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ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~  作者: 古都助
第二章『恋蕾』~黒竜と銀狼・その想いの名は~
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ひとつの終わりとこれから~カイン視点~

※イリューヴェルの第三皇子、カインの視点で進みます


 ――Side カイン


 狂い、歪みきった歯車。それは、ずっと、ずっと……、俺の頭の中に、錆びついた不快な音を響かせ続けている。



 俺とお袋が味わい続けた、忌々しい過去から続く、苦痛と絶望の連鎖。

 親父が『家族』という存在に背を向け、俺達と向き合う事をしなかった以上……、何もかもが遅い。……遅すぎたんだ。

 アンタにとって重要なのは、イリューヴェルという大国の繁栄だろう?

 強き竜の血筋目当てに迎えた正妃はともかく、素行不良の馬鹿息子は不要以外の何物でもない。なぁ、そうだろう? 親父。

 出来の良い二人の息子がいるんだ。誰も、誰も……、俺を必要とする事はない。

 


 そう思って生きてきたからこそ……、俺はイリューヴェルという鎖から解き放たれる日を心底待ち望み、生き延びてきた。

 ……そのはず、だったのに。

 禁呪の件から眠りに就いていた俺が目を覚ました直後に見ちまったのは、ありえない光景だった。

 情けねぇぐっしゃぐしゃの泣き顔晒して、俺の手を握っていた親父。

 今までに見た事もねぇ……、皇帝としてじゃない、肉親の顔。

 まったく、どこのおっさんだよ……。

 誇り高き竜皇族の長が、なんつー顔してんだか。

 


 なぁ、親父……。俺達は……、『他人』同然の関係だっただろ? 

 なのに、何でそんな顔を見せるんだよ……。

 そんなモン……、見たくなんて、なかったのに。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――Side カイン


「なんで……、『テメェ』がここにいんだよ……っ」


 目を覚ましてから一週間後。

 やっと自由に動けるようになったと思えば……、何なんだよ、これ。

 汗をかいた身体をさっぱりさせようと、深夜の大浴場に足を運んでみた俺は、見てしまった。湯船の底からブクブクと気泡みたいなもんを吐き出している、正体不明の何かを。


「――っ!!」


 とてつもねぇ嫌な予感と共に、俺の頭の中で鳴り響いた警鐘!!

 全速力で逃げ出す前に、『それ』はドバァァアアン!! と凄まじい勢いで湯船を割り、俺の前に姿を現した!!

 顔を隠し、肌に纏わりついている黒の長髪。

 ホラー極まりねぇ震えた低い音で俺を呼ぶ、不審者の声。

 全裸で俺に向かって両手を伸ばしてきたそいつに罵声を叩き付けながら、地味にビビっちまっている自分自身に情けなさを感じていると、不審者が邪魔な髪を横によけた。


「長時間湯の中に潜っていても呼吸が阻まれない便利な道具だ。レイフィードが用意してくれたものだが、どうやら無駄ではなかったようだな」


 そういや、湯船の中から一本だけ筒みてぇなモンが出ていたような気が……。

 つまり、さっきの気泡はこいつの素潜り用の産物だったってわけか?

 俺が大浴場に行くのを見かけて、先回りして湯の底に忍び込んでいやがったのか、それとも、いつか来ると考えて長時間潜っていたのかは知らねぇが……。

 ――って、そんな事はどうでもいいんだよ!! このクソ親父!!


「カイン、ここならゆっくりと話せるだろう。俺達の心を隔てる無用な物は何もない。さぁ、この父と裸の付き合いと共に、腹を割って話を……」


「沈みやがれ、このクソ馬鹿親父!!」


「うぐあぁあっ!!」


 俺がどんだけビビったか!! 思い知りやがれ!! この不審者野郎!!

 湯船に浸かろうとしていた親父の頭を踏みつけ、二度と浮かんで来ないように容赦なく沈み込ませてやる。ずっと湯船の中で待機していた事にも驚いたが、生憎と話す事はなんにもねぇからな。

 大体、これで一体何度目だ? もう数えるのも馬鹿らしくなるぐらいにやられた、親父の待ち伏せ。俺が病み上がりだってわかってんのか?

