騎士の告白
――その夜、私はアレクさんの訪問を受けて、憩いの庭園へと向かう事になった。
夜の闇と、庭園を彩る美しい花々が小さく鈴のような音色を響かせながら、幻想的な光景を創り出している。私のお気に入りの場所でもあり、アレクさんと初めて出会った大切な場所。
何を話すでもなく、ただ、静かに私達は幻想的な世界の一部となり、奥に控えている東屋へと歩いていく。覚悟は決めてきたものの、私の鼓動は緊張と僅かな怖れと共に乱れがちになっている。
アレクさんの顔をそっと窺ってみると、穏やかな蒼の眼差しが私を見下ろしてきた。
その瞳の奥に、切なげな熱が揺れるのを感じ取った私は、視線を逸らす事も出来ず、鼓動がどんどん早足になっていくのを感じている事しか出来なかった。
「ユキ……。今日は、俺の為に時間をとってくれて、本当に有難う」
「い、いえっ」
東屋の中で、アレクさんと二人並んで逆さの三日月のようにぐるりと一周しているソファーに腰を下ろす。外から、花々の淡い光が伝わってきて、お互いの表情が照らし出される。
アレクさんは緊張で挙動不審になりかけている私の左手に、その大きな手のひらを重ねた。
どう切り出そうか……、アレクさんがそう悩んでいる事がわかる。
私も、促すとかそういう余裕は皆無で、心の中ではパニックになりそうになるのを抑えるので精一杯だ。
「昨日は……、本当に、すまなかった。俺の身勝手な行動のせいで、お前を酷く、傷つけてしまった。嫌悪され、もう二度と傍に寄る事も許してはくれない、と……、そう裁きを受ける覚悟も出来ているんだが」
「そ、そんな事ありません!! 確かに、急にどうしたんだろうって、吃驚はしました。だけど、アレクさんの事を嫌ったりなんか、絶対にないですから!!」
自分の中で肥大させてしまった罪悪感の重さに押し潰されそうになっているアレクさんに、私は大慌てでその間違った考えを否定した。
私がアレクさんを嫌いになる? この異世界に来て、悪夢や不安に揺れていた私を、毎日寄り添って励ましてくれた心の優しい騎士様を……、嫌いになれるわけなんかない。
だけど、アレクさんはこの通り、根が真面目で責任感の強い人だから……。
「だが、俺はお前を自分の部屋に連れ込んで……、寝台に押し倒した挙句」
「アレクさん……」
「ユキ、お前の好きなように、俺を罰してくれて構わない。償える罪だとは思っていないが……、それでも、俺は一生を賭けて償うつもりだ」
そして、人の話を少し? 聞いていないところも、アレクさんらしい。
私がどんなに気にしていないと伝えても、自分自身を許す事が出来ないのだろう。
だけど、こんなにも心優しく真面目な人を罪の底に沈めたままではいたくない。
私は、俯いて謝り続けるアレクさんの手を持ち上げ、両手で強く握り締めた。
「ユキ……?」
「アレクさん、お願いですから、もう気にしないでください。私は貴方を嫌ったりなんかしません。昨日の事も、怒っていません。だから、ね?」
「だが……」
「アレクさんがそんな風に辛い思いをしたままじゃ、私も辛いです」
私が傷付いたり苦しんだりする事を嫌うアレクさんにとって、それはきっと凄く苦しい事だろう。
その原因が自分の場合は、さらに……、深く、重く。
だから、昨日の事を許すと言っている私の願いを叶えてほしい。
そう、優しく言い含めると、「いいのか……?」と、アレクさんが救いを求める迷い人のように尋ねてきた。
普段は、騎士団の皆さんに厳しい声を飛ばしたりしている人なのに、まだ不安そうに私を見つめてくるその表情は、何だか……、可愛いっ。
狼に変化したわけでもないのに、喜んでいる時と同じように、犬耳や尻尾の幻が見えてくるというか。多分、本人は気付いてないんだろうなぁ……。
その姿にクスッと笑って、私は「勿論です!」と、力強く答えを返した。
「ユキ……、有難う」
これで昨日の件に関する一応の問題は無事解決!
