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ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~  作者: 古都助
第二章『竜呪』~漆黒の嵐来たれり、ウォルヴァンシア~
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歪みの皇子と彼女の騎士!

 もう二度と会いたくないと願っていた人が……、視線の先で嗤っている。

 妖しい輝きを宿した真紅の瞳。私の脳裏と感覚に、あの日の事を思い出させるように視線を寄越してくる。押さえつけられた手首、見下ろされた時の獲物になったような感覚。

本人を前にした事で……、あの時に受けた心の傷が、衝撃が、胸の奥から溢れ出す。


「……嫌っ」


 足下から力が抜けていく……。ガクンと、芝生の上に座り込んでしまった私を庇うように、アレクさんが一瞬で人の姿に戻り、剣を構え私の前に壁を作ってくれた。

 イリューヴェルの第三皇子様の姿が視界から消えて、少しだけほっとしたけれど……。

その頼もしい壁に助けられていても、あの人の気配と声だけは……、遮断されない。


「お前と出会ってから、片時も忘れた事はないぜ? 互いに触れた肌の感触も、お前の匂いも……、今でも明確に思い出せる。そうやって怯えてるのもフリなんだろう? 本当は、……あの時の続きを期待して、俺を待ってたんじゃないのか?」


「――っ!!」


 距離は離れているのに、どうしてだろう……。

 まるで、すぐ傍で……、耳元にじかに囁きを掛けられているかのように、ねっとりとした感覚が忍び込んでくる。


「今すぐに、その下種な口を閉じろ。ユキを害す事は……、この俺が許さない」


 私を庇ってくれているアレクさんの、真剣な敵意を込めた声音が第三皇子様に向けられる。

 だけど、その声など聞こえていないかのように、第三皇子様は私だけに意識を注ぎ言葉を続けてくる。


「可愛い奴だなぁ……。本当は今すぐにでも、俺の腕の中に飛び込んできたいくせに……」


 この人は……、何を言っているの?

 アレクさんの放つ警戒の気配と敵意など、まるで見えていないかのように振る舞う第三皇子様。

 その言葉は、意識は……、アレクさんの後ろで座り込んでいる私だけに注がれている。


「お姫様は強引に攻められるのがお好みか? そういうのもいいな。お前が嫌がるフリをすればするだけ……、愉しそうだ」


 あの時、私がどれだけ恐ろしい思いをしたか……。

 逃げた後も、身体と心を苛む嫌悪感と吐き気に……、どれほど苦しめられたか。

 それをわかっていないの……?

 彼の語る言葉は、自分に都合の良い解釈ばかりだ。

 私がいつ……、貴方を望んだというの……っ。


「ふざけ……、ない、でっ」


 静まりかけていた心の荒波が、沸々と怒りの感情と共に渦を巻いていく。

 もう何も喋らないで……、私を見ないで、存在を掴もうとしないで。

 イリューヴェルの第三皇子様に対する悔しさに苛まれ始めた私は、頭を抱えてこみ上げる吐き気を堪えた。――その時。


「ユキを汚す言葉を……、俺は絶対に許さない」


 私を庇うように動いてくれたのは、目の前のアレクさんだった。

 眩い光を受けて、鋭利な鋭さを宿す剣を手に、第三皇子様へと攻撃を仕掛けに地を蹴る。

 第三皇子様の背後を容易く奪い、その首筋に切っ先を滑り込ませるアレクさん。


「あ、アレクさん……っ」


「くくっ……、許さない、ねぇ? 俺はイリューヴェル皇国の皇子だぜ? こんな真似、許されると思ってるのかよ」


「国王陛下より、――死なない程度であれば、何をしても構わないと許されている」


 第三皇子様の愉しげな笑みを封じるかのように、アレクさんの構える刃が首筋に赤い線を描いた。

 いくらレイフィード叔父さんが許可したといっても、本当に……傷付けてもいいの?