 まぁ、そんなこんなで、一日に何度も俺の前にエンカウントしてくる親父のせいで、俺の精神は限界間近だ。


「よし……、沈んだな」


 息を切らし、親父が浮かび上がって来ない事を確認した俺は、大浴場を全速力で飛び出した。これ以上、俺の平穏な日常を掻きまわされて堪るかよ……!!

 今更、息子想いの良い親父になろうとしたところで、俺にとっては大迷惑なんだ!!




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 風呂に入る事を諦め、自分の部屋で適当に服を着替えた俺は、早々に寝入る事に決めたわけなんだ、が……。寝台の毛布の中に……、『何か』いる!!

 もぞもぞと動いているその正体を確かめるべく、俺は盛り上がっている毛布の部分を引っ掴んで取り払った。


「カイン、待っていたぞ!! お前にしてやれなかった幼き頃の添い寝を、今!!」


「俺はガキじゃねぇええええええええ!! こんっのストーカー野郎があああああああ!!」


 確かに大浴場で完膚なきまでに沈めたはずだ!!

 それなのに、一体どうやって先まわりしてきやがった!?

 両手を広げて俺を出迎えたクソ親父の腹に、ぶちギレ全開で魔力の塊を生み出したそれを一切の容赦もなく、叩きつける!!


「ぎゃああああああああああ!!」


 この野郎……っ。本当は避けられるくせに、また正面から受け止めやがったな!!

 焦げ臭い煙と共に寝台に倒れ込んだ親父を苛立ちながら睨みつけ、舌打ちを漏らす。イリューヴェル皇国を治める絶対の君主が、息子相手にこの体たらくは何だ?

 テメェなら俺を簡単に押さえつける事だって出来るだろうが……!!


「クソッ……!!」


「か、カイン……。お、俺の話を……、聞いて、く、れっ」


「テメェの話なんか聞く気はねぇって何度言やわかるんだ!! 俺はもうイリューヴェルのカインじゃねぇっ!! 皇子なんて面倒な立場はもう、全部捨ててやったんだよ!!」


 流石は竜皇族の長と言ったところか。

 驚異の回復力で傷一つなく復活した親父が、俺に話を聞かせようと、じりじりと迫ってくる。

 イリューヴェル皇国にいた時とはまるで違う……、親父のアホ極まりないこの姿。

 まさか……、向こうで見てきたモンは、もしかしなくても、必死こいて繕ってた張りぼてか何かか? だとしたら、国中の奴らに謝りやがれ!! 詐欺同然じゃねぇか!!


「カイン……。お前とミシェナに辛い思いをさせた事、心から詫びよう。本当にすまなかった……!! 俺は、家族というものに」


「うるせえええええええええ!! 俺はもう寝てぇんだよ!!」


 テメェは怨念の塊か何かかと叫びたいぐらいにしつこい親父を部屋から叩き出すべく、両手を組み合わせバキボキと鳴らしながら、強制排除にかかる事にした。

 俺の事を思うなら、俺の邪魔をすんじゃねぇ……。


「いい加減、イリューヴェルに帰りやがれ!! このクソ馬鹿親父がああああああああああ!!」


 


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「はぁ……」


 翌日、夜通しかけて寝る暇もなく繰り広げ続けた親父との攻防戦、と、途中から近所迷惑だと怖ぇ顔して乗り込んできたレイフィードのおっさんのせいで、俺はどこからどう見ても寝不足だ。

 どこでもいい。親父がいない所に、ゆっくりと一人になれる場所に行きてぇ……。

 そう、生気の抜けきった顔で辿り着いたのは、ウォルヴァンシア王宮内にある憩いの庭園だ。まず休息所の前で周囲を注意深く見まわし、親父の気配がどこにもない事を確認する。……よし、待ち伏せの気配はねぇみたいだな。

 休息所の中に入り、力尽きた兵士のようにソファーへと倒れ込む。

 

「カイン……さん?」


「あ?」


 俺は一刻も早く寝てぇんだよ……。煩わしい気持ちでまた瞼を開くと、視線の上によく見知った女の顔があった。親父じゃねぇ事にほっと息を吐くが、浮かない顔をしているユキに俺は身を起こして尋ねた。