ほっ……、良かった。罪悪感の荒波にざばんと呑み込まれていたアレクさんを無事に助け出す事が出来た。不安と後悔の表情から、いつもの穏やかで優しい気配へと変わったアレクさんが、じっと、自分の手を強く握り締めている私のそれに視線を据える。
「あ……、す、すみません! つい」
私の手よりも大きくて、毎日剣を振るっているせいか、その痕が残っている感触。
いつも、私を守ってくれている……、優しい、アレクさんの手。
これまでにも、手を繋いだ事はあった。だけど、何だか気恥ずかしく感じられるのは、その気持ちを知ってしまった為だろうか。
慌てて手を離そうとしたけれど、今度はアレクさんが私の手をしっかりと引き止めた。
「ユキ……」
「は、はいっ」
「もう、気付いているとは思うが……、昨日お前にあんな真似をしてしまったのは、竜の皇子に、お前を奪われたくないという、俺の嫉妬心が原因だった」
嫉妬……。はっきりとそう口にしたアレクさんに、鼓動が大きく跳ねる。
やっぱり、勘違いでも、気のせいでもなく、この人は私に……。
深い蒼の双眸が、私の存在を丸ごと抱き締めるように、優しいものから、揺らめく炎のような力強さを宿すのが見えた。
その場から動く事も、アレクさんに握られている手を振り払う事も、考えられなかった。
「俺が今から言う事は、きっとお前にとって迷惑なものにしかならいだろう。だが、それでも、この想いを知ってほしいと、我儘を言う俺を、どうか許してほしい」
「アレクさん……」
何を言われるかなんて、わかっているはずなのに……。
初めての、その瞬間が……、あ、アレクさんの口からっ。
ドクドクと高鳴っていく鼓動の音が、静まり返っている空間に響き渡るかのような心地だ。
アレクさんが私の事を熱心に見つめ、顔が、顔が、その綺麗過ぎる程に整った面差しが、近付いてくる……。
「ユキ……。俺はお前の事を、――愛している」
「――っ」
真っ直ぐに……、強く、深く、優しいだけじゃない、アレクさんの秘めていた感情の奔流が私の心の中へと溢れ込んでくるかのような、存在が燃え上がる感覚。
これが、人が人に、切なる想いを届けるという事なのだろうか?
息が苦しくなるぐらいに、私は瞬きさえ忘れて……、アレクさんの強い想いを、全身で感じ取っていた。何か言おうと思うのに、なかなか音にならなくて、小さく掠れた声が零れ出てしまう。
「あ、……あ、の」
受け止めるって、そう覚悟していたはずなのに……、アレクさんの想いが思った以上に大き過ぎて、戸惑う事しか出来ない。
そんな私を、アレクさんが小さく笑って抱き寄せる。
「無理に答えようとしなくてもいい……。これは俺の我儘だ。お前に、この想いを知ってほしいと、そう願った俺の、身勝手な告白だ」
「アレクさ……、ん」
どうしよう、何か、何か、アレクさんに言わなきゃいけないのに、上手く言葉になってくれない。
気のせいか、身体がどんどん熱くなって、目の前が……、クラクラ、クラクラ。
「愛している……。この言葉を、俺の想いを、ずっと、お前に伝えたかった」
ぎゅぅぅっと、その腕の中で存在を強く確かめるかのように、アレクさんは私を抱き締めながら、耳元に唇を寄せて囁いてくる。
経験値ゼロの、恋愛初心者。それが私。
抱いていた覚悟は、アレクさんの切なる告白によって、すでに大崩壊している。
大人の男性が自分に対して向けるその想いの大きさに、心だけでなく、意識も……。
「ん? ユキ……、ユキ?」
アレクさんの声が……、心配そうなその音が、急速に遠ざかっていく。
まるで熱中症にでもなったかのように、私の身体が熱の限界を迎え、――ぐらりと視界が朧となり、黒くフェードアウトした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「まぁ、予想通りといったところだな」
意識が闇色に染まった後、次に聞こえてきたのは……、アレクさんではない低い声音だった。
私の額に何か冷たい物が触れる感覚と、左手首を持ち上げられる気配。
身体の熱は治まっているけれど、何だか疲れたような気だるさがあって、私は瞼を開けずにじっとしていた。ひんやりと冷たく感じられる手の感触。これは誰の手だろう。
「ユキ姫様、お目覚めになっているのでしたら、一度起きて頂いてもよろしいですか?」
「……んっ」
瞼を閉じているはずなのに、また眠りの中に沈もうとしていた私を、その声が引き止めた。
だけど、やっぱりまだ眠たくて……。このままもう一度。
――ふに。
「い、いひゃい……っ」
眠りかけた私の頬を、誰かが少し痛みを感じる程度に抓った!
