パーティー
――お前のせいじゃない――
␣いつも夢に出てくるこの言葉を、何回聞いただろうか。悲哀と怒りと憎しみの入り交じった声で、彼ら彼女らは1人の男を擁護する。
␣それは突発的なものであり、偶然であり、人生で必ず通る「不条理」の道。何故起きたのか、何故この場所なのか、何故あの日だったのか、何故あの時間なのか、…何故あの子なのか。
␣男の問いに、誰も答えれる者はいない。いるはずもない。不条理とはそういうもの。偶然であり必然でもある。生命を持つ者の、避けられぬ宿命。
␣男は長きに渡って、自らに「不条理」の定義を問うた。どうして起きるのか、原因は何なのか、そんな他人から見ればどうでもいい事を男はひたすら考え、そして一つの考えに行き着く。
――この不条理には必ず原点がある。ならば、この不条理に関与した者に更なる不条理を押し付ければいいと――
␣やられたら、やり返す。いや、そんなものですらない。不幸の対が必ずしも幸福ではないように、不条理の対が幸福であってはならない。この因果には、必ず報いて貰う。
␣男の瞳は、もはや光さえ届かない程くすんで、汚れてしまった。ただ一つ、『復讐』という黒い光だけは、煌々と輝き続けている…。
␣よく晴れた夏のある日。夏の風物詩の入道雲が、遠くの空からこちらに徐々に近付いて来るのを見ながら、蝕はとあるビルの屋上で寝そべっている。もちろん、寝るためでは無い。そんな余裕は蝕にはない。
『…ザザッ…で、取り引き場所…こだ。』
␣ノイズの混じった音が、イヤホンを通して蝕の耳から脳に伝える。時折、会話が飛んでいるが概ね内容は理解出来ている蝕は、身動き一つせずにじっと仰向けに寝そべっている。
␣夏の、それもよく晴れた日ということもあって、ビルの屋上の床は近くからでも見える陽炎を浮かばせる程熱くなっている。が、蝕には関係のない話だ。彼は今、その神経の殆どを耳と脳に回している。熱さなど、とうに忘れている。
『…ザ…H市の…ザザッ…12倉庫だそうです…ザッ。』
␣イヤホンからは、男2人の会話が聞こえる。何かを取り引きする為の場所を確認している様子。
「…12倉庫…。」
␣イヤホンから聞こえた必要となる情報を蝕は脳内に焼き付ける様に記憶する。もはや常人を超えたその脳内処理で、今後の方針を展開する。とはいえ、蝕のとる行動の結末は全て同じ。変わることのない、決意とも取れるその結末。
␣蝕はイヤホンを外し、おもむろに起き上がる。燦々と降り注ぐ太陽光に当たっていたせいもあって、かなり焼けているその体は、熟練の兵士の様な肉付きで、しかし服が悲鳴をあげる程の量もないくらいの丁度良い無駄のない筋肉が付いている。
␣それは、彼の執念が具現化したモノと言っても過言では無い。事実、蝕は以前そういった機関に所属していた人物なのだ。
␣蝕は立ち上がり、そのまま屋上を後にする。その後ろ姿は、何か重い責任を背負った様に見えた。
␣ここは、とあるマンションの1室。1LDKのごく普通の部屋は、外の景色を遮断する為のカーテンが掛かっており、仄暗い雰囲気を持たせる。
␣リビングの中央には大きなテーブルが配置されており、その上には色々書き込まれた大きな地図と無数の書類、そして鞘に収められた黒いナイフが、無造作に置かれている。
␣風呂場から出てきた蝕は、パンツ一枚しか履いておらずかなり涼しそうな格好だ。着る必要のないといった表情で、テーブルに足を運ぶ。
␣取り出したのは、無造作に置かれた書類のうちの一つ。そこには男が写った一枚の写真と、名前、性別、年齢、写真の男のあらゆる情報が載っている。
␣男の名は渡邊裕彦。職業不詳の26歳。T市のマンションに在住しており、恋人と同棲中。性格は明るく、学生時代陸上の選手ということもあり顔が広い。前科無し。
␣一見、普通の男性に見えるが、この男には警察関係者も目を付ける程の嫌疑がかけられている。それこそ蝕の追い求めるものであり、数少ない手掛かりでもある。
