刻まれた呪い……
――Side 幸希
ロゼリアさんが手配してくれた代わりの護衛騎士さん。
隊長格のお一人でもあるクレイスさんと一緒に夕方まで過ごした私は、少し一人になりたい事を伝え、庭園に向かう事になった。
憩いの庭園の入り口にクレイスさんを残し、人気のない庭園の中に佇む噴水の縁に腰を下ろす。
暮れていく夕陽が照らし出す、昼間とは違う庭園の花々の色合い……。
なんだか、少し寂しくもなる昼と夜の境目の時間……。
心地良く響いてくる花々の音色に、私は見えている景色の中でぼんやりと意識を遊ばせていた。
「……ん?」
その時、視界を遮るように、目の前にひらひらと手を振る男性の姿が目に映った。
肩よりも長めの漆黒の髪に、少し案じる気配を宿した真紅の瞳……。カインさんだ。
「もう日が暮れる頃だってのに、こんなとこにいていーのか?」
「……カインさん、その手、何ですか?」
彼の面白がるような小さな笑みに、ムッとしながらその手の理由を聞く。
「お前が間抜け面でぼけっとしてるもんだからよ。心配になって正気かどうか確認してやったってわけ。どうだ? 俺って優しいだろ」
「はぁ……。相変わらず人をからかうのが好きですね。というか、カインさんこそ出歩いて平気なんですか? 昨日の怪我は……」
そう言って、昨日の出来事を指摘するように彼の左腕に目をやれば、もう包帯は巻かれていなかった……。たった一日で治ったのだろうか?
私のいた世界なら、きっとまだまだ完治には時間がかかる怪我のはずなのだけど……。
カインさんは、もう痛くも何ともないというように左腕を回してアピールしてみせる。
「どっかの誰かさんのお節介のお蔭で、このとおりだ。何だ? お前……、ふぅん、俺の事が心配でたまんなかったのか?」
意地悪く笑みを形作ったカインさんが、その瞳に意地悪な光を浮かべて、私の顔を覗き込んだ。
「違います!! ただ、傷が酷かったから……、大丈夫なのかなって」
いくらもう悪意がないとわかったとはいえ、やっぱりカインさんの魔性の色香の滲んだ顔を近付けられると、相変わらず心臓に悪くて困ってしまう。
昨日は、カインさんを早く別の場所に移して休ませないと! という思いが強かったから、押し倒されてもどうにか対処出来たけれど……。
こうやって何の心構えも出来ていない無防備な状態の時に悪戯を仕掛けられると、不用意にドキドキしてしまうから本当にやめてほしい。
「それよりカインさん。その声……。またどこかでサボってお昼寝してたでしょう? もう残り数日しかないんですから、いい加減真面目にやりましょうよ」
「勉強したところで、何が変わるわけでもないだろ。どうせ、もうすぐ俺はここからいなくなる存在だしな」
「イリューヴェル皇国に帰ったら、少しは真面目に皇子様をやる事をお勧めしますけどね」
「帰らねぇよ」
「え?」
横を向いて不機嫌気味に言った私に、カインさんは小さな声で呟いた。
視線を彼へと戻し、その表情を正面から見つめると……、少し自嘲めいた笑みを浮かべる表情が映った。帰らない……? どういう事?
「イリューヴェルには、……俺の居場所はねぇからな。この際だから、他の国をまわってみようと思ってよ。自由に、一人気ままに旅してくってのも、楽しそうだろ?」
楽しそうって……。
とてもじゃないけれど、カインさんの静かな低い声音は、そんな気配を含んでいない。
どこか諦めているような、少し……、暗い音。
こちらを向いた真紅の瞳が、寂しそうに揺れている。
「何だ、その顔。……俺がこの国を出て行くのが寂しいのか?」
「なっ、そ、そんなわけないじゃないですか!!」
「お前、本当に感情が顔に出るよなぁ……。素直っつーか、色々調子を狂わされるっつーか……」
「ど、どういう意味ですか!! 私が単純って事ですかっ」
喉奥で笑ったカインさんが、私の頭を少し乱暴に掻き回し、ひとつ吐息を零した。
どうしたんだろう……。様子が……、いつもと違うような……。
「もう……、何するんですかっ。髪の気がグシャグシャに……」
「なぁ、ユキ……」
髪を整えていると、カインさんが真剣な顔つきで、再び私の顔を覗き込んできた。
だ、だから……、その顔は心臓に悪いんですって!!
