カインからのお誘い
「よぉ」
「か、カインさん……」
それは、アレクさんからの告白を受けてから二日後の事。
ウォルヴァンシア王宮の厨房で料理の練習をしていた私は、メイドさん達の嬉々とした歓声を向けられている対象へと振り向いた瞬間、掻き混ぜていた生クリームのボウルを取り落しそうになってしまった。な、何でカインさんが厨房に来るの!!
三つ子ちゃん達と一緒に出掛けた日、途中で勝手に帰ってしまった事を手紙で謝罪しておいたけど、それ以降、私の足はカインさんから遠ざかっていた。
正直、アレクさんから受けた告白の時の衝撃が凄くて、まだ第二破目を受け止める余裕ができていなかったのが原因かもしれない。
それなのに、私の心の準備が整う前に、カインさんから行動を起こされてしまった。
「あ、あの、この前は……、すみませんでした」
「別に気にしてねーよ。何度も謝んな」
会ってしまったものは仕方がない。
私は手紙での謝罪と併せて、カインさんへともう一度あの日の事を謝った。
大広場にカインさんと三つ子ちゃん達に何も言わず消えてしまった事、心配をかけてしまった事、予想外の事だったとはいえ、悪い事をしてしまった。
だけど、カインさんは私の頭をポンポンと軽く撫でて、気にするなと笑ってくれている。
「何か事情があったんだろ? それに、俺も少し急ぎ過ぎたしな。おあいこってやつだ」
「カインさん……」
「で? お前はこんな所で何を頑張ってんだ?」
多くのメイドさん達が集まっている広い厨房の一角で繰り広げられている試作会。
王宮にある憩いの庭園て開かれる予定のガーデンパーティーの為に、私とお母さん、そしてメイドさん達は、その席で振る舞う料理のメニューを試作しているのだ。
向こうの世界にいた時とは若干仕様が違うものの、魔力で動くオーブンや便利な物が色々あって、この数か月でどうにか使い慣れてきた。
台の上に並ぶ料理の山を眺めたカインさんにそれを説明していると、私の横にお母さんが並んだ。
「こんにちは、カイン君。良かったら試食していかない?」
「お、お母さんっ」
「どうも、幸希のお袋さん。じゃあお言葉に甘えさせて貰うとするかな」
「どうぞどうぞ~」
小皿に料理の一部を取り分け、お母さんがそれにカインさんに手渡す。
そのロールケーキは、私が作った物だ。
チョコレートと同じ味のチルフェートと呼ばれている材料を使って作った、甘さを少し控えめの試作品。それを一人分に切ったものをお皿に載せて寄越されたカインさんが、フォークを手に口の中へと入れるのが見えた。
「ん……、美味い」
「ユキが作ったのよ~。どうかしら? 母親の私が言うのも何だけど、奥さん向きでしょう?」
ほのぼのと私を売り込もうとするお母さんに内心で絶叫しながら大人しくしていると、カインさんがフォークを口から外し、私の方へと向いた。
な、何ですか……、その意味ありげな目はっ。
「確かに料理上手はポイント高ぇよな。俺も胃袋を掴んでくるような女は好きだぜ?」
口端を楽しげに上げたカインさんが、含みありといった感じで笑みを零した。
今の「好き」って、絶対に料理の事に関してだけじゃない気がする。
こう……、徐々に外堀を埋められていくかのような、私の心に迫ってくるカインさんの好意の片鱗。気恥ずかしくて顔を背けてしまった私は、目の前で続けられる会話だけを聞いていた。
「ユキのお袋さん、ユキが作った菓子とか、少し貰って帰ってもいいか?」
「あら、嬉しい事を言ってくれるわね~。好きなだけお持ち帰りしちゃってちょうだい。何ならウチの子も」
「お母さん!!」
他愛のない雑談の中で、勝手に一人娘を手軽なお土産のようにしないでほしい。
冗談とわかってはいても、お母さんからの言葉にカインさんが「それもいいな~」と楽しそうにノリよく応えているのがまた困ったものだ。
