ルディー団長の異国講座!
ウォルヴァンシアより、遥か北に位置する大国、――イリューヴェル皇国。
古の昔より、強き竜の血を引くイリューヴェル皇族が治めている国であり、現皇帝グラヴァード・イリューヴェルが、先代皇帝である父親の圧政を臣下と共に治め、民が平穏に暮らしていけるようにと尽力し、大国としての威厳を取り戻したのが、ここ数十年の新しい歴史のひとつであるという。
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「それより遥か昔に遡れば、『悪しき存在』と死闘を繰り広げた勇敢な種族の国でもあるんだけどな」
「『悪しき存在』……ですか?」
レイフィード叔父さんからイリューヴェル皇国から遊学に来るという皇子様の件を聞いて数日後、私は騎士団長のルディーさんに講義を受ける事になった。
いつも通りの愛想の良い、明るい笑顔が変わる事なくそこに在る。
「エリュセードが滅ぶかもしんねーってぐらいに、すげー戦いがあったんだよ。それこそ、気の遠くなるような遥かな昔にな。で、その時に、イリューヴェル皇国は強い力を持つ国って事で、一番に狙われたんだよ。戦闘に自信のある戦士も次々に『悪しき存在』に倒されまくったらしい。俺の知ってる話じゃ、凄惨なんて言葉じゃ表せないぐらい凄かったらしいぜ」
「でも、今も国があるという事は、最後にはイリューヴェル皇国が勝ったって事なんですよね?」
「寸でのところでな。最初の方は『悪しき存在』の妨害で、他国はイリューヴェル皇国に応援を送り込めない状況にあったんだが、ようやく妨害を打ち破って、ギリギリのとこで各国の能力者達が国内に入れたそうだぜ。それで、力を合わせて見事『悪しき存在』を異空間に封じる事に成功した」
「異空間……」
「それがどこに在るのか、当時の術者達と一部の奴らだけの極秘事項になったらしくてな。多分、王族とかは知ってんじゃねーかな? まぁ、一般にまで出回ると、力のある奴がいつ封じを解いちまうかもわかんねーしな。そう簡単に解けるわけもねーけど、念の為ってやつだ」
平穏な日々を送っている私には、まるで戦争時代の事を聞く話と同様に遠い世界の事のように思える話だった。
けれど、それは紛れもない事実で、たくさんの人々が命を落とし、未来を掴み取る為に生きた時代。
心臓が話の内容にドクドクと緊張の音を立てるのがわかる。
「ま、そんなわけで、エリュセードには『友好』の盟約が全ての国で結ばれていて、何かあったら助け合おう! ってのが暗黙の了解になってるんだよ。イリューヴェル皇国も、『悪しき存在』との戦いの後、復興まで各国に助けられて、やっと立ち直ったらしいからな」
「驚きました……。そんな凄い戦いがあったなんて……」
テーブルの上に広げているノートに、ルディーさんが説明してくれた内容を綴り終えた私は、肩の力を抜いて、自分の鼓動を落ち着けるようにそう口にしていた。
「ちょっと話が逸れちまったな。えーと、ま、イリューヴェル皇国の歴史の大体のとこは教えたから、次は、……問題のイリューヴェル皇家の『今』についてだなぁ」
なんとなく、話すのに抵抗があるような歯切れの悪い言い方になるルディーさんだけど、「でも教えとかないと、姫ちゃんの為になんねーし……」と一人で納得して、私に向き直った。
「えーとだなぁ、俺も出張とかで他国に行く事があるんだが、イリューヴェル皇国は、なんつーか……その、家庭事情が面倒なんだよ」
「家庭事情、ですか?」
「あぁ。イリューヴェル皇帝は、先代の引退後、国の為に尽力したってのは話したと思うが、政務や視察にも熱心でさ、国民からすれば良い皇帝なんだよな。だけど、困った事に……、子育てに失敗してるんだよ」
「こ、子育てに……?」
「皇妃に、側室二人。そんで、息子が三人。その中で、第三皇子だけが、上二人の兄貴と出来が違う。他国にまで響き渡るぐらいに、性格が悪いんだよ」
椅子に腰かけたルディーさんが、そこでひとつ、大きな溜息を吐き出した。
本当に第三皇子を語る事が苦痛らしく、メイドさんが持って来てくれたケーキをサクッとフォークに掬って口に入れている。
レイフィード叔父さんの時と同じだ。気分が落ち込んでいるというか、嫌な事を口にしいるが故の疲労感が漂っている。
「これ、噂云々つーより、俺が直で見た事なんだけどさ、第三皇子って、パッと見はすげー美男子なんだよ。嬢ちゃん達を虜にする色気も半端ねーし、口を開かなきゃ色男そのものって感じでな。だけど……」
「……」
「口開いたら、すげー面倒なんだよ。人にすぐ喧嘩売っていくし、暴力沙汰も平気で相手を平気でボコっちまうし、もうマジで容赦ねーんだよ……」
「ほ、本当なんですか……?」
「紛れもなく、な。で、まだまだあるんだよなぁ。皇宮でも好き勝手暴れてるらしいし、イリューヴェル皇帝の叱責には一切応じない。第三皇子の母親なんか、息子を恐れて神殿に籠ったって話だしな。他にも、『女好き・我儘・俺様・横柄・至上最強の馬鹿皇子』……そんな感じの評判が飛び交ってる」
「……」
そ、それは……、子育てに失敗したなんてレベルを遥かに超越しているような……。
私は石像のように言葉を失い、ピシリと固まってしまった。
まさか……、そんな規格外に恐ろしい人が来るなんて思わなかった。
レイフィード叔父さんには、頑張って仲良くしますとか言ってしまったけれど……。
(無理! 仲良く出来る気がしない!!)
