荒ぶる美しき王宮医師!
禁呪によって意識を封じられているカインさんを救う為、それぞれが自身の果たすべき役割を担いながら暗い夜空の真下を駆けまわっている。
紡がれる詠唱の響き、瘴気の獣達が上げる咆哮、禁呪の高嗤いと剣戟の繰り返される音……。
「うっ……」
セレスフィーナさんとルイヴェルさんが響かせる詠唱が進むにつれ、私の身体を満たす血の巡りにざわめくような変化が訪れた。
皮膚が、呼吸が、命の胎動を示す鼓動が……、狂おしい程の熱を宿していくのがわかる。
術を行使する為に、自分の血が赤く光る粒子のように身体から溢れ出し、セレスフィーナさんの許へと流れるように集まっていく。
「あぁ、ウザッてぇなぁああ!! テメェらにとって、このガキの存在は大したもんじゃないだろうが!! 血を垂れ流そうが、無様な死にざまを見せつけようが、どうでもいいんだろうがよ!!」
「カイン自身も口の困った子ではあるけどね……。君のように、粗悪でどうしようもない残虐性の権化よりは、マシだよ」
ルディーさんとロゼリアさんの攻撃を押し返し、右手だけでなく左手まで竜の形状に変えた禁呪の動きを戒める為、レイフィード叔父さんが右手を薙ぎ払い、無数の茨の蔓が飛び出していく。
猛スピードで禁呪の腕に絡み付いた茨の蔓が鋭い棘と共にその身に絡み付いた。
その隙を突き、ルディーさんが渾身の蹴りを繰り出す。
禁呪を地面に転倒させる事には成功したけれど、飛び込んで来た瘴気の獣が茨の蔓を噛み千切り、禁呪を解放してしまう。
「陛下の拘束をっ!!」
「団長っ!!」
レイフィード叔父さんの拘束を打ち破るなんて……!
前に王宮で禁呪や瘴気の獣達と相対した時は、完全に動きを封じ込められていたはずなのに。
驚くルディーさんの背後に現れた瘴気の獣に斬り込んだロゼリアさんが、再び禁呪の懐目掛けて飛び込んでいく。けれど、禁呪の一撃がロゼリアさんの肩に凶悪な竜の爪を突き立てて抉り込ませてしまう。
「ロゼリアさん……っ!!」
「ユキ!! 今は耐えなさい!! 今お前に出来る事は、カイン皇子の意識を覚醒させる事、その事だけに集中しなさい!!」
瘴気の獣達を無数に飛び交う鎖で消滅させながら私へと振り返ったお父さんが、今までに見た事もない程に険しい顔付きで厳しい声を放った。
その迫力を目の当たりにした私は、萎縮するように身体を震わせたけれど、お父さんの言う通りに瞼をぎゅっと瞑り、封じられているカインさんの存在を掴む為に、再び意識をひとつに定めた。
(カインさん……、カインさん……!! 禁呪の中で眠っている貴方に、どうかこの声が届きますように……!!)
暗闇となっている瞼の裏で、強く、強く……、カインさんへと声を届ける。
禁呪に抑え付けられたままなんて、強気で負けず嫌いな貴方には似合わない。
誰かの言いなりになって、自分の意思を無視される事を、絶対に許したりはしないでしょう?
(たとえ禁呪のせいで弱っていても、貴方の心は負けたりなんてしません!!)
カインさんとは、まだ出会って一ヶ月と少しの時間しか経ってはいないけれど、それでも、私の知る貴方は、いつも自分勝手に振る舞って、人に嫌われるような物言いばかりするけれど、本当は違うって、今の私にはわかります。
誰かに嫌われる言動や行動は、決して本心からじゃないと……。
意地悪な事ばかり言って、私をからかっては楽しそうに笑っていたカインさん。
三つ子ちゃん達に懐かれて、あんなにも心を開かれていた貴方を思い出す度に、自然と笑みが零れ落ちる。素直じゃなくて、不器用だけれど……、心の中は温かい人なのだと、私はこの一ヶ月間でしっかりと感じ取っていたから……。
(私の勝手な思い違いだって、いつものように皮肉めいた物言いで一蹴されるかもしれないけれど、それでも、私は自分自身が感じてきた事を信じます。……カインさん!)
だから、また……、いつものように、私をからかってもいいから、どうか目を覚ましてください。
(禁呪の横暴を、これ以上許したりしないで……!! 貴方という存在は、踏みつけられていいものじゃない!! やられっぱなしのままの貴方なんて、らしくないんですから!!)
ありったけの思いを込めて、私はカインさんへと自分の声を届け続ける。
姿も何も見えない真っ暗闇の中だけど、……不意に、微かな呻き声が聞こえた気がした。
もしかして、という思いと共に、私は声をかけ続ける。
(カインさん、カインさん!!)
今のが、自分の聞き間違いではないのだと、そう信じて何度もその名を呼ぶ。
(ユ……キ?)
(この声、やっぱりカインさん!! 私です、ユキです!!)
