幸希に起きた変化
「おかし、いっぱぁ~い、むにゃむにゃ」
「あう~、だっこぉ~、ふにゃぁ」
「い、いひゃいよぉ……、んにゅ~っ」
すぐ傍で聞こえてきた愛らしい子供達の寝言。
ゆっくりと朝の爽やかな光の恩恵を浴びながら目を覚ました私は、自分の身体の上に重みを感じた。可愛い可愛い子狼が三匹、微笑ましい声を零しながら乗っている。
そういえば、夕食の後に私の部屋へと遊びに来てくれた三つ子ちゃん達と一緒に寝る事になったのだった。もう悪夢を見る回数は激減しているし、滅多にその被害に遭う事もないけれど……、誰かの温もりが傍にあると、一人で眠る時よりも夢見がいい。
私は子狼の一匹を抱き上げると、その純白の毛並みを撫でながら朝の挨拶を笑顔で囁いた。
「おはよう、アシェル君。それに、エルディム君にユゼル君」
「んにゃぁ……、おはよう~、ゆきちゃ~ん。ふにゅっ」
「ゆきちゃん、ぼくもだっこぉ~」
「ぼくもぼくも~」
子狼の姿になってもそっくりな子狼ちゃん達だけど、一緒に過ごしていると気配や感覚でわかるようなものになるものだ。順番に胸へと抱っこして抱き締めると、三人は心から嬉しそうな顔ですり寄ってくる。まだ眠いから、もう少し寝ていようという甘えん坊さんな三つ子ちゃん達に、そうだねと返事を返して身体を横たえようとした、――その時。
『――ユキ、起きているか?』
『ユキ姫様、朝のお茶の準備に伺わせて頂いたのですが、よろしいでしょうか?』
扉の向こうから聞こえたアレクさんとロゼリアさんの声に、私は三つ子ちゃん達をベッドに残して出迎えに立った。
しかし……、ノブを手に掴むよりも前、私の身体が突然力を失ったかのようにガクンっと、視界に足元の絨毯が迫って……。
意味もわからずその場に膝を着く事になってしまった私は、自分を中心に絨毯へと浮かび上がった緑銀の光に大きく目を見開いた。
これは……、何? 魔術の陣のようなものが点滅するかのように光って、か、身体の奥が、――熱い!!
「うぅっ、……ぁあっ、な、何っ」
両手を絨毯の柔らかな表面に沈み込ませ、何かが自分の中で小さな亀裂を立てるかのような音を聞いた。まるで、高熱を出して身体に大きな負荷がかかった時のような感覚っ。
一体何が起こっているのだろうと不安に思っていると、意外にもその症状と周囲の陣は、ほんの数秒ほどで綺麗に消え去ってしまった。
「い、今のは……」
『ユキ、どうした?』
返事をしたのに、扉の少し手前で動きを止める事になってしまったのか私を心配してくれたのだろう。アレクさんが僅かに緊張を孕んだ声で様子を尋ねてくれている。
自分の身に何が起こったのかはわからないけれど、身体は通常状態に戻っているし、大丈夫。
立ち上がり、今度こそ扉へ……。と、動きかけたその瞬間。
「え……」
『ユキ?』
ふわりと、何かが手に触れた、気がする。
手だけじゃない……。いつもとは違う、――背中を伝う柔らかな重み。
視線を巡らせた先に見えた、鮮やかな蒼。
「どうして……?」
夜着姿の私を優しく包み込むかのように、……肩より少し長いだけだった髪が急激な増毛を!!
ぽかんと口を開けて放心してしまった私は、もう一度聞こえたアレクさんの声で我に返り、自分の腰より長くなっている髪に目を瞬いた。
さっき目が覚めた時は普通通りの長さだったはず、それなのに、腰よりも長くなっているどころか、黒髪のはずのそれが、何故か蒼色に変化してしまっている!!
「あ、アレク……、さんっ、ロゼリアさん!!」
大慌てで扉を開けた私は、驚愕のあまり口をパクパクさせながらアレクさん達に助けを求めた。
しかし……。二人が驚いたのは私の戸惑う様子にだけで、髪の方への反応は。
「ユキ……、魔力のバランスでも崩したのか?」
「え!? あ、あのっ」
「前の髪型も良かったが、ロングのお前も良いな……」
「恐れながら、ユキ姫様はその手の変化の経験は、初めてでいらっしゃいますか?」
あれ……、あんまり、驚かれて、ない?
髪の長くなっている変わり果てた私の姿を見ても、アレクさんとロゼリアさんは騒がなかった。
私の蒼いそれをひと房手に取って、綺麗だなと褒める余裕があるぐらいには平常心。
驚いてパニックになっているのは私だけなの!? 急に髪の長さと色が変わったのに!!
