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ウォルヴァンシアの王兄姫~淡き蕾は愛しき人の想いと共に花ひらく~  作者: 古都助
第四章『恋惑』~揺れる記憶~
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優しい約束

 ゼクレシアウォードでの一件の後、私は御主人様の家で目を覚まし、ルイヴェルさんからの診察と治療を受けた。あのヴァルドナーツという男性と、金髪の少女が私にとって一体何だったのか、自分の中から発されたあの力と、あの声の主が誰だったのか……、掴めずに。

 質問を重ねる私の頭をひと撫でし、ルイヴェルさんは何も気にする必要はないと、答えを返さずに私を休息へと誘った。記憶を持たない今の私には、酷な事にしかならないから、と。

 それから数日間、彼らが私の前に現れる事はなく、御主人様と、それから、王宮を抜け出して遊びに来るレアンティーヌとの穏やかな時だけが流れた。


「御主人様、洗濯物、全部干し終わりました」


「ありがとう、キャンディ~。そろそろお茶にしましょうか」


「はい」


 人の姿でいる事にも徐々に慣れ始め、御主人様のお役に立てる家での仕事も見つけた。

 食事を作る手伝いや、お洗濯物仕事、お買い物……、習わなくても、私はこの世界の文字を読む事が出来たし、それぞれの仕事の仕方もわかっている。

 ただの犬であったなら、きっとこうはいかなかっただろう。

 元々、人の身であったからこそ、自然にそれらをこなす事が出来る。

 ある意味で、御主人様の手を煩わせずに済んで良かったけれど、心中は複雑だ。

 一歩一歩、……ウォルヴァンシアの王兄姫、『ユキ』へと近づいているようで、キャンディとしての自分が消えてしまいそうで、怖い。


「師匠~! キャンディ~!! 遊びに来たよ~!!」


「あ、レアン!! ……と、誰?」


 元気で明るい友人が扉を開けて中に入ってくると、その後ろから彼女と同じ黄金の髪をした凛々しい男性の姿が一緒に私の視界へと映り込んだ。

 鍛えている事が一目でわかるその見事という他ない筋肉質な逞しい体躯と長身の背丈に吃驚していると、レアンが気を利かせて紹介してくれた。


「キャンディ、紹介するね!! こっちはアタシの兄貴で、ナッシュフェルト。歳は結構離れてるけど、見た目の割に気は優しいから怖がらなくていいよ!!」


「そ、そうなの……。えっと、初めまして。キャンディです」


 私が右手を差し出すと、ナッシュフェルトさんはニカッと真夏の日差しが似合う愛想の良い笑顔で、それを握り返してくれた。確かに、外見は戦士のように逞しいけれど、気質は落ち着いていて優しそうだ。

 キッチンからお菓子の載った皿を手に持ちながら出てきた御主人様が、ちょっとだけ引いた目をしてナッシュフェルトさんを出迎える。


「ナッシュ~……、アンタが来ると、家の中が狭く感じるのよねぇ。ふあぁぁ……、また一歩、兄さんに近づいたって感じだけど、本当暑苦しいわ~」


「はっはっはっ!! レオン叔父も相変わらずだな!! だが、俺にとっては現・国王である親父殿は憧れの対象だ。近づいたと言って貰えて、とても嬉しいぞ!!」


「……褒めてないからね? ぜんっぜん、褒めてないのよ? この脳筋っ」


 御主人様が……、思いっきりうんざりした目をしている。

 席に座り、まだいいと言われていないのに、ざっと自分の大きな手の中にクッキーを鷲掴んだナッシュフェルトさんが、それをバリボリと豪快に食べていく。

 レアンのお兄さん……、物凄く、体育会系を絵に描いたような人だなぁ。

 裏表がなさそうというか、うん、レアンと一緒に笑っている姿が、流石兄妹そっくりだ。


「――で? 脳筋馬鹿な第一王子様が何しにきたのよ? ふあぁぁぁ」


「うむ!! 少々、友に頼まれてな。キャンディ嬢、これを受け取ってはくれまいか?」


「え?」


 ナッシュフェルトさんがその懐から取り出したのは、小さな丸い手鏡。

 可愛らしい装飾のしてあるそれを差し出され、私は戸惑いと共に御主人様の方を見やる。

 私に受け取ってほしいというその手鏡、何故、レアンのお兄さんが私に?

