『元気を出して』
バレンタインデーも落ち着き、ミモザも時期が過ぎ、梅ももう散っている。
今年は寒波と共に強風が度々吹き上がり、梅の花びらが舞い上がりヒラヒラと散っていった。
その梅の枝にいたのは不如帰ではなく、メジロ。
しかし、ムクドリだろうか?
二回り大きな鳥が集団で追い払う。
その横には山桜が満開で枝が重みで垂れ下がる程、濃いピンクの花を咲かせている。
春は近いのだ……いや、確実に近づいている。
所々、道端につくしが頭を出している。
成長すると『スギナ』と呼ばれ、雑草となるのだが、つくしはこの時期食べられる野草の一つで、はかまと呼ばれる部分を取り、卵とじにすると美味しいものである。
まぁ、マスターはそんなに自分の食事に凝ることもないし、ここはペットの散歩コース……微妙である。
今日は、少し肌寒い……。
寒波が居座っているのだろうか?
今日は竹内まりやのアルバムを選んだ。
曲をかけると暖房を入れ、長い夜を待とうと扉を開けた。
すると……、
「遼さんじゃないですか……どうしましたか?」
しばらくぶりに会った常連さんは、何故か目の下にくまが出来、髪の毛がバサバサ、表情も暗くどことなく顔色が悪い。
服装もコートもなく、トレーナーにデニムパンツだけである。
「遼さん。寒いでしょう。どうぞ……」
店に導き、カウンターの椅子に導くと、
「お茶と昆布茶と梅昆布茶、どれがいいですか?」
「……」
眼差しには、先日のようなキラキラとした輝きはない……そして気がつく。
「遼さん?テディベアはどうしましたか?テディガールや……」
「……」
黙ったまま首を振る。
ただ、元々猫背だが、完全に頭を丸めてしまい、テーブルに額を乗せている。
「……梅昆布茶ですよ。どうぞ」
マスターはお茶を少し離れた所に置くと、恐る恐る顔を上げ、だぁぁっと涙を流し始める。
「い、いなくなっちゃった……いなく……あぁぁ、うわぁぁん‼」
号泣する遼。
「私は、馬鹿だから……何度も何度も、同じ馬鹿を繰り返して、人を信用して裏切られて……もう信じない……もう絶対に家族にも心を許さないって思っていたのに‼信じてたのに‼宣子さんや雄洋さんにも忠告されていたのに……忠告聞かずに突っ走っちゃった……うわぁぁん‼」
「……」
実は、数日前に、宣子から聞いていた。
遼は優しすぎるから、心配だと……。
騙されているみたいだと……。
「う、うわぁぁん……もう駄目なんだ。私は馬鹿だから……また騙されて……もう、5度目……」
マスターは顔をひきつらせる。
どれだけ騙されているのか……。
しかも、騙す相手も相手である。
「宣子さんに嫌われる……折角、お友だちになってくれたのに……」
「テディベアがいなくなったんですか?」
「……ふえぇぇぇ……。皆、いない……いる訳ない……私はいらないんだもん。お金や人数要員、仕事を押し付ける存在だもん。だから……もう嫌だぁぁ……恐いし嫌い‼私を嫌いな人、利用して笑ってる奴なんて、いなくなっちゃえばいいんだ‼」
激しく泣きじゃくる遼は、ポツッと呟いた。
「生まれてくるんじゃなかった……それよりもあの時、飛び降りておけば良かった……」
しゃくりあげ、それから言葉は意味をなさず泣き叫ぶ遼に、奥から毛布を持ってくると背中を優しく包む。
「遼さん?泣いて良いですよ……沢山泣いて下さい。それに、宣子さんたちは貴方を嫌いになったりはしませんよ。私も貴方の笑顔が大好きですよ。だから、涙が止まったら笑って下さい」
「ふえぇぇぇ……マスターは優しい……から、甘えに来ちゃった……駄目なのに……役立たずなのに……知られたくなかったのに……」
「……何がですか?遼さんは、私の相棒の親友でしょう?」
「マスターは、知ってるでしょう?私は小銭しか出さないこと……」
「お釣りが出来て、両替に行かなくて済みますよ?」
とんとんと優しく背中を叩き、
「遼さん?ちょっと一杯口にしませんか?お話ししませんか?この曲のように、笑顔の貴方がみたいです」
と告げる。
遼は渡されたおしぼりで顔をぬぐいながら、
「……竹内まりやさんの『元気を出して』……」
と鼻声で呟く。
ひっくひっく、としゃくりあげつつ毛布を抱き締める姿に、マスターはゆっくりと準備をする。
「どうぞ。遼さん」
ロンググラスに氷を入れると、注いで作ったものである。
「こ、これはっ……ひっく……?」
「『グラン・マルニエ・オレンジ』です。他の皆さんに合わせて飲まれますが、本当は甘いお酒が好きですよね?飲みませんか?」
「……うぇぇぇん、マスター、何で知ってるの?」
「前に言ってましたよね?お家では杏露酒や梅酒、山桃酒などをロックで飲んだり、炭酸ジュースで割って飲むのだと」
「うえっ……」
涙をにじませながら、口にして、
「お、美味しいです……」
「そうですか。じゃぁ、今度、宣子さんたちと来て下さいね?大丈夫ですよ。これを飲んだのですから仲直りできます」
子供のようにうんうんと頷いた遼は、グラスの中身を大切そうに飲んでいったのだった。
・グラン・マルニエ・オレンジ (Grand Marnier Orange)
リキュールベースのロングドリンク(ロングカクテル)。
単にマルニエ・オレンジ (Marnier Orange) とも呼ばれる。
ベースとなるグラン・マルニエはオレンジの果皮から造られるリキュールなので、オレンジ・ジュースとの相性は非常に良い。
《標準的なレシピ》
・グラン・マルニエ - 45ml
・オレンジ・ジュース - 適量
《作り方》
タンブラーに氷を入れてから、 材料を全てタンブラーに注ぎステアする。
《備考》
スクリュー・ドライバーのバリエーションの1つで、ベースのウォッカをグラン・マルニエに替えたものである。
グラン・マルニエ以外のオレンジ・キュラソーもオレンジ・ジュースとの相性は良いが、グラン・マルニエ以外のオレンジ・キュラソーをベースにしたものには特に名前は付いていない。
カット・オレンジ或いはスライス・オレンジを添えても良い。