自己紹介をして、仲良くしましょうなんて絶対に言えるわけもない。
多分、何だこいつ……みたいな目で見られるんじゃないだろうかっ。
それだけならまだいいけど、気に障ったりなんかした日には、暴力に訴えられる可能性も……!
「姫ちゃん、大丈夫か~? やっぱ、この話、姫ちゃんからしたら刺激強いよな?
具合悪くなったりしてねーか?」
ひらひらと、私の顔の前で手を振ったルディーさんに、ハッと意識を取り戻す。
心配そうな表情をしているルディーさんに、私はなんとか曖昧に笑って見せる。
せっかく部屋まで来て教えてくれているのだから、途中で投げ出す事があってはいけない。
最後まで……、ちゃんと聞かないと。
「だ、大丈夫……です。知っておかないといけない情報ですから……。続きを……、お願い、します」
「いつでも話止めてくれていいからな? 具合悪くなったら王宮医師の二人呼ぶし」
「は、はい」
「……えーと、どこまで話したっけか。とにかく、要点だけ纏めると、『女好き・我儘・俺様・横柄・至上最強の馬鹿男』……ってのが、イリューヴェルの第三皇子の評価だ。まぁ、こうなっちまった原因は、イリューヴェル皇帝にあるんだけどな」
「イリューヴェル皇帝さんに?」
「政務の方に意識を向けすぎてて、自分の家族に対しての配慮が足りなかったんだよ。ウチの陛下なんか、見てのとおり親族・国民大好きな人だろ? 些細な変化にも目敏く気付くし、惜しみなく愛情も注ぐ。だけど、イリューヴェル皇帝はなぁ……。嫁さん達に子育て任せきりで、あんまり関わってなかったみたいなんだよな」
本当に、ウチのレイフィード叔父さんの爪の垢を煎じて飲んで頂きたくなる皇帝さんだ。
確かに、お父さんの本分はお仕事をして家族を守っていく事なんだろうけど、息子さんが道を踏み外す前に、出来れば父親として教育的指導をしてほしかった……!
「で、でも、一番目と二番目のお兄さんは、真っ当に育ったんですよね? なのに……、どうして、三番目の皇子様だけ、そんな事に……」
同じ皇宮で育ったというのに、どうしてそんなに天と地ほどの差が出てしまったのか。
仮にも皇帝の子として生まれたなら、教育環境もきちんといただろうし、たとえ父親がいなくても、ある程度は普通の皇子様に育ちそうなものなのに……。
どこをどう間違えば、ルディーさんの話してくれたような恐ろしい道を辿る事になるのだろうか。
「ん~……。陛下だったら、もっと情報を握ってるとは思うんだけど、あくまで、俺の方で仕入れた情報になるけど、いいか?」
「はい」
「第三皇子はな、三番目に生まれてはいるけれど、母親は皇妃なわけだ。で、兄貴達二人は側室の子。しかも、第三皇子が生まれる頃には、二人の兄貴達は優秀な皇子だと認められ臣下達の期待を集めていた。……これが何を意味するか、姫ちゃんはわかるか?」
先に生まれたのが、側室の女性二人を母親に持つ第一皇子と、第二皇子……。
そして、第三皇子は皇妃様の子供……。
出来の良いお兄さん達がすでにいて、最後に正妻である皇妃様が子供を産んだ……。
ルディーさんに問われ、私はその構図がもつ意味を一生懸命考えてみた。
「お国によって違うので、なんとも言えませんけど……。第三皇子様は、一番最後に生まれたんですよね?しかも、皇妃様の子供として……。もし、皇位継承権が関係するのなら、その辺りにも問題がありそうですし、出来の良いお兄さんと比べられたりもしたんじゃないでしょうか?」
私にはお兄さんもお姉さんもいないから、想像する事しか出来ない。
間違った道を歩み、手が付けられないぐらいに素行が悪くなってしまった第三皇子様。
もし、原因がコンプレックスや自分の置かれている立場にあるのなら、反抗心が育って周囲に当たり散らしてしまうのにも納得がいく。
「姫ちゃんの言ってるので大体当たりだな。イリューヴェル皇宮には、第一皇子派と第二皇子派がいて、そのどちらかを次の皇帝にしようっていう意思が働いてる。けど、次期皇帝自体、交代は遥か先の話だ。なのに、今から皇帝の意志を固めようとする奴らが多いらしくてな。その為に、皇妃の子供は邪魔なわけだ」