 会うのも初めてだし、贈り物をされる理由がないはずなのに……。


「キャンディ、受け取っておきなさい。ふあぁぁ……、きっと、いつか役に立つから」


「御主人様……?」


 私の隣に腰を下ろし、ナッシュフェルトさんからひょいっと手鏡を掬い取った御主人様が、私の手にそれを乗せてくれる。丁度、手のひらに軽く収まるサイズの手鏡。

 

「俺から、ではないが、その手鏡は常に傍に置いておいてほしいと、我が友が言っていた」


「ナッシュフェルトさんの……、お友達、ですか?」


「あぁ。キャンディ嬢の為になれば、と。名前は言えないが、どうか信じてやってほしい」


 可愛らしい手鏡、まるで、私の好みを知っているかのように……。

 その手鏡は、揺れが伝わると鈴のような心地良い音が鳴る物だった。

 誰が、何の為にこれを贈ってくれたのかはわからないけれど、そのデザインを気に入った私は、ロングスカートのポケットにそれを仕舞った。

 いつかその人に出会えたら、必ずお礼を伝えよう。そう、心に誓って。

 

「さて、そろそろ王宮に戻るとするか。レオン叔父、申し訳ないがこのじゃじゃ馬の事をよろしく頼む」


「ちょっ、ナッシュにぃ!! アタシは文武両道の姫を目指してるだけだよ!! じゃじゃ馬じゃないっての!!」


「はっはっはっ!! 女官達泣かせの姫が何を言う? これでは良い嫁の貰い手がないと、方々で嘆かれているではないか?」


「うぅっ、そ、それは……っ」


 可愛いなぁ……。実のお兄さんに額をちょんと小突かれて笑われているレアンが見せたその表情は、今までに見た事もないくらいに素直な、妹としての可愛らしい照れ顔。

 それを御主人様と一緒に微笑ましく見守っていると、散々自分の妹をからかったナッシュフェルトさんがその笑いを収め、扉へと向かい始めた。

 

「では、レオン叔父、キャンディ嬢、また」


「うぅっ、もう今日は王宮に戻んないからなぁああっ!! ナッシュにぃのアホ!! 馬鹿あぁっ!!」


「それは構わんが、祭りの日も近い。練習は怠らないようにな? でないと……、じゃじゃ馬なお前を見初める物好きが寄って来ないかもしれないぞ?」


「こんのぉぉぉぉっ!!」


 嫁の貰い手がない、それでは恋人の一人も出来ないと、そうからかわれる事が、レアンの弱点らしかった。それを実兄であるナッシュフェルトさんに指摘されると、どうにも弱いらしい。

 涙目になり、顔を真っ赤に染め上げたレアンが、自分の座っていた椅子を持ち上げる。


「ちょっ、レアン!? 何をやってるの!!」


「はぁ……、キャンディ、いつもの事だから放っておきなさい。ふあぁぁぁ……、修理は自分でやらせるし」


 ささっと機敏に動いて扉の前に消えたナッシュフェルトさんには当たらなかったけれど、レアンの投げた椅子は、残念な音を立てて扉にぶつかり、床へと落ちてしまった。

 あぁ……、椅子の脚が二つほど折れてしまっている。

 

「はぁ、……はぁ、ナッシュ兄の馬鹿野郎っ。自分だってまだ結婚してないくせにっ」


「ナッシュの兄心なんだと思うわよ~。ふあぁぁぁ、はいはい、さっさと椅子を片付けなさいね?」


「うぅ……、ナッシュ兄の馬鹿っ、馬鹿っ。アタシはまだ少女期なんだからいいんだよぉっ」


 よろよろと粗末に扱った椅子を抱き上げ、御主人様の家に備えられている工具箱から修理用の道具を持ち出したレアンが、涙ながらに椅子を修理していく。

 彼女の傍に座り込んだ私は、その作業工程を見ながら尋ねる。


「ねぇ、レアン。少女期ってなぁに?」


「ん~? あぁ、少女期っていうのはさ、アタシとキャンディみたく、少女の姿の事を言うんだよ。種族によって差はあるんだけど、時がくると大人の女になる。それを今度は、『成熟期』って言うんだ」


「……少女期」


 それも、どこかで聞いた事のある響きだった。

 忘れている記憶の中にあるもの、私を変える既視感のある音。

 これも私の中にあるはずの一部なのだろうか。

 ぼんやりとそう思いながら、私はレアンから頼まれて椅子の一部を支えた。

 アレクさん達が来ないお蔭で、ここ数日は穏やかに暮らせているけれど……。


(いつまで、この平穏で幸せな日常の中にいられるのかな……)


