『恋におちて』
数日前、子供……遼一が生まれ入院している遼は、大丈夫だと笑い、店に送り出してくれた。
ちなみに、よく、日本人の女性は出産後入院して至れり尽くせりだが、欧米諸国の女性は、その日のうちに退院すると出産について詳しくない人はよく言うが、それは出産後のサポートが手厚いことと、欧米人と日本人の骨盤の形の差がある。
日本人の骨盤は欧米人に比べ出産時に難産になりやすく、その上、出産の際に骨盤をゆるめ、産後元に戻そうとするもののうまく戻らない場合、恥骨痛、尾骶骨痛、腰痛が起こり、床上げが長引くこともあるらしい。
高齢出産の遼もその可能性があり、それに、彰一共々実家と距離を置いている為、何かあった時には悪友、雄堯の家に滞在することになっている。
今日もその息子の雄洋とその母、優子が、宜子と共についていてくれるので本当にありがたい。
しかし、赤ん坊というのは、すごいパワーを持っているものだと感心しつつ店を開ける準備をする。
まだ寝て起きて、泣くだけではあるが、その泣き声は力強いと言うよりも、破壊的で焦るのだが、遼はニコニコと笑い我が子を抱き上げる。
こんな時には、母は強いと思う。
定期的に母乳やミルクを与え、オムツを替え、服を着替え、お風呂に入れる。
彰一も退院後はお風呂に入れる係になる予定である。
洗濯物も増えるので、洗濯機を回したりたたむ手伝いをしようとも思っている。
昔の自分では想像もつかない。
今日のCDは、遼がよく口ずさんでいた曲である。
開店の札をひっくり返そうと扉を開けると、数人の友人が立っていた。
懇意の酒屋の店主だった高坂と、今の店主の美鶴、そして馴染みの客の大輔である。
「おや、いらっしゃいませ」
「ここだって聞いたからな。来てやった」
「親父さん、またそんな言い方……」
「高坂さん、遼一見て、デレデレしてたもんなぁ」
「うるせ〜!……は、花橘の小さい頃……の写真も、あんな感じだったんだ。でもよく泣くな……大きくなったら、遼さんみたいになるのかね?」
3人をカウンター席に案内しつつ、頬が緩む。
「どうでしょうね……まだ生まれて数日ですよ。しかも、真っ赤な顔で泣く赤ん坊を皆が、私に似ていると……どこが似てるんでしょうかね」
「その目鼻立ち、そっくりだぞ」
「そうですね……。遼さんなら丸顔タレ目です」
「眉がキリッとしてたな」
うんうん。
3人は席に着き頷く。
「所で高坂さんは、一人で来られたんですか?」
「そんな訳あるか。親連れて嫁と花橘とこっちに遊びに来たんだよ。花橘はまだ高校一年だが、大学進学を視野に入れてるんだ。遠い所でもいいと言ったが、花橘がこっちの大学に進学したいって言うもんだからな」
「そうだったんですか……どちらに?」
「薬学部か史学部だそうだ」
「それはそれは……」
どちらも難関学部である。
特に史学部は近辺の大学には専門学部がなく、倍率が高い。
それだけ花橘は成績が良いのだろう……。
「花橘さんはもし進学したら、どこに住むのですか?」
「まぁ……俺のツテを頼って、学校に近いアパートは危険だからマンションをだな……」
「そうですか……私も探しておきましょう。花橘さんは娘のようなものですし……」
「よろしく頼むわ」
「えぇ」
言いながら、準備を始める。
「マスター。今日はどんな?」
大輔は出されていた手拭きで手を拭く。
シェーカーを振り、そしてグラスに注がれたカクテルを3人は見つめる。
「少し高坂さんには甘いかもしれませんが……マウントフジです」
乳白色のカクテルは3人の前に差し出す。
「……マウントフジ……?」
「はい。カクテル言葉が、この曲の一節と一緒なのです」
「……えっと……この曲は『恋に落ちて』ですよね」
美鶴は合っているかな?と言いたげに呟く。
「えぇ……カクテル言葉は『もしも願いが叶うなら』……私の願いは子供と遼が無事で元気であればいい。それが叶いましたので、それをかけてみました。高坂さんも美鶴さんも大輔さんも……一杯のカクテルですが、願いを込めて飲まれますか?」
珍しいマスターの微笑みに、高坂は一番に手を伸ばし、
「まぁ……俺の願いはほとんど叶ってるけどな。マスターに願掛けしとくか……」
と口をつけ、美鶴と大輔も、
「私は、店の安定ですかね」
「美鶴。口に出すと願いは叶わないぞ」
とそれぞれ言いながら飲み干したのだった。
マウントフジ
※帝国ホテルversion
ジン……45ml
レモンジュース……15ml
卵白……一個分
生クリーム……2tsp
マスキラーノ……1tsp
パイナップルジュース……1tsp
シュガーシロップ……1tsp
シェークし、グラスに注ぐ。
『恋におちて』
小林明子さんの名曲。