「もう、勝手にしててください」
私は作り終えたお菓子の一部を隅に行って詰め始めた。
カインさんにじゃなくて、騎士団で一生懸命働いているアレクさんやルディーさん達への差し入れの品だ。今日は色々と試作に作ってあるから、タルトやショートケーキ、それに、クッキーやワッフルなど、楽しんで貰える作品がいっぱいある。
アレクさんにはまだお返事を出来る状態じゃないけど、甘い物が大好きなあの人には、是非食べてほしい物ばかりだ。
「ふふ……、喜んでくれるといいなぁ」
「おい、誰にやるんだよ、それ」
「え? きゃっ、か、カインさん……。もう、急に後ろから顔を出さないでくださいっ」
「別にいいだろ。それよりも、誰にやるんだよ」
鼻歌を奏でながら箱に試作品を詰めていると、突然カインさんが私の左肩に自分の顎を乗せてきた。私の手元にあるお菓子の集団を見下ろし、不機嫌そうに聞いてくる。
か、顔が、息が、近いんですけど!! さりげなく私の右肩まで抱いているカインさんの方は、全く恥ずかしがっている様子はない。
「き、騎士団の皆さんへの差し入れですっ」
「騎士団……、ねぇ。番犬野郎にも食わせてやる気かよ」
「当たり前じゃないですか。アレクさんは甘い物が大好きですからね。作り甲斐があるんです」
「ふぅん……」
だから、お願いだから顔を近づけ過ぎないでほしいっ。
不機嫌の度合いが高まったカインさんが、じっと私の手元を見つめたまま、小さく呟いた。
「番犬野郎には差し入れするくせに、俺にはねぇわけか」
子供ですか、カインさん……。
拗ねたような口調でそう愚痴ったカインさんに、私はため息を吐き出す。
カインさんへの差し入れなら、さっき味見していたチルフェートのロールケーキがそうだ。
後で箱に詰めて届けてあげようと考えていたのに、先に食べてしまったのはカインさんなのに。
この人、見かけよりも絶対子供っぽい。というか、多分……、甘えたがり屋な所がある気がする。
最初はあんなに余裕たっぷりの人だったのに、纏っていた仮面がボロボロと崩れ出したというか。
むしろ、これが本当のカインさんの姿だと、そう思える。
「カインさんの分もちゃんとあったんです。それなのに、自分からお土産にしちゃったんですから」
文句を言われても困ります。
そう横を向かずに答えながら作業の手を進めると、カインさんの気配が少しだけ和らいだ気がした。私の傍から顔を引き、今度は横に並んでくる。
甘い物が嫌いなはずなのに平然としていられるのは、多分一緒に出掛けた時に立ち寄ったお店ほど、お菓子の山というわけではないからなのだろう。
お菓子以外にも、メインとなる料理メニューも並んでいるし、目にも楽しいはずだ。
「なぁ、ユキ」
「はい?」
「この試作会って、何時までやる気なんだ?」
「えーとですね、これから試食会をやるので、二時間くらいしたら解散にする予定ですけど」
「じゃあ、その後の予定はどうなってんだ?」
騎士団への差し入れ用にお菓子を詰め終えた私は、厨房の中を移動しながら予定を話す。
試作会が終わったら、騎士団と王宮医務室の方に差し入れを届けて……。
うん、残りの一日は特に予定もないし、部屋でゆっくりするだけだ。
そう伝えると、カインさんがニヤリと企み顔で厨房の窓の外を親指でくいっと示した。
「なら俺に付き合うの決定な」
「え」
「馬の遠乗り、楽しそうだろ?」
カインさんと二人で遠乗り……。
すぐに頷く事が出来なかったのは、カインさんの気持ちを知ってしまったから。
あの時、大広場で確かに感じた、熱に抱かれながら揺れる恋心の欠片。
その意味に気付いてしまった今、アレクさんの時と同じように、私はカインさんの心を受け止めると決めた。……だけど、流石に今日というのは予想していなかった!!
