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ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~  作者: 古都助
第二章『竜呪』~漆黒の嵐来たれり、ウォルヴァンシア~
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幸せな時間の先には……。

「アレクさん、お待たせしました~!」


 朝の身支度を整えた私は、部屋の外に控えてくれていたアレクさんに声をかけた。

 扉の向こうから現れ、部屋に入ってきたアレクさんは静かな月の光を纏うかのように、穏やかに微笑んでくれている。


「ユキ、おはよう」


「おはようございます、アレクさん」


 あれから一週間……。

 レイフィード叔父さんの配慮によって、一日も欠かす事なく、アレクさんは私の護衛騎士をこなしてくれている。そのお蔭もあって、遊学の為にこの王宮に滞在している諸悪の根源……、イリューヴェルの第三皇子様とは、一度も顔を合わせずに済んでいた。

 私が辛い思いをした事をレイフィード叔父さんは知っているから、挨拶もする必要はないと言ってくれたし、第三子様は自分専用に用意された先生達とのスケジュール満載の予定をこなす為、大忙し、と。噂によると、本当に夜までお勉強漬けらしく、逃亡を繰り返しながらもレイフィード叔父さん達に捕まっては連れ戻されているそうだ。

 あの時……、私がどれだけ怖かったか。第三皇子様はいまだに知らないでいるのだろう。

 私を組み敷いて、愉しそうに見下ろしていた真紅の瞳……。首筋に触れた唇の感触。

 思い出すだけでも、恐怖と不快感が、――あの瞬間を突きつけるかのように身体を震わせてくる……。もう二度と会いたくない。あんな人には。


「ユキ、どうした?」


「……」


「ユキ?」


「え……」


 自分の思考に囚われていた私は、アレクさんの心配げな声に我に返った。

 肩に手を置き、様子を案じるように深い蒼色の視線を注いでくるアレクさん。

 あの人とは正反対だ。一緒にいるだけで落ち着ける、頼もしい護衛騎士様。


「何かあったのか? 随分と不安そうな顔をしていたが」


「い、いえっ、大丈夫です! 今日はどうしようかな~と考えていただけなので!!」


「……」


 アレクさんには、護衛騎士の任でお世話になっているのだから、これ以上の心配はかけられない。

 それに、イリューヴェルの第三皇子様の事を考えていたなんて知られたら……。

 ――アレクさんが心労で倒れてしまう!!

 彼のもうひとつの姿、銀色の毛並みを纏う狼さんの姿で出会った時から、アレクさんにどれだけ心配をかけてきた事か!!

 異世界で生きていく事になった私の寂しさや不安をあたたかな心で埋めてくれた人。

アレクさんはいつも傍にいてくれた。だから、これ以上甘えてはいけない!!


「……ん?」


 再び思考の中に意識を沈めていると、不意に感じた温もり。

 何だろうと見上げると、優しい表情の中に寂しそうな気配を滲ませているアレクさんが、――私の頭を、慰めるかのように撫でてくれていた。


「アレクさん……?」


「……」


 もしかして……、アレクさんには、私が今、何を考えていたかわかっているのだろうか。

 言葉ではなく、私の表情や態度から……、感じ取ってくれているの?

 アレクさんの手に撫でられていると、心をふわりと優しく包み込まれるかのような安堵感が広がっていく。


「……アレクさん、ありがとうございます」


 どうしていつも……、アレクさんにはわかってしまうんだろう。

 私の抱えている不安ごと抱き締めるように寄り添ってくれるアレクさんの心。

 前にも感じた事だけれど、本当に……、お兄さんのように頼もしい存在だと思う。


「あの……、そろそろいいだろか?」



「「――っ!!」」


 心地よい感触に身を預けていると、急に扉の向こうから申し訳なさそうな声が聞こえた。

 慌ててそちらに視線を向けると、……明後日の方向を見ながら、気まずそうに佇むレイル君の姿がっ。頬はほんのりと、桜の花弁を思わせる色に染まっているし……。

 もしかしなくても、アレクさんに頭を撫で撫でされている姿を見られていたのだろうかっ?