「お前、いつ来たんだよ」


「え? さっきからいましたよ? ここに。カインさんがふらりと入って来て、ソファーに倒れ込んでしまったので、どうしたのかな、と思いまして」


「あ~……、なるほどな」


 親父の気配ばっかに注意を向けていたせいか、中にユキがいる事に気づかないぐらいに、俺は疲弊しきっていたらしい。俺と同じ黒髪が、ふわりと揺れる。

 微かに香る甘い匂いが、不思議そうに俺を見つめるその優しげなブラウンの双眸が、すぐ傍にあるというその事実が、荒んで疲れ切っていた心を癒していく……。

 何だろうな……、親父に見つかったわけじゃねぇ事に対する安堵も大きいが、それよりも……。


「……ん? カインさん、今何か言いましたか?」


 小さく口に出た本音の確かな形を、ユキは聞き取る事が出来なかったようだ。

 まぁ……、こいつ鈍そうだしな。聞こえていたとしても、……普通に伝わるわけもねぇか。別に今ここではっきりと伝えちまってもいいが、……もう少しだけ、先に延ばしとくか。

 今の俺には、あの面倒でしつこいクソ親父をどうにかしてイリューヴェルに追い返すという優先事項がある。これを片付けちまわない事には、自分の感情を表に出すわけには……、な。


「ところで、今日はあの過保護な番犬野郎は一緒じゃねぇのか?」


「番犬野郎じゃなくて、アレクさんです。アレクディースさんです」


「ふあぁ……。そんなのどうでもいいだろ。呼び方なんてこっちの勝手だからな」


「はぁ……、カインさんらしいですね」


 俺は誰の指図も受ける気はない。

 大体、あの野郎とは、最初に顔を合わせた時から相性が悪いと、いや、激悪だとわかっている。生まれた時からの天敵、まぁ、そんな感じのする奴だ。

 その上、ユキの傍に番犬の如く張りついて牙を剥いてくる様は、……正直、ぶん殴ってやりてぇくらいに腹が立つ。

 だから、ユキがどんなに俺を諌めても、それに従う気はない。番犬野郎で十分だ。


「で? その番犬野郎はどうしたんだよ。お前の護衛騎士じゃなかったのか?」


「そう……、なんです、けど。もう禁呪の件も終わりましたし、いつまでも私の傍に縛りつけておく事は、本来のお役目を滞らせてしまう事になると思いまして……」


「騎士団に追い返したって事か?」


「いえ、まだ正式には護衛騎士の任を外れてはいないんですけど、……ちょっと、色々、ありまして」


 今日は騎士団の方に……、と暗い顔をして説明するユキだったが、大方こいつらの間に何か面倒なやりとりがあったんだろうな。雰囲気でまるわかりだ。

 可能性としては、ユキの傍を離れたがらねぇ番犬野郎が護衛騎士解任の言を受けて抵抗を示したってのが一番ありえそうだ……。

 俺としちゃ、その方が都合が良いわけだが……、はぁ、すっきりしねぇな。


「喧嘩でもしたのかよ」


「喧嘩……、というわけ、でもないんですけど。私がアレクさんの優しさに甘え過ぎてしまって、その心の内を考えずに、傷つけてしまったというか」


 ボソボソと言い辛そうに番犬野郎との事を話すユキの話の中身は、俺からすれば……。


(そんなくだらねぇ事で機嫌を曲げやがったわけか……。意外に打たれ弱ぇ奴だな、番犬野郎)


 別段、俺みてぇに人が傷つくような発言をしたわけでもない。

 禁呪の件で俺と同じように寝台送りになっていたユキの看病を甲斐甲斐しくやっていたらしい番犬野郎の奴は、ユキからの遠慮がちな護衛解任の申し出を喰らっただけで……、勝手に落ちた。

 これは、周りから見てりゃわかる事だが、あの番犬野郎はユキに対して弱い、弱すぎる。護衛騎士だからとか、そういう面倒な縛りなく……、ユキに対しての執着がでかい。

 俺が禁呪のクソ野郎のせいで寝込む前もそうだったが、ユキに対して過保護過ぎるというか、自分の庇護下において絶対に傷つけさせはしないという絶対的な感情を、あの野郎は抱いている。

 その感情が何なのか……、ユキを見るアイツの目や態度を見ていればまるわかりだ。だからこそ、ユキから護衛騎士をやめろと遠まわしに突きつけられて、自分の弱い部分にはまりこんだ。……そんなとこだろうな。

 