「勿論、二人でだって事、わかってるよな?」
「えーと……、あのぉ」
珍しすぎる、カインさんのにっこり全開の笑顔!!
絶対に逃がさねぇぞ? と、真紅の双眸の奥で不穏極まりない光が煌めいた気がするっ。
後ずさろうとする私の腕を掴み、「行くよな?」と、脅迫までしてきた。
本気だ、この人……、今日告白を決行する気だ!!
まさか、アレクさんから告白を受けた事を知っているわけじゃない……よ、ね?
「あの……、わ、忘れてたんですけど、実は、よ、用事が、ですねっ」
「あ?」
「な、何でも……、ありま、せんっ」
超ド迫力の眼力でぎろりと睨まれてしまった!!
い、今っ、カインさんの背後に、それはそれは大きな恐ろしい漆黒の竜の姿が見えた気が!!
告白に怖気づいている私の退路を塞ぐように、ずいっと迫ってくる魔性の美貌。
周囲にいるメイドさん達が嬉しそうな悲鳴を上げるのが聞こえるっ。
皆さん、傍から見れば、物凄い美形男性に胸ときめかす迫りを受けているように見えるんでしょうが、それを受けている本人は心臓が止まりそうな危機的状況なんですよ!!
「あら、いいじゃないの~。遠乗りなんて楽しそうだわ。行ってきなさいよ、幸希」
「お、お母さんっ」
「カイン君、レイちゃんとユーディスには私から言っておくから、少し遅くなっても大丈夫よ」
実母が微笑ましい笑顔で娘を裏切った!!
メイドさん達も、「「「OKしてあげてくださ~い!!」」」って、ノリノリで!!
「有難うございます、お母さん。娘さんは俺がしっかりとエスコートしますので」
「カインさぁあああああん!? 口調変わってますよ!!」
お母さんの方へくるりと振り向いたカインさんが、一体どこの王子様ですか!! と問い質したくなるような爽やかな笑顔で別人のようにお礼を向けた。
そして、お母さんもなんで頬をポッと赤らめて喜んでいるの!!
「はぁ……、お母さんの馬鹿」
あれよあれよの間に決まってしまった、私とカインさんの遠乗り計画。
待ち合わせの時間が決定し、ピクニック仕様で持って行くお弁当まで作る事になってしまった。
あぁ……、何故こんな事に。アレクさんからの告白で受けた衝撃も、まだ癒えていないのに。
無理っ、この状態で遠乗りに出掛けて、カインの告白なんて受けた日には。
(心停止してしまう!! あぁっ、どうしたらいいの~!!)
アレクさんと違い、カインさんは直接的に自分の気持ちをグイグイ表わしてくるタイプだから、告白の時が訪れたら……。
絶対に、私の心臓を止めにかかってくるような熱烈な危険極まりない告白をしてきそうな気がする!!
それなのに、それなのに……、心の準備も何もかも間に合っていない状態でお出掛け!?