 人の姿に変わった事と、王都の中で感じた自分の異変。

 それ以外は、何も変わらずに穏やかな時を私に感じさせている。

 まるで、――荒波が私を飲み込む寸前の、不安を抱く静けさのように。


「……ねぇ、キャンディ」


「あ……、なぁに? レアン」


 また暗くなってしまっていた私に、レアンが椅子を床に置いて手を伸ばしてくる。

 膝の上にストンと落ちた私の両手の上に重ねられたその温もり……。

 

「アタシはさ……、キャンディの不安、一応は……、わかってるつもりなんだよ」


「レアン……?」


「いつか記憶が戻ったら、その時の事を、キャンディは心配してるんだろう?」


「……うん」


 元の、『ユキ』としての記憶を取り戻したその時、『キャンディ』が塗り潰されて消えてしまうかもしれない。もしそうなったら……。私はそれが怖い。

 だけど、レアンは私にぴったりと寄り添うと、しっかりと手を握って囁いてくれた。


「もし、キャンディが、『ユキ』っていう存在に戻って、アタシや師匠の事を忘れたとしても、それで終わりじゃないよ?」


「終わりじゃ……、ない?」


「うん。終わりじゃないんだ。アタシとキャンディは、何があっても友達。もし関係がゼロに戻っても、また友達になればいい。キャンディと、こうやって、何度でも手を繋ぐ」


 その温かで力強い確かな約束の視線が、私を見つめた後に、御主人様へと向けられる。

 レアンの言っている事を後押しするように、お茶を楽しんでいた御主人様が静かに頷いて笑うと、その手を私へと差し出してくれた。


「何度でも、ボク達はキャンディの手を掴むわよ? たとえキャンディがボク達の事を忘れても、またゼロから始めるわ。キャンディの中で消える事のない、ボク達との絆を信じて、ね?」


「御主人様……、レアン」


 まだ出会ってから、それほど長い時が経ったわけじゃない。

 それなのに、御主人様とレアンは心から私の事を受け入れてくれている。

 『キャンディ』が『ユキ』に塗り潰されても、また私の手を取ってくれる、と……。

 その無条件の優しさに思わず涙ぐむと、レアンがばしばしと私の背中を叩いてきた。


「それにぃ~!! キャンディが記憶を取り戻したら色々と面白くなりそうなんだよね~!! ほら、キャンディを迎えに来たけど、まだ宿屋でじっとしているあの三人!! 絶対キャンディと何かあるよね~!! ねぇねぇ、あの中の誰かが恋人とかじゃないのかなぁ!!」


「こ、恋人!?」


 いきなり何を言い出すの!!

 レアンの突然の荒ぶりに目を大きく見開いた私は、そのすぐ傍に立っている御主人様のニヤリとした笑みに全身をぞくりと粟立たせてしまう。

 御主人様……? 何だか漏れ出している含み笑いが怖いんですけど。


「あるわね~。特に、あの騎士君とイリューヴェルの皇子君。ふあぁぁ……、ボクのキャンディに熱心な視線を注いじゃってたし、ははっ……、ちゃぁ~んと、お試しをしなくちゃねぇ?」


「ご、御主人……、さま?」


 いつも優しい雰囲気に包まれている御主人様が、恐ろしく不穏な気配を醸し出している。

 あの三人の中に、私の恋人がいるのだと……、そんなわけが。

 ない、そう反論しようとしたけれど、レアンの方は恋の話に多大な興味を示しているし、御主人様の方は怖い笑顔と共に握り込んだ両手をバキボキと……。こ、怖すぎる!!


(恋人なんてそんな……)


 確かにあの三人と顔見知りであり、ウォルヴァンシアという王国で一緒に暮らしていたという話は聞いたけれど、まさか……、いやいや、恋人関係の人が潜んでいるなんて、あまり想像が出来ない。オロオロとしながら、けれどその可能性も完全否定出来ない今の自分に悩んでいると、レアンが私の腕にしがみついてきた。


「そういえばねぇ~、お祭りの日の事なんだけど~」


「れ、レアン?」


「お祭りの最後の日にねぇ? 丁度アタシの参加する巫女の舞が終わった後に~、恋人同士にはもってこいのイベントがあるんだよね~?」


 マタタビに酔った猫のように、レアンはふにゃりと企み顔でお祭りに纏わる話をしてくれる。

 私には関係のない、その……、も、もしも、自分のお相手がいたら、という事が前提になっている、お祭りの最終日にある……、特別なイベントの事を。


「その日だけ、ゼクレシアウォードの王宮に存在すると言われる、『誓いの花園』っていうのが開くんだけどぉ~、それね、強い繋がりを持った二人しか入れないって噂なんだ~」