「あの、これって……、ふ、普通の事、なんですか?」
「日常茶飯事で起きる事ではありませんが、あると言えば、ありますね。時折」
「特に問題はないと思うが……。ロゼ、一応念の為、王宮医務室に行ってルイとセレスを呼んで来てくれ」
「了解しました。ユキ姫様、すぐに戻りますのでご安心を」
「は、はい……。よろしく、お願い、します」
別にこれは異常な事態ではない、と……、安心してもいいのかなぁ。
アレクさんに促され部屋の中へと戻った私は、人の姿に戻った三つ子ちゃん達の支度を手伝いながらロゼリアさんのお戻りを待つ事になったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「私の本来の、色、……ですか?」
ロゼリアさんに連れられて私の部屋へと訪れてくれた王宮医師のお二人を席へと促し、朝のティータイムに入った私は、膝の上でまだ眠そうにしているアシェル君の頭をよしよしと撫でていた。
エルディム君とユゼル君も、王宮医師のお二人のお膝でそれぞれに寛いでいる。
やっぱり……、突然髪が長くなってしまった私の状態を見ても驚いてくれない微笑顔の双子。
髪が伸びる前に何があったのか、それを説明すると、すぐに答えが返ってきた。
「はい。ユキ姫様は幼い時に魔力と記憶を私達フェリデロード家の者に封じられておりますが、禁呪の件で少々その枷に綻びが生じたのではないか、と……」
「お前は魔力だけでなく、いまだ解明されていない未知の力の持ち主でもあるからな。恐らく、カインの為にその血を大量に使ってしまった事が原因だ」
「えーと……、つまり」
封じられているはずの魔力が少し漏れ出したから、私の髪に変化が起きた、と。
私が見た魔術の陣も、その封印の一部に綻びが生じた為に現れたものなのだそうだ。
元々、禁呪の件で大量に血を使ってしまった事が原因となり、徐々に徐々にと私の中で変化を見せ始めていたその影響が、今日の朝、ついに形となって私の髪に変化を起こしたらしい。
そして、この美しい蒼こそが、私の抱く本来の色だと、セレスフィーナさんとルイヴェルさんは説明してくれた。
「でも、私のお父さんは黒髪……、ですよね?」
「あれも術による変化だ。ウォルヴァンシア王家の本来の色は、蒼。まぁ、婚姻の相手によって、その子供が別の色を抱く場合もあるがな」
「三つ子の王子様方も、御髪の色が違いますでしょう? 王妃様と陛下のお色を受け継がれていらっしゃいますから」
なるほど……。じゃあ、私もお父さんの蒼を受け継いだという事なんだ。
確かに、向こうの世界で蒼髪仕様だったら、流石に両親を呼び出されてしまう。
納得の説明に頷いていると、セレスフィーナさんがユゼル君を抱いて立ち上がり、私の背後へとまわってきた。
「ユキ姫様の場合は、枷に綻びが生じ滲みだした魔力の影響で変化が出ておられますが、普通に生活しているエリュセードの民もまた、魔力のバランスやその変化によって短いはずの髪が伸びたりとする事もあるのです。勿論、害はありませんのでご安心くださいね」
「は、はい」
恐るべし……、エリュセードの増毛事情。
ルイヴェルさんが入れてくれた補足説明では、髪が魔力の変化で長くなる事はあっても、短くなる事はないらしい。ただ、その変化によってストレートだった髪質がクセっ毛になったりと、一時的な困った変化もあるらしいから、それに悩まされる人もいるとかなんとか。
「まぁ、時々の話だ。……しかし、やはり予想通り封印の枷が解けかけている以上、父さんには早めの帰還を願いところなんだが」
「そうね。ユキ姫様に施している枷はその根本をお父様が担っていらっしゃるから……。封じを完全に解くとしても、万全の状況が必要だわ」
「そ、そんなに大変なもの、なんですか? 私の記憶や魔力を封じてある枷、って」
自分では特に何かを感じる事もない。身体も健康だし、地球にいた頃よりも調子が良い。
見上げてくるアシェル君に笑みを返し、一体私という存在は何なのだろうかと首を傾げていると、ロゼリアさんが淹れ終わった紅茶を私達の前へと差出し、セレスフィーナさんへと尋ねた。
「お二人のお父上様は、フェリデロード家の現当主……。当時の事に関してはあまり詳しくは知らないのですが、当主たる御方が枷を施すという事は」
「ええ……。このエリュセードと別の世界の血を継がれるユキ姫様は、どちらの世界にとっても唯一無二の特別な存在なの。抱いて生まれた魔力値の高さも相当のものだけど、未知なる力の事も考えると、お父様のような上級以上の魔術師が念を入れる必要があったのよ。私とルイヴェルはその補佐をしただけ。だから、枷を全て安全に外すには、お父様の力が必要不可欠なの」
「まぁ、綻んだ枷の補強程度なら難もなくこなせるからな。いざとなったら、ユキの力を抑える為の術も自動的に発動する仕掛けになっている。今のままでも特に心配はない」
ほど良い温もりの紅茶を口に含み、ふむふむと説明に耳を傾ける。
二つの世界の混血児である私は、まだまだ不明な部分が多く、ある意味珍種の動物みたいなものらしい。見世物パンダ……というわけではないけれど、自分ひとりだけが他の人達と違うという事を再確認させられたようで、少しだけ寂しくも感じられる。
