二人への返事
「ユキ」
パーティーの場へと戻り、辺りを見回していた私を呼び止めたのは、人の波を器用に避けてこちらへとやって来るアレクさんだった。
ルディーさんやロゼリアさんと同じ、騎士団の正装姿。
いつもは背に流している綺麗な銀髪を途中でひとつに結び、それを胸元に流している。
言葉を失ってしまう程に美しい、月の光の化身のような騎士様。
「ユキ?」
「あ、す、すみませんっ。いつもと少し違っていたので……、あの、か、格好良くて、その」
頬に困った熱を抱きながらアレクさんを見上げると、彼もまた、同じように困った顔をしていた。
アレクさんの蒼を抱く双眸が、私の存在をじっくりと眺めている。
「すまない……。さっきも遠くから見ていたはずなのに、近くで目にしたせいか……、お前の愛らしさがいつも以上に眩く感じられるというか」
「えっ?」
「その正装、よく似合っている……。俺などよりも、ずっと、お前の方が、出来る事ならこのまま」
「あ、ありがとうございます! えっと、そ、そのっ」
まるでロボットのような私の動きと、目の前に女神様でも降臨したかのように嬉しそうに目を細めているアレクさんの照れた微笑。どうしよう、私達の間に、とてつもなく気恥ずかしい気配が満ち溢れている!
どこからどう見ても麗しの凛々しき騎士様が眩い存在なのはわかるけれど、やっぱりアレクさんは私に対して過大評価が凄いというか、本当に……、彼の中で私はどうなっているのだか。
今でも信じられない、アレクさんからの好きを感じながら戸惑っていると……。
「よっと!」
「え? きゃあっ!」
私とアレクさんの間に流れている空気を断ち切るかのように、丁度二人のすぐ傍にあった木の上から、勢いよく飛び降りてきた黒い影。
それは着地と同時に私の腕を掴んでその場から飛び退くと、アレクさんへと挑戦的な音を放った。
「よぉ、番犬野郎。何抜け駆けしてんだよ?」
「か、カインさんっ!?」
強引に私を自分の胸へと抱き寄せたその人は、普段の着崩した黒の私服ではなく、珍しく皇子様らしい正装を身に纏って不敵に微笑んでいる。
アレクさんが眉を顰め、腰に携えてある剣の柄に手をかけるのが見えた。
「礼儀知らずな性格は相変わらずだな……。ユキから離れろ」
「はっ! ユキはテメェのモンじゃねぇだろうが。まだ誰のモンでもねぇんだ、出来る時に行動しとかねぇとなぁ?」
「貴様……っ」
せっかくの華やかな場で流血沙汰だけは勘弁してください!
アレクさんとカインさんが今にも喧嘩を始めそうな気配に雪崩れ込んでいくのを必死に宥め、ようやく解放された私は、ほっと胸を撫で下した。
そして、振り返りもう一度確認したカインさんのその姿に……、口をぽかんと開ける羽目に。
相変わらず黒が好きなのか、高級な素材で作られているらしい事が一目でわかるその正装の全体的な色は闇色。女性の心を蕩かす魔性の美貌も相まって、凄まじい色香が溢れている。
けれど……、さっきからどうにも気になっている点がひとつ。
ヘアワックスでも使っているのか、前髪の一部を残してきっちりと撫で付けられている髪型。
ぐるりと……、カインさんの背後にまわってみる。
「……カインさん」
「なんだよ?」
「髪が短くなってます!!」
「……今更だな、おい」
じっくりと眺めて大声を上げた私に、カインさんががっくりと肩を落として呆れ交じりの音を零す。
背中よりも少し長めのクセっ毛の髪が、バッサリとその姿を消しているのだ。驚かないわけがない。