徐々にカインさんの声は気だるげながらも、私の声にちゃんと反応を返してくれるようになった。
寝起きの掠れ声に似た響きが、この状況を掴めず彷徨う。
(ここは……、どこなんだ? 真っ暗で、何も見えねぇ)
(今のカインさんは、禁呪によって意識を封じられている状態なんです)
私は、戸惑うカインさんに、これまでの経緯を全て説明した。
儀式の最中に起きた、予想外の介入。カインさんの身体を禁呪が乗っ取っている事……。
(マジかよ……っ。儀式の途中で感じた異変は、あの野郎の仕業だったのか。クソッ……、俺の身体を好き勝手に使いやがって!!)
(大丈夫です。セレスフィーナさん達の術が発動すれば、きっと身体も取り戻せます! だから、それまで、カインさんは自分の意識を強く持って禁呪に抗ってください!!)
(意識を強く、か。……わかった。何とかやってみる。あんな意味わかんねぇ奴の思い通りにされて、やられっぱなしってのは腹が立つからな)
(はい!!)
いつものカインさんらしい皮肉めいた強気な態度を感じた私は、彼の意識を繋ぎ止める為に声を掛け続ける。そして、その途中……、術が発動する瞬間を待ち望みながら、薄らと自分の瞼を開いた。
大きく長い杖を頭上に掲げたセレスフィーナさんが高らかに力強く詠唱を紡ぐ姿が見える。
今度こそ上手くいってほしい。そう願いながらもう一度瞼を閉じようとした時。
私から見て右側に立っているルイヴェルさんが、一瞬小さく目を見開き視線を向けた。
双子のお姉さんである、セレスフィーナさんに。
何かを思案するような、そんな気配を深緑の双眸に浮かべたものの、一度瞼を閉じ、ほんの数秒の後に深緑を現したルイヴェルさん。
その視線を前に戻し、セレスフィーナさんの詠唱に続いて低い声音と共にそれを紡ぐ。
(ルイヴェル……、さん?)
シャラン……、と、ルイヴェルさんの手首に嵌められている複数の腕輪が清らかな音色を響かせる。その右腕が天高くを目指すように掲げられ、次いでセレスフィーナさんの杖も同じ場所へと向かうように天へと掲げられた。
王宮医師であるお二人の声音が、やがてひとつに重なる。
(え……)
詠唱が終わり、自分の頭上に眩い光が現れた事に気付いた私は、ゆっくりと顔を天へと上げた。
暗いベールで覆われた空に走る巨大な陣……。
私には読み解く事の出来ない紋様がびっしりと敷き詰められたそれは、金緑と銀緑が混ざりあう光を放っている。
けれど、その中心でクルクルと回っている、紅の光を宿す小さな球体が外側に向かってはじけた瞬間、紋様を辿りながら全てを紅の色へと染め上げた。
「こ、これは……!!」
(ユキ、どうした?)
私の戸惑いが伝わったのか、カインさんが疑問の声を発した。
この状態を、一体どうやって伝えればいいのだろうか……。
天から、グルル……、と、明らかに獰猛な獣の唸り声がエコー付きで降ってくる。
巨大な陣は真っ赤な光と共にその姿を変え始め、空を覆い隠すほどの……、狼のような形状を取り始めているのが見えた。
「あ、あの……、せ、セレス、フィーナ、さん? こ、これは、い、一体っ」
「ふふふふ……、散々私達の努力を台無しにしてくださいましたので、禁呪には、溜まりに溜まった私達の鬱憤を、その身で受け止めて貰おうかと思いまして」
「せ、セレスフィーナさん!?」
一体どうしたというのだろうか。
私に背を向けたままのセレスフィーナさんの肩が、不気味な含み笑いと共に震えている。
「る、ルイヴェルさん!! あの、一体何がどうなって!?」
一体何がどうなるのか不安を覚えた私は、ルイヴェルさんへと向かって助けを求める声を送ってみる。しかし、ちらりと私を振り返ったルイヴェルさんは、首をゆっくりと振ってこう言った。
「俺にも、止められません」
はぁ……、と、ルイヴェルさんが呆れるように吐いた溜息と共に、頭上で駄目押しとばかりに事態が急展開を見せる。
「う、嘘……っ!!」
(おい、ユキ!! 一体何があったんだよ!! 説明しろ!!)
「か、カインさんっ、あ、あの、あのっ」
もう本当に意味がわからないっ。
赤い閃光と共に狼の姿を纏ったそれが大口を開け、グォオオオオ! と、夜の大気ごと風を吸い込むようにその中で巨大な光を溜め込んでいく。
こ、これは……、ま、まさか……!!
巨大な狼の鋭い視線が、禁呪、つまり、カインさんの身体を捉え、大きく後ろへと顔の部分をのけぞらせた直後。
『グォオオオオオオオオオオ!!!!!!!!』
「ちょっ、ちょっと待ってください!!」
「ふふふふふふふ、覚悟なさい、禁呪!!」
「セレス姉さん、輝いているな」
そんな冷静なコメントはいりません!!
今までに見た事もないぐらいに強気で不気味な自信に満ちた声音のセレスフィーナさんが高らかに発射の合図を口にした瞬間。私の中では、カインさんの戸惑う疑問の声だけが響いていた……。
2104・12・25
本編改稿完了。
2015・3・28。文章の揃えなど、その他修正しました。