反射的に瞼を開いてしまった私は、視界の端から見下ろしてくる人の姿を捉えた。
冷静そのものの顔つきで、人の頬を抓んで引っ張っている……、白衣と眼鏡がセットになっている人。
「……にゃにやっへるんでふか? りゅいヴぇるしゃん」
「ユキ姫様が夢の世界に逃げ込もうとしましたので、必要な処置をさせて頂きました」
平然とそんな酷い事を言う王宮医師のルイヴェルさんに抗議の目を向けると、その眼鏡の奥で佇む深緑の双眸が、ニヤリと面白そうに笑った。
きっとこれ以上何か文句を言っても、いじられる種にしかならない気がする。
というか、何でルイヴェルさんが私の傍に? 確か……、私はアレクさんと一緒にいたはず。
「ここは、貴女の自室ですよ。ユキ姫様」
「私の……、部屋、ですか?」
ルイヴェルさんは頷くと、アレクさんから診察と治療を頼まれた事、この部屋まで運んでくれた事を教えてくれた。私が憩いの庭園の東屋で気絶してから、それほど時間は経ってない、って事かな?
アレクさんに告白されて、……身体がどんどん熱くなって。
「ご、ご迷惑をおかけしました……っ」
「気になさる必要はありませんよ。王族や王宮の者達の支えとなる事が、俺の仕事ですからね」
さりげなく手を貸してくれたルイヴェルさんに縋って上半身だけを起こした私は、自分が確かに自室へと戻っている事を確認した。
初めての告白を受けて、許容量オーバーで気絶、って……。
うぅっ、経験値ゼロの恋愛初心者な自分が憎い!!
きっとアレクさんには、物凄く心配をかけてしまったに違いない。
室内にその姿は見当たらないけれど……。
「アレクなら外ですよ。俺が席を外して貰いました」
「そう、ですか……」
「俺からの話が済めば、すぐに部屋に入れます」
「ルイヴェルさんのお話……、あ、私の身体の事ですね? すみません、お手を煩わせてしまって」
むしろ、告白の衝撃に耐えきれなかった私の診察なんてさせてしまった事を謝りたい。
どこの世界に告白ひとつで意識を失う人間がいるのか……、自分の情けなさに今すぐ地底深くまで掘った穴にダイブしてしまいたい心境だ。
だけど、これは私しか知らない事だろうし……、アレクさんとルイヴェルさんは、気絶した原因に気付いてない……、は、ず。
ちらり。ベッドの端に腰かけたルイヴェルさんの表情を窺ってみると、無言の会話が一瞬だけ行われる。気付いてませんよね? 私が恋愛経験ゼロのせいで気絶したんなんて、幾らなんでも……。
そう、ほっと出来る答えを求めるように視線を交わしていると、ルイヴェルさんがベッドをギシッと軋ませて、顔を寄せてきた。な、なに!?