␣その手掛かりこそ、渡邊が行っていると思われるある取り引き…。
――臓器売買――
␣いわゆる非合法な取り引きで、身内の難病患者のドナーが見つからない人間をターゲットに行われている犯罪。
␣渡邊は、それに関与している疑いがかけられている。その最たる理由が、所得の多さだ。
␣書類にも記述されてる通り、渡邊は決まった職に着いている訳ではない。かといって、フリーター等でもない。にも関わらず、渡邊の口座には不定期に多額の金が振込まれている。それも、企業からではなく関係性の無い人物からが多い。
␣警察側もその事に不信を抱き、調査を始めた様だが、大麻や覚醒剤などを栽培している様子も無く、誰かを脅迫する様なメッセージも送られていない。その辺は、全て警察が調べたらしい。
␣そうして行き着いた先が、非合法の臓器売買というわけだ。だが、渡邊1人を逮捕したところで事件が終わるとも思えない。
␣なにせ、渡邊の使用する銀行は日本でも有数の大手なのだ。そんな所を使用すると、警察に嗅ぎつけられる事くらい誰でも分かる。
␣恐らく渡邊は、臓器密売グループの下っ端に位置するのだろう。つまり、いつ切り捨てられてもいい様な存在。下っ端をいくら捕まえたところで、大元を潰さない限り終わらない。
␣警察も、そうした事を理解した上で泳がせている。だが生憎、蝕にはその大元の所在までも掴んでいた。それが、警察も知らない情報というもの。
␣今日――時間的に明日だが――蝕は、取引にグループの中核が来ることを知っていた。だからこそ、彼は今日の為に練りに練った作戦を開始する。
「さぁ、復讐を始めよう。」
␣あの日から消えない復讐の光は、更に輝きに増していた。
――H市港倉庫「第12区画」――
␣昼間の熱さとは打って変わり、海から来る風のお陰でかなり涼しい。遠くに見える2隻の船が、暗い海を右へ左へと進むのが分かる。
␣12区画の倉庫には、それぞれ「12ー1」といった表示で計8棟も建っている。
␣渡邊裕彦は、その「12ー4」と書かれた倉庫の中にいた。周りには、高さ6mはあろう巨大な棚と、そこに置かれた無数の木箱。そのどれもが片手で抱えられる程の大きさだが、何故か全て湿っている。
␣それどころか倉庫全体が、まるで冷凍庫の中のように気温が低い。その中に、渡邊含め8人の男達が4人に別れて向き合うように話している。と言っても、話しているのは密売グループのリーダーと取り引き相手の2人だけで、残りはただ立っているだけだが。
「いやぁ、ここは倉庫と聞いたが外より幾分涼しいな。」
「そりゃあもう、商品を置いておく場所ですからね。腐らせちゃ、商売にならんでしょ。」
␣渡邊を含む4人の密売グループ側は、かなりラフな格好の者が多く、全員時折寒さをしのぐ為に腕を擦る。
␣対するもう4人は、喋っている男含め全員黒のスーツを着ており、ある程度の寒さには耐えている様子。喋っている黒スーツの男は、40代ほどの見た目で喋り方からして温和そうに思えるが、その目はギラギラと輝いており、野心に溢れている。
「…で、アレは?」
␣黒スーツの男が本題に入る。その言葉を聞いた密売グループのリーダーは、渡邊に目配せ。渡邊は、後ろの棚から一つの木箱を取り出し、リーダーに渡す。
「こちらが、お客様のご要望された商品になります。」
␣リーダーが黒スーツの男の前で木箱を開ける。渡邊の位置からは、角度と開けた拍子に出てきた冷気のお陰で中身は見えない。が、その正体は知っていた。ああなる過程は見たことがない渡邊だが、容易に想像がつく。
「9歳の女の子、血液型はB、持病等は無く保存状態が良いもの…でよろしいですね?」
␣リーダーが淡々と商品の説明をしていく。黒スーツの男は了承の意味を持って頷き、後ろにいる男に「金を」と指示を出す。
␣後ろにいた配下と思われる男は、足元に置いていた銀のスーツケースを手渡す。
「では、取り引き成立ということで…。」
␣リーダーと黒スーツの男が、それぞれの手元の物を交換しようとしたその矢先、倉庫の中が一瞬にして暗闇に閉ざされた。
