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『オレンジ』

 春の気配が1日1日近づいてくる。

 河津桜かわづざくら陽光ようこうと咲き始める。

 陽光は映画化されたものの、愛媛県の高岡正明たかおかまさあき氏が、第二次世界大戦頃教員であり、生徒を戦争に送り出した。

 戦後、アマギヨシノとカンヒザクラを交配させた陽光を25年かけて作り出し、亡くなった生徒の故郷など全国に植えて行ったのだと言う。


 戦争は、幸せではなく、全てを失う最も起こしてはいけない厄災。

 そして今、新型コロナウイルス、COVID−19が流行しているが、ヨーロッパで今パニックになっているのは、昔のペストやチフスの流行で何度も多くの人が亡くなったことがあるからだった。

 ちなみに、魔女狩りも、最初は病を呼ぶ魔女がペストをばら撒くネズミを操ると言う理由から始まった。

 当時の平均年齢は30代である。

 でもごく稀に平穏に暮らせば長生きする。

 高齢者は知恵者でもある……でも、その知恵は悪魔から与えられたと信じられ魔女裁判に送られた。


 現代は、魔女狩りに似たことも多いが、買い占めや転売を政府は1ヶ月以上放置しておいて最近になってマスクの転売を禁止した。

 使い捨てマスクだけのネット販売禁止なら良い。

 ハンドメイドマスクも販売禁止だと言う。

 今現在、マスクはまだ足りないと言うのに……。




「だから、さよなら」

「ちょっと待って!何で……何で突然……」


 泣き崩れる彼女を残し、歩き出す。

 胸が痛いと思うのは……嘘だ。

 別れなければ、彼女は幸せになれない。


 薄暗くなっていく時間が遅くなってきている。

 一日おきに温度が乱高下しているが、今日は暖かいと思っていたのに風が強い。

 明日は晴れるが寒くなるだろう。


 薄着で出て来たから少し、冷えた。

 どこかで時間潰しをしようか。


 周囲を見回すと、ひっそりとしているが暖かな灯りが見えた。

 その灯りに誘われるように扉を開けた。


「いらっしゃいませ」


 微笑むのは年齢未詳のマスター。


「綺麗に消毒しましたので大丈夫だと思いますが、ご心配でしたらそちらに手洗いがございますので、お使い下さいませ」

「あ、ありがとうございます」


 殺菌泡石けんが用意されており、手を洗うと手をペーパータオルで拭き、アルコールスプレーを使う。

 手で擦り込みながら中に向かう。


「本当に、大変ですね。本当に分からないものですから……」

「皆さんは見えない敵を恐れ、混乱しているのでしょうね。ご存知ですか?」

「ティッシュペーパーがないと言う噂ですか?2回目ですよね。母が言っていました」

「そちらもそうですが、その前後にとある信用金庫が倒産すると言う噂に、お金を預けていた人々が殺到したそうです。それが、ある3人の女子高校生の雑談から広まったのだそうですよ。彼女達には悪気はなくても、危ないんだってと言う一言で、パニックになったんです」


 これは、1973年12月に起きた騒動。

 1973年に起きた騒動の一つ目は、10月のトイレットペーパー買い占め騒動。

 その約2ヶ月後に起きたのが『豊川信用金庫事件』とも呼ばれるパニックである。


「彼女達は、信用金庫は場所が悪い、強盗が入るかもと言う意味で言ったらしいです。でも、危ないと言う意味は、信用金庫の経営が悪化しているという意味で周囲は聞いてしまった……そして、お金を預けていた人々は慌てて取り戻しに駆け込んだそうです」