「そんな……」
「一番正統な血を引いてるからな。竜の血だけで言えば、二人の兄貴よりも濃い。いつイリューヴェル皇帝が、三番目に目を向け後継ぎにすると言い出すかもわからないだろ? だから、……幼い頃から母親である皇妃と第三皇子への風当たりは相当のものだったらしいぜ」
腕を組み、ギイッと椅子の背中に重みを預けたルディーさんが、どこか遠くを見るように、視線を天井へと定めた。
「このウォルヴァンシアだったら、考えられねーもんなぁ。真逆つーか……、ある意味不憫なもんだと思うぜ」
「それ……、噂って言ってましたよね……」
「あぁ、でも、信頼のおける筋からの情報だから、間違いはないと思うけどな」
最後のひと切れをパクリと頬張ったルディーさんが、紅茶を飲み干してひと息吐く。
もしそれが本当なら、第三皇子様は孤独の中で育ったという事になる。
幼い時というのは、人格形成に非常に重要な期間であり、未来に強く影響する。
その中で、大人達の悪意に晒されていたのだとしたら……。
「姫ちゃん、俺の話を聞いて同情しちまうのもわかるけどさ。たとえ幼い時に辛い事があっても、第三皇子に心を許すのはやめといた方がいい。さっきも言ったとおり、すげー最悪な性格になっちまってるから、人の同情さえ利用する危険性がある」
「ルディーさん……」
「まだ子供なら助けてやりてーって思うだろうけどな。第三皇子はもう成人してるし、自分で道を選べる。なのに、いまだに悪い噂が絶えないのは、本人の責任だ。姫ちゃんが心を悩ませる必要はないんだぞ」
真剣な眼差しで諭すように私にそう言うと、ルディーさんは一旦席を離れた。
私の傍へと歩み寄り、頭を優しくポンポンと撫でてくれる。
「姫ちゃんは優しいからさ。引き摺られちまわないか心配なんだよ。俺だけじゃなくて、陛下もアレクも、王宮の皆もな。だから、イリューヴェルの第三皇子の事については、一応警戒心はもっといてくれ」
優しい声音が、手にひらの感触と共に私の心に流れ込んでくる。
少年の姿のルディーさんが、まるで自分よりも年上のお兄さんのように感じられるのは気のせいだろうか。
「色々話して怖がらせちまったようだけど、安心してていいんだぜ?姫ちゃんの事は、俺や皆が全力で守るからな」
「はい、ありがとうございます。頼りにしてますね」
「おう! あ~……でも、もし、イリューヴェルの第三皇子が、万が一にも、いや、姫ちゃんマジで可愛いから、ありえそうなんだよなぁ」
「か、可愛いって……、何言ってるんですかっ」
「はは、だって本当の事だしな。イリューヴェルの第三皇子に気に入られでもしたら、本当心配なんだよなぁ。愛人にして連れて帰る! とか言い出されたら、アレクがマジでキレるわ」
難癖を付けられる事はあっても、そんな愛人にしたいほど見初められる可能性はないと思うのだけど……。
席に戻ったルディーさんが、本気でブツブツと悩みだしてしまった。
「ルディーさん、心配しなくても大丈夫ですよ。私なんて、平凡一直線なんですから」
にこっと笑って安心させるように声をかけたけれど、ルディーさんはブンブン! と顔を左右に振り、
私の両手をがしっと包んで握りしめると、顔をズイッと近づけ酷く真剣な様子で喋り始めた。
「姫ちゃんはお世辞抜きで可愛いんだよ……。しかも、優しいし癒し系だし、寂れた心の第三皇子が触れたら、マジで惚れるっ。だから、頼むから自己防衛の方もしっかりなぁ~……」
「は、はぁ……」
物凄く否定したいのだけど、強く握り締められた手と必死な眼差しに逆らえない。
仕方なくコクコクと頷き、繰り返される言葉に従っていると、部屋を訪ねるノック音が響いた。
「おっと、誰か来たみたいだな」
ルディーさんがぱっと手を離し、私の代わりに扉へと出迎えに行ってくれる。
一体誰が訊ねて来てくれたのだろうと視線を向けると、アレクさんとセレスフィーナさん、ルイヴェルさんが部屋へと入って来るところだった。
「皆さん、こんにちは。どうぞこちらへ」
「ユキ姫様、こんにちは。実は、ここに来る途中にアレクと会いまして、皆でお茶をご一緒出来たらと思って、誘ってみたんです」
