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隠された「吹田事件」  作者: 通りすがりの野良猫
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伊丹基地へ行っちゃうぞ~!

どうなりますやら

あの事件は、日本共産党の指揮下にあった北朝鮮系在日朝鮮人らが、朝鮮戦争二周年の節目に、朝鮮半島に向け運ばれる米軍の物資を輸送する東海道線の吹田操車場等を狙った後方撹乱の工作である。

例え「反戦」や「軍事輸送反対」等もっともらしい美辞麗句で飾ろうとしても、そもそも韓国に侵攻した北朝鮮を支援する作戦であるのは否定できるものではない。

当時、日本はアメリカの占領下にあり、我が国経由の補給物資が韓国に送られなければ、アメリカ中心の国連軍は戦線を維持できなかった。

今の反日大好き韓国ごときは、このとき、日本の間接的関与がなければ、存在しないのである。

この鉄道による補給物資の流れを妨害する行為は、アメリカ軍が北朝鮮領域で行っていた鉄道や操車場への爆撃による、前線への補給阻止と同じ意味合のものである。

彼らのもくろみが成功しても、現実の戦局への影響は少ないが、もし同様の作戦が釜山攻防戦中など米軍の増援部隊が多数必要になり急速な補給が必要な時期に重なっていたら、釜山陥落、には繋がった可能性はある。


これから見ても、吹田事件はソ連や中国の共産党と連携した国内での日本共産党の作戦活動として記憶にとどめるべきだろう。今でこそ、彼らは「武装革命」を看板として出していないが、吹田事件であったような共産党を表に出さない形での「市民」の動員など今でも同様な手法は使われていることも、注意を払うべきであろう。

さて、この吹田事件の影に、人知れず行われた「戦い」がある。

警察予備隊普通科連隊対共産党武装突撃隊の対決である。

世間で言われているところの吹田事件がどうにもしまらない活動だったのは、実は大規模な陽動作戦だったからである。

阪急電車の石橋駅で、終電後に電車を出させて服部駅まで行く集団、と徒歩にて箕面経由で行く集団と分散していくあたりや、統一された「指揮」がなされずいたとの証言など、掲げる目標の割には行き当たりばったりな行動はこの集団行動自体が「囮」であることを示している。

第一、ろくな武器のない群衆が吹田操車場に乱入したとて、操車場の破壊等十分に行えるわけもない。


では本命は何か?

それは「伊丹基地」である。アメリカ空軍の基地を襲撃して損害を与え、米軍に基地防衛の余計な負担を与え、前線への兵力投入を妨げるのが目標であり、失敗しても、本来安全なはずの日本の基地が襲われることは、政治的効果も期待できるのである。

とは言え大規模な戦争をやっている朝鮮半島から有力な部隊を引き抜く訳にいかない。

できるだけ、すでに日本国内の「資源」を活用するべきであった。


そして彼らにとってありがたいことに、その「資源」は伊丹基地の近隣の地区に隠匿されていたのであった。


終戦に際して、他の戦争継続派とは違い、大阪砲兵工廠や技術研究所は後日の再起に向けての技術資料として各種兵器を独断で保管したのであった。

後に発見されたメモによれば、大阪砲兵工廠から大阪府の郊外、池田市の住吉神社そばの小さな倉庫に搬入して隠匿されたのである。

後に触れるように、もともとが正規に部隊に配属した訳でもないため書類上は「なかったこと」にして進駐軍の目を逃れたのである。

そしてアメリカ流に表現すればモスボールされて、いつでも使えるよう防錆油を塗られ、弾薬も密封されて保管されたのである。

この火器類の運搬に当たったトラック運転手が後に、日本共産党に入党したことから、共産党はこの存在を知りそのまま秘匿、維持していたのである。

武装蜂起による政権奪取を表に掲げていた(いまだってわかったもんじゃない)くらいだからこの隠匿兵器を何らかの切り札として活用するタイミングを共産党中央は狙っていたのである。