「別に気にする必要ねぇだろ。お前がもう必要ねぇって言っただけで、勝手に落ち込んでへそを曲げる番犬野郎の方が小せぇんだよ」


「小さくなんてありません!! アレクさんは、いつだって私の事を気遣ってくれて、副団長さんとしてのお仕事もあるのに、護衛騎士だって引き受けてくれて……、誰よりも、優しい人なんです」


 優しいとかそういう次元の問題じゃねぇだろ……。

 こいつ、本当に救いようのねぇ鈍感娘だな。

 あの番犬野郎は確かにウォルヴァンシア王家に仕える騎士だが、忠誠心だけでお前の傍にいるわけがねぇだろうが……。

 はぁ、あれだな。当事者になると客観的に見れなくなるとかいうあれだな。

 自分がどう思われているか、多分ユキみたいなタイプには、わかりやすく伝わりやすい態度や言葉が必要とみた。……ちょっとだけ同情してやるよ、番犬野郎。


「優しい……、ね。けどよ、お前が番犬野郎に言った事なんて、傷つける以前の問題だろ。お前がどうこう悩む必要はねぇし、番犬野郎が自分の中でケリつけるまで放っときゃいいと思うぜ?」


「……そう、なんでしょうか」


「ふあぁ……。んな事より、暇なら俺の昼寝にでも付き合うか? 膝に頭おいてやってもいいぜ」


「な、何言ってるんですか!! 膝枕なんてしませんからね!!」


 ちっ……。禁呪のせいで弱ってる時は、あんなに甲斐甲斐しく俺の事を心配して、手まで握ってくれたくせによ。元気になったらもう俺の事なんかどうでもいいってか。番犬野郎の事ばっかりに気をとられているユキに対して苛立ちを覚えた俺は、横に座っているユキの膝に無理矢理頭を乗せて寝そべった。


「ちょっ、や、やめてください!!」


「いいじゃねぇか、先約があるわけでもねぇだろ」


 慌てる様子を見せたものの、ユキは無理に俺を引き剥がそうとはしない。

 ただ顔を真っ赤にして困惑するだけだ。

 出会った当初じゃ、考えられないぐらいの反応だよな。

 まぁ、俺の自業自得だったわけだが、最初の頃は俺の顔を見るのも話をするのも嫌がってたし、本気で嫌悪されていた自覚はある。俺からすれば、軽くからかっただけ……、だが。男と付き合った経験がないユキにとっては衝撃だったんだろ。

 悪い事をした……、と、それを知って後で後悔した。

 けど、俺はこんな性格だからな。素直に謝る、とか出来るわけもなく……。


「カインさん……」


「何だよ……。暫くはどいてやんねぇぞ」


「……あの、今度は……、私の方の話じゃなくて、……お父さんとの事、聞いてもいいですか?」


 休息所の中に静寂の気配が満ち、瞼を閉じそうになっていた俺の耳に、控えめな問いが落ちた。……俺と親父の事は、当然このウォルヴァンシア王宮の中でも噂になっているから、まぁ、仕方ねぇか。