「そ、そうなの」


「強い絆って言ったら、やっぱり恋人同士かな~って思うんだけど、それはその花園への道を開けた人にしか見えないんだって! ふふ~、キャンディにも、可能性があるかもよ~?」


 いつからその花園の事が噂されていたのか、それはレアンにもわからない事らしい。

 ただ、ある恋人同士が見たというその花園の話は、毎年この時期になると必ず話題に上ってくるのだそうだ。いつしかその花園は『誓いの花園』と呼ばれ、強い絆で結ばれた恋人同士が将来を誓い合い、その愛情を再確認し、永遠のものとする場所なのだと、そうレアンは話してくれた。

 全く以て、今の私には無縁のお話だ。それなのに、どうしてそんなにニヤニヤしているの~!?

 

「ねぇねぇ、師匠~。あの三人の中だと、誰がキャンディの相手にいいと思う~?」


「そうねぇ……、個人的にはどれも許したくないんだけど~、ふあぁぁぁ……、あの騎士君とか良さそうだと思うわ~。ほら、真面目で一途そうっていうか」


「ええ~。アタシは、あの強気そうな竜の皇子様もいいと思うけどなぁ~。見た目は……、ちょっと、いや、かなり? タラシそうだけど、本気になったら凄そうに見えるし~」


 ……お願いだからっ、当事者の私を放って勝手に話を進めないでください!!

 もう、せっかく心にじんわりとくる慰めを貰えたと思ったら、好き勝手に人の恋路をっ。

 まだ誰ともそんな関係になってませんから!! ……と、内心で抗議の声を叫んだその瞬間、あれっ? と、その心の声に首を傾げる。まだ……? 誰とも……?

 何故だか自分自身、妙に説得力のある心の声だった気がする。これも、忘れた記憶の一部だろうか? 三人の顔を思い浮かべた私は、何故だかトクトクと高鳴り始めた胸の鼓動に落ち着きを失くし始めてしまう。


(た、確かに……、三人とも、格好良い顔をしていたけれど、そんな、まさか、いやいやっ)


「けどさぁ~、あの眼鏡はなしだよね~」


「あ~、あの子ね~。立場はちゃんとしてるけど、性格がちょっと、ねぇ……。ふあぁぁぁ……、ボクの可愛いキャンディのお婿さんには認められないわ~。絶対苦労すると思うわよ~、あれの相手は」


「なんか、中身黒そうなオーラ出てたもんね~。うん、キャンディみたいな大人しい子には不似合いだよ。駄目駄目。むしろ、アタシが許せないわ~」


 眼鏡……、あぁ、あのルイヴェルさんという白衣姿の男性の事かな?

 勝手に盛り上がっている二人に疲れ始めた私は、ルイヴェルさんの顔を思い浮かべる。

 確かに、あの人は三人の中で一番怖い……、というか、底知れない何かを感じるというか。

 とりあえず、もしあの三人の中で自分の相手を選べと言われたら、まず一番初めにルイヴェルさんは除外すると思う。うん。

 あれは、私の手に負えるような人じゃないと思えるもの。うん、絶対無理。


「まぁ、これからどうなるかはわからないけど、キャンディに何があっても、ボク達はキャンディの友達よ? その辺はしっかりと覚えておいてちょうだね?」


「そうそう!! もしキャンディがウォルヴァンシアに戻る事になっても、アタシも師匠も、マメに会いに行くんだからね~!!」


 どんなにふざけていても、二人は私の事をちゃんと思ってくれているみたいで、記憶を取り戻す事に不安があるだろうけれど、自分達は必ず傍にいるから、ゆっくりと受け止めていけばいいと寄り添ってくれるレアンと御主人様に頷きを返す。

 そうだね……、私が、キャンディでなくなる日が来たとしても、二人と過ごした事実が消え去るわけじゃない。何があっても、お互いの存在と心を感じ合っている限り、また関係は始められる。

 記憶が消えても、想いは消えない。だから、きっと大丈夫……。

 私は、レアンと御主人様が差し出してくれた小指に自分のそれを順番に絡めると、ふんわりと和んだ気持ちで、優しい約束を交わしたのだった。

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