朝食とこれから
「ゆ、ユキちゃん!! そ、その姿はっ!!」
日本人特有の黒から綺麗な蒼へと変化を遂げた長い髪と共に朝食の席に訪れると、誰よりも真っ先にレイフィード叔父さんが駆け寄って来てくれた。
害のない異変と把握されていても、やっぱり反応は人それぞれ。
朝食の広間に来る途中もメイドさん達が楽しそうに寄って来てくれたし、男性陣はともかくとして、女性の変化に対する敏感さはどの世界も変わらない。
……けれど。
「うわぁ~!! 前の長さも良かったけど、ちゃんとしたロングもいいね!! ユキちゃんによく似合ってるよ~!! 可愛い可愛い!!」
「あ、ありがとうございます。レイフィード叔父さん」
メイドさん達よりも、実の叔父の方が反応が凄まじい!!
私の周りをぐるぐるとまわり、嬉しそうにはしゃいでいるレイフィード叔父さん。
その煌々とした好奇心と喜びの目に戸惑っていると、席を立ったお父さんがレイフィード叔父さんの後ろ襟首を掴んで引き摺り戻した。
「レイフィード、気持ちはわかるが少し落ち着きなさい。お前は国王なんだから少しは威厳というものをだね」
「無理です!! だってユーディス兄上!! ユキちゃんがイメチェンしたんですよ!! ふわふわ柔らかロングなユキちゃん!! 可愛すぎて落ち着いてなんかいられ、ぐっっ」
「お、お父さん! それは駄目!! レイフィード叔父さんの首絞まってるからああ!!」
「安心しなさい。この程度で狼王族は死なないからね」
いやいや、そんな問題じゃなでしょう!!
蛙が踏み潰されたような残念な声がレイフィード叔父さんの口から漏れ聞こえ、一番前の席へと戻されていく。向こうの世界ではどんな時も穏やかで優しかったお父さん……。
エリュセードに移り住んでからは、度々こんな風に意外な姿を見かける事がある。
やっぱり、相手が実の家族だからかな。ふふ、……本当にはっちゃける事が多くなってきたね、お父さん。少し遠い目をして微笑ましい兄弟の眺めておく。
「幸希~、あとでお母さんと髪飾りでも買いに行きましょうか」
食事の席に座ると、右隣の席で出迎えてくれたお母さんがのほほんとそうお誘いをかけてくれた。
お母さんも手先が器用で髪を弄ったりするのが好きだから、きっと私の髪で遊びたくてウズウズしているのだろう。ちなみに、セレスフィーナさんに揃えて貰った蒼髪の今の状態は、頭の後ろで髪の一部を編み込んだそれを中央で結び、可愛らしい金色の髪飾りを着けて他の髪と一緒に流してある。昨日までのそれと違って、確かに遊び甲斐のある髪の長さだ。
自分でも色々と試してみたいヘアスタイルがあったし、髪飾りやリボンといった装飾品も少し増やしてみようかなと思っていたところだったから、丁度良いかもしれない。
お昼からの約束を交わし、私は朝食の席へと着く。
いつも通り、料理長さんが作ってくれた美味しい朝食を口へと運び、全面が窓になっている壁の方に目を向けて、その向こうに広がる清々しい青に笑みを浮かべる。
今日もウォルヴァンシアは平和で穏やかだ。朝の内に文字の読み書きの復習でもしようかな。
と、幸せな心地で食事を進めていると、広間へとお客様が現れた。
「お食事中失礼いたします。陛下、皆様」
「おはよう、セレスフィーナ。ユキちゃんの件かな?」
白衣姿の麗しい双子の王宮医師、セレスフィーナさんとルイヴェルさんだ。
それに、何故かカインさんまで一緒にいる。
私の身体に起きた朝の異変に関して、改めての報告をレイフィード叔父さんにしに来てくれたらしい。お二人はレイフィード叔父さんの許まで近付いて来ると、謝罪の言葉と共に報告を始めた。
「よぉ、ユキ」
王宮医師のお二人とは別に私の方へとやって来たカインさんが、気を利かせて予備の椅子を持って来てくれたメイドさんに軽くお礼の言葉を伝えて腰かける。
普段は自室で朝食をとっているカインさんだけど、何か用事があって来たのだろうか。
じゅわりと口の中に広がるお肉の味を堪能し、それを飲み込んで朝の挨拶を向けると、カインさんは私の背中の方をじっくりと眺め始めた。
「おぉ~、本当に髪長くなってんなぁ」
「カインさん、もしかして……、私のこれを見物に来たんですか?」
エリュセードの民であるカインさんからすれば、特に驚くような出来事でもない。
それなのに、彼の妖艶な真紅の双眸には好奇心の気配が滲み出している。
私の柔らかな蒼髪を指先に絡めたり擽ったり……。何だか猫みたい。
何も言わずに私の髪と戯れるカインさんを放置して食事を進めるわけにもいかず困っていると、向こう側の席でお肉を口に運んでいたレイル君が助け船を出してくれた。
「カイン皇子、意中の女性の愛らしい変化に喜ぶ気持ちはわかるが、それではユキが食事を進められないだろう? 少しは場を考えてくれ」
「別に俺は気にしねぇぜ? ユキ、お前も好きに飯食ってろよ。俺はこれで遊んどくからよ」
何だかレイル君が物凄く恥ずかしい事をサラッと言いながらカインさんを注意してくれたけれど、その手と意識が私の髪から離れる事はなかった。
大好きな玩具を手に入れた子供のように、気が付けば下の方の髪が一部三つ編みに……。
う~ん、別に嫌なわけじゃないのだけど……、流石に食事中はやめてほしい。
それに、三つ子ちゃん達もカインさんのやってる事に興味を惹かれたのか、いつの間にか私の足元には可愛らしい子供達の姿が。ピョンピョンとジャンプして自分達も私の髪で遊びたいと無垢で悪気のない自己主張を始めている。
三つ子ちゃ~ん……、髪っ、髪っ、引っ張ってる引っ張ってる!