「幸希~、そんなに落ち込む事ないでしょう~?」
「だって……、だって」
椅子に座って台に顔を突っ伏している私の背中を楽しげに叩いたお母さんが、隣へと腰を下ろしてくる。お母さんなら、私が今どんな気持ちかわかってくれているはずなのに、何でこんなに他人事なんだろう……。はぁ。
「幸希、別にお母さんは貴女を困らせたいわけじゃないのよ?」
「だったら……」
「勇気を出して誘ってくれたカイン君の気持ち、わからない?」
「え……」
ゆっくりと顔を上げると、お母さんが背後の台を挟んだ向こう側にいるカインさんの姿を、こっそりと視線で示した。沢山のメイドさん達に囲まれ、試食のお菓子や料理を勧められているようだ。
「余裕そうにしてるけど、幸希が最後に頷いた瞬間……、すっごく嬉しそうだったのよ」
「カインさんが……?」
「ええ。貴女は自分の事で精一杯だったんでしょうけど、誘う方も勇気がいるものなんだから。カイン君の一途な想いから逃げちゃ駄目よ」
そうは言われても、アレクさんから受けた告白の影響が尾を引いていて……、どうにも心に余裕が持てない。だけど、それは私の事情であって、カインさんには関係ない。
この厨房にだって、私の姿を探しながらやって来てくれたんだろう。
それなのに、本当……、私は自分の事しか考えてなかった。
お誘いを受けて困っている私を見ながら、カインさんがその心の中で不安がっていたとしたら。
恋に臆病なのは、私だけじゃないって事、なのかな。
「初めての事ばかりで戸惑うのもわかるわ。だけど、あんなにわかりやすく動揺しちゃ、カイン君が困ってしまうわよ? それに、彼も焦っているんでしょうし」
「焦る?」
「そう。アレクさんと幸希が一緒に過ごしてきた時間に比べれば、カイン君はまだまだでしょう? それって、彼にとっては辛い部分だと思うのよ。少しでも幸希に自分の事を知ってほしい、アレクさんに負けないように、一緒の時間を過ごしたいっていう、切ない男心……。ふふ、可愛いわねぇ」
困っているのは私だけじゃなくて、カインさんも……、一緒。
確かにお母さんの言う通りかもしれない。
私だって、好きな人に動揺されたり困惑されてしまったりしたら、勇気を出して誘ったのに迷惑がられたりしたら……、きっと、凄く辛いに決まっている。
それなのに、私はカインさんの抱えている不安をわかろうとせず、自分に余裕がないからと失礼な事を。
「お母さん」
「ん~?」
「私、頑張ってくる」
「ふふ、それでこそ私の娘ね~。どうせなら思いっきり楽しんできなさい。気負いすぎず、自然体でね?」
自然体で頑張れるかどうかはわからないけれど、とりあえず、この命を賭して頑張る気でいこう。
出発までに残された時間を使って、出来るだけ心の余裕と、告白を受ける覚悟の準備を。
すー、はー、すー、はー。大丈夫、大丈夫。女は度胸!
「ところで幸希~」
「なに?」
「カイン君って、アイドル並にモテるわよね~」
「え?」
カインさんとの決戦に決意を固めていると、お母さんが腕を組みながらしみじみと呟いた。
私達の目線の先では、先程と変わらずにカインさんが大勢のメイドさん達に囲まれている。
ウォルヴァンシア王国に来た時は、王宮の人達とあまり関わりを持とうとせず、冷たい態度ばかりとっていたのに……。
「カイン様~!! これっ、私が作ったんです~!! 是非味見を!!」
「おう、サンキュ」
「私達の作った物もお召しになってくださ~い!!」
「おう、順番な」
今では満更でもない様子でメイドさん達の言葉に反応し、目の前の感情を受け入れている。
最初の頃に比べれば良い事なんだろうけど……、まるで、アイドル並のハーレム状態。
まぁ、カインさんは魔性の美貌と謳われる完璧な美を纏う人だし、どの世界においても、美形は女性にモテるという見本のような光景だ。
だけど……、周囲に牙を剥き出しにしていた野良猫がようやく自分の居場所を見つけたかのように素直な様子を見せているカインさんを目にしていると、
「にゃんこ……」
「幸希?」
無意識に零れた微笑ましい一言。
あんなに周囲に対して喧嘩を売るように生活していたカインさんが、レイフィード叔父さんが用意してくれた教師陣の皆さんと喧嘩ばかり繰り返していた不良全開のカインさんが……!!
禁呪の件をきっかけに、人と友好的な関わりを持つというスキルを手に入れた!!
その姿が嬉しくて、まるでようやく居場所を見つけた野良猫のようにメイドさん達と楽しそうに会話をしているカインさんが、デレたにゃんこのように見える。
失礼かもしれないけれど、それでも……、やっぱり、こんな風に誰かと仲良く出来るようになったカインさんの事が、自分の事のように嬉しく思えたのだった。
2015・07・18
改稿完了。