある雰囲気の構図だ。俺はそんな疑問を何気なく彼女に問うとまたしても彼女は、お客さん鋭いねとばかりにニヤニヤと笑みを浮かべる。彼女曰く、これら半裸の女性の絵の殆どは様々なアニメ作品にて描写されたカットやシーンのオマージュなのだ、と解説した。
◇
俺はこの場に来た本来の目的をスッカリ忘れていた。日本画はもとより絵画芸術などに然程関心はなかったものの、こうも芸術が身近に迫った感のある作品を前にしチョッと心動かされたのは否定出来ない。だが俺もこの舞鶴貞徳の作品は一般に目にしたことは無いわけではなかったが、正直ここまでキチンと、しかも原画を正視したことはない。そういう意味では何だか得した気分になれた。
そんなその筋では有名な美術家・日本画家の絵をひと通り堪能した後、その門下生8人のグループ展のコーナへと移った。実はコチラの方はタダで拝観できるのだという。
12人の門下生のうち展示されてるのは8人分と受付係の彼女は解説する。そのいずれも舞鶴貞徳の門下ではなく『舞鶴偏仁』の方だと念押しした。俺的にはどうでも良かったのだが、門下生の絵を観てその道理を理解する。どれもさっきの舞鶴貞徳の趣きとは全く異なる画風が並んでいるのだ。そしてそれらの風景や静物や人物などの絵は俺の趣味的見地にはこれと言って沿うものではなく、それこそ変哲なき一般的な日本画作品の数々だ。
そうは言うものの俺はそれらの絵を一枚一枚立ち止まって見入る。だがその停止時間は明らかに短い。そうして観回っているとふと一枚の絵の前で足に根が生えた。それは先程の舞鶴貞徳の絵と似た雰囲気のオーラを放っている。全裸で上半身を45度ひねってお尻を斜めにコチラに向けた半座姿勢の裸婦の絵。だがその絵には、決定的に不可思議な様子が伺えたのだ。
気が付くと受付係の女性は持ち場に戻って椅子にちんまりと腰掛けてコッチを見ている。俺が一枚の絵に興味を覚えているのを察したのか、その場からその絵は私の作品だと言った。さっきネタバレ気味に言っていた舞鶴貞徳のお気に入りのモデルを描いた絵なのだという。そう、普通に普通の裸婦の絵なのだが絶対的に普通ではないのだ。何故ならこの絵の女性には〝チン○〟が生えている風な形跡があるのだった。
何度か会話し彼女が俺と同類の女オタクと認識したせいなのか、気が付くと俺は躊躇なく彼女にこの絵の真理を問うていた。すると彼女はお客さんお目が高いとばかりに感心した様子で、その絵から〝チン○〟の存在を見抜けるとは大したもんだと手を叩く。そして彼女は続けて自己紹介した。自分は〝フタナリ属性〟のフェティシズム持ちだと。ついでにコソッと補足したのは、決して腐女子ではないそうだ。
個展の展示時間は最終日で午後4時までだという。時計はもうすぐ3時を示すところで俺は小一時間もココに居た事になる。本来の目的が何だったか今となっては薄くなってしまっていたが、思いがけず色んな意味で良い出会いがあったような気がした。
帰りしなに、受付係の女性はパンフレットは有料なのでダイジェスト版のリーフレットを2部手渡ししてくれた。そしてついでに自分の懐から自作お手製の名刺を差し出した。名刺には『サークル鏡餅』『ハンドルネーム・モチモチ』と記載されている。そして次回のコミケにも出品してるので良かったらお立ち寄りくださいと挨拶まで添えてきた。
かくしてモチモチさんは女ヲタ・フタナリ属性ということで俺の脳内に収納された。俺はもちもちさんに深々とお辞儀をしてその場から退出した。
俺は結局先日の真緒ちゃんママ目撃の件では何も収穫が得られなかったが、その代わりにちょっとしたお楽しみを得た気分で、収穫なしでも気分は穏やかだった。そして帰路の途中の電車に揺られつつ仕事の担当者から来ていたメールを確認して承知した旨の返信を送ると、個展で貰ったリーフレットを一部取り出して何となく中面を開いてみた。
その中面を見て俺はハッとなった。そこには先日見かけた真緒ちゃんママと一緒に居た背の高いイケメン男の顔写真が印刷されていた。そう、舞鶴貞徳、本名・佐藤貞夫とはあの男のことだったのである。
登場人物
【舞鶴貞徳】有名な日本画家・舞鶴偏仁の一人息子で、本人も有名な画家。画風にいわゆるオタク萌要素がうっすらと垣間見え、実は才能のなさを萌えでごまかすのが手法。世間では持て囃されるもののオタク界隈からは意外と毛嫌いされている。世界的にも有名な父親が目の上のたんこぶ。かなり闇深い秘密持ち。本名・佐藤貞夫。
【受付係・もちもちサン】上記、舞鶴貞徳の個展で受付をやっていた偏仁の絵の弟子。国家公務員の両親を持つ裕福な家庭の一人娘で、実は舞鶴親子の遠縁。メガネっ娘であまり美人ではないが実はオタク女子で多少コスプレも嗜む〝フタナリ属性〟。とある場所で上記舞鶴貞徳の個展が開催されていたところで偶然に俺と知り合い、その後のコミケで再会してからは比較的距離が縮まった。コミケサークルは『鏡餅』ハンドルネーム『もちもち』さん。ストーリーを考えるのが苦手で、マンガを描くことはなく一枚イラストレーションを寄せ集めた画集をコミケで売っていた。本人曰く、夢はげんしけんの吉武莉華と同じく〝チン○〟を生やす事。