「……カイン皇子、私も我慢の限界がある。その辺で娘から離れてくれないかな?」
困り果てている私の右二つ隣の席からゆらりと立ち上がったのは、耐えに耐えていた事がわかる……、笑顔なのに修羅の鬼を思わせるオーラを立ち昇らせているお父さんだった。
その向こうでは、話を中断したらしきレイフィード叔父さんも以下略。
ご満悦な表情のカインさんの頭上に振り下ろされた一撃と共に、残念な呻き声が漏れる。
お父さんが、頭の上に大きなタンコブを腫れ上がらせた竜の皇子様をズルズルと引き摺って広間の外に……、ポイッ! 一国の皇子様なのに、物凄く雑な扱いだった。
「あの、お父さん……、もうちょっと優しく」
「幸希、気にせずに食事を続けなさい。三つ子達も、席に戻って行儀良く食べるんだよ? いいね?」
「「「は、はいなのぉ~!!」」」
流石に本気のお怒りモードのお父さんの笑みが怖かったのか、三つ子ちゃん達も席へと戻って行った。ふぅ……、カインさんと三つ子ちゃん達には申し訳ないけれど、これで食事を進める事が出来そうだ。ほっとして新鮮なミルクを口へ運ぼうとしていると。
「ユキちゃん、朝食を終えたら王宮医務室に行って貰ってもいいかな?」
「んっ。……は、はい」
「申し訳ありません、ユキ姫様。御髪の変化の原因が枷の緩みである事はわかっているのですが、念の為に詳しい診察をさせてくださいませ」
恭しく頭を下げてくれる女神様のような王宮医師様に迷う事なく頷いてみせると、この話はここで終わりとレイフィードさんが笑顔で締め、別の話題を持ち出してきた。
一週間後、このウォルヴァンシア王国に、遥か遠く、西に位置するラスヴェリート王国から国王夫妻がやって来るらしい。狼王族のように、人と獣、二つの姿を抱いて生まれる事のない、人間種族が治める国のひとつ。
「ユーディス兄上はご存知ないと思いますが、あそこは数年前に代替わりしまして、まだ若いものの、将来が期待出来る良き王ですよ。ね? ルイヴェル」
ラスヴェリートの国王様の事を笑顔で同意を求めて尋ねたレイフィード叔父さんに、何故だか一瞬だけ別の気配が浮かべた深緑の怱忙で、ルイヴェルさんは仕方なく、といった様子で頷いた。
あれは心からの同意じゃなくて、少しだけ異議ありと言いたげな気配だ。
「治世に関しては……、確かに問題はありませんね」
前半だけやけに強調されたような気がするのは気のせいだろうか。
珍しくあのルイヴェルさんが言葉を濁している。
けれど、お父さんの方は今の王様を知っているらしく、その人ならば心配ないなと優雅な微笑を浮かべた。
「彼とは何度か会った事があるが、次期国王としての才覚は十分だったからね。ラスヴェリートを安心して任せられると、御父上も確信して王位を任せられた事だろう。そういえば、もう妃は迎えたのかな?」
「王位を継ぐ時に、確か公爵家の令嬢と式を挙げたはずですよ。長い片想いの期間を経て結ばれた仲だったそうで、式の時は国全体が大盛り上がりでしたね~」
「……面倒な執着と愛に囚われた王妃に同情しますが」
ボソッと、ラスヴェリートの現国王様の事を称える王族兄弟から顔を背け、ルイヴェルさんが疲れたように何かを呟いたような気がしたけれど、確かな音は拾えなかった。
その横では、クスクスと苦笑しているセレスフィーナさんの困ったような顔も見える。
ラスヴェリートの国王様……、一体どんな人なのか。
夫妻を歓迎する意味も込めて開かれるという舞踏会の話にも興味を惹かれながら、私はまだ見ぬ遠き地にあるラスヴェリート王国に関して事前の勉強をしておこうと考えるのだった。
――と、私が王宮図書館にその国の情報を求めに行こうと決めたその時、レイフィード叔父さんがテーブルの籠の中に入っているサンドウィッチを手に取って王宮医師のお二人に顔を向けた。
何をするのだろうと眺めていると、レイフィード叔父さんが無邪気な笑顔でサンドウィッチを差し出す。
「そういえば、二人はもう朝食はとったのかな?」
「いえ、今日はまだ……」
不思議そうに首を傾げるセレスフィーナさんの愛らしさもまた見惚れる程に素敵だ。
けれど、それを眺めている私の視線の先で、レイフィード叔父さんがまさかの一言を!