「ユキ姫様は、面白い方ですね……」
「は、はい!?」
な、何でこんなに近くまで寄ってくるの!?
アレクさんと同じように綺麗なその顔に、何かを企んでいるかのような笑みが浮かぶ。
また何か意地悪でもされるのだろうかと身構えていると、ルイヴェルさんは深緑の双眸を細めて、私の耳元に唇を寄せてきた。
「――人生初の告白は、相当に刺激が強かったみたいだな? ユキ」
「なっ!!!!!!」
わざとらしく低めた声音に色香を滲ませてそう囁いたルイヴェルさんが、私に対して初めて、今まで使っていた敬語を解いて、素の口調を向けてきた!!
しかも、私の事をユキ姫様と呼んでいたというのに、突然の呼び捨て!?
真っ赤になるべきのか、それとも一気に青ざめるべきのか、今自分の顔がどうなっているのかもわからずに、私はパクパクと音にならない驚愕を向けた。
「る、るるる……っ」
「以前、他に向けるのと同じように話してもいいと許可を出したのは、お前だろう?」
「そ、それは、そ、そうです、けどっ。あ、あの」
突然の意味不明な豹変を見せた王宮医師様が、満足げに微笑んで顔を引いていく。
確かに、素の口調や態度で接してくださいと言った事はあるけれど、何でこんな時に!?
ルイヴェルさんの心境が全然わからない。
素、というか……、多分、今まで私に隠していた本性が、一気に溢れ出している気がする!!
そして、私がアレクさんから告白を受けた事を、何故この人が知っているのか……。
二重に吃驚というか、とりあえず私はどうしたらいいんだろうっ。
「あ、あの、ど、どうして……、こ、告白の事を」
「忠実な騎士から熱烈な告白を受けた王兄姫殿下が気を失われた後、偶然、庭園近くの回廊で出くわしただけだ。顔を真っ赤にして熱を抱いたお前を腕に抱いたアレクとな」
「うっ……」
「お子様なお前には、大人の男が向ける愛情が酷く重かった事だろうな? 恋愛の経験もない娘が、自身を守るべき騎士に求愛され、許容量オーバーで気絶……」
グサッ、グサグサッ!!!!!!
本性モードのルイヴェルさんは、愉しそうに容赦なく私の図星を突いてくる。
やっぱり……、この王宮医師様は意地悪だ。
最初は礼儀正しかったのに、徐々に含みのある言い方をし始めたかと思ったら……。
あぁ、言うんじゃなかった。その腹黒そうな本性を隠しておいてもらった方が、私の生活は平穏だった。絶対にっ!!
だけど、解き放たれてしまった黒い部分は次々と溢れ出してくるばかりだ。うぅっ。
「ご安心を? アレクにはお前が気を失った理由は話していない」
「ほ、本当……、ですか?」
「あぁ。恋愛経験ゼロの王兄姫が、騎士からの告白に過剰反応して興奮しまくった事は伏せてやっている」
「興奮って何ですか!! 興奮って!!」
「恋愛感情というのは、種族繁栄の副産物のようなものだからな。本能と直結しているものでもあるだろう?」
確かにそうかもしれないけれど!! 愉しそうに言わないでほしい!!
私はただ、アレクさんからの告白と、その想いの強さに吃驚してしまったというか……。
と、とにかくっ、興奮とか、そういう事じゃない!!
勇気を出してぎろりと睨むと、ルイヴェルさんはますますその笑みを深めた。
この人……、あれだ。子供向け番組の、悪の参謀系タイプだっ。物凄くそんな感じがするっ!!