実は運用中の米軍の空軍基地が共産軍に蹂躙(空襲あるいは地上攻撃とも)された事例はないのである。

時代が下り、ベトナム戦争でもロケット弾や迫撃砲での散発的な攻撃はあっても、基地そのものが機能停止したり蹂躙される例はないのである。

共産党中央はこの隠匿された兵器を活用、伊丹基地に突入、地上施設や航空機を破壊できれば、米軍に一矢報いることになる点を大きく評価したのである。

それも破棄されたはずの日本陸軍の武器を使っての破壊活動は政府に大きな政治的ダメージにもなる。

戦術的に考えても、空軍基地に、本格的な地上攻撃への備えは薄いと思われた。

高射火器にしても事前の偵察で回避することは十分可能であった。(後方の伊丹基地においては基本的に高射砲の対地射撃は考慮外であるし)


大規模な陽動作戦、強力な武器による奇襲は必ずや成功するはずであった。

しかし残念ながら彼らの奇襲そのものの情報はすでに偵知されており、物資を輸送する列車は吹田になく、伊丹基地にも密かに「歓迎委員会」が待機していた。


近隣の伊丹キャンプにいた警察予備隊の第3管区第7普通科連隊第2大隊のうち1個中隊が待ち受けていたのである。

この部隊は米軍基地での「部隊研修」の名目で、伊丹基地に密かに派遣された。

なお、すぐ検挙しなかったのは、これがすべての隠匿兵器と思えなかったためである。

したがって彼らが攻撃を開始する瞬間まで泳がせ、関係者を一網打尽にする計画を立て、地元警察 や米軍と調整したのである。

これに対して共産党中央の軍事委員会直属の「突撃隊」は大胆にも米軍を偽装して浸透しようとした。

突撃隊は放出品の米軍の服装で、武器は隠匿されていた各種火器を装備していたのである。


大陸でさんざん使われたZB26軽機関銃やモーゼル小銃、フィリピンあたりで捕獲されたらしいトンプソン短機関銃、等が装備されていたのである。

また少数であるが、「人民艦隊」と称する舟艇隊により朝鮮半島から密輸されたPPsh短機関銃やデグチャレフ軽機関銃等のソ連製、捕獲された日本製等も含まれていた。さらには、終戦前に、大阪砲兵工廠で研究、実用試験中の各種火器まで装備していたので、意外にも下手な旧軍の歩兵部隊よりは近距離での火力は高いようであった。


残念だったのは、主力となった在日朝鮮人の多くは、まともな訓練を受けないうちに終戦を迎えた者が多かった。また朝鮮戦争の初戦で北の進撃の前に米軍や韓国軍が敗走したのを見て、奇襲に成功したならば、自分たちも米軍を叩き伏せることができると楽観的なイメージを持つ者も多かった。

自分たちの「正義」に酔いしれ、「敵の防衛体制」を過小評価したのと、情報が漏れていたことに気づかないままに当日である。

日没後に、小屋から出されて、伊丹基地へ向かう。

陽動部隊と違い、慎重な前進をしていくはずだったが、なかにいる、党中央から派遣されてきた「軍事委員」にはそれが理解できなかったのである。

「同志、指揮官、なぜこのような、トロ臭い進撃なのですか?

党はアメリカ帝国主義者と日本反動政府の傀儡どもを速やかに伊丹基地から掃討して、朝鮮半島で戦う同志たちを支援するように求めています。今すぐ、突撃することを求めます。

もし、これに従わない場合は,党の軍事委員会に報告、査問にかける用意がありますが?」

目の血走った若造が、ろくに使えもしないピストルを振り回し、グダグタ言うのには周りの数少ない実戦経験者は内心うんざりしていた。

本来はこれらの火器は、戦後の日本再軍備を見据えて、旧陸軍の技術を残すためにリスクを犯して保存したのである。

それを、共産党の非公然組織である軍事委員会の阿呆どもは、ロクな支援もないままで伊丹基地への「突撃」を命じてきたのである。

戦後すぐ共産党に入り込んだ運転手すら、その判断を後悔している始末である。

傍目には、捕獲兵器で武装しているから、見た目は強そうだが、個人個人の弾薬も共通でないくらいの状態だし、戦時中も十分な訓練を受けているとは言えない朝鮮半島から動員された軍属中心だから、訓練程度は知れよう。

訓練不足、弾薬も不足気味にある歩兵1個中隊程度に 何を求めるか?