襟足の部分を少し長めに残してあるけれど、一体何故……。
不思議がって見上げてくる私に、カインさんが爽やかな表情で微笑む。
「ずっと伸ばしっぱなしだったからな。今日のイベントついでに丁度良いと思って、昨日の夜に切った」
「そうだったんですか。ふふ、よく似合ってますよ」
「ははっ、サンキュ。やっぱ短いと軽くて便利だし、何より洗髪の時が楽なんだよ」
そう朗らかに笑ったカインさんが、頭上に広がる大空を見上げて呟く。
「それに……、新しくやり直す、って意味もあるしな」
しみじみとしたその穏やかな声音に、私は静かに頷きを返す。
イリューヴェル皇国、第三皇子……。正妃である皇妃様の息子として生まれたカインさんは、先に生まれてきた側室の子供である二人のお兄さん達と次期皇帝の座を巡り、色々と苦労を重ねてきた。
出来の良いお兄さん二人と比べられて、やがて道を踏み外すように歪んでいってしまった人。
けれど、今のカインさんは違う。禁呪の件を経て、お父さんと話し合って、ようやく歩んで行く道を見つける事が出来た。それを証明するかのように、彼の真紅の双眸には、希望の気配が確かに宿っている。
アレクさんも、未来を見据えて生き直そうとしているカインさんの様子を静かに見つめながら、それを否定したり嫌味を言う事もない。
「で、お前も相当めかし込んでるが、いつものお子様仕様とは違って、結構可愛いくなってんじゃねぇか?」
「え?」
突然話題を変えるように私の傍をまわり始めたカインさんが、ふむふむと眺めてくる。
ふんわりとしたドレスの裾を指先で摘み、聞いているのも恥ずかしくなるぐらいに、可愛い可愛いと満足げに繰り返す竜の皇子様。
「か、カイン……、さん? あの」
「レイフィードのおっさんの趣味だとは思うが、やっぱすげぇな。お前の魅力をどう出せばいいのかちゃんとわかってんじゃん。ふぅん、ここはこうなってんのか~」
からかい癖のあるカインさんにしては、やけにベタ褒めの言葉が次々とっ。
そして、私の目の前ではアレクさんが怒りに震え、――まさかの抜剣状態!!
私のドレスに触りまくっているカインさんをぎろりと睨み付け、今にも斬りかからんばかりの様子。
不味い、物凄く流血乱舞の予感!!
「か、カインさんっ!! あ、あのっ、す、少し離れて頂けませんか!!」
「あ? どうしたんだよ。……あぁ、なるほどなぁ?」
カインさんの傍から離れようとした私に、事態の恐ろしさに気付いたその腕が、挑戦的に私の腰を抱き寄せる。アレクさんの抑えきれない憎悪と敵意が、賑やかな庭園に極氷の気配をもたらしていく。
「忠誠心溢れるウォルヴァンシアの騎士じゃ、俺みたいな真似は出来ねぇもんなぁ?」
「首を斬り落とされたくなければ、今すぐにユキを解放しろ」
「ユキの恋人でもねぇくせに傲慢な野郎だぜ。いいか? こいつはな、俺が近づいても、触っても、嫌な顔なんかしてねぇんだよ。なぁ、ユキ」
「もうっ、いい加減にしてください!! 私は誰のものにもならないんですからっ」
……と、思わず激化しそうな険悪な雰囲気の中に、私は爆弾発言を投下してしまった。
ピシリとさらに凍り付いた場の空気……、アレクさんとカインさんからの視線が、物凄く痛いっ。
抜き身の刃がアレクさんの鞘へと収まり、カインさんが私の肩に腕をまわして覗き込んでくる。
「その話、……裏でじっくりと、詳しく、聞かせて貰おうか?」
「え、あ、あの……、い、今のはっ」
ガーデンパーティーの今日に言うつもりなんかなかったのに!!