 恥ずかしさで頬に熱が集まるのを感じながらも、私は慌てて扉へと向かった。


「れ、レイル君!! ご、ごめんね!! せっかく来てくれたのに、その……、気付かなくてっ」


「い、いや、気にしなくていい。仲が良いのは良い事だし、その、邪魔をしたいわけではなかったんだが、父上から伝言を預かってきたから……、その」


「レイル殿下、陛下の伝言とは?」


 私とは正反対で、特に動じた様子もなく歩み寄って来たアレクさんがレイル君に問う。


「はぁ、お前は全然動じないな、アレク。……カイン皇子の事だ。今日の授業は二階にある王宮大図書館を使うから、そちらの方には近づかないように、との事だ」


「王宮大図書館ですね。了解しました」


 私が絶対に会いたくない相手……。

 イリューヴェルの第三皇子様が、どこで勉強のスケジュールをこなしているかは、レイフィード叔父さんが渡してくれたスケジュール表にしっかりと時間と場所が記載されている。

 そのお蔭で、第三皇子様とどこかで鉢合せをするという事もなく済んでいるのだけど……。

 どうやら今日は、急な変更が出たようだ。

 私も王宮大図書館に行こうと考えていたから、レイル君が事前に知らせに来てくれて、本当に良かった。


「ありがとう、レイル君。それじゃあ……、今日は図書館に行くのはやめて、憩いの庭園にでも行ってみようかな」


「天気も良いからな。ゆっくり過ごすには丁度いいだろう」


 レイル君が同意しながら微笑んでくれた姿を見ていた私は、せっかくならお弁当やデザートを作って過ごすのはどうだろうかと提案してみた。

 暖かな日差しと、耳に心地よい庭園の花々の調べを聞きながら過ごす。

 そこに美味しいお弁当や甘いデザートが加われば、きっともっと素敵になるだろう。


「ユキの手作りか、それはいいな。俺も出来る事があれば手伝おう」


「ありがとうございます、アレクさん! レイル君はどう? もし時間があれば、三人でどうかなって思うんだけど」


「……俺も、か?」


 レイル君が、温かみのあるブラウンの瞳を気まずそうに瞬かせる。

 彼はアレクさんの方をちらっと一瞬だけ窺い、小さく吐息を吐き出した。


「アレク……、お前も苦労するな?」


「何がでしょうか?」


「……どっちも天然、か」


 何故レイル君が同情的な声をアレクさんにかけたのか、

 何故、アレクさんの反応を見て肩を落としたのか……。

 扉に向かいそこに手を着くと、レイル君はボソボソと独り言を始めてしまう。


「無自覚なのか……、あんなに仲が良いのに……、やっぱり俺の思い過ごしなのか」


 本当にどうしたんだろう……。自問自答のように呟きを繰り返しているレイル君を、私はアレクさんと揃って疑問を頭に浮かべながら見守る。


「レイル君……、どうしたんでしょうか」


「さぁ、……俺にもよくわからないが」


 独り言を終えると、レイル君は「俺は遠慮しておく」と言い残して去って行ってしまった。

 その後姿は、どこか気落ちしていたというか、少し心配になってしまう気配を纏っていて……。

 もしかして、王子様としての勉強や役割で、疲れているのだろうか。

 次期国王様であるレイル君には、私には想像もできないほどの負担や苦労があるのかもしれない。

 レイル君……、本当に毎日お疲れ様。

 私は心の中でエールを送りながら、その背中が遠くなるまで見送ったのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 そして、二時間後。

 アレクさんに手伝って貰ったお蔭で、お弁当もデザートもバッチリ準備完了。

 別々の具材を挟んで作ったサンドウィッチに唐揚げ、それから、ふんわり甘い卵焼き。

 アレクさんのリクエストを聞いて、食後のデザート用に焼き菓子も作った。

 今日の焼き菓子は、この世界の果物を幾つか生地に混ぜて焼きあげた、

 フルーツいっぱいの美味しい焼き菓子。

 魔力で稼働するオーブンの中、焼き上がっていく生地をじっと見ていたアレクさんとしては、きっと早く食べたくて仕方がないに違いないだろう。

 狼の姿で出会った時から感じていたけれど、甘い物を前にした時の彼は、どこか幸せそうだから。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 憩いの庭園に着いた後、二人で庭園に咲いている花々の響かせる不思議な鈴の音に耳を傾けながら、お弁当の時間を楽しんだ。