そんな私の内心の叫びなど知らないように、カインさんは私の頬を片手に包み、その口を開いた。
「お前……、もし、……俺が」
「か、カイン……さん?」
暫くの間互いの視線が絡み合い、真紅の瞳に揺らめく正体不明の強い感情に、私は心を囚われてしまう。言葉は止まり、静かな時間だけが憩いの庭園に流れていく……。
そして……。
「……え?」
急にカインさんの右手に頬の肉を抓まれたかと思うと、その唇が愉快そうに笑った。
しかも、今度はもう片方の手まで伸ばして、両側から私の頬をぐにゅ~ん! と左右に引っ張り出してしまう!!
「にゃっ、にゃにふるんでふか~!!」
「はははっ、馬鹿みてぇに伸びるな、ぷっ……、くくっ……!! どんだけ柔らかいんだよ、俺の国にも滅多にいねーなっ」
「うにゃ~!! や、やめっ、はなひへ~!!」
声を上げて笑うカインさんの様子に、私は涙目になって抗議する。
さっきまでの独特の緊張感をもった時間は何だったのか……。
彼が何を言おうとしていたのか……。
誤魔化すかのように、カインさんは私の頬を好き放題に伸ばして楽しんでいる。
カインさん、貴方は私に、何を言いたかったの?
「はぁ、本当お前って面白い奴だよな」
「うぅっ、頬が……、ヒリヒリするっ」
「氷術でも押し付けてやろうか?」
「いりません!!」
散々、私の頬で遊び倒したカインさんが、隣へと腰を下ろし、私の頭をポンポンと手のひらで叩いた。まったくこの人は……っ、本当に人をからかって悪戯を仕掛けるのが好きなんだからっ。
頬を膨らませて恨みがましくカインさんの顔を睨もうとそちらを向くと、何というか……、いつもの飄々とした笑顔じゃなくて、どこか……、彼の素に触れたかのような屈託のない表情がそこにあった。大人の男性のはずなのに、少年めいたあどけなさを感じるというか……。
意外なものを見てしまった……、気がする。
「さてと、俺は城下にでも遊びに行くとするか。くくっ……、その頬、明日腫れてないといいなぁ?」
「そ、そんな事になったら、絶対に文句言いに行きますからね!!」
「ははっ。待っててやるよ。じゃあ……、またな、ユキ」
噴水の縁から立ち上がり、私に背を向けたカインさんが右手を軽く振りながら回廊へと去っていく。本当にもう……、あの人はどこまで私の心を引っ掻き回すのだかっ。
悪戯ばかりのカインさんに翻弄される日々を思い返しながら、私は溜息と共に立ち上がる。
カインさんの遊学終了日までに、一回くらいやり返したいなぁ……。
「おわっ!! ちょっ、カイン皇子!?」
「……え?」
庭園の入り口に向かおうとしたその時、回廊で待ってくれていたクレイスさんが、驚愕と共に駆ける音がした。カインさんの名前を、何度も呼んでいる……。
何……、一体……何が起こっているの……?
一気に胸に沁み広がる不安の感情に突き動かされ、私は回廊へと急いだ。
「クレイスさん!! 一体何が!!」
「ユキ姫様っ、申し訳ないですけど、俺ちょっと王宮医師の二人を呼んできます!! カイン皇子の事、頼んでもいいですか!! あと、身体の方は動かさないようにお願いします!!」
地面に膝を着いていたクレイスさんが、その場から立ち上がる。
その身体がどいた事で、私の目に飛び込んできたのは……。
「カインさん!?」
血の気を失い、うつ伏せに倒れているカインさん……。
クレイスさんの話では、急に目の前で倒れてしまったという話だけれど……。
私はカインさんの傍に膝を着き、必死に呼びかける。
「カインさん! カインさん!! しっかりして下さい!!」
どうして!? さっきまであんなに元気だったのに……。
その手に触れると、生きている人にはありえないような冷たい感触が伝わってきた。
呼びかけても起きない。顔色はどんどん悪くなっていく……。
私は胸の中に溢れる不安の渦に感情を攫われそうになりながら、クレイスさんが王宮医師のお二人を連れて来てくれるのを今か今かと待ち続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
クレイスさんがセレスフィーナさんとルイヴェルさんを連れて戻って来た後、カインさんの身体は術によって宙に浮かび上がり、そのまま全員で医務室へと転移した。
診察台に寝かせられたカインさんを、お二人が慎重に診察していく。
私とクレイスさんは、部屋の外に出て治療が終わるのを待ち続けた……。
「ユキちゃん!!」
両手を組み合わせて祈るように扉に向かっていると、レイフィード叔父さんの声が廊下の向こうから聞こえた。私の傍へと駆け寄り、震えている肩をそっと抱き寄せられる。
「レイフィード叔父さんっ、カインさんが……、カインさんがっ」
「落ち着いて、ユキちゃん。大丈夫だから……」
「でもっ……、私と別れるまでは、いつも通りだったんです……。だけど、その後、クレイスさんの声がして……、カインさんがっ」
もう何が起こっているのか理解できない私を、レイフィード叔父さんが腕の中に閉じ込めるように抱き締めた。背中を撫でる手の温もりが、心を落ち着かせるように何度もその仕草を繰り返す。
(カインさん……、お願い、どうか……、どうか、無事でいて!)