 伝い落ちた赤い雫を不安と共に見つめていると、第三皇子様の口から小さく吐息がひとつ漏れた。


「あの国王、酷い命令を出してくれるもんだなぁ。仮にも大国の皇子を、雑魚に害させる権利を与えるとは……。俺もイリューヴェルも、舐められたもんだぜ」


「雑魚かどうか……試すか?」


「男の相手なんて、面倒でやってられねぇな。俺が相手をしてほしいのは、……そこにいる黒髪の女だ」


「――っ!!」


 アレクさんという壁がなくなったせいで、第三皇子様の愉しげな視線が真正面から私へと届いた。

 足はいまだに震えて動く事が出来ない。立ち上がる事も……同じ。


「お前には面倒な番犬がついてるんだな? 俺とお前の仲を裂こうと、必死みたいだ」


「お前とユキの間には、何の関係も存在しない。今すぐここから立ち去るか、俺に害されるか、好きな方を選べ」


「テメェみたいな雑魚騎士に何が出来る? 俺は竜の一族だぜ? 犬っころ一匹ぐらい……、簡単に殺せる」


「犬だと思って侮ると、足を掬われるのはお前の方だぞ」


 第三皇子様の右手が、一瞬にして漆黒の大きな……獣とも違う、正体不明の怪物の手にも似た形状に変化する。鋭い爪が指先から伸び、その手がアレクさんへと薙ぎ払われた。

 後方に飛び退いたアレクさんが、第三皇子様の右手を自分の目に認識させると、強く地を蹴り、その懐へと飛び込んでいく。


「あ、アレクさん……っ」


 剣先を右手だけで受け止めた第三皇子様は、足を使ってアレクさんのお腹を蹴り上げようと動く。

 けれど、アレクさんにとっては予想の範囲内だったらしく、上手く身を躱して、その攻撃から逃れた。


(どうしよう……、どうしたらっ)


 仮にも、相手は大国、イリューヴェルの第三皇子様だ。

 もし後で、何か問題にでもなったら、その時、アレクさんが罰を受けるような事にでもなったら……!! 力の入らない足を叱咤し、何とか二人を止めようと立ち上がる事に意識を集中させる。


(お願い……動いてっ)


 ガクガクと震える足が、どうにか膝立ちまでは回復させる事が出来た。


(早く……立ち上がらないとっ)


 目の前で起こっている戦いを一刻も早く止めなくては……!!

 そう必死に自分に言い聞かせ立ち上がろうとしていた矢先……。

 ――耳元に、『ありえない声』が響いた。


「そんなに、『あの番犬野郎』が大切か? ――ユキ・ウォルヴァンシア」


「――っ!!」


 すぐ傍で……、目の前で戦いを行っているはずの人の声が聞こえた……。

 私の両肩を掴む力強い手の感触、……頬に触れる漆黒の髪……。

 そして……、左耳に触れた唇の感触と……囁かれた低い声音……。

 まさか……、そんなわけがない……。

 顔を恐るおそる左へと向けた私は、次の瞬間、――心臓を鷲掴まれた気がした。


「どう……して」


「あぁ、本当にお前は良い匂いがする女だな。この前触れてから……、もう一度近くで感じたいと思っていたんだ」


「んっ」


 うっとりとした気配を滲ませ、アレクさんと戦っているはずの――第三皇子様が、首筋に唇を押し付けている。

 どうして……。だって、今、この時も目の前で……。

 アレクさんの視線が、私へと向いた。その蒼の瞳が、驚愕に染め上げられていく。


「『影』を使ったのか……!!」


 影……? どういう事?