 一緒に作ったサンドウィッチを口にしながら、アレクさんが「美味い」と感想を言ってくれるのに笑みを返す。

 穏やかで、ゆったりとした幸せな時間……。

 お弁当とデザートを囲みながら過ごすこのひとときは、本当に心地よい。


「そうだ。アレクさん、お弁当とデザートを食べ終わったら、狼の姿になって貰ってもいいですか?」


「構わないが……、どうしてだ?」


 まだお弁当を食べている最中だというのに、アレクさんはバスケットに入っていたフルーツ仕様の焼き菓子を取り出しているところだった。

 やっぱり、早くデザートの方を食べたくて仕方なかったんですね、アレクさん。

 私は持って来たバッグの中からペット用ブラシを取り出して、何をしたいのかを説明した。


「最近、アレクさんの狼さん仕様を見ていないので、良かったら久しぶりに、ブラッシングをさせてほしいな~と思いまして」


「ユキが望むなら。だが、俺が眠らないように注意しておいてくれるか? お前のブラッシングは心地よいから、つい眠ってしまいそうになるんだ」


「はい!」


 仕方がないなと笑みを零したアレクさんが、ポン! と音を立てて狼の姿へと変わる。

 陽光に照らされて煌めく銀の毛並み……、人の時と変わらない、優しい蒼の眼差し。

 私の前に大きな体躯を横たわらせたアレクさんにお礼を言って、私はブラシを動かし始めた。

 相変わらず、もふもふとしていて手触りの良い毛並み……。

 私は高鳴る鼓動と共に、ゆっくりと丁寧に慎重にブラシを動かす。

 アレクさんの銀色の毛並みは、相変わらずブラシがすっとすんなり通って、上質の絹を見ているみたいに滑らかな毛並みだ。

 ブラッシングをしながら、左手でその体躯を撫でると、もふもふとした暖かな感触が手に心地よく伝わってくる。さすがアレクさん……、今日もたまらない魅力に溢れています!


『……ユキ、どうした?』


「えっ……、あ、えっと……。狼の姿の時のアレクさんって、本当に手触りが良くて綺麗だなって思って」


『そうだろうか? 他の者と、そんなに違いはないと思うが……。だが、ユキに気に入って貰えているなら、俺としては幸いだ』


「私も触らせて貰えて、とても嬉しいですよ。そういえば、アレクさんの他には、ロゼリアさんと三つ子ちゃん達ぐらいですね。狼の姿を見せてくれたのは……」


 人と狼の姿を抱いて生まれる狼王族達の国、ウォルヴァンシア。

 普段は皆人の姿で生活しているらしく、私はまだアレクさん達以外の人達の、狼の姿になったところを見た事がない。


『人の姿をとっている方が、色々と便利だからな。気分転換に獣の姿になって遠出をする時か、どこかに隠れて休みたい時……、ぐらいだろうか。日常生活では、人の姿でいる時間の方が圧倒的に多い』


「そうなんですか」


『だが、こうやってお前にブラッシングをされていると、心地良過ぎて人の姿を忘れてしまいそうになるな』


 アレクさんは、再び芝生の上に頭を寝そべらせ瞼を閉じた。

 ウォルヴァンシアの副騎士団長という高い地位にいる人なのに……、

 こんな風に無防備に心を許してくれている様子を見せてくれる事に嬉しさを感じてしまう。

 異世界で初めて私の友人になってくれた、大切な人……。

 アレクさんの優しい気遣いに、私はその銀色の体躯にぎゅっとしがみつく。


「アレクさん……、ありがとうございます」


「ユキ……。――誰だ?」


 ふいに、どこからか葉擦れの音が響き、喉の奥で笑うような声が小さく聞こえた。

 アレクさんが素早く起き上がり、辺りを見回す。


「あの木の上か……」


 警戒の唸り声を上げ、アレクさんげ見つめた先は、前方にある背の高い大きな木だった。

 葉の擦れ合う音が大きくなったかと思うと、上の方からバッと黒い影が地面へと降り立つ。

 髪に溶かし込まれた色は、漆黒……。立ち上がり露わになった瞳の色は……、真紅。

 口許に浮かんだ皮肉めいた笑みが、私達を嘲笑うかのように向けられている。


「あ、……貴方は」


 身体が……、心が……、奥底から恐怖を引き摺り出すように震え始め、

 頭の中で、あの日の出来事がフラッシュバックするように強烈な色を持って蘇り始める……。


「一週間ぶり……か? お前の肌の感触を忘れないうちに会えて良かったぜ……。――ユキ・ウォルヴァンシア?」


 イリューヴェルの第三皇子様……、カイン・イリューヴェル……。

 人を惑わす、魔とも呼べる美貌を纏った危うい色香を放つ青年……。

 私にとって……、もう二度と会いたくはなかった人……。

 彼の視線が私の姿を捉え、――愉しげに細められた。

2014年・5月21日第二章本編改稿しました。

2015年、3月28日。文章の揃えなど、その他修正しました。

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