暫くして、王宮医務室の扉が開き、表情が緊迫したままのセレスフィーナさんが、私達を中へと招き入れてくれた。
「セレスフィーナ、ルイヴェル。説明を」
「はい。申し上げにくい事ですが……、カイン皇子は、――『禁呪』と呼ばれる呪いに蝕まれておいでです」
セレスフィーナさんの報告に、レイフィード叔父さんの眉が険しく顰められる。
「これは、呪を刻まれてから数日間、内部で潜伏する類のものです。術が効果を表すまでは異常もない為、非常に厄介な代物と言えるでしょう」
「ルイヴェル、それは……、確かな事なのかい?」
レイフィード叔父さんの確認に、ルイヴェルさんは確かな頷きを返す。
王宮医師のお二人と、レイフィード叔父さんは内容をわかっているようだけど、私には『禁呪』と呼ばれる存在が一体何なのか、理解が追いつかない。
ただ、良くない事なのだと、呪いと言うからには、カインさんの害になるのだと。
今にも気を失ってしまいそうなその内容に辛うじて耐えながら、続きを待つ。
「このレベルの呪いになると、普通は行使する事さえ躊躇うものですが……」
「ルイヴェルの言う通りです。この『禁呪』と呼ばれる術は……、――術者の命を代償に発動するものなのですから」
「――っ!!」
命を……、代償に、術を、発動、する?
正気の沙汰とは思えない内容に、私は身体を大きく震わせ呼吸を乱した。
「徐々に対象者の命を蝕むこの呪いは、やがて確実にその命を奪います。しかし、たった一人を葬り去る為に自身の命を代償に支払うというのは、俺からすると、馬鹿げた行為としか言えませんが」
心底忌々しいと嫌悪を露わにしたルイヴェルさんが、深緑の双眸を険しく細めた。
「カイン皇子は、この王宮医務室でお預かりいたします。幾つかの術式を配して、『禁呪』の進行を遅らせた上で、解呪の術式を姉と共に作り上げます」
「よろしく頼むよ、ルイヴェル、セレスフィーナ」
「「御意」」
王宮医師のお二人がレイフィード叔父さんに一礼した後、私達はカインさんが眠っている奥の部屋へと通された。大きな部屋の真ん中に、天蓋付の大きなベッドがひとつ。
その周囲を取り囲むように、見た事もないような紋様を描く陣のようなものが、不思議な光を宿して淡く発光しながら、ベッドの中へと光を注ぎ込んでいる。
天蓋から垂れているカーテンを避けて中にはいると、苦悶の表情を浮かべながら呻いているカインさんの姿があった。内側にも、陣がいっぱい。
身の内で暴れ回る禁呪に抗うかのように、荒く呼吸を繰り返し、酷い汗を掻いているカインさんの姿に、胸が痛む。
「カインさん……!!」
「ユキ姫様、大丈夫ですよ。俺達の配してある術式で、暫くすれば症状も和らぐでしょう」
「ユキちゃん、ルイヴェルの言うとおりだよ。カインはあのイリューヴェル皇帝の息子なんだ。ちょっとやそっとじゃ死なない。禁呪なんかに、負けたりしないよ……」
「レイフィード叔父さんっ……」
力なく投げ出されているカインさんの手をとり、私はその冷たい肌を強く握り締めた。
悪戯っぽく笑った彼の顔が、庭園での彼の声が、頭の中に次々と浮かんでは消えていく。
一体誰がこんな酷い事をしたのか、そして、これからカインさんがどうなってしまうのか……。
王宮医師のお二人が大丈夫だと私を慰めてくれても、心は完全には納得しなかった。
安心出来ずに不安を抱えたまま……。
私は、涙を零しながらその手を強く握り締めたまま、その日は夜遅くまで……、カインさんの傍から離れられずにいた。
2014・6・19 本編第二章37部改稿完了。
2015・3・28。文章の揃えなど、その他修正しました。