でも、そのお蔭でカインさんを禁呪から救い出す手助けが出来たと思えば、自分の生まれに感謝すべきだろう。
「でも、魔力と記憶は封じたのに……、どうしてもうひとつの、あのカインさんを助ける為に使った力の源はそうしなかったんですか?」
「それは……」
「消えるからだ」
「え?」
私の中で息づいている不思議な力……。
一言で片づけてしまったルイヴェルさん曰く、幼い頃から時々ではあるけれど、私はあの力を表に発現させる事があったらしい。でも、使い終わると幻のように消え去り、どんなに私の身体や体内、魔力領域と呼ばれる部分を調べてもその源泉が見つからなくて……。
「魔力のように、その力の源である根本がすぐに隠れてしまい、俺達から逃げているというところだな。だが……、カインの件でわかっているとは思うが、お前の血は力の片鱗を宿している為か、採取してもその力を失わない」
「フェリデロード家でも、ユキ姫様の血液のサンプルは保管していたのですが……。干渉しある程度まで抑え込む方法はわかっております。ですが、どうしても封印に必要となるユキ姫様の源泉とも言うべき部分が見つからず……。結果、魔力と記憶を封じ、未知なるその御力に関しては、暴走の気配を感知した場合のみ抑え込む為の術式が発動するようにと」
「そうだったんですか……。何だか、自分の事なのに、あまり実感が湧きませんけど……、ご迷惑をおかけしてすみません」
フェリデロード家は話に聞くところによると、このウォルヴァンシアだけでなく、エリュセードでも羨望と尊敬の眼差しで見られる一族らしく、魔術と医術に関する能力が非常に高いらしい。
その御当主様が自ら施してくれた封印。向こうの世界で生きていくには不要な力。
それは、事によっては人を傷つける可能性もあったのだろう。だから、念入りに枷を施した。
ちょっとだけ思った事は、「あれ? 私って危険物みたいなものなのかなぁ」という素直な哀愁。
助ける為の力が、一瞬にして凶器となる可能性なんて、考えたくもない。
となると……、フェリデロード家の御当主様が戻って来たら、記憶だけ返して貰えるのかな?
それを聞いてみると、セレスフィーナさんがゆっくりと首を振った。
「ユキ姫様はこのエリュセードで生きて行かれる事になりましたので、暴走時の術式を除き、他は全て解く事になると思います」
「今は自己防衛の為にレイフィード陛下の魔力を借り受けてはいるが、あくまで他人のものだからな。いずれは自身の魔力を扱う術を覚え、それを学んでいく事になるだろう」
私の魔力……。それを自分の意思で使えるようになる日が、くる。
本当に? と、王宮医師のお二人を眺めてアレクさんやロゼリアさんにも視線を向ければ、優しい笑みと頷きが返ってきた。
今はウォルヴァンシアの事やエリュセードの事を学んでいるけれど、魔術は防犯用のあれしか使った事がない。それ以外の魔術も……、これから覚えていける。
「ユキ、魔術の事ならセレスとルイに聞くといい。俺とロゼも、少しぐらいなら力になれる」
「アレクさん……。はい、ありがとうございます!」
「俺も手を貸してやろう。その道を歩む者についた方が、上達も期待出来るからな」
「アレクさん、ロゼリアさん、セレスフィーナさん、どうぞっ、よろしくお願いします!」
「……ほぉ、俺を無視か」
面白そうに私の方を見てきたルイヴェルさんからさっと顔を逸らし、魔術の勉強を始める日が来たら、人をからかって遊ぶドSな王宮医師様じゃなくてアレクさん達を頼ろうと心に決めておく。
ガーデンパーティーの日に起こった騒動の数々はまだ記憶に新しく、ルイヴェルさんへの怒りだってまだ心の片隅に残っているのだ。意地悪でからかい癖のある人になんて習ったら、絶対に練習時間の大半はいじられて終わりに違いない。だから絶対にルイヴェルさんを頼ったりはしないのだ。
「ルイ……、自業自得だと思うぞ」
アレクさんからのじとっとした視線に、ルイヴェルさんはエルディム君の髪を器用に編み込みながら鼻を鳴らした。駄目だ、全然懲りてない!
やっぱりこの王宮医師様とはある程度の距離感で逃げの姿勢に入るのが得策だ。
そう何度も再確認する私に、セレスフィーナさんが話題を変えるように提案してきた。
「見たところ……、少々御髪が長すぎるかもしれませんね。私でよろしければ揃えましょうか?」
腰よりも長く伸びてしまった私の髪は、彼女の言う通り、ちょっと長すぎるかもしれない。
それに、一気に伸びてしまった事もあって毛先や長さのバランスがおかしいし、一人で揃えるには技術が足りない。
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「はい。それじゃあお茶を済ませた後にでも、手入れをさせて頂きますね」
私はセレスフィーナさん達とのお茶の時間を済ませると、髪の長さを綺麗に腰の辺りまで揃えて切って貰い、無事に新しい形を整える事が出来たのだった。
途中でルイヴェルさんが別の髪型にしようとしたり、セレスフィーナさんがそんな双子の弟さんに凄まじい威嚇の笑顔で牽制したりと……。始終賑やかだったのは、言うまでもない。
2015・10・18
改稿完了。
 