まさかのうっかり発言で冷や汗を流し始めた私は、アレクさんとカインさんに引き摺られ、王宮の目立たない別の庭へと連行されてしまうのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「座れ」
「は、はいっ」
パーティーの行われている庭園から少し離れたその場所、小さな庭の中に設えられているクリスタルのテーブルと椅子を目にした私は、カインさんの手によって強制的に着席を余儀なくされた。
向けられている視線は、さっきのうっかり発言に対する詳しい事情を求めてのそれだ。
「ユキ……」
あぁ、アレクさんの寂しそうなわんこ仕様の眼差しが辛いっ。
出来れば、パーティーが終わって落ち着いてから、タイミングを見て……。
そう考えていたはずなのに、すでに口走ってしまった『答え』は二人の中で抑えきれない感情の渦を生み出しているようだった。
「誰のものにもならない、って……、何なんだよ、あれ」
「カイン、ユキを責めるような真似をするな。大丈夫だ、俺は怒っていない。だから、ゆっくりとでいいから、話して貰えるか?」
「アレクさん……」
もうあの時点で、心にグサリと大ダメージを負っているはずなのに、アレクさんはカインさんのように感情を叩き付ける事はせず、私の傍に膝を折ってくれた。
「アレクさんとカインさんに想いを頂いて……、沢山、考えました。好きになって貰えた事は、私にとって勿体ないぐらいの幸せで、でも……」
膝の上で両手のひらをきつく握り締め、私はその甲にぽたりと涙を零した。
沢山、沢山考えて……、夜も眠れなくなるくらいに二人の事を思い浮かべて、答えを出そうと頑張ったつもりだったけれど、……それでも。
私は顔を上げ、アレクさんとカインさんを正面から見つめた。
ごめんなさい、と……、心からの謝罪を込めて、望まれない答えをもう一度口にする。
「選べませんでした……っ。アレクさんとカインさんは、私にとって大切な人達です。それは本当の事なんです。けど……、どちらも大事で、失えなくて」
結果的に言えば、どちらかを選べる想いがなかった……。
アレクさんは私にとって、この異世界に来て初めて出来た友人であり、私を救ってくれた人。
頼りになるお兄さんのように温かな人で、向けている信頼は本物。
カインさんは、最初の出会いこそ最低最悪だったけれど、徐々に彼の不器用だけれど優しい部分を知る事が出来て……。からかってきたり喧嘩したり、それでも、もう嫌いにはなれない相手となっている、大切な友人。
それは、私の事を受け入れてくれたウォルヴァンシアの人達に向けるものと同じで……。
でも、少しずつ何かが変わっていくような、特別な何かを感じる存在でもあったのは確か。
それでも……、やっぱり同じ答えが出てしまう。
「恋じゃ、ないんです……」
「だから、俺と番犬野郎のどっちも振るってか?」
「ユキ……」
苛立ちを滲ませながら私を見下ろしているカインさんとは違い、アレクさんは決して私を責めようとはしない。私の手をその温もりで包み込み、静かに尋ねてくる。
「前にも言ったとは思うが……、返事を急かす気はない。ゆっくりと、何年かけても構わないから、お前の心の傍に、俺を」
「お前の事だからな。どうせ悩みまくってそういう極端な答えを出したんだろ? 誰がそんなので納得するかよ。……無期限でいいから、ちゃんと考えて、いつか答えを出せ」
「い、嫌です!!」
「ああっ!? 嫌ってなんだよ!! 俺達が待つって言ってんのに……、お前なあっ!」
骨が軋む程強く掴まれた肩の痛みと二人を傷つけている事への罪悪感に押し潰されそうになりながら、私は何度も首を振る。それでは駄目なのだ、と。
「答えなんて、いつ出るかわかりません……。一ヶ月なのか、二ヶ月なのか……、それ以上なのか。その間中、アレクさんとカインさんの心を縛り付ける事になるなんて、申し訳なさすぎて、私は」
もしかしたら、どちらかを特別な存在として好きになれる日が来るかもしれない。
けれど、二人以外の誰かを好きになるという未来だって、ないわけじゃなくて……。
答えが出るまでずっと、この二人を私に縛り付けて、いつか深い傷を負わせてしまうんじゃないかって、そう考えたら、もう、これ以上返事を延ばす事も出来なくて。