「じゃあ、はい。あ~ん」
「え?」
セレスフィーナさんの口から間の抜けた声が出るのと同時に、ひょいっとその可憐な唇の中に差し込まれたのは、レイフィード叔父さんの持っていた一口サイズのサンドウィッチ。
え……、今、目の前で何が起こったの? 正しく認識するまでに数秒……。
セレスフィーナさんの方も、口の中に広がる料理長さんお手製の美味しいその味を咀嚼しながら、数秒の後に自分がされた事を自覚し、わかりやすいぐらいに真っ赤な色で染まってしまった。
「へ、陛下……っ。あ、あの、い、今のはっ」
「ふふ、美味しいだろう? 今日は珍しいラウザ肉を仕入れる事が出来たらしくてね。料理長が腕を揮って仕上げてくれたんだ。大食堂の方でも一日限定のメニューで入れておくって言っていたから、無くならない内に行っておいで」
「は、はいっ。……あ、あの、でも、あの、い、今のはっ」
「大丈夫か? セレス姉さん」
レイフィード叔父さんからの「はい、あ~ん」が余程恥ずかしかったのか、それとも……。
瞳に涙まで浮かべて真っ赤になっているセレスフィーナさんの身体がぷるぷると震えている。
確かに、子供の頃ならいざ知らず、大人になってからそれはちょっと……。
許容量オーバーなのか、ふらりと倒れそうになった双子のお姉さんの肩を抱いて支えたルイヴェルさんが、やれやれと息をひとつ。
そして、レイフィード叔父さんがもうひとつサンドウィッチを手に取って、それをルイヴェルさんへと差し出す。ま、まさか、ルイヴェルさんにまであれをやるの!?
思わず、ごくりと喉の奥に緊張の音が押し込んでしまった私は、食事の手を止めて目を見開いてしまう。
「はい、ルイヴェルもあ~ん」
レイフィード叔父さぁああああん!! お二人は子供じゃないんですよぉおおお!!
内心の絶叫と全力のツッコミを表に出す勇気はない。
ルイヴェルさんはサンドウィッチとレイフィード叔父さんを見比べ、そして。
「いただきます」
「はい、どうぞ~」
な、なんと……、冷静沈着な王宮医師様は顔色ひとつ変えずにレイフィード叔父さんの手首を掴んでその一口サイズの欠片を鮮やかに奪い去っていった。
普通に受け取るという選択肢はなかったのだろうか……。
口の中で絶妙な味わいを堪能したルイヴェルさんは、「とても美味でした」と感想を漏らし、今にも意識を失いそうになっている双子のお姉さんを連れて、広間から出て行ってしまった。
……物事に動じなさそうな性格なのはわかっていたけれど、あまりにも鮮やか過ぎる。
レイフィード叔父さんにとっては子供同然にしか見えていないのか、最後まで手を振ってお二人にちゃんと食事をとって元気に仕事をするように~! と笑顔で見送る様が印象的だった。
「ねぇ、お母さん……」
「なぁに?」
「あれ、って……、普通の事、なの?」
「そうね~。私が十代の頃、ウォルヴァンシアでお世話になっていた時にも、同じようなのはよく見かけたわよ~」
「そう……、なんだ」
恐るべし、レイフィード叔父さんの身内愛。
今も笑顔でもぐもぐと食事をとりながら、寄って来た三つ子ちゃん達のお世話を甲斐甲斐しく焼き始めたウォルヴァンシアの王様の深い懐と無限大の愛情に、私は暫し妙な感動を覚えながら遠い目をするのだった。
2015・10・19
改稿完了。