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曖昧な奇跡の定義

作者: 蜂蜜 林檎

初めて投稿するのに

あえて得意な詩で挑戦してみようかと

思います。

これからも詩はちょいちょい書いていこうかと思っています。

必然と必然が

自分にとって

都合よく重なった時、

それを人は奇跡と呼ぶ。


起こりえるべきして

起きたことであるそれを


人は奇跡と呼ぶ。


それを起こしたのは

思いであったり

祈りであったりする、

ただの量子力学の領域なのに。


奇跡は起きる。


とてつもなく、

簡単に。


そして、

当たり前のように。


自分たちは奇跡を起こすことができる。

それも、ごく簡単にだ。


日々、一刻、

この瞬間。


呼吸をしている

自分たちを

奇跡と喜ぶか。

奇跡と嘆くか。


それは誰にも定義することはできない。


もししたとしても、

それはただ一つの傲慢であると、

誰が思うだろう。


この世の必然はすでに

奇跡なのだと。


素直に喜ぶことが、

できたらいいのに。


自分たちは

曖昧だ。


それこそ同じ奇跡を

嘆くことも

喜ぶことも

同じようにできることを

つねに自覚することは難しい。


この世は奇跡というモノで溢れている。


それはただ必然と呼ばれていることが多いだけ。


そう思う私の定義も

また傲慢の一つなのだろう。


本当に奇跡とは曖昧だ。

いかがでしたでしょうか?

何か頭の隅にでも引っかかるようなことがあれば、

幸いだと思います。

十人十色。

この詩に答えも何もないですから。

こんな詩を書く私ですが・・・

正直、ギャグが好きです。

↑だけは声を大にして宣言しておこうかな(笑)

お読みいただきありがとうございました。

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