嫌われても、二度と口を利いて貰えなくなっても、私は二人を解放する道を選びたかった。
「きっと、私よりも素敵な人は沢山います。だから……、こんな面倒な私なんかじゃなくて」
「「断る」」
「え……」
それはきっぱりとした、何の迷いもない拒絶の音だった。
アレクさんが私の右手を、カインさんが肩から手を下して、私の左手を。
それぞれにしっかりと握り締めて、私に対する想いを譲る事は出来ないのだと、二人の揺らぎをしらない眼差しが、この心を射抜いてくる。
「俺を変えたのは、今目の前にいるお前だ。希望があるのに、誰がこの手を離すかよっ」
「ユキ、お前に抱いているこの想いは、俺の身勝手なものだ。だが、それを失くせと、他の存在を求めろと強いられても、そんな事は不可能だ」
「駄目ですっ! いつか、絶対に後悔する日がきます……。私なんかを好きにならなきゃ良かった、って、待っていた月日を無駄に思う日が、――っ!!」
お願いだからわかってほしいと、アレクさんとカインさんに涙を零しながら叫んだ私の手のひらに、柔らかで温かい何かが、縋るように押し付けられた。
アレクさんとカインさんの唇が、熱い息が、それぞれの手のひらの中心から、私の心の中へと、逃げられない何かを注ぎ込んでくるかのように。
「な、何してるんですか……っ。んっ」
「誰が逃がすかよ……。他の奴を好きなわけでもねぇ、まだ勝ち目のある勝負に、誰がテメェから引くような真似なんかっ。ふざけんなよ」
「ユキ、お前の心がまだ誰も選んでいないのなら、どうか想い続ける事を許してほしい。そして、願わくば……、お前の特別な存在となれるよう、この心を尽くさせてくれ」
手を引こうとしても、二人の熱は私を逃がしてはくれない。
何度も手のひらの真ん中に触れる困った感触、それは手首や腕にまで及んでくる。
告白の次、私を捕らえる為の本気を見せ始めたかのように、二人の視線は私に据えられたまま……。
し、心臓がっ、アレクさんとカインさんのせいで、だ、大暴走をっ。
顔が、夕陽色よりも赤く羞恥に満たされる。全身が、おかしな痺れを感じ始めている。
「あ、あのっ、ふ、二人ともっ、お、お願いですから、も、もうっ」
「じゃあ、さっきの気の迷いとしか言えねぇ答えは取り消すんだな。これからも、俺達に確かな答えを返すまで、絶対に引き剥がそうとすんな」
「いつまでも、俺はお前を待つ。たとえ待ち続けた時間の先で、お前が別の誰かと添い遂げる事になったとしても、後悔はない。ユキ……、お前を愛する事が出来たこの幸運が消える事も、また、永遠にあり得ないのだから」
オーバーヒート寸前!! 大人の男性二人からの本気にクラクラと意識を失いかけていると、どこからか酷い一撃がアレクさんとカインさんの後頭部を打った。
というか、酷い以上の物凄い音が聞こえたような気が……。
「痛ってぇえええええ!」
「――っ」
ごろん……、と、地面に落ちたのは、丸くて黄色い果物。仲良く二つぶつかった衝撃で揺れている。
一体何がと周囲を見渡せば、背景に何だか怖いブラック・オーラを背負った王宮医師様が近づいて来るところだった。まさか、今のはルイヴェルさんが?
「その辺でやめておけ。お前達の大事なお姫様がぽっくり逝きかねないぞ」
「ルイヴェル、テメェぇえええええ!」
「ルイ……、物体に威力効果増大の術をかけるのは酷いと思うんだが」
落ちている果物をよく見れば、プシュゥゥゥ……と、物騒な煙がモクモクと。
どうやら普通に果物を投げてぶつけたわけではないらしい。
その証拠に、アレクさんとカインさんの頭には可哀想な程に大きな腫れ上がったタンコブが!
多分、困っている私から二人を引き離そうとしてくれたのだろうけれど……。
ルイヴェルさん、手加減がなさすぎて酷過ぎますよ!
抗議の視線で名前を呼ぶと、ルイヴェルさんは意にも介していないように鼻で笑ってみせた。
「こっちはなああ! ユキを繋ぎ止めておけるかどうかの瀬戸際なんだぞ!!」
「邪魔しないでくれ……、ルイ」
「ほぉ……、まだ続ける気か。陛下達がご覧になっているというのに、いい度胸だな?」
と、少しずれて自分の背後に親指を向けたルイヴェルさんの動きを追っていくと、回廊の大きな柱の陰に、まさかのレイフィード叔父さんやお父さん、それから皆さんの姿が!!