 こっちはとっくの昔に縁を切ったつもりでいるってのに、何が話し合いたい、だ。

 どんな謝罪の言葉を連呼されようと、俺はイリューヴェルに戻る気もなければ、親父を受け入れる気もない。

 イリューヴェルの第三皇子カインは死んだと思えばいいんだ……。

 俺はどのみち、一度この王宮を出て城下で仕事を探す気だし、今更イリューヴェルに戻っても、俺にとって良い事はひとつもない。

 すっぱりと関係を絶った方が、全部丸く収まる……。

 だが、ユキにとっては違うんだろうな。

 俺が親父と『仲直り』ってやつをするのを期待してんだろ……。

 その気持ちを煩わしい……、とは思わないが、世の中には修復出来ねぇ関係もある。だから俺は、瞼を閉じたまま息を吐いて「親父の話はすんな」と答えておいた。


「カインさんのお父さん……、日に日に元気がなくなっているんです。見かける度に重たい溜息をして遠くを見ている気がしますし」


「おっさんの哀愁なんか、放っとけ」


「イリューヴェル皇帝さんは、カインさんと本気で親子の関係を修復したいんだと思います」


「俺にその気はねぇよ」


 ユキも俺の事情は把握してるみたいだが、話で知り得ただけの情報ってのは、薄っぺらいもんだ。

 どんなにその立場になって物事を考え同調したとしても、本人が味わってきた感情や葛藤、心の奥で感じ続けた痛みを本当の意味で知る事は出来ない。

 俺が正妃である皇妃ミシェナの子として生まれ、皇宮に巣食う害悪に晒され続けた長い月日……。

 お袋と俺が味わった屈辱と絶望は……、誰にもわかりはしない。

 別に卑屈になっているわけでもなく、それが、偽りのない事実だからだ。

 ユキは俺と違って、愛されずに、存在を疎まれずに育った奴じゃない……。

 所謂、温室育ちに分類される女だ。……とは言っても、なよなよの気の弱ぇ女じゃないが。

 大人しい奴かと思えば、俺に対して喰ってかかってくるわ、平手を喰らわせるわ、変なとこで頑固だわ……。本当に、飽きのこない女だぜ。

 だが、どんなに俺が気に入ってる奴だからといって、お互いに理解出来ない部分ってのもある。


「お前にはわかんねぇだろうし、わかれとも言わねぇよ……。だけどな、俺と親父、イリューヴェル皇家の『家族』ってやつは、お前の思うようなそれじゃない。歪みに歪んで淀みきった……、腐った関係でしかないんだよ。だから、お前が余計な気をまわす事はねぇんだよ」


「そう、ですね……。私には、カインさんがイリューヴェルでどんな風に育ってきたのか、話に聞くだけでしか知りません。当時の事を間近で見る事も出来ません……。本当の意味でカインさんの味わってきた辛さを理解する事なんて……、無理、なんでしょうね」


「そうだって言ってるだろ」


「だから……、私がカインさんにどんな言葉を向けても、偽善的なお節介にしか聞こえないって、それも、わかっています……。私が、こうなってほしいと、自分の願いを押しつけているだけだって……」


 ユキの細く温かい指先が、瞼を閉じている俺の髪を梳くように、そっと触れてくる。こんな話をしてなけりゃ……、この優しい温もりに身を委ねて心地良い眠りを堪能出来るってのに。何でそれに浸らせてくれないんだかな……。

 ユキの静かな声音の続きを……、何故だかこのまま聴いていたいという気に駆られてしまった俺は、薄らと自分の瞼を押し上げた。


「禁呪のせいで寝込む事になった時、もう少しで死にそうにまでなっていたあの時、カインさんの中に、『後悔』はありませんでしたか?」


「……後、悔?」


 王宮医務室の奥で禁呪に侵され続けていたあの時、眠る度に幼い頃の夢を見た。

 母親の腕の中で守られ、自分という存在を認識し、周囲の悪意に気付き始めてから……、どうしようもない、歪んだ野郎に成り果てるまでの全てを。

 何でそんな人生しか歩めなかったんだ……、とか、身体と心を絶えず襲い続けた苦痛と微睡の中。らしくもなく自分の辿ってきた道を後悔しなかったとは、言えない、か。

 あとから考えれば、幾らでも他に方法はあったはずなんだよな……。

 それなのに、誰からも忌まれ、必要のない存在だと罵られるような道を選んだのは、他でもない、俺自身だ……。

 自分以外の誰かを思い遣る情も、広い視野で物事を考え、正しい道を選び取る余裕もなかった……、どうしようもない自分。

 やり直せるのなら……、もう一度、母親を悲しませないような息子になりたいと、何度……、後悔という悔しさを胸に抱いた事だろうか。

 ユキが身を挺して禁呪の支配から俺を解き放ってくれた時も、……同じような思いを抱いた。

 このまま禁呪に俺の人生を喰われていいのか? 

 俺の為に情を分けてくれたウォルヴァンシアの奴らに恩を返さずに死んでもいいのか? ――もしかしたら、もう一度……、このどうしようもない人生を、やり直せるかもしれないのに、と。

 正直言えば、この世界で俺を消し去りたいと常に願っていたのは、禁呪を行使したおっさんや、皇宮の害悪共だけじゃない。……俺自身が、歪んでいく自分自身をこの世界で一番憎んでいた。

 イリューヴェルという『檻』の中で時を重ね腐っていく『苗』……、それが俺だったんだ。

 

「そうだな……。『後悔』ってのは、禁呪の時だけじゃなく……、常に俺の心の中に在ったような気がする」


「はい……。カインさんはきっと、今までずっと心の中で叫んでいたと思うんです。今の自分は違う、こんな事がしたいわけじゃないんだ……、って。いっぱい、いっぱい泣いて、自分にとっての本当の姿を、出口の光を探して、足掻き続けて……、このウォルヴァンシアに辿り着いた」