「やはり、マルクスなんたらの『お勉強』ばかり熱心な『主義者』の集まりには、現場仕事は無理なんだろう」と、指揮官は考えて、最悪の事態を想定して事前の調整をしていたが、それ以上に悪い方向に行きそうである。

さすがに彼らも阪急蛍池方面のメインゲートは避けようと考えたが、なんと先ほどの軍事委員ドノは、正面からの突入を考えていらっしゃる。「我々は偽装しているから堂々とゲートから行ける」そうだ。

でもいきなりゲートに押し込んだら、まず疑うのが普通だ。通れたら罠だと思うのが普通だろ?「偽物の命令書類もあるから大丈夫」とか言うのも胡散臭いし。

とりあえず基地の外周沿いに、メインゲートに向かう。

さてなんとかメインゲート前のテキサス通りに出てきたところで、周囲のキャバレーの日本人従業員などと出くわしたが、散々、様々な米軍やその他の国の部隊を見ているせいか、あまり気にはしていないようだ。

暗く、肌の色も分かりにくいから日系のアメリカ兵と見分けにくいのも好都合のようだ。後はゲートをうまく通れるかであるが、小隊長役がうまく言いくるめたらなんとか入れそうだが、さあどうか。

とりあえずなんかもったいつけて入り込むはずだが、、、ゲートの兵隊は行けとのジェスチャーだ。「うまくいったぞ?」指揮官は警衛に敬礼しつつゲートを通る。


緊張したのはゲートの内側も同じであった。思った以上の部隊である。

当初の情報では1個小隊程度だったのが、重火器すら持った1個中隊である。

日米合同の「歓迎委員会」はとりあえず、動揺を隠して、まずは基地内に穏便に誘導することにした。

誘導する先には機体はなく、開けた駐機場に出たところまで前進させたところで、照明弾をあげる。

拡声器を装備した装甲車から「貴様らは包囲されている、武器を捨て降伏するなら攻撃はしない」との放送が響くとたちまち、その場で射撃姿勢をとった者から、手当たり次第に射撃を開始する。

しかし、在日朝鮮人たちの攻撃はあまり効果が上がらない。

どうやら、十分な準備がなされていたようである。土嚢を積み上げた機関銃座がいくつか、さらにはハーフトラックに搭載されている銃座が旋回しだすと、、、たったの一連射で分隊が一つ消し飛んだ。

M16対空自走砲である。キャリバー50の4連装の水平射撃は恐ろしく火力を発揮した。


指揮官はある程度予想していたが、まずはあの対空自走砲を始末からだとして近くの兵に携帯式のランチャーを用意させ、M16を狙う。

スーパーバズーカほどではないが、それなりの爆風が起こり、M16が吹っ飛ばされた。

ロタ弾、である。


大東亜戦争末期に試作された対戦車火器。

アメリカのバズーカに相当する火器である。対戦車用のタ弾(対戦車榴弾)だから軽装甲のハーフトラックなんて目ではない。その爆発は周囲の照明も破損して一時周囲は真っ暗になる。そしてそこかしこで銃撃戦になるがやはり待ち構えて事前に機関銃座を掩蔽していた警察予備隊が優勢になってきた。

突撃隊も不利な状態で頑張ったが、当初から無謀な突撃を主張していた軍事委員会から来た阿呆が、少なかった脳ミソを吹き飛ばされてからは、各員それぞれ遮蔽物を見つけながら、離脱を始めた。そして弾薬が尽きたものや負傷したものから、次第に武器を捨てて、降伏するものも現れた。


中には降伏と見せかけ、短機関銃を乱射しようとする無謀なバカもいたが、なんと周りの味方から、集中射撃を食らい文字通り四散した。


再度「降伏しろ!ゲートは警察予備隊と警察、アメリカ軍で完全に封鎖した。逃げ場はない。武器を捨て投降したら攻撃はしない」との呼び掛けに、戦闘開始以来10分でようやく銃撃戦は終息した。

警察予備隊の各員が捕虜になった突撃隊員に武器を突き付け、武装解除し小火器を取り上げていくと面白い事例が出てきた。小銃を持っている連中の多くが、銃の故障を起こしたことが第一の原因で投降しているのである。その小銃がほぼ決まって大東亜戦争で使われた99式小銃であったのだ。正確には99式銃を改造しアメリカ軍の弾薬を使えるようにした代物だった。仕上げも悪く、弾が出れば良い程度のやつがほとんどだった。


あっという間に尻すぼみ

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