お母さんはニコニコと楽しそうに見物しているみたいだけど、お、お父さんが!!
お父さんが殺意さえこもっていそうな恐ろしい目で、こっちを見ている!!
しかも、一体どこから持って来たのか、抜身の剣を携えて佇んでいるのがまた怖い!!
その傍らにいるレイフィード叔父さんも、笑っているものの目が全然そうじゃない!!
皆さん、いつから私達の様子を見ていたの!?
「アレク、カイン皇子……。すまないが、私の娘には恋なんてまだまだ……」
「あら、私が貴方に恋をしたのは、ユキよりもまだ若い頃だったはずよねぇ?」
「それとこれとは話が別だ!! いいかい、夏葉。私達の大事な娘はまだまだ幼いんだっ。嫁入りなんて、どこぞの馬の骨に嫁入りなんて……、私は絶対に許さない!!」
お、お父さん……っ。今にも襲いかかってきそうなお父さんを、レイフィード叔父さんが暴れ馬をいなすように押さえ込んでいる。
「まぁまぁ、今日は楽しいパーティーの日なんですから、流血沙汰は駄目ですよ、ユーディス兄上」
と、物わかりの良さそうな発言をしながらも、レイフィード叔父さんもギリギリのところで何かを抑え込んでいるのは丸わかりなわけで……。
冷静な顔つきで横に避けているルイヴェルさんのすぐ傍を通って、アレクさんとカインさんに対する敵意のような威圧感満載の視線が鋭い矢筋を描くように飛んでくる。
「アレク、カイン、君達がユキちゃんの事を心から愛してくれているのはわかるんだけどね~。ほら、ユキちゃんは僕達の大事な家族だから……。僕と兄上の許可なく口説いちゃうのは、どう考えてもNGだよねぇ……?」
「ユキに惚れちまったから嫁にくれ。これでいいか?」
「カインさん!! 何て恐ろしい事を平然と言ってるんですか!!」
今、私の目の前で迷いなくそう言ったカインさんは、間違いなく猛者の中の猛者だった!!
私のお父さんとレイフィード叔父さんから放たれる敵意の気配が、ぐわりと大きく牙を剥く獣のように、周囲の人達を震え上がらせてしまう。
その上、アレクさんまで至極真面目にお父さん達の所まで向かい、深々とした一礼の後に。
「ユキに対する想いは、俺の命と騎士道にかけて本物だと申し上げられます。どうか、彼女を想う許しをお与えください」
「まぁまぁまぁ~、アレクさんもカイン君も男らしいわね~。ふふ、いいわよ。頑張ってウチの娘を射止めて頂戴」
「夏葉ぁあああああ!! 君は何て事を許可しているんだい!!」
「そうだよ、ナーちゃん!! 僕達の可愛い可愛い大切なユキちゃんに彼氏なんて、まだ早いよぉおおおおおお!」
恐ろしい二人組の威嚇も脅しもなんのその。
絶叫するお父さん達から視線を外し、私の傍へと戻って来たアレクさんとカインさんが、またその膝を地面に着けた。私の手をさっきのように優しく包み込んで……。
「とりあえず、俺達がお前の事を好きって事だけ覚えとけ。で、……ゆっくりのんびり、いつも通りに生活してろ。いつか、お前の心に答えが出たら、その時言ってくれればいいからよ」
「あぁ、普段通りでいい。今は何も特別な想いを抱いていなくても、遠い未来でお前が想う相手を見つけてくれれば」
「で、でも……っ」
それでも無理だと首を振る私に、カインさんがニヤリと笑って心臓に悪すぎる魔性の美貌をずいっと近づけてくる。こ、今度は何!?
「それに、恋じゃねぇなら……、やる事はひとつだろ?」
「か、カインさん?」
「俺達でお前の恋心ってやつを育ててやるよ。どうだ? 良い案だろ? 種を蒔いた責任ってやつだな。その方が色々と面白そうだし、落とす楽しみってのがある」
「お、落とす!?」
ビクリと大きく震え上がった私は、カインさんの真紅の双眸の奥に危険極まりない光を見た気がする。落とすって何? 恋心を育てるって、一体……! この人私に何をする気なの!?
