『卒業写真』
今日のマスターは本気で困っていた。
普段はマスターが曲を選ぶのだが、不定期にやって来る宣子が珍しく、
「マスター! 今日はこのCDをかけて!」
と出してきたのである。
「え?えっと……」
「お願いします! 新年だし、暗いのは解っているけど……お願い!」
差し出してきたのは荒井由実さんこと、現在、松任谷由実さんのCDである。
「……仕方ありませんね……と言うよりも、私も好きな曲が多いので、ありがとうございます。かけさせて戴きますね」
いそいそとデッキに向かう。
曲が流れ始める。
「ねぇ……マスター? 葛葉に会う?」
「葛葉さん……ですか?」
「あぁ、篠よ? 苗字が篠田。名前が葛葉」
「あぁ……いえ、お会いしませんね……」
そう言えば、あの日以来会っていない。
「フフフ、聞いちゃってごめんなさいね。あのね、篠。会社を辞めて、留学したのよ。婚約者だった信一は篠の後輩と結婚してね? でも、信一と篠の家族は本当に近所で幼馴染みだったから、篠の従兄の保名が特に怒ってたわ。それにね、信一、篠と共同で貯めてたお金を使い込んだりしてたから、信一のご両親が必死に頭を下げているわ」
「……お元気ですか?」
「篠? 元気そうよ。前は信一のことばかり心配して、尽くして尽くして……で浮気でしょ? もう、参ってて……今は、好きな事が出来るって語学学校に通っているみたい」
ふふっ
嬉しそうに微笑む。
そしてポケットの中から一通の封筒を出すと、
「マスター。ごめんなさい。灰皿良いかしら?」
「宣子さんは、煙草をお吸いになられましたか?」
「いいえ……あ、そうだったわ。ライターを貸して下さいな」
曲は『卒業写真』に変わっていた。
マスターは思い出したようにライターと、作っていたコーヒーを差し出すと、ロワイヤルスプーンを渡した上に角砂糖を置きブランデーを染み込ませる。
その横で宜子が灰皿にビリビリと破った紙を広げている上に、同じくブランデーを少したらし、ライターで二つに灯をともした。
薄暗いバーに、淡く青い炎が宣子とマスターを照らす。
なめるように炎は次々と紙を呑みこみ、少し焦げた臭いが広がる。
そしてしばらくして、
「……信一が、篠の行方を教えてくれって言うのよ……。自分が捨てておいて……笑えるわ」
「……良いのですか? 手紙だけじゃなく……」
「あぁ、私と篠と保名と信一の写真よ……もう幼馴染みなんて卒業。あいつがどうなろうと、私も関係ないわ。それに保名もようやく動くみたいだし……」
「保名さん……ですか?」
「篠の従兄妹よ」
炎が消えるのを待って、コーヒーカップを見る。
「これは? アイリッシュ・コーヒー?」
「いえ、カフェ・ロワイヤル(cafe royal)ですよ。この専用のロワイヤルスプーンに角砂糖を、そしてブランデーをたらして灯をつけて……砂糖が溶けたら混ぜるのです。ハッキリとはわかりませんが、ナポレオンが愛飲したとか……」
「まぁ……じゃぁ、コーヒーカップだけれど……『篠と保名が幸せになりますように……』」
宣子はスプーンでよく混ぜ、微笑み口に含んだのだった。
・カフェ・ロワイヤル
コーヒーを注いだデミタスカップの上に、先端部にひっかかりを設けた専用の器具ロワイヤル・スプーンを渡し、スプーンに角砂糖をひとつ乗せ、ブランデーを注いで染み込ませる。
スプーンからこぼれない程度にブランデーを注いだら、角砂糖に火をつけ、溶けかけたもしくは溶けたところでコーヒーに落とし、かき混ぜて飲む。
ブランデーの香りと青い炎の演出を楽しむ飲み方だが、炎は淡い色なので、明るい場所では見えにくい。
やや暗い場所の方が、青い炎の演出を楽しむには向いている。
なお、カフェ・ロワイヤルはナポレオンが愛飲したことでも知られている。
・アイリッシュコーヒーは……。
アイリッシュ・ウイスキー - 30ml
ホット・コーヒー - 適量
角砂糖或いはブラウンシュガー - 2、3個
生クリーム - 少量
作り方
グラスにホット・コーヒーを注ぎ、角砂糖或いはブラウンシュガーを入れる。
アイリッシュ・ウイスキーを注ぎ、ステアする。
生クリームをフロートさせ完成。
です。
よろしくお願いいたします。