だけど、……何でだろう。本性を現したルイヴェルさんを見ていると、その言動や態度が、初めて向けられたものではないような気がして仕方がない。
既視感のようなものを感じてしまった私は、毛布に包まりながら、横にゆっくりと避難を開始した。
「警戒心が強いな? 別に俺はお前に何か害を成す存在じゃないんだが」
「ほ、本能的に、危ない気がしますっ」
「ほぉ……。本能的に、か。だが、逃げ惑う小動物を可愛がるのも、一興だ」
「うぅっ、お、お願いですから、もうやめてくださいっ。た、ただでさえ、アレクさんの事で、色々と大変なんですからっ」
頭から毛布を被り込み、雪だるまのようにガタガタと震えながらそう訴えると、ルイヴェルさんが溜息を吐いてベッドの外に引き下がった。
白衣のポケットに手を差し入れ、一度扉の方へと意味深な視線を送り、また私へと向き直る。
「アレクの事だけでなく、次はカインの告白が待ち受けているという事を忘れてないか?」
「そ、それは……。忘れてません、けど……」
「今回はアレクが先手を打ったわけだが、恋愛に不慣れなド級の初心者な王兄姫殿下には、荷の重すぎる試練だろうな……」
「が、頑張り……、ますっ」
いずれにせよ、その想いを受け止めて真剣に考えると誓った自分を裏切る事は出来ない。
アレクさんとカインさん……、二人が抱えている想いを、正面から逃げずに受け止める。
その覚悟を持ったからこそ、アレクさんと二人で話をする時間を作ったのだ。
それなのに、許容量オーバーになる事が確実なので、カインさんの告白は聞けません、なんて、言えるわけがない。
「まぁ、俺が何を言おうと、決めるのはお前だがな……。また気を失うような事があれば、一応は診てやるから、安心しておけ」
「お、お世話に、なります……」
事前に、二度目の気絶を予想し先に謝った私に対して、ルイヴェルさんはやれやれと言いたげにまた溜息をひとつ。面白がってきたかと思えば、今度は疲れているような、そんな気配を纏った。
「だが、あの二人の想いを抱え込めないと、限界がきて辛くなったら……、いつでも王宮医務室に来い。特別に俺が何とかしてやろう」
「は、はぁ……、あ、ありがとう、ござい、ます」
「別に礼を言われる事でもないがな。それと、恋愛初心者どころか、マイナス地点のお前に一応言っておく。告白されたからと言って、無理に答えを出そうとするな。難しく思い悩んでも、何も得をする事はない……」
意外にも真面目なアドバイスをくれたルイヴェルさんが、小さな薬袋をポイッとベッドに放り投げてきた。警戒しながらそれに近づき、薬袋を両手に抱える。
「診察の結果だが、特に何も問題はない。だが、アレクを誤魔化したいのなら、それを風邪薬だとでも言って、一応は飲んでおけ」
「ルイヴェルさん……」
私が気を失った本当の理由を、アレクさんに話さないでくれるの?
背中を向けて扉に向かい始めたルイヴェルさんをぼんやりと見送った私は、その姿が扉の向こうに消えた後、手の中にある薬袋に視線を落とした。
意地悪なのに、……良い人? どうにも底が読めない謎の人だ。
ルイヴェルさんにそんな感情を抱いてしまった私は、やがて部屋に入って来たアレクさんと目が合ってしまい、また身体と心に困った症状が出始めてしまった。
心から心配してくれている事が伝わってくる、アレクさんの憂いを帯びた表情。
ベッドの傍にあった椅子に腰かけて、私の事を気遣ってくれる。
「すまない、ユキ……。お前の体調に異変がある事に気付かず、無理をさせてしまったようだ」
「い、いえっ、アレクさんのせいじゃないんですよ!! わ、私も、自分の状態に全然気付いてなくて……」
「いや、お前自身が気付かなくとも、察してやるべきだったんだ。本当にすまなかった」
言えない……。貴方の告白を受け止めきれずに限界がきてしまい、現実逃避よろしく気絶した、なんて。今だって、アレクさんに対してドキドキする鼓動が届いてしまわないか、物凄く心配だ。
けれど、頬に熱を抱いている私を、体調不良による発熱と勘違いしてくれているのか、はたまたルイヴェルさんの説明のお蔭なのか……。
「薬を呑んでゆっくり休むといい。お前に何かあれば、俺も仕事どころではなくなるからな」
「は、はい。ありがとう、ございますっ」
よし、本当の理由に関しては、何も勘付いてない!