 アレクさんの険の滲んだ声に、私の傍にいる第三皇子様が愉悦に歪んだ笑みで嘲るように笑いを零す。

 そして、動けない私を横抱きに腕の中へと抱え上げ、アレクさんの攻撃が届く前に、地面を蹴って飛び退いた。

 すぐに私達の後を追おうとしてくれたアレクさんだったけれど、もう一人の第三皇子様が行く手を阻む。

 憩いの庭園の奥、一番大きな巨木の上へと飛び上がると、第三皇子様は、その太く頑丈そうな巨木の張り出した部分に足を置いた。

 私を巨木の幹へと押さえ付け、両手を頭の上でひと纏めに片手で動きを封じるように拘束する。


「い、嫌ぁっ!!」


「お前には痛い目を見せられたからな……。その責任は取ってもらうぜ?」


 第三皇子様の右手が、私の顎を掴む。

 魔性とも思える美貌が、動けない私の顔へと近づき、その唇が私のそれに触れようとした瞬間。


「ユキ!!」


 第三皇子様に体当たりするように、狼の姿に変じたアレクさんが寸でのところで私を救ってくれた。地面へと向かって突き飛ばされた第三皇子様が、器用に着地を終え、アレクさんを挑発するような眼差しで見上げてくる。

 その視線を無視し、人の姿に戻ったアレクさんが私を優しく抱き上げ、地面へと飛んだ。


「これ以上、ユキを傷付ける事は許さない」


「俺の『影』に足止めされてた奴が、偉そうな事言ってんじゃねぇよ。もう少しで、お前の可愛いお姫様に、忘れられない痕を付けてやれたのになぁ?」


「黙れ……! 今度こそ息の根を止められたいのか?」


「くくっ……、やれるもんならやってみろよ。その前に、お前の喉を俺の竜手で引き裂いてやるからよ」


 アレクさんの腕の中で二人の会話を聞いていた私は、第三皇子様の行動と言い様に沸々と湧き上がる物を感じていた。

 人の気持ちを無視して、好き勝手に振る舞うその横暴さに……、アレクさんを馬鹿にするような言動に……。ゆっくりと、アレクさんの腕の中から離れ、第三皇子様の許へと進み出る。


「……何だよ? か弱いお姫様」


「……っ」


 もう抑える事なんて出来なかった……。

 あの日に植え付けられた恐ろしい記憶、私とアレクさんに対する失礼極まりない態度……っ。

 胸の中で膨れ上がったある種の感情が、私の思考から全ての理性を剥ぎ取っていく。

 そして、私の思いを全て外に吐き出すかのように……。


「――っ!!」


「貴方なんか、大っ嫌い!!」


 右手を振り上げ、第三皇子様の頬に叩き付けた私の平手。

 私の背後で、アレクさんの「ゆ、ユキ……」と動揺した声が聞こえる。


「人の気持ちを、何だと思ってるんですか!! 私やアレクさんを馬鹿にしてっ、一体……何様だと思って!!」


「お前、……誰を叩いたかわかってんのか?」


「知りませんよ!! 私が叩いたのは、礼儀を弁えない、捻くれ者の最低男です!!」


 いつの間にか零れだしていた涙と共に、私は第三皇子様に啖呵を切るように暴言をぶつけていた。

 叩いた事に後悔なんてない。この横暴でどうしようもない皇子様相手に、平手じゃ生易し過ぎるものっ。


「大人しいかと思ったら……、意外に気の強ぇ女だな」


「私だって、自分に驚いてます。ここまで怒った経験なんて、今までなかったんですから」


「ふぅん……。じゃあ、お前をそこまで怒らせたのは、俺だけって事か。……結果的には俺の勝ちだな」


「何言ってるんですか……っ」


「今度また、俺の気が向いたら可愛がってやるよ。それまで……、そこの番犬と仲良くやってるんだな」


 私が叩いた時は、確かに怒りと不満をもっていた第三皇子様の表情が、ふいに面白い物を見つけたかのように、笑みを浮かべ始めた。

 くっきりと平手の形がついた頬を押さえ、私の横を通ろうとした瞬間……。


「え……」


「これは平手の礼だ」


 腕を引かれ、頬に押し付けられた温かな感触……。

 それが第三皇子様の唇なのだと気付いたと当時に、鋭い剣先が私の横を一閃した。

 けれど、それは宙を舞い対象者を害する事なく、繰り出した本人の許へと帰っていく。


「ユキに触れるな!!」


「たかが頬にキスしたぐらいで怒んなよ。こっちは、こんな痕を付けられたんだからな? このくらい、安いもんだろ」


 第三皇子様は、アレクさんが繰り出す攻撃を避けながら出口へと向かっている。

 そして、憩いの庭園の入り口から回廊に入り、廊下のある通路へと逃げ去る瞬間。

 私の方を振り返り、彼は言った。


「次会った時は、胸にでも俺の痕を付けてやろうか? お前が俺を忘れられなくなるくらい、消えない痕をな」


「――っ!!!!!!!!!」


 本当に……、何なのあの人!!