「…ブレーカーが落ちたか?白石、お前見てこい。」
␣暗闇の中、リーダーは渡邊とは別の男に催促する。
␣白石は自らの携帯電話をライト代わりにして、奥に消えていった。
␣ブレーカーが落ちる事は滅多に無い。それは白石もよく分かっていた。なにせこの巨大な倉庫には、商品を保存しておく為の冷却機と、それに合わせた専用の電気回路を取り付けていた。白石は、その回路を取り付けた張本人なのだ。電力が余りこそすれ、落ちる事など無いと分かっていた。
「…っかしぃな。」
␣分電盤のある部屋に入り込んだ白石。その部屋が、自分の死場所となるとも知らずに…。
「…遅い。」
␣白石が奥に消えてから、既に10分を経過していた。元々電気会社に勤めている白石は、ここの誰よりも電気の事に詳しい。だからこそ、リーダーの男は白石を行かせた。無理なら無理で、すぐに戻ってくる筈なのだが一向に帰ってくる気配は無い。大方、修理でもしてるのだろうと思ったリーダーは渡邊に
「白石見てこい。直せそうなら手伝ってこい。」
と指示を飛ばす。
␣渡邊は指示通り、白石が行った方向へ歩を進める。その時、奥の方から何かの音を渡邊は聞いた。その音は一定の感覚で鳴り、徐々に近づいてくる。
「…白石?」
␣暗闇の中、渡邊は白石の名を呼ぶ。が、返答は無い。代わりに、白い何かが渡邊の鼻先を掠めた。
␣渡邊は思わず仰け反り、後ろに大きく転ぶ。鼻先に痛みを感じた渡邊がそっと撫でると、少量の血が指に付着していた。
␣思わず目を見開く渡邊の前に、再度足音が鳴る。ライトを持たない渡邊には、暗闇の近くにいても何がそこにいるのか分かっていない。
␣後ろでは、黒スーツの男達がスーツの胸元に手を入れる。その仕草だけで、密売グループのメンバーは後ずさる。懐から取り出される物が分かっているからこその無意識の行動。
␣その中で1人、リーダーの男が手元のライトを暗闇に向ける。今まで何も見えなかった空間に、1人の人間の姿が浮かび上がる。全身黒に染めたその格好は、その顔に被った鬼の面がより不気味さを強調する。
␣黒スーツの男達はその姿を確認すると、すぐさま懐の腕を引き抜く。その手には、白く光る拳銃が握られたまま。
「…誰だ。」
␣黒スーツのリーダー格が、暗闇に潜む人間に問を投げる。
␣その問に答える様に、黒ずくめの男は何かをこちらに放り投げた。ライトに照らされたそれは、空き缶程の小さな金属製の筒。それは数回地面を跳ねた後、密売グループと黒スーツの集団の間に転がっていった。
␣誰もがその筒に目を奪われていたその時、金属製の筒は人の肉眼では直視出来ない程の光量を発して破裂した。と同時に「キィィィン」と不快な音を響かせる。
『!!』
␣その場にいた全員が腕で目を覆い、視覚情報をシャットダウンさせる。さらに、破裂時の高音により聴力さえも著しく低下させた。
␣その場にいた誰もが、人間の主要感覚である「視覚」と「聴覚」を寸断され、場はパニックに陥った。
「うぉぁぁっ!」
「み、耳が…!!」
「クソッ!」
␣倉庫内は阿鼻叫喚に包まれる。しかし、鬼の面を付けた者だけは、叫ぶ2グループに対して真っ直ぐと確かな足取りで近付いて行く。
␣黒スーツのリーダー格の男と、あと少しでぶつかる距離まで来ると、鬼はその腰に下げていたナイフを引き抜く。刀身が黒光りするそのナイフは、密売グループの持つライトに乱反射して、妖気な輝きを放っていた。
␣リーダー格の男はその存在にまだ気付かず、辺りをひたすら見えない状態で何かを探すようにキョロキョロする。その額には、尋常ではない程の汗が滲み出ている。
「健太!宗二郎!クソッ聞こえてないのか!!」
␣自身の声さえも聞き取れるか分からない不安定な状況の中、男は配下の者達の名を呼び続ける。が、誰一人として答える者はいない。
「…。」
␣そんな男を見やり、鬼がナイフを構える。
――倉庫内に、男の声にならない叫び声が谺響する…。