アレクさんは私が手に持っている薬袋に視線を寄せた後、サイドテーブルから水差しを取って、グラスに注いでくれた。完全に、体調不良からの悪化だと思われている。
私は薬袋から中身の粉薬を取り出し、ビリリと口を破った。
「それで、あの、……さ、さっきの、件について、なんですけど」
「告白の事か?」
「は、はいっ」
改めてその話題を持ち出した私に、アレクさんはグラスを右手の中に控えさせたまま、空いている方の左手を口元に持ち上げた。
少しだけアレクさんの蒼が気まずげに彷徨い、そして……。
「あ、アレク……、さん?」
「いや……、その、すまない」
今度は、アレクさんが自分の口元を隠して赤くなり始めてしまった。
まるで、何かを思い出しながら、気恥ずかしくなっているかのような……。
「自分で言っておいて、なんなんだが……。誰かに想いを伝えるという事が、あれほどに勇気を必要とするものだとは思わなくてな。今更ながらに……、少々、自分のしでかした事の大きさに戸惑っているところだ」
「そ、そうです、かっ」
消え入りそうなほどにか細いアレクさんの低い声。
その表情と、落ち着きなく彷徨う蒼の双眸を前にしながら、私もつられて頬の熱を強めてしまう。
けれど、アレクさんから目を離せなくて、私はじっと見続けてしまう。
「だが……、お前に、俺の想いを知って貰えて、とても、幸せだ」
「わ、私の方こそ……、その、も、勿体ないほどの想いを、あ、ありがとう、ございましたっ」
この場合、お礼を言うのは正しいんだろうか?
しどろもどろになりながら、私はベッドに正座し直して、ぺこりぺこりと頭を下げた。
真剣に想いを伝えてくれたアレクさん。その想いから逃げる事だけはしたくない。
だけど、こんなにも純粋で一途な気持ちを向けてくれているアレクさんに対して、私の中にはまだ……、返せる答えがない。
その事を申し訳なく思う気持ちもあって、少し考えさせてほしいと、そうお願いしようとしたのだけど。
「……そろそろ失礼する。水はここに置いておくから、すぐに薬と一緒に飲んでくれ」
「えっ? あ、あのっ!!」
「ユキ、お前の体調が一日も早く治る事を、切に願っている。おやすみ」
「あ、アレクさんっ!!」
勢いよく椅子から立ち上がったかと思ったら、アレクさんは水の入ったグラスをサイドテーブルに残して、スタスタと早足で止める間もなく出て行ってしまった……。
空しく前に押し出された私の右手が、ぽふんとベッドに落ちる。
何だか、まるで逃げるように出て行かれてしまった気が……。
「アレクさん……」
告白をされたのは私だったけど、伝える側だったアレクさんの方が、私以上に強い覚悟と勇気を振り絞ってくれていた事を実感させられた気がする。
誰かに想いを届ける事は、良い事ばかりじゃない。恋愛事であれば、返ってくる答えに対する不安と、叶わなかった時の痛みをも覚悟しなければならないのだから……。
私はベッドから下りて、アレクさんの消えて行った扉へと近寄って行った。
「本当に……、ありがとうございます」
本人にも告げた言葉だけど、もう一度、深い感謝の気持ちを込めて、私は扉の向こうへと、そっと囁いた。
――アレクさんの真摯な想い、熱く揺らめく激情さえも感じそうなその気持ちを、胸の奥で確かに感じている。一人の男性が、私に届けてくれた大切な想い。
受け取ったその気持ちは、まるで、一際強く輝きを放つ、美しいひとつの宝石のように。
アレクさんが去ってから暫くの間、私は扉に寄り添い続けたのだった。
2015・07・11
改稿完了。