ごくりと喉を鳴らし得体の知れない恐怖に慄いていると、アレクさんがべしっとカインさんの顔を押しのけて顔を寄せてきた。
「このまま何も始まらずに終わるよりは……。ユキ、お前にはすまないが、俺も努力出来る道を選びたい。だから……、俺達に任せてくれないか?」
何をお任せしろと!? アレクさんならカインさんの暴挙を止めてくれると微かな期待を抱いたのに、真面目一直線の騎士様まで私の恋心を育てると宣言し始めてしまったのだ。
まだ友人レベルの感情しかないのなら、自分達の手で恋の色に染めてしまえ、と。
その爆弾宣言に、ついに向こう側のお父さんの堪忍袋の緒が切れてしまい、回廊から飛び出す様子が見えた。けれど、すぐにお母さんがその後ろ襟首を引っ張って行く手を阻んでしまう。
レイフィード叔父さんも、ルディーさんとロゼリアさんに背後からしがみ付かれて以下略。
「だそうだが……、もう諦めるしかなさそうだな? ユキ」
「る、ルイヴェルさん……。でも」
「未来の恋人候補となるキープがふたつ出来たと思えばいい話だ。捨てるも選ぶもお前次第だ」
「そ、そんなっ」
二人の男性をキープだなんて、どこの悪女ですか!!
私にはそんな器用でズルイ真似は出来ないし、未来を約束する事も出来ない。
涙を浮かべて情けなく心中で縋る私に、ルイヴェルさんは疲れているかのように息を吐き出してアレクさんとカインさんをべりっと引き剥がしてくれた。
「今はトドメを渡してやるなと、つまりはそういう話なだけだ。ここで強制的に切り捨てるよりも、遥か未来の先にでも返事を延ばしてやった方が、余計な暴走は引き起こさずに済む。そうだな? アレク、カイン」
「流石に、恋じゃねぇからってフラれるのはきついからな……。ユキが答えを出せねぇって言うんなら、俺達で答えを作る手助けをしてやるまでだ」
「愛する者の傍にいられるだけで幸福なのも事実だが、ユキの心を掴めるチャンスがあるのなら、俺はこの手を伸ばし続ける。何もせずに他の男に奪われる日など、見たくはないからな」
だから、どうしてそこまでして……。
私なんて、二人に比べれば外見も中身もまだまだ子供で、本気の恋さえ知らない存在なのに。
望む答えが待っているとは限らない、私が二人の内どちらかの温もりに手を伸ばせるかも……。
それでも、二人は待つと言ってくれている。私の心が自然と答えを出すその日まで。
「本当に……、いいんですか? きっと、凄く時間がかかります。私にとって、アレクさんとカインさんはとても大切な人で……、失いたくない、って、そう、思えるから……」
こんなにも好きになって貰えて、悩み過ぎて結局どちらの手も取れないと逃避の答えを出した私に、二人はどこまでも優しい。そんな二人に甘えてしまう事が本当に良い事なのか……。
今の私にそれを判断する事は出来ない。けれど……。
「無理して考えようとすんな。……普通でいいんだよ、普通で。今までみたいに俺達と面白ぇ毎日を過ごして、いつかお前だけの恋を見つけろ」
「この男に同意するのは癪だが、俺もそれでいいと思う。お前に愛される日が来るように力を尽くすのは俺達の役目だ。だから、お前は何も気にする必要はない。ありのままのお前でいてくれ、ユキ……」
「カインさん、アレクさん……、ほ、本当に、後悔は」
「「しない」」
さっきから思っていたけれど、こんな時だけ二人は本当に息が合う。
いい加減にもう諦めろと、こんな私に向けられるには優しすぎるその微笑みに、……負けてしまった。これから先、いつ私が確かな答えを得られるかはわからない。
けれど、二人が私の為にその真摯な心を向けてくれるように、この迷いを抱く心も。