「はは……っ、迷子みてぇだな」


「迷子、だったんですよ……。誰にも助けを求められなくて、自分でも、どうしていいかわからなくて、誰かに気付いてほしくて……。カインさんは彷徨っていたんだと思います」


「……で? ガキみてぇに迷子の俺に……、親父のとこに帰れって言いてぇのか? お前は」


 俺の頭を撫でていたユキの手を掴み、顔の位置を上にずらす。

 ユキが願っているのは、俺と親父の和解だ。

 だから、逃げまわらずに話し合えと、そう言いたいんだろう。

 自分の間違った道を修正して、今までの過去を塗り潰せるように、イリューヴェルでやり直せ……、そんなところか。

 帰れってのは、ユキが言葉にしたわけでもないのに、俺が勝手にそう言われているような気になっただけだが……。

 もしそうだとしたら、……また荒んでしまいそうになっちまう。

 だが、ユキは緩く首を振って見せると、俺の頬に手を添えて口を開いた。


「私が言いたいのは……、カインさんにイリューヴェルに帰ってほしい、とか、そういう事じゃないんです」


「じゃあ、何だよ」


「私は……、カインさんに、『前に進んでほしい』と、そう、願っているだけなんです」


「ユキ……」


 一度瞼を閉じ、そのブラウンの色を俺の視界から隠したユキが、少しの間無言になる。その瞼の先で、世界を閉ざした思考の中で……、お前は今、何を考えているんだ? それを知りたくて、俺は身体を起こそうと身を捩ったが、ユキの手が……、俺をその場に留めるように動いた。


「カインさんは……、今、この場所で『生きて』います。過去を変える事が出来なくても、これからを紡いでいける人なんです」


「……」


「一番良いのは、勿論、イリューヴェル皇帝さんと親子関係を修復する事ですけど……。カインさんがどんな思いで生きてきたか、その全てを知らない私に、無理にそうしろ、とは言えません。どんなに話し合っても、受け入れられない事だってあります……。人には、自分以外にはわかってもらえない辛さや悲しさがある事も……」


 閉じられていた瞼の奥にあるブラウンの双眸が、再び俺の姿をその穏やかな揺らめきの中に捉えた。俺を責めるでも、ましてや、押しつける気配はどこにも見当たらない。凪いだ視線だ……。


「だから、カインさんにお父さんを受け入れろ、なんて事は言いません。ただ……、カインさんが新しい道を歩む為に、『耳を塞ぐ事をしないでほしい』と、そう思っているだけなんです」


「耳を……、塞ぐ?」


「お父さんを受け入れられない事、イリューヴェルに帰りたくないと思う事、それはカインさんの中に在る確かな意志なんです。それを急に変えられるほど、カインさんは器用ではないでしょう?」


「当たり前だろ……。俺と、俺の母親がどんな思いで生きてきたか……、あのクソ親父に頭を下げられたぐらいで帳消しになるようなもんじゃねぇんだよっ」


 自分の抱えてきた、凝り固まった負の感情をぶつけるかのように、俺は掴んでいるユキの手首をきつく握り締める。爪が食い込んだせいで、僅かにユキの皮膚から血の気配が滲んじまってるのを見た俺は、すぐに我に返ってその力を緩めた。


「悪い……」


「いえ……。大丈夫ですよ」


 痛かったろうに、見上げたその表情には俺に対する嫌悪が一片たりとも浮かんでいない。俺の事を心から怖がって忌み嫌っていた女の顔はどこに行っちまったんだろうな……。だけど、こんな風に穏やかな慈しみのある瞳で見られる事が、今の俺にはどうしようもなく、……温かくて心地いいんだ。


「カインさん、お互いに分かり合える事はなくても、お互いの心を知る事は、必要じゃないでしょうか」


「……ユキ?」


「言葉にしないと相手に届かない想いって、あると思うんです……。お互いに拒みあってばかりでは、受け取れない想いが……」


「それを知ってどうしろって言うんだよ……。今更、何も変わんねぇだろ」


「そうですね……。だけど、『ここ』に……、何かが残ると思うんです」


 俺の心臓の上に手のひらを乗せたユキが、そっと首を傾けて微笑む。

 『ここ』……、ユキが触れている俺の心臓が、トクリ……、と温かい鼓動を打つ。

 俺の身体のどこかに在る、『心』と呼ばれる存在。

 長年に渡って溜め込んできた淀む水面の中に……、白く小さな光が波紋を生んだ。

 