「そ、それは……困った事件ですね。でも、今年のティッシュペーパー騒動も大変ですよね」

「そうですね……家には幼い子がいるので、おむつとかおしりふきなども必要なので大変ですね。私もお客様に風邪をうつしてもいけませんし、子供にも」

「お子さんですか?」

「そうなんです。だいぶん大きくなって来たのですが」


 照れくさそうに微笑む。


「あぁ、どうぞ、こちらに」

「ありがとうございます」


 カウンターに座ると、流れてくる曲にあれっとした顔になる。


「懐かしい曲ですね。SMAPの『オレンジ』ですか?」

「はい。この店は私やお客様の好みで、色々な曲をかけているのです」

「でも、この曲を流すのは珍しいですね。『夜空ノムコウ』『らいおんハート』などを流すことが多いと思いますから」

「SMAPは名曲が多いですからね」


 微笑む。

 宏輝こうきはしばらく聞き入り、そして、


「マスター。もし良ければ、この曲名の『オレンジ』のイメージのカクテルはありますか?」

「……はい。少々お待ち下さいませ」


ささっと準備をすると、作り始める。

 その手際の良さに感心する。

 そして、この店に入る前に別れた彼女を思い出す。


 愛おしかった。

 別れたくて、別れた訳じゃない。

 幸せにしてあげたかった。

 できるなら、時を巻き戻したかった。

 会わなかった時間に……いや、もっと別の出会いを……。


「お待たせ致しました」


 カクテルグラスを差し出され、受け取る。


「ありがとうございます。この名前は?」

「BLOOD AND SAND……『血と砂』と言います。1922年に小説を映画化し、それをイメージしたと言われます。どうぞ」


 口をつける。

 想像より甘めだが、アルコール度数が強い。

 そんなにお酒に強くない宏輝は、ちびちびと飲みながらふと呟く。


「……腫瘍が見つかったんですよね」

「ご家族がですか?」

「いえ、私です。厄介なところに出来ちゃって……手術が難しいって。馬鹿だなぁと思います。私、一応、医者なんです。『医者の不養生』って本当なんだとか……」

「失礼ですが、専門は?」

「小児科です。本当は救急外来ですとか言うとかっこいいと言われるでしょうが、小児科はなる医者が減っているんです。赤ん坊の危険な病気はあるのに、小児科は……だからなったのに。私の家は、生まれてすぐの妹を亡くしているので……そんな悲しい家族を作りたくなくて……」


 お酒に弱いのか、頬を赤らめはははっと笑う。


「救う立場から、自分自身が脳腫瘍です。1週間後に手術ですが、成功率が低いと言われました。出来た場所が悪く、しかも腫瘍がいつ裂けてもおかしくない状態だと……」

「脳腫瘍……ですか……」

「頭痛が酷くなって、物が二重に見えたりしてて、馬鹿ですね。すぐに診察に行けばよかった」

「……そうですか……どこの病院ですか?」

「あぁ、一応……勤めている病院の……」


 病院名を告げる。

 マスターは考え込む。




 しばらくして、お酒を飲み終えた宏輝は立ち上がる。


「ありがとうございました……すみません。愚痴を言ってしまって……タクシーをつかまえなきゃ。こんな状態で飲んだとバレたら、両親に怒られる」

「お客様、少々お待ち下さい。タクシーをお呼びしますので」


 マスターは奥に入ると、少しして出てきた時には、封筒を手にしていた。


「お客様。もうすぐ参ります。それと、こちらを……」

「何でしょう?」


 受け取った封筒の表に書かれた宛先は、この地域で脳外科の名医として知られている人の名前。


「明日……いえ、日付が変わっていますので、今日の朝9時前にでも連絡して下さい。そして私の名刺とこれを、病院の受付にお出し下さい。お節介かと思いますが、1週間も待つのはお辛いでしょう……」

「こ、この先生に……だ、大丈夫ですか?先生は2年間も予約で埋まっていると……」

「このメモに電話番号があります。彼に直通です。私の名前がこの下にありますので、もしなぜ知ったかと言われたら、私から紹介されたと伝えて下さい」

「で、ですが、あの、私は……」

「あ、タクシーが来たようです。どうぞお気をつけて」


 タクシーに乗り帰ると、そのままフラフラとベッドに入る。

 そして朝起きると、テーブルに置いたあの封筒とメモがあった。

 躊躇ったが、電話をかける。


「もしもし」

『……もしもし。どなたかな?』

「も、申し訳ありません。わ、私は、あの、あの……えと、バーでえと、靫原彰一ゆぎはらしょういちさんにお会いしたものです。村井宏輝と申します」

『靫原……はぁぁ!あの方か?』


 朝忙しくイライラしていたらしい彼は声を上げ、電話の奥で何やら話している。


『あ、申し訳ない。で、靫原さんからどのような?』

「あの……私も医者なのですが、前々からひどい頭痛があったのです。ですがまだ若いし、小児科を担当しておりまして、ごまかしてきたのですが、最近には物が二重に見えたり、ふらついたりと言った症状が現れ、おかしいと思い病院に行くと脳腫瘍だと……場所が悪く、手術しても成功率が低いと……」