 最後まで私達を馬鹿にするような事ばっかりして行った。

 アレクさんが懐から取り出した数本のナイフが、第三皇子様へと向かって繰り出される。

 けれど、それも器用に避けた第三皇子様は、嫌な笑い声と共に廊下の向こうへと姿を消して行った……。私の頬には……、あの人が残した第二の感触が残っている。


(首筋だけじゃなくて、今度は頬まで……っ)


 第三皇子様を叩いて、少しはすっきりしたかと思ったけれど……。

 私の心には、第二のトラウマが植え付けられた。主に、燃え滾る怒りの感情の方面で。

 森の図書館で押し倒された時は、嫌悪感や恐怖、そういった感情が心を占めていた。

 だけど、今度はまた違う。私とアレクさんを好き放題に翻弄して、心を引っ掻き回してくれたあの人を……。次に会った時は、平手だけじゃ済まさないっ!! そんな、私らしくもない怒りの感情が心の大半を占めていたのだった。


「ユキ、すまない……。俺が付いていながら」


「いえ、アレクさんこそ、私のせいですみません。イリューヴェルの第三皇子様に好き勝手言わせてしまって……」


「俺は平気だ。だが……」


 私の顔を見下ろしたアレクさんが、自分のズボンのポケットから、一枚の綺麗な白いハンカチを取り出した。それをグイッと私の頬に押し当て、汚れを落とすように拭き始める。


「あ、アレクさん、どうしたんですかっ」


「ユキの頬に……、あの男が触れたかと思うと……っ」


 悔しそうに、アレクさんがゴシゴシと私の頬をハンカチで擦る。

 多分、私が頬に受けた第三皇子様からのキスで、また心に傷を受けていないか心配してくれているのだろう。確かにショックだったけれど、アレクさんの心まで痛ませてしまった事に申し訳なさを感じてしまう。


「アレクさんは、ちゃんと私を守ってくれましたよ。だから、そんな風に責任を感じないでください。私なら……、大丈夫ですから」


「ユキ……」


「さ、お部屋に戻りましょう」


「……あぁ」


 芝生の上に置いていたバスケットを手に持ち、アレクさんを心配させないように微笑みかける。

 心の中では、あの第三皇子様に対する怒りがいまだに治まらず燃え盛ってはいるけれど、いつまでもあの人の事ばかりを考えてはいられない。

 私を心配してくれるアレクさんの為にも、さっきのは何かの事故だったのだと思い込むのが一番だろう。


「ユキ……」


「何ですか?」


「……いや、何でもない」


 そう言って、下を向いて俯いたアレクさんの瞳が……一瞬だけ、――何の感情も映さない冷たい色に染まった。

 今までに見た事のない、冷たく凍えるような眼差し……。

 見間違えだろうかと目を擦った後、私の目の前には、いつものアレクさんの優しい眼差しが映っていた。

 ……やっぱり、私の気のせいだったんだろうか。


「今日は念の為、ユキの部屋だけで時間を過ごした方がいいな」


「あ……、そ、そうですね。また第三皇子様に会ってしまったら大変ですし、今日は、部屋でゆっくり一緒に過ごしましょう」


 バスケットを私の手から受け取ったアレクさんが、右手で私の左手を優しく包み込んだ。

 さっきのは、やっぱり私の見間違いだったのだと、その穏やかな優しい表情を見ていればわかった。

 アレクさんが、あんな怖い表情を、浮かべるわけがないもの。

 私は彼の手を強く握り返し、部屋へと歩き出すのだった。

2014年、5月24日。本編29部改稿いたしました。

2015年、3月28日。文章の揃えなど、その他修正しました。

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