中身は色んな種類のプリンが入っているというお土産の箱を私に見せながら、セレスフィーナさんは、相変わらずの女神さまのような微笑みでそう言った。
彼女は、私がウォルヴァンシアに来てから、色々と気遣っては様子を見に来てくれていて、今では私にとって、優しい頼れるお姉さんのように感じている。
騎士団のロゼリアさんも、同じように私が困っていないか仕事の合間に声をかけに来てくれるし、私には二人もお姉さんが出来たようなものだ。
優しい女神のようなお姉さんと、凛々しく強いお姉さん、本当に幸せだなぁ。
「ユキ姫様? どうされたのですか。ボケッと間の抜けた顔をなされて……」
「おい、ルイヴェル。丁寧な敬語の中に、さりげに酷ぇ物言い混ぜてんぞ、お前っ」
人数分のお茶を淹れている最中、うっかり二人のお姉さんの事を想像してしまっていた私は、ルイヴェルさんが傍に来ている事に気付かなかった。
さりげなく酷い事を言われた気がしないでもないのだけれど、ティーカップをトレイに乗せて代わりに運んでくれたから、何だかんだ言って優しいのかな、と感じている。
その後を追って席に戻ると、和やかな雰囲気でのお茶の時間が始まった。
「そう言えば、俺達が訪ねて来てしまったせいで、講義の方を中断させてしまったのではないか?」
お茶を飲んでいたアレクさんが、ふと気が付いたように私に申し訳なさそうにそう口にした。
途中と言えば途中だったのだけれど……。でも第三皇子様の事も詳しく聞けたし問題はない。
ルディーさんも同じ認識だったようで、
「一通りは説明したしな。俺の講義はあれで終了!」
「ルディーさん、ありがとうございました」
講義の終了宣言と共に、ルディーさんはニカッと私に笑って、セレスフィーナさんのお土産のプリンをパクパク食べ始めた。
えーと、チョコ色のプリンと、生クリームたっぷりのプリン、果物入りのプリンもある。
ちなみに、ルディーさんが食べているプリンは、苺みたいな色をしたクリーム付きの物だ。
どれにしようかと迷っていると、隣に座っていたアレクさんが生クリームたっぷりのプリンを手にとった。
アレクさんは生クリーム派か~と、見ていると、何故か……私の方にそのプリンがコトンと置かれてしまう。
「……アレクさん?」
「俺の分も食べていい」
「え?」
優しく労わる表情で私へと生クリームたっぷりプリンを寄越してくれたアレクさんだけど、お茶だけをアレクさんに飲ませて、自分が二つのプリンを美味しく頂くというのは心境的によろしくない。
皆で食べた方が美味しいもの! 私は生クリームたっぷりプリンをアレクさんの前へと返した。
「アレクさん、私の事なら大丈夫ですから、自分の分をちゃんと食べてください。味は違いますけど、一緒に食べた方が楽しいでしょう?」
「そうよ、アレク。ちゃんと人数分あるのだから、皆で食べましょう。でないと、ユキ姫様が悲しまれてしまうわよ?」
「……そう、だな。ユキ、すまない。俺は余計な真似をしたようだ」
「いいえ、アレクさんの気持ちは嬉しかったですから。だから、気にしないでください」
一瞬だけ寂しそうに表情を曇らせたアレクさんだったけど、私が笑顔でお礼を言うとその表情が優しいものへと変わった。
生クリームたっぷりプリンをスプーンで掬い口の中で味わったアレクさんは、またもう一口ぱくり。
無言だけれど……、相変わらず静かに幸せを噛み締める人だなぁ。
微笑ましく思えるアレクさんの姿を観察していると、私の視線に気付いたアレクさんが仄かに頬を染めた。
(狼姿の時も可愛いけど、人の姿の時のアレクさんも、可愛いなぁ)
本人に伝えたら、どういう反応が返ってくるのかな?
ちょっと見てみたい気もするけれど、やっぱりやめておこう。
こんなに美味しそうに食べているのを邪魔するのは悪いもの。
私は、アレクさんから視線を外すと、自分が食べるプリンをどれにするかで迷い始めた。
2014年、5月17日。本編22部改稿いたしました。
2015年、3月28日。文章の揃えなど、その他修正しました。