「一度だけでもいいんです……。今までカインさんを苛んできた色々な感情を、少しの間だけ、心の奥に留めてください。落ち着いた状態で、イリューヴェル皇帝さんの『声』を聞いて、その後に、カインさんが今まで我慢してきた『声』を、お父さんに受け止めて貰うんです」


「ユキ……、お前」


「それだけでいいんです。お互いの本音を知る事、それを自分の心に受け止めて……、それでも、カインさんがお父さんを受け入れられないと思ったら、あとはもう、カインさんの望む道を行くだけです……」


 新しい道を歩き始める前に、自分が今まで拒み逃げ続けてきた相手の本音を知る……、か。

 分かり合う事が難しくても、背を向けたままでは……、そこに新たな後悔が残る。

 ずっと拒み続けてきた親父という壁をぶち破らないまま、また逃げるのかと……、そう、言われているような気がした。


「縁を切るのも、それを繋ぎ直して新しい関係を作るのも……、カインさん次第。誰も文句なんて言いませんよ。しっかりと自分のお父さんと向き合って、お互いの心を知って、その上で選んだ答えなら……。それに、話し合いの先に、カインさんの望む本当の『自由』があるって考えたら、気が楽になりませんか?」


「本当の……、自由、か」


「ごめんなさい……。本当は、口を出すべきじゃないって、そう、思っていたんですけど……。カインさんと、イリューヴェル皇帝さんの様子を見ていたら、私も、自分の『声』を届けたくなったんです」


 それがお節介だとしても、俺にどう思われても、口にせずにはいられなかった……。自分の素直な気持ちを伝えてくるユキに、……俺の心は反抗ではなく、別の感情を抱く。


「……少しだけ、時間をくれるか?」


「え?」


 ユキの頬に腕を伸ばし、その温もりを撫でながら……、俺は今日初めての笑みを浮かべた。

 たとえそこに和解の道がなかろうと、俺が親父を受け入れる事が出来なくても……。良い結果が用意されていなくても、新しい道を歩む為に、自分が拒み続けてきた存在ものに答えを出す。

 あくまで、俺の意思に任せると付け加えたユキの想いを噛み締めながら……、気付けば俺はそう答えを出していた。

 親父と、話し合いの場を設ける。今度は、怒りに任せて拒むのではなく、相手の心に耳を傾けて、後悔のないように……、互いを知る事。

 それが、今の俺にとって一番に必要な事なのだと……、ユキの言葉を聞きながら自然にその道が俺の前に現れたように思う。

 勢いをつけてユキの膝から起き上がった俺は、向きを変えてその柔らかな黒髪を撫でまわした。


「きゃあっ!!」


「ユキ……、ありがとな」


「か、カイン……、さん?」


 頭を押さえて俺の手から逃げたユキに自分の素直な気持ちを伝えると、その頬が仄かに夕暮れの色に染まった。感情の波が顔に出やすい女だが、俺の言動で戸惑うその姿もまた、俺を飽きさせない要素のひとつだ。


「親父と話し合えるかどうか、ちょっと考えてくる。だから、もう心配すんな」


「カインさん……、はいっ」


 俺からの答えに、嬉しそうに表情を綻ばせたユキに、軽く手を振りながら休息所を出て行く。このウォルヴァンシアに来る前は、遊学なんか面倒くせぇ、そう思っていたはずなのにな……。

 その先にある『自由』を求めて訪れたこの場所で……、俺は逆に囚われたのかもしれない。俺を大嫌いだと言った女が、変に頑固でお節介な温室育ちのお姫様が……、この胸の奥に特別な情の花を咲かせていく。

 アイツがどう思うかはわからねぇが……、俺にとっては幸福そのものだ。

 俺はこの地で……、光り輝く存在を見つけた。

 求めずにはいられない、唯ひとつの、『花』。

 

「イリューヴェルには……、どう転んでも帰れねぇな」


 知らず口元に浮かんだ笑みと共に、俺は駆け足で憩いの庭園を走り抜けた。


2015・04・08 本編改稿完了。

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