「わかりました……。アレクさんとカインさんのお気持ちにどう応えられるかはわかりませんけど、私、もう一度頑張ってみます。色々とご迷惑をおかけしてしまうと思いますけど」
「お前にかけられる迷惑など、迷惑と呼ぶ程のものでもない。これからも想い続ける事を許してくれて、有難う。……ユキ」
「覚悟しとけよ? 俺だけしか見えなくなるように、たっぷりと愛情表現してやるからな」
「お願いしますから、私の心臓を止めるような真似はやめてくださいよ……っ」
本当はまだ、この保留という選択が正しいのかはわからない。
恋を知らない私が、一度に二人もの男性から想いを向けられて、答えを得られるのか。
きっとこれからも心臓に悪い出来事がいっぱい起こるのだろう。
恋愛事に免疫のない私にとっては色々な意味で大変な試練だけど、それを乗り越えた先に、いつか唯一人の男性の手を取る日がくる。だから、それまでは……。
ウォルヴァンシアの皆さんと、アレクさんやカインさんと、幸せで穏やかな日常を歩んで行こう。
私の心が定める、いつかの未来が訪れる、その時まで。
「さて、話が終わったのなら戻るとするか」
「そうですね。すみません、ルイヴェルさんや皆さんにもご心配をおかけしたようで」
「俺はこの二人が暴走しないように監視の役目で来ただけだ」
ルイヴェルさんが小さく笑うと、また私から二人を容赦なく引き剥がし、何故か私の前に立った。
椅子から私をその腕の中へと抱き上げ、まさかの王宮医師様自らのお姫様抱っこ!?
「あ、あのっ、私一人でっ」
「ユキ姫様、この二人のせいでさぞかしお疲れになった事でしょう? この忠実なる臣下、ルイヴェル・フェリデロードが会場まで丁重にお連れいたしますので、どうぞごゆるりと」
何でそこでいきなりまた丁寧な胡散臭い敬語に変化するんですかぁあああ!
私を取り戻そうとするアレクさんとカインさんをひょいひょいと軽々避けながら、ルイヴェルさんは楽しそうに私を回廊へと連れ去って行く。
「あら~、幸希ったらルイヴェルさんにも可愛がられて、本当に幸せな子ね~」
「違うからぁあああ! これ絶対に私で遊んでるだけだからあああ!」
「ルイヴェル! ユキ姫様を下ろしなさい!!」
レイフィード叔父さんやお父さんの手からも鮮やかに逃れてパーティー会場へと戻ろうとするルイヴェルさんを、仁王立ちをした麗しの女神様が一喝してくれる。
双子の弟さんと同じ深緑の双眸に怒りを込めて、ルイヴェルさんをキッと睨み据えてくれたけれど……。
「セレス姉さん」
「いいから早くユキ姫様を。――っ!?」
一瞬だけ真顔に戻り、何よりも大切な双子のお姉さんであるセレスフィーナさんの顔に唇を寄せたルイヴェルさんが、不意打ちのようにその頬へとキスを仕掛ける。
顔を彼女の前に戻し、ニッコリと微笑んだ、胡散臭すぎる爽やかなルイヴェルさんの笑顔。
私とセレスフィーナさんの目が丸くなっている隙を狙って、ルイヴェルさんは追ってくるアレクさんやカインさん達を凄いスピードで振り払うように駆け抜けて行く。
「こらああああ! ユキに何やってんだテメェぇええええ!!」
「ルイ! 俺達をからかう為にユキを使うのは寄せ! 彼女を困らせるんじゃないっ」
「ユキちゃ~ん! ユキちゃ~ん!! 叔父さんをおいて行っちゃ嫌だよ~!」
「ま、まさか、ルイヴェルもそうなのか!? いやいや、そんな馬鹿なっ」
「ふふ、楽しそうでいいわね~」
それぞれの悲鳴が後ろの方で遠くなっていく。
唯一、平常心でこの状況を楽しんでいるのは、きっと私のお母さんだけだろう。
見事に私を餌にして、沢山の人達をからかいながら庭園へと向かって走る王宮医師様の口元には、全てを振り回す大魔王様の自信満々な笑みがあったのでした……。
2015・10・17
改稿完了。