『……すぐに来なさい。病院からの紹介状……いや、何かあるかな?一応紹介状がないと診察できないからね』

「えと、主治医から取って……あ、あの、靫原さんと言う方から封筒を預かりました」

『それならいい。持ってきなさい』


 その言葉に、信じられない思いで、電話とメモを見る。


「あ、ありがとうございます。す、すぐに伺います。ありがとうございます……」

『構わない。お礼を言う時は、君が無事に元気になって退院する時だよ。はい、おいで』


 電話が切れ、宏輝は全身から力が抜けそうになったが、すぐに準備していた荷物と身の回りのものをかき集め、そして、テーブルに一枚の手紙を置き、出て行ったのだった。




 そして、翌日に急遽、手術が行われ、マスターの元に一人の男から手術が成功したと連絡があった。

 その夜、いつになく嬉しそうな顔のマスターに、宣子のりこは顔を覗き込んだ。


「どうしたのかしら。マスター。とてもご機嫌ね」

「あ、分かりますか?」

遼一りょういち君と遊んだのかしら?」

「……そ、それは無理ですね。遼一は母親がいいそうです」


 少々息子に嫌われて落ち込んでいる父親に笑う。


「ふふふ。マスター。大丈夫よ。遼一君も懐いてくれるわ」

「じゃぁ、どうしたんですか?」

「いえ、知り合いに脳外科医がいるのですが、とても難易度の高い手術が成功したと。他の医師なら難しかっただろうと……」

「マスターが紹介したのですか?」

「そうですね……小児科医の先生だったんですよ。その方は。遼一に何かあった時にと」


 いつになくお節介を焼いてしまったと苦笑しつつ、今日のおすすめを二人に出したのだった。




 後日、やってきたのは退院したらしい宏輝と執刀した高橋、そして小柄な女性が姿を見せる。


「全く、会長も人が悪い!」


 高橋は不満たらたらと言いたげに睨む。


「か、会長?」


 宏輝はマスターと主治医を見る。


「村井君、この方は靫原財閥の会長、靫原彰一様だ。うちの病院の実質理事長」

「理事長!」

「あはは、元ですよ。元。今はこの店のマスターです。高橋君にも無理を言って申し訳ありませんね。でも、いい人材ではありませんか?」

「まぁなぁ。でも、小児科医は厳しいぞ。だが、俺がいいと言うまで長時間勤務は認めん。短時間の外来からやって貰う」

「えっ?」


 一応、前に勤務していた病院は有給を取っている。

 その後、戻れるとは思っていなかったので辞める予定だった。

 元気になったら、再就職先を探す予定だったのだが……。


「わ、私で構わないのですか?まだ新人で……」

「いい人材はそういないんだ。特に小児科医は少ないしな。それに、理事長の推薦を断れないだろ」

「……ありがとうございます。理事長」

「やめて下さいって。マスターで良いですよ。それに、靫原は昔の姓で、今は粟飯原あいばらと言う姓なんです」


 苦笑する。


「それに、無理は禁物ですよ。治るまで休んで下さいね」

「あ、あの……」


 華奢な女性が、恐る恐る訊ねる。


「あの、わ、私も、言語聴覚士の資格を持っています。宏輝さんといた病院では理学療法士と作業療法士は仕事を任されるのですが、私の資格では余り……図々しいのですが、私が力になれる職場はありませんでしょうか?」

「言語聴覚士!こりゃ、良かった!最近辞めたんだ。言語聴覚士は立派な仕事だ。もし良ければ」

「ありがとうございます!」

「ほ、本当に、ありがとうございました。理事長……いえ、マスターのお陰で、私は救われました」


 マスターは息子が風邪をひいた時、主治医になってくれるいい人が見つかったとニコニコとしていたのだった。

『オレンジ』はSMAPの2003年に発売されたアルバムに収録された曲です。


BLOOD AND SAND

スコッチ・ウイスキー15ml

スイート・ベルモット15ml

チェリー・ブランデー15ml

オレンジ・ジュース15ml


シェイクして、カクテル・グラスに注ぐ。


カクテル言葉は『切なさが止まらない』

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